元宮チアキではなく、“元”チアキ 作:元宮チアキ以外の誰か
「いいか、事態は一刻を争うんだぞ!? 我々がすべきなのは、こんな部屋で会議をしていることじゃない。ドアを爆破してでもチアキを連れ出すことであってだな……!」
自身の部屋に引きこもってしまった元宮チアキをどうするかの議論は、夜が明けても白熱していた。
空崎ヒナは、そんな状況に対して、小さくため息をつく。
議論は夜通し続いていたため、マコトもサツキも疲労が溜まり、冷静な判断ができていないように見えた。まあ、それは自分も同じだろう。いっそ気絶させてでも寝かせたほうがよかったかもしれない。
「で、でも、そうしたらチアキちゃんはもっと追い詰められて……」
「私はあくまで、チアキをこれ以上追い詰めないためにこうして……!!」
マコトは、無理やりにでもチアキを連れ出すべきだと主張している。一方のサツキは、チアキが気持ちを整理できるまで優しく見守るべきだと、静観の姿勢を取っていた。
「ヒナ! 貴様もチアキを無理やりにでも部屋から連れ出すべきだと、そう思うよな!」
「……何度も言ってるけど、私からの意見は『全員休んで寝なさい』以外ないわよ」
「話にならん!」
話にならないのはそっちの方だが、それを指摘したところで余計に暴れるだけだろう。
本当なら今すぐベッドにダイブしたいところだったが、自分が寝てしまうと、その間にマコトが暴走してチアキの家に戦車部隊でも突撃させかねない。あの目が充血しているマコトに、正常な判断力が残っているとは到底思えなかった。
しかし、言っても寝てくれないので、こうして自分も付き合って見張るしかないのだ。
なお、言っても寝てくれないのはサツキも同じである。もっとも、サツキの場合は心配しすぎて眠れないのだろうが。
──まったく、得意の催眠術はどうしたんだ。
「……マコト、今のあなたをイブキが見たらどう思うかしら」
「なっ、ぐっ……」
どうやら今の一言は、相当効いたらしい。あと一押しだと判断して、ヒナは追撃する。
「恥ずかしくないマコト議長でいるためにも、今は一旦休みなさい」
「……仕方ないな」
そう言って、マコトは仮眠室へと向かった。
「あ、えっと……」
「サツキ、あなたもよ。これからもっと大変になるんだから、今は体力を回復して」
「そうね……うん。わかった」
誰もいなくなった万魔殿の執務室で、ヒナはもう一度小さくため息をつく。
マコトは積極的にチアキと関わっていくべきだと考え、サツキは静かに見守るべきだと考えている。どちらも、チアキのことを大切に思っているがゆえの対立だった。
では、ヒナ自身はどう考えているのかと問われれば──『先生の判断待ち』である。
ヒナは、こうした事態への対処の仕方を知らない。だからこそ、こうした事態に詳しそうな『先生』の判断を仰ぐのが最善だと、自分では判断した。先生は、現在ミレニアムの方でサトカの扱いに関してさまざまな調整をしているらしい。セナもミレニアムに行って、サトカの薬関連のデータを集めている。
先生たちが戻り、一旦情報が出揃ってから判断を下すべきだろう。そういう意味では、ヒナの意見はサツキの『待ち』の姿勢に近いのかもしれない。
要するに、ヒナの意見はこうだ。
──まだ、チアキをどうするか判断するには、情報が足りなさすぎる。
私たちは、『元宮チアキ』のことを知らなすぎた。
彼女がどうしてこうなってしまったのか。
その過去も、抱えていた感情も、私たちは何も知らなかった。
……知るのが、遅すぎたのだ。
――――
京極サツキは、ひと眠りした後、次々と登校してくる生徒を見守っていた。
こうして眺めていれば、チアキがひょっこり姿を現してくれるような気がしたのだ。
だが、それは希望的観測にすぎなかった。一晩でチアキが部屋から出てくるとは思えない。そんな簡単な話ではないのは、よく分かっている。
チアキを取り巻く状況は、わずか数時間で大きく変わってしまった。あまりにも急激に、そして残酷に。
薬の供給は絶たれ、ゲヘナの外部にもその事実が漏れ、心の支えだった週刊万魔殿の原稿も落としてしまった。
それだけではないのだろう。
おそらく、それだけではない。これまでの幾つもの小さな負荷が積み重なって──ついに限界を超えてしまったのだ。
それは山のように積もり、そして、静かに崩れた。
今のチアキには、言葉をかけたところで届かないだろう。ただ、待つしかないのだ。
もしかすると──もう二度と彼女の笑顔を見ることはできないのかもしれない。
あの、元気そうに見えてどこか臆病だったチアキ。苦しみながらも、ゲヘナ学園を愛していたチアキ。
万魔殿という組織において、大切な仲間だったチアキ。
──どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
私が興味本位で催眠術で彼女の『心の闇』を覗いてしまったからなのか。違う。その前からチアキは私たちに隠れて『薬』に頼るようになってしまっていた。
それ以前に何か原因がある。……あるはずなのだが、その原因が全く分からない。
サツキとしては、『チアキが薬を使っていたこと』よりも『自分たちを頼ってくれなかったこと』の方がショックだった。
彼女は、心配をかけまいとしていたのだろうか。
それとも、最初からサツキたちは本当の意味で信頼されていなかったのか。
──仲間だと思っていたのは、自分だけだったのかもしれない。
そんな思いが、胸の奥に滲んでいた。
サツキが物憂げに登校する生徒たちを見送っていたそのとき、制服のポケットの中で携帯が静かに震える。
「……はい、もしもし?」
相手は、チアキの家を見守るように指示していた情報部の生徒だった。何か行動する時は事前に連絡しておいてほしいと伝えていたから、おそらくはチアキに何か変化があったのだろう。
その声色から、ただごとではないことがすぐに伝わってきた。
「えっ、チアキが!?」
気づけば、サツキは校舎の中を全力で走っていた。イオリに怒鳴られたが、今は気にしている余裕などなかった。
チアキが外に出てきた。しかも、自分の意志で。
信じられない。それでも、現実に起こったのだ。
その事実に、体中の血が沸き立つような喜びが広がっていく。
マコトにも、ヒナにも連絡することを忘れて、ただ走った。探した。
そして──
いた。
道すがらで買ったのか、パンを咥えて校門の前で立ち尽くしている少女。
──元宮チアキだった。
「あ、あの……っ、チアキちゃん……よね?」
サツキは、恐る恐る声をかけた。どこか信じきれない自分がいた。似た誰かではないかと疑ってしまったのだ。
だが、そんなことはありえない。一年半も共に過ごしてきた仲間の顔を、見間違えるはずがない。その姿を視界に収めた瞬間、言葉にしにくい感情が胸の底からこみあげてきて、泣きそうになってしまった。
「えっ、はい! 元宮チアキですが……」
その声を聞いた瞬間、思わずサツキはチアキに抱きついていた。
その体温を、ぬくもりを、現実として感じたとき、サツキの胸に熱いものがこみ上げ、ヒノム火山のように噴き出してしまった。
「よかった……っ!!」
「わっ、えっ、何事!?」
「本当に……っ、もう会えないんじゃないかと思って……」
声が震える。泣き出しそうな自分を抑えるので精一杯だった。
「えーっと、誰かと間違えてませんか?」
「間違えてなんかいないわよ……私も、マコトちゃんも、イロハも、先生も、みんなみんなずっと心配してて……」
チアキの顔に、困惑と戸惑いが浮かぶ。
よかった。本当に良かった。
ありがとう、もう一度会いにきてくれて……
「って!そうじゃなくって!私は入学式の会場に向かわないといけないんですよ!」
だが、チアキの言葉はサツキには信じられない内容だった。
「……にゅう、がくしき?」
にゅうがくしき。にゅうがくしきとは、なんだ。
入学式?いったい何の話だ。
「そうですよ!場所を教えてくれませんか!?それが終わってからお話は好きなだけ聞いてあげますから!!」
「……どうして?」
サツキは呆然としながらも、冷静に状況を整理しようとした。
チアキの言動は、明らかに何かがおかしい。
「どうしてって……私がこのゲヘナ学園に入学する新入生で!今日が入学式だからに決まってるでしょう!?」
「……えっと、大丈夫かしら?」
「大丈夫じゃないですよ!だってもう始まっちゃう時間ですよ!ほら!」
携帯の画面をサツキの眼前に突き出すチアキ、その画面に表示されている日付は、間違いなく今日この日を示していた。この夏の日差しを感じる日に、入学式なんてやるはずがないだろう。
それに、チアキは2年生のはずだ。本当に、チアキはどうしてしまったんだろうか。
サツキは、理解が追い付かず言葉を失ってしまったが、何とか言葉を絞り出しながら静かに、震える声で問いかける。
「……チアキちゃんは……2年生でしょう?」
「へっ?」
「そして今は……夏よ?入学式のシーズンなんてとっくに……」
「ええっ!?」
『目の前のチアキ』は、その言葉が心底信じられない様子だった。
この現実が信じられないのは、こちらの方である。
もしかしたら、部屋から出てきて今目の前に居るのは、私たちがよく知る『元宮チアキ』ではないのかもしれない。
──じゃあ、『本物のチアキ』はどこに行ってしまったのだろうか。
――――
「あ、あの……私って……」
チアキの声は、まるで自分の声ではないように震えていた。
医療機器の奏でる音が、規則正しく部屋に反響している。窓の外は薄曇り。時間が止まったように静まり返った空間で、ただひとり、セナだけがせわしなく動いている。その様子を、マコトはサツキと共に見守っていた。
一応ヒナにも来るように言ったのだが、どうやら温泉開発部と美食研究会が小競り合いを起こしているらしく、その鎮圧に向かってしまったようだった。
緊急連絡でミレニアムから呼び戻されたセナは、医療機器を手際よく扱いながらチアキの身体を調べている。淡々と、しかしどこか焦りを隠せない手つきだった。
「すみません、呼吸音を確かめたいので喋らないでください」
「あ、はい……」
チアキはベッドの上でまるで知らない世界に迷い込んだかのように、困惑した目で天井を見つめている。何かを思い出そうとしているようにも見えるが、そこには何もない。
マコトは、そんな彼女の様子を見つめながら、ふと妙な既視感を覚えていた。
少し前に、ライオンマルを動物病院に連れて行ったときのことだ。ケージの中で落ち着かずキョロキョロと目を動かすライオンマル。それと同じ目を、今チアキがしている。
微笑ましいはずの記憶が、今は背筋を冷たく撫でていく。笑えなかった。
「脳波は異常ありません。心電図も……正常です。……軽く検査した限りでは、“目立った異常”は見つかりませんでした」
セナが平坦な声で報告する。だが、その言葉の奥にある「説明のつかない何か」が、かえって重たく響いていた。
「…………どうなってる」
マコトは、小さくつぶやく。
「申し訳ないですが、私にもさっぱり分かりません」
しかし、セナもお手上げだと言わんばかりに、静かに首を振った。
身体は正常。しかし、そこに宿る心は、どこか遠くへ置き去りにされてしまったらしい。
「ねぇ、本当に何も覚えてないの?」
サツキが、沈むような声で問いかける。
「えっ、はい……そうですが……」
チアキはまるで尋問されているかのように身を縮めた。その目はただただ怯え、周囲にすがるように揺れている。
「そう……なのね……」
サツキの表情に、目に見えて影が落ちた。何かを噛み締めるように、ゆっくりと目を伏せる。
「記憶があるのは……『入学式の前日』までということでよろしいでしょうか?」
セナが淡々と確認する。
「は、はい。そうですね……」
チアキの返答には迷いがあった。それは事実を語っているというより、自分の持っている“最後の断片”を拾い上げているかのよう。
「推測ですが……サトカの薬、もしくは極度のストレスによって、記憶を一時的に喪失した……という可能性もあります」
セナが立ち上がりながら、やや言い淀むように話す。
「まぁ……いずれにせよ、チアキを『元に戻さなければ』始まらないな」
マコトは、眉間にしわを寄せながら、そう呟いた。
口にした途端、言葉の重さに自分でもわずかにたじろぐ。簡単なことじゃない。けれど、“戻すしかない”という気持ちは、どうしようもなく心の底から湧いてくる。
だが、そこへ割って入る声があった。
「……無理に元に戻す必要はないのでは?」
マコトが振り向くと、セナが静かに、しかし確信を帯びた眼差しでこちらを見ていた。
「……どういう意味だ?」
「よく考えてみてください。今のチアキさんは、つい昨日まで苦しんでいた全てのことを“忘れて”います。彼女の中の複雑に絡まった状況は、リセットされているんです」
その言葉が、部屋の空気をぐっと冷たくする。チアキは、布団の端を無意識に握りしめていた。
「それに……」
セナは言葉を切った。
「……それに?」
「今のチアキさんは、薬にすがったり、部屋に引きこもったりするような精神状態には見えません。むしろ……私としては、理想の状態に近いです」
セナは、チアキに聞こえないようにマコトの耳元で語りかけた。マコトは黙ってチアキを見る。
確かに——そこにいるのは、怯えてはいるが、崩壊寸前の少女ではない。むしろ“何も知らない、まっさらなチアキ”だ。かつての苦悩も、痛みも、なかったかのように、目の前で息をしている。
「……一理あるな」
マコトはぽつりと呟いた。
セナの言う通りだ。チアキは確かに“楽になっている”。それを無理に過去に引き戻すことが、本当に“彼女のため”なのか——。
だが。
「それでも……大事なことを一つ、忘れてるな」
ゆっくりとチアキの方を見やる。
「大事なこと、ですか?」
「そうだ。……元宮チアキは、この羽沼マコトと……いや、万魔殿で共に過ごした、大切な仲間だ」
マコトは、自身の拳が、静かに震えていることに気が付いた。
「その記憶ごと、彼女が失くしてしまったのなら……それはチアキがチアキでなくなってしまったってことだろ」
今目の前に居るのは『元宮チアキ』だ。
しかし、『万魔殿で共に過ごした元宮チアキ』ではない。
「……それは、そうかもしれません」
セナも、納得はしているようだった。
「だから……取り戻すしかない。私たちの、大切な仲間を——チアキを、もう一度」
──自分たちはまだ『元宮チアキ』を『救えて』いないのだ。