元宮チアキではなく、“元”チアキ 作:元宮チアキ以外の誰か
元宮チアキは、その部屋に入るなり顔をしかめてしまった。
薄暗い部屋。泥のようなものが溜まった床。吸うだけで苦しくなるような重い空気。空間そのものが『他者』の存在を拒絶しているような感覚がする。見た目は自分の部屋のはずなのに、自分が受け入れられていない。
いや、この部屋の中央に居る存在のことを考えればそれも当然のことだった。
「……もしかして、あなたが」
チアキは、恐る恐る彼女に声を掛ける。
「……そう」
部屋の中央でこちらに背を向けてうずくまっていた少女が、ゆっくりと顔を上げた。
「私こそが、元宮チアキの身体を勝手に使っていた『偽者』だよ」
その顔を見た瞬間、チアキは思わず息を呑んでしまった。
目の前にあるのは、自分と同じ顔。それなのに、同じ顔なのだとはすぐに認識することができない。髪は整えられることなく乱れており、目の下には濃い隈ができてしまっている。肌は荒れて、頬は痩せこけているようにも見える。
そして何よりも、今すぐにでも自分自身を壊してしまいそうな、危うい表情が印象的であった。
先生の読み通り、彼女が『ここ』へ来てから、一瞬たりとも心休まる時なんて無かったのかもしれない。彼女はきっと、常に『元宮チアキ』であろうとし、気を張っていたのだ。そして、人の目のないところでは、そのことに心を痛め、苦しんでいる。
その表れが、この部屋なのだろう。
誰にも言えない苦しみと、それを抱え込んで追い詰められてしまった彼女の精神が、この部屋を作り出している。チアキは、なんとなくそんな気がした。
目の前に居るのも『元宮チアキ』であるから、どこか通じ合えるものがあるのかもしれない。
「……どうして、ここまで来てしまったんですか」
もう一人のチアキの声色は、『元宮チアキ』が目の前にいることへの喜び、何故ここに居るのかという戸惑い、追い詰められた苦しみ、後悔……様々な感情が入り混じっていた。
「それはもちろん、一回ぐらいはお話ししてみたかったからです!」
それに対しチアキは、なるべく明るく受け答えするようにした。
一度お話ししてみたかったという言葉は、半分だけ嘘であり、半分本当である。『元宮チアキ』は『ここ』に来ようと思って来た訳ではない。眠ったと思ったら、ここに居た。
自分の意志で『この部屋』に来ている訳ではないという点においては、どちらのチアキも共通していると言える。
「……そうだよね。言いたいこと、沢山あるよね」
チアキの様子に、もう一人のチアキはどこか安心したような表情でほほ笑んだ。それは、元宮チアキと再会できた喜びなのか、それとも──
「だから、全部言っていいよ」
両手を広げる。その腕は、震えていた。
「全部、ですか」
「そう。恨みでも、怒りでも……殴りたかったら、それでもいい」
まるで覚悟を決めているかのように言う、もう一人のチアキ。
だが、嘘だ。
チアキは、それを見て真っ先にそう思った。どう考えても、その覚悟ができているようには思えない。これは覚悟ではなく、投げ出した諦めだろう。
「私はそれだけのことをしたという自覚がある」
全てを受け入れる覚悟というよりも、罰されるのを今か今かと待っているような、そんな感情。
もし、自分が彼女の言うように恨みや怒りをそのままぶつけてしまえば、彼女は二度と立ち直れないぐらい粉々に砕け散ってしまうだろうという確信が、チアキにはあった。
先生のように他人の心をを見透かすような能力はないが、それぐらいはチアキでも分かる。
彼女が求めているのは、『救い』ではなく、『罰』なのだと。
「そうですね。確かに、私はあなたに言いたいことはありますし、怒ってることもあります」
「……よかった」
何も良くない。
もしかしたら……というより、チアキはほぼ確信しているのだが、このもう一人のチアキは『
この世界に不必要な存在であると、他でもない元宮チアキに認めてもらうことで、それを達成しようとしているのではないか。
それこそが、元宮チアキという存在を乗っ取り、めちゃくちゃにしてしまった自分への罰であるのだと、心の底から信じ切っているのだ。
「……じゃあ、好きにしていいよ。これからは、『私』なんかに囚われることなくチアキの自由にできる」
「……そうですね。私、すごーく怒ってます」
「そう。だから……」
もう一人のチアキは、チアキの言葉を聞いてどこかホッとしたかのように目を伏せた。いや、直視できなかっただけかもしれない。
「荷解きぐらいはしといてください!」
「え?」
だが、元宮チアキからの『怒り』は、もう一人のチアキの想定とはまるで違っていたようで、戸惑っているような、申し訳ないような、ぽかんと口を開いた表情になる。
それに連動したかのように、足元の泥が少しだけ減ったような気がした。
「せっかくのお洋服に皺がついちゃったじゃないですか!」
「……それは」
チアキは、一年以上も折り畳まれたまま段ボールに押し込まれていた洋服を手に持つと、もう一人のチアキに向かって見せる。アイロンをかければ元に戻りはするのだろうが、ほとんどの服が同じような状態なので、相当な苦労が必要になってしまう。
同じ体を共有していたのだから、『自分』の服でもあったはずなのに。
「それに、ほら見てください。持ってきてた調味料とかも賞味期限が切れてますよ!」
「……ごめん」
チアキは、調味料の賞味期限の欄を指差す。それを見て、もうひとりのチアキは戸惑いながらも申し訳なさそうな表情で謝罪の言葉を述べる。そこにあるのは『罰』や『救い』を求める姿ではなく、等身大の元宮チアキのような気がした。
「…………?」
そして、チアキは気が付いた。
いつの間に、自分は『これら』を取り出していたのだろうか。そもそも、この部屋にあったのだろうか。チアキは、もう一度皺のついた服と、期限切れの調味料を見つめる。
これは、どういうことなのだろうか。
いや、今自分が見ているのは夢のはずだ。
この部屋が本当に『夢』なのかは分からないが、夢というものは起きている間の記憶を基に構成されるものという話をどこかで聞いたことがある。
つまり、自分が『ある』と思ったものは『ある』ということだろうか。洋服と調味料の話をしたからそれが出現した。
この部屋は、そういうシステムなのかもしれない。
そう考えると、この部屋を用意したのは『もう一人のチアキ』であることに、納得がいった。
引き籠ってしまいたいと思ったから、この部屋が作られ、彼女の精神状態を反映した空間が形成されていく。
それを理解したチアキは、少しだけ悲しくなった。
どれだけ『元宮チアキ』のことを考えたとしても、今までこの部屋の中に『
「……それだけ?」
「それだけ、ってなんですか」
気に入っていた服に変な皺が付いてしまったことも、調味料を使わずに捨てることになってしまったのも、チアキにとっては大事なことである。
けれど、もう一人のチアキが求めているのはそういう言葉ではない。
もっと怒ってほしい。もっと恨んでほしい。
なのに、そんな言葉が出てくる気配がないのだ。
いや、もう一人のチアキ自身も理解している。元宮チアキという生徒は、そういうことを言う生徒ではないと。
だが、求めずにはいられない。彼女はそんな自己矛盾を抱えているのだ。
「……他に、ないの」
故に、もう一人のチアキは訊ねる。
「他に、ですか」
チアキの眉は、八の字になった。
「本当に、怒りも恨みもしてないなんて……あり得ない」
「いやぁ……」
そういうものなのだろうかと思い、チアキは反応に困ってしまう。
「だって、一年以上も体を勝手に使って、本来ならしないようなことばかりしていたのに?」
チアキは、考えた。そもそも、中身が
だから、チアキには彼女に対して言いたいことがたくさんある。けれど、怒りや恨みと言ったものは『ほとんど』ない。あるにはあるのだが、それを今言うべきことでないぐらいは分かっている。
「じゃあ、教えて欲しいです。あなた自身のことを」
チアキは、明るく言った。
「え?」
またもや意外な返しだった様で、もう一人のチアキは鳩が豆鉄砲を食ったような表情になった。そんなチアキの姿を見ながら、チアキはここからどうやって話を広げていくのかを考えていく。
「だって、私のことを知りたかったんでしょう?」
チアキは、日記帳を取り出した。もう一人のチアキにとって、ほぼ唯一と言ってもいい『本来のチアキ』を知る手掛かりであった日記帳。
「そう、だけど……」
もう一人のチアキは、目を伏せてしまった。
「1ページしか書いてない日記帳をこんなに読み返して……いやぁ、なんだかちょっと恥ずかしいですねぇ」
日記としての情報量は少ないが、見るだけで伝わってくることはたくさんある。分かりやすいのは、もう一人のチアキが
「ほら、お互い様じゃないですか」
そこに残されたわずかな情報を、何度も何度も読み返す。
自分が居ない間に、そうまでして『
「私はあなたのことを全然知りません。そして、あなたも私のことを全然知らなかった」
同じ体なのに、知らない事ばかり。それを知ろうとすることの、何が悪いというのだろうか。
「でも……」
下を見たまま、もうひとりのチアキが零す。
「だから、お互いのことを、これから知っていきましょうよ」
その言葉に、もう一人のチアキは顔を上げた。彼女の瞳の中の光が、少しだけ揺らめいたようにも、チアキには思える。もしかしたら、彼女の中にある何かを揺さぶることができたのかもしれない。
「……でも、そんな簡単な話じゃ、ない」
もう一人のチアキは、再び目を伏せて否定してしまう。
「そうかもしれません」
チアキは、それを否定することはしなかった。簡単なことではないのは、事実だからだ。
「私はあなたじゃないのに、身体を勝手に使って、人生の大事な時期を奪って……」
でも、それは不可抗力で、望んだことではない筈。もう一人のチアキが悪いわけではない。チアキは、そういう認識だった。
「……それなのに、どうして」
「それでもです。いえ、それだからこそ、です」
チアキは、即答した。理屈なんてものは、後付けでいい。
「だから、ほら」
手を差し伸べた。
「…………ごめん。やっぱり、私はここに居ることが、許せないんだ」
もう一人のチアキは、一瞬目を合わせ、手を伸ばしかけたが、引っ込めてしまう。
どうやら、先生の「自分に対して納得できていない」という読みは当たっていたらしい。
「元宮チアキの身体を奪った挙句、人生も週刊万魔殿も滅茶苦茶にしてしまって……」
謝って解決するような話ではないのは、本人も百も承知なのだろう。それでも、口に出さずにはいられない。
「本当に、ごめんなさい……」
もう一人のチアキは、酷く怯えているように見えた。
きっと、恐ろしかったのだろう。他人の居場所を不本意に奪ってしまった罪悪感に、ずっと押しつぶされそうになっていたのだ。誰にも打ち明けることなく、一人で抱え続けて……そして、壊れてしまった。
「だから、これからは『私』なんかに囚われず自由に生きて欲しい」
その結果が、今なのだ。
「この世界に必要なのは、私ではなく元宮チアキなんだから」
もう一人のチアキの声は、震えている。
「万魔殿に入るのも、週刊万魔殿でみんなを楽しませるのも……本当だったら、あなたが自分の意志で始めて……そして、みんなが笑って……そうなるはずだったのに」
俯いてしまうもう一人のチアキ。彼女がここまでどれほど苦悩し、耐えようとしていたのかなんて、チアキには分からない。先生のように知見の溢れた人物でも、知らないことに対しては想像できないことがあるのだ。
「……私には、無理だった。元宮チアキにはなれない。そんなこと、最初から分かっていたのに、サトカに頼ってまで頑張って、それでも駄目で……こうなって」
もう一人のチアキは、首を横に振りながら自嘲するように笑った。チアキを殺してしまった責任を取るために、なんとか足掻いてきた結果がこれなのだ。
勝手に耐えきれなくなって、潰れて、各方面に迷惑をかける。挙げ句の果てにはチアキ本人にも。
「だから、私がここで消えていなくなるのが一番でしょ!? チアキが戻ってきて、偽者は消える! それが本来あるべき元宮チアキで、ゲヘナで、キヴォトスで、
最期の叫びを終えると、もう一人のチアキは膝から崩れ落ち、部屋の中に堆積している泥の様なものの中に顔を埋めてしまった。
最期の言葉が何だったのか、チアキには聞き取れなかったのだが、言いたいことは伝わってきている。
もう一人のチアキは、自分が消えることが正解であると思っているのだ。
確かに、一つの正解としてはアリなのかもしれない。だが、唯一の正解ではないだろう。
チアキが消えるという選択肢を正解だと認めない人はたくさんいる。先生、万魔殿……元宮チアキを含めて、大勢。
「先生たちから、あなたが『私』のことを消してしまったから苦しんでいたと聞きました」
「……だって、そうだったから」
それは事実だ。現に、元宮チアキは一年以上も眠っていたのだから。
「でも、こうして私は戻ってきましたよ」
「……それはそうだけど。それなら、私はなおさら要らない」
もう一人のチアキがどんな表情をしているのかは分からないが、泣いていることは分かった。声に、嗚咽が混じっている。
チアキとしては、自分が戻ってきたことをもう少し素直に喜んで欲しかったのだが、そんなことができる余裕は、とうの昔に消えてなくなってしまったのだろう。それほどまでに、自分をすり減らしていたに違いない。
「ここまで、辛かったんだと思います。それこそ、私では想像もできないぐらい」
「……うん」
チアキは、一歩前に出た。
「だからって、あなたがここで消えてしまったら……今度は私が『あなたを消してしまった』と抱えていかなければなりません」
「え、あ……」
ピタリ、ともう一人のチアキの動きが止まった。それは考えていなかったのだろう。いや、正しくは考えられるだけの余裕が無かった、が正解かもしれない。
「あなたの中にある『本来のチアキ』は、それを抱えたままでも問題なく生活できるような存在でしたか?」
「……それは、違う……けど」
もう一人のチアキが、途切れ途切れで言う。
「私も、自分が来たことで誰かを消してしまったなら、悲しいと思います」
これは、紛れもない事実だ。
「だから、私はあなたに消えないで欲しい。あなたのことを消したくない」
まだ、あなたのことを何も知らない。
「あなたを消して終わり、なんて嫌です」
泥に埋まった彼女に合わせるように、チアキも膝を折る。
「そう思うことは……私たち、同じではないですか?」
もう一人のチアキは無言だったが、その沈黙は拒絶ではないような気がした。もしかしたら、彼女の中で何かが変わったのかもしれない。それならば、嬉しいのだが。
「消えることも……消えることすらも、私には許されない……」
しかし、その可能性は無くなった。もう一人のチアキは、消えることも許されていないことを理解してしまったのだ。そして、そんな状況はもう一人のチアキにとっては、苦しみでしかない。
「だったら、私はどうすれば良いの?」
涙に濡れた顔が、泥の中からこちらを向いた。
その表情に、チアキは言葉を失った。あまりにも、それは痛々し過ぎる。それこそ、どうしてここまで追い詰められてしまうほどに耐えられるのか不思議なほどに。
チアキは、もう一度手を伸ばす。
「一緒に、考えましょう」
もう一人のチアキは、小さく首を振った。
「……無理だよ」
その声は弱弱しく、風が吹けば消えてしまうかのようなもの。
「良いとか悪いとかじゃなくて、無理なんだ……私には、もうこの現実に耐えられない……」
もしかしたら、自分たちは少しだけ思い違いをしていたのかもしれない。
「無理って……一体何がそんなに無理なんですか?」
チアキは食い下がる。それでも、ここで引き下がるわけにはいかない。もう一人のチアキの瞳は虚ろで、焦点が定まっていないように見える。
「もう……立っていられない」
か細い声が響く。
「何をやっても上手く行かなくて……、何をしてても自分が許せなくて……」
そう言う彼女の指先は震え、泥濘に触れるたびに小さく沈んでいく。
「本当は必要のない薬にまで頼って……その上で……」
声が詰まる。
「全部ダメだった」
彼女の体がさらに泥に沈むように見えた。チアキが咄嗟に伸ばした手を、もう一人のチアキは振り払うように避けた。
「だから、私はここに居ちゃいけない。これ以上迷惑をかける前に……」
「迷惑だなんて、私は思ってません!」
チアキの声が部屋に響いた。
「少なくとも、私はあなたに消えてほしくないって言っています!」
「間違えちゃったなら、やり直しましょうよ! まだ、時間はッ……!!」
チアキは、もう一人のチアキの手を掴もうとしたが、泥で足を滑らせバランスを崩してしまう。
「……元宮チアキは」
もう一人のチアキが俯いたまま呟く。
「あなたは……私がいなくても、きっと元気にやっていける」
彼女の周りの泥が、まるで彼女の言葉に呼応するかのように、広がっていく。それは壁際まで及び、天井からポタポタと新たな泥が滴り落ちてくるようになった。部屋全体が、彼女の絶望に染まり始めていく。
「でも、私は……私は、元宮チアキじゃない。この体に宿っていただけの……偽物」
彼女の体が、どんどん泥に飲み込まれていく。
「……もう、疲れた」
その言葉は、諦観に満ちていた。
「だから……私も、自由にしてほしい……」
チアキは焦った。これでは、あの「救い」も「罰」も超えた自己放棄を止められない。
もはや、『自分』の言葉は届かない。
だったら──
「週刊万魔殿の読者は、あなたの書いた記事を楽しみに待っています!」
先生たちが協力して集めてきてくれた応援コメントが印刷された紙が、部屋の中に天から降り注いできた。
「協力してくれているメディア編集部さんも、遠く離れたミレニアムの生徒も……こんなにたくさんの人が『あなた』を待っているんです!」
「皆さんが待っているのは、『元宮チアキ』ではなく、『あなた』なんですよ!」
確かに、『
「だから、『私』だけでなく『あなた』"も"このゲヘナには……必要なんです!」
「よく言ったぞチアキ!」
「へっ?」
どこかから、そんな声が聞こえた。
その直後、もう一人のチアキが作り出した部屋は──
「発射ァ!!」
木っ端微塵に吹き飛んだ。
「ええええええ!?」
いきなりの急展開に、混乱してしまうチアキ。
だが、部屋が吹き飛ぶと同時に、
「キヒヒッ……流石は『本来のキヴォトス』で万魔殿の書記を務めていただけのことはある。よく分かっているじゃあないか」
「……どうして」
もう一人のチアキは、本当に信じられないといった表情を浮かべている。"彼女たち"がここに存在することがあり得ないとでも言いたいのだろうか。
だが、次元を超えた異世界から魂が迷い込んでくるよりは、あり得ること。
それに、そもそもここはそういう場所で──
「どうして、だと?」
「ふん、このマコト様の仲間として『書記』をしていたというのに、忘れてしまったようだな!」
「ならば再び宣言してやろう!」
「ドアを吹き飛ばしてでも、もう一度会えるまで通い続けてやるぞ、となぁ!」
──この人は、そういう先輩なのだ。
「さて──宣言通り会いにきたぞ、チアキ……いや、チアキ達よ」
万魔殿議長、羽沼マコトがそこにいた。
「イブキもいるよー!」
「いや……本当に何なんですか、これ。寝たと思ったら変な空間に飛ばされて、何故か先輩たちも一緒に虎丸に乗ってるし、チアキは二人いるし……」
「夢に対して深く考えるのは、ナンセンスじゃないかしら?」
そして、万魔殿の『仲間たち』と虎丸も。
もう一人のチアキが作り出した壁も、重苦しい空気も、周囲を満たしていた泥の濁流も、何もかもを吹き飛ばして、羽沼マコトの率いる万魔殿が現れたのだ。
彼女たちによる攻撃で、もう一人のチアキが作っていた部屋は完全に崩壊してしまった。
良くも悪くも、万魔殿らしいやり方である。
「さて、事情は大体把握しているぞ」
マコトは、虎丸から勢いよく飛び降りた。着地時に少しふらついていたが、マコトは何事も無かったかのように立ち上がる。
そして、もう一人のチアキの前に立った。
「キヴォトスに居るべきなのは、自分ではなく、元宮チアキであると、そう考えているんだろう?」
「……なら!」
「ああ。確かにチアキの言う通り、元宮チアキは『本来のキヴォトス』においては必要不可欠な生徒だったのだろう」
マコトは、もう一人のチアキの言葉を受け止めながら、頷く。
「だが、『このキヴォトス』においては……いや、『今のゲヘナ』において、そうではない!」
そして、目を見開いて強く叫んだ。
「そうね。ここには……居なかった生徒が居るんだもの」
そう、本来のキヴォトスでは確かに『元宮チアキ』が必要不可欠だった。
だが、サツキの言う通り、今は違う。
ここは既に『本来の』キヴォトスではない。
本来は存在しなかったチアキが存在し、そして本来ではあり得なかった繋がりが生まれている。
良いか悪いかはさておくとして、それらは全てチアキの行動によるもの。
こうなってしまったキヴォトスには、『チアキたち』が必要になってくることだろう。
「少なくとも、『この』マコト様の万魔殿には『お前たち』が欲しい!もちろん、どちらも歓迎しよう!2人になって損はあるまい!」
マコトは、チアキの方に向かって軽く微笑む。
「えへへ……なんだか照れますね」
その微笑みに、チアキは安心してしまった。
「えー!チアキ先輩が二人になるの!」
万魔殿に新しいお友達が増えると聞き、ぴょんぴょん跳ねながら喜ぶイブキ。
「まぁ、増えるのがチアキなら、そうかもしれません。どこかの誰かと違って苦労が増えることは無さそうですし、むしろ私の仕事が減るかもしれないので」
イロハの言っていることは完全に個人的な思想でしかないのだが、その口角が上がっていることを隠しきれていない。
「そういうことだ!」
「いや……私は……」
もう一人のチアキは、未だに迷っていた。
今更、元宮チアキであることを捨てて、新しい自分として生きていくなど、してしまっていいのか。それも、自分のせいで原作からかけ離れたストーリーになりつつあるキヴォトスを、生きていくことに対して。
「正直に言ってみたらどうだ」
マコトは、ひざを折り、もう一人のチアキの肩に手を置いた。
「本来のキヴォトスとやらを知っているのだろう。その『本来のキヴォトス』を初めて知った時──チアキは、いや、『お前』はどう思ったんだ」
「どうって……言われても……」
きっと、マコトたちは何か勘違いをしている。もう一人のチアキは、そう思った。
『私』のことを、『本来のキヴォトス』に存在していた何者か、だと考えているのだろう。だが、それは違う。そもそも、キヴォトスには存在すらしていない人間、世界の外側から眺めているだけの存在でしかないのだ。
それも、途中で投げ出した、愚かな存在。
「そうか、なら聞き方を変える」
マコトは、溜息を吐いた。
「このマコト様のゲヘナは、嫌いだったか?」
「……分かりません」
もう一人のチアキには、もう、そう答えるしかできない。何もかも、分からなくなってきてしまったのだ。自分が信じていたことも、自分が積み重ねてきたものも、ここからどうしていけばいいのかも。
「もう、私にはそんなことわからなくて……」
「生徒会の仕事も、週刊万魔殿も、ゲヘナ学園のことが好きじゃないと続けられないと思います」
「そんなこと……」
「確かに、最初の理由は私の再現だったかもしれません」
チアキは、先ほど出現させた応援メッセージたちを集めて、もう一人のチアキに差し出した。
「確かに、私のことをよく分かっていなくて苦労したのかもしれません。でも、それはきっと、
その結果が、このメッセージたちで、ここまで駆けつけてきてくれたマコト先輩たちなのだ。
「だから、これから一緒に知っていきましょうよ!知らないことを、たーっくさん!」
チアキは、再びもう一人のチアキに対して手を差し伸べた。
「キヒヒ……そういうことだ」
「1年間私の身体を使っても分からなかったことが、山ほどあるみたいですし、ね?」
もう一人のチアキは、その手を取る。そして、立ち上がった。
「……これ、私たちが来る必要ありました?」
マコトが話していた裏で、チアキと共に飛び散った応援メッセージを集めていたイロハが零す。
「あったわよ。誰かひとりでも欠けていたら、こうはならなかったもの」
サツキが頷きながら言った。
「私たちは、チアキちゃん含めて『万魔殿』なんだから」
「それで、どうやって帰るんですか?」
イロハが、虎丸を動かす準備をしながら言った。
「知らん」
それに対し、マコトは即答する。
「そもそもどうやってここに来たかもわからないだろう」
「それはそうですけど……」
マコトの言う通り、万魔殿は気が付いたらここに居たのだ。
「あ、多分この世界って私たちのどっちかが作った精神世界みたいな感じなので、どっちかが目覚めれば帰れると思いますよ」
チアキはそういったものの、根拠はない。
「ま、何とかなるだろう。何しろマコト様がここに居るのだからな」
「そうね。マコトちゃんがいるもんね」
けれど、何とかなる。そんな気がした。
「チアキせんぱーい!乗らないのー!?」
イブキが、砕け散った部屋の残骸を見つめているもう一人のチアキに呼びかける。
「いいのかなぁ、本当に、私が向こう側に行っても……」
分かっている。行っていいのだと。
元宮チアキが、万魔殿が、先生が、ゲヘナ学園の皆が、『私』のことを待っている。
けれど、まだ怖いのだ。
何も分からない世界に足を踏み出すのが──
「原作未履修で二次創作をしたくない気持ちは、よく分かる」
████は、後ろから声を掛けられ、振り返った。
「なら、今から履修すればいい」
「ブルアカを始めた時も、そんな感じだったでしょ?」
「行ってこい。お前には、和泉元エイミの行く末を見届ける責務がある」
「……ありがとう」
「Sayuringさん、非甘さん……」
「なぁ、あれ誰だ?」
マコトは、突然もう一人のチアキのそばに現れた謎の成人男性二人を見て、率直な感想を述べた。
「え、知りませんけど……」
チアキも、知らない。
そもそも、キヴォトスには『先生』ではない成人男性というものは存在しない筈なのだが。
「チアキが分からないなら、ほんとに誰なんですか……」
「……分からないけれど、もう一人のチアキちゃんにとって、大切な人なのは間違いないと思うわ」
だって、チアキちゃんが心から笑ってる姿なんて初めて見たもの、とサツキは付け加えた。
「うん!イブキもサツキせんぱいの言う通りだと思う!」
多分、あの3人は、自分たちの知らないことを知っている人たちなのだろう。でも、それでいい。
もう一人のチアキにとって本当に必要だったのは、境遇を分かち合える仲間。
だから、これからは──
「チアキ、乗れ!」
もう一人のチアキ、いや『████』は、マコトの手を取り、万魔殿と元宮チアキの待つ虎丸へ飛び乗った。
朝。
それは、時間が動いている限り、何があっても絶対にやってくるもの。夜が来れば朝が来るのは当たり前のことであり、朝が来ることに特別な理由なんてない。
沈んだ太陽が、地平線から顔を出すから。ただそれだけの理由である。
故に、新しい一日が始まることにも、何の理由も無いのだ。
「…………」
元宮チアキは、目を覚ました。
「……夢、だったのでしょうか」
朝の日差しを浴びながら体を起こし、眠気を訴えている目をぱちぱちさせつつベッド脇で充電していた携帯電話に手を伸ばそうとした。
「……………」
左手が、動かない。
「……えっ?」
腕を枕にして眠ってしまったのだろうかとも思ったが、そんなことはない。
「えっえっえっ」
一体どうしてしまったのだ。チアキが混乱しつつも、しかるべきところに連絡しようと右手で携帯電話を掴んだ。
しかし、その瞬間今まで動いていなかった左手が突如動き出すと、慣れた手つきでロックを解除し、メモ帳アプリを起動する。
「へっ?」
チアキは、何が起こっているのか分からず、見ていることしかできない。
『おはようございます』
メモ帳アプリに打ち込まれた文字は、挨拶をしていた。
「どうなってるんでしょうね、これ」
チアキは、右手で昨日のうちに買っておいたパンを頬張りながら、左手と会話していた。
『さあ 分からない こうなってるからこうなってるとしか』
いくつかのやり取りの結果、左手を動かしているのは「もう一人のチアキ」であるということが分かった。左手に宿っているというワケではなく、チアキの身体を勝手に使用することができるのだとか。動かそうと思えば体全体も動かせるらしいのだが、本人的にはあまりするつもりが無いらしい。
なんとも、まぁ。
とはいえ、落としどころとしてはこれでちょうどいいのかもしれない。本人も不満は持っていないようだ。消えずに一緒にいてくれることを選んでくれたのだから、チアキとしても特に不満はない。
まぁ、脳内で会話ができたりしたらなぁ、とチアキは思わなくもないが、昨日は精神世界で会話できたのだ。今夜も、きっと会える。
夜眠ってから会える友達というのも、中々にロマンチックかもしれない。
「理由なんてないのかもしれませんね」
『そうかも 朝が来るのに理由が無いように 私がここに居る理由も こうして共存している理由も』
チアキと、もう一人のチアキが出会ったことに理由が無いのだから。
『なんでもないことなのかもしれない』
「理由が無いのなら、好きに決めましょうよ」
自由にできるのなら、自由にした方が楽しいに決まっている。
「これからの人生は、きっと2倍楽しいですから!」
同じ体の中に2人もいるのだ。友達がいつも一緒いてくれるなんて、楽しくないわけがない。
『のんびり食べすぎじゃない?』
チアキがこれからの生活の想いを馳せていると、左手がそんな言葉を打ち込んできた。
「え?」
チアキは、ハッとして時計を見る。時刻は、遅刻ギリギリだった。
「や、やばい!」
色々ありすぎて、時間を気にするのを忘れてしまっていたのだ。チアキは、慌てて荷物を纏め、身だしなみを整えていく。
ふと、その最中に視線を感じた。
チアキが振り返ると、部屋の壁に飾られていたイブキの描いた万魔殿メンバーのイラストが、こちらを見ている。アレは確か、もう一人のチアキがこの部屋に唯一装飾品として設置したものだったはずだ。
「…………」
このイラストに描かれている万魔殿メンバーは、今まで1人で苦しんでいたチアキのことを、ずっと側で見ていたのかもしれない。
そんな気がした。
もしかしたら、あの部屋を作って、チアキを外のストレスから『守ろう』としていたのは──
「って!もうこんな時間!」
まぁ、なんだっていい。
大事なのは、これからだ。
「いってきまーす!」
一人の元気な声が、朝のゲヘナに響く。
だが、チアキにはその声が二人分に聞こえていた。
──『
ハッピーバースデー
次が最終回です お疲れさまでした
書き直してました。ちょっと遅れてごめんね