土曜日のお昼前、御茶ノ水駅を出て私は結束バンドの皆と合流をした。
「皆おはよう。待たせちゃってごめんね」
「あ、美空さんおはようございます。私達が早く来ちゃっただけなので大丈夫ですよ」
「こっちはリョウっていう遅刻の常習犯がいるからね。早めに連れてきて正解でした」
「失礼な。音楽が絡んでいる時の私は真面目」
「それをバイトでも発揮しなさい!」
「まぁまぁ二人とも。今日のメインはひとりちゃんのギターだから」
早々に虹夏ちゃんとリョウちゃんのどつき漫才が始まるのを宥めつつ、早速皆で楽器屋さんへと向かう。
前を行く皆の後ろを歩きつつ、私は街並みをしげしげと見渡した。
(懐かしいな。こっちはそんなに変わってなさそう)
ギターだけでなくウクレレやバイオリンといった様々な楽器の看板が並ぶ通りは、私の記憶の中にある音楽の街と大きな差はなかった。
ただ、街並みはそう変わらずとも、それでも年月は経っている。
虹夏ちゃんの案内主導でこれから行く楽器屋さんは星歌さんがバイトをしていたお店で、私もよく知っている。
(……あの人は今も居るのかな)
そうであって欲しいという想いと共に当時の記憶が私の中に浮かぶけど、被りを振って打ち消す。
私だってもう就職しているし、星歌さんだって自分のお店を持って働いている。
昔のままなんて、ありえない。
皆がそれぞれの道を進むのだから、たとえあの人が居なかったとしても私に何かを言う権利は微塵も存在しないんだ。
……でも、星歌さんともきくりとも会えたんだから……欲張りなのは分かっているけれど、会えなかったら私は寂しいって思うんだろうな。
「着きましたー! ここが昔お姉ちゃんがバイトをしていたお店でーす!」
虹夏ちゃんの元気な声に意識を引き戻される。考え事をしながら惰性で歩いていたから、近くまで来ていたのに気づかなかった。
「それじゃレッツゴー!」
「ほらひとりちゃん、ひとりちゃんが行かないと始まらないんだから行きましょう!」
「あ、あぇ。喜多ちゃんせめてもう少し心の準備を……!」
「ぼっち、覚悟を決めろ」
虹夏ちゃんが先頭に立ち、喜多ちゃんに手を引かれリョウちゃんに背中を押される形でひとりちゃんがお店の中に吸い込まれていく。そして私も一つ息を吐いて皆の後ろに続いていく。
「こんにちはー」
「いらっしゃいませー」
虹夏ちゃんがカウンターで作業をしていた店員さんに挨拶をするのが聞こえる。
「あ……」
その声に導かれるように目を向けると、自然と私の口からは声が漏れていた。
優しい朗らかな笑顔で、トレードマークの大きなリボン。
私の記憶と変わらない姿のその人が、そこには居た。
「……こんにちは、緑さん」
「……え?」
私の声に反応してこっちを見た店員さん──緑さんは驚いた表情で固まり、手にしていたペンを床に落としてしまった。
一瞬静寂が包んだものの、すぐに弾かれたような勢いで緑さんは私の傍に駆け寄って来た。
「美空ちゃん……? 本当に、美空ちゃんなの?」
「はい。星歌さんとバカやって緑さんに迷惑かけてた美空です」
「──っ! よかったぁ……!」
感極まったような声で、人目もはばからず緑さんは私を抱きしめてくれた。
「もう会えないって思っていたから……。また会えて嬉しいわ……!」
……あぁ、どんなに月日が経っても、やっぱり緑さんは緑さんだ。
底抜けに優しい、大好きな先輩の緑さんのままなんだ。
半ば諦めていた事が現実になった事と、触れ合った体の暖かさに涙ぐんでしまう。
「あのー美空さん。どういうご関係ですか?」
「美空さん、もしかして女性キラー?」
喜多ちゃんとリョウちゃんの問いかけが聞こえた瞬間、私の頭は水をかけられたみたいに冷えていった。
いかん、いくら嬉しいとはいえ緑さんは仕事中だし、他の店員さんの目もあるんだ。
「あ。ご、ごめんなさいね」
緑さんも自分がしていた事に気が付いたのか、慌てて私から離れていった。
若干気まずい空気になったのを仕切り直しも込めて、私はコホンと咳ばらいをして皆に説明を始めた。
「実は私、昔このお店でバイトをしていたの。それで、こちらの緑さんには仕事を教わったりお世話になっていたんだ」
「あ、そうか! お姉ちゃんの後輩って学校だけじゃなくてバイトの後輩って可能性もあったのか」
「お姉ちゃん? もしかしてあなた、星歌さんの妹さんの虹夏ちゃん?」
「あ、はい! 伊地知虹夏です! お姉ちゃんがお世話になっていました」
「ふふ、ご丁寧にありがとう。そちらの子達は、もしかしてバンドのメンバーかしら?」
「はい。結束バンドって名前のバンドを組んでいて、お姉ちゃんのお店を拠点に頑張っています」
虹夏ちゃんが簡単な挨拶をすると、他の皆もペコリと頭を下げて挨拶をする。
「緑さん。私、星歌さんとも会えたんです。その縁で今はこの子達に色々教えているんですよ」
「そうだったのね。皆、可愛くて良い子達ね」
「ほんと、どこぞの魔王と大違いですよ」
「魔王……?」
私のボヤキにひとりちゃんが怪訝な表情で訊いてくる。
「魔王ってのはその傍若無人っぷりから付いた昔の星歌さんのあだ名ね」
「ぷぷ。だっさ」
「一応フォローすると星歌さん仕事は出来る人だったのよ? けど自分の好きなギターを独断で入荷したり好き放題やっていた部分があってね……」
「身内が本当にごめんなさい」
私が説明するとリョウちゃんがプヒーと息を漏らしながら笑い、苦笑を浮かべる緑さんに対して虹夏ちゃんが深々と頭を下げた。
「今思えば店長もよく手綱を握っていましたよね。そう言えば、店長は居ないんですか?」
「美空ちゃんの知ってる店長さんは人事部に異動になったの。今は私がここの店長をやらせてもらっているわ」
「マジで!? 大出世じゃないですか」
「ありがとう。色々大変な事はあるけれど、やりがいを持って頑張っているわ」
「じゃあ、美空さんの知り合いって事で何か割引とかゴフッ」
「あ、今のは全然気にしないでください」
目ざとくお金の事を交渉しようとしたリョウちゃんの脇腹に虹夏ちゃんの手刀が突き刺さった。
「うーん。割引は厳しいけど、もし楽器の修理なんかがあったらなるべく優先してもらえるようにするね」
「あ、じゃあちょうど良かった」
これ幸いとばかりに私はひとりちゃんに目配せすると、ひとりちゃんは慌ててカウンターの前まで近寄って来た。
「実は、この子のギターが壊れちゃって。来週末に文化祭でライブをやるんですけど、どうにかなりませんかね?」
「そうねぇ。ちょっと見てみないと分からないから見せてもらっていい?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
そう言ってひとりちゃんがケースからギターを取り出しカウンターに置くと、緑さんは仕事をする時の真剣な表情でギターを調べ始めた。
「ギブソンのレスポールカスタムかぁ。もしかしてこれ、家族の人から譲ってもらったりした?」
「は、はい。お父さんが昔バンドをやっていたので、借りてずっと使っていました」
「ふむふむ。弦の修理だけだったらそんな時間は掛からないけど……ペグも怪しいし、そもそも年代物だからこれを機にオーバーホールした方が良いんじゃないかなっていうのがこちらの意見かな」
「えっと、そうなると来週の文化祭は厳しいって事でしょうか……?」
「そうだね。仮に弦の張替えとペグの修理だけだとしても、他のお客さんの修理状況を考えると早くても週末直前くらいになっちゃうと思うな」
私の知り合いだからかひとりちゃんは頑張って会話を試みているけれど、やっぱり文化祭までには修理が間に合わなさそうな事を聞いたらがくりと肩を落とした。
「ひとりちゃん、そう気を落とさないで」
「あ……、ごめんなさい。えっと、分かりました。ならこのギターは修理をお願いして、今日新しいギターを買っていきます」
「そう言えば、修理って結構お金かかるけどお金は大丈夫?」
「大丈夫です。修理代はギター代とは別でお父さんがお金を出してくれる事になりましたので」
そう言ってひとりちゃんは鞄から封筒を取り出す。パっと見てそれなりの厚さがあるから、本当にお金の事は心配なさそうだ。
その後、カウンターで書類を書いてひとまずは修理の手続きを終える事が出来た。
「では、承りました。なるべく優先して修理して貰えるようにお願いしてみるね」
「あ、ありがとうございます」
にこりと柔らかい笑顔を浮かべる緑さんに、ひとりちゃんも丁寧に頭を下げた。
「無事に修理の手続きも出来たし、後はぼっちちゃんの新しいギターを選ぶだけだね!」
「ゆっくり見ていって。もし試奏がしたかったら遠慮なく声を掛けていいからね」
緑さんがギターを持って一旦お店の工房へ消えて行き、それを皮切りに皆で店内を散策し始める。ストラップやピックといった小物のバリエーションに盛り上がったり、ハイエンドモデルの値段に驚いたりする皆を見ると昔の自分を思い出して新鮮な気持ちになった。
「すいません、このベース試奏してもいいですか?」
「はい、どうぞ」
ふとリョウちゃんが眺めていたベースの試奏を戻って来てくれていた緑さんにお願いするのが目に入った。
「あ、まさか」
虹夏ちゃんが小声で呟くのが聞こえ、何となく私もリョウちゃんがやろうとしている事が想像ついた。
そして案の定、試奏という割には気合が入りまくったベースの音色が店内に響いた。
「ふぅ……。まぁ軽く弾いただけだけどゼーゼー、中々良いベースかなハーハー」
「試奏で本気出してドヤるな!」
虹夏ちゃんがツッコミを入れるも、私も気持ちは分かっちゃったりするのでここはノーコメント。隣ではその光景を眺めていた緑さんがクスクスと笑っていた。
「緑さん、どうかしました?」
「ふふ、何だか懐かしいなって。美空ちゃんも星歌さんと一緒になって『検品だー!』とか言って売り物のギターとかベースをかき鳴らしていたじゃない」
「あ“ーーー!? 緑さーん!?」
「えぇ……。美空さんもお姉ちゃんも何やってるの?」
「私にはちゃんとバイトしなさいっていつも言ってるクセに……!」
黒歴史その二を暴露され、それを聞いた虹夏ちゃんとリョウちゃんがジト目で私を見てくる。特にリョウちゃんの目がズモモって音が聞こえそうな位の圧力を帯びていて流石の私も後退りしてしまう。
……ふぅ、バレちまったもんはしょうがねぇ。
「あの時は私も若かったのよ。こうやって皆、色んな事を経験して大人になっていくの」
「納得いかない!」
髪をファサっとかきあげそれっぽい事を言っても駄目でした。
その後は珍しく感情露わにプンプンと怒りながらペチペチ叩いてくるリョウちゃんを宥めるのに私は精一杯になった。
やがて散策も佳境に入り、ひとりちゃんが真剣にギターを選び始めたのを私は遠くから眺めていた。
「さっきはごめんね美空ちゃん」
「本当、勘弁してくださいよ緑さん」
「でも、少しくらい抜けてる所があった方が親しみ易いわよ。星歌さんだってそうだったでしょ?」
そう言って緑さんは特に悪びれもせず悪戯っぽい笑みを浮かべる。
……はぁ、まぁ緑さんだから許せるけどさ。
ひとまず話題を変えようと、別の話を私は振る。
「正直、緑さんがまだお店に居るとは思っていませんでした」
「何だかんだでお店にも仕事にも愛着が湧いちゃってね。大学を卒業したらそのまま正社員として採用してもらったの。きくりちゃんもたまに来てくれるのよ?」
きくりの名前が出て、一瞬私の胸にチクリとした痛みが走る。
喉から出かかった言葉を飲み込もうと思ったけど……久しぶりに会った緑さんに甘えたいという気持ちがあったのかもしれない。
「緑さん」
「うん」
「私、きくりとも会ったんです。それで、その……私が居なくなった後、きくりの様子はどうでしたか?」
私の問いかけに対し、緑さんは……やっぱり昔と変わらない穏やかな笑顔を浮かべて話してくれた。
「そうね……。最初の一ヶ月くらいはとても落ち込んでいたわ。バイト中は頑張っていたけど、終った後は休憩室で泣いていたりしてたから家まで送りに行った事もあったかな」
聞きながら自分で表情が強張るのを感じる。
けれど緑さんは、変わらず優しい口調で私に話を続ける。
「でもね、そこを過ぎたらまた前みたいに志麻ちゃんと一緒に一生懸命練習を始めたの。理由を聞いたら、『美空との絆だから辞めたくない』って言っていたわ」
それを聞いて……私は視界が揺れるのを感じたけど、緑さんはそんな私の背中に手を回してゆっくりとあやすようにポンポン背中を叩いてくれた。
「美空ちゃん、あの時は皆が少しでも良い方向に進めるように頑張っていただけで、自分だけを責める必要は全く無いわ。いつだって、きくりちゃんも志麻ちゃんも楽しそうに音楽に打ち込んでいて、それは今も変わらないの」
最後にほんの軽く私の肩を抱いて、銀次郎さんと同じ諭すように緑さんは言ってくれた。
「それに美空ちゃん、今あの子達に教えているって事はやっぱり音楽が好きなんでしょう?」
「そう、ですね。そこは……変わらないと思います」
「良かった。なら、少しずつ自分と向き合って行けば良いと思うわ。音楽に罪はないっていう事は忘れないでね」
「……ありがとうございます、緑さん」
「気にしないで。もし悩む時があったら、また一緒にご飯でも食べましょう」
お礼を言って、私も軽く緑さんをハグする。それを緑さんは、何も言わずに黙って受け入れてくれたのが嬉しかった。
『ありがとうございましたー』
「こちらこそ、ありがとうございました。よかったらまた来てね」
お店に来てから結構な時間が経ち、無事にひとりちゃんの新しいギターを買う事が出来て今は皆揃って緑さんにお礼を送っていた。
ちなみにひとりちゃんが選んだのはYAMAHAのパシフィカで、幅広いジャンルにも対応出来る良い一品だと思ったし、緑さんが手ずからメンテナンスをしてくれていたのも決め手になったみたいだった。
「あ、緑さん。よかったら来週の文化祭、観に来てくれたりしませんか?」
「ごめんなさい。嬉しいお誘いだけど、流石にこのタイミングだと仕事が外せないのよ」
ですよねー。まぁ、今回はタイミングが無茶だからしょうがないか。一般人相手の商売なんて土日が稼ぎ時だもんね。
「でも、また別の日にライブがある時は誘ってね。予定を調整してみるから」
「ありがとうございます。お姉ちゃんにも伝えておきますね」
「よろしくね。星歌さんの分までバンド活動頑張って」
こうしてお店の前までお見送りをしてくれた緑さんにさよならをして、皆でこの後の予定を相談し始めた。
「今日この後はどうしようか?」
「あの、もし皆さんがよろしければこのギターを使って練習をしてみたいんですけど……駄目ですか?」
「私もひとりちゃんに賛成です! 来週の本番に向けて悔いのない練習をしたいです!」
「オッケー! じゃあお姉ちゃんにスタジオ使えないか聞いてみるね」
「なら、その前にどこかでお昼ご飯を食べようか。今日は私がご馳走してあげる」
「うおォン。今の私はまるで人間発電所だ」
「食べ過ぎて練習に身が入らないなんてならないようにしてよね」
そんな風に会話をしながら御茶ノ水の街を歩く皆の姿は、かつてきくり達と一緒に夢へ向かって進む自分の姿が重なって見えた。
『少しずつ自分と向き合って行けば良いと思うわ』
緑さんの言葉が、頭の中でリフレインされる。
いつかは皆と、別れる日が来るだろう。
その時私は……答えを見出せているのかな。
緑さんの名前の由来はアニメ版で髪の色が緑だったという安直な理由です。
今後も出番はちょくちょくある予定です。