君が目覚めるための魔法   作:白羽凪

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第三話 崩壊の序曲

 自宅生の達樹と別れ、自分の部屋へと籠ったのは夜八時頃のこと。

 寮の自室は好きじゃない。四方八方は真っ白で無機質、ただ家具が少しばかり転がっているだけの寂しい部屋。そこにいると何もすることが出来なくなる。この時間が嫌いだ。

 

 なら他の友達の部屋に行くのかと言われたらそうでもない。達樹(たつき)ほど仲がいいと言える人間は生憎この場所にはいないし、今更新しい人脈を開拓する気にもなれない。……そっちの方が疲れてしまう。

 

 それでも、ここからそう遠くない実家よりはマシだと思い、この場所に住んでいる。

 

 くぁ……と小さくあくびをする。視界の端で音を立てる時計の時間は夜の九時を少し過ぎた位を指している。さっきあれだけ寝たというのに……。体は随分鈍らなみたいだ。

 

 二、三回目元をこすってポチポチとスマホを触り始める。特にやることもないのに勝手にスマホを触ってしまうのは多分現代人の悪いところだろうな。

 

 その時、ふと携帯にバイブレーションが訪れる。こんな時間に電話みたいだ。

 

 ディスプレイに表示された名前を見て、着信ボタンを押そうとした人差し指が固まる。相馬幸恵と書かれたその文字を見るのが、たまらなく嫌だった。

 

 五回目のコール音が切れると同時に、意を決して着信ボタンを押した。本当はこんなことしたくはないけれど、万が一の事があってはいけない。苦い息を吐いて、声を絞り出した。

 

「もしもし、叔母さん」

 

「もしもし、こんな時間にごめんなさいね」

 

「……分かってるなら、なんで」

 

 申し訳なさそうにするこの声音がたまらなく嫌いだ。同じ苗字を持つ人間でありながら、どこまでも「他人」であることを意識させられる。

 

 現に俺とこの人は同じ血で結ばれた家族ではない。はっきりと覚えていないが、俺の家族は昔事故で死んだらしい。そうして気が付けばこの人に育てられていた。

 

 愛されていたのかなんて覚えていない。……ただ、ずっとよそよそしかった。腫物に触れているわけではないにしても遠慮しがちなその態度に苛々して、俺はこの場所に逃げてきた。……だからこうやって通話している時間だって、本当は苦痛なんだ。

 

 もちろん、そんなことを面と向かって言えるはずがない。だからこうして中途半端な言い回しで逃げているのだろう。

 

 叔母さんは痛いところを突かれたのか、小さく呻きながらもちゃんと答えた。

 

「ほら、もう一か月くらい連絡がなかったから、そろそろ声が聴きたくなってね」

 

「……そんな理由?」

 

「私にとっては大事なの」

 

 緩やかな怒気が伝わる。今まで目に見えて負の感情を見せてこなかっただけに、叔母さんの言葉に呆気に取られてしまった。

 

 少しの間、肌がピリつくような嫌な静寂が訪れる。耐えかねて強引に話を切り出したのは俺のほうだった。

 

「……最近、中間テストだったから連絡できなかったんだよ、ゴメン」

 

「そう、もうそんな時期。……それで、出来の方は?」

 

「ぼちぼち。少なくともクラス平均よりは上だと思う。今まで通りだよ」

 

 頑張ることは好きじゃない。見返りが保証されていないものに熱中することが出来ないからだ。頑張ったと認識してしまうと、結果が伴わなかった時に訪れる絶望に太刀打ちできなくなってしまう。

 

 それでも、結果も出せないでみっともない姿をさらすことになるよりはマシだと、最低限の努力だけはしてきた。その結果が今日の自分だ。底辺に落ちるのも、頂点にのし上がるのも嫌で、必死に誰の目にも止まらないよう空気を演じ続けている。

 

 ……それもある種、みっともないんだけどな。

 

 中途半端な努力しかしてこないものだから、夢を追って輝いている人間が眩しく見えてしまう。……眩しいどころじゃない。眩しすぎて、目を閉じてしまいたくなる。

 

 そんな葛藤を抱いていることを知ってか知らないでか、叔母さんは語る。

 

「そう言えば湊人(みなと)。進路、どうするの?」

 

「……何も考えてない」

 

「何もって……。じゃあ、好きなこととかないの? それが将来に生かせるかもしれないし」

 

「だから分かんないんだって。……俺、何が好きなんだよ」

 

 自分じゃない誰かが答えられるはずのない質問をうっかり投げつけてしまう。当然叔母さんにそれが分かるはずもなく、んー、と唸ったまま黙ってしまった。

 

 それが、俺なんだ。……好きなこと一つ自分で理解してない、情けない人間だ。

 話しているうちに、考えているうちに、だんだんと自己嫌悪の沼へと片足を突っ込んでいることに気が付いた。こんなのが、もう何年も続いていることを俺は知っている。

 

 このままでは埒があかない。少なくとも今この場は適当な言葉を繕ってでも上手く逃げ切る方が賢明だと勝手に断定して、そうする。

 

「とりあえず、もう一度よく考えてみる」

 

「そう。また何かあったら相談してちょうだいね。湊人(みなと)のこと、応援してるから」

 

「……分かった」

 

 その言葉がどこまで本当か分からない。信じる事が出来ないのか、信じようともしていないのか。それがこの人への嫌悪感から来ているのか、それすら俺には分からない。

 

 電話を右手に持ったまま、どさりと布団に倒れこむ。そうすると次第に眠気がやってきた。

 もちろん、今すぐに眠るわけではない。けれど、微かに脳裏に過ったこの欲望は、この無駄に等しい電話の時間を終わらせる口実とするには十分だった。

 

 思惑を悟られないように、慎重になって考える。あくびの一つでもしていたほうが自然体だろうと、少々強引に口を開いてみると、本当にそれは小さなあくびになった。うまく引っ掛かってくれた叔母さんは俺に尋ねる。

 

「眠たい?」

 

「ん、まあこんな時間だし。普段から夜更かしはしてないから、眠たくもなるよ」

 

「……そう。それじゃまたかけるね」

 

 俺の返事を待たず、通話は切られる。ほどなくして、体を取り巻いていた、肌がひりつくような空気が鉛のような倦怠感へと変わった。

 

「はー……疲れた」

 

 たかだか近況報告でこれだというのなら、はたして大事なことを伝えなければならない電話ではどれだけ苦痛に溢れる事だろう。できればこんな時間が訪れないことを願いたい。

 

 電話が終わり、幾度か体を伸ばしたところでだんだんと自分を取り巻く空虚と孤独を理解し始めた。友達が欲しいわけではないが、一人でいるのもなぜか物寂しい。

 

「……やめだやめ、余計な事考える必要もないだろうに」

 

 小さく独り言を呟いて、今度こそ布団の中に潜る。スマホは手が届かない位置に置いて、近くのスイッチで明かりを消す。そうすれば瞼はゆっくりと落ちていき、俺の意識も段々と深いところへ導かれていった。

 

 そうして、今日も、孤独から逃げるために眠りにつく。

 

 …

 

 ……

 

 …………。

 

 ふと、声が聞こえる。今日は少し細く、けれど真っすぐ芯が通った優しい女性の声音だ。

 何故か、それが夢であると認識できるようになっていた俺は、その甘い声音にゆっくりと耳を傾ける。すると言葉は、耳を介して俺の身体を貫いていった。

 

『今日は御夕飯、ハンバーグにしてるから。遅くなる前に帰って来なさいね』

 

 なんのことだろうと思った。一呼吸を置いて目を緩やかに伏せ、考えてみる。

 分かったことは、この女の声が誰かの母親だということ。それが本当かどうか確かめたくて、俺は夢の中で目をかっ開く。

 

 それでも、夢は覚めなかった。

 

 ただ先ほどと違うところがあるとするならば、俺の予想した通り、視界の遠く先にいたのは母親らしき人物だったという事。顔は霞に覆われたように見えないでいるが、一括りにして髪を後ろに流し、エプロンを付けているその姿はおそらく誰かの母親なのだろう。

 

 ……どうして俺は、こんな夢を見ているんだ?

 

 夢なんてものは、大体自分にきっかけがあるものを見がちだ。例えば友達だとか、例えば家族だとか、見たドラマの俳優や、読んだ小説の登場人物、自分の記憶の片隅に残っている存在が夢には現れるはずだ。

 

 ならば、俺が目の前の人物を思い出せないのは……なんでだ?

 

 それに、どこか懐かしい香りがする。昔、確かに自分がそれを経験したことがあるような、そんな脈絡もない疑念がたちまち思考に居城を作り始める。

 

 俺は、この光景と、この声を知っている……?

 

 目の前の光景がだんだんとリアリティを帯びていく。それを身体と思考が認識し始めたのか、胸を起点に気持ち悪さがだんだんと巡り始めた。

 

 夢と現実が混ざり合う。あり得ない目の前の事象が次第に自分の身体に浸透していくのを感じて、心なしか吐き気を覚えた。ドロドロした変な気持ちが、心臓の近くで暴れている。

 

 それでも夢は残酷で、苦し紛れに吐き出された「待った」の声などお構いなしに進んでいく。母親らしきその人物は、誰かにずっと声を掛けていた。

 

 痛みに耐えながら、あるいはしっかりと焼き付けるように目を細めた先に、幼子を見る。まだ小学生にも満たないような、小さな小さな女の子だ。

 

 その顔は、なぜかはっきりと見えた。

 

 だからこそ、深い困惑が襲ってくる。知らない夢のはずなのに、知らない声のはずなのに、確かに自分はその顔を知っていたから。

 

 混乱が大きくなる。それと同時に、足場がガラガラと崩れるような感覚に見舞われた。この夢の世界が崩壊を始めた合図だろう。

 

 こんな気持ちの悪いところで終わらないでくれ。

 

 人知れず願うのもむなしく、視界はぐにゃりと歪んでいく。意識も段々と遠くなる。次目を開く時は現実だろう。そのさなか、最後に一度だけ、俺を呼ぶ声が聞こえた。

 

「それじゃ、行ってらっしゃい。おにーちゃん!」

 

 

 

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