元宮チアキではなく、“元”チアキ 作:元宮チアキ以外の誰か
「ふぅ……」
先生は、エイミとの通話を終え、携帯電話を懐にしまった。柄にもなく長電話になってしまったが、有意義な時間ではあったので構わない。
エイミが楽しい学生生活を送れていると分かったことが、先生として、人間関係に非常に強い興味のあるオタクとして、とても嬉しいのだ。
そういう意味でも、先生はすべての学生には楽しく幸せな学生生活を送ってほしいと心の底から願っている。
故に、もう一人のチアキも、何も抱え込まずいてほしい。
「でもどうするか、だよな……」
ただ、現状できることは少ない。ひとまずチアキが起きてから考えていくべきだろう。
「あ、先生」
どうやら、週刊万魔殿の校内ファンからの応援メッセージを集めていたメディア編集部員は、先生が電話している間に戻ってきていたらしい。おそらく、電話の邪魔にならないよう気を使ってくれたのだろう。
まぁ、それだけ先生がエイミの話に集中してしまっていたとも捉えられるが、今は関係ない。
「この短時間で、よくこんなに集まったね」
編集部員の手には、何枚かの紙束が握られていた。その一枚一枚に、チアキへの応援メッセージが所狭しと敷き詰められている。それぞれは一言だけの短い文章ではあるが、文字数で言えばかなりのものになるはずだ。
それこそ、今掲示板で集めている応援メッセージと合わせれば、週刊万魔殿が二冊作れるほどに。
「そりゃあもちろん、ゲヘナ学園で一番人気のある校内紙ですから!」
万魔殿に興味はなくとも、週刊万魔殿は読んでいるという生徒は大勢いる。メディア編集部として、毎週読んでくれる顔なじみ生徒のことはある程度憶えていたのだろう。
そして、そのような生徒ならチアキへの応援メッセージをすぐ書いてくれるだろうと、編集部員は回ってきたワケだ。
「そっかそっか、それでスレッドの方はどうなったかな?」
先生は、熱心に何かを入力していたサトカの携帯電話の画面を後ろから覗き込む。
「あ……えっと…………」
サトカは、『的場サトカだけど質問ある?』というスレッドを勝手に立ち上げ、匿名掲示板の生徒たちと談笑していた。当然、チアキとは何の関係もない。
「チナツ、没収して」
「はい」
サトカは多少抵抗していたものの、後方支援とはいえ立派な風紀委員であるチナツには勝てず、最終的には渋々携帯を差し出した。
別にそういうことをしてはいけない、というわけではない。ただ、名目上は監視中で色々と事情が複雑な今はやるな、という話である。
まぁ、サトカも久しぶりに後輩と話せたので少しばかり舞い上がってしまっていたのだろう。
「こんにちはー!」
勢いよく編集部室の扉が開かれ、元気な声が響く。
「ここで私が『週刊万魔殿』を……って、先生たちもここに居たんですね!」
やってきたのは、チアキだった。
先ほど会話したチアキの言葉を信じるならば、今ここにやってきたチアキこそ、元宮チアキ。即ち、その身体に宿る本来の人格ということだろう。
「起きたんだね。身体はどう?おかしいところとかはない?」
「健康良好!元気いっぱいです!」
「ならよかった」
ぴょんぴょん跳ねたり、腕を振り回して元気さをアピールするチアキ。見れば見るほど、昨日までとは別人だということを実感してしまう。
昨日までのチアキをベースにして考えていると、しないことばかりで混乱する。
「それで、事情はセナ先輩から聞きましたが……」
先生は、ここまでの経緯を話そうかとも思ったが、どうやらセナから既に聞いているらしい。セナならば、的外れな説明をすることは無いだろう。
「心の中で会話できたりしないかなーって、ちょっと頑張ってみたけどやっぱり無理でした!」
チアキは、アハハと笑いながらも、少しだけシュンとしていた。心の中で会話が可能だったら、取れる手段は増えていたのだが、できないのなら仕方がない。もうひとりのチアキが目を覚ますまで、ゆっくり待つしかないだろう。
流石に、もう一度催眠で無理やり起こそうとするのは良くない。
少なくとも、今なんの策もないまま彼女を起こすわけにはいかないだろう。
「それで、もう一人の私が一体どんなことをしていたのか知りたくなって……ここに来たんです!」
「なるほど!そういうことでしたら!」
チアキの言葉を聞いた編集部の生徒は、勢いよく部室から飛び出す。そのままバタバタと音を立てながらどこかへ走っていったかと思えば、段ボールを抱えて戻ってきた。
「どうぞ!週刊万魔殿のバックナンバーです!」
運ばれてきたのは、段ボールいっぱいの週刊万魔殿過去号だった。万魔殿議長室にも何冊かは積みあがっていたが、それとは比べ物にはならない量である。
まだまだ倉庫にあるので、とテーブルの上に段ボールを置くやいなや再び部室を飛び出していった。先生は、彼女を手伝ってあげようかとも思ったが、同じことを考えていたらしいチナツからここで待っていてくださいと言われたので、椅子に座り直す。
確かに、何冊も雑誌が入った段ボールを抱えて何往復もするならば、筋力等の諸々を考慮する限り、自分よりチナツの方が向いているとは言えるだろう。
情けない話ではあるが、効率の問題だ。
「ふむふむ……」
チアキは、一冊手に取ると熱心にそれを読み始める。
先生も、これまでのチアキを脳内でより完璧なイメージにするため、段ボールの中へ手を伸ばし、チアキと同じように読む。
いつの間にか、チナツと編集部員の往復作業は終了しており、2人とも応援メッセージの収集活動に戻っていた。サトカも、暇だったのか心理学研究部員にダル絡みしながら週刊万魔殿を読み漁っている。
なんというか、サトカの『素』が見えてきたような気がして、先生は少しだけ嬉しくなった。
今まで見えていなかった部分が見えるというのは、とても素晴らしいことである。
「ところで……チアキちゃんよ」
サトカが、部室のソファを我が物顔で占領しながら、チアキに声を掛けた。
「はい!なんでしょう!」
過去の自分が書いた文章を読んでいたチアキは、ぱぁっと顔を上げてサトカの方を向く。
「いや、別にチアキちゃんの優先事項がそれでいいならいいんだけど」
少しだけ言い淀むサトカ。
「荷解きをやってないならやった方が良いのではないか?と主治医は言っておきます」
「──あ」
そういえばそうだった。チアキは、つい先ほど「自分が荷解きをしていないのはおかしい」と説明していたのだ。
つまり、今のチアキの部屋は──
「分かってはいましたけど、賞味期限切れてますね」
チアキは、段ボールから調味料を取り出し、そのままゴミ袋に入れた。聞いてはいたが、チアキの部屋には生活感が一切無い。
PCと携帯電話の充電コードと、ゴミ箱の中身と、制服を掛けておくためのハンガーが無ければ、この部屋で生活している人がいるとは思えなかっただろう。
おそらく、『元宮チアキ』がここへやってきてから時計の針は先に進んでいない。あの時から、『彼女』の時間は止まったままなのだ。
「…………」
先生が取り出した目覚まし時計は、電池が切れているのか止まっていた。電池交換のために裏返すと、液漏れを起こしていたので、燃えないゴミの袋に入れる。
「まぁ、1年半ぐらい放置しといたんだから、仕方ないか」
そうは言っても、とチアキは頬を膨らませて少しだけ不服そうな顔をしていた。
「この小物とか、部屋に飾ろうと思ってたんだけどなぁ」
サトカを連れまわすのは外聞的に少々問題があるので、チナツと共に2人はゲヘナ学園に残らざるを得ない。故に、チアキの荷解きを手伝っているのは先生だけ。
週刊万魔殿のバックナンバー全てを持ち帰るのは無理だったので、持ち帰り可能限界であるおよそ半年分を運ぶことだけは編集部の生徒が手伝ってくれたものの、彼女たちも暇ではない。申し訳なさそうに別れることとなってしまった。
「……先生は」
中身が空になった段ボールを折り畳みながら、チアキが零した。
「どうして『私』が荷解きをしなかったんだと思いますか?」
「……そうだなぁ」
整理整頓の手を一度止め、先生は考えてみる。流石に、時間が無かっただとか面倒臭かったというワケではないだろう。もしそうだったら、今までのことが丸ごとひっくり返る。
「この荷物たちが『自分の物』ってことが、許せなかったんじゃないかな」
あくまで推測ではあるのだが、先生は既に『もう一人のチアキ』の分析をおおむね完了させていた。他人を読み取ることにおいて、先生の右に出るものはキヴォトスにほぼいないと言っても過言ではない。
「許せなかった……」
「他人の身体に入り込むなんて経験が無いから正確には分からないけど、『チアキに成ってしまった』っていう言い方はそういうことだと私は思っているよ」
多少不確定な要素があるとはいえ、今までの言動と先ほどのマコトとのやりとりを基にして考えれば、見えてくるものある。
「もう一人のチアキからしてみれば『チアキを殺した』のとほぼ同義だったんだと思う」
「そこがちょっとわからないんですよねー……」
数時間で分析を完了させた『本来のチアキ』の性格から推測すると、もし他人の身体に入り込んだとしても、自分と同様に楽しめるタイプの生徒だろうと先生は考えている。
「まぁ、それは実際に経験してみないと分からないことだとは思うよ」
とは言え、自分も実際にその状況に置かれたら同じようなことを考えてしまうかもしれない。先生にとっても、まったく未知の状況に置かれた場合の推測は難しいものである。
「……でも、仮にそうだとしても、こうして『私』が戻ってきたんですから、心の奥底に引きこもったりする必要はないんじゃないですか?」
だって、ずっと抱えていた悩みが無くなったってことでしょう?とチアキは首を傾げた。
「そもそもとして、チアキがどうのこうのの前に『自分がここに居ること』が納得いかないんだと思うんだ。私としてはね」
「納得、ですか」
もう一人のチアキの正体が”元”先生とは限らないにしても、少なくとも『本来あるべき姿のキヴォトス』を認知していたのだろうということは、裏付けができていないものの確定事項だと考えていいだろう。
故に、自分はそこに入り込んでしまった異物でしかない。もう一人のチアキの精神状態は、そういうことの積み重ねによって形成されたもののはずだ。
先生は、チアキの精神状態を自分なりに納得しやすい形に解釈しながら考えていた。
「……”とある生徒”がさ、車椅子の部品として組み込まれてたことがあるんだけど」
「えっ、なんですか?」
自分でも何を言っているのだとは思うが、
「
「……それで、何でしょう」
チアキは、ひとまず「理解ができないもの」として理解することにしたらしい。
「私が当番を……あー、シャーレには当番っていう色んな生徒にお仕事を手伝ってもらえる制度があって、それでお願いした生徒がその車椅子でシャーレまで来ててさ」
「……大胆ですね」
確かに大胆な行為ではあった。
だが、本人たちからすれば違う。
「周りから観たら恥ずかしくなるようなことかもしれないけどさ、それはお互いに自分の身体を相手に預けることができるという『信頼の証』だったんだ。こうなっていても、自分は幸せだっていいう」
「信頼の証……まぁ、そうとも言えるかもしれません」
納得がいっているような、いっていないような顔のチアキ。
「それで、もう一人のチアキにはそういう『相手』が居なかったんじゃないかな」
「あー……」
チアキは、どこか壁を作っているような生徒だった。最初に目にした時、先生はそう分析している。
その壁を作るきっかけとなった悩みについて、他人の体を乗っ取ったことが原因なのは間違いないし、打ち明けられる筈が無い。
故に、誰にも苦悩を明かせず、自分で抱え込み深く深く沈んでいくしかできなかったのだろう。
エイミとヒマリのように、お互いにお互いの体を預けられるほど信頼できるパートナーが居れば良かったのだが、チアキにとってのマコト達ではそれになることができなかった。
その原因として考えられるのが、もう1人のチアキは他人を『世界の違う存在』と認識している可能性である。元宮チアキのことを『本来の』と表現しているあたり、捉え方としては漫画やアニメとして眺めていたキャラクターのようなものだったのかもしれない。
そうすると、どこか納得のいくものがあり、チアキの状況を『生徒になった』のではなく『キャラクターになった』であると考え直してみると、チアキの考えが少しずつ分かりかけてきた。
元宮チアキ、いや彼女の言う『本来のチアキ』は万魔殿の生徒である。キヴォトス三大マンモス校の1つであるゲヘナ学園の生徒会であり、その書記。
本来その立場にいるはずの存在が担っていた役割というものは、先生ほどではないにしても相当なものであるに違いない。今回、マコトがエデン条約絡みで影響が出る可能性を考慮してこの件を慎重に取り扱っていたように、生徒会役員の一挙手一投足で世論が正反対に動くことだってあるのだ。
チアキの正体がそれ以外の学園の事情も知っている『先生』であったとしたのなら、なおさらのこと。
だからこそ、『本来のチアキ』の行動を再現することに必死になっていたのかもしれない。
エデン条約は、今のところ問題なく締結される見込みである。
だが、それがもし、自分の行動が原因で破綻するようなことになったら?トリニティからものすごい勢いで批判されるようなことになったら?
もしかしたら、エデン条約が失敗したから、ゲヘナ学園は致命的なダメージを受ける……なんてこともあるのかもしれない。
生徒会の生徒というのものは、少なからずそういった責任を負うこととなる生徒でもある。まぁ、万魔殿を見ていると本当にそうなのか疑問に思う人もいるのかもしれないが、少なくとも自分はそうであると考えている。
故に、どれだけ辛くても万魔殿にしがみ付き、本来の元宮チアキという綱の上から落下しないよう渡ることに必死だったのだろう。
ここにいるべきは自分でなくチアキであり、自分なんかは消えてしまうべきなのにと思いながら。
「……チアキは、会ってみたい?もう一人の自分に」
「もちろん!」
チアキは、即答した。何の迷いもない決断である。
「むしろ会いたくない理由なんてありませんよ!」
「怒ったりしてない?一年間以上勝手に体を使われていた訳ではあるし……」
「それは……確かにそうかもしれませんけど……」
うーん、と唸りながらチアキは顎に手を当てて天井を見た。
「だったらなおさらですよ!その間のことを教えてもらわないといけませんから!」
「そっか」
「それに……、自分の中にもう一人いるってことは、人生が2倍楽しいってことになりませんか!?」
「まぁ、チアキがそう思ってるなら安心したよ」
この調子なら、今のところはチアキが2人になってしまってもこちらのチアキは問題ないだろう。
つまりは、あちらのチアキ次第ということだ。
「私も……シャーレの先生として働けってなった時は、かなり戸惑ってさ」
似たような状況にならないと分からないと先ほど言ったが、よく考えてみれば自分も同じような体験をしているではないか。
気が付いたら訳の分からない状況で、大事な役目を任されてしまう。生徒会役員と先生ではスケールが違うとは思うが、共通点はあるはずだ。
「いきなりこんなところに連れてこられて、訳も分からないままあり得ない権力を手にして、色んな学園の問題を解決するために走り回って……」
自分はこの世界に来て『希望』を抱いたが、チアキはこの世界に来てしまったという『絶望』を抱いてしまったのだろう。
先生として生徒を眺めているだけで良かったのに、生徒そのものになってしまった。
自分は全く思わないが、人によってはそれは絶望するに十分なのかもしれない。
そう考えると、やはりチアキの中に居るのは『先生』かもという気がしてくる。
「すごく楽しかった」
自分はこの状況を受け入れているし、そんな自分がキヴォトスでは受け入れられている。元々キヴォトスには概念すら存在せず、ポッと出の訳の分からない成人男性であるにも関わらず、だ。
「この学園都市には、色んな生徒がいる。慌ててラーメン屋を吹き飛ばす生徒が居たり、心配になるくらいエナジードリンクが大好きな生徒が居たり、学生の身でありながら既に婚約を前提としてお付き合いしている生徒が居たり、私の話し方を完コピした授業をしてお友達を全員試験に合格させる生徒が居たり……」
ここまで、先生にはいろんなことがあった。そして、出会った生徒たちの大半は、一部例外はあれど思い思いの形で青春を楽しんでいた。
「車椅子のパーツに組み込まれようが、いきなり広大な学園都市の先生として任命されようが……例えどんな状況でも本人が『納得』できてるなら、案外楽しくやっていけると思うんだ。逆に、納得できないまま耐え続けるのは一番しんどい」
まぁ、説教臭いことを言っている自覚はある。
けれど、もう一人のチアキには「ここに居ても良いんだ」と理解してほしい。
チアキになってしまった、としても『自分』を捨てないで欲しい。心を病むことになったのであろう『元宮チアキ』が消えてしまったことも、こうしてチアキが戻ってきたのだ。
それに、チアキもチアキを受け入れる気満々である。
いや、それだけではない。
マコトもサツキも、イロハ、イブキ、メディア編集部、匿名掲示板のファン達──例えチアキが納得いっていなかったとしても、彼女たちは『元宮チアキ』のことを既に受け入れているのだ。
それが、例えもう一人のチアキが作り出した「幻影」であったとしても、である。
他人を完璧に再現するなんてことはできない。
いつだかヒマリが言っていた。
エイミの身体にヒマリが入ったとしたら、そこにいるのはヒマリでもなくエイミでもなく、2人が混ざった新しい存在であると。
元の人格を完璧に再現したつもりでも、多少は「自分」が混ざっている。
それでいてチアキがゲヘナ学園で愛されているというのは、そういうことなのだ。ゲヘナ学園は元のチアキなんて知らない、故に、彼女たちが愛しているのは、本来のチアキではなく、チアキの作ったチアキなのだ。
もちろん、新しいチアキ……チアキ本人からしたら本物であるチアキもきっとゲヘナ学園で愛されていくことだろう。それは、この短時間でよく分かったことだ。
「だからさ、結局は今の自分に納得できてるかどうか……そこだけなんだと思うよ」
チアキを殺してしまった、というのは事実だったのもしれない。けれど、実際にチアキは生きていた。
今、もう一人のチアキが表に出ることを拒絶しているのは、自分がどうすれば良いのか分からなくなっているのだろう。
今まで必死に取り繕ってきたものから解放されたというのに、他の人が離してくれない。
何故、自分をそこまで引き留めようとしているのかが理解できていないはずだ。
先生はそう予測した。
愛されるべきはチアキであり、自分ではない。それがもう1人のチアキの考えなのだろう。
しかし、チアキ以外の存在からすればそんなことは関係ない。過ごしてきた仲間が偽者だろうがなんだろうが、今まで積み重ねてきた思い出は本物なのだ。
先生は、チアキの部屋の壁を見た。
壁には、イブキが描いたのであろうイラストが飾ってある。これは、荷解きをする前から存在していた。
これこそ、万魔殿ともう1人のチアキが積み上げてきた思い出なのではないか。
それを無かったことにして、本者が戻ってきたので偽者は消えます、なんて納得できるわけがない。
『もう1人のチアキ』は、元宮チアキを再現するためにここにいたのではないのだ。
それが一番伝えるべきことなのだろう。
チアキがここに居る理由が、キヴォトスが予定通りの動作をするための機械のパーツとしてキヴォトスに組み込まれているためだなんてことは、決してない。もしそうだったとしても、自分は認めない。
生きる者の美しさは他社との交流によって作り出される絶妙な感情から生まれる。故に、自分を捨てて機械のように孤独なままの人生なんて、人間関係のオタクとしては認めたくないものだ。
チアキとしての行動を間違え、大変なことになりそうならば、自分が大人としてどうにかする。
だからチアキには思う存分『キヴォトス』を楽しんで欲しい。もちろん、2人ともだ。
とはいえ、この2人を共存させるにはどうすれば良いのか。そこが全く思いつかない。
==
先生が居ない部屋は、静かだった。
自分の部屋だというのに、自分の物であるような気がしない。
自分の感覚ではまだ引越してきたばかりだからなのか、それとも昨日までは違う人が生活していたからなのか。
まぁ、どうだっていい。
今日からここが、「私たち」の部屋なのだから。
「ふぅん……」
一回しか使っていないが既に何度も使われているベッドに寝ころんで、自分でない自分が書いた週刊万魔殿を読む。
「私のマネだったとしても、ここまでかけるんだから、きっと…………」
綴られている文章は、自分のものとはまったく違う雰囲気。
でも、分かることは1つ。
「これだけ続けられていたんだから、本当に心の底からゲヘナ学園のことが本当に大好きなのかも……?」
チアキは、もう一人のチアキが用意した唯一の装飾である「イブキの描いた絵」を見ながら呟いた。絵の中の万魔殿メンバーは、チアキ含めて仲良しそうに笑っている。
「…………ふぅ」
先生は、もう一人の『私』が何らかの方法で『本来のチアキが存在するキヴォトス』を認知していたのではないかと言っていた。
元宮チアキがすることを把握していたなら、それは少なくともゲヘナ学園には興味があったということ。
そう考えると、チアキはもう一人の自分のことが少しだけ分かってきたような気がした。
もうひとりのチアキにとって、本来のキヴォトスというのは『完成された作品』だったのではないか。
自分が手を加えるなんて許されるはずがない、最高の作品。
愛しているからこそ、触れたくない。そういうことなのかもしれない。
──けれど
「この週刊万魔殿は……アナタにしか書けないものだと思いますけどねぇ」
チアキからすれば、この週刊万魔殿達も『完成された作品』である。
何を思ってこの作品が作られたのか、どんな人がこれを作ったのか……それを知ろうとすることは何も悪いことではないだろう。
チアキは、小さく息を吐くと一旦週刊万魔殿を閉じ、2年前の昨日買った日記帳に手を伸ばした。
「日記……書いててほしかったなぁ」
そしたら、私はあなたのことが内側まで知れるのに。
せっかく買った日記帳には、最初の1ページしか書きこまれていない。けれど、何度も開いた形跡がある。
知りたかったのだろう。私のことを。
今は、まるで逆だ。
もうひとりの私を知るために、週刊万魔殿を読んでは閉じる。
それを繰り返しているうちにチアキの瞼は重くなり、いつのまにか意識を手放していた。
「──ん……あれ?」
チアキは、いつの間にか扉の前に立っていた。いや、正確には『自分の部屋のドア』の前に立っている。
真っ暗で、ドア以外には何もない。
「夢……ですよね」
夢でないなら、
入っても良いのだろうか。
チアキは、暫く扉の前で悩んでいた。
「…………」
ドアノブは、重い。けれど、動かせないほどではない。
この先に何があるのかは、入らなくてもなんとなく分かっていた。
「じゃあ、入らない理由にはなりませんよね」
自分の部屋のドア、ということは『元宮チアキ』の部屋が広がっているということである。
ただ、
つまり、今この中に居るのは──
扉を開けた。
足を踏み入れる。
足が沈んでいくような感覚がした。
息苦しい。
地面に泥のようなものが溜まっていて、歩きにくい。
誰にも入って来てほしくないのだろう。
けれど、元宮チアキはそれに逆らって進む。
「えーっと、初めまして」
「……なんで」