青春トンネル~女子中学生になった一般社会人男性が元の体と世界に戻るためにアイドルをやる話~ 作:Sfon
十倉がトイレから教室に帰ってくると、ちょうど予鈴が鳴った。女子トイレの個室に縛り付けられていた時間が思いのほか長かったらしい。
(女子のトイレが長い理由が分かった。確かに学校の中では、トイレくらいしか周りを気にせずに話せる場所がないもんな。あんな会話、男子に聞かせるわけにはいかないだろうし)
女子は外面が大事な生き物なのだろう。異性がいる場ではかなり気を配っていたのが、トイレの一件で分かった。周りに男子がいない環境だと、歯に衣着せない発言が次から次へと飛び出していたのを、一通りしっかり聞いてしまったのだ。
十倉が自分の席に戻って少しすると本鈴が鳴り、担任の光藤が教室へ入ってくる。授業で使うのだろう、光藤がプリントを最前列に配り、生徒たちが後ろに回すのも、十倉にとってはなんだか懐かしい光景だった。
「じゃあ、この後自己紹介するから、まずはプリントに自己紹介を書いてくれ。あとで後ろに並べて貼るから、あんまふざけすぎるなよ」
教室の片隅からは男子生徒同士がふざけ合う笑い声。隣に座る例の少女の様子を覗き見れば、悩むこともなく上から順に空欄を埋めていた。配られたプリントを見れば、それは自己紹介カードのようなもので、名前や出身校、好きなものなど、ありふれた記入欄が並んでいる。
神野が悩まず書いているように、十倉にとっても、それらの空欄はサラサラと埋められるはずのものだった。大人になるまで生きていれば、自己紹介をする機会なんて何度も経験しているから、何を書くかなんて自然と決まっていくものだ。しかし、今の十倉にとってはそう簡単にいかない。全て正直に書いたらあまりにもおっさん臭いこと間違いないのだ。とはいえ、今時の中学生に人気の曲や有名人なんて分からない。
(かと言って、ここで適当なことを書いて、女子グループから嫌われたら今後が大変だろうしなぁ……)
女社会は厳しいと聞く。幼稚園から派閥争いが生まれるらしいのだから、中学生にもなれば大人の人間関係と変わらないだろう。いわゆるスクールカーストが男子よりもハッキリとしていて、いじめも陰湿で巧妙で対処に困るイメージが十倉にはあった。
しかし、いくら考えたところで書くべき答えは思いつかない。スマホで調べれば最近の流行なんてすぐに分かることだが、中学校の授業中にそれが許されるとも思えないし、上手く隠れてスマホを使う方法も思いつかなかった。結局、中学生がどうとかを考える必要のない、幅広い年代で人気のある答えで回答欄を無難に埋めて、時間が過ぎるのを待った。
しばらくして、いよいよ自己紹介が始まった。窓際先頭の生徒から順に、さっき書いたプリントの内容を元にしながら自己紹介をしていくと、十倉の順番はあっという間にやってくる。立ち上がって教室の中央に向けば、目の前には例の少女が座っており、興味なさげな表情ではあるものの、その視線はしっかりと十倉に向けられていた。そして、十倉に視線を向けているのは彼女だけではない。クラス中ほぼ全員が十倉に注目している。
(うわ、なんでこんなに注目されてるんだ。やっぱり、朝ギリギリに来たから印象に残ってるのか?)
実際のところは、十倉の見た目が飛びぬけて良いせいなのだが、そんなこと十倉自身が気付けるわけもなかった。今までの人生をしがない少年Cとして過ごしてきた彼にとって、自分の見た目が人にポジティブな印象を与えるなんて考えは、頭の片隅にすらなかったのだ。鏡を見た直後などで、今の自分は可愛い女の子だと強く自覚していればまた話は違っただろうが、視線を向けられて緊張している十倉は自分の容姿を思い出す余裕もない。そうして十倉は不安になりながら、無難に自己紹介を済ませた。
(自分の喉から可愛い声が出るの、マジで違和感がすごいな。音楽の授業とか、まともに歌えなそうだ)
拍手を浴びながら席に座り、前に垂れてきた髪を背中へと流す。それからはまたクラスメイトの自己紹介を聞き、可能な範囲で、せめて名前くらいはと記憶に留めていった。するといつしか例の少女の自己紹介の番まで進んでおり、流石に彼女の話はしっかり聞いておこうと顔を上げる。すると、十倉の視線に気づいた彼女は、十倉を一瞥してからクラスの中央を向いて立った。クールな表情ながら、ちゃんと聴いておけと釘を刺したようだった。
「神野柚奈です。湯沢小。よろしくお願いします」
あまりにも簡素な自己紹介。好きなものも趣味も何一つなく、そのあまりの速さに、彼女が座った後も次の生徒がなかなか立ち上がらなかったほど。中学校に進級して新しい学校生活をこれから歩んでいくというのに、クラスメイトと仲良くしようとする姿勢が全く見えない。人を遠ざけているというほどではないが、近づきもしない、まるで猫みたいだと十倉は感じた。
授業が終わり、放課後。小学生のころから親しかったのだろう、クラスメイトの半数くらいはあちこちで集まって談笑し、残りの生徒のいくらかは神野の周りに集まって、勇敢にも彼女へ話しかけていた。意外なことに神野はちょっかいをかけてくる男子にも、仲良くなろうとしている女子にも、ツレない表情ながらそれなりに丁寧な受け答えをしていた。
(てっきり『話しかけないで』とか言うのかと思ったけど、全然そんなことないじゃん。じゃあ、なんであんな自己紹介の仕方をしたんだよ。もっと愛想よくした方が、今後も過ごしやすいだろうに)
しかし、それは神野が帰る準備を済ませるまでのこと。鞄に荷物を詰め込み終わった神野は、鞄をつかんで席を立ち、つかつかと教室を出ていった。その足取りはクラスメイトから声を掛けられても衰えず、十倉は少し悩んでから、神野を追いかけることにした。
(これ、ストーカーだって言われたら言い逃れできないよな)
自認はいまだに一般社会人男性である十倉は、やはり犯罪をしているような、後ろめたい気分になった。とはいえ、彼女が十倉にとって重要な意味を持っていることは明白なのだ。彼女について良く知ることは、きっと役に立つに違いないと十倉は考えた。十倉は神野を見失わない程度に距離を開けて、彼女に気付かれないようについて行った。十倉に声を掛けたり、呼び止めたりする生徒はいなかった。
神野が向かったのは、街の中心街から大通りを一本離れたところにある雑居ビルだった。中学生が放課後に向かう先としては珍しく、十倉が訝しげに神野を眺めていると、神野は慣れた足取りでその中へと入っていく。どのテナントに用があるのか気になるが、流石に建物の中に無断で入ってはトラブルが発生しかねないと、十倉はそこで追跡を諦めた。
(何の用があってこんなところに入ったんだ? こんなビルに入ってる会社で、中学生が行くような場所なんて……)
気になって雑居ビルのテナントを眺めると、たった一つだけ、神野が関わって良そうな会社があった。『星の彼方プロモーション』という名の芸能事務所だ。確かに神野くらい見た目の良い女の子なら、芸能活動をしていたっておかしくない、と十倉は妙に納得した。
十倉はネットで事務所について調べようとして、スマートフォンを取り出そうとした。いつもならズボンのポケットに入れているのだが、クセで太ももに這わせた手はスカートのひだをなぞるだけで終わる。そこで十倉は自分の服装を思い出し、少しだけ動揺した。神野を尾行するのに必死で、今の自分の容姿と服装が頭の中からすっぽり抜けていたのだ。
(そういえば、スカートを穿いてるんだった。これ、ポケット付いてないのか?)
実際には一つ付いているのだが、女子の制服についてまるで知らず、朝着替えるときも慌てていた十倉は気づいていない。そしてポケットがどうこうなんてことはすぐにどうでもよくなって、それよりもスカートを穿いていること自体が胸をトクトクと揺らした。
(こんな、無防備な服を外で穿くなんて、世の中の女性はよく耐えられるな。スカートなんて、下着を晒してるのと変わらないじゃないか。覗き込まれたらすぐに見えちゃうし、この丈だったら電車の席に座ってるだけでも、向かいの席から見えちゃうんじゃ。それこそ、階段なんて登れるのか?)
実際に見えるかどうかなんて十倉には分からない。少しずつ短くしていって感覚をつかむような経験もなく、いきなり膝上丈のスカートを穿かされている十倉は、明らかに動きがぎこちなくなった。周囲からの視線が気になってしかたがない。待ちゆく人はサラリーマンも多く、十倉よりもずっと身長の高い人が大半だ。今の十倉は自分の体を操ることすら慣れておらず、もしも大人の男性に襲われたらひとたまりもない。
(日本の都会、しかも人通りの多いところで、真昼間から変なことをしてくる奴なんてそうそういないだろうけど、結構なプレッシャーを感じるんだが……。女の子って、こんな格好して、なんで平気なんだ?)
十倉は周囲の人々に注意を向けながら、鞄の中からスマートフォンを取り出した。時刻は午後一時をまわったところ。いつもなら仕事をしている時間帯に外で自由な時間を過ごしていることが、どうにも慣れなくて落ち着かない。
事務所の名前をネットで検索すれば、すぐに情報が集まった。なにせ公式ホームページがあるのだ。そこには所属している人の顔写真やプロフィールも載っており、神野の顔写真もある。神野が『星の彼方プロモーション』に所属しているのは確かで、本名で活動しているようだ。
(へぇ、そうだったんだ。めっちゃ声かけられてたし、もしかして、クラスのみんなは知ってたのかな)
神野を何かから助け出さないといけない十倉にとって、神野を取り巻く環境についての情報を得ることは、非常に大きな価値がある。もしも芸能事務所関係の問題から神野を助け出す必要があるならば、十倉も同じく事務所に入ったほうがやりやすいだろう。幸いなことに、今の十倉は芸能事務所に応募できるだけの容姿を持っているし、面接でやる気を示すことができれば事務所に入ることは難しくないはずだ。最も、十倉が自身にそれだけのポテンシャルがあることを自覚できているか、そして女の子の体をもってアイドルをするだけの気概があるかといえば、それはまた別問題なのだが。
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