やさぐれ天使と俺の、厄災をうちはらう正義の話(旧タイトル:でこぼこバディ)   作:朝食付き

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5.お前に言われることじゃない

 真っ暗な光のない世界。ぼんやりと思考がまとまらない。目の前どころか自分の手さえも見えないような暗闇。なのに自分がぽつんと立っているのが分かる。

 ここはどこだろうか。

 そう考えた矢先に、てーんとボールがバウンドする音が響く。

 ボールが転がっているならそこはコートだろう。草太の記憶に馴染むその音が、現在地を形作る。

 青々とした芝生。白線に区切られた長方形のコート。短辺側にはゴールがある。相変わらずコートの外は真っ黒いままだが、それでも今どこに自分がいるのかがはっきりとした。

 

 自分がコートにいるならそれは試合中なのだろう。そう考えた瞬間に現れて自分の元に集まってくるチームメイト。全員の名前も顔も知っているはずなのに、誰1人として顔がわからない。真っ黒に塗りつぶされた顔のチームメイトが草太の肩を、背中をポンと叩く。いつものじゃれ合いが、次第に形を変えていく。チームメイトの輪郭が少しずつ緩んで、草太へと纏わりついていく。真っ黒い液体へと変わっていくチームメイトに、全身を押し込まれて立っていられずにコートに転がされる。

 

 気がつくと膝を抱えて痛みに苦しむ自分がいた。草太にとっての悪夢の瞬間がそこにある。もう何も考えられていない。痛みに思考は乱され、歩けなくなる恐怖に心が震え、ボールを蹴られなくなる事実に身体が怯える。

 顔のないチームメイトが草太を無理やり立たせる。腕を取り、ボールの前に引きずり出す。

 そのボールの先にはゴールがある。あの時、もし自分が蹴ることができたなら、あの試合に負けることはなかった。もっと先に行けていたはずだった。全国制覇だってできるはずだった。それを台無しにしたのが自分だ。膝を壊したなどと、そんなのは言い訳だ。本当に強い選手だったのなら、壊すことなんてなかったはずだからだ。

 チームメイトが草太を前に押しやる。このボールを蹴るのはお前だと、その行動が告げている。

 

 お前のせいで負けたのだから、お前が蹴らないといけない。

 自分のせいで負けたのだから、草太が蹴らないといけない。

 

 だが、草太の足はすでに折れ曲がって、まともに立つこともできない。

 痛みがひどくて堪えるので精一杯だ。何より、心の底から怯えている。かつてそうであったように、草太は痛みの先に諦めを見ている。もうまともにボールを蹴ることはできないという恐怖が、際限なく痛みを加速させる。

 

 “なぜ蹴らない。お前が蹴るべきだ。お前はサッカーなしではただの役立たずだ“

 

 草太の心の底から声が聞こえる。顔のないチームメイトは草太自身の怒りだ。

 役立たず。その通りかもしれない。あれだけ大口を叩いていても、怪我一つで折れる心だ。その程度の男が、何を為せるものか。諦めて俯くその直前、視界の隅に映るものがある。

 

 一瞬だけ、この暗闇を切り裂くように、金の流星が流れた。

 

 あの光はなんだっただろうか。焦点のぼやけた思考が光を捉える。すると途端に不愉快な気持ちが湧き上がる。上から目線の自分勝手な声が聞こえる。

 

「私に働かせて自分は居眠りとは、無能もここまでくると呆れてものも言えんな。」

 

 いつの間にか聞きなれてしまった声が、草太を嘲る。忌々しいことに、今までのどこの誰よりも、はっきりとその声が聞こえてくる。

 居眠り?自分がか?こんな状況に押し込まれているというのに、こちらの苦労も知らないで。

 

 怒りが心に火をつける。

 折れた心を舐めるように怒りの火が広がっていく。

 

 なぜ蹴らないのかだと?怪我をしたからだ。見ればわかるようなこと長々とさえずる外野にも怒りが向く。なぜ蹴れないのか。怪我をした時の痛みがよみがえるからだ。

 

 なんで諦めたのか。──痛みに心を折られたからだ。

 

 ああそうだ。自分は諦めてしまった。絶対に治すと心に決めたのに、必ずもう一度フィールドに立つと誓ったのに、たかが痛みに膝を屈したのだ。

 うるさい外野の声が鮮明に聞こえてくる。これは自分の声だ。自分自身を呪う声だ。

 

 ならばやってやる。折れた心ならもう消し炭だ。一度諦めたからなんだというのか。

 いい加減頭に響くこの声を黙らせてやる。

 蹴れとというのなら、存分に蹴ってやる。この長峰草太、一世一代のシュートを見せてやろう。

 

 無理やり草太を立たせていた影を振りほどく。右ひざの痛みは絶えることはないし、震えるほどの恐怖が体を満たす。だが、それはもう草太にとって、すでに理由にならない。

 あの鼻持ちならない天使に言われるだけでいていいものか。

 ひん曲がった足は戻ることはなく、ぶらぶらと思うとおりに動かない。だが、そんなことはどうでもいい。なにせ最後のシュートだ。多少の無茶もこれが終いなら押し通せる。

 

 一歩踏み出す。それまでの何もかもを忘れて、自然と体が動く。かつての自分より大きく育ったその体が、その心の望むとおりにイメージをトレースする。

 そこに雑念など入り込む余地はない。流れるように無駄のない、力強いフォームで右足が振りぬかれる。

 白黒のボールは線を引くかのようにまっすぐにゴールへと吸い込まれる。

 

 ボールはゴールを越えて、そのままこの暗闇に突き刺さる。まるでゴムのように空間が引き延ばされ、限界を越えて世界が引きちぎられる。

 その先には顔を靄で包まれた入院着の少女。ボールはそのまま少女の顔に直撃し、靄を弾き飛ばす。そして倒れる少女。流石に女の子の顔面に直撃はヤバい。慌てて草太が駆け寄る。

 

「だ、大丈夫か?!」

 

 草太が少女を抱え起こす。わずかに声がもれるだけで意識がないままだ。

 突然笑い声が響く。少女ではない。声の元を辿ればボールに弾き飛ばされていった靄が、宙に浮かんでいる。

 靄がぐるぐると動き、それは次第に目となった。草太とその目が合う。

 

 こいつがパンドラモンか。ようやくの対面だ。話だけは聞いていたが、会うのは初めてだ。言いたいことは山ほどあるが、今はそれどころではない。少女の状態もそうだが、外ではホーリーエンジェモンが戦っている。すぐに自分も向かわなくてはならない。

 

「悪いとは言わないし、思ってもないけど、この子はもらっていく。お前の悪だくみも俺たちが叩き潰す。」

 

 目だけがにんまりとうれしげにゆがむ。

 草太が強く左手を握る。先程まで感じていなかった感触、スマートフォンがあることを知らせる。瞬間あふれる浄化の力。パスを介して現れるホーリーエンジェモンの力が、草太と少女を包み込む。

 少女が身じろぎをして、目を覚ます。靄を警戒しつつも、草太が少女と目を合わせる。

 

「──、」

 

 掠れた声は言葉を成していない。できるなら水を与えて、ゆっくりと話を聞いてやりたいところだが、今はそれどころではない。まして、少女がどういう状態だったのかも定かではない状態で下手なことも言えない。

 

「悪いけど君の言葉を待っていられない。状況が悪い。だから一つだけ聞く。俺は君を助けたいと思う。だから俺に、君を助けさせてくれないか?」

 

 少女はじっと草太の目を見つめる。口はうごけど声は出ない。だが、少女は小さく、震えながらも、うなづいた。

 スマホをパーカーのポケットにしまい、左手を高く上げる。少女を抱き止めたまま、草太は叫ぶ。

 

「ホーリーエンジェモン!!」

 

 吹き抜ける風と共に闇を切り裂きホーリーエンジェモンが現れる。草太が掲げた手を取リ、草太と少女は一気に青空の元へと引き上げられていく。

 草太の腕の先、少女を見てホーリーエンジェモンが目を細める。しかし何も言わずに力強い羽ばたきのまま、二人をケレスモンから引き離していく。

 

 少女という人質、そしてタトゥーの供給元が失われたことで、ケレスモンメディウムがタトゥーを引きちぎるように吹き飛ばす。しかし、ケレスモンの巨体に刻まれた領域は広すぎた。ケレスモンメディウムが力を取り戻してもなお、ケレスモン自身のコントロールを取り戻すことは容易ではないようだ。

 ケレスモンメディウムは胸の前で手のひらを組み、ゾンビタトゥーの影響を切り離そうとしている。だが、パンドラモンの抵抗は激しく、主導権を簡単には明け渡そうとはしない。

 

 その隙に、ホーリーエンジェモンと草太、そして少女は一度地上に降りることにする。さすがに助け出したばかりで弱っている少女を巻き込むわけにはいかない。

 

 雑居ビル屋上に降り立つと、テイルモンが駆け寄ってくる。その目は少女に向いており、鋭い視線は明らかに敵対者へ向けるものだ。実際状況は明らかにクロ。どの程度意識があったのかはわからないが、今回の事件の元凶ともいえる人間であることには間違いがない。だがそれでもまずは話を聞くところからであるべきだ。

 機先を制するため、草太がテイルモンへと告げる。

 

「俺たちが、助けた子だ。」

 

 じっとその場でテイルモンは草太を、そして少女を見つめる。

 

「……わかりました。あなたたちが助けた子を、私も助けます。」

 

 ホーリーエンジェモンの金帯から降りると、抱えていた少女をゆっくりと床へとおろす。名残惜し気に首に回されていた腕が離れる。

 

「俺たちはあれをなんとかしないといけない。だから、君のことはそこの猫もどきが見てくれる。話は後で必ず聞くから、待っててくれ。」

 

 背後ではテイルモンが猫もどき発言に目を丸くしているが、いちいち構ってはいられない。事実だからである。

 ともあれ上空ではケレスモンが悶えている。この隙に何とか対処するしかない。

 

「行くぞ。」

「ああ。」

 

 再びホーリーエンジェモンの金帯に手をかけて、空へ向かう。最後に一度少女に目をやり、あとは振り返らない。

 

 空に飛び交うデジモン──少女が呼び出した者たち──は、ずいぶん数を減らしている。

 

「ずいぶん張り切ったな。」

「誰かが役に立たなかったからな。」

 

 残りのデジモンを落としながら、少しずつケレスモンへと近づいていく。呼び出したデジモンはせいぜいが成熟期。すでに大多数を落としている以上、草太という重しがあったところでホーリーエンジェモンの敵ではない。

 

 残る戦力はケレスモンのみ。パンドラモンとケレスモンメディウムとの主導権争い次第ではすでに決着がついている可能性もありうる。

 だがその程度で終わるほど容易くもない。突如としてケレスモンから溢れる黒い靄。これまでにない濃度で、ケレスモンの巨体すら覆い隠すほどの量が吹き出続けている。街の人からみれば突然雷雲が現れたようにも見えただろう。それほどまでに勢いよく靄が噴き出ている。

 

「ケレスモンが負けたか。」

「だろうな。でもケレスモンメディウムには高間を助けてもらった借りがある。できる限り助けたい。なんとか出来るか?」

 

 雷雲と化したケレスモンを眼前に、今後の動きを相談する。仮に完全に乗っ取られたとするならば、対処は難しい。ケレスモンを覆い尽くすほどの靄を完全に除去するのにどれくらいかかるか。それが分かるから、2人の表情は冴えない。

 

 と、黒い靄をかき分けて何者かが飛び出してくる。咄嗟に構えるホーリーエンジェモンに対し、ゆるっとした声がかかる。

 

「おっと、攻撃するのは勘弁してほしいね。せっかく命からがら逃げ出してきたところだからねぇ。」

「ケレスモン…か?」

「うん、私はケレスモンメディウム。どうぞお見知りおきを。と、そちらの少年は先程ぶりだね。彼女は無事助かったかな?」

 

 トサカのような兜に金色に輝く鎧、それに対してやけに薄着の胴体。どうにもメリハリの効きすぎた姿だ。最上位の実力を持つという究極体だというのに、やけに気さくな口調であることに戸惑うものの、彼女の無事を伝える。

 

「そうか、それはよかった。なら、これで全員無事ということになるね。」

「ん?中にはまだケレスモンがいるんだろ?」

「ああ、ケレスモンならここだよ。」

 

 見ればケレスモンメディウムが小脇に抱えているのはデジモンである。その見た目はケレスモンの姿をしている。ただ大きさに果てしない差はあるものの、どうやら本体とも言うべき体を無事に取り戻せたらしい。

 

「心配してくれてありがとうね?ただこれでも私たちはデジモンなのだよ。結構融通が利く体なのさ。ただ、問題もあってね。」

 

 明らかに厄介ごとだ。ますます顔をしかめるホーリーエンジェモン。草太も似たり寄ったりの顔だ。

 

「遠慮ないねぇ、君たちは。ともかく、私たち本体が抜けたとはいえ、体は残ってしまっているんだよね。おまけにあの黒い靄はばっちり残っているわけなんだよ。できれば全身取り戻したかったけれど、完全に主導権を取られてしまってね。」

 

 ケレスモンメディウムの言う通り、黒い靄が薄れていくに従って、タトゥーに全身を縛られたケレスモンの肉体が見えてくる。

 

「なあ、テイルモンが言ってたケレスモンの必殺技、なんて言ってたか覚えてるか?」

「テイルモンとやらは知らないけれど、私の必殺技ならアイランドフリーフォールだね。全力で体当たりをするんだ。そうすると爆風と衝撃で相手をメチャクチャにすることができるよ。」

 

 思わぬところから答えが返ってきたが、問題はその中身である。

 当人のいうことには、ほぼほぼミサイルである。このまま地上に直撃すれば、冗談抜きで消滅する。それを許すわけにはいかない。

 

 ケレスモンメディウムに改めて向き直る。見れば身体中がボロボロである。金の鎧は煤けていて、長い桃色の髪も埃にまみれて輝きがない。抱えられたケレスモンも心なしか元気がなさそうだ。表面に生えた苔もところどころ毟られていて10円禿になっている。

 つい先程まで、名前も顔もわからないような見ず知らずの少女を守り続けていたのだ。ひたすら打ち付けられるタトゥーを相手に、あの少女は傷一つなかった。慈悲深き十二神族が人柱。弱きものを決して見捨てることのない、慈愛の化身。

 ケレスモンメディウムは無事に脱出だと言うが、緊急脱出として本体から抜け出すのが容易いことだとは思えない。まともな手段ではないはずだ。消耗した彼女にこれ以上の負担をかけたくはない。本来二人が助け出すべきだった少女を守り続けてもらった借りもある。

 何より、これは草太とホーリーエンジェモンがやるべきことだ。

 慣れない敬語でケレスモンへと告げる。

 

「ケレスモンメディウム。あとは任せてください。俺たちが何とかします。

下にテイルモン──猫みたいなのがいるので、状況とか説明はそっちに。デジタルワールドへの帰還についても助けになるはずです。」

 

 だが、ケレスモンメディウムはすぐには動かない。目こそ隠れて見えないが、試すような視線が草太とホーリーエンジェモンに絡むのを感じる。不覚を取ったとはいえ、その身は究極体だ。これほどまでに消耗した状態であってもなお、草太とホーリーエンジェモンでは相手になるまい。だからその目は二人を捉えたまま、お前たちにできるのかと、そう問いかけている。圧倒的な格上からの、文字通りの上から目線。

 ホーリーエンジェモンは不愉快げに鼻を鳴らすが、大一番を前に無駄な喧嘩を売ることはしたくないらしい。実力が劣っているのを認めたくないだけかもしれないが。視線を無視して抜け殻のケレスモンの体を眺め始めている。

 しかし草太は目を逸らさない。

 やがてケレスモンメディウムが表情を戻す。

 

「じゃあ、お願いね。」

 

 そう言うとさっさと地上へと降りていく。

 残ったのは、二人。大天使、ホーリーエンジェモン。その契約者、長峰草太。まるで気の合うところはなく、口を開けば喧嘩しかすることがない二人だ。だが、パンドラモンからこの街を守り続けてきた二人だ。

 

「じゃあ、やるか。」

「ああ、やるぞ。」

 

 究極体から任されようが、街の人々の命がかかっていようと、この天使に動揺はない。それは必ず守り切れるからだ。守り切る自信があるからだ。

 だから草太も恐れを出すことはない。この性悪にそんな弱みを見せてたまるかと、意地だけで共に悪意へ立ち向かう。

 どこまでも相いれない二人がただ唯一目的を共にする。だんだんと輝きを増していく天使の翼が、地上からも見えている。悪夢のような現実に、神話を思わせる4対の翼が羽ばたいていく。もうすでに、絶望はない。

 

 

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