『再会』
──「わたしの帰る場所はどこ?」
ソレは、暗闇の中で、虚しそうに、悲しそうに呟いた。
彼女には、家はある。故郷はある。
だけれど──違う。ソレの本来帰りたい場所は、平和な国。
獣はいても、魔物はいない。
何かを殺しをする事もなく、手は汚れない。
武器なんて、必死に持たなくていい、当たり前に大抵のものが享受できる、優しい国。
そこに帰りたいと、望むのは間違いではないはずだ。
「 」は帰りたい。魂の故郷へ。
だけれど──気がついたらいたその場所も居心地は良かった。
帰りたい/帰れない。
ふたつの天秤が、ゆらゆら傾く。
いっそどちらかに振り切れてしまえば、楽なのだろう。
──でも、だったら、どうか。
誰か、繋ぎ止めてほしい。
帰れないような、帰りたくないと思えるような、そんな甘言を囁いてほしい。
壁を壊して、傍で……止まり木のように。鎖のように、鳥が羽を休めるような、そんな焼き付ける、熱烈な存在が、必要だった。
そうでなければ、このまま暗闇に落ちるだけだと、分かっているから。
──それが、無理なら、灯りが欲しい。
どんなに辛くても、それでも歩き続けられるような、道標。
己が欠けていると知っていても、進み続けられるような。
光輝く、道標が、欲しい。
※※※
それからしばらくして。
稲妻が鎖国し、目狩り令が本格的に行われるようになった頃──……。
「あっ、『導きの妖精』さん!」
「……そのダサいあだ名で呼ぶのはやめてくれないかな」
キャロル、もとい『カナデ』は目の前で目を輝かせる少女に困った様な、疲れた様な言葉を返す。
自分の為に旅をしているカナデは今はあちこち飛び回り、冒険ランクも上がり、割と指名される程になった。
今は水神であるフリーナが象徴である、スチームパンク調のフォンテーヌと言う国のスチームバード新聞の記者でもある目の前のモノクルの少女に取材をされていた。
「私なんか取材しても楽しくなくない?」
「え!? いえ! カナデさんは注目の冒険者さんじゃないですか! 猫探しから、護衛、舞台まで! もうこれは記事を書いたら即完売ですよ!」
「……言い過ぎだと思うけど」
「あ、ところで犬探しはやっていないんですか?」
「……犬は見るのは好きなんだけど」
少女―シャルロットが取材費の一環として奢ってくれた紅茶をスプーンでかき混ぜながらキャロルは小さく呟くが、その辺を飼い主と散歩する整えられた毛並みの犬を見て、少しだけ椅子の位置を犬から避けると「実際はちょっと苦手だから、いざと言う時しか……」と眉を下げながら、返答した。
「なるほど!」
その様子を見てシャルロットは何故か嬉しそうに返答したが、すぐにカナデは『あ、今の記事にしないでね、明らかな弱点を晒されたら営業妨害だから』と釘を指した。
「うっ! ……ま、まあ。仕方ないですよね、では次はー……」
それから、シャルロットから質問がいくつか投げかけられたが、答えられる範囲でカナデは返答していく。
※※※
──それから数十分。
ようやく解放されたカナデはため息をついた。
もう既にシャルロットの姿はなく、カナデ1人である。
疲れた様子だが、ポテポテと歩く頭の触角とミトン状の手、そして背の小さな翼が特徴的な可愛らしい不思議な生物であるメリュジーヌを見て、多少癒されたのか僅かに笑みを浮かべた。
「……次、どこ行こうかな」
机に世界地図を広げると、カナデは少し悩んだ様子で『ど、ち、ら、にしようかな』と子供のように指さす。
「面倒すぎるからサイコロが転がった先にしよう」
しかし、次の瞬間にはそう言うと、懐から6まであるサイコロを取り出し、地図の上で転がし始めた。
基本的には計画的に旅する事が多いが、カナデはたまにこうやって気分転換をする。
そして、コロコロと転がったサイコロが止まったのは。
──……スネージナヤだった。
※※※
スネージナヤの雪山を一人の青年が歩いている。
真っ白な銀世界の白い雪たちは彼をその場に留まる事を許さない、というように激しい風と勢いよく吹き荒れていた。
寒さは人の体には痛みに変わる。
だからこそ青年は防寒着──黒いモフモフした毛皮が襟元に着いているコートを着ていた。その形状はポンチョの様になっている。
生地に施された細やかな装飾品や、細やかな模様はそのコートが良いものだと詳しい人が見れば直ぐに分かるだろう。
雪は足跡を消し、強風が彼の服と髪を激しく揺らす。
「やれやれ──」
彼は男性にしては大きな瞳と宝石のように青く、そして鋭い光を宿していた。
長い睫毛には雪の結晶が乗ったかと思えば人肌で溶けていく──そして、形の良い眉を僅かに動かし、青年は息をついた。
こんな雪と魔獣等の獣ばかりの場所に来る人間など、滅多にいない。
青年は目的があってこの地に足を踏み入れていた。
勿論、青年は無謀では無い。
足元のブーツは防寒用であり、足裏には滑り止めの凹凸がついており、歩く度にその靴裏が敷き詰められた雪をぎゅ、っと踏み鳴らす。
慣れていなければ逆に雪の多さで転ぶ人もいるが、彼は『雪』というものに慣れているようだった。
その事から長い間雪に慣れ親しんで生きていた事が分かる──つまり、雪……雪崩などの恐ろしさは知っている。
そして、彼は立場上忙しく──好きに動ける時間は限られている。
青年は、休みのこの曜日には出来ればこの場所を訪れる──。
彼はとある空間を探している。
そこに行けば求めている何かの手がかりがあると信じているのだ。
──いや、信じるしか無かった。
だが、今日も何も変化は無かった。
残念そうに踵を返して下山しようとした。その時───。
「……〜!!」
「……ん?」
遠くから微かに『声』が聞こえ、彼はその方角を見た。
──何か、聞こえる気がする……でもこんな場所にいる人が誰かいるんだ?
青年は疑問に思いながらも、好奇心から聞こえる方へと歩みを進めた。
※※※
「うわぁ! こ、来ないでぇ!」
10代初めくらいであろう少年が瞳を潤ませながら、狼型の魔物と向き合っていた。
魔物のその目は爛々と輝いており、今にでも噛み付こうとしてきているのが分かる。
それを必死にナイフで牽制しながら、少年から距離を取ろうとする。
しかし、魔物はまたすぐに襲いかかろうと威嚇の声をあげた。
「───グルルル、GAU!!」
「ひっ!」
(やれやれ……)
それを見た咄嗟に青年が助けようとした瞬間──鈴の音が辺りに響き渡った。
────リンッ
少年は、自身が死んだ……と思い恐る恐る目を開けると、狼型の魔物は雪の上に横たわっており、女性が刀を手にその魔物を見下ろしている。
女性の着る黒い衣類は、白い雪の中では一際映えて見えた。
何が起きたか分からずに、少年は目を丸くし困惑する。
すると女性は刀の刃についた血をさっと振り落とし鞘に仕舞うと少年を見下す形で見つめていた。
その光景を見た青年の瞳には、その彼女の姿が探し人である知り合いの女性に重なって見えた。
(……いや、そんな筈は……)
彼は自身の脳裏に浮かんだ考えを振り払うかのように首を振る。
しかし、フードから僅かに溢れ、雪に塗れた黒髪は、彼の知るある人物と、雰囲気が似ていた。
(違う──あの人は、戦えない、筈だ)
そんな中、女性──カナデは少年に「大丈夫?」と話しかけていた。
慣れたようにちゃんと少し屈むと少年と目線を合わせ、首を傾げる
「怪我は?」
「……ううん、大丈夫」
その言葉にカナデは小さく笑うと少年の頭に軽く手を置いた。
少年は少し驚きながらも答える。こんな場所に見知らぬ女性がいた事、助けてくれた事に困惑している様子だった。
だが、彼女のその言葉や態度から危害を加えようとしている訳ではない事が分かると少年は安堵のため息をついた。
「えっと───お姉ちゃん、ありがとう!」
少年は礼を言いながら僅かに顔を赤らめ、目線を逸らした。
その様子を見たカナデは「どういたしまして」と微笑む。
「──たまたま私が通ってよかったけど、ここは危険だよ? ほら、だからお姉さんも熊よけの鈴も持ってるんだ。……危なかったね」
カナデは少年に安心させるように、軽く笑いかけながら、ベルトに付けていた鈴をチリンチリンと揺らす。
「うん、そうだね……ありがとう!」
「でも、ここは男の子一人で歩くのは危険だよ? 私は『カナデ』って言うんだけど──冒険者なんだ。今日は頼まれて鉱石を取りに来て、今帰り。良かったら送ろうか?」
「ぼ、冒険者なの!? 凄い! かっこいい!」
少年は目を輝かせながら興奮した様子でカナデを見ると、キラキラとした瞳で見つめた。
憧れの存在を見ている様な視線を浴びながらも、慣れているのか特に気にする様子もなく、カナデは優しく微笑んだ。
カナデは綺麗、というよりは背も低く、愛らしい雰囲気がある。
服装は全体的に黒を基調としたもので、黒いロングコートとパンツスタイルが特徴的だった。
(──キャロル)
これまでに無意識に会う人々に面影を重ねていた事もあるが──青年、タルタリヤはいつもその度に、ずっと探している想い人の名前を胸の内で呼ぶ。
彼女にもう一度会って話がしたい。
そして、叶うならば昔の様に笑い合いたいと願っていた。
それにまだ、無意識に隠れた雪に塗れた木の後ろにいるタルタリヤには、角度から彼女の姿が見えていない。
「……だから、安全に帰れるように手伝ってあげる。さ、君の名前は?」
「サーシャだよ! ありがとう、カナデお姉ちゃん!」
「どういたしまして。じゃあ……サーシャ君、一緒に家まで冒険だ。ちゃんと私の命令を守れるかな?」
「うん! 分かった!」
カナデの言葉に少年は元気よく返事をする。
タルタリヤは昔に、キャロルと似たような会話をした事があり──無意識に昔の自分と重ねる。
「良いお返事だ! じゃあ、私に付いてきてね」
カナデはニコリと笑い、歩き出す。
その後ろ姿を見て───つい、タルタリヤは足を踏み出す。
(置いてかないでくれ───)
強くなって、とキャロルは「タルタリヤ」と言う名や、「ファデュイの執行官である公子」と言うコードネームを女皇陛下から与えられる前の──勇敢だが、まだ弱さが残っていた「アヤックス」に言った。
あれから、戦って、戦って、戦って、戦って。
いつかした約束に相応しい力を手に入れた。
昔、キャロルは「努力を欠かさない人が好き」と言っていた。
だから、今だって慢心せず、努力を怠らずここまで頑張ってきた。
──パキッ
すると、つい─タルタリヤは足にあった枝を踏んづけてしまう。
「……!」
その音で、カナデとサーシャが後ろを振り向いた。
ファデュイの執行官にもなったタルタリヤにしては珍しい失態だ。
その瞬間、二人の視線は自然と、青年のいる方向に向けられた。
「……何かいるの?」
警戒した様に刀を構え、サーシャを守るように一歩踏み出したカナデは、サーシャを自分の背後に立たせた。
カナデの言葉に、どうすべきかタルタリヤは迷っていた。
普段の彼ならば、おどけて場を和ませながら出るだろうが、今の彼は普段とは違う。
タルタリヤは、カナデの事を気にしていた。
どこかキャロルに似た雰囲気を感じ、思い出してしまうのだ。
もし自分が彼女に「ファデュイ」としてバレたら、嫌われてしまうのだろうか。
ファデュイは決して好かれやすい組織では無い。特に執行官は危険人物である。
元々、キャロルにもし出会い、ファデュイの執行官だとバレてしまったら……嫌われるかも知れない、という懸念は少なからずあった。
だから──とりあえずは身分を隠してタルタリヤはカナデと接する事を決めた。
「──ああ、ごめんね。別に驚かすつもりは無かったんだけれど、何と声かければいいか思いつかなくてね」
タルタリヤは両手を上げながら、気まずそうに笑いながら前に出る。
「悪いけれど、先程の話は聞いたよ。……良ければ送っていくよ。俺は強いんだ。君が怖がっている熊だって俺が倒してあげるさ」
そう言いながら、少し大袈裟に口角を上げた。そのせいか、カナデは目を丸くし軽く首を傾げる。
その時──はじめてカナデの顔をタルタリヤは見た。
やはり、キャロルとは違う。
可愛らしい顔立ちに、戦いになれている者特有の隙の無い瞳や、体型をしている。
だが、子供に優しく、そして「守ろうとする」姿勢はキャロルを彷彿とさせた。
「……君は?」
「俺は────タルタリヤ。まあ、そうだね。各地を歩いて──武者修行みたいな事をしている」
嘘ではない。
各地を(任務で)歩いて(執行官として)戦っている。それは事実だ。
「へえ? そうなんだ」
カナデは疑う様子もなく、感心したように頷いた。
直ぐにタルタリヤの戦い慣れた人間特有の隙のあまり見えない佇まいから嘘では無いと感じ取ったのだろう。
だが、突然雪山に現れた、何処か胡散臭さもある男性を直ぐに信用するのも難しい話だ。
それはカナデも例外では無い。
だがしかし、この地が危険である事、またサーシャが魔物に襲われそうになっていたのも事実だ。
カナデはなるべく穏便に済ませる為にも、「胡散臭い男」である事を除けば悪い人では無いのでは? と思い始めていた。
それに何かしてきたら、カナデがやっつければ良いだけの話だ。
「そうだね……ならお願いしようかな。私はカナデ。この子はサーシャらしい。君の名前は?」
「俺? 俺は……うん「タルタリヤ」だよ」
名乗る際に少し考える素振りを見せた彼に、カナデは『偽名かな?』と思いながらも深くは追求しなかった。
「そっか。宜しくね、タルタリヤ」
「ああ、宜しくカナデ」
二人は自然に握手を交わした。
カナデはその時に見た笑顔を見て少し安心する。どうやら、悪人ではないようだ。と─。
※※※
三人は山を降りるために歩き出し、道中は魔物などもいたが、倒し、無事に麓の村に辿り着くことが出来た。
確かにタルタリヤの実力は本物だったので、カナデは感心した。
そして麓の村につき次第、サーシャは自分の家らしき場所に真っ先に走っていった。
先程少し聞いた話によると、好奇心で兎を追っていたら迷い込んだらしい。
サーシャを無事に送り届けられた事に安堵したカナデは、ゆっくり胸を撫で下ろした。
そんな様子を見ていたタルタリヤが不意にカナデに声をかけてきた。
「カナデ、時間があるなら俺と少し話さない?」と。
カナデはその提案に首を傾げる。
そして、改めてタルタリヤの事を観察し始めた。
先程は山の中だったのでちゃんと見ている暇は無かったのだ。
オレンジより暗いテラコッタ色のショートカットの髪は年頃の青年らしく少し長めだが、程よい毛量で遊ばれて跳ねているようにも見え、彼の顔立ちの良さを引き立てている。
目は暗く、光一つ無い暗さで、深海のような不気味で深い青色を。
体格は細身に見えるが、コートの下から僅かに見える体は、しっかりと筋肉が付いているようだ。
明らかに美形ではある。
だが、基本的に、にこやかな笑みを浮かべている所がかなり怪しい。
カナデの経験上、こういう人間は何らかの組織の偉い人か、そこそこ偉い人なのかが殆どだ。
だが、不思議と、カナデは彼に身に覚えがある様な気もした。
何故かは分からない。ただ、初めて会ったような気はしなかったのだ。
カナデが少しの間考え込んでいると、何も喋らない事を不審に思ったのか、彼が不思議そうに顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
「あ、いや……何でもないよ」
カナデは気を取り直して、腕を組んで少し考える。
──何故私を誘ってきたんだろう?
カナデはまあ、そこそこ有名な冒険者だ。
しかし、自分が優れた人間では無いとカナデは理解していた。
どれか特化している訳では無く、普通。
強くもなく、弱くもない。
──もしや、何かの詐欺的な!? 騙そうとしてる!?
カナデは、目の前の青年を見ながら思う。
(怪しい……怪しすぎる!)
頭の中でそう結論付けると彼女は首を横に振り「いや! 大丈夫! 私は用事あるから! それじゃ!」と、そそくさと歩き出した。
だがしかし─逃がしはしないとばかりに腕を掴まれた。
「え」
「まあまあ、待ってよ」
そう言ってにっこりと笑う彼に、カナデはぞくりとする。
(や……やばい気がする! この人からヒシヒシと関わってはいけないような雰囲気を感じる!)
カナデは、その笑顔に少し恐怖心を覚えた。
そして、ジリジリと距離を取ろうとする。しかし、彼はしっかりと彼女の腕を掴んで離さない。
「あの〜……私、忙しくてぇ。遊んでいる暇ないんだよね〜困ったなぁ」
カナデは引き攣った笑顔で、なんとか離させようとするが、一向に手の力を緩める様子は無い。
むしろより強く握られている様な気さえする。
「あはは! それは残念だね。でも……俺は君と話がしたいんだ」
「……いや、私は間に合ってるから! じゃ! さよなら!」
カナデは腕を振り解こうとするが、彼は離そうとはしない。
むしろより強く握られる始末だ。
「痛っ!? 何!? ナンパみたいな事しないでくれませんかね!? ハッキリ言うけど、私は君みたいなタイプ苦手なの! だから離して!」
「へぇ? 君、面白いね」
そう言って笑い続けている目は笑っていないように見える。
しかし、カナデは引く気は無かった。彼女は根っからの負けず嫌いでもあるし、確かに綺麗な顔はしているが、いきなり腕を掴んでくるような人間は苦手だ。
しかも相手は先程あったばかりの男性。人当たりの良さそうな雰囲気だが、それが逆に不気味である。
それに、先ほどからカナデの第六感のようなものが警鐘を鳴らしていた。
この男に関わってはいけない……と──。
苛立ったカナデは、タルタリヤの足を思いっきり踏む。
普段はなるべく穏便にすませたいが、今回は別だ。
「!?」
流石の彼もいきなりの行動に驚いたのか、手が緩む。カナデはその隙に手を振りほどき、そのままダッシュで逃げた。
「待って!」
後ろから声が聞こえるが、気にせず彼女は走る。
カナデは逃げ足に自信があった。
今までもその足で何とか逃げ延びてきた。
そもそも、彼女は争いごとが好きではない。
出来れば平和に生きたいし、危ない事はなるべくしたくないのだ。
いや、冒険は除いてだが。
「待てって!」
後ろから聞こえる声を無視して彼女は走り続けた。
しかし、カナデの目の前には岩壁が立ちはだかる。
──行き止まりだ。
しかし、カナデは慌てない。
風の神の目の力を使い、風脈を作り上げて、風の翼を広げる。
そして、そのまま風脈を使って飛び上がって、壁の上に着地した。
「よし! 逃げきった!」
カナデはガッツポーズをとる。
だが、ふと後ろを振り向くと、彼が壁の上に立っていた。
「へ!? なんで!?」
「面白い事するね? 君」
どうやら同じ様に登ってきたらしい。
まさか、こんなに早く来るとは思わなかった。
しかも普通の人間では到底無理な筈なのに。
相手がそうとう、こういう事に手慣れている事が分かる。
「あ、あはは……」
カナデは引きつった笑顔を浮かべるしか無かった。
まあ、それはそうだろう。
まだカナデは知らないが、彼、タルタリヤは戦闘能力でファデュイの執行官に上り詰めた男である。
そこらの冒険者が勝てる相手では無い。
「まあまあ、落ち着きなよ。とりあえずこっちおいで?」
そう言って彼は手招きをする。
一見優しそうな声色だが、やはり目が笑っていない。
完全に捕食者の目をしていた。
(やばい……やばいぞコレ!)
そして、ようやくカナデの脳裏に嫌な考えが過った。
前にチラホラ冒険者仲間から聞いた言葉だ。
──「公子」は執行官で一番若いらしい。
そして──これまでの事から推測していく。
探偵のように。
ひとつ、ここはスネージナヤ。
ふたつ、目の前の青年は若いが、かなり強いようだ。
みっつ、彼の頭には赤い仮面。
こういう時、3つに物事を纏めるといいと前に何処かできいた気がする。
カナデは、その3つを頭の中で並べて、そして結論を出した。
──目の前のコイツ、執行官の「公子」じゃない!?
そこでカナデは頭を抱える。
思い出した。実は執行官だったらしい知り合いのスカラマシュや、とある知人から知り合ったファデュイの執行官の「召使」が言っていた特徴と全て一致しているのだ。
今のカナデは「ファデュイ」だからと偏見を持ち、組織ごと憎んだりする事は無い。でも、まあ、カナデは目の前のタルタリヤには苦手意識があったのだ。
すると、ナンパみたいなものではなく、自分を利用するのでは、という猜疑心も湧いてくる。
カナデは冷や汗を流しながら、少し後退りをした。
「い、いや……大丈夫です、ハイ、間に合ってます。それに用事って恋人とデートなので」
嘘である。今のカナデに恋人などいない。
だが、このチャンスを逃したらどうなるかわからない。
いや、絶対に逃げた方がいい! とカナデの中の何かが告げていた。
「へぇ? 恋人がいるの?」
タルタリヤはその言葉に少し意外そうに目を丸くした。
そして、何かを考え込んだ後、口元に手を持っていき、考える仕草をみせる。
そして、ニコリと微笑んで口を開いた。
「ねぇ、カナデは「キャロル」って名前に聞き覚えある?」
「へ?」
いきなりの質問に、カナデは戸惑う。
「キャロル」はカナデの本名だ。
しかし、それを何故目の前の青年が知っているのかが分からない。
「それは……」
カナデは答えに困り、言葉を詰まらせた。
すると、彼は微笑みを浮かべたまま一歩前に踏み出す。
カナデは反射的に後ずさった。
すると、彼はくすりと笑い、口を開く。
「聞き覚えあるみたいだね」
「……何でいきなりそんな事を聞いてくるの? というか、何で君がその名前を知っているの?」
カナデは警戒しながら尋ねると、彼は少し困ったような顔をした後、口を開いた。
「勘違いしないで。害を加えるつもりはない。──俺はキャロルをずっと探しているんだ」
カナデは驚き、目を見開いた後、首を傾げる。
「キャロルを? どうして?」
すると、彼は真剣な表情をしてカナデの目を見つめた。
その真っ直ぐな視線に、カナデは少し居心地の悪さを感じて目を逸らす。そして、少し間を置いて彼はゆっくりと口を開いた。
「どうしても……彼女に会いたいんだ。」
そう言って彼は目を細めた。まるで何かを思い出すような仕草だ。
そして、小さくため息を吐くと、続ける。
「俺の初恋の人なんだ……ずっと会っていなくてね」
その言葉を聞き、カナデは疑問が募る。
タルタリヤと出会った記憶はない。
(同名の人なだけ? でも……本当に私はこの人に会ったことが、ないの?)
記憶を探るが、やはり思い出せない。カナデは眉を顰めて考えた。
正確に言うと、思い出そうとしたら、何故か脳裏にノイズのようなものが走るのだ。まるで思い出さなくてもいいという様に──。
カナデは思考を切り替えて、口を開く。
「……もし見つかったら、どうしたいの?」
カナデがそう尋ねると、彼は少し悩んだ様子を見せた後、再び口を開いた。
「まずは話をしたいかな」
「それだけ?」
「後は……彼女を手に入れたい。
カナデは、彼の目の奥に仄暗い光を見た気がした。その目にゾクリと寒気を覚える。
やはり、獲物を狙う肉食獣のようにギラついた目をしていた。
熊なんかよりも恐ろしいかもしれない。
「なんか怖いね、あはは……」
カナデはつい引きつった笑顔を浮かべながら、一歩後ろに下がってしまった。
すると、彼はそれを追いかけるように一歩踏み出し、カナデの手首を掴んだ。そして、そのまま引き寄せ、彼女を抱きしめる。
「うわっ!?」
カナデは突然の事に驚きの声を上げた。
しかし、彼は気にせずに、そのままカナデを抱きしめる力を強くする。
そして、耳元で囁くように口を開いた。
「──ずっと、こうやって
その言葉を聞いた瞬間、カナデはビクリと体を震わせた。
発言の意味が分からない。
カナデは頭の中で疑問符を浮かべながら、慌てて距離を置こうと身体を動かすが、彼の力が強くて離れられない。
カナデは焦りながら口を開く。
「ちょ、ちょっと! いきなり何!? あのね、私は「カナデ」なんだよ。君の探してる「キャロル」じゃない! それにもしそうだとしてもいきなりこんな事されたら困ると思うよ?」
カナデがそう言うと、彼は少し驚いた様な表情を浮かべた後、残念そうな様子を見せた。そして、ゆっくりと身体を離し、カナデを解放する。
「そっか……記憶がないのか」
彼はぼそりと呟いた後、少し考える素振りをみせた。そして、再び口を開く。
「そう言えば本当の名前言ってなかったね。タルタリヤは与えられた名前で、本名は「アヤックス」って言うんだ。どう? 思い出さない?」
「は!? 何初対面の人に本名教えてるの!? どんな神経してるの!?」
カナデは素っ頓狂な声を上げる。
ファデュイの執行官がそんな簡単に本名を明かすのか!? とカナデは困惑したからだ。
しかも、そんな大事な事を出会って数時間の相手に話すなど信じられない。
カナデの反応を見てか、彼は少しおかしそうに笑いながら口を開く。
「あはは! 確かにそうだね。でも……君ならいいかなって」
「いや、良くない。全然良くない!」
カナデは断固拒否した。むしろ、出来れば聞かなかった事にしたいくらいだ。
彼は相変わらず笑みを浮かべていた。その表情からは何を考えているのか読めない。
(なんか……変わった人だな)
カナデはそんな事を考えながらもどうにか離れられないかと考えるが、やはり彼の力が強くて振り解けない。
こうなったら仕方がないと腹を括り、カナデは問いかけた。
「あの〜……私をどうするつもりですか? 流石にずっとこのままとか困るんですけど」
カナデは目を逸らしながら尋ねる。すると、タルタリヤは「うーん……」と少し考える素振りを見せた後、ニコリと微笑んで言った。
「とりあえずデートでもしよっか」
「はぁ? いや、あの、さっき言った通り、私彼氏いるんですけど。だから、断ります」
カナデがそう言うと、彼は一瞬キョトンとした表情を浮かべた後、また笑みを浮かべた。そして口を開く。
「聞いたよ。でも、ちょっとくらいいいだろ?」
「全然よくないわ!?!?」
カナデは即座にツッコんだ。
だが、このままでは埒が明かないとカナデは判断した。なので、彼女は少し考えてから口を開く。
「じゃあ食事だけなら。それ終わったら解放して貰えます?」
カナデがそう言うと、タルタリヤは少し驚いたような表情を浮かべた後、すぐに嬉しそうな顔に変わった。
「OK。じゃあ早速行こうか?」
そう言って彼はカナデの手を取り、歩き出そうとする。しかし、それを拒むようにカナデは手を引っ込めた。
「いや、手は繋がないんで」
すると、タルタリヤは残念そうな顔をした後、肩を竦めて「はいはい」と言いながらも大人しく手を引っ込めた。
※※※
それから、二人で並んで歩きながら街へと向かう。
その間もカナデは彼に対して警戒を怠らなかった。
だが、特に何かを仕掛けてくる様子は無い。
しいて言うなら、わざわざ歩く速度をカナデに合わせてくれているくらいだ。
(なんか慣れてるな、コイツ……。まあ、顔がいいし、モテそうだし)
カナデはそんな事を考えながら、チラリと隣を歩く彼を見る。すると、ばちりと目が合った。慌てて目を逸らす。
「どうかした?」
「いや、別に……」
タルタリヤは不思議そうな顔をしていたが、それ以上追及はしてこなかった。
カナデは内心ホッとしながらも、視線を逸らし、周りに興味があるフリをして誤魔化した。
※※※
しばらく歩いた後、二人は料理店へと入る。
カナデは料理を注文した後、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
すると、ふと視線を感じる。顔を上げると、向かい側に座っていたタルタリヤがこちらを見ていた。
「何か?」
カナデがジト目の状態で問いかけると、彼は爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「いや、ただ可愛いなって」
カナデはその言葉に顔を顰める。
「はぁ。どうも」
彼女は素っ気なく返事を返した後、再び視線を逸らした。
そんな様子にタルタリヤは苦笑しつつ、口を開く。
「改めて聞くけど、本当に俺のこと覚えてない?」
その問いかけにカナデは眉を寄せた。
確実にカナデをキャロルだと確信した言い方だ。
だが、カナデには記憶が無い。
「だから……知らないよ。それより、女性に馴れ馴れしくするのはオススメしないから、気をつけた方が良いと思う」
カナデは少し口調をきつくしてそう言った。お節介かもしれないが、何も知らないで腕を掴まれたり、抱きしめられて困ったからだ。
しかし、その言葉を聞いた途端、何故か彼は少し困ったような表情を浮かべた。そして、口を開く。
「そういう所も全然変わってないね」
「はい?」
カナデは訳が分からず首を傾げた。
だが、彼はそれ以上何も言わずに微笑んでいるだけだ。
その態度にカナデはますます困惑する。
すると、ちょうどタイミングよく料理が運ばれて来た。
「お待たせしました!」
明るい声で店員が料理を並べていく。
それをカナデは受け取り、ナイフとフォークを手に取った。
そして食事を始めるが、やはりカナデは落ち着かなかった。何故なら目の前の席に座っているタルタリヤがずっとこちらをニコニコと見ているからだ。
なんだか監視されているような気分になり、カナデは居心地の悪さを感じる。
「あんまり見られると食べづらいんですけど……」
カナデは手を止めて、困った表情を浮かべながらそう言った。
すると、彼は少し驚いたような表情を浮かべた後、申し訳なさそうに謝った。
「あ……ごめん。でも、「
彼はそう言って微笑み、自分の前に置かれた料理を食べ始めた。カナデはそんな様子を眺めながら罪悪感を何故か感じ始めていた。
理由は分からない。
ただ、自分が悪い事をしているような気がするのだ。
だが、カナデはこの食事が終われば、関わるつもりはない。
そう決めていた。
「ご馳走様でした。じゃあ、これで失礼しますね」
カナデはそう言って懐からモラが入った袋を取り出し、自分の料理分のモラをテーブルに置くと、立ち上がった。
そして、そのまま歩きだそうとしたのだが──腕を掴まれる。
「待ってよ」
振り返ると、そこには笑みを浮かべたままこちらを見下ろす青い瞳があった。
その強い眼光に思わずカナデはビクリと身体を震わせる。だが、すぐに我に返り口を開いた。
「なんですか? まだ何か用が?」
カナデは嫌悪感を隠さずに顔を顰めると、彼は笑みを深くした。そして口を開く。
「せっかく会ったんだから、もう少し付き合ってくれない? まだ離れたくないんだ」
カナデはその言葉に大きく溜息をつく。
今いる場所は個室がある部屋なので周りに人がいない。
こんな事なら他の客が周りにいるような店にすればよかった。
後悔しながらもカナデは口を開く。
「……じゃあ、君の食事が終わるまでなら。」
カナデはそう言ってから渋々席に座った。すると、彼は嬉しそうな表情を浮かべて「ありがとう」と言った。
それから、彼は食事を再開する。その様子を眺めながら、カナデはぼんやりと考え事をしていた。
(美味しそうに食べるのこの人の方でしょ……)
カナデは呆れ顔でそう思う。
だが、まるで子供のように無邪気な笑顔を浮かべながら料理を食べる姿を見ていると──何かを思い出しそうな気がした。
前にもこんな風に食事をしている姿を見たような、そんな気がする。
しかし、それはいつどこで見たものなのか思い出せない。
カナデは考えるのを諦めると、頬杖をついて彼を眺めた。
その視線に気付いたのか、彼は顔を上げた。
「どうかした?」
「……いや、暇だから見てただけ。気にしないで」
カナデは素っ気なく答えると、視線を逸らす。
すると、彼がクスリと笑う声が聞こえた。
「俺の顔が好きなの?」
揶揄うようにそう聞かれ、カナデは眉間にシワを寄せ、溜息をつくと口を開いた。
「顔はカッコイイと思うけど……。さっき言った通り暇つぶしに見てたの」
カナデがそう言うと、彼は少し驚いたような表情を浮かべた後、すぐに嬉しそうな顔に変わった。
そして口を開く。
「そっか。なら、もっと見ていいよ」
彼はそう言って微笑むと、カナデに向かって身を乗り出した。
そして顔を近づける。
「……行儀が悪い!」
だが、カナデはそう言いながら、手で彼の顔を押しのけた。
すると、彼は不服そうな表情を浮かべる。
「つれないなぁ」
彼はそう言いながら席に座り直す。
「子供じゃないんだから。ほら、早く食べてよ」
──カナデはそう言うと、彼から視線を逸らし、今度は窓の外を見るようにした。
外では変わらずしんしんと降り積もる雪景色が広がっている。
その景色にカナデは目を細めた。雪を見ると懐かしい気分になる。
タルタリヤはその姿を黙って見つめていた。
どこか儚げで切ない表情をしながら雪を見つめるカナデの姿は、劇のワンシーンの様にも見えた。
※※※
それから少し経ってから、やっと彼は食事を再開させる。そして全てを食べ終えると、満足そうな笑顔を浮かべた。
「ふぅ……ごちそうさま」
その声を聞き、カナデは視線を戻した。そして小さく溜息をつく。
「やっと終わった……。もういいよね? 忙しいの。じゃあ、さよなら、もう掴まないでね。地味に痛いから」
カナデはそう言うと立ち上がり、出口の方へと歩いていく。そしてドアノブに手をかけようとした瞬間──後ろから抱きしめられた。
「ひゃっ!? って、掴まなければいいって事じゃないんだけど!?」
カナデが驚いて声を上げると、彼はクスリと笑った。そして耳元で囁くように言う。
「まだ足りない。もう少し一緒にいてよ」
「えぇ……」
カナデは嫌そうな表情を浮かべた後、溜息をつきながら言。
「あのね。もう付き合いきれないんだけれど。何回繰り返し同じ事しないといけないの? 食事が終わったら解放してくれる約束だったと思うんだけど」
カナデの言葉に彼は少し考えた後、口を開く。
「確かに君の言う通り、食事が終わったら解放するつもりだった。けど、やっぱり無理だ」
「は? なんで?」
カナデは意味が分からず言葉を返した。すると、彼はフッと笑みを浮かべる。
「だって……やっぱり確信したから。さっき俺を見ていた時の表情が……ね」
「?」
カナデは彼の言葉がよく理解できなかった。しかし、そんな事は気にもとめず彼は言葉を続ける。
「だから、もう少し一緒にいてくれないか? 頼むよ」
その言葉にカナデは流石にキレた。
先程からしつこい!
───なので息を吸うと、その息を言葉に変えて一気に吐き出した。
「キャー!! 火事!」
カナデは大声で叫ぶと、そのまま一瞬突然の事に驚いたタルタリヤを確認すると、腕を取って、投げ飛ばした。
「うっ……!!」
投げ飛ばされた瞬間、彼は短く声を漏らす。しかしカナデは気にもとめずに、そのまま部屋の外に走り出した。
「あ、こら待てっ……!」
後ろから聞こえてくる声に耳を貸さず、そのまま走り去る。
そして、そのまま店を出ると街を出た。
しばらく走った後、立ち止まると乱れた息を整える。
そして大きく深呼吸してから呟いた。
「あー……疲れた……」
カナデは溜息をつくと、そのまま後ろを振り返り、誰もいない事を確認してからホッと安堵の息を漏らした。
そして─もうあんな奴と関わるのは止めよう。そう、心に決めてから帰路につくのだった。
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