元宮チアキではなく、“元”チアキ   作:元宮チアキ以外の誰か

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幻想ではなく、現実

私がいくら思い悩んでいたところで、朝はいつも通りにやってきて、時間は何も変わることなく流れ続けるし、社会は回る。

 

だからこそ、『私』はいつも通りに『チアキ』として過ごし、周囲に余計な心配をかけさせないように、そして『本来の流れ』を崩してしまわないようにする。

 

私という明らかな異物が入り込んでしまったこの世界を、少しでも元の形に近付けるために。

 

 

 

 

 

「うーん……」

 

ゲヘナ学園、食堂。そこで元宮チアキこと、私は頭を抱えていた。

 

チアキの目の前に立ちふさがっているのは真っ白な原稿。週刊万魔殿の次号の原稿である。締め切りが3日後に迫っているので、早急に書き上げなければいけない。

 

薬で上機嫌になって上手く『元宮チアキ』に擬態できているものの、文章というものはなかなか書きあがらない。『私』は元々文章を書くのがあまり得意な人間ではなかった。元宮チアキになって約一年半、文章を書くことには少しずつ慣れてはきたものの、本来の『私』が持っていた気質というものはなかなか抜けてくれない。

 

空白を埋めようとするたびに、気づけば、自分を下げて、他人を上げるような文になってしまうのだ。

 

いくら薬で外見や態度を取り繕っても、中身がチアキじゃなければ、文章にチアキらしさは出てこない。車の模型にガソリンを入れても走らないように。

 

それでも、何も書けないよりはマシだと思って、『私』は今日も必死に書き続けていた。

 

この『週刊万魔殿』という雑誌は、元宮チアキという存在を支える柱だ。これを落とすわけにはいかない。

これを失ったら、私はもう、チアキになりきれない気がするのだから。

 

 

 

 

「やっぱりダメだーっ!!」

 

そう叫びたくなるのも無理はない。

原稿はまだ3分の1も埋まっていない。頭の中も、白紙のままだ。

 

いや、少し前まではもう少しさらさらと文章が書けたはずだ。

 

最近は文章がなかなか書けなくなってきてしまった理由を『私』は当然理解している。

 

それは至極単純なことで『薬で自分を取り繕っているのが周囲にバレ始めている』からに違いない。

 

薬を落として探したあの日以降、マコトやサツキの態度がどこか変わったのを『私』は感じ取っていた。

 

チアキが一人になろうとすれば、それを不自然な形で阻止しようとしてくるし、やけに『私』に構うようになった。

 

それ故の、焦りだろうか。

 

__まあ、それは気にしていても仕方がない。

 

結局のところ、『私』が抱えている悩みを真に理解できる人など存在するわけが無いのだから。

 

気が付いたらゲームのキャラになっていて、自分の記憶ではまだ未実装で、そのキャラを乗っ取って殺してしまった苦しみなど、誰にも理解できるわけが無い。

 

そう、心の中で『私』はぼやいた。しかし、いくらここでぼやいていても、目の前の原稿は依然として白いままである。

 

「ネタでも、探しに行きますか……」

 

締め切り3日前になってから題材を決めようとするなんて、まるで怠惰な大学生のレポートのようだなと『私』は軽く自虐しながら席を立った。

 

正直、間に合う気がしないが間に合わせるしかない。この『週刊万魔殿』がなければ、『私』はどうやって元宮チアキになればいいのか分からないのだから。

 

 

 

 

 

どこへ行こうかと考えながら、私は出口へ向かう。

すると、誰かがこちらへ向かってくるのが目に入った。

 

その姿を認識した瞬間、私は反射的に近くのテーブルの下に身を滑り込ませた。

 

日本人だった頃の習性なのか、こういう動きだけは無駄に素早い。

 

でも、そんなことは今はどうでもいい。この世界は日本じゃない。まったく別の、異世界だ。

 

テーブルの下で息を殺し、彼女たちが通り過ぎるのを待つ。チアキが隠れているなんて知らない彼女たちは、上機嫌な様子で食堂に入ってきた。

 

「それで、明日の夜ご飯は西通りの例のレストランを予約しておきました」

「あっ!こないだ言ってたところだよね!」

 

 

入ってきたのは、美食研究会――ゲヘナ学園でも名の知れた、あの集団だ。

 

美味しいものを食べるための部活、という建前とは裏腹に、彼女たちの行動はしばしば倫理の枠を踏み越える。

その名の通り、食に対して容赦がない。

 

 

 

彼女たちは『私』の記憶の中でも鮮烈に刻まれていた。

 

その中の一人、鰐渕アカリは『私』がゲームとしてこの世界を観測していた時にだいぶお世話になったからだ。初期から手に入る爆発アタッカーとして『和泉元エイミ』と一緒に頑張ってもらったものである。

 

随分と懐かしい思い出だ。でも――

 

 

 

ゲーム(思い出)と、現実は違う。

 

 

 

「ですから明日の予定は……アカリさん? どうかしました?」

「……いえ、なんでもありませんよ」

 

美食研究会。今の私にとって、取材の宝庫だ。話を聞ければ原稿のネタもきっと見つかる。

 

――そう、頭ではわかっているのに、体が動かない。

 

 

 

「なんだか、万魔殿(タヌキ)が近くにいるような気がしたんですが……」

 

 

 

アカリがそう呟くと、私の背筋がひやりと冷えた。

 

彼女たちが、怖いのだ。

 

テレビで見るライオンはどこか他人事でも、実際にサバンナで出くわせば命の危険を感じる。

それと同じ。ゲーム越しなら「キャラクター」だった彼女たちも、今は現実の存在であり、目の前にいる。

 

鰐渕アカリの獲物を見据えるような『目』がこちらに向いているというだけで、足がすくんで逃げられなくなってしまう。

 

ゲームの中で相対する時は、所詮キャラクターでしかないのだが、こうして現実として向き合うとその『恐ろしさ』を嫌でも感じ取ることとなってしまうのだ。

 

「……ま、化けてばかりのタヌキさんはコソコソ隠すことしかできませんか」

「えっと……?」

「何でもないですよ☆」

 

もう1年以上、この世界で彼女たちと関わってきた。ゲーム時代も含めれば、付き合いは3年近い。

 

それでも()()()()()()()()()()()のすれ違いが、今も胸の奥で燻って、一種のトラウマのように離れないのだ。

 

「あー……タヌキかぁ、一回食べてみたいなぁ」

 

特に何も考えていなかったのであろう美食研のイズミが、頭に思い浮かんだことをそのまま呟いた。

 

「ふむ、確かに『古典』で『たぬき汁』の描写を何度か見かけたことがありますが……実物は口にしたことも、目にしたこともありませんね」

「では、今日のテーマは『たぬき汁』ですか?」

 

『私』は、テーブルの陰で、身を縮めたまま、彼女たちの会話に耳を傾けていた。

 

楽しそうに話し合っている美食研が羨ましい。きっと『チアキ』なら彼女たちに元気よく声をかけて話の輪に入り、特集を組んでいたに違いない。

 

 

かつて『先生』だった私が、生徒である彼女たちをこんなにも恐れてしまっている。

逃げ出したくなるほどに。

 

あまりにも情けなさすぎる。

 

「タヌキ肉の購入サイト……調べれば案外出てきますねぇ」

 

そんな話題で盛り上がっている彼女たちを横目に、話に夢中になってきたタイミングで私はそっとテーブルの下から這い出した。

 

誰にも気づかれないように、静かに、そっと。

 

 

 

__今の私には逃げることしかできない。

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