青春トンネル~女子中学生になった一般社会人男性が元の体と世界に戻るためにアイドルをやる話~ 作:Sfon
星の彼方プロモーションの事務所は、吉祥寺の中心街から大通りを一本離れたところにある雑居ビルに入っている。ビルの入り口から中に入ると、ひんやりした空気の中で、御影石の床をローファーで歩くコツコツとした足音が響いた。昨日三峰に『今のお前は女の子なんだから身の振り方には気をつけろ』と突き付けられたせいで、一人で知らない場所に向かうのが随分と心細く、緊張で鼓動も加速する。
エレベーターで三階に向かい、ドアが開くと、受付に通じる電話が廊下に置いてあった。受話器を取って名乗ると、数分もかからないうちに受付の女性職員が出迎えてくれた。タイトスカートのスーツを着た大人の女性で、十倉より頭一つは背が高い。仕事スマイルを浮かべた彼女は、十倉に軽く一礼すると、奥へ案内した。
「こんにちは、お越しいただきありがとうございます。こちらへどうぞ」
歴代のアイドルと思われる写真の並んだエントランスを抜け、応接間に通された十倉。一対のソファーと、その間にローテーブル、壁際には何かしらの表彰を受けた盾やアイドルたちの写真が飾られている。ソファーに座ってしばらく待つと、三十台と思われる、若々しさと落ち着きの両立したビジネスマンが入ってきた。十倉は反射的に立ち上がって迎える。
「初めまして。プロデューサーの立華と申します。この度は弊社のスカウトを受けていただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます。十倉燈です、よろしくお願いします」
立華は大人の男性だけあって十倉より頭二つは背が高く、完全に見下ろされる形になっている状況に、十倉は思わず身構えた。散々昨日三峰に脅されたせいで、他人への警戒心が必要以上に高まっているのだ。周りを見渡せば十倉自身と立華以外には誰もおらず、ここで立華に襲われたらひとたまりもないなと、立華の一挙手一投足に注視することを決めた。簡単に挨拶を済ませ、テーブルを挟んで向かい合って座ると、立華がいくつかの書類を差し出した。
「本日は、弊事務所に入っていただく際の条件や、お仕事内容について、また待遇についてご説明させていただきます。保護者の方は本日いらっしゃらないとお聴きしていますので、保護者の方へのご説明は書類をもって行わせていただきます」
説明された内容は、これといって変わったものが無かった。未成年は深夜に働けないこと、業務で知った情報を漏らしてはいけないこと、給与は基本給とこなした仕事に応じた歩合制であること、そして肝心の仕事内容など。契約書類は保護者の同意を必要とするため、一旦持ち帰り、後日改めて提出するそうだ。
(一応、変なところがないか弁護士の人に見てもらったほうが良いのかな。契約内容が公正かどうかなんて正直分からないし、プロに投げたほうが早い気がする)
今まではあまりきちんと気にしてこなかった雇用契約書も、立場が弱くなった今の十倉が改めて見れば、相応の重さを感じた。自分を守ってくれるのは自分自身の身だと意識すれば、一切の手は抜けず、唇をギュッと結んだ。
説明を受け終わり、最後に社内見学をさせてもらえることになった。立華と共に会議室を出て向かった先は一つ上のフロア。オフィスのフロアとアイドルたちがレッスンを受けたり仕事をしたりするフロアで分かれているという。エレベーターに二人で乗るだけでも緊張するのは流石に意識しすぎだろうかと十倉は悩んだが、責任はあれだけ脅してきた三峰にあるのだと責任転嫁して、足りないよりはいいだろうと開き直った。
エレベーターを降り、立華がカード式の電子錠がかけられた扉を開くと、その奥にはまっすぐな廊下が続いており、両サイドには防音の扉が並んでいる。ダンスレッスンのための大き目なスタジオや、ボーカルレッスンのための少し小ぶりな部屋らしい。一番奥には写真撮影を行うフォトスタジオがあるそうで、簡単な仕事なら事務所内で行えるらしい。
立華はフォトスタジオまで見せるつもりなのだろう、十倉と立華が廊下を奥まで進んでいると、その途中でダンスレッスンをしている部屋の中に見知った人影を見つけた。神野だ。真剣に練習している彼女は十倉に気付く様子がない。足を止めるわけにもいかず、見えたのはほんの一瞬だったが、動きやすい服装に着替え、真剣な表情でレッスンを受けている彼女は、一種のアスリートのように見えた。
一通りフロアを見て回った十倉は事務所を後にして、後見人になっている例の法人の建物へ向かった。前回はオフィスに誰もいなかったが、今回も同じく誰もいない。ただ、夕方に差し掛かって部屋が暗くなったからだろう、照明はついていた。
(誰もいないけれど、このポストに書類を入れると仕事はしてくれるんだから良く分からないよなぁ)
オーディションの同意書の時と同じように、契約の保護者同意書が必要な旨を添え、ついでに法的に問題があるかチェックもして欲しいと添えて書類をポストに入れる。どこまでやってくれるかは分からないが、神野のことを考えればどっちみち事務所に入るしかないのだ。たとえ契約内容が怪しくても、それが事務所に入ることを辞める理由にはならない。
(それに、俺は一度社会を経験しているんだから、多少ハードな仕事になってもきっと耐えられるだろ。もし本当にキツかったら学校を辞めればいいし。心配する親も知り合いもいないんだから)
改めて自分の境遇を見つめると心が痛くなるが、自分でどうにかできるものでも無い。こんな時、すぐそばで支えてくれる人がいたらなんて考えてしまうけれど、『大人が弱音を吐いてどうする』と自分を奮い立たせた。
翌日、朝起きてポストを確認すると、例の法人から書類が届いていた。芸能事務所との契約書類だ。二度目ながら、契約内容について法的なチェックをした旨も添えられており、やはりどういう仕組みなのかは全く分からないが、困らないのであれば一旦いいか、と十倉は深く気にしないことにした。
今日もいつも通りに朝ごはんを食べ、着替え、鏡を眺めて自分の容姿を目に焼き付けてから学校へ向かった。教室に入ってすぐに予鈴が鳴ったくらいにはギリギリの到着だったが、その原因が自分の容姿があまりに良いからか、じっくり見すぎたせいだなんて、とても人には言えなかった。
放課後、学校が終わるとすぐに事務所に向かった。受付経由で立華に来たことを連絡すると、すぐに出迎えてくれる。
「こんにちは。今日はどういったご用件ですか?」
「えっと……これ、渡しに来ました」
十倉が立華に渡したのは、昨日立華が十倉に渡した茶封筒。立華が受け取って中身を出せば、それは保護者の署名が入った同意書と契約書類だった。あまりに早い話の進み方に、目を微かに見開いた立華だったが、すぐに気を取り直して十倉に向きなおる。
「つまり、弊事務所と契約していただける、ということで間違いないですね?」
「えっと、はい、よろしくお願いします」
立華の確認に、十倉は綺麗なお辞儀を返した。立華は書類を封筒に戻すと、改めて十倉に向き合う。
「こちらこそよろしくお願いします。十倉さんが弊事務所に入っていただけて、とても嬉しく思っていますよ」
「これからどうするとかあるんですか? 面接とか、試験的なものとか」
「しばらくは契約の準備や各種レッスンの先生との調整があるので、これと言って動きはありません。本格的には来週から活動してもらうことになります。試験の類は、スカウトなのでスキップしています。高校生アイドルのスカウトなら確かに色々試験をしているのですが、中学生のスカウトの場合は、レッスンでカバーできることがたくさんあるので、基本的にはビジュアル重視になっているんです」
入り口でいつまでも話しているわけにもいかないので、立華はオフィスの中、丸テーブルと椅子がいくつか並べてある休憩スペースに案内した。そこでしばらく十倉を待たせ、立華はオフィスの奥へと消えていく。数分も経たないうちに戻ってきて、十倉に新しい書類をいくつか手渡した。
「さて、十倉さんにはまず、これを埋めてもらいます。このあと時間があるなら、ここで書いてしまってもらえると助かるんですが。どうですか?」
「時間なら大丈夫です。これは……自己紹介カードみたいなものですかね?」
「営業に使うプロフィールシートです。あまり気負わずに埋めてもらえれば大丈夫です」
渡された紙には、生年月日や出身地、ニックネームといった定番の項目から、希望するペンライトのカラーといったアイドルならではのものまで、多種多様な項目が上がっている。
立華は十倉にプロフィールを埋めてもらっている間にどこかへ連絡をし始めた。十倉が書き終わったころにはそれも終わり、プロフィールシートを受け取って中身を確認すると、十倉をどこかへ連れていく。
「ちょうどこの後時間があるそうなので、社長に挨拶しに行きましょうか」
「えっ、こんな急にですか?」
十倉にとって社長と言えば、大き目な社内イベントくらいでしか会う機会のない存在だった。しかし話を聞けば、この事務所は規模がさほど大きくないこともあり、社長と社員の交流が盛んなんだとか。それならば、確かに新しい社員のお目通しをしてもおかしくないだろう。
「十倉さんからすれば、話があまりにもとんとん拍子だと不思議に思うかもしれませんが、その一端に社長の意向があるんです。色々理由はあるのですが、そのあたりは社長から直接聞いていただければと」
「は、はあ」
到着したのは、フロアの一角にある個室の前。立華から目くばせを受けた十倉が頷くと、立華がドアをノックする。すぐに中から返事が返ってきて、その声は思ったよりもずっと若い男のものだった。精々が四十代だろうか。立華がドアを押し開いた向こうには、重厚なテーブルの奥で豪奢な椅子に腰かける男がいた。短髪をワックスでセットして、オーダースーツを着ている。それなりに経験を積み、落ち着きを纏っている男だ。顔には浅いしわがいくつか浮かんでいるが、まだまだ現役真っただ中だろう。
「こんにちは、社長の島郷だ。これからよろしく」
そして、その横には、十倉のクラスメイトにして、元の世界に戻る鍵と思われる人物、神野柚奈が立っていた。彼女は何も言わず、十倉のことをじっと見つめて立っている。その表情は、まるで十倉のことを品定めしているようだった。十倉はまさかこの場に神野がいるとは思わず、肩をびくりと震わせて動揺を態度に出してしまう。それを挽回しようとして堂々と挨拶をかわそうとしたが、かえって力が入ってしまったようにも思えた。
「よろしくお願いします」
「知っていると思うけれど、彼女はうちの事務所のアイドルの神野柚奈。今回十倉さんをスカウトしたのは、狙いがあってね。簡単に言うならば、彼女の相方になって欲しいんだよ」
「相方、ですか」
十倉は神野に視線を向けたが、神野は元々聞かされていたのだろう、特に目立った反応は返していない。ただ、十倉が社長室に入ってからずっと、値踏みをするような視線を向け続けていた。それは十倉が纏っている女子中学生の外身をはぎ取って、中身を露わにしようとしているように思えた。
「そう。いままで神野は一人で活動してきたけれど、彼女を引き立てるような相方が居ればもっと輝けると思っているんだ。ただ、残念ながらうちには今、神野と相性のいいアイドルが居なくてね。新しく採用することにしたわけだ。十倉さんの見た目は神野と対になるようだし、雰囲気の相性も悪くない。きっとお互いに引き立て合ってくれると思っているよ」
そこまで言うと、島郷は神野に挨拶をするよう促した。
「十倉さん、これからよろしく。劇団とか、何かしら人前に立った経験はあるのかしら」
その声色は、挨拶というよりも試問されているように聞こえた。神野が十倉を拒否すれば、全ての話が泡となって消えるかもしれない。十倉はあくまで嘘をつかないように気をつけながら、できるだけのアピールをした。
「まぁ、全く無いわけでは無いです。数百人とか、そういう規模のは無いですけど、小さな会場くらいだったら」
「そう。私はこれまで千人規模のライブを何度もやってきてるわ。すぐにとは言わないけれど、私と同じステージに立てるよう、努力することね」
「はい、全力で頑張ります」
発破をかけられているようにも受け取れる言葉に、十倉は神野への印象を改めた。神野がアイドルになった経緯を勝手に想像して、嫌々ながらも仕方なくアイドル事務所に入り、お金を稼いでいるのかもしれないと色眼鏡で見ていた。目の前の神野には、アイドルとしてのプライドがはっきりと表れていた。