あと、とにかく話を進める事を意識して書いているので、後半は入れたい事を詰め込んでいたら駆け足気味になってしまいました。自分の文章力の無さが恨めしい。
5/12追記:虹夏ちゃんとの会話シーンを微修正しました。物語の大筋に影響はありません。
ジリジリと肌が焼肉にされているみたいな暑さと、鬱陶しいセミの鳴き声が聞こえる。
呻き声をあげながら目を開け、朝が来た事を認識する。
枕元の時計を確認すると九時半を過ぎていて、思わず「げっ」と声が出てしまった。
仕事の日は六時半起きだけど、いくら休みとは言え超寝坊だ。
というか、寝坊した割には頭がモヤモヤしてあまり寝れた感じがしない。
暑いし体も妙に重いし……って、そうだ。こういう状況だった。
「きくり、起きなさい」
「ふがっ……!」
いつの間にか私の体に思いっきり両手を回して抱き着いていたきくりをペシペシ叩くと、可愛さの欠片も無い声を出しながら起きた。
「ふぁ……。おはよー美空」
「はい、おはよう。起きたならさっさと顔洗ってきなさい」
「おはようのチューは?」
「……朝ご飯は要らないみたいね」
「うそうそ! 起きます起きます!」
ドスの効いた声で呟くと、慌ててきくりはベッドから降りて洗面所に向かって行った。
ご飯に反応するあたり、本当に普段ちゃんと食べてるのかしら? まぁ、朝ご飯くらいだったら二人分でも冷蔵庫の中身でどうにかなるか。
ひとまず準備をするべく、私はキッチンへ向かう。途中、何となく嫌な予感がして洗面所を覗くと、案の定私の歯ブラシをそのまま使おうとしていたきくりがいたので、軽くシバいて予備の物を出してあげた。
これ以上無駄に体力を使いたくないので、朝ご飯はシンプルな物を用意しテーブルの上に並べる。
電子レンジで温めたお粥、漬物、予め切ってタッパーに入れておいた林檎とオレンジ、そしてヨーグルト。
用意された朝ご飯を見て、ポツリときくりは呟いた。
「何か、病院のご飯みたいな感じ」
「お腹に優しいって言いなさい。健康の事を考えるとこれくらいで良いのよ」
いただきます。と声を掛けて、さっさと私は食べ始める。
それに釣られてきくりも食べ始めたけど、訝し気な表情で私を見つめてきた。
「どうしたの?」
「……美空、もしかしてまだ病気治ってないの……?」
雨に打たれた子犬の様な声音と表情できくりは尋ねてきた。
……はぁ。わざとやってるわけ無いだろうけど、その表情はホントずるいわ……。
かと言って、これを誤魔化すわけにはいかないからね。現状を、ちゃんと説明すれば良いだけだ。
「正直、中途半端な状況って感じなのよね。日常生活と一人で練習する分には大丈夫。けど、誰かとセッションするとまだ、ね」
「そうなんだ……。あ、でも、美空が普通の生活を送れてるなら、それで良かったよ」
話の内容が内容なので暗い雰囲気になりそうだったけど、きくりは努めて明るい表情を作って労わってくれた。
その姿に心臓の奥がチクリと痛んだけど、これは私にとっての罰だから受け入れるしかない。
「それで気になったんだけど、誰とセッションしたの?」
「ひとりちゃんと。一応言っておくけど、あの子は何も悪くないからね。私自身、初めてその時にセッションはまだ駄目だって気づいたんだから」
「だ、大丈夫だよ。そんな事思わないって。それだけひとりちゃんのエネルギーがすごかったって事なんだよね」
「うん。今はまだチームプレーに慣れていないけど、これからの成長が楽しみよ」
「流石、ギターヒーローの名は伊達じゃないって事か」
「ぶほっ」
きくりの言葉を聞いて無意識に噴き出してしまった。
ってアホか私は! 秘密にしなきゃいけないのに、これじゃ答えを言ってるのと同じじゃない!
「え? あ、えっと、大丈夫! 絶対誰かに言ったりしないから!」
私の反応で察してくれたのか、きくりは私にティッシュを差し出しながらそう言ってくれた。
「……ありがとう。あの子達が自分でギターヒーローの知名度には頼らない事を決めたのよ。下手打った私が言うのもアレだけど、本当にお願い」
「うん、分かってる。私も結束バンドがどこまで上がって来れるか、楽しみだから」
そういうきくりの顔は自信に満ちた笑みが浮かんでいた。
上がって来れるか、か。
昔は小動物みたいな性格だったのに、言うようになったじゃない。
でも、リョウちゃんや星歌さんの感じだとバンドとしての実力は本物みたいだから、きくりがそれだけ音楽にのめり込んでくれたのは……うん。やっぱり嬉しい、かな。
「けど、良く気づいたわね」
「一緒に路上ライブした後に、どっかで見た事あるなーって思ってさ。それで動画をチェックし直して、昨日のライブで確信したって感じかな」
「ふーん。なるほど」
梶原店長もそうだったけど、音楽経験がある人ほど気づきやすいって感じなのかな。
……だとすると、今後もライブをすればするほどひとりちゃんの事に気づく輩がどんどん出てくる可能性もあるか?
むぅ。そうなると、今後その辺の対策ももう少し考えておいた方が良いかも。
とりあえず今はその事は頭の隅っこにどかしておいて、きくりに尋ねる。
「まぁ、それはいいとして、あんた今日の予定はどうなの?」
「今日は十一時からFOLTで練習だねー」
「は? ならベースはどうしたのよ? 一回帰らないとマズいんじゃないの?」
「こんな事もあろうかと今日は銀ちゃんに預かって貰ってるから大丈夫。けど、美空と一緒に過ごせるなら……サボっちゃってもいいかも?」
「止めときなさい。後で志麻にボコボコにされても知らないわよ」
「や、やっぱり行きます」
上目遣いで見てきたきくりにピシャリと言うと、流石に怖いのか大人しく従った。
でも、来週私も会いに行くから、明日は我が身なんだろうな……。
鬼の形相で怒り狂うここには居ない親友の姿を思い浮かべながら、二人でご飯を黙々と食べるのだった。
その後は寝坊した事もあってあまり時間が無かったので、片付けもそこそこに私はきくりを新宿の改札まで送り届けた。
「じゃ、ここまで来れば大丈夫でしょ」
「え。折角だからFOLTの前くらいまでは一緒に行こうよ?」
予想外といった表情できくりは私に詰め寄ってくる。
「今行くと来週の楽しみがなくなっちゃうでしょ」
本当は心の準備が出来てないのが大きいんだけどね。
もっともらしい理由を言ってみたけど、きくりはそれでも嫌なのか「ゔ~」と駄々をこねる子供みたいな声をあげた後、右手の小指を差し出してきた。
「じゃあ、指切りで約束して」
「いやいや、何でそんな子供みたいな事をしなくちゃいけないのよ」
「だって、こうでもしないと美空、どっか行っちゃいそうなんだもん」
少し揺れる瞳を我慢しながら、きくりは拗ねた声音で言ってきた。
それを言われるとなぁ……。
「はぁ。分かったわよ」
ため息を吐きながら自分の小指を絡ませると、きくりはパッと笑顔になった。
「約束したからね!」
「分かってるって。ほら、早く行かないと志麻が怖いわよ」
そう言って送り出すと、きくりは途中何回も振り返って手を振りながらお店の方向へ向かって行った。
……これで、否が応でも来週は顔を出さなくちゃいけない、か。
でもいい加減、覚悟を決めないとね。
気の重たさよりも、どこか清々しい気分になったのを感じながら一つ息を吐く。
さて、今日はこれからどうしようかな。
宙ぶらりんな予定をどう埋めるか考えていると、ポケットに入れていたスマホが震えだした。
画面に表示されていた名前は……虹夏ちゃん?
「もしもし?」
『あ、美空さん。今大丈夫ですか?』
「大丈夫だけど、どうしたの?」
私が明るく返事をすると、一瞬間が空いた後、緊張した声音で虹夏ちゃんは言ってきた。
『実は、二人だけで相談したい事があって……。来週、どこかでお話できますか?』
虹夏ちゃんの声音は、どこか苦しそうな物であった。
もしかしたら、私の考えていた事が的中したのかも……?
だとすると、なるべく早い内に手を打った方が良いか。
「私は良いけど、もし虹夏ちゃんの都合が良ければ、今日そっちまで行こうか?」
『え!? それは、嬉しいですけど……折角のお休みなんじゃ』
「実は、今きくりを送りに新宿まで来てるのよ。新宿からなら、家からよりも早いから大丈夫よ」
『あ、だったらあたしがそっちに行きます! その、なるべく知っている人に見られたくないので……』
「うん、オッケー。じゃあ、適当にお店を探しているから、駅に着いたら連絡ちょうだい」
『分かりました。すぐ準備して行きます!』
ドタバタと慌ただしい音が少し聞こえた後、通話は終わった。
……さて、上手く話せると良いんだけどな。
電話が終わってからあたしは直ぐに家を出て、新宿で美空さんと合流した。
「美空さん、お待たせしました」
「良いってことよ。とりあえず、混まない内に早速行こうか」
軽く挨拶を交わした後、美空さんが見繕ってくれた喫茶店へと二人で向かう。
そんなに駅から歩かず、路地裏の地下にあるお店は穴場っぽいのか静かで、かつ落ち着いた雰囲気だった。
「お昼近いけど、お腹空いてる?」
「あ、飲み物だけで大丈夫です」
「了解。途中でお腹すいたら遠慮しないでいいからね」
そう言って美空さんは紅茶、あたしはオレンジジュースを頼んだ。
逸る気持ちを落ち着かせる意味も兼ねて、まずあたしは美空さんにお礼を言う。
「昨日はお疲れ様でした。それに、お休みなのにありがとうございます」
「そんなに畏まらなくて大丈夫だよ。きくりも思ったより大人しくしてたしさ」
「あはは……。お姉ちゃんも『会うんだったら助かったって言っといてくれ』って言ってました」
そんな風に軽くお話をしていると、丁度頼んだ飲み物がお互いの目の前に置かれた。
気を取り直す様に二人で一口飲んだ後、ティーカップを置いた美空さんが口を開いた。
「それで、急に相談だなんてどうしたの?」
穏やかな表情で優しく問いかけるその姿は、一瞬お母さんと重なって見えた。
なんとなくぼっちちゃんが美空さんに懐いている理由が分かった気がして、気遣ってくれる美空さんに有難さを感じながらあたしは答える。
「……実は、結束バンドの今後の目標と、あたし個人の夢との間でずっと悩んでるんです」
美空さんは、黙って聞いてくれている。
さらにその先を話してもいいと促してくれていると解釈して、あたしは更に話を続ける。
「それで、まず確認したいんですけど……美空さんはあたしの家の事情って、どれくらい知っていますか?」
「……それは、お母さんの事? だったら、もちろん知ってるよ」
言葉を慎重に選びながら美空さんは答えてくれた。
「じゃあ、お姉ちゃんがバンドを辞めてお店を始めた理由も知っていますか?」
また別の質問に、今度は美空さんは「う~ん」と腕を組んで首を傾げながら困ったといった表情で答えた。
「本人から直接聞いた事はあるけど……その時は『同じ夢を追う奴らの居場所になってやりたいんだ』って言ってたんだ。けどね」
一旦言葉を切って、変わらず穏やかな表情で、けれど真っ直ぐにあたしの目を見て、美空さんは言った。
「本当の理由は、虹夏ちゃんの為だって私は今でも思ってる」
名前が表すみたいな澄んだ空を想像させる綺麗な目をして、美空さんは言い切った。
「……あたしも、ずっとそう思ってるんです。お姉ちゃんは絶対に口に出さないですけどね」
「星歌さんも、どうせバレてるのに変な意地張んなくていいのにね」
お互いに苦笑を浮かべる。
けれど、美空さんがここまで知っているって事は、何もかも話す準備は整っているという事だ。
軽く深呼吸をした後に、あたしは話を再開した。
「昔はお姉ちゃんと仲が悪かったんです。いつも家にいないし、自分のバンドの事ばっかりで、結構本気で嫌ってたと思います」
一緒にアニメを見る約束したのにバンドの練習に行っちゃったから、その仕返しにアンプの音量をこっそり最大にしてやったりしたな。
「けど、お母さんが亡くなった後、あたしが寂しくないようにお姉ちゃんは自分のバンドを辞めてまで、STARRYっていう居場所を作ってくれたんです」
オープン前にお店の看板を掲げて、二人で見上げた星空は今でも忘れない。
「あたしは、お姉ちゃんの分まで人気バンドになって、お店をもっと有名にしたいんです。なのに、前に進めば進むほど……メジャーデビューする事がどれだけ大変なのかって言うのを思い知らされるんです……」
言葉を紡げば紡ぐほど、胸の奥が痛くなる。
「考えれば考えるほど、ただでさえ大変な道のりなのに皆を付き合わせちゃって良いのかなとも思って……。変ですよね。あたしの目指すものって、そういうのも飲み込んで進まなくちゃいけないのに……!」
言葉を紡げば紡ぐほど、胸の奥に秘めていた感情が暴走を始める。
「お母さんが亡くなった時、あたし……お姉ちゃんに酷い事を言ったんです……。あんな事を言わなければ、お姉ちゃんは今でもバンドを続けていて、あたしに縛られないで自由に自分の夢に進んでいたのかもしれないのに……!」
いつしか目元からは涙が溢れ、雨音の様にテーブルの上に落ちていた。
「自分の覚悟が甘いのは分かってるんです! でも、それでも……! あたしは自分の夢を叶えたい! お姉ちゃんの分まで、走り続けなくちゃいけないんです!」
ぐちゃぐちゃの感情のまま、私は子供みたいに泣きじゃくりながら思いの丈を吐き出した。
「大丈夫だよ、虹夏ちゃん」
そんなあたしの手をテーブルの上から優しく握って、美空さんは声をかけてくれた。
「虹夏ちゃんが悩んでいる事は、誰だって悩む事だよ。だから、自分をそんなに責めないで、まずは目標に向かって頑張っている自分を認めてあげて」
ね? とハンカチであたしの目元をポンポンと拭ってくれながら、諭す様に美空さんは言ってくれた。
「それにね、星歌さんは虹夏ちゃんの事を大切に想っているよ。前一緒にご飯食べた時、ずっと虹夏ちゃんの事ばっかり話してたんだから」
「……だったら、少しは直接言ってくれてもいいじゃないですか」
「本当だよ。たまには優しくしてくれてもいいのにね」
美空さんが悪戯っぽく笑うと私も釣られて笑い、さっきまでの暗い感情が少しずつ消えていくのを感じた。
しばらくしたら泥みたいに胸の底に沈んでいた感情を吐き出したのと、泣いてしまった恥ずかしさで段々頭が冷静になって来た。
「美空さんも、こういう事で悩んだことがあるんですか?」
「当然、あるよ」
目元を拭いながら尋ねると、美空さんはすんなりと答えてくれた。
「ただ、相談してくれたのに申し訳ないんだけど……私の場合は自分の想像を越えて、きくり達はあっさり一緒に付いて行くって言ってくれたんだよね」
はは、と苦笑いをしながら美空さんは話してくれた。
「でもね、今でもあの時に勇気を出して思いの丈をぶつけて良かったって思ってるんだ。結果として今の私はこんな有様だけど、あの時に自分の気持ちを打ち明けていなかったら、後悔していたと思う」
そう語る美空さんの表情は、遠い景色を思い返す儚げな物に見えた。
辛い事を思い出させてしまった事に申し訳なさを感じていると、直ぐに美空さんはパッと表情を変えて話を続けた。
「難しい話だとは思うけど、結局は自分がどうしたいか。後悔しない道を選ぶのが一番大事だと思うんだ」
その言葉を聞いた時、あたしの手を握りながら力強い目で言ってくれたぼっちちゃんの姿が思い浮かんだ。
「同じ事を、ぼっちちゃんにも言われました」
「あら、ひとりちゃんがそんな前向きな事を? 嬉しいわね」
ふふふ、と美空さんは本当に嬉しそうに笑った。
一方であたしは、二人に同じ事を言われて頭の中では分かっていたけれど、やっぱり自分と向き合って、自分の決断で前に進まないと駄目なんだという事も改めて思い知らされた。
「ごめんなさい、美空さん。結局、あたしは背中を押して欲しかっただけだったんです……」
「いいのよ、気にしないで。虹夏ちゃんは頑張り屋さんだから、こういう風に溜まってた気持ちを吐き出すのは大事なプロセスだよ。それに折角だからもう少し色々お話をして、自分の気持ちを整理して行っても良いと思うよ」
「そう、ですね。お願いします」
自分への覚悟と戒めも込めてそう答えると、美空さんはよしよしと優しく頭を撫でてくれた。
「まず、別に虹夏ちゃんが自分の夢の事を言わなくても、ライブを重ねている内に上手くなってレーベルからスカウトが来たりするかもしれない。それでも、虹夏ちゃんは皆に自分の気持ちを打ち明けたい?」
「はい」
美空さんの質問に、私は即答した。
確かに、美空さんの言うような可能性もあるかもしれない。
でも、ぼっちちゃんが自分の秘密を打ち明けてくれたのに、自分だけずっと隠し事をしているなんてのは絶対に嫌だ。
それにぼっちちゃんだけじゃなく、リョウにも、喜多ちゃんにも、はっきり言わないと彼女達の時間を奪っているだけだから、ここで言い淀むのは皆に対して失礼だ。
あたしの返答にそんな気持ちを感じてくれたのか、美空さんはニコリと微笑んで話を続ける。
「じゃあ、皆に虹夏ちゃんの気持ちを打ち明けて、その結果皆がメンバーから離れちゃったら、どうする?」
今度はジッと、美空さんは私を見つめながら尋ねてきた。
一瞬その圧力に押されるけど、それでもあたしの答えは決まっている。
「その時は、また自分でメンバーを探します」
美空さんからの目線を逸らさずに、あたしはキッパリと言い放った。
正直、皆と別れる事になったらあたしはすごい泣くと思う。
でも、お姉ちゃんは自分の人生を変えてまで、あたしの為に居場所を作ってくれたんだ。
それに見合う覚悟を決めなくちゃ、自分の夢を叶えるなんて一生かかっても出来やしない!
動物の睨み合いみたいに美空さんと視線を交わしていると、美空さんはまた穏やかな笑顔を浮かべて話し始めた。
「そう言い切れるなら、大丈夫。ちょっと意地悪だったね」
「いえ、いいんです。あたしこそ、今日だけで色々とごめんなさい」
お互いに言葉を交わすと、美空さんはまたよしよしと頭を撫でてくれた。
「覚えていて欲しいのは、虹夏ちゃんの気持ちを打ち明けても皆と別れるって決まったわけじゃない。まずは虹夏ちゃんがどうしたいかっていうのを、これからも忘れないでね」
「はい。ありがとうございます」
本当に大変なのはこれからだけど、それでもあたしの気分はさっきと比べて清々しかった。
そうだ。悪い事ばっかり考えてもしょうがないんだ。
だって、未来の事なんて、誰にも分かりはしないんだから。
「本当に、今日はありがとうございました。お昼までご馳走になっちゃって」
「いいのいいの。虹夏ちゃんが元気になってくれれば、それでオッケーよ」
喫茶店から出て、駅まで歩きながら私は美空さんと談笑していた。
「明日、美空さんが来るまでに皆に話しておきます」
「うん、頑張ってね。私の事は気にしないでいいから、思う存分話し合ってちょうだい」
変わらない優しい笑顔で、美空さんは後押しをしてくれた。
「じゃ、ここでお別れかな。帰り道に気を付けてね」
「あ、美空さん。ちょっと待ってください」
駅で別れそうになった所で、私は美空さんの手を掴んで引き留める。
「え、どうしたの?」
「あの……今日とは別の事で、お礼を言いたかったんです」
あたしがそう言うと美空さんは思い当たる節がないのか、不思議そうな顔をしている。
そうだよね。あたしだって、最近まで思い出せなかったんだから。
「昔、あたしとお姉ちゃんが仲直りした時のライブ。あの時一緒に見てくれたの、美空さんですよね?」
私がそう言うと、珍しく美空さんは目を見開いて驚いた表情を浮かべていた。
「……覚えてたの?」
「恥ずかしい話ですけど、覚えていたっていうよりかは、思い出したんです。初めて美空さんに会ってから何か他人の気がしなくて、つい最近もしかしてって思って、お姉ちゃんにも聞いてようやくって感じですね」
「……正直、思い出せるとは思ってなかったよ」
控えめな笑顔を浮かべる美空さんに、あたしは改めて向き直って続けた。
「あの時美空さん、ステージがよく見えるようにずっと終わるまであたしの事を抱っこしてくれてましたよね。ステージで輝くお姉ちゃんを見たから、今、あたしはバンドを続けられてます」
あの時見た景色を、あたしは一生忘れない。
あの時見た光が、あたしの夢への道を照らしてくれるから。
「あの時はありがとう! 美空おねえちゃん!」
だから、ありったけの感謝を、美空さんに伝えた。
「……私には、もったいない言葉だよ」
少し上擦った声で呟くと美空さんは私を抱きしめてくれて、あたしも手を回して美空さんを抱きしめた。
触れ合う体を通して感じる暖かさが、前に進むための勇気を分け与えてくれた。
ここ数話で過去に関しての言及が多いですが、先々でそこら辺の事は必ず書きます。
今はまだ必要な人物が出揃っていないので、もう少しお待ちください。