元宮チアキではなく、“元”チアキ   作:元宮チアキ以外の誰か

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【業務連絡】
諸々のじじょで投稿止めてました。すみません。
ただ変なとこで止めたままはちょっとアレかなと思ってここだけ更新ということで。

個人的な願望と変な考察をベースにしてるので前半は読まなくても良いかもしれません。
読む人はちょっと読み返してきた方が良いかもです。



██ハルではなく、アカハル

大前提として鰐渕アカリは黒舘ハルナのことが『好き』である。

 

──それはもう、食べてしまいたいぐらいに。

 

 

 

 

その日の午前中は、肌にまとわりつくねっとりとした湿気が不快だった。

 

空は絵に描いたような春の青に染まっているというのに、昨夜から未明にかけて降った雨の気配が、なおも空気の奥底に澱のように残っている。透明なベールが町全体を覆い隠し、輪郭をぼやけさせる。

 

世界がどこか遠くにあるような、そんな感覚。

 

湿り気を含んだ空気のせいだろうか。舗道沿いに立ち並ぶ街路樹が、まるで別人であるかのように見えてしまう。昨日まであれほど誇らしげに咲き誇っていた花々は、一夜の雨に打たれたことで儚くも散ってしまった。たった一晩で面影すら変わり果ててしまった枝先には、ただ、季節の曖昧さと何かを喪ったあとの静かな諦念が取り残されているだけ。

 

 

 

鰐渕アカリは、駅前の時計塔の下に立っていた。いつもの待ち合わせ場所。変わらない待ち合わせ場所。

 

そして、変わらぬ誰かを待っている。

 

「アカリさーん! お待たせしました!」

 

集合時刻より十五分も早く、彼女は現れた。羽をふわりと揺らし、尻尾も小さく弧を描く。笑顔を咲かせながら、黒舘ハルナが駆け寄ってくる。

 

──今日も今日とて、どうしようもなく愛らしい。

 

 

 

 

入学式の日。故に、在校生であり今日から上級生となるアカリ達にとっては、特に予定のない「自由な一日」だった。

 

そんな自由な日だからこそ、アカリ達……この時はまだ美食研究"会"ではない2人はいつものように美食の探求へと向かうのだ。

 

駅前のアーケード街を満たす陽光が、天窓からこぼれて淡く金色に石畳を染めている。ショーウィンドウに並ぶスイーツたちは、その光を受けてまるで宝石箱のように輝いていた。

 

「~♪」

 

その中央を上機嫌に歩いているのが、彼女──黒舘ハルナ。

 

アカリと同じ学園に通う生徒。かつての制服をアレンジした制服には皺ひとつなく、指先の動きまで育ちの良さがにじみ出ている。清楚で、柔らかくて、無防備なようで……ゲヘナ学園では珍しい「品」というものが、彼女にはあったのだ。

 

 

 

鰐渕アカリは、思い出す。

 

最初はただ気になっているだけだった。

 

ああいう子がこの荒んだ学校に来ても、すぐに染まるか逃げ出すかだろう。そう考えているだけだった。

 

でも違ったのだ。彼女は自分の色を変えずに、ただゆっくりと、こちらの世界に馴染んでいった。いや違う。周囲を染め上げていったのだ。彼女風に言うならば、『調理した』だろうか。

 

 

 

当然、それは鰐渕アカリも例外ではない。

 

 

 

ハルナは、「食べること」に当時から強い興味を抱いていた。だから「大喰らい」の鰐渕アカリにも、興味を抱いていたのだろう。

 

いつしか、アカリはハルナと共に行動するようになっていった。

 

──これが、『美食研究会』の始まりだった。

 

 

 

────

 

 

 

「すみません。ソフトクリーム1つ」

「あいよッ!」

 

和泉元エイミは、話が長くなりそうな気配を察知して、デザートを注文した。

 

一応奢ってもらう立場だから遠慮していたのだが、そうは言ってられない。『話が長い生徒』と関わる機会の多いエイミには、この話が長くなることが分かってしまった。

 

アカリの目は、そういう目だ。たまにヒマリがする目と、よく似ている。

 

 

 

────

 

 

 

 

まるで間違えて放り込まれた白百合。似合わないのに、なのに誰よりも似合っていて、気高い存在。産まれる場所をお嬢様の集まるトリニティ自治区と間違えてしまったかのような気すらしてくる。

 

まぁ、黒舘ハルナも『そこそこいいところのお嬢様』なのだから当たり前と言われれば当たり前なのかもしれないが。

 

しかし、仮にもしハルナがトリニティの住民だったら、この『今の黒舘ハルナの価値観』は育まれていなかったかもしれない。トリニティの考えに染まって、『ありきたりな少女』が一人いるだけだっただろう。

 

今こうして『黒舘ハルナ』と共にいられることは、幸せなことなのだ。

 

 

 

 

 

ただ、鰐渕アカリには一つ気がかりなことがあった。

 

ハルナは、アカリの友達である前にゲヘナの政治組織──『万魔殿』の一員である。

 

実家を守るため。周囲の期待。将来への投資。そういった事情で、彼女はそこに身を置いていたのだ。

 

アカリは、それ自体に異を唱えるつもりはない。

 

しかし、万魔殿の一員となることが、万魔殿で政治闘争に明け暮れることが、『ハルナのしたいこと』なのか、アカリはハルナと関わるようになってから常に疑問に思っていた。好きなものを自由に食べ、放課後に食べ歩きをして笑い合い、素敵なご飯をSNSで共有する。そんな楽しくて、美味しい日常。

 

それは、果たして『雷帝』が支配する万魔殿でできることなのだろうか。ハルナがトリニティに居ることと、万魔殿に居ることは何が違うのだろうか。

 

 

 

次第に『食べ歩き』の回数は減っていった。

 

万魔殿から『圧力』をかけられたこともあった。

 

 

 

 

鰐渕アカリは強欲だった。

だからこそ、ハルナの持つものすべてが眩しくて、時に触れるのが怖くなった。

 

でも、それ以上に──失うのが怖かった。

 

 

 

違う。

 

ただ、独占したかっただけだ。

 

 

 

「アカリさん!?」

 

 

 

気が付けば、アカリはハルナを『悪魔の巣窟(パンデモニウム)』から連れ出していた。ハルナがいなくなったことで発生した空席に誰が座ったのかは、知りもしないし、どうでもいいことだ。

 

その結果としてパンデモニウムは崩れ、荒れ、今では“ただのタヌキの巣”に過ぎない。

 

 

 

 

 

 

二人が朝食に選んだのは、静かな裏通りの小さなカフェ。

 

アカリとハルナは、窓際の二人席に腰を下ろした。

外のアーケードから差し込む柔らかな光が、木製のテーブルに影を落とす。そこには、予約注文したキッシュプレートとクリームパスタがすでに並べられていた。

 

サラダのグリーン、キッシュの黄金色、焼きトマトの赤が絶妙な彩りを添えている。まるで絵画のように整ったその料理を、ハルナは瞳を輝かせながらじっくりと観察している。

 

「ふふふ、やはり評判通りここのキッシュは見ているだけでも美味しそうですね」

 

ハルナは頬を緩ませると、ナイフとフォークを器用に操り、キッシュの端に刃を入れた。

 

パイ生地がさくりと音を立てて崩れ、中から湯気とともに香ばしい香りが立ち上る。とろりとした卵とチーズ、ベーコン、玉ねぎ。

それを小さく口に運んだ彼女の顔が、ふわっとほころんだ。

 

「おいしい……!」

 

言葉がふわりと空気に溶ける。その声音だけで、どれほど彼女が幸せかが伝わってきた。

 

 

 

しがらみから解き放たれた黒舘ハルナは、今ではこうして笑いながらキッシュを頬張っている。何にも縛られず、何も気負うことなく。

 

でも、鰐渕アカリは、お城に閉じ込められたお姫様を助け出した騎士なんかじゃあない。大切に育てられていたお姫様を誘惑して地獄まで連れ去った悪魔でしかないのだ。

 

それでも、黒舘ハルナは『地獄』で咲き誇っている。このゲヘナ学園という他の自治区に比べると圧倒的に治安の悪い場所で。

 

ハルナは「食べる」という行為に、何か神聖な儀式のようなものを見ていた。皿の向き、箸の持ち方、会話の間合い。彼女の所作すべてが、どこか格式高くて、静謐だ。料理に対する感想も、どこか詩的だ。

 

そんなハルナの世界を、アカリは自身の欲で汚してしまいたくなかった。

 

アカリは誇り高き騎士なんかじゃない。ただの、欲望まみれの、独占欲にまみれた、卑しい女の子でしかないのだ。

 

だから、耐える。焦がれて、飢えて、飢えすぎて胃がひっくり返るくらい苦しくても。

 

「……一口頂いても?」

「あら、良いですが……やはりアカリさんもキッシュにすれば良かったのでは?」

「やっぱり、食べたくなっちゃいました。あんまりにもハルナがおいしそうに食べるものですから」

 

ハルナは「もう」と呆れたように笑って、キッシュを少し傾けきた。アカリは、それに口をつける。

 

以前は、他人が口を付けた食べ物など、食べなかっただろう。

 

「……どうでしょう? 美味しいですか?」

「やっぱり、ハルナが選ぶものには正解しかありませんね」

 

こうして『食べたい』と思ってしまうのは、やはり彼女が『黒舘ハルナ』だからなのだろう。

 

「ふふふ、そうですか」

 

ハルナは、にっこりと笑うと、彼女の真紅の唇が先ほどアカリが齧ったサクサクのパイ生地に触れ、咀嚼し、飲み込んで、ふんわりと息を吐く。

 

その笑顔を見るたびに、喉の奥が焼けるような衝動に襲われる。あの睫毛を噛みたい。唇を、舌でなぞってしまいたい。手首に歯を立てて、紅茶の代わりに啜ってしまいたい──そんな黒い欲望が喉の裏で泡立つ。

 

食べる前から負けていた。目の前の食べ物じゃない。アカリが食べたいのは、キッシュなんかじゃない。ハルナそのものだった。

 

ハルナが吐く息、笑う声、唇にほんのり残るチーズの香り、全部。全部──

 

まるで、一口ずつハルナを味わうような日々。

 

言葉、しぐさ、表情、食べるときの癖、感想の語彙。全部、自分だけのものじゃないけれど、それでも、隣にいていいという許可がもらえるなら、もう少し、このままでもいいかもしれない。

 

好きな人を食べるように、少しずつ、ゆっくりと、味わい尽くすような恋も、きっと、悪くない。

 

終わらない食事のように。

 

ハルナと過ごす一日一日が、今日もまた、美味しかった。

 

 

 

 

 

カフェでの食事を終え、周囲を散策しているといつのまにか予定の時刻が近づいてきていた。

 

「そろそろ入学式も終わる時間ですね。チアキさんが帰ってしまう前に私たちも行きましょう!」

「ええ」

 

アカリが今日ハルナと共に行動しているのは、『昨日の夜』に出会った今日からゲヘナ学園の一員となる生徒、元宮チアキを同志として勧誘するためだった。あのおいしそうに食べる姿、豊富な語彙での食レポ。周囲に明るく情報を振りまくその姿がハルナの琴線に触れたのだろう。

 

アカリとしても、異議は無かった。ハルナが望んでいるなら、それでいい。

個人的な感情では、ハルナを独り占めしたいのだが、ハルナはそれは望んでいないだろう。

 

ハルナは『共有』を望んでいるのだ。

おいしいと感じたものをSNSにあげたり、誰かと一緒に食べたり……

 

『独占』を心の奥底で望んでいるアカリでも、そんなハルナの姿勢には敬意を示している。一人の美食屋として尊敬しているのだ。

 

 

 

 

 

「チアキさん……まだでしょうか」

 

校門の陰で、アカリとハルナはそっと様子を伺っていた。

 

新入生たちは、ふたりの姿をちらりと見て──何も知らぬ者は好奇の目を向け、何かを知っている者は目をそらして早足で去っていく。

 

「あっ、来ましたよ!」

 

正門から現れたのは、制服に着られているような、まだ形に慣れていない少女だった。彼女──元宮チアキは、昨日とは別人のように緊張した面持ちで、ぎこちなく歩いてくる。

 

歩幅は狭く、視線は落ち着かず、全身から「不慣れ」が滲んでいた。

 

──その目と、目が合った。

 

「……ッ!」

 

瞬間、彼女はくるりと背を向け、逃げ出そうとする。

 

「ちょっ、ちょっと待ってください!」

 

ハルナの声が飛ぶと、チアキはぴたりと足を止め、振り返った。警戒と怯えを滲ませた目が、ふたりを捉える。

 

「えっと……その……、私たちのことは、ご存じですよね?」

 

ハルナが、恐る恐る訊ねた。

 

「そ、そりゃあ……もちろん!ハルナさんとアカリさんと言えば、ゲヘナでも有名な美食家で……」

 

チアキの様子は、昨日とまるで違っていた。言葉の調子が、どこかおかしい。敬語が過剰で、内容は教科書をなぞるような薄っぺらさ。昨日披露した楽しそうな食レポとはまるで違う。

 

「いやあ、それはそれはお会いできて光栄といいますか、()()()()()()()()()()()が、私はただの入学したばかりの一生徒でして……」

 

アカリは、自身の眉がピクリと動くのを感じた。ハルナの顔に、曇りが差している。

 

 

 

「ひっ……」

 

気がつけば、アカリはチアキを壁際へと追い詰めていた。

 

まただ。すぐに「手」が出てしまう。

 

まったく、悪い癖だ。

 

気に入らない店があればすぐに爆破してしまう性質は、どうにも変わらない。もう少し、ハルナのように優雅さを身につけるべきなのだろうか。

 

「アカリさん!」

 

背後でハルナが呼びかけているが、アカリの耳には入っていなかった。

 

 

 

 

「あなた……何なんですか?」

「あ、いや……」  

「困っていたからハルナが親切にお店を紹介してあげて、入学祝いでハルナが奢ってあげたというのに」

「ごめんなさい……」

「それを全部忘れて『初めまして』ですか」

「ひっ……」

 

人違いでは、無いはずだ。

胸に付いている名札には、確かに「元宮チアキ」と書かれている。

 

「…………?」

 

そのとき、アカリは違和感を抱き、チアキから一歩、距離を取った。そして改めて観察する。

 

何かがおかしすぎる。似てはいる。声も、姿も。でも──

 

その目が、違う。

 

昨日の彼女の瞳には、飽くなき好奇心が宿っていた。料理に、味に、世界に対して、輝いている光が確かにあった。

 

 

 

 

だが、目の前の「元宮チアキ」の目は、死んでいる。

 

 

 

 

 

「あなた、本当に昨日会った『元宮チアキ』ですか?」

 

 

 

 

 

「あ……」

 

その問いに、チアキが一瞬息を呑む音が聞こえた。

 

そして──

 

「……ッ!?」

 

チアキが小さく声を漏らした次の瞬間、ここまでの弱々しい雰囲気からは想像もできない力強さでアカリは突き飛ばされ、思わず反応できずによろけてしまう。その間に「チアキ」はアカリの横をすり抜けて校門の外へと駆け出していた。

 

「……少し、脅かしすぎてしまいましたか」

 

アカリは、服の埃を払い、苦笑しながらハルナの方を振り向く。彼女の羽と尻尾はしおれていた。明らかに落ち込んでいる。

 

「まぁ、こんなこともありますよ、お口直しにおいしいものでも食べに行きましょう?」

「……そうですね。私たちと一緒に美食の探求をしてくれる方は他にも……きっといますから」

 

ハルナの肩をポンポンとやさしく叩いて励まし、予約していたレストランへゆっくり歩き出す。人数は一人減ってしまったが、まぁいい。

 

食材の調達へ向かい、失敗に終わる。よくあることだ。きっと今回も同じことだったのだろう。

 

それに、だ。

 

「……私にはハルナが居れば十分ですからね」

 

アカリは、ハルナに聞こえないように小さく呟いて、肩に手を回して少し寄せる。

 

「おや、どうかしましたか?」

「いいえ、なんでもありませんよ☆」

 

──今日も、告白なんてしない。でもいい。今はこれでいい。彼女の笑顔を見て、声を聞いて、隣で同じ味を楽しめる、それだけで。

 

けれど、心の奥底では、確実に炎が育っている。

 

いつかこの想いが、爆ぜてしまう日まで。

 

そのときこそ、ハルナを丸ごと──舌の上で、味わい尽くしてしまいたい。

 

けれど今はただ、ハルナの笑顔を、記憶の一番奥に、そっと、そっとしまっておく。

 

 

 

──

 

 

 

「あ、アカリさんその話は……」

 

話が終わったのは、エイミの前にソフトクリームの容器が3つ重ねられた時だった。

 

ここまでの話は、当然そっくりそのまま鰐渕アカリの口から語られたことではない。ある程度『噛み砕かれた』話を和泉元エイミは聞かされたのだ。

 

しかし、ハルナとアカリの馴れ初めなどエイミにとってはどうでもよかった。

 

 

 

大事なのは『入学式の前後』で『元宮チアキの性格』が大きく変化しているということ。

 

 

 

ゲヘナ学園の生活の中で、何らかの要因によって段々と『昨日までのチアキ』に変化。抱え込んだストレスが昨日の一件で限界を迎え、入学式以降の記憶を失って『今のチアキ』になっているのだとエイミとサトカは、いや万魔殿メンバーも、先生もそう考えていた。だが、その変化が入学式の前後で起こったとなれば話は変わってくる。

 

もしかしたら、自分たちは『前提』から間違えていたのかもしれない。

 

アカリの話では入学式を終えた時点で『昨日までのチアキ』になっていたらしい。

 

それも、『前日に一緒に夕食を食べたアカリとハルナ』のことを忘れた状態で。

 

 

元宮チアキは、『まるで別人』のようになっているのではなく、本当に『別人』なのではないだろうか。

 

そんな疑念が、エイミの中で渦巻いていた。

 

 

 

 

 

「ごちそうさまでした。……あの、ハルナさん、この後って何か予定ありますか?」

 

会計を終えたハルナに、エイミが少し遠慮がちに尋ねた。

 

「そうですね……夜ご飯の鍋パーティーの準備までは特にありませんけど。エイミさん、どこか行きたいところでも?」

「……一度、ゲヘナ学園に戻りませんか?さっきの話、先生たちに直接伝えておいたほうがいいと思うんです」

 

今の話は、どう考えても重要情報だとしか、エイミには思えなかった。

その推理があっているかは別として、伝えておいた方が良い情報であることは確かだろう。

 

「そうなんですか?」

「はい。チアキさんの……」

「──あ、すみません。ちょっと失礼します」

 

エイミの話を遮るように、ハルナの携帯から軽快な着信音が響いた。

 

「もしもし……あらフウカさん。そんなに息を切らして何かありましたか?」

『ハルナッ!今どこッ!!』

「今、ですか?駅前の商店街を抜けたところの蕎麦屋さんですが……」

 

電話の相手は、給食部の愛清フウカだった。

 

受話器越しに聞こえるフウカの息は荒く、背景には車の走行音、それに混じって銃声──そして、何か巨大なものが地面を叩くような、ドスドスという足音が聞こえてくる。

 

ハルナの表情が強張る。

 

戦闘だ。

 

しかも、ただの小競り合いではない。

 

だが、おかしい。

 

ハルナの認識が正しければ、給食部はイズミと一緒にタヌキ鍋の仕込みをしているはずだ。

 

 

 

「…………」

 

ハルナの異変に気づいたエイミも、何かあったのだと察したそのとき──

 

「……地震ですか?」

 

ふと、そばにいたアカリが呟いた。確かに地面が揺れている。けれど、地震とは違う。震源が移動している。だんだんこちらに近づいてきているのだ。

 

建物の向こうで土埃が舞い、窓ガラスが次々と砕け散る。

 

振動が強くなる。

 

「ハルナ!なんとかしてッ!」

 

遠くから、叫ぶフウカの声が聞こえた。トラックを必死に運転する彼女。その荷台には、泣きながら謝罪するジュリ、そして後方に向けて攻撃を続けるイズミの姿。

 

「フウカさん!? いったい何が──」

 

ハルナの問いに、フウカが答えるよりも早く──

 

答えが、現れた。

 

 

 

──

 

 

 

「えっ、巨大な毒ぶんぶく茶釜が駅前商店街で暴虐の限りを尽くしている?……ごめん、何を言っているのかよく分からないわ」

 

風紀委員からの電話を取ったヒナは困惑の声を漏らした。言葉自体は理解できても、内容のあまりの突飛さに思考がついていかない。

 

「ぶんぶく茶釜か……懐かしいな」

 

そんなヒナとは対照的に、先生はふと遠い記憶に引き込まれていた。

幼い頃、夏休みに祖父母の家で寝る前の読み聞かせでの思い出のひとつだ。久しぶりにその名を耳にした。

 

「……すまん先生。『ぶんぶく茶釜』とは何だ?」

 

マコトが首をかしげながら訊ねてくる。考えてみれば、マコトのような生徒にとっては全く聞き覚えのない単語なのだろう。

 

「あー、『私の故郷』で伝わっていた昔話の一つだね」

「ふぅん、昔話か……ならば初めて聞く単語なのも当然か」

 

マコトは納得したようにうなずいた。とはいえ、その名前がヒナへの報告の中で使われていたということは、このキヴォトスにも似た伝承があるのかもしれないと、先生は思う。

 

「地域とか時期によって内容は変わるだろうけど……」

 

似た伝承が存在している可能性が高いのは百鬼夜行の方だろうかと少々気になったが、それは今考えるべき問題ではないだろう。

 

「大抵は共通して『茶釜に化けて元に戻れなくなったタヌキ』の話だよ」

「……マコトちゃん、茶釜って何?」

「まぁ、簡単に説明すれば『鍋』だな」

「茶釜は知ってるんだね」

 

先生は、それが少々意外だった。茶釜に触れる機会自体少ないのだろうとは考えていたが、そうでもないらしい。

 

「ああ。外交で説明されたことがあるからな」

「なるほど……文化交流の一環として、か。そういえば万魔殿は百鬼夜行の方とは色々あるんだったね」

「……それで、どうしてそれが暴れているのかしら?」

「さぁ?」

 

サツキの質問に対し、マコトは訳が分からないといった様子で首をかしげているが、先生の中では大方の予想がついていた。

 

万魔殿に来る途中、イズミがタヌキ肉を抱えて上機嫌に廊下を歩いていた光景を思い出す。随分と楽しそうだと思って声をかけたら、「今夜はみんなでタヌキ鍋!」と無邪気に教えてくれたのだ。

 

“みんなで”という言い回しから考えると、給食部のジュリが調理を担当した可能性が高い。あの子の料理には、何かと不思議な現象的な問題がつきものだ。

おそらく今回も、タヌキを鍋で調理しようとして「暴虐の限りを尽くす毒ぶんぶく茶釜」なる存在が誕生したのだろう。

 

「……そう、分かった。何かあったら遠慮なく電話して」

「応援には行かないのか?」

 

ヒナが電話を切るのと同時に、マコトが確認するように声をかける。

 

「いや、美食研究会にボコボコにされてるからこのまま行けば鎮圧できそうだって」

「ならいい。話を戻そう。ええと……どこまで進んでた?」

 

ヒナが現場へ向かう必要がないとわかった瞬間、マコトはすぐに本題へと意識を戻した。

 

「チアキを調べてるセナとサトカが戻ってきたらどうするか、だよ」

「そうだったな。……それで、私はゲヘナを離れているイブキとイロハにもビデオ通話でつないで、全員で話し合いたいと思っている。異論はあるか?」

 

マコトが全体に視線を送る。誰からも異議はなかった。

 

 

 

 

 

チアキ達を待つ時間、先生の思考は自然と「ぶんぶく茶釜」へと戻っていた。

懐かしい響きが、脳裏に眠っていた記憶を引き寄せているのだ。今はもういない祖母との思い出が、静かに心の中に広がってノスタルジックな気分になっていく。

 

先生が祖母から聞いた話では、茶釜に化けて悪戯をしようとした狸がそのまま焼け死ぬという内容だった。悪戯をしてはいけないよというよくある勧善懲悪的な物語だったのだが、今にして思えば祖母の語るぶんぶく茶釜は『かちかち山』と混ざっていたような気がしてならない。

 

先ほどマコトに説明したように、昔話というのは、語り手や土地によって大きく変わるものなのだ。

 

そうして分岐したぶんぶく茶釜の結末には、いくつかのパターンがある。

 

タヌキが茶釜のまま焼け死んでしまう結末。

茶釜から元の姿に戻り、今まで通りの生活を続ける結末。

そして、茶釜であることを受け入れて生きていこうとする結末。

 

ふと、先生は思い出した。

 

そういえば、マコトたち万魔殿は『タヌキ』と呼ばれていたたはずだ。アコが話の中でそう表現していた記憶がある。

 

となると、チアキの行く末も、この3つの結末のどれかに重なったりするのだろうか。

 

もちろん、現実と昔話を無理に重ね合わせる必要なんてない。けれど、今のようにノスタルジーに包まれていると、どうしてもそんな風に思えてしまうのだった。

 

チアキが『元に戻れずに焼け死ぬ』か。

 

それとも『元に戻って今までの生活をする』か。

 

あるいは──

 

 

 

 

 

まぁ、どんな結末になるにせよ、本人が納得できるものならそれでいい。

 

今のチアキの置かれている状況は、茶釜になったタヌキの話と、どこか似ている気がした。




続きはもうちょっと先になります。
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