ホグワーツは世界一安全(仮)!   作:こんいろ

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第2章:1992 秘密の部屋編(全48話)
#37 7月 14歳の誕生日


 絵の具を塗り広げたような青空には雲ひとつなく、太陽が燦々と降り注ぐ蒸し暑い午後だった。緑に覆われたなだらかな丘を、1人の少女が駆けていく。時折吹き抜ける風に丈の高い草はざわざわと音を立て、少女の高く結ったポニーテールが後ろへと流れた。

 

「レイチェル!」

 

 少女の走る5ヤードほど後ろを、1人の少年が追いかけていた。後ろへ伸びる影は、少女のものよりもずっと長い。黒い髪に灰色の目。整った顔立ちに焦りを滲ませた少年は、少女の背中へと呼びかけた。

 

「待って! 走ったら危ないよ!」

「待たないわ。私が早いんじゃなくて、セドが遅いのよ!」

 

 一瞬足を止めて少年を振り返った少女は、楽しげなクスクス笑いを漏らすと、再び斜面を走り出す。傾斜はそれほど急ではないものの、少女が履いているのは機能性よりもデザイン性を重視したパンプス。ヒールがないとは言え、ストラップも靴紐もないそんな靴で舗装されていない坂道を走ればどうなるか。答えは、たとえ少年が学年1位の秀才じゃなかったとしても導ける。

 

「あっ」

 

 地面に埋まっていた石に躓いて、少女────レイチェルは草の上へ膝をつくことになった。反射的に体を支えた手のひらに、小石や木の枝なんかが食い込む。痛い。当然の結果な上、完全なる自業自得だった。薄い色の服じゃないから草の染みがつかないだけマシ、と心の中で妙なポジティブさを発揮しながら服についた土を払っていると、頭上に暗く影が差す。レイチェルが顔を上げると、ようやく追いついたらしい少年────セドリックがレイチェルを見下ろしていた。

 

「ほら、だから言ったじゃないか」

「だって……」

 

 呆れたように苦笑するセドリックにレイチェルは反論しようと口を開いたものの、差し出された自分の靴を見て押し黙った。どうやら、転んだ拍子に片方脱げてしまったらしい。レイチェルの足は特別小さいわけではないけれど、セドリックの手に握られているとお気に入りの靴は何だかいつもより小さく見える。骨ばった手に握られた、淡い水色のバレエシューズ。地面の上に座り込んだレイチェルに合わせて膝を折ったセドリックは、むき出しになった足にそっと靴を履かせてくれる。シンデレラの絵本の挿絵みたい、なんてぼんやり思ったけれど、口に出すことはしなかった。だって、それじゃあレイチェルがシンデレラだと言うことになってしまう。そんな恥ずかしいことを自分で言うくらいなら、ゴブレット一杯のポリジュース薬を飲んだほうがずっとマシだ。

 

「……ありがと、セド」

「どういたしまして」

 

 レイチェルはシンデレラのように美しくも不幸でもないし、第一お姫様なんて柄じゃない。シンデレラも転んでガラスの靴を落としはしたけれど、それは美しいお城の階段で、こんな草むらなんかじゃなかった。セドリックはハンサムだし、頭もいいし、親切だし、下級生の女の子達からすると王子様みたいに見えるらしい。確かにこうやってレイチェルに手を差し伸べて立ち上がらせてくれるところなんかは、そんな風に見えなくもないけれど────おとぎ話の王子様は、きっとTシャツもジーンズも着ないだろう。

「気をつけなくちゃダメだよ。もし怪我をしたらいつもよりも大変だってこと、レイチェルだってわかってるだろう」

「……私もセドも、杖を持ってない」

「持っていたとしても、今は使えないしね」

 

 レイチェルとセドリックはシンデレラでも王子様でもなく、魔法使いだ。杖を一振りして呪文を唱えればカボチャを馬車に変身させられるし、ガラスのコップをハイヒールに変えることもできる。もっとも、今は夏季休暇中だから、未成年のレイチェル達は魔法を使うことを禁じられているのだけれど。こんな服の汚れくらい杖があればすぐ取り除けるのにと、レイチェルは裾を指でつまんで眉を顰めた。

 小高い丘からは、眼下に広がる美しい風景の全てが一望できる。レンガでできた小さな家が立ち並ぶ、おもちゃのような町並み。ありふれたイギリスの田園風景だけれど、レイチェルの目には新鮮に映る。ほんの少し浮かれてしまうのは、たぶん仕方のないことだ。そんなレイチェルの胸中を察したのか、セドリックが困ったように微笑んでみせた。

 

「そんなに急がなくたって、逃げたりしないよ────マグルの村なんだから」

 

 イギリス南西部のデヴォン州に位置する小さな村、オッタリー・セント・キャッチポール。

 セドリック・ディゴリーとレイチェル・グラントがいつもなら行ってはいけないはずのマグルの居住地へ向かっている理由は、小一時間ほど前に遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 ホグワーツ魔法魔術学校の生徒達の夏は長い。

 家族旅行に海水浴、キャンプにバーベキュー。子供達が夏休みを心待ちにする理由と言えば山ほどあるだろうが、レイチェル・グラントにとって夏休みの最初の楽しみは、休暇が始まってすぐに迎える自身の誕生日だった。

 

「誕生日おめでとう、レイチェル!」

 

 クラッカーの破裂音が響き、小さな花や光の粒が宙を舞う。ピンク色のホイップクリームと苺やラズベリーでデコレーションされた可愛いバースデーケーキ。誕生日は、1年で1番素敵な日だ。

 

「ありがとう! おじさん、おばさん」

 

 おじさんとおばさんからの贈り物は、メイクセット一式だった。おじさんはまだ早いんじゃないかと気が進まない様子だったけれど、もう14歳なのだし、そろそろ興味を持つ頃だろうとおばさんが押し切ってくれたらしい。薔薇や宝石をモチーフにした可愛らしい容器やキラキラ光るアイシャドウは、見ているだけで気持ちが華やいでくる。そして、幼馴染からのプレゼントもまた素敵なものだった。

 

「これって……」

「気に入った?」

「勿論よ! セド! あなたって最高!」

 

 セドリックは、レイチェルが欲しかったブレスレットをくれた。以前、ホグズミードで見かけたものだ。その場では諦めたものの、どうしても諦められなくてふくろう通販で頼んだのに売り切れていてガッカリしたのだけれど、まさかセドリックが買ってくれていたなんて。嬉しさのあまりセドリックに抱きついて────と言うか飛びついて────レイチェルは幸福を噛み締めた。

 勿論、お祝いをしてくれたのはその場に居た人達だけじゃない。ホグワーツでのルームメイトでもある親友達、エリザベス・プライスとパメラ・ジョーンズからも素敵なカードと贈り物が届いた。エリザベスからは凝った細工の小物入れ、パメラからはマグルの店で買った可愛いノートとボールペンだ。他にも、友達や親戚なんかからたくさんのプレゼントが届いた。中でもレイチェルの1番感激したプレゼントは年下の友人、ハーマイオニー・グレンジャーから届いた重厚な革表紙の本だった。レイチェルの知らないタイトルのそれは、マグルの作家によって書かれたファンタジー小説だ。しかも3冊セット。机の上に置いた本の美しい装丁をうっとりと眺めながら、レイチェルの頭にある考えが浮かんだ。

 

「ねえ、おじさん」

「どうした、レイチェル」

「これからお仕事なのにごめんなさい。あのね、私、友達からプレゼントを貰って……」

 

 今から仕事に出かけようとしていたエイモスおじさんに、レイチェルはこっそり話しかけた。胸には、ハーマイオニーから貰った本を抱いている。見慣れない本に不思議そうな顔をするおじさんに、レイチェルは「素敵でしょう?」と微笑んでみせた。

 

「すぐにお礼を言いたいの。でも、その……マグル生まれの子だから……ふくろうを送ったりしたら、マグルのご両親がびっくりすると思うのよ」

 

 レイチェルはちらりと窓の方を見た。天井から吊るされた銀色の鳥かごには、母親のペットのコノハズクが寝息を立てている。朝からレイチェル宛のプレゼントをいくつも運んできてくれたせいで疲れてしまったらしい。正直に打ち明けると、レイチェルは以前ハーマイオニーの家に既にふくろうを送りつけたことがあった────そしてハーマイオニーの両親を随分と驚かせてしまったらしい────が、今それは言う必要のないことだ。怪訝な顔をするおじさんに、レイチェルはここぞとばかりに甘えた声を出した。

 

「だからね、電話を使って、お礼を言いたいの」

「『話電』?」

「マグルの道具だよ、父さん」

 

 馴染みのない単語に首を傾げるおじさんに、セドリックが簡単に説明した。どうやらちょうど2階から降りてきたらしい。レイチェル同様、去年マグル学を受講していたセドリックは、今のレイチェルにとって幸か不幸か、マグルについての知識はレイチェルと同程度に持ち合わせている。

 

「でも、レイチェル。僕の家にもレイチェルの家にも、電話なんてないじゃないか」

「勿論そうよ。でも、ほら……オッタリー・セント・キャッチポールにはあるじゃない」

 

 できるだけ何でもない口調を心がけながら、レイチェルは言った。おじさんが常々レイチェルがマグルの村に行って何か危険にでも遭ったらと心配していることはレイチェルも知っている。と言うか、ちょっと過保護すぎると思っていた。これからおじさんは仕事に行かなければいけないし、おばさんも午後は用事がある。子供だけでマグルの村に行くなんてと眉を寄せたおじさんに、レイチェルは慌てて言った。

 

「セドと一緒なら安全だし、いいでしょ? ね、お願い。こんなに素敵なプレゼントをもらったんだもの。どうしてもすぐにお礼が言いたいの」

 

 父親と言うのは、娘のおねだりに弱いものだ。レイチェルはおじさんと血の繋がりは一切ないけれど、小さい頃から娘同然に可愛がってもらっている。そして今日はレイチェルの誕生日だ。多少のわがままなら許してもらえる日。

 

「ああ、まあ……セドが一緒ならいいだろう」

「本当!? ありがとう、おじさん! 大好き!」

 

 こうして見事保護者であるエイモス・ディゴリー氏の許可をもぎ取ったレイチェルは、意気揚々とオッタリー・セント・キャッチポールへと向かったのだった。

 

 

 

 

 

「これが公衆電話って奴なのね」

 

 村のはずれにポツンと立っている赤い電話ボックスをしげしげと眺めて、レイチェルは感慨深く呟いた。設置されたのはだいぶ前なのか、文字はところどころ剥げかけていたけれど、確かに教科書で見たとおりだ。すっかり立て付けが悪くなっているドアを力任せに引っ張り、レイチェルは恐る恐る中へと足を踏み入れた。セドリックもその後に続く。もしかしたら、本来は1人で使用するものなのかもしれない。2人で入ると少し窮屈だったけれど、レイチェルは気にしなかった。

 

「マグルはこれで、遠くに居る友達と話ができるのよ。魔法よりずっとすごいと思わない?」

 

 受話器の滑らかな手触りやボタンの押し心地を確かめながら、レイチェルはうっとりと呟いた。通りかかったおじいさんがじろじろと好奇の視線を投げかけてくる。もしかしたら、若いカップルが電話ボックスの中でいちゃついていると思ったのかもしれない。それが気まずいのか、ボロボロの電話帳を呑気に捲くっていたレイチェルをセドリックが急かした。

 

「電話をかけるんじゃなかったの?」

「やり方がわからないの。セド、できる?」

「なんとなくなら。でも、確か……使うのに、マグルのお金が要るんじゃなかったかな」

 

 これが電話と言うマグルの道具で、距離が離れていても相手の電話番号にかければ会話ができるものだと言うことは知っている。けれど、生粋の魔法界育ちの2人がマグルの硬貨なんて持ち合わせているはずもない。レイチェルはダメ元でポケットの中に入っていたシックル銀貨を入れてみたけれど、案の定そのままチャリンと音がして下に落ちてきてしまった。銀貨をポケットに戻すと、レイチェルはそのまま受話器を元の場所に置いた。

 

「残念だったね」

「ううん、いいの。実物が見れたから満足だわ」

「でも、お礼を言いたかったんだろう?」

 

 軋むドアをこじ開けて、レイチェルは電話ボックスから外へ出た。熱は篭るし、窮屈だし、あまり快適な空間とは言い難かったけれど、素晴らしい体験をしたとレイチェルは上機嫌だった。鼻歌でも歌いたい気分だ。やっぱり、マグルの技術ってすごい。教科書で写真を眺めるだけでも楽しいけれど、実際に触ってみる方が100倍楽しいに決まっている。

 

「まあね。でも、最初から無理だってわかってたわ」

「どうして?」

 

 同情してくれるセドリックの言葉に、レイチェルは肩を竦めてみせた。確かに、電話をかけられるものならかけてみたかったけれど、最初からあまり期待はしていなかった。やり方もよくわかっていないし、マグルのお金だって持っていないから。それに第一。

 

「だって私、ハーマイオニーの家の……えっと、電話番号?知らないもの。聞いてないから」

 

 お礼を言いたかったのは嘘じゃないけれど、後でふくろう便を届けるつもりだ。軽い足取りで石畳を進んでいくレイチェルは、角を曲がろうとしたところでふと気がついた。セドリックがついて来ていない。振り返ると、セドリックは電話ボックスの前で立ち止まったまま、難しい顔をしていた。

 

「セド? どうしたの?」

 

 セドリックの傍まで引き返したレイチェルは、その顔を覗き込んだ。セドリックは俯いたまま、何か考え事をしている様子だ。電話の仕組みや構造について気になることでもあったのだろうかと、レイチェルは不思議に思った。セドリックの視線の先でひらひらとで手を振ってみせるけれど、反応がない。一体どうしたのだろうと戸惑っていると、セドリックがゆっくりと顔を上げた。

 

「…………つまり」

「え?」

「つまり、レイチェル。君は、マグルの町に行きたかったから、父さんや僕を騙したんだね?」

 

 無表情のまま、セドリックは静かに言った。咎めるような視線がレイチェルを真っ直ぐに射抜く。

 失言の2文字がレイチェルの頭の中をくるくる回った。「違う」とか「誤解だ」とか、反射的に何か言おうと口を開いたものの、正直に言うと何も違わなかった。ああ言えば、もしかしたらマグルの町に行かせてもらえるかもしれないと期待していた。そして、あわよくばセドリックを撒いてマグルの子供達とおしゃべりくらいはできるかもしれないとも思った。ますます怒られそうだから、口が裂けても言えないけれど。

 

「帰ろう、レイチェル」

 

 セドリックは踵を返して、元来た道を戻ろうとする。レイチェルは慌ててその後を追った。好都合とばかりに1人でマグルの村を散策することはできなくはないけれど、今このままセドリックと別れたら後からおじさん達に厳しく叱られることは目に見えている。

 

「待って、セド、待って! まだ村の向こう側を見てないわ!」

「ダメだよ。ほら、帰ろう」

 

 セドリックが手を差し出した。繋いでおかないと、レイチェルが逃げ出すんじゃないかと疑っているらしい。犬じゃないんだから! 最早自分が前科何犯なのか数え切れないほど「マグルの村 不許可侵入未遂」を犯していることは都合よく頭の中から消え去っているレイチェルは、心の中で毒づいた。

 

「セド、お願い。今日だけでいいわ。そうしたら、しばらくはマグルの町に来ようなんて考えないから。ねえセド、私、今日は1年に1度きりの誕生日なのよ」

 

 しかしそんな心中は態度には出さないようにして、レイチェルは神妙な顔つきでセドリックを見上げた。祈るように胸の前で手を組み、じっとセドリックの目を見つめる。だが、セドリックは小さく溜息を吐いて、ゆっくりと首を振った。

 

「いくら誕生日だって、ダメなものはダメだよ」

 

 おじさんには効果があったおねだりも、セドリックには同じようにはいかない。今更しおらしいフリをしてみせたところで、幼馴染の目はそう簡単に誤魔化せるはずもなかった。きっぱりと切り捨てられ、それだけじゃなく首輪代わりにしっかりと手まで握られてしまう。もはや逃げ場のなくなったレイチェルは、整った横顔に悔し紛れに吐き捨てた。

 

「ああもう、セドって本当にお利口さん!」

 

 王子様みたいにハンサムで賢くて、優しいいい子のセドリック。シンデレラみたいに健気でも純真でもない、悪い子のレイチェル。幼馴染の2人の関係は、14歳になっても何一つ変わっていなかった。

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