天与呪縛がダンジョンに潜るのは間違っているだろうか 作:ウッウ
石畳を踏みしめながら、俺は迷宮都市オラリオの喧騒の中へと歩みを進めた。
目の前には活気に満ちた通りが広がり、人々の話し声や笑い声が絶えない。屋台には肉の串焼きだったり、鮮やかな果物が並び、商人たちが威勢の良い声で客を呼び込んでいる。
だが、その賑わいの中にいるはずの俺の心は、どこか冷え切っていた。
(俺はこれから……どうすんだ?)
目の前に広がる光景は、鮮やかなはずなのにぼんやりとしている。
通りを行き交う人々の表情――誰もが自分の進むべき道を見つけているように見えた。
その中で――俺だけが、宙に浮いている。
(俺は……何でここにいる?)
自分に問いかける声が頭の中で響く。
俺はあの時、死んだはずだ。
間違いなく、あの最強の一撃によって――
それが、俺のクソみたいな人生の締めくくりだと信じていた。
なのに、気がつけば俺はここにいる。
何のために?
生きる理由も、帰るべき場所も――
(俺には……ない)
その事実があまりにも重たかった。
肩にのしかかるその空虚感は、俺の全身を包み込んでいく。
「……生きてる意味なんて、あんのかね」
誰に向けるでもなく漏らした呟きは、街の喧騒の中へと溶け、すぐにかき消されていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そんなことを考えながら歩いていると、人通りの少ない路地に入り込んでいた。賑やかな大通りから一歩外れるだけで、そこはまるで別世界だった。
石畳は湿っていて所々にひび割れがあり、建物の壁には古びた布や壊れかけた看板が掛かっている。
無意識に足を運んでいたせいで、気が付けばこんなとこにいた。だが、人の目が少ない分、妙に落ち着くのも事実だった。
俺は壁に寄りかかりながら、腰を下ろす。
その時、ふとあいつから拝借した剣が目に入る。
(これを使えば……楽になれんのか?)
その時、俺の頭の中に浮かんでいたのは
そんな考えが浮かんだのは一瞬だった。それでも、その一瞬は頭の奥に重い何かを残した。
自分で考えたはずの思考に、心が冷えるのが分かる。
「馬鹿か……」
自嘲するように小さく笑ってみるが、笑いはすぐに消えた。生きる目的も、生きる意味も見いだせないこの状況では、その「最悪の考え」すら、どこか甘い誘惑のように思える。
剣を手にしたまま、俺は刃をじっと見つめた。湿った路地裏の薄暗い光の中で、鈍い輝きを放つその刃は、どこか自分自身の空虚さを映しているように感じられる。
気づけば、剣を握る手に力がこもり、柄が掌に食い込んでいた。
「……くだらねぇ」
呟きとともに、俺は剣を路地の地面に叩きつけた。
辺りに鈍い音が響き、小さな火花を散らす。
その時だった。
「おいおい、人に当たったら危ないぜ?」
声がした方向を見ると、そこには小柄な女が立っていた。
だが、ただの女ではないと俺の感が告げている。
「……誰だお前?」
俺は目の前の存在に警戒心を高める。
だが、女は俺にまったく動じる様子もなく、にこやかに微笑んだ。
「ボクはヘスティア!こう見えて、立派な女神さ!」
女はデカい胸を張りながら自信満々にそう言った。
その外見からは、"神"という肩書きの威厳はまるで無い。
だが、普通の人間には到底持ち得ないオーラを俺は感じとっていた。
「……それで、神様が俺にいったい何の用だ?」
俺は気を張りつつ冷静に言葉を返す。
女――ヘスティアは俺の質問に応えるように、一歩こちらへ近づいてきた。
「用っていうか……君がどこか思いつめたような顔をしてたから、声をかけずにはいられなかったのさ!」
「……んなことねぇよ」
俺はそうぶっきらぼうに答えた。
だが、その言葉に対して返ってきたのは俺を見つめる柔らかな笑みだった。
「君、今嘘をついたろ?」
「……なんだと?」
その一言に思わず息を飲む。
俺は睨みつけたが、こいつはひるむ様子を見せない。
むしろさらに一歩近づいてくる。
「知らないのかい?神は下界の子の
その言葉に、俺は思わず腕に力が入る。
小柄な体から放たれる言葉、そして俺の中を探られるような視線――どうにも落ち着かない。
「……別に、お前には関係ないことだ」
俺は冷たく言い放つ。
だが、それでもこいつは柔らかな笑みを浮かべたままだった。
「そうかもしれないね」
あっさりと頷くその顔には、少しも諦めの色は見えない。
その瞳は俺を見据えたまま、さらに近づく。
「でも、君みたいな子をボクは放っておけないのさ」
「……余計なお世話だ」
俺は視線を逸らして吐き捨てるように言った。
それでも、こいつは俺から視線を離さない。
「確かにそうかもしれないね……でも、こうして出会ったのも何かの縁だと思うんだ」
こいつは軽やかに歩を進め、俺の隣に腰を下ろした。
真剣な表情を浮かべ、少し間を置いて口を開いた。
「ボクに話してくれないかい?君の話せる限りでいいからさ」
「……話して何になる?」
俺はその真剣な顔を横目で見ながら答える。
「君が少しでも楽になれるなら、それでいいじゃないか」
こいつは柔らかな声で言葉を続けた。
「力になれるかどうかはわからないけど、君の悩みを聞くくらいならできるからさ」
「……………………」
俺はしばらく沈黙を続けた。
普段なら、こんな妙な奴とは会話なんてしねぇ。
だが――
「……………………俺は、とある名門の家に生まれた」
気が付けば、口は自然と動いていた。
地獄のような家で生まれたことを――
自分がしてきたことを――
俺が捨て去ったもの、そのすべてを――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……まっ、そんなところだ」
「……………………」
一通り話し終えた俺は、少しだけ肩の力が抜けたように感じた。
だが、俺はヘスティアが顔を伏せていることに気づく。
「……おい、どうした?」
思わず声をかけるが返事はない。
代わりにふっと顔を上げた瞬間、俺は思わず息を飲んだ。
その大きな瞳には涙が溜まっていた。
その涙は、静かに頬を伝い落ちていく。
「……何泣いてんだよ」
「ごめんね……」
ヘスティアは涙を拭うこともせず、静かに答えた。
「君の話を聞いてたら……胸が苦しくなって……どうして君がそんなに苦しまなきゃいけなかったのか、考えたら……」
こいつは震えながら、言葉を紡いだ。
「……俺は、誰かに泣かれる人間じゃない」
それは、自嘲を込めた言葉だった。
客観的な事実でもあるだろう。
だがこいつは涙も拭わずに、真っ直ぐに俺を見つめてこう言った。
「そんなことないよ」
その声は揺るぎないものだった。
それは俺の言葉を全て否定するかのように、力強く響いてくる。
「君は自分のことをそう思っているかもしれない。でも、君の話を聞いて、ボクは君がすごく優しい子だって思った」
「……優しい?」
思わず返した俺の声には、疑念が滲んでいた。
金のために人を殺した。
大事な奴との約束も、自分の息子のことも放り投げた。
そんな俺のどこが――
「そう、君は優しい子だ」
ヘスティアの声は、揺るぎない穏やかさを帯びていた。
それが妙に胸を刺す。
「君は後悔してるんだろう?自分のしてきたことに、自分の歩んできた道に。だから、ずっと自分を責めてるんだ」
「そんなこと……」
反射的に否定しかけた言葉が、喉の奥で止まった。
そんな俺を見て、こいつはふっと微笑んだ。
その瞳は、俺が抱え続けてきたものを見透かすようだった。
「それは、君が優しい人だからだよ。何も感じない人なら、そんなことを考えもしない」
俺はその言葉を否定しようとしたが、うまく声が出なかった。
後悔していないと――そう思い込もうとしていたのは、俺自身だった。
「だったら…………どうしろってんだ」
今更そんな事実に気づいたところで、何も変わらない。
何も変えることなどできない。
俺がしてきたことは何一つ覆らない。
「簡単さ、やり直せばいいんだ」
ヘスティアは迷いのない声でそう言った。
その言葉が、心の奥深くに静かに染み込んでいく。
「……やり直す?」
「そう、やり直すんだ。これからどうするのか、どう生きるのかを決めて、また最初から始めればいい」
その言葉に、思わず乾いた笑みが浮かんだ。
「簡単に言ってくれるな。そんなことで、俺がしてきたことを帳消しにできると思うのか?」
「帳消しなんて、できないよ」
ヘスティアはそう言い切った。
だが、その声にはどこか優しさが宿っていた。
「君がしてきたこと、君が背負っているもの、それらが消えることはないんだ。だってそれは、君が生きてきた証だから」
ヘスティアは優しく微笑みながら続ける。
「過去を変えることはできない。けど、未来を変えることはできる。何かを変えるのに……何かをやり直すのに遅すぎるなんてことはないんだよ」
「未来……」
その言葉に、俺が置き去りにした存在――恵の顔が頭の中でぼんやりと浮かぶ。
俺が失ったもの、遠ざけたもの――それを思い出すたび、何かが揺れ動く。
沈黙が流れる中、俺は顔を空に向けた。
(やり直せ……ってのか?)
その響きが頭の中で反響し、胸の奥をかすかに震わせる。
やり直す――そんな都合のいいことがあるのか?
これまでの俺が積み上げてきた過ちが、捨ててきたものが、それを許すはずがない。
(そんなこと……誰も望んじゃ……)
幸せになってね――
突如、声が頭の奥で反響する。
それは、もう触れることのできない遠い記憶のような声。
(この声は……)
その声の正体に気づいた瞬間、胸の奥で忘れていた何かが弾けるように広がった。
(そうだ……思い出した)
俺が死の淵にいたとき、最後に聞いた声――いや、もっと前から、ずっと俺の中にあった声。
「恵をお願いね」
記憶の底から湧き上がる声が、鮮明に蘇る。
その声は、誰よりも俺を気にかけてくれていた存在。
俺の中で最も深く、最も遠い存在になった存在。
(まさか……ありえねぇ)
俺は頭を振って否定しようとした。
そんなことがあるわけがない――
(お前が……俺を……?)
「き、君!大丈夫なのかい!?」
ヘスティアの声が、不意に現実へと引き戻す。
俺の目からは――――――涙が流れていた。
頬を伝う感触に思わず手を当て、濡れた指先を見つめる。
「うおっ、まじか……」
涙なんて何十年ぶりだ?自分自身でも驚きを隠せなかった。
俺は乱暴にそれを拭うが、次から次へと溢れてくる。
その時、不意に温かさが広がった。
気がつけば、ヘスティアがそっと俺を抱きしめていた。
「おい、何を……」
「いいんだよ、泣いても」
その穏やかな声が耳に届く。
「君が何を感じたのかはわからない。けど、それは君の中にある大事なものなんだと思う」
言葉が不思議と心に触れる。
あいつの声が、再び頭の中で響いた。
幸せになってね――
その言葉は徐々に鮮明になって、頭の中で何度も反芻される。
「……バカが」
俺は自分自身――そして、こんな自分の幸せを願うバカな女へそう吐き捨てた。
涙はいつの間にか止まり、俺は静かに息を吐き出した。
いまだにあいつの声が響き続けている。
まるでそれは、呪いのように。
幸せになってね――
「……勝手なこと言いやがって」
頭の中はぐちゃぐちゃだ。
ヘスティアの言葉が、あいつの声が、俺の心をかき乱してくる。
だが――――――――――
「そうだな」
さっきよりマシな気分だ。