「悪いな、こんなのしか出せなくて」
「いえいえ、お構いなく」
私は申し訳なさそうに言う星歌さんから、紙パックのジュースを受け取った。
今、私は星歌さんが開けてくれたSTARRYの中で、カウンター沿いの椅子に隣り合って座っている。
ジュースを啜りつつ、私はしげしげと中を見渡す。
ステージがあり、照明があり、音響機材があり、壁には色んなバンドのフライヤーが貼られている。
特別大きい箱ではないけれど、ライブハウスと実感させてくれるには十分で、私は久しぶりに心が躍った。
「すごいです星歌さん。本当に自分のお店を持ったんですね」
「色々と大変だったけど、なんとかな」
そう言って星歌さんは苦笑したけど、声音には充実感が感じられた。
「どうですか、店長としての生活は」
「オープンしたのは最近だけど、まぁ若い連中のおかげで助かってるよ」
「虹夏ちゃんの為にも頑張らないといけないですもんね」
「うるせー。虹夏は関係ねぇよ」
私がからかうと、星歌さんは子供みたいにぷいっと顔を背けた。
ふふ、こういう分かりやすいところは変わってないなぁ。
「つーか、お前下北で働いてんのに今まで会わなかったのって悪い意味で奇跡だろ」
「う~ん。まぁ、私の会社逆側ですし通勤の為だけに来てますからね。けど、こうしてまた会えたから、今日は良い奇跡ということで」
「よくそんなセリフ言えるな……」
正直、自分でもそう思う。
なんだか今日は、昔に戻ったみたいで変にテンションが上がっているようだ。
言った後に恥ずかしさが出てきて、私は照れ隠し代わりにジュースに口をつける。
「なぁ、藤原」
一瞬会話に間ができた後、星歌さんが尋ねてきた。
「……もう、音楽はやっていないのか?」
少し躊躇いがちに。
けれどそれは、興味本位ではなく本当に心配してくれている、真剣で優しい声。
こういうところも、変わってないんだな……。
思わず目頭が熱くなるけれど、それを悟られないように、私は両手でピースを作って努めて明るく言った。
「実は、家の近所のスタジオで1年くらい前から自主練してるんですよ~」
「本当か!?」
私の答えに、星歌さんは身を乗り出してきた。
想像してなかった大きなリアクションに私は声が出そうになったけど、なんとか堪えた。
「そうか……。本当に、良かった……」
私の言葉を噛みしめるように、しみじみと、星歌さんは自分の事のように喜んでくれた。
……どうしよう、せっかく堪えた涙が出そうになっちゃう。
鼻の奥のツンとした痛みを我慢しながら、お互いに言葉が詰まってしまう。
そして、数秒ほどの沈黙が流れた後、再び星歌さんが私の方に向き合い、問いかけてきた。
「あのさ……。良かったら少し、久しぶりにセッションしていかないか?」
期待と嬉しさが隠し切れないそのお誘いを断る理由など、私にはなかった。
「星歌さんはギターですよね?」
「それしか出来ないしな。お前はどうする?」
「じゃあ、私はベースで」
そう私が答えると、星歌さんはバックヤードからベースを持ってきてくれた。
なんでも、緊急事態に備えて予備の楽器を用意しているらしい。
本当に店長やってるんだなぁ、と私は何だか自分の事のように嬉しくなった。
「誘っておいてアレだけど、曲はどうすっかな」
「星歌さんのバンドの曲ならお互い問題ないんじゃないですか」
「お前、覚えてるのか?」
「ふふふ、後輩でありファンでもある私を甘く見ないでください。今でも自主練でばっちり演奏してますよ。むしろ、星歌さんが大丈夫ですか?」
「先輩舐めんなよお前。今でも全然余裕だっつーの」
「なら、ボーカルもセットでお願いします♪」
「オーケー、やってやるよ」
お互いに軽口を言い合いながら、準備を進める。
口では飄々とした事を言いながらも、私の心臓は久しぶりのセッションに鼓動を上げていた。
(大丈夫。落ち着いて、落ち着いて……)
星歌さんに気付かれないよう、静かに深呼吸を繰り返す。
もう二度と無いと思っていた誰かとの演奏。
しかも、その相手が憧れの先輩と。
緊張するのではなく、思いっきり楽しまないと損だ。
もしかしたら、神様がくれた、本当の奇跡なのかもしれないのだから。
「準備いいか?」
「はい、お願いします」
ドラムがいないので星歌さんが声でカウントを出し、演奏が始まる。
星歌さんのギターと私のベースが合わさると、次第に私が見ている世界が色づいてくるのを感じた。
──そうだ。誰かと演奏するっていうのは、こんなにも楽しいことだったんだ。
一人だけの演奏だと味わえなかった、久しぶりに感じた暖かさ。
星歌さんのギターは昔と比べて音が少し飛んでるし、声量も大分落ちている。
それでも、精一杯、飾らないありのままの自分を表現する。
演奏が進むにつれて、頭の中には昔の思い出が、まるで今見ているかのように浮かんできた。
あの日初めて見たライブと同じように、星歌さんの音楽は誰かの心を動かす輝きを放っていた。
あぁ、駄目だ。
ずっと我慢していたのに、私は涙を抑えることが出来なかった。
その後、一曲演奏が終わり、私と星歌さんは一息ついていた。
「あははっ、星歌さん下手になってるじゃないですかー」
「うるせぇな。ったく、お前は相変わらず憎たらしいくらいに上手いな……」
星歌さんはいじけた子供みたいに私に文句を言ってくるけれど、
「けど、安心したよ。またこうして、音楽が出来てるってことにな」
と、笑顔を向けてくれた。
どうやら泣いちゃった事は隠せたみたいだし、そう言ってもらえるってことは自主練の成果は出てるってことなのかな、と思いつつ私はほっと胸をなでおろす。
ただ、心とは裏腹に、一曲引いただけなのに私の体はじっとりと嫌な汗のかき方をしていた。
(……やっぱり、まだ誰かと一緒に演奏するのは負担が大きいのかもしれない)
と弱気になりかけたところで、私は軽く頭を振った。
逆に考えよう。一曲なら出来るという事を知れた。これは、ずっと一人で練習してたら分からない収穫だったと。
私が一人思考に耽っていたら、視界の端で星歌さんがどうしようかといった様子でソワソワしているのに気付いた。
ん? 星歌さんにしてはなんか珍しいな。
「星歌さん、トイレ行きたいんですか?」
「ちげぇよ!」
違ったか。だとしたら、何だろう?
全く想像がつかないので私がじっと星歌さんを見ていると。
「あ~……。その、会ったばかりなのに申し訳ないんだけどよ……」
観念したかのように、頭をポリポリかきながら星歌さんが話を切り出す。
「すまん、虹夏のバンドを見てやってくれないか?」
「へ?」
頭を下げてお願いしてきた星歌さんという珍しい光景に、私は思わず間抜けな声が出てしまった。
星歌さんって2回留年してるのに29歳で自分のお店を持つってめちゃくちゃすごいと思います。
原作だと勉強できないキャラですが、仕事は出来てたとのことなので成績に応じてインセンティブが貰える仕事を必死にやってたのかなぁ、などと想像してます。