元宮チアキではなく、“元”チアキ 作:元宮チアキ以外の誰か
的場サトカという生徒は、今のゲヘナにおいて完全に『部外者』だった。
サトカからしてみれば、ゲヘナ内部のゴタゴタに興味などないし、関わりたくもない。言ってしまえば巻き込まれた身である。
しかし、だからといって患者を中途半端な状態で放り出すのは医療従事者としてのプライドが許さないし、何より『突然薬の影響がすべて消える』などという興味深い現象を目にしてしまった以上、知らないことを知ろうとしてしまうミレニアム生徒の性を抑えることができなかった。
「…………」
とは言っても、今目の前で起こっている惨状はかなり気まずいものであり、立ち去りたいという感情が膨らんでいるのもまた、事実だった。
――
ヒナとマコトが、別室で的外れとも当たっているとも言い難い推理を話し合っている最中、チアキとイロハたちの通話は問題なく開始された。
「初めまして!」
ノートパソコンの画面に映った赤髪の少女に、チアキは元気よく挨拶をした。
チアキは、誰とでも仲良くできる生徒であり、きちんと挨拶もする礼儀も備えている
『…………』
しかし、今回ばかりはそれが仇となってしまった。
「えーっと、私は元宮チアキ……あ、これは知ってるんだった。うーん、でも私は知らないから……まぁ、いいか!それで確か棗イロハさん……でしたっけ?」
『…………』
「あ、あれ?もしもーし?」
チアキは話しかけているものの、画面の向こうのイロハから反応が返ってこない。
「サツキ先輩、向こうに届いてないみたいです!」
これは機材トラブルだろう。一度セッティングしてくれたサツキに見てもらうしかない。
「ええっ!?マイクがオフとかに……なってないわね。えっと、先生また見てもらっても……」
サツキが確認してみるが、どこにも異常はない。
「……いや、音声も映像も届いてるし、画面も固まってない。つまりこちら側には何の問題もないね」
こういうことにかなり詳しそうな先生を頼ってみたが、特に異常はないらしい。
「え、じゃあイロハ側の問題ということかしら?じゃあ一旦モモトークで連絡してつなぎ直すように……」
『いや、聞こえてますよ。……はぁ』
サツキが慌てて携帯を取り出してメッセージを送ろうとした時だった。突然イロハが動き、喋り始める。
その声に驚いてしまったサツキは持っていた携帯電話を思わず床に落としてしまった。
「も、もう!びっくりしたじゃない!また変なとこ触っちゃったのかとてっきり……」
『それはすいません。ただ……』
「ただ?」
『一年半以上一緒に居た
「「「…………」」」
入学式以降の記憶が存在していないチアキにとって、サツキやマコトは入学に向けた資料などで軽く見たことのある顔であり、記憶の中にカケラぐらいは存在している。
だが、一緒に入学するはずだったイロハは、チアキにとって話したことも見たこともない未知の生徒でしかない。
その事実をイロハは分かっていたつもりだったが、こうしてチアキと話すことにより『心』で受け止めてしまったのだ。そして、イロハはこのことにショックを受けているイロハ自身にも驚いていた。
思ったよりも、元宮チアキという生徒は、自分の中で存在感を放っていたらしい。
だが、今ここに居る『元宮チアキ』に、『棗イロハ』という記憶は一切存在していないのだ。
その事実が、じわりじわりとイロハの胸を締め付け始めていた。
『あー……えっと、棗イロハです。一年半ぐらい一緒に活動してたんですけど……思い出せませんか?』
「うっ、うぅ……ごめんなさぁい……」
『……まぁ、別にいいですよ。気にしないでください』
イロハは悲しんでいる。だが、チアキはそれ以上に悲しかった。
今こうなっているのが
『そうですね……まず私がチアキと出会った時は……』
よく『記憶を消してもう一度楽しみたい』と言われる名作はいくつかある。チアキはそれぐらいの気持ちだった。
一度知ったものを、もう一度新鮮な気持ちで味わうことができる。そのことに、ワクワクしてしまっていたのだ。
『それでイブキが……』
だが、現実はどうだ。
記憶を失くした一年半の間に『元宮チアキ』が積み上げてきたものは、記憶がなくなったとしてもそこに残っている。
『えっと、とりあえず色々話してみましたけど……思い出しましたか?』
「……ごめんなさい」
記憶が消えれば、確かにもう一度楽しめるのかもしれない。だが、記憶が消えればそれを楽しんだという思い出も消えてしまう。
自分たちが積み上げてきた思い出が崩れて悲しんでいるというのに、1人だけ積み上げてきたという記憶がない。
現在の万魔殿は、お互いがお互いの胸を締め付け合ってしまっているのだ。
『……ねぇ、チアキ先輩』
「はい!どうかしましたかぁ、イブキちゃん!」
それでも、チアキはなるべく明るく振る舞うことを心掛けた。少なくとも、『表面上は明るく』しておきたかったのだ。
『……本当に、忘れちゃったの?私のことも、先輩たちのことも……全部』
しかし、それではどうにもならないことだって、たくさんある。
「……そう、なんですよね」
『イブキと遊んだことも……先輩たちと一緒の思い出も、全部、ぜんぶ……ぜんぶぜんぶ!』
身に覚えがないことで、相手を悲しくさせてしまっている。その事実が、チアキも悲しくさせていた。
『うわあああああああああん!!!!!!!!』
イブキは、とうとう泣き出してしまった。
「いッ、イブキちゃん!」
「えっ、あっ、どどどどうしましょう!」
サツキも、チアキも慌ててしまいどうすることもできない。
『…………イブキを落ち着かせるので、いったん切りますね』
「すまない」
先生とイロハは、冷静さを装いつつ通話を終了させた。
「戻ったぞ」
「あ、マコトちゃん……」
「それで結果は……聞くまでもないか」
戻ってきたマコトは、部屋を見回してから軽く溜息をついた。元気のないサツキを見れば、何があったのかは想像するまでもない。
「マコト、何を話してきたの?」
「……少し、な。今は話しにくいから後で伝える」
「そっか。分かった」
先生は、戻ってきたヒナとマコトの顔つきで何かを察したようだった。
「えーっと……マコト先輩、一つ聞いてもいいでしょうか」
何回か深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻したチアキが、マコトに恐る恐る訊ねた。
「構わんぞ。記憶を取り戻すカギになりそうならなんだって聞いてくれて構わない」
「──昨日までの私って、本当に『私』だったんでしょうか」
「……どういうことだ」
チアキのその質問で、マコトの真面目な顔つきが、若干崩れた。
「確かに、この『週刊万魔殿』という『企画』は私が考えそうなことだとは思います」
チアキは、近くに積み上げられていた週刊万魔殿を一冊手に取る。そして、ページをパラパラとめくりながら話を続けた。
「でも、文章が違うんです。私は、こんな感じの文章は書きません。……こういうのも好きですけどね!」
先生たちは、チアキの記憶を取り戻すカギとして週刊万魔殿を読ませていたのだが、当然チアキは全くピンと来ていない。そして、それを読んだチアキ自身は、個性的な文章だとは思っているが、少なくとも『自分が書く文章』だとは思っていない。
それは、確実に昨日までのチアキが書いた文章であるにも拘わらず、だ。
「…………そうか」
なるほど。
マコトは、自分が先ほど披露した推理がもしかしたら当たっているかもしれないという感情が奥底から湧き上がってくるのを感じていた。
チアキが別人のような性格に矯正されてしまっていたなら、文章が全く違くとも納得がいく。しかし、それでも『元宮チアキ』であることには変わらないので『週刊万魔殿』という企画は思いついたのだろう。
「そ・れ・に!私だったら絶対にやってることをやってなかったんです!」
チアキは、人差し指をピンと立てた。
「絶対にやってること……?」
「荷解きですよ!荷解き!」
「荷解き?」
マコトは、思わず変な声を出してしまう。荷解きとは、どういうことだ。
「はい!私って、昨日……あ、入学式の前日に引っ越してきたんですけど、いろいろあって到着が遅くなっちゃったから、荷解きを入学式の後にやろうって思ってたんです」
「ふむ」
ついさっきまで確認していた資料を、マコトは思い出していた。引越してきたことは調査済みである。『何か』から逃げるために『引っ越してきた』のではないかと考えていたこともあるからだ。
「でも、今朝見た限りでは荷物がそのままになってました。私が今日入学式だと勘違いした理由の一つだと思います」
「……なるほど?」
「ありえなくないですか?荷解きをしていないなんて」
確かに、チアキは決して他人を家に入れなかった。まぁ、アパートだからというのもあるし、集まるなら万魔殿のどこかで済むというのもある。
だが、荷解きをしていないとは、マコトは思いもしなかった。荷解きをしないで生活をしているというのは、どういうことだ。
一年半も放置するというのは、めんどくさかったとかそういうレベルの話を超えている。
「なので、私の推理は『昨日までの私は、全くの別人が変装していた!』です!」
チアキは、誇らしげに言った。常にサツキが横にいる生活のマコトは、チアキが胸を張っていることに気が付かなかったが、どうでもいいことだ。
「ありえませんね」
「右に同じ」
しかし、その渾身の推理は、セナとサトカに即刻否定されてしまう。
「あ、ありゃりゃ……うまくいきませんねぇ……」
「先ほどの検査の結果、昨日までのチアキさんと今のチアキさんはDNA上完全に同一人物です」
セナは、2枚の書類をマコトに見せた。マコトには何も分からないことだらけので、分かった振りをする。
「そういうことだ。まぁ、完全一致の双子とかでもなきゃ他人が成り変わってたって線は薄いと思う」
サトカが結論付けた。人体に関して、この2人以上に詳しい生徒は今のゲヘナ学園にはいない。彼女たちが否定するということは、そういうことだ。
「双子か……」
マコトは、小さくつぶやいた。
やはり、真っ先にそれが思いつくのだろう。マコト達も『死んだ』のはそれだと思っていた。しかし、それは調査で否定されている上に、チアキ自身も否定している。
故に、『死んだ』のは『元宮チアキの尊厳』であるというのが今のマコトの推理だ。初めて聞いた時は一体何事かと……
「……ん?」
マコトは、そこで気が付いた。
その『チアキが死んだ』という情報は『どうやって』手に入れた?
「……そうか!」
そうだ、あるじゃないか。
「どうしたのマコト」
いきなり雰囲気が変わったマコトに、ヒナが声をかけてきた。まさか余計なことをしでかすつもりじゃないだろうなという感情が籠っているが、マコトは気が付かない。いや、それどころではなかった。
「──ある!チアキの記憶を戻せるかもしれない方法が!」
「ほ、本当!?」
マコトの力強い発言で、サツキの顔色がぱあっと明るくなる。
「ああ。それも私たちは既に『実践済み』だ。その時成功した以上、今回もチアキの記憶を呼び起こせるかもしれない」
マコトは、断言した。
それをやろうと決まったのも、『チアキの記憶を探るため』であり、成功している。
「……そんな手段があるなら、先に言いなさいよ」
「それはすまない。だが、私たちはそれを思いついたとしても、無意識のうちに避けてしまっていたんだ。その時のチアキがあまりにも辛そうだったからな」
ヒナが呆れるように言うが、ヒナもその手段は知っているはずであり、思いつきもしたはずだ。だが、それは『チアキに負担をかけてしまう』から無意識のうちに候補から除外してしまっていたに違いない。
しかし、今の自分たちにとっては、チアキに何が起こったのかを知る最後の手段だった。
「なぁ、チアキ」
「はぁい!なんでしょう!」
その方法は、チアキの異常に気が付くきっかけでもあり、この一連の騒動の発端の一つでもある──
「催眠術って、かかりやすいタイプか?」
「へ?」
──サツキの催眠術だった。
マコトたちは、催眠術でチアキの記憶を掘り起こしてしまったことで、『真実』に触れてしまったのだ。
また少し間隔が開くと思うので、この作品を書くきっかけの一つとなったエイミRTAでも読みながら待っててください。