元宮チアキではなく、“元”チアキ 作:元宮チアキ以外の誰か
「この件は慎重に進めないといけない。……だから認識に相違が無いように、報告と並行してここまでのことを改めて確認していく……いいかしら?」
ゲヘナの風紀委員長である空崎ヒナは、机に持ってきた資料を丁寧に並べながら、羽沼マコトと京極サツキと向き合っていた。この2名からの『頼み事』を終え、報告のために万魔殿の執務室を訪れているのだ。
この頼み事も会合も、非公開で非公式なものであり、この3人が今ここで会っていることを知ることができるのは、本人以外存在しない。
「……ああ」
マコトは、小さくつぶやく。その隣のサツキも、それに同調するように静かに頷いた。
「まず、事の発端は『元宮チアキが違法な薬品を所持している』という氷室セナからの報告、でいいのよね?」
チアキが登校中、過去の万魔殿に恨みを持つ生徒からの襲撃を受け、その逃走中にカバンが破損。薬を落としてしまったのだ。
「そう。チアキは銃弾の箱の中に薬品を入れて持ち歩いていた……それだけなら良くあることだが、落とした時に見つけたのが氷室セナだったから発覚してしまった、というわけだな」
薬を落としてしまっただけならば、ただのよくある落とし物事件で済む話なのだが、それでは済まなかったのが今回の件の発端である。
「情報部の方でも一応確認してみたけれど、セナの言うとおり規制されている精神安定剤で間違いなかったわ。……薬に詳しくなければ分からなかったでしょうから、発見したのがセナだったのは幸運だった……いやもしかしたら不運だった……のかも……」
サツキは不安げに呟いた。
薬が発見されなければ、それを見つけたのがセナでなければ、チアキの闇を暴いてしまうことはなかったのではないか。チアキの平穏を崩してしまったのは自分なのではないか。
まさか身近な人がこんなことになっているとは夢にも思っていなかったサツキは、彼女自身の性格もあり、ここ数日でかなり参ってしまっていた。
「ふん、そんなわけあるか。遅かれ早かれなんらかの形で明らかになっていただろう。見つけて対処するのが我々であったことはどう考えてもラッキーだったに違いない」
それに対し、マコトはキッパリと否定する。
「どこの馬の骨だか分からない輩にチアキを詮索されるよりも、チアキに近い我々が解決する方が良いに決まっている」
まったく、こういう時のマコトは頼りになるのに――とヒナは思ったが、今はそれを口にしている場合ではない。
「……続けるわ。チアキが所持していたのは依存性の高い精神安定剤。これを作っているのは元ミレニアム生の『的場サトカ』。彼女の『方針』がミレニアムの会長と合わず、行方を晦ませる……まあ、大方『ブラックマーケット』に潜伏しているんじゃないだろうかとは言われていたようだけど、本当だったようね」
資料の中から一枚の写真を取り出してマコトに渡した。そこには、サトカがチアキに薬を渡す瞬間が収められている。マコトとサツキからの『頼み事』とは、チアキの様子をしばらく見張ることだった。
最初に聞いた時は「またくだらないことを」とも思ったが、こんなに真剣なマコトは久しぶりだったので、ヒナもこれはただ事ではないと判断し、受けることにしたのだ。
「……サツキ、照会してきてくれ」
「分かったわ」
マコトはその写真を一見すると、そこに映っているのが『元宮チアキ』だったことに少し苦い顔を一瞬見せたが、すぐに真剣な顔つきに戻し、写真をサツキに渡した。写真を受け取ったサツキはそのまま立ち上がり、情報部の方へと向かう。
「とりあえず、このサトカについては『本筋』から外れるから一旦横に置いておくわ。それで、あなたたちの言っていた通りチアキが薬品の取引をしている証拠を手に入れてきたわけだけど……チアキが薬に頼るようになった原因に関してはそっちが調べていたのよね?それはどうなの?」
問いかけると、マコトは少し口をモゴモゴと動かしつつも声を出す事はなかった。30秒ほど、執務室を静寂が支配する。
「……それは」
ようやく言葉を発したマコトは、苦い顔をしていた。きっとそれだけ話しにくいことなのだろう。しかし、話してくれないことには調査が進まない。
ここでヒナは、先ほどまでのマコトの自信に満ちたような雰囲気が『虚栄』だったことに気づいてしまった。
考えてみれば当たり前のことである。ゲヘナのリーダーとして共に支え合ってきた仲間が、そんなにも追い詰められていたというのにマコトは、何も気づけなかった。それに、きっと心のどこかでは何かの間違いであってほしかったのだろう。
しかし、こうして確かな証拠が出てきてしまった。サツキをさらに不安にさせないように振る舞っていたマコトの自信は崩れてしまったのだろう。
「……マコト」
なんと声をかけるべきだろうかと、逆に冷静になりつつあるヒナはしばらく考え込んでいた。
10分ほど経過したところで再び執務室のドアが開き、サツキが写真を片手に戻ってくる。その瞬間、重苦しい沈黙が少しだけ和らいだような、そんな気がした。
「この写真に写っていたのは、間違いなくサトカ本人で、チアキに渡しているのは『例の薬』で間違いなさそうなのだけれど……」
「そう……分かった」
「えっと……お話はどこまで進んだのかしら……?」
静かな部屋を少し見まわしたサツキが、不安そうにヒナへ訊ねる。
「全然。そっちが調べる手筈だったチアキが薬に頼るようになってしまった理由を尋ねたっきりよ」
「……私を待ってたって感じじゃあ、無いわよね」
ある程度、状況を察したのだろう。サツキは、マコトの肩に優しく手を置く。
「マコトちゃん、私が……話すわ」
「サツキ……いや……」
「いいのよ。チアキに喋らせてしまったのは、私だもの……」
マコトが「すまない」とポツリと呟くと、サツキは軽く深呼吸をし、糸のように細い声で静かに話を始めた。
「……セナさんからチアキが使っている疑惑のある薬を渡された後、私たちはチアキから薬を所持していた理由を聞き出すことにしたの。なるべくことを荒立てないように……ね。そこで出た案が、これよ」
サツキは、懐に手を入れると糸に吊された円形の金属、俗に言う『催眠セット』を取り出して机に置いた。
「……これで聞き出したの?」
ヒナの疑問は、尤もだった。サツキの催眠術は、『単純な』マコトぐらいにしか効かないというのが、半ば共通認識なのだから。
「そうよ。薬を落としてしまって焦っているチアキに『催眠術で落とした場所を思い出させる』という名目で、催眠をかけたの」
だが、流石に今は冗談を言っている場合では無いだろう。ヒナはとりあえず「催眠がチアキには効いた」と仮定し、サツキの次の言葉を待つ。ただ単にチアキが催眠に掛かりやすい体質だったのか、それともかかってしまうような状態だったのか……
いずれにせよ、「チアキにはサツキの催眠が効く」ということは覚えておいて損はないだろうと、ヒナは脳内にメモする。
「……それで、落とした場所と中身が『薬』を聞き出してから、どうしてそんなに焦っているのか聞いたわ」
「…………その判断が、間違いだったかどうかは、まだ分からないがな」
「マコトちゃん……」
サツキの優しい声を聞きながら、マコトはあの日のことを思い出していた。
『そのお薬、大事なもの?』
『あれが……ないと……『私』は……チアキになれない……!』
『えっと……?』
この時のチアキは、とても苦しそうだった。ここで、辞めさせるべきだったのだろうか。
『あなたは元宮チアキでしょう……?チアキになれないって……』
『違う!』
『な、何が違うのかしら……?』
『チアキは……もう、いない……』
『いないって、どういうこと……?』
『死んだ……』
『えっ?』
『私のせいで……チアキは……私が……殺……』
マコトは、軽くため息をついた。そんな様子を、サツキは心配そうに見つめている。
「マコトちゃん大丈夫……?」
「キキキッ!この私を誰だと思っているんだ?万魔殿の偉大な議長、羽沼マコトだぞ?」
「マコト……」
「ふん、自分のメンタルもコントロールできずに学園を治めるなんてできん!」
ようやくマコトは調子を取り戻したようだ。こういうマコトを見ているとある種の安心感のようなものが、胸の中に広がっていくのを、ヒナは感じ取っていた。
「さて、ここからは私が話そう。まず、私とサツキでチアキが催眠中に話した『チアキはもういない』『私が殺した』の真意について探った」
エンジンがかかり始めたマコトの姿は、風紀委員長であるヒナからしても頼もしいものである。ヒナにとって、これほどまでに頼もしいマコトを見るのは久しぶりだった。
「チアキはかつて事故か何かで『姉妹』もしくはそれに相当する『親友』を亡くし、助けられなかったことを悔いているのではないかと予想し、情報部でチアキの交友関係を中心に過去を洗った。……まあ、結果は芳しくないものだったがな」
マコトから『チアキが過去に関わったことのある人物』の一覧を手渡されたヒナは、チアキと関わった人物の多さだけでなく、この量を数日で調べ上げた情報部に少しばかり驚いていた。情報部のことは、よく知っているが、やはり頼もしくもあり、恐ろしいものでもある。
だが、それと同時に情報部でも分からなかったチアキの事情がどうも妙に気味が悪い。何かを根本的に間違っているような、大事なことを見落としてしまっているかのような、そんな気分だった。
「情報共有は、これぐらいでいいかしら?」
「ああ。では、過去ではなく、未来の話をするぞ」
過去の話は、終わった。これまでどうしてきたのかではなく、これからどうするのかを考えなくてはならない。
「私とサツキの意見としては、チアキが苦しんでいる理由を知り、薬に頼らずとも生活できるようになってほしい」
「まだ詳しい事情を知らないから、治療を無理にやめて欲しいとは言わないけれど……お薬は変えて欲しいわね」
「そこは私も同意見ね」
元ミレニアム生とはいえブラックマーケット製の薬に頼るのはやめて欲しいのは、ヒナも同じだった。
「この辺りはまあ……セナにも協力してもらう方針だ。私が責任を持って説明しておこう」
「分かった。あまりチアキを刺激しないようにある程度の情報統制は必要そうね。エデン条約も迫っているでしょう?」
「…………それは、こっちでなんとかする」
万魔殿のメンバーが違法薬物じみたものに頼っていることが他校にバレれば、クロノスあたりに何を言われるか分からない。そのしわ寄せが来るのは、自分たち風紀委員であることを考えても、情報は漏れないようにした方がいいだろう。
「他校への影響……そうね、ミレニアムの監視も必要かもしれないわ」
「ミレニアム……?ああ、サトカか」
「精神的に不安定なチアキが薬の供給源をいきなり断たれたら、何をするか分からない」
サトカはそのうち捕まえなければならないだろうが、今ではないだろう。幸いにもサトカは目立った悪事をする生徒ではない(当社比)ため、少々泳がせていても問題はない。
「じゃあ情報部には『セミナー』と『C&C』の動向に注意するように伝えておくわ」
「そうね、よろしく」
ヒナが返したその言葉で、ひとまず今回の報告と確認作業は一段落を迎えた。
執務室に漂っていた緊張感が、少しだけ緩む。情報という重さから解放された空気が、ほんの少しだけ流れを変える。
誰かが咳払いでもすれば、その音がやけに大きく響いてしまいそうな静けさだった。けれど、その静けさは先ほどの重苦しさとは違い、どこかほっとしたものを含んでいる。
マコトが椅子の背にもたれ、ふうっと小さく息を吐いた。
サツキも、それに釣られるように肩を落とし、ふとヒナの方に目を向ける。
ヒナもまた、ほんの少しだけ微笑を浮かべる。そして、やわらかな声で口を開いた。
「……伝達事項は、こんなところか。他に何かあるか?」
マコトが少し真面目な顔つきのまま首を振ろうとしたとき、ヒナはわずかに表情を変えて続ける。
「ひとつ。今後のチアキとの対応にも関わる重要なことよ」
「む、なんだ? 不測の事態になっては困るから、遠慮なく言ってくれ」
ヒナはそこで、少しだけ肩をすくめた。軽い口調に変わった彼女の声が、今の空気を少しだけ砕いた。
「じゃあ遠慮なく言わせてもらうけれど……数日間、チアキを中心にあなたたちを見てて分かった」
二人の視線が自然とヒナに集まる。彼女はそこで少しだけ溜めをつくってから、言い放った。
「……2人とも演技が下手」
「なにっ」
「え……嘘、結構頑張ってたつもりなんだけど……」
目の前で驚いているマコトとサツキは、チアキへの心配が全く隠しきれていなかったのだ。
「……おそらく、チアキに『バレてることがバレてる』もしくはその疑いを持たれているんじゃないかと私は思うのだけれど」
室内の空気が少しなごんでいるのは良いことだとはヒナも思うが、『バレてることがバレてる』というのはチアキへの負担を増やすだけのことであり、全く笑い事ではない。
「くっ、マコト様の完璧な演技に不備があったなれば……対応も少し変わってくるか……?」
そうだ。完璧に上手くいっていたとしても、致命的なミスを見落としてしまっているなんてことは、よくある。
ヒナが捕まえている規則違反者たちだって、計画がうまくいったと思い込んでいる時が一番隙が生まれやすい。
――それは今の自分たちにだって当てはまるのかもしれない。
完璧に騙せていたと思っているマコトとサツキの演技はヒナから見るとお粗末なものだったし、何よりチアキだって隠し通せていたと思っているのだ。
どうにかなる。
そう思っている今の私たちも、ゴールが見えてきた今だからこそ、足元が曖昧になっているのではないかという一抹の不安が、ヒナの胸中には渦巻いていた。
けれど、それでも歩みを止めるわけにはいかない。おそらく、残された時間は少ないのだから。
ヒナはこの先のことを考え、小さく溜息をついた。