カナデは息を小さく吐くと、一応、再度辺りを見回す。
いるとしたら野鳥くらいだ。風や水スライムなどの魔物はいない。
これなら見られても平気だろう、とカナデは判断する。
そうして心を落ち着かせた後、手を伸ばし、その手をタルタリヤの背に回す。
今度はこちらから密着する形になり、カナデは自分から行動を起こしたという事実に心臓が大きく脈打つのを感じたが、それを誤魔化すように口を開いた。
「こ、これでどう?さっきよりは楽でしょ?」
カナデはそう尋ねると、彼の顔を見上げる。すると、そこには驚いたように目を見開いている彼がいた。
予想外の反応にカナデは少し戸惑った。
もしかして、こういう事じゃなかったのだろうか、と思い、慌てて手を離そうとしたのだが、その前に彼はカナデを抱き締め返した。
そしてそのまま強く力を込める。
「わっ!?ちょ、ちょっと……苦し……!」
カナデがそう抗議の声を上げると、そこでやっと我に返ったのか、ハッとした様子を見せてから少し力を緩めたが、それでもまだカナデを抱き締めたままだ。
そして、そのまま肩に顔を埋める。
その弾みに彼のダイヤ型の赤いピアスが揺れ、軽くカナデの顔付近を掠めた。
吐息を感じ、くすぐったさに思わず身を捩ると、耳元で「はぁ……」という溜息が聞こえた。
それは色っぽく艶めいていて、カナデの心臓はドキドキと鳴り止まない。その音が彼に聞こえてしまうのではないだろうか、とカナデは気が気ではなかった。
だが、タルタリヤはそんな事などお構い無しに、カナデの耳元へと口を近づけると、低くて甘い声音で囁いた。
「──うん、良いね。幸せだよ」
その言葉に、カナデは顔が熱くなるのを感じつつも、それを誤魔化すように彼の背中をぎゅっ、と強めの力を込めて抱き締める。
すると、彼は少し驚いた様子だったが、直ぐに嬉しそうな笑い声を漏らした。
「はは、今日の君は何だか積極的だね?」
「……うるさい。一々そう言うこと言わなくていい」
照れ隠しでわざとぶっきらぼうに言い返すが、しかし彼の耳にはしっかり届いているようで、クスクスと笑い声を漏らした。
それから、続けて囁くように言うと、カナデの首筋に優しく口付けをし、そのまま強く抱き締める。
「──好きだよ」
カナデは反射的にびくりと身体を震わせると、慌てて顔を上げ、少し離れた。
その顔は真っ赤に染まっており、動揺が見て取れる。
だが、カナデは何とか冷静さを取り戻すと、深呼吸を数回繰り返してから口を開く。
「……ん。ありがと」
カナデはそう言うと、僅かに微笑みを浮かべた。その表情を見て、タルタリヤは動揺し、僅かに瞳を揺らす。
しかし、カナデはそれに気づかず、そのまま続けた。
「全く。人を困らせるような事をして……。私の反応で遊んでない?もう……」
カナデは困ったように溜息を吐き、不満げな口調でそう言いつつも、どこか嬉しさを感じているようにも見えた。
そして、手袋を片方脱ぐと、ポケットに押しやったかと思えば、手を伸ばし、タルタリヤの頬に触れる。
素手は柔らかな彼の頬の感触を伝えてくる。
すると、彼は目を細めて嬉しそうに笑みを浮かべた。
その反応につい、カナデも笑みを漏らすと、そのままピアスが付けられている方の耳を優しく撫でた。
「ん……くすぐったいよ」
彼はそう言いつつも、カナデの手に自身の手を添えると、頬ずりをしてくる。
その仕草はまるで甘える子供のようだ。
「あはは、凄く無防備。そんなに私に気を許してるの?」
カナデが笑いながらそう言うと、彼は少し考え込んだ後に答えた。
「うん、そうだね。君が相手なら良いかなって」
カナデはその言葉に一瞬動きを止めるが、直ぐに誤魔化すように咳払いをした。そして、話題を変えようと親指の腹の部分で耳朶を触りながら、口を開く。
「ピアスってこんな感じに付けられてるんだね。でも、これいつも片方しかして無くない?もう片方はどうしてるの?」
カナデが興味本位で尋ねると、彼は少し驚いた様子を見せた後、にこりと笑みを浮かべる。
「気になる?」
カナデは素直に頷くと、彼は少し考える素振りを見せた後、カナデに近付き、耳元で囁くように答えを教えてくれた。
「もう片方はちゃんと持ってるよ」
その言葉と共に懐から同じ形のピアスを取り出すと、カナデに見せるようにちらつかせる。
そして、悪戯っぽく笑うと言葉を続けた。
「欲しい?ならあげるよ」
「え?いや、ピアス開けてないし……」
カナデは戸惑うように首を横に振った後、彼の手元のピアスを見つめる。
赤色のダイヤ型で、シンプルなデザインだが、高級感のある石が嵌っており、とても美しいものだった。
欲しいか欲しくないかと聞かれれば、正直に言えば欲しい。
好きな人とお揃いのものを持ちたいと思うのは、仕方のない感情だろう。
だが、生憎とカナデにはピアスを開ける勇気は無かった。
「耳に穴開けるの怖いし……」
カナデはそう言いながらも、そのピアスから視線を逸らす事が出来ない。
キラキラと輝くその石を見ているだけで、何だか胸が高鳴っていくようだった。
そんなカナデの反応に気を良くしたのか、彼は意地の悪い笑みを浮かべながら、再度口を開く。
「でも興味があるんでしょ?」
「……少しだけ」
カナデは恥ずかしそうに顔を赤らめながら、そう答えると、彼は更に笑みを深める。
そしてカナデの耳に顔を近づけると、小さな声で囁いた。
「開けてあげようか?」
カナデはその提案に、一瞬考える素振りを見せたが、首を横に振る。
「いいや、そもそもお揃い付けてたら面倒な事になりそうだし。でも………その、くれるなら欲しい……かも」
カナデは気まずそうに目を逸らしながらそう言う。
それに対して彼は満足気に笑うと、「わかった」と答えてからピアスの片方を外すと、それをカナデの手に握らせた。
カナデは手に持っている物ではなく、普段身につけている方が欲しかったが、何故分かったのだろうと不思議に思ったが、聞くことはしなかった。
そして彼は手に残ったピアスを自分の耳に付けているが、カナデは気にせずもらった彼が付けていたピアスを無言でじっ、と見つめていた。
まるで宝物を見つけた子供のような瞳で、きらきらと目を輝かせている様子に彼は苦笑しつつも微笑ましい視線を向ける。
カナデはハッと我に返ると、少し気まずそうにしながらも、言葉を紡いだ。
「これ、本当に貰っていいんだよね?後で返せって言われても、返さないよ?いい?」
カナデは念を押すように尋ね、それに対してタルタリヤは小さく笑って答える。
「うん、いいよ。ただし──」
──俺だと思って大切にしてくれよ?
その言葉と共に、カナデの頬に軽く口づけをする。
するとカナデは突然の出来事に驚き、思わず身体を硬直させた。そして、反射的に頬に手を置きながら耳まで真っ赤に染め上げて、彼を見つめる。
その表情は驚きと羞恥が入り交じっており、透き通った瞳は僅かに揺れている。
基本的にカナデはタルタリヤの物腰の柔らかそうな言動を好ましいと考えている。
人と言うのは普通自分に優しい人を好むものだとカナデは思っており──だが、同時にたまに見せる命令口調も嫌いでは無いし、今は少年らしさが残る喋り方を見せられ─……。
わざとそう言う事にカナデが弱いと知っていてやっているのか、それとも無意識にやっているのかは分からないが、どちらにせよタチが悪い。
だからこそカナデは悩み抜いた末に意を決して口を開く。
「大切にはするけど……。わざとやってない?それ」
カナデは動揺を隠しきれぬまま、少し拗ねた様子でそう問いかけると、タルタリヤはくすりと笑った。
「わざとだよ」
悪戯が成功した子供のように無邪気な笑顔を向ける彼に対し、カナデはじとりとした視線を送る。
だが、彼はカナデの無言の圧力など意に介さず、楽しそうに笑うと、上機嫌に言葉を続けた。
「だって、そうやって恥ずかしがってるカナデが可愛いから。つい、意地悪したくなっちゃうんだ」
「……趣味が悪いよ?全く。仕方ない人なんだから。でも、まぁ。君には対した事じゃないのかもしれないけれど……私は嬉しい。ありがとう、大切にするね」
カナデは少し呆れたように溜息を漏らすが、次第に柔らかく、穏やかに微笑むと、ポケットからハンカチを取り出し、ピアスを大切そうに仕舞いながら礼を言った。
すると、無意識にカナデがタルタリヤには滅多に見せない表情を見せたからか、今度は逆に彼の方が呆気に取られたような表情を浮かべていた。
その反応にカナデは不思議そうに首を傾げる。
「ん?どうしたの?」
カナデが尋ねると、彼は少し照れたように視線を逸らしながら口を開いた。
「……いや、カナデがそんな風に笑ってくれるなんて思わなくて。いつも不機嫌そうだったから」
その指摘に、カナデは頰を染めると、慌ててそっぽを向いた。
「べ、別に最近は不機嫌とかなってないよ。ただ、タルタリヤが意地悪だから……つい、冷たい態度になっていただけで」
カナデはもごもごと歯切れ悪く言い返すと、小さな声で続ける。
「あと、余裕あんまりくれないから。ちゃんとした態度が難しいというか。その……」
カナデはそこまで言うと、少し躊躇った様子を見せたが、意を決したように真っ直ぐ前を向くと口を開いた。
「ちょっとは手加減して欲しい……かも」
消え入りそうな声で恥ずかしそうに言うと、タルタリヤは一瞬だけ驚きの表情を見せたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「それは無理な相談だね」
そして、彼は即答すると、カナデの腰に手を回して抱き寄せると、そのまま耳元で囁いた。
「──だって手加減したらつまらないじゃないか」
そしてカナデの耳元に口付けをすると、そのまま耳たぶに優しく歯を立てる。
「っ!?」
カナデは突然の刺激に身を竦め、思わず息を詰まらせる。
しかし、彼はそんな事など気にせずにカナデの耳たぶを甘噛みしながら続ける。
「俺はもっと、「君」の表情を見たいんだ。色んな表情を見られると嬉しいし、独り占めしたい。だから、手加減なんて出来ないし、するつもりもないから、覚悟して」
その言葉と共に耳たぶを舐める音が耳元で響き、カナデは手を伸ばすと、彼の服を掴み、軽く引っ張る。
「……とりあえず、分かったから、これ以上は勘弁して」
カナデが困ったように呟くと、彼は「仕方ないな」と言ってカナデを解放する。
カナデは直ぐに安堵の溜息を漏らすと、彼の胸に手を置いて軽く押して距離を取る。
そして、僅かに濡れた耳たぶに触れると、そこに熱を感じるのと同時に、彼の舌の感触を思い出してしまう。
「っ……」
カナデは顔を赤く染めながら、それを悟られないように顔を背けた。
それから、誤魔化すように咳払いをして口を開く。
「えっと……とりあえず、移動する?まだ、時間あるなら、だけど」
カナデがそう提案すると、彼は思案するように顎に手を当てる。
そして、数秒後、何か思いついたように「うん」と首を縦に振った。
「そうだね。このままここにいても仕方ないし、少し歩こうか」
彼の提案にカナデは頷くと、二人はゆっくりと歩き出す。
特に目的があるわけではないため、行き先は決めていないが、それでも不思議と退屈では無い。
それから、二人は並んで歩きながら他愛のない会話をしていた。
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