志麻さん視点は新鮮な反面、難しくもありました。
「うえ~ん! 美空にフラれた~!」
私の隣には子供みたい泣きながら管を巻くきくりが座り、反対側にはイライザも居る。
場所はFOLTのバーカウンターで、練習の後に『ちょっと付き合って』と涙目できくりに言われて何事かと思えばこの有様である。
「借金もロクに返していないのに奢ってなんて言ったらそりゃ塩対応もするだろ。美空も教え子達の手前があるだろうし」
「だって私、お使いもコーチも頑張ったんだよ~!? ちょっとくらいご褒美があっても良いじゃない~!」
そう泣き叫びながら銀次郎さんのご厚意で頂いたカクテル……にみせかけたジュースをグビグビと飲み干す。いつにも増して喧しいからアイコンタクトで途中から上手くすり替えてもらったけど、きくりはそれに気づいていないようだ。酔っていても演奏は出来るから、結局酒に強いのか弱いのか未だによく分からんな……。
そんな調子でかれこれ一時間ほど三人で飲んでいるが、それでもきくりの勢いは止まらず今はカウンターの上に突っ伏して泣きじゃくっている。
このまま泣き疲れて寝てくれたらまだマシなんだがな、と考えていると、少し顔を上げたきくりがポツリと呟いた。
「……私、美空に嫌われちゃったのかな」
普段の酔いが回っている時のグルグルした目ではなく、一回り幼い気弱な少女といった涙に濡れた瞳と、消え入りそうな声音。
……どうやらジュース作戦が効いたのか、素のきくりが出て来たみたいだ。
「そうだよね、バンド活動を頑張るためなんて言ってお酒飲んでいたら嫌われるよね……」
「大丈夫だヨーきくり。嫌っていたらライブを観に来てくれないデショ?」
さっきとは打って変わってクスンと静かにすすり泣くきくりを、イライザが優しく肩を抱きながら慰めてくれる。
普段だったら『イライザに逃げるな』とか『そもそも酒を止めろ』と言うが、この時のきくりに正論パンチは逆効果になりかねない。
(……美空の話を出されると、こっちも強くは言えないんだよなぁ……)
結局は自分も身内に甘いんだな、と溜息を吐いてしまう。
きくりと美空は高校時代、ずっと同じクラスだった。
対して私は隣のクラスだったが、だからといって疎外感を感じたりは欠片も無い。
無いのだが……それでも二人の間には、自分とは違う特別な絆を感じる事もあった。
きくりにとって美空は、それくらい大きな存在だった。
きくりはずっと独りで過ごしていた。
友達も出来ず、何のために生きているのか鬱々と過ごす日々。
そんなきくりを一番最初に陽だまりの中へと連れて行き、共に歩んでくれたのが美空だ。
自分の人生を変えてくれた美空への想いが強いからこそ、本当は気弱で人前に立つのが怖いクセに今もバンド活動を続けている。
酒を飲む理由を知っているからこそ、私もきくりを放っておく事は出来ない。
──誰かが傍に居て支えてやらないと、きくりは今にも消えてしまいそうな危うさを秘めている。
だからまぁ、ガス抜きも兼ねてたまにこうして愚痴を聞いているのだが、その点に関してはイライザが居てくれて本当に助かっている。私にはあんな包容力は無いからな。
たま~にある意味きくり以上にこちらを振り回す時もあるが、これでイーブンにしておこう。
……それに、私も美空とは色々と改めて話したいことがあるから、こういう時は力にならないとな。
迷子になった子供みたいに泣くきくりと宥めるイライザを見つつ、私はこっそりスマホで美空にメッセージを送った。
それから数日後の金曜日。
「ごめん志麻、待った?」
「いや、私も今来た所だ」
私は結束バンドとの練習が終わった美空と下北沢で落ち合っていた。金曜であれば美空も明日は仕事が休みだろうから、ゆっくり話すにはおあつらえ向きだ。
「すぐ近くだから、早速行こうか」
「う、うん」
私が呼びかけると美空はどこか固い表情で答えた。
別になんという事は無く、ただ一緒に食事をするだけなのにそんな緊張しなくてもいいだろうに……。
なんだか壁を感じた事に怒りを抑えつつ、駅に近い個室居酒屋へと入った。
「えっと、志麻。今日は急にどうしたの?」
お互いに飲み物を頼んだ後、美空はそう質問してきた。
表面上は笑顔だが、恐る恐るこちらのご機嫌を伺う様な声音が……とても腹立たしかった。
「何だ? 友達と食事をするのにわざわざ理由が必要なのか?」
思わず眉間に皺が寄り、低い声が出てしまった。
昔だったらここでヒートアップしていたかもしれないが、我慢する。
ここで怒りをぶちまけるのは簡単だが、そんな事をするために会いに来たのでは無い。
強張った顔と声の力を抜くために一回深呼吸を挟み、改めて私は美空に問いかけた。
「もしかして、まだ昔の事を気にしているのか?」
「うっ……」
ズバリ核心を突く問いに、美空はバツが悪そうに顔を下へ向けた。
……まったく。FOLTで再会した時に区切りが付いたと思ったのに、世話が焼ける。
「会った時に言っただろう。あの時はお互いがああするしかなかったんだ」
「……ごめん。分かってはいるんだけど、志麻達があそこまでSICK HACKを大きくしたと思うと、気が引けちゃって……」
消え入りそうな声でポツポツ喋る美空は、まるで昔のきくりを見ているみたいだった。
私達がSICK HACKを大きくしたなんて言うつもりは微塵も無い。
ただ、美空と一緒に創ったSICK HACKを守りたかっただけなのに、どうしてそんなに寂しい事を言うんだ。
「なら、もう今後は会うのを止めるか? きくりにも私からそう言っておくよ」
敢えて私は突き放すように言った。
もしかしたら本当に、今生の別れになるかもしれない。
だが、もし美空が私達の事を想い続けてくれているのなら。
「──それは、絶対に嫌!」
一瞬の沈黙の後、美空は眼に涙を湛えながら、身を乗り出して応えてくれた。
なりふり構わず思いの丈を吐き出してくれたその姿が、嬉しかった。
「私だって、同じだ」
嗚咽をあげる美空の手に自分の手を重ね、そっと握りしめる。
「美空、何回でも言うぞ。あの時は突然の事だったから、お互いがああする事しか出来なかったんだ。美空だけで全てを抱える必要なんか無いんだ」
「私もきくりも、美空との経験があったから今もバンドを続けられている。バンドを続けていたからイライザにも会えた。そして、あの時の別れがあったから美空に万が一が起きずに、今こうしてまた話が出来ているんだ」
「美空にとっては辛い出来事だったはずだ。無力だった自分が許せないのかもしれない。でも、だからといって全てを否定しようとしないでくれ。私は、美空との絆をこれからも大切にしたい」
美空の想いに応えようと、私もありのままの気持ちをさらけ出した。
……正直、面映ゆいがこれくらいはっきり言わないと今の美空には通じないだろうからな。そう、これは必要な事なんだ。
「さっきはすまなかった。意地悪な言い方だったな」
「ううん、ありがとう……」
意識してしまったら気恥ずかしくなってしまい、繋いでいた手をゆっくりと離した後に美空の目元を軽く拭ってあげた。
内心、美空が会うのを止める事を本当に望んだらどうしようかと思っていたが、結果オーライだ。そもそも、本当に私達と会うのを望んでいなかったら今日の誘いだって最初から断っていただろうしな。
「まったく、昔と比べて随分卑屈になったな。『志麻の家の蔵にある物売って活動資金にしようぜー』なんて言っていたお前は何処に行ったんだ?」
「い、今それ言う?」
「今だから、だ」
手間をかけさせた意趣返しと照れ隠しを込めて昔の話を持ち出す。
お互いが想いを吐き出したからなのか、少し前までとは違う晴れやかな──共に過ごしたあの日々を思い出させる、心地よい空気を今は感じた。
やがて美空の涙も収まり、今度は真っすぐに私の目を見ながら問いかけて来た。
「ねぇ、志麻」
「あぁ」
「色々と話、聞いていい? 私が居なくなった後の事とか、いっぱい」
「あぁ、もちろんだ。その代わり、私もお前が何をしていたのか聞かせてもらうぞ」
お互いにグラスを掲げ、打ち鳴らす。
澄んだ穏やかな音色を合図に、二人だけのセッションが始まった。
「東京を離れた後は何処に居たんだ?」
「北海道。父さんの実家がそっちでお爺ちゃんお婆ちゃんの所でお世話になりながら療養生活をしていたの」
「北海道か。流石にそっちは思い浮かばなかったし行くのも厳しいな」
「もしかして、探してくれたりしたの?」
「あぁ、少しでも手掛かりが無いかと思ってな。関東圏の行けるライブハウスを回りまくって、さながら刑事みたいな気分だったよ」
「その、ごめん……。本当に面倒かけちゃって……」
「謝らなくていいさ。おかげでその縁で遠征の時は拠点にさせてもらっているライブハウスもいくつか出来たからな」
「そんな簡単に出来るものなの?」
「ふふ、未確認ライオットからファンになってくれた店長さんが何人か居てな。事情を話したついでに『活動再開したらうちの店でライブ出演を検討してください』と言ってもらえたんだ。お前の音楽は、色んな人に届いていたんだよ」
「そう、なんだ。……すごい、嬉しい」
「私達だってそうさ。特にきくりの喜びようなんてな──」
「気になったんだけど、イライザってどうやって知り合ったの?」
「知り合ったと言うか、本当に突然だったな。たまたまFOLTにライブを観に来ていて、そこでメンバー募集のフライヤーを見て『頼モー!!』って道場破りみたいに押し入って来たんだ」
「なんという行動力……」
「日本に来たのもアニメが好きでアニソンバンドやりたいからとか言っていたな。だが、実力はあの通りだからイライザが入ってくれて本当に助かったよ」
「あはは、アニソンが世界を繋ぐのはどこも一緒か」
「美空も経験あるのか?」
「アメリカでも日本のアニメの認知度は高かったからね。向こうで組んだバンドで演奏した事もあるよ」
「なら、今度良さそうな曲を教えてくれないか? イライザがやりたがっているんだが、そっち方面は私もきくりも疎くてな」
「OK。私も最近のはそんな明るくないけど出来る範囲でね」
「助かる。あ、それと美空はコミマって知っているか?」
「もしかして、夏と冬にやってるやつ?」
「そう、それだ」
「参加した事はないけど、夏休みとかで一時帰国する時に向こうの友達に何か買って来てって頼まれた事あったわ。え、もしかして志麻が出るの?」
「私じゃなくて主催はイライザだ。今年の年末のに出る予定なんだが、どうもまだ作業が終わっていないらしくてな。美空、絵心あっただろ? すまんが手伝って欲しいんだ」
「随分急な話ね……。そもそも、仮に手伝うとしても私に何が出来るの?」
「イライザはアナログな手描き派だから、ベタ塗りとかを手伝ってもらうだけでもかなり助かるんだ。私はセリフの日本語チェックを手伝うから、お願いだ」
「うーん、分かった。けど、手伝える時間はかなり限られてるからね」
「十分だ、恩に着る」(よし、言質は取ったぞ)
楽しい時間はあっという間に過ぎ、時計を見るともう二時間近く経とうとしていた。
「あのさ、志麻」
「うん?」
そろそろ出ようかと提案しようとした所で、美空は遠慮がちに話しかけてきた。
「……きくりがお酒を飲むようになったのって、私が居なくなってからだよね……?」
「……あぁ、そうだな」
答えると、美空は申し訳なさそうな顔をして俯いてしまった。
別に美空は何時きくりが酒を飲み始めたのかを知りたかったわけじゃないのは分かっている。元々きくりは酒を飲まなかったし、そんな事は美空だって百も承知だ。
確認したかったのは何時ではなく何故であり、それは自分の犯した罪を確認するような一種の自傷行為にも見えた。
そして同時に、そこまで気に掛けるという事は、美空からきくりへの想いも途切れていないという事を私は感じた。
「美空が居なくなった事が酒を飲むきっかけになったのは事実だ。けれど、あいつの根底にあるのは常に美空が教えてくれた音楽の楽しさがあって、だから今もステージに立ち続けている。それは私も同じだ」
「その気持ちは嬉しいよ。でも、本当に……私がそれを受け入れていいのかなって」
「当たり前だろう」
「……ごめん。私、また卑屈になってた」
……ふぅ。どうやらかなり根が深い問題みたいだ。
こちらが気にしなくていいとは言っても、やはり美空からしたらそう簡単に水に流せる記憶ではないのだろう。
だが、こればかりは時間を掛けてでも、美空が自分で気持ちを整理するしかない。
せめて私に出来る事は、止まり木となってその手伝いをする事ぐらいだ。
「きくりの事を想っているのなら、あまりあいつに意地悪しないでやってくれ」
「べ、別に意地悪なんてしてないわよ。ただ、昔と比べてあまりにも変わり過ぎだし、どう接すればいいのか分からないのよ……」
「まぁ、昔のきくりを知っているほど戸惑うのは同意だ。だが、そこまで気に掛けるという事は、変わらずに友達として接したいんだろ?」
「……うん」
「なら、それで良いじゃないか。あいつの借金やらの方は私の方でも見張っておくから、せめて一緒に食事をするくらいはしてやってくれないか」
「……うん。頑張る」
まるで叱られた子供を諭すように、私は美空の頭を撫でながらゆっくりと話を続けた。
「志麻、今日は本当にありがとうね」
「礼は要らないさ。私も久しぶりに話せて楽しかったよ」
店を出て新宿まで一緒に行き、そこからはお互いの別れ道となる。
なのだが、依然として美空の顔にはどこか不安げな影を落としているように見えた。
「……美空」
「ひゃっ!? し、志麻!?」
そう言えば私も昔は自暴自棄になっていた時、美空に抱きしめられたなと思い出し行動に移していた。
「ど、どうしたの急に?」
「昔、美空が言っていた事だぞ。不安な時は誰かの体温を感じれば和らぐとな」
「……私、まだそんな顔してた?」
「こうした方が良いと思えるくらいにはな」
少しの間美空は戸惑っていたが、やがておずおずと私の背中に手を回してきた。
ほぅ、と安心したような吐息がくすぐたかったが、距離を置こうとせずに受け入れてくれた事が嬉しかった。
「何も遠慮する事は無い。また時間が合えば、今日みたいに過ごそう」
「うん。ありがとう」
……また次があれば、か。
美空とはそれすら叶わない時もあったが、今は違うという確かな事実が私の心を温かくしてくれた。
──そして願わくば、いつか、また……。
大人になっても続く学生時代からの友達って貴重よね、って話でした。
今回の話を書いていてやっぱり過去編も進めた方が解像度上がるかなと思ったので、志麻さん加入くらいまでは進めたいと思います。