「おはよう、セド!」
「おはよう、レイチェル」
1限目はマグル学だ。扉の前で偶然セドリックと鉢合わせたレイチェルは、教卓から近い前方の席に並んで座った。いつもならすぐ教科書とノートを出して授業に備えるのだけれど、今日はそれをする必要ない。まだ授業開始までは時間があることを確認して、レイチェルはセドリックに向き直った。
「ね、ね、セドは何を試してみたい? 私はやっぱりね、洗濯機と冷蔵庫!」
「落ち着いて、レイチェル」
「無理よ。だって、半年も前からずっとこの日を楽しみにしてたんだもの!」
手で隠した口元が、勝手に緩んで来てしまう。朝食の席でふくろうから知らせを受け取ってからと言うもの、ウキウキした気分が止まらない。チラチラと扉に視線を走らせ、早くバーベッジ教授が入って来ないか確認してしまう。だって今日はとうとう────。
「おはようございます、皆さん。既に伝わっていると思いますが、来週急な出張が入ってしまったので予定を変更します。今日はマグルの家に行き、実際に電化製品を使ってみましょう。今日やるはずだった授業内容は次回に持ち越します」
バーベッジ教授の言葉に、レイチェルは待ってましたとばかりに熱心に相槌を打った。
そう。学年の初めの授業で言われた通り、今日はいよいよマグルの家に行って実際に教科書に載っている品々に触ることができるのだ。教室の前方に備え付けてある暖炉は、今日だけマグルの家と繋げられているのだと言う。列に並んで順番待ちをしている間も、レイチェルはソワソワと落ち着かなかった。暖炉の脇に置かれた煙突飛行粉をひとつまみ取ると、レイチェルは期待いっぱいに燃え上がる炎の中へと飛び込んだ。
「素敵……!」
マグル生まれであるパメラの家に遊びに行ったことがあるので、マグルの住居に足を踏み入れるのがまるきり初めてと言うわけではない。それでも、やっぱり珍しくて貴重な体験だ。パメラの家ほど広くはないけれど、きちんと片付いていて隅々まで清潔だ。マグルの住んでいる家なのだと思うと、花柄のカーペットも繊細なレースのカーテンも、部屋の中のありふれた何もかもがレイチェルの目には新鮮に映った。先に到着した同級生達も、興奮した様子でざわざわしている。小さなダイニングテーブルの周りに集まった生徒達を見回して、バーベッジ教授が咳払いをした。
「この家のマグルは今は旅行中で、あと2週間は帰って来ません。とは言え、近所の家では他のマグルが生活していますから、不審がられないよう大きな物音は立てないこと。それから、どんなに些細な物でも、この家から何かを持ち出すのは禁止です。たとえ輪ゴムやネジ1本だろうと、気づいた場合は今年度のマグル学の単位は無効にしますよ」
バーベッジ教授の目がキラリと光った。視線の先は双子のウィーズリーだ。どうやら、キッチンに置いてあったちょっとしたものを失敬しようとしていたらしい。恐らく、何かの悪戯に役立てるつもりだったのだろう。本当に、あの2人は油断も隙もない。
しばらくバーベッジ教授の注意は続いたが、やがて自由に家の中を探検して────違った、見学していいと言われた。レイチェルは早速ウキウキとキッチンに向かった。まずは目当ての冷蔵庫だ。
教科書に載っていた白い物とは違って、この家の冷蔵庫は淡い水色をしていた。きっと、中にはマグルの食べ物がたくさん入っているのだろう。レイチェルはドキドキしながら出っ張った取っ手に指をかけ、恐る恐る前へと引いた。少しずつ扉が開いていく────。
「あれ?」
そうして目に入った光景に、レイチェルは拍子抜けしてしまった。空っぽだ。それに、冷たくもない。ガランと白いつるつるした壁に、簡素な棚のようなものがいくつかあるだけで、食べ物は何も入ってない。レイチェルは首を傾げ、生徒の監督をしているバーベッジ教授を振り向いた。
「バーベッジ教授、あの……冷蔵庫って中に食べ物を入れて冷やすんですよね?」
「そうですとも」
やっぱり、そのはずだ。それなのに、冷たくもないし、食べ物も入っていない。一体どうしたことだろう。レイチェルは空っぽの冷蔵庫を見つめたままぼんやりと立ちつくした。その様子を不思議に思ったのか、キッチンへの中に入ってきたバーベッジ教授が何かに思い至ったように「ああ」と呟いた。
「長期の旅行に出るので、コンセントを抜いておいたようですね。それに、食べ物も。腐らないように、中身を空っぽにしておいたんでしょう」
言いながら、バーベッジ教授が壁に空いた穴にコンセントを差した。しばらくすると、沈黙していた冷蔵庫からブーンと唸るような低い音がし始める。どうやら、中の機械の仕組みが動き出したようだ。レイチェルは、空けっぱなしの冷蔵庫の中へ、そろそろと手を入れてみた。
「ぬるい……」
「そんなにすぐには冷えませんからね。それが魔法と違うところですよ、ミス・グラント」
ガッカリと肩を落としたレイチェルに、バーベッジ教授が苦笑した。そんな、せっかく楽しみにしていたのに。期待していた冷蔵庫に関してはそんな不完全燃焼な形で終わったけれど、小さなツマミをカチッと回すだけで炎がつくガスコンロや、リモコンの操作でチャンネルが次々変わるテレビに、水がぐるぐると渦を巻く洗濯機。マグルの道具は、どれもボタンひとつで不思議なことが起きる。時間に制限があるせいで全て試すことはできなかったけれど、レイチェルは大満足だった。
「ねえセド……やっぱり今度の夏休み……」
「ダメだよ、レイチェル。父さんが許してくれないよ……」
「わかってるから言ってるのよ。セドも一緒に説得してくれればいいのに……」
マグルの家の中に入って機械をいじくり回させてもらうのは無理でも、せめて町並みだけでも見たい。そう思ってセドリックに懇願したレイチェルだったが、あっさりと却下されてしまった。ムッと眉を寄せる。いつもいつも、マグルの村に行きたがるのはレイチェルばかりなせいで、大人達には駄々っ子みたいな扱いを受けてしまう。セドリックだってマグルの村に興味がないわけじゃないのだろうし、少しは協力してくれたっていいじゃないか。
「厳しいとは思うけど、僕も父さんに賛成だよ。僕達だけじゃ、何かあった時大変だろう?」
しょうがないなと言いたげな苦笑と共に、溜息が降って来る。相変わらずお利口さんの意見だな、とレイチェルは顔を顰めた。セドリックもエイモスおじさんも、一体マグルの村を何だと思っているのだろう。あんな小さくてのどかな村に、そんな危険なことなんて起こるはずがないのに。心配性すぎる。何はともあれ、セドリックをあてにするのは無理らしい。
「いいわ、私1人でおじさんにお願いしてみるから。もしも許可をもらっても、セドは連れて行ってあげないからね」
言って、ツンとそっぽを向く。困ったように眉を下げるセドリックに、レイチェルはやっぱり自分が駄々っ子のような気分にさせられる。別に、そんなにわがままを言っているつもりはないのに。ただ、ちょっと家の近所まで足を伸ばしたいと言っているだけじゃないか。別にマグルの子供を脅かしたいとか魔法で悪戯したいとか言っているわけじゃないし────むしろ魔法は抜きで、友好的に接したいと思っている────ごくごく普通の、知的好奇心だ。咎められるようなものではないはずだ。
そうだ。夏休みが始まったらレイチェルの誕生日がある。誕生日なら、多少のわがままも大目に見てもらえるかもしれない。気を取り直して、よしと拳を握り締める。
やっぱり、マグルの文化って面白い。オッタリー・セント・キャッチポールに想いを馳せ、俄然張り切るレイチェルだった。