君が目覚めるための魔法   作:白羽凪

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第四話 落とされし影

 あの日から、似たような夢を何度も見るようになった。母親のような人物と、幼子の声。そして最後には、「おにーちゃん」と語り掛けてくる。

 

 はたして、俺に妹なんていただろうか。思い起こそうと頭に何度も手をやるが、そのたびに脳の奥の方に痛みが走る。

 この頭痛は何かの警告アラートなのだろうか。そう思っては思考を止めて、逃げるようにスマホの方に目をやる日々が続いた。

 

 ……分かっている。このいたずらな夢と、どこかで決着を付けなければならないことくらい。もうすぐ冬になろうとしているのに、冷たい汗をかいて目覚める朝を繰り返していては、そのうち風邪だって引いてしまうだろう。

 しかし何か出来るわけでもない。自分の無力さを呪いながら、机に頬杖をついて窓の外の枯れかけたプラタナスに目をやった。

 はぁ……と、ため息を吐いて、コンコンと咳払いをする。二つ目の音を刻んだ瞬間、背中をバンと叩かれた。大した力ではないはずだが、鈍くじわじわと来る痛みが襲ってくる。俺にこんなことをする奴は一人しかいないと、もう一度ため息を吐いてのそりと振り返った。

 

「よっ、何黄昏てるわけ?」

 

「別に……。考え事してただけだよ。誰にだってあるだろ、考え事の一つや二つ」

 

「ふーん。それってこの間言ってた変な夢って奴?」

 

 その言葉がすんなりと達樹から出てくるものだと思っていなかったものだから、俺はしばらくの間何も話せなかった。こいつは、あんな脈絡もない話を覚えてくれていたみたいだ。

 

 目を細めて、ゆっくりと息を吐いて、頭の後ろで手を組みながら答える。

 

「そうだよ。よく覚えてたな、あの話。この間河川敷で話して以降、一回もお前にこの話振らなかったと思うんだけど?」

 

「んー? まあ、なんとなく? 今の湊人の考え事って言ったら、ナルコレプシーの事かその周辺だろうなって思うし。実際そうだろ?」

 

 実際そうだから、飄々と語る達樹の無神経さに少しだけ苛立ちを覚えた。まるで心の中を全部見透かされているような気持ち悪い感覚。背中の方をツーっと冷や汗が伝う。

 

 しかし、この話はそれまでだった。達樹は気でも使ってくれているのか、下手に風呂敷を広げようとはせず、畳んでポケットにしまった。

 

「ま、問題を自覚してるだけ進歩してるし、この話はここで終わり」

 

「勝手に広げて勝手に終わらせるなよ」

 

「言っても湊人、この話続けると絶対不機嫌になるだろ」

 

「……まあな」

 

 実際今も不機嫌メーターが上昇してしまっているので、迂闊に言い返せない。ここは折れて、達樹のペースにはまることにした。

 

「んで話変わるけど、今日放課後空いてるか?」

 

「絶賛帰宅部で実家という制約もない俺が空いてないとでも?」

 

「これは失礼。……というわけで、これから駅前のファミレス行かね? ちょうど気になってた新作のスイーツがあるんだけど」

 

「都心部のミーハーJKかお前は」

 

 しかもそれがファミレスの新作スイーツなものだから余計締まりが悪い。どうしてこうもこいつは周りと大きくズレているのだろうか。

 

 乾いた笑いを一つやって、俺はしょうがないなと頷いた。

 

「仕方がねえから付いていってやるよ。一人でファミレス寄ってスイーツなんてのも周りから見たら変だろ」

 

「そんなもんなのか? 俺は全然一人でもやるけど」

 

「……やっぱすげえよ、お前」

 

 度胸というべきか、ただ羞恥心がかけらもないと言うべきか。達樹の行動力や周囲の視線のいなし方は目を見張るものがあるだろう。

 換気のために開いた窓から入り込んでくる木枯らしに似た冷たい風が、首元をくすぐるようになぞる。風が吹き抜けた後で俺も同じ個所をそっと指で撫で、立ち上がった。

 

「んじゃ、日が暮れねえうちにとっとと行こうぜ」

 

 椅子を机に仕舞い、鞄を持ち上げて歩き出そうとするが、達樹は全く動きを見せなかった。何に囚われてか、口を開いたままその場に硬直している。俺を見つめている視線も、どこか普段からは感じられぬものだった。

 

「……なんだよ」

 

「いや、いつになく乗り気でびっくりしてるっつーか」

 

「やっぱやめるわ」

 

「嘘嘘! 悪かったって」

 

 ツンとして悪態をつくと、達樹はわざとらしく俺の目の前に躍り出て頭を下げた。多分これも演技なのだろうが、俺も演技なのでちょうどいい加減だ。こうして時にからかったら、面白い反応を見せてくれる。だから俺は達樹を「友人」と呼びたくなるのだろう。

 

 ふん、と鼻で小さく笑って、今度こそ俺は教室を出る。その隣には達樹もついていた。

 

×××

 

 平日夕方、ましてや駅前ということもあって、店内の客は同じ高校、あるいは別の高校の生徒でごった返していた。座っている席の近くを見回してみるだけでも、ドリンクバーと少々のつまみで長時間滞在しているであろう学生が多々伺える。

 

「んじゃこの新作の季節のパフェと……湊人はドリンクバーだけでいい?」

 

「な訳あるか、タブレット見せろ」

 

 ポチポチと注文用のタブレットを弄っている達樹(たつき)からそれを強奪して、一通りメニューを見てみる。ご飯は寮で出てくるし、特別外食するつもりもないから……。

 

「……お前と同じもの頼むわ」

 

「りょーかい。てか意外、湊人も甘いもん食うのな」

 

「テスト終わったし息抜きってことで、たまにはいいだろ」

 

 適当な理由を作って達樹を納得させるが、実際そんな思いは頭の片隅にあるくらいだ。結局自分で何かを決めることが出来ないから、こうして合わせるだけの形にした。

 端末を取り戻した達樹はポチポチと慣れた手つきでオーダーを入力して、壁際に置かれたスタンドに端末を戻す。それから鼻歌混じりに席を立った。

 

「湊人何飲む?」

 

「ホットコーヒーで。砂糖とミルクは一つずつ。てか俺も行くよ」

 

「いいから座ってなって」

 

 多分達樹なりの配慮なんだろうけど、こいつに一人で行動させると何か思いがけないことを行いそうで気が気でない。かといって信じてないからとついていくのも違うし……。

 

 結局どうすることもできないまま、達樹(たつき)はドリンクバーの方へ去っていった。内心ハラハラとしながらその経緯を最後まで見守るが、特段変なことをすることなく達樹は戻ってきた。……ま、そりゃそうか。

 

「ほい、お待たせ」

 

「悪いな」

 

 渡されたコーヒーのカップに砂糖とミルクを流し込んでマドラーでかき混ぜる。カップの中心で渦を巻くコーヒーをじっと見ていると、だんだんと眩暈がしてくる。

 

「……何してんの?」

 

「あ、いや、何もない」

 

 達樹の言葉でどうにか正気に戻ることが出来た俺は、カップから目を逃がすように達樹の冴えない顔を見つめた。というか、ただのカップの渦に引き込まれそうになる辺り、疲れてるのかもな。

 

 コンコンと咳ばらいをして、さっきまでの醜態をなかったことにする。そのまま相手に付け込まれないように、雑に話題でも振ることにした。

 

「そう言えば達樹、お前進路はどうすんの?」

 

「お前がそんなこと聞くの、珍しいな」

 

「……この間、叔母さんから電話かかってきてさ。そろそろ考え始めないといけないなと思ったんだよ。けどいざ考えてみると何も思い浮かばないし」

 

「そこで俺に聞いたと。ふんふん、なるほど」

 

 いたって神妙な顔つきで、達樹は何度か頷く。理由までちゃんと聞いて俺を茶化すことはしなかった。

 それから達樹は自分のグラスのコーラで喉を潤した後、想像もつかないセリフを平然とした表情で告げてみせた。

 

「大学行くよ」

 

「……意外だな。テストとかでもふざけてるし、勉強嫌いなのかと思ってた」

 

「別に今はやりたいことないだけ。俺さ、観光学学びたいんだよ」

 

「観光学? それこそ想像つかないけど」

 

「言ったことなかったからな。……輝かせたい街があるんだよ。今はちょっと死んで、寂れた街だけどさ、魅力のある街だったと俺は思ってるし、越えられるとも思ってる」

 

 そこにいたのは俺の知らない町田達樹だった。目を輝かせて、俺が知りもしなかった夢を赤裸々と語っている。退屈そうにあくびをしながら、老教師の言葉を右から左に流しているような普段の達樹の影はどこにもない。

 

 だからこそ、羨ましくも思ったし、なぜか腹が立った。今の言葉で、こいつが俺の見えないところで努力をしているだろうことが分かってしまう。それがたちまち、空っぽのままの自分を恨む理由になってしまっていた。

 

 ……けれど、流石に分かる。この禍々しい感情を達樹にぶつけるのはただの八つ当たりに過ぎない。不甲斐ないのも自分、この話題を振ったのも自分。ただそれにまともに答えただけのこいつに、俺は何を怒ることが出来る?

 

 頭の酸素を入れ替えるべく、ゆっくりと息を吸って、吐く。それからまだ熱の冷めないコーヒーを飲んでようやく、俺は頭に上りかけていた血を清算することが出来た。

 

「すごいな、そこまでちゃんとビジョンが見えてるとは思ってなかった。……けど、それだったらもうちょいまともに授業とかテストとか受けてみろよ」

 

「受けてるよ、模試はちゃんとな。……ほれ、これ見てみ」

 

 達樹からスマホを受け取ると、過去の点数の推移がきっちりとメモされていた。一年の初めの方から、着々と点数は伸びている。つい二か月ほど前に受けた模試で、ちょうど平均が八十点近くまでいっている。俺も頑張ってはいるが、全然歯が立たないレベルだ。

 

「……お前、頭いいんだな」

 

 それしか感想が出てこない。

 

「全然、まだまだ上はいっぱいいるしな。この点数で満足は出来ない」

 

 努力に見合っていない結果だというのか、達樹は不満そうに頬を膨らませ、鼻から息を吐く。演技でもない、飾ってもないその態度は、たちまち俺から言葉を失くす。

 ふざけているように見えて、こいつはこいつなりに頑張っている。

 

 その事実は先ほど微かに抱いた劣等感を増長させるには十分だった。愛想笑いをどうにか浮かべてはいるものの、心臓の方が痛くなる。

 

「……羨ましいよ、お前が」

 

 ついポロリと本音が零れてしまう。ありがたくもない言葉を受け取った達樹だったが、嫌な顔一つ見せることはなかった。

 

「それは褒められてるってことでいい?」

 

「ああ、褒めてるよ。遠慮なく受け取れ」

 

 そう答えると、達樹は口元をわずかに緩めた。心なしか嬉しそうにしている。きっと、誰かに褒められるというのはさぞ気持ちがよいのだろう。そうされたいという願望から逃げの一手を打ち続ける俺からすれば分からない感情だ。

 

 ……最後に誰かに褒められたの、いつだっけ。

 

 嫌な感情を頭の隅っこに置いて、少し冷め始めたコーヒーをまた一口啜る。さっきよりも味は極端に薄く思えた。味覚を形成する神経がマヒでもしたのだろう。

 

 達樹に気づかれないよう一つため息を吐いたところで、マスカットがふんだんに使われたパフェが到着する。業務的な笑み一つ浮かべて、ウェイターはトレイを胸元に畳んでさっさと帰っていった。

 

「お、来た来た。んじゃ、いただきます」

 

 悶々としている俺をよそに、達樹はスプーンでパフェの山を削っていく。一口食べては表情が大きく綻んだ。こうなった達樹に美味しくもない話をするのは無粋だろう。

 

 気分の悪い話はこれで終わり。仕切り直すように俺も目前のパフェを頂くことにした。思ってはいないけれど、名目としてはこの間のテストの褒美だ。不味いのでは面白くない。

 

 ……。

 

 ……気が付けば、手は一休みを挟むことなく動いていた。こう、甘いものに興味があるわけではなかったが、いざ口にしてみるとなかなかに合う。

 

 美味しそうに食べている達樹に遠慮する名目で食べ始めた俺だったが、気が付けば山の減り具合は逆転していた。ニマニマと笑いながら、達樹が茶化す。

 

「何、そんなに食べたかったわけ?」

 

「……あ、いや。美味いなって思ってたら、つい」

 

「でしょ? やっぱ誘ってよかったわ」

 

 今度は目を細めて瑞々しく笑う。先ほどまでそこにあった「茶化してやろう」という意志はもうすでに店内の片隅に葬り去られている。

 

「にしても、本当にうまそうに食うよな、湊人」

 

「それはお前が……」

 

「俺が、どうした?」

 

「……なんでもねえよ」

 

 実際美味しくいただいているわけだ。それを誰かのおかげ、誰かのせいにするのは少し違うだろうと、俺は口をつぐんだ。

 そんな不愛想な姿を見せる俺だったが、達樹は物憂げな顔つきで別のことを語りだした。

 

「にしても、お前が楽しそうにしてくれてよかったよ」

 

「今度はなんだよ」

 

「いや、あの日からあんまし元気なかっただろ? だから気分転換の一つでも出来ればな、なんて思ってたわけさ」

 

 あの日とは、俺が呼び出しをくらい、病気の可能性を示された日のことだろう。確かにあの日からごちゃごちゃと色んなことを考えて、固まっていた気がする。

 

「……そういうところ気が利くよな、お前って」

 

 そして今、心の底の方に泉のような余裕が湧き上がってきている。ごちゃごちゃと悩んでいたことがバカみたいに思えてくる。複雑な感情がパフェの甘みに溶け、揺蕩っていた。

 

 だから、言わなきゃいけない言葉はすぐに出てきた。

 

「……ありがとな、気を使ってくれて」

 

「おやまあ、湊人が素直にありがとうを言ってくれるなんて思ってもみなかった」

 

「うるせ、感謝の言葉くらいありがたく受け取れや」

 

 机から少し身を乗り出して、心ばかり開いた達樹の髪の分け目目掛けてデコピンを飛ばす。達樹はわざとらしく「あたっ」とリアクションを取って笑った。つられて俺も笑う。

 

 ふと、誰かが「友達は少しでいい」なんて言っていたことを思いだした。

 その通りだろう。多くの人に囲まれてワイワイとするよりきっと、こうして自分のことを分かってくれる誰かに時間を費やすほうがきっと自分のためになると今は信じられる。

 

 もちろん、そんなことをこいつには言わない。多分それが、心から分かり合える関係なのだろうから。

 

 そうして、久しぶりに黒く霞んだ色の感情を忘れ去った俺は残ったパフェをあっという間に平らげた。「もっと味わって食べろよ」なんて茶化されるが、知ったことか。

 

 甘みに満たされた腹を二回ほど摩って、俺は背もたれにドッともたれる。無心の時ほど神経は研ぎ澄まされるもので、たちまち周囲の雑音同然の会話がすっきりと耳に入るようになっていた。数多の言葉が音に紛れて聞こえてくる。

 

(十年前の……松杜の……海が…………)

 

「あれ……?」

 

 ただの単語の羅列のはずなのに、それが子守歌のように聞こえてくる。眠るつもりなんて毛頭ないのに、視界がグルグルと回りだして次第に瞼が重たくなる。

 

 ……これが……達樹の言ってた…………。

 

 そこでプツリと意識が途切れる。

 

 ……。

 

 …………。

 

 意識の再接続が始まった時には、達樹の目の前にあったはずのグラスがホットドリンク用のカップに変わっていた。

 

「……ん、悪い。また眠ってたんだな、俺」

 

「いいよいいよ。今日は三十分も寝てなかったから。むしろ、これ以上長くなると流石に店員呼ばれてたかもしれないから、ナイスタイミングだな」

 

 嫌な顔一つ浮かべることなく、達樹(たつき)はうつぶせになっている俺の背中を摩った。意識がしっかりと覚醒していくのに合わせて、俺は体を起こす。

 

「こう、分かってても止められないものなんだな。ナルコレプシーって」

 

「けどちゃんと認識できるようになっただけ進歩だな。湊人は今、自分が眠ってしまうって分かってたんだろ?」

 

「ああ。……けど、止められなかった」

 

「いいんだよ、ゆっくり治していけばいい」

 

 達樹は相も変わらず穏やかな表情で俺を励まし続ける。けれどそれがどうも虚しくて、胸の奥はやるせなさでいっぱいだった。腹の底の方を支配していた満足感も今はもうない。

 

 それより気になることが一つある。……俺は何がきっかけで、こうして眠るようになってるんだ? きっと偶発的じゃないはずだ。

 

「なあ、達樹」

 

「湊人、そろそろ出ようぜ。ドリンクバーだけで滞在しているのもなんか気が悪いし」

 

 真意を達樹に問おうとしたさなか、達樹(たつき)はわざとらしく立ち上がって伝票を手に取った。俺に有無を言わせないまま、スタスタとレジの方へ向かっていく。

 

「……はぐらかす、ってことは、やっぱり」

 

 何かあるのだろう。何かあると分かっていながら、何も言わないのだろう。達樹の行動なら、信じてもいい。

 

 沈んだ表情は後ろ手に隠して、今は信じる達樹についていく。言ってくれたんだ、ゆっくり治していけばいいと。何も焦る必要はないはずだ。

 

 一度大きな深呼吸。そうすれば少しだけ胸の中で生まれた雲を小さくすることが出来た。

 遅れて、俺も歩き出す。

 

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