天与呪縛がダンジョンに潜るのは間違っているだろうか 作:ウッウ
(笑ってんのか……?)
異様な気配を放つミノタウロスを前に、俺は僅かに目を細めた。
通常のミノタウロスとは違う。
異様に滑らかな白い皮膚が、淡い光を反射し、血のように赤く輝く瞳がじっとこちらを見据えている。
まるで俺の動きを探るように、微細な呼吸すらも逃さぬように――
不気味な沈黙の中、ふと脳裏に浮かぶのは、あの日の記憶。
それはかつて相対した、強化種と思われた
目の前のミノタウロスが放つ圧迫感、異様な配色、それはあの時の怪物を彷彿とさせた。
(偶然か?……いや、
考えたところで、答えは出ない。
俺は軽く顎を引き、一歩ずつ歩みを進めた。
俺の動きに呼応するようにミノタウロスも一歩ずつ動く。
互いに距離を詰めるごとに、空気が張り詰めていく。
ミノタウロスの赤い瞳が細められ、わずかに鼻息を荒くした。殺意を孕んだ視線が、俺の一挙手一投足を見逃すまいと追いかけてくる。
やがて、俺と怪物の距離は数メートルにまで縮まり、互いに静止した。
俺はじっとミノタウロスを見据える。
奴もまた、血のように赤い瞳で俺を捉えたまま動かない。
張り詰めた空気の中、鼓動がやけに大きく聞こえる。
(……来る)
次の瞬間、ミノタウロスが低く唸り声を上げ、地を蹴った。
地面を砕く轟音とともに、ミノタウロスが猛然と俺へと迫る。
(やっぱ速ぇな……!)
通常のミノタウロスとは比較にならないほどの速度。
白い巨体が弾丸のように迫る。
まるで獲物へと一直線に飛びかかる猛禽のような動き。
瞬く間に間合いを詰め、奴の巨腕が振り上げられる。
空気が裂け、視界が一瞬歪むほどの圧力。
俺は僅かに重心を落とし、最小限の動きで身体をひねる。
ミノタウロスの拳が俺の目の前を通過する。
「ふっ!」
ミノタウロスの拳を紙一重で避けながら、俺は流れるように刀を抜いた。
刃が空気を切り裂き、一瞬の閃光となる。
俺の斬撃がミノタウロスの脇腹を正確に捉えた。
刃は滑らかに白い皮膚を裂き、深々と肉を断つ。
『グゥォォッ!!』
ミノタウロスが苦痛に吠え、体をのけ反らせた。
鮮血が弧を描きながら宙に舞い、地面に飛沫となって落ちる。
手応えは十分。
だが、切られた部分が再び動きを見せる。
ズズ……ッ!
切り裂いたはずのミノタウロスの傷口が、蠢くように動く。
それは先ほど奴が見せた、再生能力。
傷口から流れ出た鮮血が、皮膚を覆うようにゆっくりと凝固し、裂かれた肉が瞬く間に繋がっていく。
『ゴォォォォ……!』
ミノタウロスの瞳がさらに紅く燃え、鼻息が荒くなる。
そして、拳が唸りを上げ、嵐のように俺へと降り注ぐ。
「ふぅぅ……!」
振り下ろされる拳の嵐を、俺はかすめるように避け続ける。
拳の風圧だけで皮膚がヒリつき、服がバタつく。
(こいつ……どんどん
最初の攻撃よりも、拳の速度が上がっている。
否、速度だけではない。
その精度も徐々に増していく。
だが、こっちもそう簡単にやられるほど甘くない。
俺はあえて重心を崩し、
ミノタウロスの血塗れの瞳が、そこを狙って迷いなく拳を振るう。
瞬間、奴の拳の軌道が単調になった。
「……ふっ!」
俺は踏み込む。
ミノタウロスの逞しい腕を掴み、強引に引き寄せる。
そして、その勢いのまま膝を叩き込んだ。
『ガゥゥッ……!?』
巨体が僅かに揺らぐ。
筋肉の塊のような躯が軋み、鼻息が乱れる。
俺はさらに畳みかける。
即座に踏み込み、重心を低くしてから、鋭く拳を振り抜く。
バギィッ!!
ミノタウロスの顎を正確に捉え、骨が軋む感触が伝わる。
衝撃が手に伝わり、鈍い音が空間を震わせる。
奴の首が弾け飛ぶように仰け反った。
「フシグロ!」
その時、フィルヴィスの声が響く。
「ッ!」
それと同時、俺はミノタウロスから距離をとる。
「ディオ・テュルソス!」
そして、フィルヴィスの魔法が放たれた。
魔法はミノタウロスに直撃し、爆発的な閃光が視界を染める。
轟音と共に、地面が弾け、火花が飛び散った。
『グォォォォォォッ!!』
ミノタウロスの咽喉から、断末魔のような叫びが絞り出される。
その巨躯が痙攣し、筋肉が震え、雷撃の痕が黒く焼き付く。
一瞬の隙を逃さず、俺は加速する。
空気が裂ける音が耳を劈く。
ミノタウロスはまだ痙攣していたが、その赤い瞳だけはこちらを捉えていた。
血のように赤い双眸が、獲物を捕らえた捕食者のように光る。
だが、俺のほうが速い。
刀を逆手に構え、低く飛び込む。
そして、ミノタウロスの腰から肩へ向けて斜めに深く切り裂いた。
ザシュッ!!
鮮血が噴き出し、赤い飛沫が宙を舞う。
傷口は大きく裂け、白い皮膚を真紅に染め上げていく。
『グォォォッ…………!!』
苦痛の咆哮を上げながらも、その赤い瞳はなおも俺を捉え続ける。
「チッ……!」
俺は瞬時にバックステップ。
直後――振り上げられた拳が空を裂き、轟音とともに地面へ叩きつけられた。
ドガァンッ!!
岩盤が粉砕され、爆発的な衝撃波が周囲を包み込む。
砕けた岩片が飛び散り、砂塵が舞い上がる。
俺はその濛々と立ち込める塵埃の中で、静かに呼吸を整えた。
微かに残る血の匂いが鼻を突く。
距離をとったことで、辺りには一瞬の静寂が広がる。
だが、奴はいまだ倒れる気配を見せない。
(硬ぇ……いや、
『ゴォォォ……』
低く唸りながら、こちらを睨みつける。
傷口はまだ完全には塞がっていないが、驚異的な速さで肉がうねり、再生を始めている。
「……じり貧だな」
このままでは埒が明かない。
奴の異常な回復速度を考えれば、消耗戦になればなるほどこちらが不利になる。
次の瞬間――
フィルヴィスが迷いなく飛び出した。
まるで、それが
「おい!」
俺の声も意に介さず、一直線にミノタウロスへと駆ける。
その動きに、赤い瞳が僅かに動いた。
巨体が唸りを上げるように動き、拳が振り下ろされる。
「……ッ!」
フィルヴィスはその場で急停止し、紙一重で拳を回避。
視界が揺らぎ、濛々とした塵がフィルヴィスの姿を包み込む。
だが、空気が裂ける轟音が響き渡り、次の一撃が迫る。
それは寸分の間もない連撃。
フィルヴィスは即座に反応。
横へ跳び、既の回避を見せる。
しかし――拳が地面を抉った衝撃で、瓦礫が四方へ弾け飛んだ。
ゴォンッ――!!
散弾のように砕けた岩片の一つが、フィルヴィスのこめかみを直撃した。
「ぐっ……!」
こめかみから血を流れ出る。
一瞬、足の動きが止まった。
その瞬間――
「グゥォォッ!!」
ミノタウロスの拳が迫る。
回避する間もなく、フィルヴィスの細い体が吹き飛ばされた。
鋭い風切り音とともに、身体が宙を舞い、無機質な壁へと向かっていく。
「ったく!」
俺は瞬時に地面を蹴り、その軌道に割り込んだ。
ぎりぎりのところで間に合い、体を受け止める。
「無茶してんじゃねぇよ、馬鹿」
俺はフィルヴィスをゆっくりと下ろす。
額から流れ落ちる血が、頬を伝い、顎へと滴っていた。
「はぁ……はぁ……!」
呼吸は乱れ、額から流れる血はまだ止まっていない。
それでもなお、ふらつく足取りのまま、再び前へと歩き出した。
「フィルヴィス……?」
それは、何かに突き動かされるように。
まるで、囚われた亡霊のように。
その背中に見えたのは、一種の怨念のようなもの。
呪いのように刻まれた何かが、あいつの足を前へと運ばせていた。
そして、微かな声が俺の耳に届く。
「また……死なせるわけには……」
それは、おそらく無意識のうちについて出た言葉。
囁くような声。
震えるような声。
あいつは、刻まれた過去に囚われている。
逃れようとも、許されない。
赦しを得ようとしても、掴めない。
フィルヴィス・シャリアは呪われている。
他ならぬ、自分自身に。
「…………はぁ」
俺は、息を吐きながら、静かに指先へと力を込めた。
親指と中指――狙いを定めて。
「おい」
「ん……」
バチィィン!
鋭い音が響いた。
俺が放ったのは、渾身のでこぴんだ。
「がっ……!」
フィルヴィスが反射的に額を押さえ、痛みに顔を歪める。
わずかに身を引きながら、睨むようにこっちを見上げた。
「き、貴様……!」
怒気を帯びた視線が突き刺さる。
「そうそう、てめぇはその面の方が似合う」
俺はあきれた様相でそう言い放つ。
フィルヴィスは額を押さえ、じろりと睨みつけた。
少しの間、睨み合いが続く。
――そして、小さく舌打ちをしながら顔を背けた。
「肩の力は抜けたか?」
「……放っておけ」
短い返答。
だが、
ふと視線を前に向ける。
ミノタウロスがなおも赤い瞳を燃やしながら、こちらを睨んでいた。
さっきの攻撃で深く裂いた傷口はまだ完全には塞がっていないものの、それでも異様な再生力で少しずつ回復している。
しかも、奴は
長引けばこっちが不利になるのは明白だ。
「……私が隙を作る、お前が仕留めろ」
フィルヴィスの声が、静かに響く。
「了解だ、お姫様?」
フィルヴィスはそれを聞いて、僅かにこっちを向いたが――
結局、何も言わずに向き直した。
そして、次の瞬間。
俺たちは同時に地を蹴った。
ミノタウロスもそれに呼応するように咆哮を上げ、巨体を振り上げる。
フィルヴィスは円を描くように回り込み、俺はミノタウロスの正面へと向かう。
一瞬のうちに戦場が動き出し、時間が引き伸ばされたように感じる。
『オオオオオオオオオオオッ!!』
ミノタウロスの腕がうねりを上げ、視界を覆い尽くすほどの巨拳が振り下ろされる。
俺は再び回避に移る。
だが、拳が振り下ろされる瞬間、ミノタウロスの肩の筋肉がわずかに緩み、俺に迫る寸前で止まる。
(こいつっ!?)
それは
通常のモンスターにはありえない戦術的な動き。
本命の一撃は、次。
俺が回避した直後を狙った、奴の足が動く。
ミノタウロスの脚が地を蹴り、恐るべき勢いで俺の横腹を狙って飛んできた。
膝のバネを活かした、強烈なローキック。
「チッ……!」
咄嗟に、俺は両腕を交差させる。
刀を握る腕ごと、防御の構えを取った。
バゴォンッ――!!
衝撃が襲いかかる。
「ぐっ……!」
重い。
まるで大岩に弾かれたかのような威力。
防御したにもかかわらず、全身に衝撃が走り、俺の体は吹き飛ばされた。
背中が岩壁に激突する。
岩が砕け、土煙が舞い上がる。
腕が痺れるが、骨は折れていない。
ギリギリのところで、受け身は取れた。
立ち上がり、すぐさまミノタウロスを睨む。
奴は俺が崩れ落ちるのを期待したのか、一瞬動きを止めていた。
その隙を、
「……一掃せよ、破邪の聖杖」
低く詠唱する声が、静かに響く。
ミノタウロスの背後。
そこに、フィルヴィスがいた。
しかし、奴はそれに超反応。
『グゥォッ!!』
ミノタウロスの赤い瞳が不自然なまでに素早く動き、背後の気配を察知。
体を捻りながら、巨大な腕を振るう。
「ッ!」
フィルヴィスが即座に跳躍。
ギリギリのところでその一撃を回避する。
しかし――
「くっ……!」
『グゥォッ!!』
ミノタウロスの腕が、フィルヴィスの足をつかんでいた。
そして、
グシャリ……
嫌な音があたりに響く。
「……ッ!!」
フィルヴィスの顔が歪む。
痛みが走ったのか、一瞬だけ声にならない息を漏らした。
だが、それでもあいつは止まらない。
フィルヴィスは瞬時に、手に握った短剣を奴の首元へ突き立てた。
ザクリッ!!
刃が白い皮膚を貫き、浅くではあるが確かに肉へ到達する。
浅い――だが、
『グゥッ!?』
ミノタウロスの赤い瞳が揺らぐ。
そして――
「ディオ・テュルソス……!」
短剣を伝って、奴の体内へ魔法が撃ち込まれた。
雷光が短剣を媒介にして一気に流れ込む。
『グゥォォォォォッ!!!』
巨体が痙攣し、硬直した筋肉が悲鳴を上げるように引きつった。
やがて、奴の膝が揺らぐ。
そして――
膝をついた。
「決めろっ……!」
「あぁ、上出来だ」
すでに俺は、奴の 背後に回り込んでいた。
俺は刀を強く握り直し、深く腰を落とす。
ミノタウロスが僅かに赤い瞳を動かした。
――だが、遅い。
俺の刃が閃光のように奔り、首筋を斬り裂いた。
瞬間、世界が静寂に包まれる。
次いで、血の匂いが濃くなる。
鮮血が弧を描きながら宙へ舞い、ゆっくりと地面へ落ちていく。
ゴトリッ
鈍い音とともに、奴の首が地面へと転がった。
だが、それでも
俺の目の前で、首を失った巨体が微かに揺れる。
ズズ……ッ!!
切断面が脈打ち、赤黒い肉がうねりながら結びつこうとする。
血管が生き物のように蠢き、肉片がねじれながら融合を始める。
肉の裂け目が波打ち、次第に組織が絡み合いながら再生していく。
常識外れの再生能力。
俺は静かに刀を構え、深く息を吸い込む。
「……終わりだ」
ミノタウロスの肉が蠢くよりも早く、刀を振りぬく。
一閃――
刃が通った断面が静かに開く。
次の瞬間、ミノタウロスの身体が縦に裂けた。
切断された肉の隙間から、臓腑が溢れ落ちる。
赤黒い血が奔流のように流れ出し、地面に広がっていく。
そして、ミノタウロスの肉体は塵となって消えた。
僅かに残るのは、戦いの余韻と、微かに漂う血の匂い。
俺はゆっくりと息を整え、刀を納める。
「一件落着…………だな」