青春トンネル~女子中学生になった一般社会人男性が元の体と世界に戻るためにアイドルをやる話~   作:Sfon

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邪念

 写真館を出ると、あたりはすっかり暗くなっており、帰宅中のサラリーマンがちらほらと見える。お腹もすいてきたし、晩御飯の食材を買って帰ることにした。いつもなら外食やご飯の宅配サービスで済ませるところだったが、お金を無駄に使うのに抵抗があり、久々に自炊しようと一念発起したのだ。

 スーパーで食材を買いそろえて帰宅した十倉は、普段は感じることのない、妙な寂寥感を覚えていた。今までマンション暮らしだった十倉にとって、明かりのついていない一軒家に帰宅するなんて初めての経験なのに、まるで世界に一人取り残されたような感覚。

(まぁ、間違ってはいないのか。この世界に俺の知り合いはいないし、話の合う奴もいないし、仲良くなれそうな奴もいないんだから)

 相対的に高くなったキッチンに苦戦しながら晩御飯を作り、一人住まいには広すぎるダイニングで食べる。黙々と食べて洗い物を片付けると、午後七時をまわったところだった。何となくテレビをつけてみるが、無理やり作ったようなハイテンションの司会者の声がうるさく感じて、すぐに消した。

(俺、本当に元の体と世界に戻れるのかな)

 トンネルをくぐってこの世界に来るとき、神野を助けてと誰かからお願いされた。それをこなすことで、トンネル跡と思われる魔法陣のような模様の最下部にあった、窪みにはまる何かを見つけて、そうすればきっと帰ることができる。そう信じているが、それが本当にそうなのかは全く分からない。

(もしも、そもそも俺はこの世界の『十倉燈』と入れ替わったんじゃなくて、『十倉燈』として生み出されて、この世界に放り込まれた、とかだったら? トンネルは一方通行で、元に戻る方法なんて無かったら?)

 居るか分からない『十倉燈』に対して後ろめたい気持ちを持っていた十倉だったが、よくよく考えてみれば、十倉自身も巻き込まれた側、いうなれば被害者だ。ただ普通に生活していただけなのに、急に部屋に閉じ込められて、他の選択肢もなくしょうがなしに壁に開いた大穴の中へ入ってみたら、こんな状況になってしまったのだから。

(そもそも、どうして俺が人助けをしないといけないんだ。もっと適任が居るだろ。それに、本当に助けてほしいんだったら、こんな非力な体じゃなくて、せめて元の体のままこの世界に放り込んでくれよ)

 どこかに存在するのかすら分からない、自分をこんな状況に陥れた元凶に対して、十倉は不平不満を並べた。気が済むまで心の中で愚痴って、それが落ち着けば反動で気が沈む。元の体のままだったら、神野に近づくことすらできなかっただろう。今の女の子の体になった利点は、十倉自身良く分かっている。実際、神野の事務所のアイドルオーディションを受けられるのは、この体のおかげだ。

(ずいぶんとまぁ、可愛い体になったよな。……というか、さっきまで『十倉燈』の存在を気にしてたけど、どちらかといえば居なかった可能性の方が高いよな。こんな家で中学生が一人暮らしするなんておかしいし、するにしてもこんなモデルルームみたいな家にはならないだろ。やっぱり、俺がこの世界に来た時に、『十倉燈』という存在が作られたのか?)

 思い返せば、未成年後見人となっている法人も、明らかに様子がおかしかった。アイドルオーディションに申し込まないといけないと焦っていたのか、冷静に状況を見れていなかったが、誰もおらず鍵もかかっていないオフィスや不思議なポストらしきものは、常識的に考えればありえない。

(あの法人については、まぁ、ポストに投函した保護者同意書がどうなるか待てばいいか。返事が返ってこないなら、法人は単にいつの間にか潰れていたってことで、俺がアイドルになる手は無くなる。もし返ってきたなら、おかしな状況が加速する。長い夢でも見てるみたいだ)

 アイドルオーディションの締め切りまでにはまだ日数がある。ひとまずは例の法人から保護者同意書が戻ってくるのを待ち、それまではこの世界に慣れることを優先しようと、十倉は方針を決めた。

 

 元の世界との違いを探るべく、あれこれネットで調べものをしていたが、多くは違いがなかった。世界や日本の歴史は知っている通りのもので、戦国武将が美少女になってたりはしないし、芸能人も知った顔の人ばかり。やはり、十倉自身にまつわるところだけが変わっているようだった。つまり、男の十倉と家族がおらず、元々居た知人たちは、存在はしていても十倉に関する記憶は無いようだ。

(あいつらのSNSのアカウントは見つかったけど、やっぱり俺と遊んだ過去は無くなってるみたいだし、一旦世界から俺の存在がきれいさっぱり消されて、その後に女の俺が差し込まれたって感じに見えるな)

 ただ、気になるのは『神野柚奈』の存在だ。少し調べれば動画や記事がたくさん見つかる程度には有名なアイドルのようだが、十倉はその存在を知らなかった。小学生アイドルに興味がなかった十倉にとって、彼女がこの世界特有の存在なのか、元々居たが知らなかっただけなのかは判断が付かない。

(あんまり気にしても仕方ないけど、神野とその周りの人たちには気を付けたほうが良いかもな。もしかしたら、俺をこの世界に送り込んだ張本人が混じってるかもしれないし。それこそ、神野のお母さんとか)

 そうして気が済むまで調べものをしていれば、やがて大きなあくびが出てきた。時計を見れば午後十時をまわったところ、どうやらこの体は見た目通りに、子供らしい時間に眠くなってしまうらしい。あえて起きている理由もなく、十倉は明日の準備をして寝ようとしたが、そこでようやく、まだセーラー服を着たままだったことに気付いた。

(さすがにこのまま寝るわけにはいかないよな。というか、風呂にも入ってないし)

 抵抗がないとは言わない。まだ、かなり低い確率ながら、この体が借り物である可能性はある。その裸を見てしまうことには罪悪感があるし、その点ではあまり気が進まない。しかし、今後しばらくこの世界で過ごすのであれば、自分の体なんていつかは見ることになるし、最低限、直視して恥ずかしくならないようになる必要があるだろう。それに、十倉にとって今の体は、中学生と幼いながら、異性の体であることに違いはないのだ。十倉は女の子になりたかったわけでもないが、それはそれとして、どんなものなのかは気になる。

(マナーとして、というか女の子なんだから、風呂に入らないってのも問題だよな)

 十倉は小さな箪笥から下着を一揃い手に取って、浴室へと向かった。脱衣所で服を脱ぐだけでも、緊張からか、それとも好奇心からか、胸がトクトクと鳴り始める。セーラー服のスカーフを外し、チャックを下ろして上着を脱ぐ。スカートのホックを外し、チャックを下ろして脱ぐ。キャミソールを脱ぎ、ブラを外し、ショーツを脱ぐ。一糸まとわぬ体になると、空気の微かな流れや長い髪が素肌に直接触れてくすぐったい。洗面台には頭のてっぺんから胸元まで、自分の姿が映っているのが見えた。

 長く艶やかな黒髪、宝石のような碧い瞳、ほんのり赤みのさした頬、白く透き通った肌、視線は顔から胸元へと移り、思わず生唾を飲んだ。浴室へ入った十倉がドアを閉めてからシャワーの音が鳴るまでには、二十分ほどかかった。

 

 邪念を払うためにと頭から熱いシャワーを浴びた十倉は、顔を上気させながら風呂場から出てきた。腰まで届きそうな長い髪は背中に張り付き、逆にそれ以外の体毛は鼻から下に一本たりとも見当たらない。産毛すらないその体はまるで人形のようだが、歩くたびに揺れる太ももや胸元は、女の子らしい柔らかさが表れていた。

「……ヤバすぎた。ふーっ……ちょっと、休憩しないと」

 おぼつかない足取りで脱衣所を歩き、バスタオルで頭の先端から足の先まで拭く。ふわふわしたタオルがきめ細かな肌の上を撫で、その滑らかな感触が心地よい。自分の体を洗う中であれだけ素肌に触れたというのに、タオル越しに感じる自分の体の柔らかさが、十倉の胸をトクントクンと揺らした。

(この体にもいつか慣れるのかな。その前に元の世界へ帰らないと、変な癖がつきそうだ)

 体の水気をしっかり切ったら、部屋から持ってきたショーツとキャミソールを着る。女の子のために作られた下着は今の十倉の体にピッタリとフィットして、大切なところをきれいに包み込んだ。今まで、体との間にゆとりのある下着しか着たことのない十倉にとって、それらの下着の感触は違和感があり、しかし安心感もあった。

 ただ、性別の差がどうとかいう前に、濡れた長い髪は不快でしかたがなかった。キャミソールを着るときは肌に張り付いて邪魔だったし、タオルでいくら拭いても重いままなのだ。火照った体の熱が首筋にこもって熱いし、この髪型で夏を迎えることを考えると、今から憂鬱になる。

(いっそのこと、明日にでも髪を切りに行くか? いやでも、正直黒髪ロングってめっちゃ好きなんだよな……見てる分には)

 脱衣所の引き出しを漁ってドライヤーを取り出し、スイッチを入れて構えると、思ったよりも重くてまたため息をつく。これだけ長い髪なのだ、そう簡単に乾くとは思えず、髪を乾かすだけでも相当に疲れそうなことが目に見えている。そしてその予想は残念ながら的中し、細い腕で一生懸命にドライヤーをかけること数分経っても、一向に乾く気配がしなかった。いつもならとっくに髪を乾かし終わってるはずなのに、今の十倉の髪では二割も済んでいない。それから十分以上も温風を髪に当て続け、ようやく元通りサラサラなロングヘアになったころには、十倉の腕はプルプルと震えていた。

 

 脱衣所を後にして自室のベッドの上にダイブした十倉は、風呂場に向かった時とは打って変わって、すっかり沈んだ気持ちでいた。我に返ってしまったのだ。神野を何かから救い出して、知らないこの世界から元の世界へ帰らないといけないのに、幼い女の子の体になった自分の体に思考を奪われたのが情けなかった。

(何してるんだか。こんなことしてる場合じゃないよなぁ、ほんとはさ)

 自分の体で遊んでいる暇があるなら、神野について調べるなどするべきだ。そうでなくても、これから踏み入れようとしているアイドル業界について勉強することくらいできただろう。しかし、そうと分かっていながらも、一番身近な自分の体に対する興味の方が勝ってしまったのだ。

(まぁ、俺の中身が男だって証明できたようなもんだから、一概に悪いとまでは言わなくていいかもしれないけど。ただ、流石にこのまま落ち込んでるわけにはいかないよなぁ)

 しばらく横になれば、何とか気分も入れ替わって前を向く力も湧いてきた。体を起こしてクローゼットの前に向かい、寝間着になりそうなスウェットを着て、ベッドに入った。長い髪が寝るのには邪魔で、ネットで調べたら結べばいいのだと書いてある。ヘアゴムの類は家に無かったから、明日買ってくることにして、今日のところは我慢するしかないようだった。

 

 風呂に入ったせいなのか、あくびが出るほど眠かったのに、その眠気がどこかへ行ってしまった。目は冴えていて、部屋を暗くしてもまるで眠気がやってこず、ベッドの中で寝返りを打つばかり。あたりはシンと静まり返り、自分の呼吸の音が際立って聞こえた。静かな時間は、思考を自分の内面へと向けた。女の子の体になって、知らない世界に放り込まれた十倉。いくら元が大人だとは言え、むしろ大人だからなのかもしれないが、寂しさが募る。

(なんだかんだ言って、元の世界も悪くなかったんだな)

 失って初めて、その大切さに気付くのは、割とありふれた話だ。しかしそれが世界レベルなのは、流石に自分だけだろうと十倉は自嘲した。知り合いが多かったわけでは無いし、心の許せるパートナーもいなかった。金銭的に満たされてもいなかったし、思うように人生が進んでいかなくて不満もあった。しかし、今となっては、戻りたいと強く願うだけの価値を感じていた。

(向こうに戻れたとして、時間軸はどうなってるんだろう。もしも戻るまで一年とかかかったら、帰ったころには行方不明者として扱われていて、仕事もなければ家もなかったりするのかな)

 数少ないが、自分を気にしてくれるはずの人は十倉にもいた。その人たちを悲しませることは、十倉も望んでいない。できるだけ早く帰って安心させたい。帰るためなら、多少危ない橋だって渡れる。まずはアイドルオーディションに合格して神野と近づき、神野を何かから助け、並行してトンネル開通に必要な何かを探し出す。寂寥感は、なんとしても元の世界へ戻るという決意によって燃やされ、推進力へと変わっていった。

 




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