元宮チアキではなく、“元”チアキ 作:元宮チアキ以外の誰か
午後の日差しが傾き始めた駅前広場。石畳に伸びる影は長く、まばらな人通りの中に、夏の終わりの空気が静かに漂っている。鰐渕アカリは、その隣に佇むセミナーの制服に身を包んだ和泉元エイミとともに、ゆったりとした歩調で時計台の下へと向かっていた。
待ち合わせ場所である時計台の下には、すでに黒舘ハルナの姿があった。ベンチに腰をかけ、携帯を弄りながら、足先と小さな羽根をリズムよく揺らしている。
「おやアカリさん、少し遅かったですね」
こちらに気が付いたハルナの表情が、ぱっと花が咲くように明るくなった。分かりやすいにも程があるが、そこがまたハルナらしい。
「ふふふ、ちょっと寄り道してたので」
アカリは微笑みを返しながら、少しだけ言葉を濁す。
鬼怒川カスミを締め上げ、エイミの軽トラに飛び乗り、万魔殿にちょっかいをかけてきたのだから、実際は寄り道などという生ぬるいものではないのだが、ハルナに余計な心配はかけたくなかった。だから、曖昧な言い方で済ませる。
「おや、エイミさんもご一緒ですか」
ハルナの視線がエイミに向けられた。いつもと変わらない物腰でありながら、その目には興味の色が浮かんでいる。
「こんにちは」
エイミはどこかぎこちなく挨拶を返していた。普段ならあっけらかんとした態度で初対面の相手にも物怖じしないはずなのに、今日の彼女は少し違って見えた。セミナー制服のせいか、それとも先ほどの空気のせいか。
「ええ、どうやらゲヘナの方に用事があったようなので連れてきちゃいました」
「なるほど……この前は大変おいしい菓子折りをありがとうございました」
アカリが説明すると、ハルナは軽く頷きながら話題を繋げる。
「あ、それですが、先日ジュンコさんには助けられまして、本人の希望でもう一度同じものを持ってきました」
「ほう……では後でいただきましょうか」
穏やかなやり取りが一段落したところで、三人は並んで歩き出した。時間は昼下がり。皆まだ昼食をとっておらず、空腹を自覚するには十分な時間である。エイミの軽トラで移動しても良かったのだが、アレは2人乗りである。一人だけ荷台に乗らなければいけないのは少々気が進まなかった。
「やはり、エイミさんはアカリさんとはよく?」
歩きながら、ハルナが声をかける。やはり、気になるのだろう。ハルナ自身はまだ
そのうちシャーレに加入しようとは考えているようだが、何かと都合が合わないらしい。
「最近は、シャーレにも生徒が増えてきたのでご一緒する機会は減りましたが、まぁ……」
「シャーレの任務でよく一緒に協力して戦った仲ですからね〜」
アカリが補足すると、エイミは少し照れたように目をそらした。
付き合いはそれなりに長く、戦場では背中を預ける間柄。最近はレッドウィンターの『間宵シグレ』と一緒になる機会も増えてきた。それでも、こうして任務もシャーレも関係ない場所で、並んで歩くのは、また違った趣がある。
地理的に遠く離れているレッドウィンターのさらに僻地に居るシグレは、そう簡単に呼べない生徒なのが、残念だ。
「ふふふ、聞いていた通り仲が良さそうで何よりですね。こうして、ゆっくりお話しするのは初めてですから、せっかくですし私たちのイチオシの店にご案内しましょうか」
ハルナが知らないアカリの一面を知れたことで、上機嫌になっているのだろう。羽や尻尾の動きが大きくなっている。
「そうですね!……ちなみに、他の2人は?」
「ジュンコさんはアルバイト、イズミさんは給食部に用があるみたいですね」
「あら、それなら給食部ごと連れてくればよかったじゃないですか」
「いえ、タヌキ鍋の仕込みを邪魔するわけには……そうだ、エイミさんもご一緒しませんか?」
その誘いに、エイミは一瞬だけ戸惑いを見せたが、すぐにどこかへ確認を取ると小さく頷いた。
鍋パーティーは、人が多ければ多いほど良いとされている。
道中、ハルナがエイミに『好きな食べ物はあるか』と訊ねると、『冷たくて、サッと食べられるもの』と曖昧な返答をしていた。しかし、そんな曖昧な答え方でも最適な店をチョイスできるのが、美食研究会リーダーの黒舘ハルナである。
ということで、3人はとある蕎麦屋を目指して歩いていた。ざる蕎麦は、その条件に合致するだろうし、あの店は天ぷらそばが特盛で頼める。
ハルナの顔二つ分ぐらいに山盛りの天ぷらそばが、アカリのお気に入りだった。
「こんにちは~」
「おや、ハルナちゃん。今日も来たのかい?」
暖簾をくぐると、柔らかい声の店主が声をかけてくる。この店に来た回数は、もう両手足の指では数えきれない。すっかり店主とも顔なじみというわけだ。
「私はいつも通り、天ぷらそばの特盛ですね」
「私も天ぷらそばの並にしましょうか……エイミさんはどうしますか?」
「えっと……」
迷っているエイミに、ハルナが優しく声をかける。
「ふふふ、遠慮はしなくていいんですよ。お支払いは、私がしますので」
「あ、いや、それは流石に……私が他校の生徒に奢らせてしまうというのは……」
やはり、前々から思っていたがこの和泉元エイミという生徒は『セミナーの下っ端』だ。事実確認ではない。性格の話だ。アカリは、エイミが注文を決めている横で、そんなことを考えていた。
自分とはそれなりの付き合いになってきたので打ち解けてきてはいるが、ハルナとの会話では敬語が抜けきっていないように思える。『いつもの服装』と違ってセミナーの制服に身を包んでいるからかもしれない。
目上の人に対しての付き合い方としては問題ないのだろうが、『友達』として触れ合いたいのであろうハルナからしてみれば距離を感じてしまうのかもしれない。
「私って、嘘が嫌いなんですよ。材料の情報を偽装する食品会社だとか、メニューの写真よりだいぶ少ない量で提供するレストランだとか……」
アカリとしては、それが少しだけ気に障ってしまった。
「そう思いませんか?『セミナーの下っ端』の和泉元エイミさん?」
「……『嘘は』ついてません」
エイミは冷静に返す。その目は、揺れていない。
「ふぅん……エイミさんが来る前にタンク役を担当していたらしい『
「……まぁ、中学でヤンチャしてましたので」
「それにしたって1年生とは思えませんが……まぁ、そういうことにしておいてあげましょうか」
「おや、1年生だったのですか。てっきり同い年かと……」
ハルナは、意外そうな顔をした。確かに、エイミはその雰囲気や体格からハルナと同学年と勘違いしても可笑しくはない。
「いえ、よく言われることですのでお気になさらず」
アカリの予想では、エイミは『
「はい!ご注文の天ぷらそばの特盛と並、それとざるそばお待ち!」
「さて、私たちは腹を満たしに来ているわけですし、腹の探り合いはこの辺りにしておきませんか?」
ハルナの言葉と運ばれてきた食事が、緊張した空気を緩和した。
「……ふふふ、そうですね。いやあ、『隠し味』が気になってしまうのは私たち美食家の悪い癖です」
まぁ、アカリとしてはエイミがメイドだろうが何だって良いのだ。むしろ、『友達だから』という理由で学内の機密情報を流してこないことに好感が持てる。
──それでも、教えても良い状況になったら教えてほしいものだが。
「それに、乙女の隠し味は、アクセントですからね」
まぁ、隠し味の一つや二つ、誰にでもある。当然、この鰐渕アカリにもある。
黒舘ハルナには決して言うことのできない、秘密が。
アカリの秘密の隠し味は、苦くて、甘酸っぱい。
「でも、隠し過ぎるのもそれはそれで体に悪いですよ?溜まったストレスは発散していきませんと」
体に悪い。本当に。
拗らせてしまっているという、自覚はある。
「はぁ……」
「……エイミさん。あなた、ゲヘナに来ませんか?ゲヘナはミレニアムと違って自由ですよ?」
和泉元エイミは、もっと身軽で、自由な生徒のはずだ。それこそ、本質は
「……それは、断る」
「あら」
「私の居場所は、ミレニアムだから」
「ですよね~」
また、勧誘に失敗した。
でも、前回と違って対立してしまったわけではない。口の中に苦々しい味が広がることはなく、のど越しが良くスッキリ終わった。
堅い芯がある生徒というのは、見ていて楽しいのだ。
それに、断られるのが分かり切っていたからだろう。
以前、シャーレでエイミが車椅子を押していた生徒。
きっと、エイミの居場所は彼女の側に違いない。だからアカリは、エイミをゲヘナに勧誘しても無駄だと分かり切っていたのだ。
あの生徒がエイミに向けている目が、よく似ていた。
鰐渕アカリが『黒舘ハルナ』を見ている目と。
その時は、まるで鏡を見たかのような錯覚に陥ってしまったものだ。
自分がハルナから離れろと言われたら全力で抵抗する。故に、エイミを『彼女』から引きはがすのは無理だろう。
「……まぁ、何が言いたいのかと言いますと、暑かったら脱げばいい。『いつもの格好』になっても良いんですよ、ってことです」
「あ、じゃあお言葉に甘えます」
エイミは、暑苦しそうにしていたセミナーの制服を脱いだ。まるで水着の様な『普段着』が姿を現す。
ハルナが、その光景を見て少し驚いていたが、隣のアカリが一切動じずに平然としていることから、それが普段着なのだと理解したようだった。
前に聞いた話だが、この和泉元エイミという生徒は、体温が非常に高く制服がまともに着れない体質であるらしい。
エイミが、『普通の学園生活』を送れているのは、きっと周囲に愛されているからだろう。場所が場所なら、虐められていてもおかしくはない。
ありのままの姿が周囲に受け入れられているというのは、幸せなことだ。
一通り蕎麦を食べ終えた頃には、三人の間に漂っていた緊張も、すっかり和らいでいた。
アカリとしては、まだまだ腹六分といったところ。そろそろお代わりを頼んでもいい頃合いだ。
「……そういえば、さっきチアキと話してきたんですよ」
「おや、意外ですね。何かあったのでしょうか」
チアキの話を切り出すと、エイミが一瞬反応した。
「チアキって、記憶喪失だったりするんですか?」
「……知ってたんですか?」
エイミがそう言うということは、事実なのだろう。
アカリには、確信があったわけではなかったのだが、これで疑惑が強固なものになった。
まず、チアキが『自分から』話しかけてきたこと。『あの日』以降、姿を見せるだけで逃げてしまうチアキが、自分だけでなくイズミやジュンコからも逃げているチアキが、自分から話しかけてきたのだ。
そして──
『まあ、概ねそうですね。こちら、私のお友達の『いずみ』さんです』
『……和泉元エイミです』
『和泉モトエイミさん……ほうほう珍しい名前ですねぇー』
獅子堂イズミを知らなかったこと。見かけただけで逃げてしまうようなチアキが、『イズミ』をまるで知らないかのように振る舞っていたのだ。アカリの友達の『いずみ』と聞けば、普通は獅子堂の方が先に出てくるだろう。
「いや?一番高い可能性がそれなのではないかと思っただけですよ」
「……よく分かったね」
それだけの情報があれば、『元宮チアキ』は記憶喪失になっているという結論にたどり着くのは容易なことだった。
「うん。えっと、『入学式』から『昨日』までの記憶が綺麗に抜け落ちてしまったらしい……って私は聞いた」
「入学式……、ということは『あの時のこと』も忘れたからアカリに話しかけてきたというわけですか」
「あれだけ避けていたのにまるで『イズミ』を知らないかのように話していましたし、何事もなかったように『私』に話しかけてきましたからね」
「まぁ……チアキが『全部忘れる』のは2回目ですし」
エイミがそういう体質であるように、チアキも『そういう体質』なのかもしれない。
「……2回目?」
エイミは、不思議そうにしていた。
このことはまだイズミにもジュンコにも、誰にも話していない。
あの日のことは、苦い思い出だ。
「……そうですね、せっかくですし話しておきましょうか」
おかわりを頼もうと思ったが、それはもう少し待つことにしよう。それに話すならちょうど良いタイミングだ。
「──これは、ハルナと一緒に『元宮チアキ』を勧誘しに行った日の話です」
(ハーメルンの読者層的にはこの場面を数行で済ませた方が読みやすいんだろうなという気持ちと、こういうのを書くのが趣味だから仕方ないだろの気持ちと、これはチアキの小説だぞの感情がせめぎ合っている)