恋とお金とオシャレカフェ   作:夜のイロ

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原作にあったらいいな、というだけで書いた妄想話です笑


第1話

 

恋とお金とオシャレカフェ

 

 

 

 事実が小説よりも奇なるのであれば、銀行強盗が誤ってオシャレカフェに入ってきたとしても、なにもおかしくないはずだった。

 入店のベルを豪快に鳴らして入ってきたのはお決まりの目出し帽をかぶった三人組の男たちで、レジスターにいる気弱そうなお姉さんに向かって、リーダー格の男が乱暴に拳銃を突き立てながらこう言うのだ。

 

「おらあっ! 金を出せっ。このバッグに詰めろっ!」

 

 大パニック間違いなしだ。

 店中に悲鳴が響きわたり、命乞いの声が上がり、泣き落としの説得があり、そこにズドンと威嚇発砲(いかくはっぽう)の火花が一発打ち上がって、誰もが絶望を心の中に落とす。

 そこにヒーロー登場である。小綺麗な口ひげを生やしたイカした店長──渋谷区松濤(しょうとう)在住・三十八歳独身──がさっそうと現れ、勇ましい口調で、

 

「わかった。金ならやる。いくらでも持っていくがいいさ。その代わり、いますぐ女性と子供は解放しろ。それが条件だ」

「ちっ、しょうがねえな。──おいっ、女とガキはさっさと外に出ろっ。グズグズすんな!」

 

 それで強盗も実に気前のいいことを言ってくれて、自分を含め、店内の女性と子供たちは店から追い出されることになる。拳銃を向けられながら退店のベルを軽やかに鳴らして外に出て、そしてついに自由の身になれるのだった。

 

 

 ──そんなことが起こればいいのに

 

 

 縁起でもないことを半ば真剣に妄想しながら、後藤ひとりは目下(もっか)、カウンターテーブルの上に置かれた空の食器たちを物憂げに見つめている。その食器がカチャカチャ音を立てて震えた。大型トラックがズガズガと地面を踏み鳴らして、店前の道路を横切っていったからだった。

 代官山の旧山手通り沿いにある『クワイエット・リーフ』は小洒落たカフェだ。オープンしたばかりだから壁も柱も真新しくて清潔である。元々、ガーデニングショップだったのを居抜きで使っているようで、天井は木の(はり)がむき出しになっているほか、そこかしこに壁付棚が備わっていて、ごちゃごちゃした細工のアンティーク雑貨や花瓶などがそこに置かれている。前世の名残として、観葉植物も店内のあらゆる場所に誇らしげに鎮座しており、自然とオシャレが上手いこと調和した内装はイソスタ映えスポットとして密かに人気を集めていた。

 そんなところのカウンター席に、ひとりは独りさみしく座っている。

 当然ながら、彼女もいたくているわけではなく、

 二日前にリョウが、

 

『次の曲の打ち合わせだけど、ここのカフェでしない? 最近できたんだって』

 

 そう言ってスマホを見せ、このクソオシャレカフェを指定してきたのだった。

 ひとりもまあ、なんだかんだでカフェでの打ち合わせというのにも慣れてきていたもので、「あ、はい」とさして抵抗もなくあごを引いてしまった。

 その選択が誤りだったとはべつに思わない。

 ただ、予期せぬ出来事というのは起こりうるもので、

 

『ごめん。今日いけない』

 

 リョウに約束をすっぽかされた。

 いや、厳密にいえば体調不良だった。『お腹がいたい』と二十分ほど前にロインがきたのだ。セットで熱も出たらしく、「三十八度」と表示された体温計の証拠写真も送られてきた。

 だが、それなら仕方ないよねとも素直に思えなかった。お金がないからとリョウが公園の雑草をむしゃむしゃ貪っていたのを昨日、ひとりは目撃した。原因はソレにちがいなかった。

 懲りないものだと思う。以前も同じように草を食って腹を壊していたのに。喉元過ぎれば、というよりは、もはやわかっててやってるとしか思えなかった。同情しようにもし切れない。

 濃いめのため息。

 しかしそれは、リョウのドタキャンに対するものではない。

 

 予期せぬ出来事はもう一つあった。

 

 リョウを待つあいだ、なにも注文しないで居座っていたひとりのもとへ店員がやってきたのである。

 店員は晴れがましい笑顔で、

 

『なにかご注文は?』

 

 お昼どきでちょうど腹の虫が炸裂していたのもあるし、店員に目をつけられた恐怖もあるし、断る度胸がなかったのもある。それらが手伝って、ひとりはあわててメニューを開き、やたらとデカいパフェ──は無視して、無難なカレーライスとアイスココアを頼んだのだった。

 そしてそれが運の尽きとなった。

 一三〇〇円。

 まあ、こんなものかなと食後に伝票をみて思いながら、会計のために財布の中身を確認したのが十分ほど前。

 もう一度、念のため確認してみる。丁寧に一つずつテーブルに自分の現財産を置き並べていく。

 百円玉が一つ、十円玉が三つ、五円と一円がじゃらじゃら。

 お札だと思っていたのは大きめのレシートで、あとは図書カード千円分とテレホンカード一枚、

 以上。

 ごん。

 テーブルに頭を落とし、小銭たちがじゃらんと跳ねた。改めてひとりは絶望する。

 

 ──お、お金が……どうしよう……っ

 

 どうもこうもない。ないものはないのだ。

 いつもあるはずのものが、いつまでもあるわけではないのである。野口さんも樋口さんも諭吉もいまは遥か彼方に遠のいて、無人のお札ポケットの中には先日『マイニューギア』欲に駆り立てられ、散財の果てに手に入れた大きめのレシートがペらりと一枚挟まっているだけ。かろうじて残っている虎の子も、張子の虎にもならない死にかけの虎だ。

 そんなわけで、ひとりはピンチである。

 

「……はあ」

 

 二発目のため息も濃い。店内にはBGMの代わりに小鳥たちの爽やかなさえずり声が放送されているが、ひとりの耳には自分を小馬鹿にしてくるノイズにしか聞こえなかった。

 もちろん、この状況を抜け出せる方法はある。ひとりもそれは思いついている。

 食い逃げ、

 ではなく、電話。ひとりは真っ先に、両親に電話してお金を持ってきてもらおうと考えにいたった。

 が、それはすぐに却下となった。父はまだ仕事中だし、母を渋谷に呼び出すのはなんか気が引ける。なにをしでかすかわからない。二時間近くかけて来てもらうのも申し訳ない。

 それから思いついたのはスターリーの面々。特に虹夏の顔が一番に思い浮かんだ。彼女なら距離的にもすぐに駆けつけて来てくれるはずだと考えた。なので、ひとりはさっそく電話をかけた、のだが、彼女はいつまで経っても応答してくれなかった。おそらくバイトか家事中なのだろう。ロインを送っても返事がなかったので断念。

 次に星歌──と考えたが、やめた。あの人に借りを作るのが少しこわかった。信頼していないわけじゃないのだが、最近、あの人の自分を見る目が妙にこわいのだ。

 PAさん──あまり交流がないのでお願いしにくい。

 番外で廣井お姉さん──見返りが高くつきそうだ。金があるかも怪しい。

 他にもあれこれ考えてはペケペケと頭の中でバッテンがつけられ、最終的にスマホの液晶に残されたのはたった一人。

『喜多郁代』の名前をひとりはオニヤンマのごとき眼光で見つめる。

 

 ──や、やっぱり喜多ちゃんしか……! でも……っ

 

 しかし、ひとりにもなけなしのプライドはある。彼女にはあまりみっともない姿をさらしたくなかった。かっこ悪いところを見せたくない。わざわざここまで呼び出して、「お金貸してくれませんか」などと乞食めいたことを言ったら、間違いなく好感度が下がってしまう。それはとてもイヤだった。

 とはいえ、このまま現状を放置して現れもしない強盗の闖入を願っているようでは、いずれお縄につくのは自分の方だ。閉店時間までにどうにかしなければ、それは歴史的事実として確定する。

 その未来はぜったいに迎えてはならない。

 なので、覚悟を固めて通話をかける。右耳にスマホのスピーカーを押し付け、呼び出し音を聞く。一コール、二コール、三コール、四コール……目でつながった。

 

「あ、き、喜多ちゃんですか……?」

「──そ〜よ〜?」

 

 幽霊みたいなヨレヨレ声がした。左耳から。

 

「ぴやっ!?」

 いきなり冷水をぶっかけられたような悲鳴で飛び上がり、ひとりはとっさに後ろを振り返った。

 くすくす、と肩を震わせながら笑う喜多がそこにいた。

「きっ、ききき喜多ちゃん……?」

「もう、『ぴやっ』ってなあに? 笑っちゃうじゃない」

「あ、あ、あの、なんでここに……?」

「ひとりちゃんこそ、どうして?」

「あ、え、ええと──」

 

 お互いに所在の理由をぶつけ合う。

 ひとりはしどろもどろながらも、リョウと曲の打ち合わせで来たことを正直に打ち明け、

 喜多は、

 

「──ここのお店、最近イソスタで話題なのよ。ネイチャー感マシマシで、すごく映えるんだって」

 なるほど納得の理由だった。撮れ高を求めてやってきたのだ。

「それにしてもすっごい偶然ね。同じ時間帯に同じ場所で会うなんて」

 

 ニコニコしながら喜多はトレーを持ってとなりの席に移動してきた。彼女のトレーには、ソーサー付きのティーカップとクリームのこびり付いたケーキ用の皿とフォークがのっている。ケーキはすでに平らげたあとだった。

 ひとりはうつむきつつ、

 

「は、はい、そうですね」

「私、最初びっくりしちゃったもん。『え、なんでひとりちゃんがいるの?』って。それで、声かけようと思ってたらちょうど電話かかってきてね? よーし、驚かしちゃおって思って。ふふっ」

 

 それであんなイタズラを。かわいいからいいのだが、店の中で変な声を上げてしまった恥じらいはまだ消えずに燃えていた。顔が熱い。恨めしい。まあ、かわいいからいいのだが。

 

「ところで、さっきなんで電話してきたの? なにか用事?」

「え、あ……」

 

 ひとりは自前の猫背を多少、人間らしく正した。その質問はくるだろうとは予想していた。しかし、どう伝えればいいかはまだ整っていない。

 彼女の視線が自分の顔を這っている。恥ずかしい。照れる。落ち着かない。

 けれど、ちゃんと言わねばなるまい。お金を貸してくださいと。助けてくださいと。先ほど固まった覚悟に突き動かされるままにひとりは口を開いた。そのままの勢いで喋り出す。

 

「あの──じ、実は……私、喜多ちゃんにお話があって……!」

 

 

 *

 

 

 お話──?

 真剣な目でそう告げたひとりを見て、喜多はなんだろうと首を傾けた。しかし、なぜか妙にハラハラしてしまう。

 思わず訊ねる声も上ずってしまい、

 

「な、なあに?」

「えっとその……ちょっと言いづらいことというか、なんというか……」

 

 言いづらいこと──?

 ハラハラは喜多の心臓の鼓動とともに加速してくる。なんだろう。なにを言おうとしているのか。

 わからないが、下らないことではないだろうと喜多は推測する。わざわざ電話して自分を呼び出そうとしていたくらいなのだ。きっとすごく大事な、重大な要件にちがいない。

 ひとりはさらに、

 

「で、でも、ちゃんと言わないとぜったい後悔しちゃうと思うから……っ」

「後悔……」

 

 そう語るひとりの表情に、喜多は恥じらいの色を感じ取った。もしかしたら、彼女からすると恥ずかしい話題なのかもしれないと考える。

 いったいなんなのか。

 大事な、重大な要件で、

 言い出しづらいことで、

 恥ずかしい話題なのかもしれなくて、

 だけど言わないとぜったい後悔してしまう言葉──、

 

「……………………!!」

 

 七秒経ってハッとする。

 小出しにされたヒントたちが喜多の頭の中にてビシリと一本の線で結ばれた。

 それは、

 

 

 ──うそ……も、もしかして、告白……? 

 

 

 いや、早まっちゃダメよ──喜多はかぶりを振って結ばれた線を一旦、冷静にバラした。

 クールになった頭で思案の沼にふけりこむ。

 そうよ、元々ひとりちゃんはリョウ先輩と曲の打ち合わせをするためにこのカフェに来たって言っていたじゃない。結果的に先輩は来られなくなったようだけど、じゃあその流れで告白しようなんて発想にふつう行き着くわけないでしょ。うん、冷静に考えて不自然よ。

 いやいや、もしかしたら『打ち合わせ』というのがそもそもひとりちゃんの考えた作り話だったんじゃ? 最初からリョウ先輩との約束なんてものも存在しなくて、私に告白だと悟られないようにするための作戦だったんじゃ? なくはない話よね。

 いやいやいや、そんな回りくどいことをするメリットがどこにあるのよ。だいたい、そんな計画のためにひとりちゃんがこんなオシャレカフェを選ぶこと自体、非現実的な話じゃない。学校で二人きりになれる時間なんていくらでも作れるはずなんだし。

 いやいやいやいや、もしかしたら私のためにがんばって勇気を出してオシャレな雰囲気を作ろうとして、それで──、

 だんだん頭が痛くなってきた。

 

「──な、なので……あの、あの、」

 

 脳細胞がぶちぶち断ち切れていく音を聴きながら、目の前ではひとりがいつまでも煮え切らない様子で口ごもっている。

 喜多はとりあえず詰まり切った思考は放置して、なにも考えてなさそうな能天気ヅラに切り替えた。

 そのままなにも考えてなさそうな能天気キャラになり切って、

 

「も、もう〜、気になるじゃない。ほら、遠慮しないで言って?」

「あ、うう……すみません……」

 ひとりはターコイズの瞳を忙しなく揺らして、

「で、でも、喜多ちゃんは大切な友だちだから……どうしても言いづらくて……」

「友だちだから?」

「は、はい。これを言ったら友だちじゃいられなくなるんじゃないかと、その、不安で……」

 

 友だちじゃいられなくなる──? 

 喜多はふたたび思案の泥沼にハマりこんだ。

 どういうことだろう。

 そしてまたハッとなる。

 それは……それはつまり、そういうことなのではないか。

 告白すれば、もういまの関係──友だちではいられなくなる。そう言いたいのではないか。そのことをひとりは案じているのではないか。

 悶々とする中、ひとりは目を伏せてポツリとため息まじりの独りごと、

 

「リョウ先輩だったら自信満々に言えるんだろうな……」

「…………っ!」

 

 その一撃で、喜多は目を団子のように丸くした。

 確信ができあがった。

 そうだ。きっとそうだ。

 やはりこれは告白なのだ。間違いない。

 ひとりは『喜多郁代は山田リョウに憧れ以上の感情を抱いている』と思い込んでいる節がある。喜多も薄々、そのことには勘づいている。故に、負け戦になるかもしれぬ恐怖に足をすくめ、言葉を詰まらせ、なかなかあと一歩を踏み出す勇気を出せず二の足を踏んでいるのだ。

 きっとそうなのだ。そうに違いないのだ。

 衝動的に湧き上がってきた感情が、喜多の冷静さと、反論材料の全てを飲み尽くしていく。もうそれしか考えられなくなった。思考が無理やり一本線に収斂する。

 元気いっぱいになった喜多はふんふん、と挑みかかる鼻息になり、

 

「ね、ねえ、ちゃんと言ってっ? お願い! 私もすぐにっ、その場でお返事するからっ」

「えっ。あ、ああ……それはあの、助かりますけど」

 

 押してくる喜多に対して、ひとりはやや背中を反らし気味にする。「なんでそんなに必死なんだろう」という顔をしている。けれど喜多の言葉に安心したのか、やがて重たそうにしていた口を開き、

 

「じゃ、じゃあ……あの、言いますね?」

「うんっ、うんっ!」

 期待たっぷりに喜多はあごを引く。健康な赤べこのように何度も激しくうなずいた。

「その……っ、わ、私っ、実は、」

 

 ああ──。

 喜多はひとりの言葉を待ちながら、じんわりと胸に広がる温かな感動を噛みしめていた。

 ここまで長かった。

 ようやくこのときがきた。

 ついに結ばれる日がきたのだ。

 ずっとひとりのことが好きだった。彼女と恋人になれたら、どれだけ自分は幸せになれるのだろうかといつも考えていた。どれだけ片想いの切なさに枕を濡らしてきたことかとしみじみ思う。

 そんな日々とも今日でおさらばなのだ。

 ──しかし、

 

「──あのっ、ひとりちゃん」

 思いあふれて、つい口が動く。

「おかね──あ、はい?」

 ひとりが核心部分を口にしかけていたが、喜多は思いの波に飲まれて聞いちゃいない。

 構わず言葉を継ぎ、

「言ってる途中にごめんね? でも、私からも伝えなきゃって思って」

「え?」

 

 喜多がこう言うのも、厄介なまでの彼女の優しさにある。

 告白した側、された側では、どうしても前者の方が立場的に弱いものだ。恋愛経験に乏しい喜多でも、その感覚はわかっている。けれど、喜多はひとりと恋人になってからもずっと対等な関係のままでいたかった。

 だから、自分からもそれとなく伝えたい、伝えて彼女を安心させてあげたい。そう考えたのである。

 喜多は熱の上がった顔で言った。

 

「あの──実は私も、私もねっ、お、同じなの!」

「へ? お、おなじ……?」

「うんっ、ひとりちゃんと、同じ気持ち……!」

「え…………ええっ!?」

 ひとりの顔から一気に血の気が失せた。

「お、お、同じって……えっ……それって……」

「うん……っ」

 

 こく、とあごを引く。直後、体の芯がぼうっと燃え上がり、喜多は「言っちゃった!」と心の内で黄色く叫びながら、乙女顔でうりんうりんと頭を振った。

 対するひとりはこの世の終わりを見たような顔をしているが、のぼせ切った喜多はもちろん気づいていない。

 

 

 *

 

 

 当然であるが、喜多の財布にはちゃんと金は入っている。ピン札の諭吉と野口先生たちが数人、しっかりお札ポケットの中で眠っている。

 しかしそんなことを知らないひとりは、なんてこったと青ざめた。

 

 

 ──き、喜多ちゃんも私と同じ状況だったなんて……

 

 

 奇跡的に現れたと思った救世主が、まさかの自分と同じ素寒貧だったとは。蜘蛛の糸だと思ってつかんで引いたら「スカ」と書かれた紙を引いた気分だった。

 二人してブタ箱行きなのだろうかと頭を抱える。

 いや──、まだわからない。ひとりは希望を捨てずに顔を上げた。

 もしかしたら、喜多ちゃんは自分をからかっているだけなのかもしれないとひとりは推しはかった。もしやさっきのイタズラのつづきなのかもしれない。二人してお金が足りないなんて状況、普通に考えてありえないだろう。お茶目な彼女のことだ、冗談の可能性のほうがずっと高い。

 ひとりはその望みを期待して口を開く、

 

「あっ、あの、それは本当なんですか? 冗談じゃなくて?」

 真剣みを湛えた顔と声で訊ねた。が、

「うん、」

 予想に反して、喜多も同じく真剣な顔と声で返してくる。

「本当よ。ウソなんか言わないわ」

 

 ウソだと言ってくれとひとりは思った。

 喜多の表情にはからかいの色など微塵もなかった。

 細長い息を吐き出しながら、ひとりは顔を両手でおおう。どうすればいい。振り出しに戻ってしまった。いや、振り出しより後ろに下がった気がする。

 

「……どうしよう」

「うんっ、これからどうしよっか」

 大人しく皿洗いするしかないのかと、どんよりし始めたひとりに喜多はわくわくした様子で気色満面に椅子を近づけてきた。飼い慣らされた猫のように、ひとりに肩をすり寄せながら、

「……ね、とりあえず場所移動しない?」

「へ、場所……?」

 やたらと距離の近い喜多にドキリとしつつ、ひとりは首をかしげた。席を移動するということだろうか。そんなことしてなにになるのか。

 うん、と喜多はうなずき、

「二人きりになれる場所にいきたいなって……」

「……? ふ、二人きりでどうするんですか?」

「その、色々と話し合いたいな〜って。これからのこととか……」

 

 モジモジとはにかみながら言う喜多はどこまでも恋愛脳だった。この店より、もっと人気(ひとけ)のない場所で二人の時間を過ごしたいと彼女は思っていた。そこで、改めてひとりから告白の言葉をもらい、軽く将来のことも話し合いたいなとやや気の早いことを頭の中で考えている。

 

「こ、これからのことを話し合う……?」

 

 一方で、残念ながらいまのひとりの頭の中はそんな甘ったるい想像からはかけ離れ、

 

 ──さ、作戦会議しようってことかな……?

 

 いかにして、このピンチを抜け出すかという思考に浸かり切っている。

 となりで椅子を引いて、喜多が立ち上がった。

 

「──ね? だからいこ?」

 

 小さく手招きしながら、彼女は弾んだ足どりで歩き出す。そのまま店の出口方面に向かって足を送り出していく。それはもう、堂々とした歩みで。一切のためらいもなく、レジスターの前まで──

 

「え。ちょっ──ちょっと待ってください!」

 あわててひとりも立ち上がった。駆け寄って喜多の腕をつかんだ。喜多はえっ、という目の形で振り向き、

「な、なに?」

「まずいですよっ、み、店の外に出ちゃ……!」

「どうして?」

「どうしてって……ま、まずは店員さんに話すべきなんじゃないかなって……」

 

 喜多の思惑はわからないが、さすがに金も払わないうちに無断で外に出るのはアウトだろうとひとりは思う。食い逃げだと思われかねない。出たいのなら、なにかしら一声かけるべきじゃないか。

 喜多は必死なひとりに首をちょんと傾け、

 

「話すって、なにを?」

「わっ私たちのことです」

「どういうこと?」

「あ、だ、だから、私たちの状況を話すべきなんじゃないかと……!」

「なっ、なんで言わなきゃいけないのよっ?」

 

 喜多はまるで意味がわからないという顔をした。

 実際、わからなかった。

 なぜ赤の他人に「私たち、両想いだったんです」と報告しなければならないのか。

 喜多は困惑と疑問の視線をひとりに差し向けた。

 

「え?──えと……とっ、とりあえずいったん席に戻りませんか? そっそこで話し合いましょう」

 

 喜多からの視線を受け取ったひとりは「そんなおかしなこと言ったかな?」と目をパチクリさせながら、ひとまず冷静さを作った。喜多の手を引いて元の位置に戻る。手をにぎられて大人しくなった喜多も、抵抗することなく従ってついてくる。

 で、二人してまたカウンター席に落ち着いた。だが、ひとりの心は落ち着かない。喜多のよくわからない大胆な行動にも、一向に好転しない状況にもハラハラしっぱなしだった。

 

 ──やっぱり、だれかにお金持ってきてもらうしか……

 

 結局、そうするしかない。ひとりはスマホを取り出して、数少ない知り合いリストの中からもう一度、アテになりそうな人物を探すことにした。

 そうなるとやはり虹夏が一番の選択肢に上がってくる。もう一度、電話してみようかと考えるが、果たして今度は応答してくれるか、

 

「──だれかと連絡でもしてるの?」

 画面にしばらく夢中になっていたら、ほったからしの喜多が拗ねた様子で訊ねてきた。

「え? あ、はい」

「ふうん……だれ?」

「えと、虹夏ちゃんと……」

 喜多はますますいじけた顔になる。

「……ひとりちゃんってイジワルよね」

「へ?」

「だって……私がいるのに、そうやって他の人となんて……」

「え。い、いや、だって、」

 

 だって、喜多ちゃんお金持ってないし──そう言いかけたが、いまの彼女を見るに怒ってきそうな雰囲気だったので喉の奥に引っこめた。

 

「す、すみません……」

 

 謝りながらもひとりの指はスマホをタップし、虹夏への発信ボタンを押していた。右耳に呼び出し音が響く。喜多の細い目線がジトリと横顔を這っている。

 居心地が悪くなったひとりは「ちょっとお手洗いに」とテキトーなことを言って、そろそろとトイレに向かった。背中に喜多からの横殴りの視線を感じる。なんで急に不機嫌になったのか、ハテナが頭の中で暴れ回っている。

 

 

 

 

「ふん……」

 

 トイレに立ったひとりを見送ったあと、喜多は頬杖をついて鼻を鳴らした。眉を寄せ、唇を尖らせ、フグみたいにほほを膨らませるというレトロな怒り方をしている。

 ひどいものだと喜多は思う。

 話し合いましょう、などと言いながら自分に構ってくれず、ずっとスマホばかりいじって、あろうことか他の女の子と連絡をしているときたものだ。相手が虹夏だろうが誰であろうが、喜多としては気持ちのいいものではなかった。

 せっかく両想いだとわかったのに。

 これから甘い時間を過ごせると思っていたのに。

 それとも、これが俗にいう『蛙化現象』というものなのか。

 そう考えてみると、苛立ちよりも不安の影がつよくなってくる。ひとりを責める気持ちよりも、自分になにか悪いところがあるのではないかという考えのほうが濃くなってくる。

 このままじゃいけない。

 付き合い出したわけでもないのに、すでに恋人になった気でいる喜多は焦り始めた。ひとりに冷められてしまうのはイヤだ。なにかお互いを意識できるいい方法はないものだろうかと脳みそをこねくり回す。

 と、

 

「あっ、」

 

 タイミングよく頭の上の電球が元気よく発光した。

 イソスタで見た情報なのだが、たしかここのお店には名物メニューがあったはずなのだ。それも、カップル限定のスペシャルスイーツである。

 喜多はテーブル上のメニュー表を開いた。めくっていくと、後ろのページにたしかにそれは存在した。実物大と思われるデカデカとした写真の下には、やかましい横文字でこう書かれている。

 

『特大ラブラブ♡デラックススイートドリーム・ストロベリーカップルパフェ』

 

 ──コレよ!

 

 よせばいいのに。

 喜多は目を輝かせて、意気揚々と店員を呼んだ。

 

 

 *

 

 

 何度かかけ直してみたが、虹夏はまったく電話に出てくれなかった。ロインもまだ既読がついていない。やはり、もう少し時間を置いてからじゃないとダメなのかもしれないなとひとりはスマホをしまいつつ、うなだれた。

 はあ、

 本日三度目の濃いめのため息を吐き出しながら、ひとりはトイレの扉を開けて出た。とぼとぼと喜多の元に戻る足は少し重い。まだ不機嫌だったらどうしよう──。

 

「あ、おかえりなさい」

 

 ──思っていたが。

 戻ってみると、喜多の機嫌は治っていた。ニコニコ顔を向けてきて、自分のトイレからの帰還を労ってくれる。

 はて、と戸惑いながらもホッしたひとりは「た、ただいま」と律儀に返して席に、

 

「連絡は済んだの?」

 着くなり、喜多が訊ねてきた。

 ひとりは眉を困った形に下げ、

「あ、いえ……忙しいみたいで。電話にも出てくれなくて」

「ふうん。そっか」

 淡白な返し。

 すぐあとに、コロッと話題を変えて、

「──ところで、ひとりちゃんって甘いの得意?」

「え? ま、まあ……はい」

 得意か苦手かでいえば大得意ではあるが、急になにを言い出すのかと思う。

「そう、よかった!」

 

 喜多の顔にきたん、とした笑みが花開いた。

 なんだろうと数回まばたき。

 その質問の意図は数十秒後にわかった。

 ウェイターがアホみたいなバカデカパフェを運んでやってきたのである。

 

「うあっ!? な、な、なにこれ……っ」

 

 ゴットン、と二人のあいだに置かれた巨大なソレに、ひとりは目を剥いた。ひまわりの花束でも挿せそうな花瓶サイズのグラスには、ギチギチにトッピングが積まれてタワーと化している。最下層にはコーヒーゼリーが敷かれ、キウイ、バナナ、ホイップクリーム、いちごゼリーなどが地層のように重なっている。最上層はイチゴや生クリーム、アイスクリームの大安売り状態で、そこにポッキーやウエハースロールが剣山のようにグサグサと突き刺さっている。見ているだけで腹の底まで甘ったるくなってきた。

 配膳ミスだ──ひとりはすぐにそう疑ったが、

 

「きゃーっ、きたきた! すごいっ、写真で見たとおりの大きさね! これは映えよ、映えっ!」

 どうやら喜多が注文したらしかった。待ってましたとばかりにスマホでパシャり始める。

 ひとりは激しい困惑で声を震わせ、

「あ、あああのっ、ききっ喜多ちゃん、これは……?」

「特大ラブラブカップルパフェよ!」

 

 正しくは『特大ラブラブ♡デラックススイートドリーム・ストロベリーカップルパフェ』である。

 しかし、名前などどうでもいいとひとりは大仰に頭をブンブンと振って、

 

「そっそうじゃなくて! ど、どうしてこんなもの追加注文してるんですかっ?」

 なんてことをしてくれたんだ、という顔でひとりは喜多を見つめる。が、それに対して喜多は恋する少女のような顔で返してきて、

「あ、うん。その……これなら、ひとりちゃんともっと仲良くなれるかなって思って……」

「へ……?」

 

 言っている意味はわからないが、その言葉と照れたような表情にひとりの胸は無条件に跳ねた。ドキッとする。喜多が口にしたパフェの名前も相まって、なんだかこれが遠まわしな告白のような気がしなくもない、

 などとホワホワしていたが、すぐに正気がひとりの乙女心をぶん殴って目を覚まさせてきた。

 

「……こっ、これ、いくらなんですか……?」

 おそるおそる、喜多の犯した罪の値段を訊ねる。このサイズから見るに、一〇〇〇〜二〇〇〇円じゃ効かない気がする。

 喜多は苦い顔でかぶりを振って、

「お金のことは気にしなくていいから。それより早く食べてみよ? アイス溶けちゃう」

「き、気にしないでいられませんよ……! こ、このままじゃ私たち──」

 

 そのとき、ひとりはポケットの中が小刻みに振動しているのに気づいた。ハッとする。もしやと思いあわててスマホを取り出してみると、案の定、着信だった。

 相手は、

 

「あ、虹夏ちゃん……!」

「む……っ」

 

 ひとりの嬉しそうな声。

 それで喜多は文字通りムッとなった。自然と口角は下がり、目も細くなる。

 ひとりは安心し切ったような表情をしている。それがたまらなく喜多をムカムカさせる。自分と話しているときはそんな顔しなかったのに、と眉を逆立てた。

 

「あ、も、もしもし。すみません、何度も電話しちゃって──わっ!」

 

 喜多はグイグイとひとりに極限まで体を寄せた。「な、なんですか?」というひとりの目を無視して、彼女のスマホに耳をそばだて、

 

「つづけて」

 刑事みたいなことを言う。

「えっ、な、なんで、」

「いいから!」

「は、はい……」

 ひとりは疑問符だらけの表情のまま通話をつづけた。

 喜多の耳にも虹夏の声が聞こえてくる。

『──こちらこそごめんね? なかなか出られなくて。お姉ちゃんが腰やっちゃったみたいでさ。色々とバタバタしてて』

「そ、そうだったんですね。大変なときにすみません……」

『ううん大丈夫だよ。それで、なにか用?』

「あ、はい。あの、実は、」

 喜多はさらに耳をそばだてる。いったいなんの話をするつもりなのか知りたかった。

 ひとりは言った。

 

 

「──お、お金をっ、貸して欲しくて……」

 

 

「え?」

 

『え?』

 

 喜多と虹夏の声がそろう。

 ひとりは二の句を継ぎ、

 

「そ、その……リョウ先輩と曲の打ち合わせするためにカフェにきたんですけど、お会計しようと思ったらお金が足りなくて。先輩も急病でこれなくなったみたいで……それで、」

『そ、そっか。いや、ちょっとびっくりしちゃったよ。ぼっちちゃんがリョウみたいなこと言うもんだから』

 虹夏の笑い声。

「す、すみません」

『ううんいいよ。それで、どこのお店?』

 

 ひとりは店の名前と場所を伝えたあと、

 

「──あ、それで申し訳ないんですけど、ちょっと多めに持ってきてもらえると……」

『あはは、そんなにいっぱい食べちゃったの?』

「あ、いや……」

 ちら、とひとりの横目が喜多を一瞥する。

「じ、実は……喜多ちゃんも私と同じカフェにきてて……それで、同じようにお金がないみたいで……」

『え、そうなの? それはなんか……すごい偶然だね──』

「ちょっ、ちょっと待って!」

 いままで黙って聞いていた喜多だが、ついに我慢できなくなって口を開いた。

「は、はいっ?」

「どういうことっ? お金がないって……私、そんなこと言ったっ?」

「え? い、いやだって……喜多ちゃん、『私と同じ気持ち』だって、さっき……」

「それは、うん。言った。言ったけど、お金がないとは──あれ?」

 

 止まる。

 なにかがおかしいとそこで気づく。自分とひとりのあいだで、なにかがズレているような気がする。

 考える。

 ひょっとしたら、自分はとんでもない思い違いをしているのではないかと喜多は思えてきた。

 

「ちょっ、ちょっと待ってね? 私、えっと……えっと……」

 

 考える。

 目をつむって、一から思い出してみる。

 ひとりは自分にどんな話をしようとしていただろうか。

 そうだ、たしか。

 大事な、重大な要件で、

 言い出しづらいことで、

 恥ずかしい話題なのかもしれなくて、

 だけど言わないとぜったい後悔してしまう、

 加えて、言ったら友だちじゃいられなくなるかもしれなくて、

 そして──リョウなら自信満々に言えるであろう言葉。

 考える。

 数秒して考えついた。頭の中でそのセリフが浮かぶ。

 

 

 ──お金貸して

 

 

「あっ、あああっ!!」

 

 喜多は両手で口元をおさえた。頭の中で真実の一本線ができあがる。

 これは告白なんかじゃなかった。両想いなんかじゃなかった。ひとりは単純にお金がなくて困っているだけだったのだ。

 ぜんぶ、ぜんぶ自分の勘違いだった──。

 愕然とする。椅子にがっくりと落ちて、うなだれる。どんどんと顔から血の気が失せて、口から魂が抜け出ていく。そんな喜多を見て、

 ひとりがのんきな一言、

 

「あっ、あの……大丈夫、ですか……?」

 

 大丈夫なわけがなかった。

 喜多の精神は波打ちぎわの砂像のように限界まできている。人生最高の幸せを本人に無慈悲に摘み取られた、この途方もない喪失感は喜多の全身を真っ白に染め上げていた。

 

『──おーい、聞こえてるー?』

「あ、」

 

 さっきからリアクションの激しかった喜多が、唐突に抜け殻となったことでオロついていたひとりだったが、虹夏の声で我に返った。スピーカーを耳に当て直し、

 

「あ、すみません。聞こえてます」

『な、なんかいま、喜多ちゃんの叫び声が聞こえたんだけど、どうかしたの?』

「さ、さあ……?」

 真っ白な喜多を横目で見ながら、

「ただ……なんだかとても悲しそうな顔してて」

『ええ? ぼっちちゃん、なんかしたの?』

「い、いや。なにもしてない(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)と思いますけど」

 ほんとう〜? と、スピーカーの向こうから訝るような声がして、

『まあ、いいや。それじゃあいまからそっちいくから待っててね』

「あ、はい。すみません、お願いし」

 

 そのとき、視界の端で喜多がのっそり立ち上がるのが見えた。

 

「ぅわっ!?」

 ひとりの肩が跳ねた。あまりにも予兆なくぬるりと動いたのでホラーを感じた。

 うつむき姿勢のせいで、前髪で目元の隠れた喜多をひとりは見上げる。

「き、喜多ちゃん……?」

「……ひ、」

 喜多はなにを思ったか、片手でバッグの中をゴソゴソと漁り出した。財布を取り出して、

 それから、

 

「ひっ、ひとりちゃんの思わせぶりバカ───────────ッ!!」

 

 バッチィン、と。

 カウンターテーブルに喜多の手のひらが勢いよく振り下ろされ、一万円札が派手にぶっ叩き置かれる。そして、「うわああっ」とそこまで迷惑のかからない声量の叫びを上げながら、喜多は飛ぶように走り去っていった。

 退店のベルが遠くで賑やかに鳴る。

 ひとりは呆然としていた。なにが起こったのか、そしてなにを怒っていたのか、思わせぶりバカ、とは。

 まるでわからず、丸い目で首をかしげることしかできなかった。

 テーブルに目を向ける。諭吉がいる。

 察しの悪いひとりではあるが、二人のあいだになにか話の食い違いがあったのだということだけは、なんとなく察することができた。その証拠がこの一万円札なのだ。

 もっとも、その内容については喜多とちがってたどり着けていないが。

 しかしまあ、ともかく。

 これで助かった──とはならなかった。

 テーブルの上には力士サイズのパフェタワーがまだ悠然と構えている。これに手をつけず帰ることは許されないだろう。

 

「に、虹夏ちゃん……甘いの得意かな……?」

 

 虹夏がきたら、ちょっと手伝ってもらおうかなとひとりは考える。確実に一人では無理だからそうしてもらおう。そうしよう。

 しかし、思う。

 特大ラブラブカップルパフェ。どうせなら喜多ちゃんと一緒に、二人で仲良く食べたかったな──。

 てっぺんのアイスが少し溶け出していた。

 

 

 *

 

 

 寿命の縮むようなピンチも、終わってしまえば日常の笑い話のネタとなるばかりだった。

 バイト終わりにスターリーで先日のオシャレカフェでの出来事をリョウに話すと、彼女は口の端をニヤニヤ持ち上げながら、

 

「そんな面白いことあったんだ。無理してでも見にいけばよかった」

 

 などとドタキャンかましたくせして、悪びれもなく言い放ってくる。

「い、いや、本当に大変だったんですから……リョウ先輩が来てくれればこんなことには……」

「ああ、そうだね。──で、そのパフェは食べ切れたの?」

「あ、はい。一応……虹夏ちゃんと私でなんとか……」

 

 しかし、虹夏には悪いことをしてしまった。

 わざわざ駆けつけてきてもらったのに、すでに喜多のおかげで金銭の件は解決していて、金の代わりに胃袋を貸してもらうことになった。二人がかりで一時間近くかけてなんとかやっつけることはできたものの、そのせいで虹夏は腹を壊してしまったようだった。体重も増えたと嘆いていた。

 

「あ、あとでなにかお詫びしないとダメですよね……」

「まあ虹夏はべつにいいんじゃない。それより、郁代のほうはどうなの」

 うっ、とひとりは背中を丸める。目線を落とし、

「その……あの日からずっと怒ってて……お金返しにいったときも、まともにお話ししてくれなくて……」

「ふうん」

 

 喜多はあれからずっと不機嫌を貼り付けている。

 ひとりが近づくと逃げ出してしまうし、どうしても接しなきゃいけないときもツンとして無愛想だし、珍しく口を開いたかと思えば、

 

『……どんかん』

 

 などと、鈍感なひとりには伝わらないことばかり言ってくる始末だった。

 とはいえ、ちゃんとスタ練にもバイトにもくるし、基本的にはいつも通りである。しかし、ひとりに対してだけプンプン状態に変身する。それが悩みだった。

 

「ど、どうすればいいですかね……私、このままじゃ……」

 

 スカートの裾をギュッとにぎりしめる。このまま喜多ちゃんと疎遠になってしまったらどうしよう。それはイヤだ、喜多ちゃんとはずっと友だちでいたいし、それ以上に──とひとりは思う。

 

「ふつうに謝ればいいんじゃないの?」

「い、いや……近づくと逃げちゃうんですって……」

「電話とかで呼び出せばいいじゃん。あとは古典的だけど手紙とか」

「あ、な、なるほど……いやでも、無視されませんかね……?」

 じゃあ、こう言えばいいんじゃないとリョウは人差し指を立て、

「『大切な話があるので』とか『伝えたいことがあるんです』とかなんとか。これなら郁代も無視はできないでしょ」

「あ、たしかに……」

 そうだろうそうだろう、とリョウはうなずく。

「あとは、花束とかプレゼント持っていけば大丈夫。郁代はそういうのに弱いはず」

「は、花束ですか……? な、なんかそれって……」

 プロポーズみたいだなとひとりは思う。

 しかしリョウは、

「郁代は乙女っぽいとこあるし、花束あげればコロッと機嫌も治るでしょ。まあ、やってみなよ」

「あ、は、はい。わかりました……!」

 

 不安はあるが、リョウのアドバイスを聞いていたらなんだか上手くいきそうな気がしてきた。

 いやきっと上手くいく、これでまた喜多ちゃんと仲良しに戻れるはずだ、ぜったいそうだと単純なひとりは思った。

 

「あっ、でもどこに呼び出せばいいですかね……」

 

 ロケーションも大事な気がする。機嫌を治してもらうためなら、それなりにいい雰囲気のほうがいいのではないかと、ひとりは余計なことを考えてしまった。

 それに対してリョウは「決まってるでしょ」とでも言いたげな顔で、

 

「そりゃもちろん、オシャレカフェでしょ」

 

 

 

 

 ──数日後、歴史は繰り返された。された。

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