青春トンネル~女子中学生になった一般社会人男性が元の体と世界に戻るためにアイドルをやる話~   作:Sfon

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始まり
目覚め


 一般社会人男性の十倉は、ゆっくりと目を覚ました。真っ暗な空間でフワフワと浮いていたところ、ぼんやりとした意識が徐々に輪郭を持ち、外界からの情報が少しずつ流れ込んでくる。

 

 まずは触覚。後頭部が枕を押しつぶしている感覚、背中やお尻、肢体がマットレスに支えられている感覚。

 

 続いて視覚。まぶた越しに太陽の暖かな光を感じ、視界が黒と赤の混じった色に染まる。『遮光カーテンを閉め切っていたはずなのに、どうして明るいんだろう』とぼんやり不思議に思う。

 

 そして聴覚。早朝なのだろうか、窓越しに小鳥が鳴いているのが聞こえてくる。窓から差し込む朝日の眩しさに目を開けることができないまま、意識がどんどん覚醒していく。

 

(カーテン、閉め忘れたのか。まだ寝てたいのに……。今、何時だ……?)

 

 時刻を確認しようとして、ベッドの枕元に置いていたはずのスマホを手探りで見つけようとするが、なかなか見つからない。ベッドの下に落としてしまったのだろうと、ため息を吐く。最近は妙に寝相が悪くて困る。

 

 まだ目覚ましのアラームは鳴っていないが、二度寝する気分にならないくらいには眠気が覚めてしまったし、しょうがなく体を起こした。あたりの眩しさのあまり、まだまともにまぶたを開けておらず、一旦ベッドの上で四つん這いになってから、ゆっくりとマットレスの上に座る。

 

(なんか、妙に頭が重いな……。風邪でも引いたか?)

 

 両手を天井に向かってグッと伸ばすと、自然と声が漏れる。妙に高く、まるで少女のような声。寝ている間に声の出し方を忘れてしまったのだろうか。一方で、長い間凝り固まっていた首筋や肩は妙に軽く、社会人になってからでは一番体の調子が良いと断言できるほど。まるで、子供のころに戻ったかのようだった。

 

 しかし、変な姿勢で熟睡してしまったのだろうか、体の節々に違和感があり、どうにも落ち着かない。手を握りしめても妙に力が入らなくて心もとないし、背中を反らすと胸元が張って服に押さえつけられる。首を回すと頭や耳元、頬にくすぐったい感触がした。頭に手をやって髪を撫でてみれば、まるで絹のように滑らかな手触りのものが肩を過ぎても続いている。

 

(俺、こんなに髪、長かったっけ……?)

 

 まだ意識が覚醒しきっておらず、十倉はその異常さに気付かなかった。ただ、何か不思議なことが起きている気がする、ぼんやりとした違和感がずっと体にまとわりついていた。

 

 しかし、やがて辺りの明るさにも慣れ、ゆっくりとまぶたを開くと、それは明確なものとなって視界の中に表れた。十倉の目の前にあったのは、透き通るような白い肌をした自分の手と腕だった。そして、その視界は裸眼なのにもかかわらず、まるで画面の中の世界のようにくっきりとした輪郭を持っている。幼いころに目を悪くしてからずっと眼鏡生活だった十倉にとって、それは明らかにおかしな出来事だった。

 

「……えっ?」

 

 思わず口に出たそのセリフは、幼い少女の声がした。反射的に喉へ手を当てれば、そこにあったはずの喉仏はどこかに消え去っており、柔らかい感触が指先に伝わってくる。

 

 たまらず自分の体を見下ろすと、寝る前に着ていたはずのスウェットではなく、身に覚えのない、半袖短パンの、淡いブルーのパジャマが体を包んでいた。パジャマからは絹のように滑らかな肌の四肢が伸びており、それらの肌にはシミやシワ、体毛など余計なものが一つも見当たらないし、関節も節くれだっていない。

 

(な、なんだ、これ。まだ夢の中なのか?)

 

 夢にしては、五感に伝わる感覚があまりにもリアルだった。

 十倉は直感する。『これは、現実に起きていることだ』と。

 

 すぐに飲み込めない超常的な現象を寝起きの頭に叩き込まれて、思考がまとまらない。ただ、何か考えないといけないという気持ちだけが先走って、心臓がうるさいほどに拍動し、呼吸が荒くなっていく。

 

 手を胸元に当てようとして、止まる。きれいな形をした爪と、細くきれいな曲線を描いている指が視界の中で震えている。何となく、そこを確認してはいけない気がする。

 

 体に対して少し大きめのサイズのパジャマの上からは、体の輪郭は見て取れない。見なければ、まだ確定しない。パジャマの下に着ているだろう、下着が胸元を軽く締め付ける感覚は、気のせいかもしれない。

 

 しかし、その手は意に反して、胸元に着地した。パジャマと胸元の間にあった空間が潰れ、胸の輪郭が露わになった。それは目立たないながらも確かに膨らんでおり、指の腹で軽く押してみると、柔らかく沈みこんだ。

 

 手のひらで全体を包み込み、下から持ち上げてみれば、胸板の上に脂肪が乗っかっているのが良く分かった。そのまま両手をおなかに下ろせば、服の下に隠れているきゅっと引き締まった腰のラインが手に伝わる。

 

(これ、女の体、なのか)

 

 思わず、生唾を飲み込む。じんわりと下腹部が熱くなっていく。荒い吐息が色気を孕む。指先が股間に伸びる。あったはずの突起物は見つからず、そのまま足の間に手が吸い込まれていく。マットレスまで到達するまでの間、指先にはずっと柔らかい体の感触だけが伝わった。

 

(無くなってる。男じゃ、なくなってる)

 

――◇――

 

 あたりを見渡すと、そこは十倉が知っている自室の風景とかけ離れていた。新卒入社と同時に住み始めたワンルームマンションの一室ではなく、もっと大きな家の一室に違いない。

 

 カーテンの開いた窓の外には電柱の先が見え、下を見下ろせばこの家の庭が見える。どうやら一軒家のようだ。室内に視線を向ければ、勉強机やラグ、ローテーブルといった家具が並んでいる。どれもシンプルなデザインで、明るい色調が垢ぬけていた。

 

 そうして室内をぐるりと見渡していると、部屋の片隅に大きな姿見を見つけた。十倉は飛び跳ねるようにしてベッドから降り、鏡の前に立った。

 

 そこには、艶のある長い黒髪を腰元まで伸ばし、透き通るような蒼い目をした、中学生くらいの小柄な女の子が立っていた。

 

「これが……俺……?」

 

 思わず、息を飲んだ。鏡の中の女の子があまりにも可愛らしくて、胸が締め付けられるようだった。十倉の恋愛対象からは外れているはずの幼さなのに、まるで彫刻のような完成度の見た目に視線が奪われる。意識が吸い込まれる。酸欠になった時のように視界が狭まって良き、平衡感覚を失い、その場にへたり込んだ。その衝撃で、十倉は正気を取り戻した。

 

「俺、女の子になって……これ、どうすれば……」

 

 今まで生きてきた中で、女の子になった時にどうすればいいかなんて学んできていない。十倉はまるでまとまる気配のない思考をやみくもに巡らせて、深い霧の中から一筋、行動指針を何とかたぐり寄せた。

 

(とりあえず現状把握。早く元の体に戻って、仕事に行かないと。……そうだ、今の時間は?)

 

 十倉が部屋をぐるりと見渡すと、机の上にスマートフォンが置かれているのを見つけた。

 

 駆け寄ってスマホを手に取ると、その大きさのあまりに落としてしまいそうになる。成人男性の手で扱う感覚のまま、子供の手で扱うのには無理があった。スマホを覗き込むと、画面のスリープ状態が解除され、真っ白な壁紙の上に日付と時刻が表示される。四月七日の月曜日、午前八時ちょうど。十倉は自分の記憶にある最後の日付を思い出し、眉をひそめた。

 

(確か三月の上旬だったはず。なんで一か月も間が空いているんだ? ……いや、そもそも、俺ってついこないだまで何をしてたっけ……?)

 

 最近の記憶がどうにもぼやけていて、はっきりとした日付を思い出せない。それどころか、最後に何をしていたのか――寝る直前だったのか、仕事をしていたのか、それとももっと他のことをしていたのかすら思い出せない。

 

(なんだ、この感覚。確かに記憶はあるはずなのに、まるで記憶へのアクセス権を奪われたような。もしかして、眠っている間に誰かに襲われて、体を誰か知らない人のものと入れ替えられて、そのせいで記憶があやふやになってるとか、そういうことだったりするのか?)

 

 そんなことができるとは到底思えなかったが、もしかしたら世界のどこかで脳そのものを移植する手法が開発され、自分がその被験者になったのかもしれないと考えると、否定はできなかった。現に、自分の体が全く知らない異性のものになっているのだから。

 

(とりあえず、まずは周囲の安全を確保して、それから状況をつかまないと)

 

 十倉は部屋の中を見て回って武器になりそうなものを探したが、使えそうなものはまるで見つからない。それどころか、刃物を防げそうな厚めの本すら見当たらなかった。

 

 この部屋はまるでモデルルームのようで、パッと目の付くところにあるのは、ローテーブルやベッド、勉強机、本棚といった家具と、衣文かけに吊られたセーラー服、大して中身の入っていないスクールバッグくらいだった。本も雑貨もなく、生活感はまるでない。その一方でクローゼットの中には女の子の服が沢山並んでおり、そこだけが異質だった。

 

 しょうがなく、十倉は冬物の厚手のコートを着てできる限り身を守ると、部屋のドアを慎重に開けた。

 

――◇――

 

 部屋の外には廊下が伸びており、部屋を出てほぼ正面に扉が二つ並んでいた。どうやら片方はトイレのようで、そのすぐ奥には下りの階段がある。正面の扉の内、トイレではない方のドアの前で部屋の中に耳をすませば、物音ひとつしない。ゆっくりとドアノブをひねって静かに扉を開けると、中は文字通り何もない六畳くらいの空き部屋だった。がらんとしていて、どこか寂しい感じがした。

 

 しかしその壁は異質で、思わず目を見開いた。入って左手の壁には、今の十倉の腰の高さを中心とした、半径一メートル弱の円形の模様が描かれている。

 

 その模様は大量の小さな文字で構成されているが、十倉が見たことのある文字ではなかった。そしてその最下点には、なにかを嵌め込むような、こぶし大のくぼみがある。円盤形のくぼみの中に、星形を少し崩したような形の、溝状のくぼみが刻まれていた。

 

 その円形の模様を見た時、立ち眩みのような感覚。視界が暗転し、同時に、なぜか今まで頭から抜けていた、目を覚ます直前の記憶を思い出した。

 

 あれは十倉がいつも通りに起床し、身支度を済ませ、出勤しようとしたときのこと。玄関ドアが開かず、窓も開かず、壊すことすらできなくて、完全に閉じ込められたのだ。携帯電話は電波がつながらず、パソコンもなぜかネットワークに接続できなかった。

 

 物理的にも情報的にも隔離されて途方に暮れた十倉が見つけたのは、浴室の壁に開いた大穴だった。十倉の腰の高さを中心にした、半径一メートル弱を描く大きな穴。建物のつくりからして、壁の厚さはせいぜい数十センチで、その奥は隣の部屋のはずなのに、その穴はまるでトンネルのようにずっと奥まで続いていて、明らかに物理法則を無視していた。

 

 十倉は何とかして部屋から出る方法を探したが結局見つからず、最後の手段でそのトンネルの中へと進み入ったのだ。それが、十倉が男の体だった最後の記憶で、次の瞬間には今の十倉が居る、見知らぬ家の一室で寝ていた。

 

 これで体が変化していなければ誘拐事件に巻き込まれたと無理やり納得することもできたが、そこに体の性別と年齢が変化したという超常現象が組み合わさっているのであれば、もはや考えるだけ無駄に思える。

 

(なんで今まで思い出せなかったんだ。どう考えても、トンネルに入ったことが、この状況に巻き込まれた直接的な原因だろ。……それはそれとして、これがゲームの中の世界だったら、このくぼみにキーアイテムを嵌め込んで、トンネル開通って感じだろうけど)

 

 それはどこかで見たことのあるような、ありふれたギミック。常識的に考えれば現実にそんなものがあるなんて思えないが、自分の体が大きく変わった十倉にとっては、決して一蹴できない考えだ。もしもキーアイテムが目の前に現れた時には、必ず持ち帰る必要があるだろう。何が起きても不思議ではないと気を引き締めて、その模様を頭に叩き込んだ。

 

――◇――

 

 十倉は空き部屋から出て静かにドアを閉め、足音をできるだけ消して階段を下った。もしかしたら、家の中を敵対的な何かが徘徊しているかもしれない。

 

 心臓がうるさく跳ねまわるのを押さえつけながら一つ階を下ると、さらに下への階段と、扉が四つ。それぞれを開けてみれば、今度は完全な空き部屋が二つとトイレ、そして浴室だった。

 

 更に階段を下ると、目の前には玄関があった。どうやらここが一階のようだ。

 

 廊下を眺めれば、トイレに違いないドアが一つと、階段下の収納と思われるドアが一つ、そしてその他にドアが二つあった。トイレは至って普通の綺麗なもので、階段下の収納には何も入っていない。残りのドアはそれぞれリビングとキッチンにつながっており、その二か所はそれなりに物が整っていた。

 

 リビングにはソファーとラグ、テレビがあり、キッチンには各種調理器具が揃っている。しかし食器は二人分しかなく、やはり家の大きさと物の量が釣り合っていなかった。

 

 ひとまず家の中に自分以外誰も居ないと確認した十倉は、少しだけ緊張を緩めて、自分の部屋に戻った。なにか情報があるとすれば、一番可能性が高いのはあの部屋だろうと見当がついたからだ。

 

 部屋に戻ってまず見たのはスクールバッグで、その中には見慣れない財布や家の鍵、上履き、学生手帳、シンプルな筆箱、クリアファイルが入っていた。学生手帳には、可愛らしい女の子である、今の十倉の顔写真が貼られており、『十倉燈』という氏名がともに記載されていた。発行したのは私立高倉中学校、住所は十倉の住んでいた町のものだ。

 

(俺と同じ苗字か。偶然って言うには、出来過ぎな感じもするな)

 

 それほど一般的ではない苗字がたまたま付けられるとは考えにくく、十倉をこの状況に放り込んだ何者かによって、意図的に付けられたと考えるのが比較的自然だろうと、十倉は結論付けた。

 

 学生手帳の中身はいたって平凡で、特にこれといって情報は得られなかった。続いて確認したのはクリアファイルで、中にはプリントが数枚入っていた。その中の一枚は入学式の案内で、場所はもちろん私立高倉中学校、開催の日付は四月七日の月曜日、集合時間は朝の八時三十分。

 

 十倉は思わず息を飲み、続いてスマホで今日の日付を改めて確認した。今日は四月七日の月曜日、現在時刻は八時十五分。中学校までの道順を地図アプリで検索すれば、徒歩十分ほど。つまるところ、遅刻寸前である。

 

(もし学校に行くんだとしたら、急いで着替えて出かけないと)

 

 見知らぬ体になって間もないのに、見知らぬ学校に登校するなんて踏ん切りはすぐにつかず、一分ほどが経とうとしていた。

 

 状況証拠からすれば、今の十倉が高倉中学校の生徒であり、今年の新入生であることは間違いない。しかしだからといって、中学校に登校しようなんて、すぐに決心できなかったのだ。十倉は自分のことを成人男性だと思っているし、中学校なんてもう縁のない場所だと思っていたのだから。

 

(とはいえ、もし今後通う必要があるのだとすれば、初日から遅刻するのは流石にマズい……。どうする? 行くのか、行かないのか――)

 

 ゆっくり考えている時間はない。迷っている間にも刻一刻と時間は過ぎている。それが十倉を焦らせ、思考のキレを鈍らせる。呼吸が荒く、心臓がうるさくなる。

 

 肩で息をしながら視界をふらふらと彷徨(さまよ)わせ、ついに集中力が切れて、諦めがついた。こんな訳の分からない状況で失敗したってしょうがない。やらない後悔よりやる後悔、できそうなことがあるなら、思い切って流れに身を任せようと決心した。

 

 元々男だったのに女の子の下着姿を見るのは恥ずかしいとか、他人の体である可能性もあるのに好き勝手着替えてもいいのかとか、そんなことを言っている余裕は無い。

 

 十倉は着ていたコートとパジャマを脱ぎ、下着はそのままに制服へ着替えた。部屋のハンガーに掛かっていたのは、女子生徒の制服としておなじみのセーラー服。それ以外に選択肢は無い。

 

 パジャマのボタンが普段と逆向きだったり、セーラー服の着方が分からなかったりと苦戦したものの、このご時世であればスマホで検索することでなんとか乗り越えられた。初めてのスカートはひざ上丈で心もとなかったが、そんなこと気にしている場合ではない。

 

 準備を済ませた十倉は、持ち物が全て揃っていることを確認して、高倉中学校へと向かった。現在時刻は八時二十分をまわったところ、普通に歩いていては遅刻が確定している。ローファーを履いて飛ぶように玄関から出て鍵をかけると、中学校に向かって全力で走り出した。




下記サイトにて現在執筆中の2話以降を公開しています(メンバー限定、現在3話まで公開中)。ある程度物語の区切りがつくところまで執筆完了しましたら、各種小説投稿サイトに公開していきます。どうぞお楽しみに。投稿開始は年明けごろの見込みです。活動の支えとなりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

■Fantia
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■FANBOX
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