天与呪縛がダンジョンに潜るのは間違っているだろうか 作:ウッウ
先の件以降、フィルヴィスの様子はどこか変わったように思えた。
表情は少し和らぎ、何というか――丸くなったような気がする。
「オラリオに来る前は何をしてたんだ?」
「……あ?」
不意にかけられた質問に少し気の抜けた声が出た。
そんな俺の反応を見ながら、さらに言葉を続ける。
「
「あ~…………」
俺は、言葉に詰まる。
どう答えるべきか――少し考えを巡らせる。
(暗殺稼業やってた……とは言えねぇな)
結論、適当に誤魔化すことにした。
「…………何でも屋?」
間を置いてそう答えたが、なぜか語尾が疑問形になった。
その返答に、フィルヴィスが少し眉をひそめる。
「……なぜ疑問形なんだ」
「……俺にも色々あんだよ」
俺は軽く笑いながら言葉を濁す。
フィルヴィスは少しだけ目を細め、何かを考えるような顔をしていたが、それ以上追及することはなかった。
「……まあいい」
短くそう言うと、小さく息をついて視線を外した。
「いいのか?」
俺は少し意外に思って問い返す。
正直、もう少し突っ込んでくると思っていた。
「誰にだって、話したくないことの一つや二つあるだろう」
どこか遠くを見つめるように、フィルヴィスがぼそりとつぶやく。
その声には、どこか寂しさが混じっているように聞こえた。
そんな横顔を見て、俺は――
「……ふっ」
フィルヴィスの耳に軽く息を吹きかけた。
「うひゃああぁ!!」
フィルヴィスが悲鳴を上げて跳ねる。
そのらしくない反応に、俺は思わず吹き出した。
「ははっ、意外とでけぇ声出るじゃねぇか」
「なっ……貴様っ!」
フィルヴィスが勢いよく振り向き、頬を真っ赤に染めたまま俺を睨みつける。
その顔はいつもの冷静さの欠片も見えない。
「くっくっく、てめぇも女の子だなぁ?」
俺は肩をすくめながら、軽い調子で言葉を投げた。
だがその瞬間、フィルヴィスは急にスンとした表情に変わった。
「ん?」
何か言い返してくるかと思いきや、無言のまま杖を構えた。
その動きに、嫌な予感が全身を駆け抜ける。
そして、その口から落ち着いた声で詠唱が漏れ始めた。
「……一掃せよ、破邪の聖杖」
「……冗談だよな?」
「安心しろ……」
フィルヴィスの杖の光が一層強くなる。
「加減はしてやる!!」
これは
「ディオ・テュルソス!」
次の瞬間、眩い閃光がダンジョンを包んだ。
――――――――――――――
「ったく、ガチで打つんじゃねぇよ」
俺は肩をすくめながら、疲れた声を漏らした。
足元の砂利を蹴りながら、とぼとぼと歩く。
「……貴様が悪い」
フィルヴィスは冷たい声でそう言いながら、俺を横目で睨む。
その視線から、怒りの余韻が感じ取れた。
「へいへい、悪かったよ」
俺は両手を挙げて降参のポーズをとる。
フィルヴィスは視線を前方に戻しながら、鼻で短く息をついた。
そんなこんなありつつも、俺たちはダンジョンの中を歩き続ける。
ダンジョンの中は、ぼんやりとした明かりに包まれている。静寂の中に響くのは、俺たちの足音と、時折遠くから聞こえる滴り落ちる水音だけだ。
(……変だな)
俺が感じていたのは、とある違和感。
モンスターが
いつも漂っている、モンスター特有の匂いや気配。
それが、この16階層ではほとんど感じられなかった。
「……16階層ってのは、いつもこんなもんか?」
俺が囁くように聞くと、フィルヴィスは眉をひそめ、口を開く。
「いや、少ないことはあるが……今回は少なすぎる」
その言葉が耳に届いた瞬間――――
ドシン――
鈍い地響きが足元に伝わる。
「……!」
思わず足を止めた。
何か大きなものが、暗闇の奥で動いている。
ドシン、ドシン――
規則的な重い足音が、遠くから徐々に近づいてくる。それに伴い、空気がわずかに震え、湿った風がこちらに向かって流れてきた。
――そして、それは現れた。
姿を現したのは、ミノタウロス。
だが、それは見慣れた個体とはまるで異なっていた。
通常のミノタウロスよりも一回り、いや二回りは大きい巨体。
異様に滑らかな白い皮膚に、深紅の瞳。
全身から漂う威圧感は、普通のモンスターのそれとは一線を画す。
ただ立っているだけなのに、空気が張り詰め、動くことさえ躊躇わせる圧力を放っている。
その異形には、どこか不気味な美しささえあった。
背筋を這うような冷たい感覚が、俺たちの体を貫く。
「……でけぇな」
俺が呟くと同時に、ミノタウロスが吠えた。
『オオオオオオオオオオオオオオ!!』
その咆哮は大地を揺るがし、地面に細かな亀裂を生じさせた。周囲の空気が圧縮されるように震え、肌に刺さるような衝撃波となって襲いかかる。
鼓膜を突き破らんばかりの轟音は、耳鳴りを引き起こす。
周囲に漂う空気そのものが重く、冷たくなるのを感じとる。
咆哮を上げたミノタウロスは、一歩前へと足を踏み出した。その一歩一歩が地を叩きつけるように重たく響き、砂埃を巻き上げる。
巨大な蹄が地面を砕き、砕けた石が飛び散る。
「……フィルヴィス、来」
――――次の瞬間、怪物が動いた。
ミノタウロスは巨体からは想像もつかないほどの速さで地を蹴った。轟音と共に舞い上がる砂埃。白い巨体が一瞬で視界を埋め尽くし、赤い瞳が獰猛な光を放ちながら俺たちへと迫る。
(速ぇっ!)
俺は即座に反応する。
だが、フィルヴィスの動きが一瞬、遅れるのが見えた。
「ちっ!」
瞬時に判断を下し、俺は咄嗟にその首元を掴む。
強引に引き寄せ、体を自分の方へと引き倒す。
その瞬間――
ドガァァン!!
耳をつんざく轟音が周囲に響き渡る。巨大な拳が叩きつけた地面は砕け散り、石片と砂埃が容赦なく舞い上がった。大地そのものが悲鳴を上げたような衝撃が全身を貫く。
もし、あと一瞬でも遅れていたら――
「っ……!」
俺の腕の中で引き寄せられたフィルヴィスが、目を大きく見開いてこちらを見上げていた。
それを横目に、俺は飛び出す。
舞い上がる砂埃の中を突き抜けるように、一気に距離を詰めた。
眼前に迫るのは、壁のようにそびえる巨体。
刀の柄を握りしめた手に自然と力がこもる。
冷たい感触が掌に伝わり、全身の感覚が研ぎ澄まされていく。
だが、ミノタウロスも動く。
巨木のような腕がゆっくりと持ち上がり、その赤い瞳が鋭く俺を捉える。圧倒的な破壊力を秘めた腕が、凄まじい勢いで振り下ろされた。
「ッ!」
咄嗟に地面を蹴り、体を斜めに滑らせるように回避する。背後で轟音が響き渡り、巨大な腕が地面を叩き潰した。土砂と瓦礫が激しく飛び散り、砂埃が濃く舞い上がる。
その一撃をすり抜けるように、俺はすかさず懐へ飛び込んだ。
「ふっ!」
刀を渾身の力で振り抜き、逆袈裟の一閃が白い巨体を斬り裂く。
ズシャッ――!
刀身が皮膚を裂き、分厚い筋肉を切り裂く感触が手に伝わる。鋭い刃が血を噴き出させながら、奴の右腕を断ち切った。
切り離された巨腕が宙を舞う。鮮血が噴き出し、鮮やかな赤い弧を描きながら地面へと叩きつけられる。
その瞬間、ミノタウロスが咆哮を上げた。
『オォォォォォォォォォッ!!』
その雄たけびが、耳をつんざくような轟音となって辺りに響き渡る。
咆哮の最中、俺は即座に体を低く沈め、地面を蹴る勢いでぐるりと回転する。
「おらよ!」
勢いを乗せた回転のまま、俺は足を振り抜き、奴の顔面めがけて蹴りを叩き込んだ。
ゴシャッ!
踵がミノタウロスの頭蓋を正確に捉えた瞬間、鈍い衝撃が足元から全身へと伝わる。硬い骨を砕く感触と共に、奴の巨体が後方へと大きく吹き飛んだ。
巨体が壁面に叩きつけられ、瓦礫が崩れ落ちる。
壁は激しい衝撃に耐えきれず、巨大なヒビを生じさせながらゆっくりと崩壊していった。砂埃が立ち込め、視界がぼやける中、轟音だけが耳に響く。
その様子を見届けた俺は、くるりと背を向けた。
「……平気か?」
刀を鞘に納めながら、フィルヴィスの方へと歩き出す。
安堵したように息をつき、その場にへたり込んでいた。
「あ、あぁ。問題ない」
フィルヴィスは震える声で答えながら、ゆっくりと立ち上がった。
「……すまない。助かった」
「礼なんていらねぇよ。それより…………」
バァァン――!
俺が言葉を続けようとしたその瞬間、背後で轟音が響いた。
瓦礫が吹き飛ばされ、砂埃が一気に立ち込める。振り返ると、瓦礫の山が崩れ、その中から巨体がゆっくりと起き上がるのが見えた。
「……やっぱか」
ミノタウロスだ。
血まみれで、片腕を失ったその怪物は、再び立ち上がっていた。
赤い瞳が砂埃の中でぎらりと光る。
「中層ってのは、あんなのが跋扈してんのか?」
「そんなわけないだろう……!」
「だよな。だったら……
目の前に怪物を見据えながら、俺は状況を整理する。
(さっきフィルヴィスが反応に遅れたのは……おそらく
その効果は、対象を威圧し、行動を封じることができる厄介なもの。
ただし、その効果が有効なのはLV1の冒険者に限られる。
フィルヴィスはLV3――本来なら、動きを縛られるはずがない。
(LV1の俺が問題なく動けたのは、俺の体が特別だからか?)
そう考えつつも、結論を出すにはまだ早い。
どちらにせよ、こいつの
少なくとも、Lv3の冒険者の動きを制限する効果はあるってことだ。
(ん?)
その時、目の前のミノタウロスが異様な気配を放ち始める。白い皮膚の下で赤黒い脈動が走り、全身が微かに鼓動するように膨らんでいる。
「……なんだ?」
俺は無意識に警戒心を上げた。奴の赤い瞳がぎらりと光り、その目が俺を見据える。
その視線の奥には、他のモンスターとは違った
ズズ……ズズズ……!
突然、失われたはずの右腕の断面が蠢き始めた。俺の目の前で、赤黒く血を流していた傷口から何かが湧き上がるようにせり出してきた。それは肉塊のようなものが不規則に動きながら膨らんでいく光景だった。
血と肉が絡み合いながら、白い皮膚が再び形成されていく。その過程は異様に滑らかで、そして速い。見る間に筋肉が張り、骨が形を整え、やがて完全な右腕が元通りに再生された。
「おいおい……」
真新しい右腕を動かしてみせるようにぐっと握り込むと、ミノタウロスが低い唸り声を上げながらこちらを睨みつけた。その赤い瞳には、さっきよりもさらに強い殺意が宿っている。
「自己再生……!」
『フゥゥゥ……!』
低く深い息遣いが、ミノタウロスの喉奥から漏れ出る。
そして――口元がゆっくりと動いた。
わずかに上がる口角。
それは明らかに、こちらを嘲笑うかのような表情だった。