やさぐれ天使と俺の、厄災をうちはらう正義の話(旧タイトル:でこぼこバディ) 作:朝食付き
ケレスモンを包む黒い靄がだんだんと薄れていく。代わりにケレスモンの体を縛るように取り巻くタトゥーはより深く黒い。
すでにケレスモンメディウムというケレスモンをケレスモンたらしめる本体はないが、それでもその巨体はそれだけで脅威だ。究極体を丸ごと乗っ取ってしまうほど注ぎ込まれたパンドラモンの力もそこが知れない。だが、二人に恐れはない。
いつもの如く、ホーリーエンジェモンがエクスキャリバーを申請する。それを草太が即時承認。この街を守るために手を組む。仕方なくそうするのだと、お互いがポーズを取らざるを得ないくらい、2人の目的は一致している。
早くも草太とホーリーエンジェモンの間で共振励起が始まる。降り注ぐ陽光に負けない輝きがホーリーエンジェモンからあふれ出す。共振によって増幅される力は完全体の枠に収まらない。まるで流星のように光の尾(ぶら下がる草太のことである)を引きながら、抜け殻となったケレスモンへと突貫する。
ケレスモンから伸びる黒い靄が、二人を迎撃せんと向けられる。
何十とケレスモンの体から伸びる腕は、まるでヘビの頭だ。時に重なり時に分裂するその蛇は、変幻自在に宙を蠢き二人を毒牙にかけんとする。
だが、その二人こそが対パンドラモンの専門家である。たかが腕が増えた程度のことで怯むことはない。
黄金の剣が尽くを打ち払っていく。まるで三日月のような残影が空に浮かび上がり消えていく。切り裂かれた蛇は元の靄に戻り、別の蛇に取り込まれて形を取り戻す。末端の靄をいくら切ったところできりが無い。
燕のごとき急激な切り返しを幾度も繰り返して、ケレスモンの抜け殻へと向かう。
懐へ入り込み一撃を加えつつ離脱する。ホーリーエンジェモンの得意とする一撃離脱戦法である。
幾重にも重なる黒い靄をすり抜けて、ケレスモンの抜け殻へと長く大きい傷跡を作る。
手ごたえはある。しかし、ケレスモンの巨体からすればせいぜいがかすり傷。ましてや抜け殻相手である。ゾンビタトゥーを使った操り人形相手では、傷を与えたところで痛みにうめくことすらないのだ。
黒い靄は、無数にのたうつ蛇のように二人を襲い続ける。
時に華麗に、時に無様に避け続ける2人だが、このままではジリ貧である。こちらの体力が尽きるのが先か、ケレスモンが地上に激突して街が壊滅するのが先か。
ケレスモンの高度は徐々に下がってきている。体力も時間もない。
この大質量の爆弾をなんとかするには、ヘブンズゲートしかない。それも、この巨体を飲み込めるような特大のゲートがいる。
通常は浄化のためにデジタルワールドへつないでいるが、まさかこれを送るわけにはいかないので、本来の亜空間への接続だ。ホーリーエンジェモンがパンドラモン追撃として選ばれた最大の理由、二度と帰ることのできない亜空間への門を開くこと。それ以外に勝ち筋はない。
だが、その力の行使をパンドラモンが許さない。
そもそもとして亜空間への門を呼び出すこと自体が極めて高度な技である。当然のことながら片手間にできるようなものではない。これまでの戦いでも、ヘブンズゲートを直接攻撃に使用することはなかった(浄化を優先していたという理由もあるが)。ましてや、十重二十重にと振るわれ続ける攻撃をよけながら使える技ではない。
金帯にぶら下がるしかできない草太としては歯噛みするしかない。何かで気を引こうにも、そもそも上空遥か高みである。手元にあるのはせいぜいがスマホである。まさかこれを投げるわけにもいかない。草太がいなければホーリーエンジェモンは全力を発揮できないが、草太が今現在重りにしかなっていないことも事実だ。せめて少しでも弱みを見つけようと目を凝らす。
何十と繰り返した回避行動のあと、大きくエクスキャリバーを振るい巻き起こした風を壁にして、ホーリーエンジェモンはケレスモンから距離を取る。そして金帯ごと草太を引き上げて告げる。
「私が避けている間に貴様がヘブンズゲートを開け。」
「ゲートを?──使えるのか?」
「逆承認だ。せいぜいうまく使って見せろ!」
ヘブンズゲートを草太が開く。確かにホーリーエンジェモンとパスによってつなげられ、力のタンクとなっている草太にはそのための力が蓄えられている。ましてや共振によって増幅された力である。理屈としては使えないはずがない。
スマートフォンの承認システムは草太からの申請は想定されていない。人間が持つ力などたかが知れているからだ。だが、それでもパスは繋がっている。草太からあふれた力を石に込めて投げたことだってある。先ほどだってこの力を使って高間こよりとケレスモンメディウムを救い出したのだ。ならばできない道理がない。
ましてや、ホーリーエンジェモン自身がそれを承認するのである。何度ともなく繰り返した動作を逆転させることなど、ホーリーエンジェモンからすれば容易いことだ。
いつもと少し違うバイブレーションが草太のスマートフォンを揺らす。ゲートの使用許可、それが通ったのだ。
ホーリーエンジェモンの回避行動で盛大に振り回されながらも、通知を開き確認する。そこには確かに承認の2文字。
少し画面に文字化けが見えるが、大したことではない。
大事なのは、画面中央に浮かぶただ一つの単語だ。
"ヘブンズゲート"
臆することなく選択肢をタップする。
画面が切り替わり、ゲート生成位置の設定画面が映る。カメラを利用してゲートを開く場所を決めるらしい。スマホの画面に映る真っ青な空には遠近感がない。まさか目の前に開くことはないだろう。が、念のためケレスモンよりさらに上空を映す。
カメラがピントを合わせるように、ヘブンズゲートを生成するための力が一点に集中していく。それは草太の身体を通り力の焦点へと向かう、莫大な力の流れだ。
体中が焼けるような熱を感じる。システムの想定範囲外である故の異常が現れているのか、単なる負荷に発熱しているだけか。どちらにせよやめるという選択肢などない。
スマートフォンを握りしめ、空のただ一点に意識を集中する。
靄による攻撃も、躱す時の動きも既に草太の頭にない。少しでも意識が振れたら門が発散する。誰に説明されるでもなく、草太にはそれが分かった。パスを通じて送られてくる、ホーリーエンジェモンからのフィードバッグかもしれない。力の使い方、流し込み方、それら全てを薄氷を踏むように静かに丁寧に進める。
そして門を現出させる時が来る。ここまでくればケレスモン──パンドラモンも事態に気が付いている。空気が歪み、光が曲がるほどの圧力が、空に満ちている。ケレスモンから伸びる靄も、抜け殻に戻り警戒状態となっている。だがどれだけ警戒したところで無駄である。
草太はスマホを空にかざしたまま、大きく円を描く。その軌跡の先、天空に巨大な黄金の円が現れる。円は厚みを増し、周縁にはデジタルコードが刻まれていく。閉ざされた門は、遥かなる亜空間とこの世界とをせき止める鋼の壁だ。
顕れたヘブンズゲートはケレスモンすら容易く通り抜けられるほどの威容を誇る。文字通り草太とホーリーエンジェモンの切り札、最後の一手である。
この大いなる門が、重低音を響かせて開かれていく。
ここが勝負どころである。草太は一気にゲートへと力を注ぎ込む。体を通り抜ける力の流れは燃えるほどの熱だ。莫大な力の元、ヘブンズゲートが開かれていく。亜空間からの引力が強まっていき、その直下に位置するケレスモンの抜け殻を引き寄せていく。いくら羽ばたこうと、石くれの翼がパンドラモンに応えることはない。第一、翼は空に上がるためにあるのだ。門が直上に開かれている以上、ケレスモンの抜け殻がゲートから逃れる術はない。
しかし、相手は抜け殻でもあったとしても究極体である。ましてやパンドラモンの力を十分に蓄えているのだ。草太とホーリーエンジェモンがなす強力な意思を束ねた共振励起に対し、幾多のデジモンや人々へ与えた恐怖と苦しみ、その負の感情を吸い取り束ねたゾンビタトゥー。対照的な二つの力がせめぎ合う。
力の綱引きはケレスモン──パンドラモンに軍配が上がる。
ヘブンズゲートの引力ではケレスモンを取り込むには足りない。どれだけ食いしばろうと、力を捻り出そうとも、草太が開くヘブンズゲートでは力が足りない。
街の人々は今怯えているのだ。上空に得体のしれないバカでかい鳥が現れ、今にも落ちてこようとしている。かと思えば謎の円盤がその鳥を引き寄せんと得体のしれない力を放つ。その引力はわずかながらにも、地上にまで影響を与えている。
これで怯えるなという方が無茶である。見えるのは黒い靄を吐き出すケレスモンだ。怪物がやばそうなことをしている。それだけだ。わずかにホーリーエンジェモンに気がつく人はいても、あまりの質量が不安を煽る。
どれだけ強い意志であっても、ただ二人だけの力だ。対してパンドラモンはおびえる人々の負の感情をすすり、わずかながらでも力を増し続けている。弱い力であっても束ねれば大きな力に成るのは自明だ。草太の力ではパンドラモンにかなわない。
だからホーリーエンジェモンが猛り、声を放つ。
「突貫する!!」
光を纏いケレスモンの抜け殻へと突撃する。エクスキャリバーすら収め、ただケレスモンの抜け殻を押し込んでいく。ゲートによる引力とホーリーエンジェモンの圧力。
草太だけでは足りずとも、ホーリーエンジェモンがいる。
たった二人ではあるが、お互いに対しては呆れるほどの意地を以て、いくらでも虚勢を張れる二人だ。
どれだけ食いしばろうと動かなかったケレスモンが、ゲートによる引力と、ホーリーエンジェモンの押し込みで徐々に動き始める。光が巨大な怪物を押し返す。その光景に少しずつ人の心に希望が灯る。
少しずつでも確かに勝利が近づいている。
ケレスモンの全身がゲートを越えたとき、二人の心が緩んだ。
あと一息で街を守りきることができる。その希望が油断に繋がった。
敵はケレスモンの抜け殻を操るパンドラモンである。その意志は、ケレスモンではなく、身体に刻まれたタトゥー、そして黒い靄である。
それまで縮こまって動かなかった黒い靄が、突如として膨れ上がり、ゲートの縁をつかむ。まるで蜘蛛の糸のようにベッタリとゲートに張り付き、逆に門から這い出ようともがく。靄はゲートの稼働部までも塞いでおり、ゲートを閉じることすら出来なくなっている。
あとはゲートを閉じさえすれば終わりだった。にも関わらず、些細な油断が致命的なミスを生んだ。
ゲートに取り付いた靄を切るだけでは足りない。切られた端から即時再生を繰り返し、逆に靄の範囲が広がる始末。エクスキャリバーの切れ味が仇になった形だ。
これほどのサイズのゲートは長く持たない。
ケレスモンの抜け殻ごと靄を叩き込む方法を見つけなければならない。
ホーリーエンジェモンが、一つだけ見つけた勝ち筋に逡巡を顕にする。現実から背けるように、それでも思わず草太に目を向ける。
にやりと草太が笑う。
「あれ、何かに似てると思わないか。」
指し示す先にはケレスモンの頭だった部位に集まる、ゾンビタトゥーの塊。光を吸い込むような黒が球状に固まっている。
「……サッカーボールか。」
「俺が飛び出したら、エクスキャリバーでゲートをつかむ黒い手を切れ。俺はあのボールをゴールに叩き込む。それでゲームセットだ。」
「お前の人生もそうなるな。」
ホーリーエンジェモンが開くゲートだからこそ、その威力はよく知っている。ゲートをくぐればもう戻ることはできない。
「そう思うならもう一つくらいゲート開いてみせろよ。さあ、行くぞ!!」
「貴様ッ!」
有無を言わせずにホーリーエンジェモンの金帯を蹴ってゲートの先、ケレスモンへと飛び乗る。ゲートは強力な引力を発揮しており、まるで空へ落ちるように引き寄せられていく。
ケレスモンの抜け殻を一気に駆け上る。元々が巨大な体ではあるが、今の草太ならば、ゾンビタトゥー、いや、あのボールまで3秒もかからない。
止める間もなく飛び出した草太を目で追うこともなく、ホーリーエンジェモンはエクスキャリバーを構える。
自分勝手な草太の行動にカチンときた。さらに、それしか選べない自分の無力さに腹が立つ。
なにより、草太ならなんとでもしてしまうだろうという希望を感じた自分自身に、はらわたが煮えかえるほどの怒りがある。
ケレスモンの巨体は土と草に覆われている。草の高さはまちまちだが、膝を壊す前に走っていたグラウンドを思い出す。膝の治療中にあれほど焦がれたグランドではなく、バカでかいデジモンの背中を走っている。なんの因果というのか。多分あの腐れ天使との腐れ縁だろう。
これから蹴りこむボールだって、検定球どころか邪悪な力の塊だ。おまけに叩き込むゴールは亜空間そのもの。
自分でもあきれるような、空想じみた現実だ。
それでも高揚する気持ちがある。体は覚えている。ただボールを追いかける喜びを。あれほど焦がれた瞬間がここにある。さっきは最後のシュートなんて言ったけど、あれは嘘だな。まだ、諦められない。
ホーリーエンジェモンの力と、ゲートの引力に任せて一気に飛び上がる。宙に飛び出した体は草太のイメージと寸分違うことがない。自分自身を十全にコントロールする感覚。草太の望み通りの軌跡をたどって、草太の右足が邪悪の塊へと叩きつけられる。
ジャンピングボレー。かつてプロのスーパープレイにあこがれて泥だらけになるまで練習したそのシュートが、誰にも知られることのない空の上で振りぬかれる。
草太が飛び上がる瞬間を目に焼き付ける。場合によってはこれで草太自身が消えてしまう可能性がある。ならば最後まで見届けること。それが自らに課せられた義務であるとホーリーエンジェモンは考える。
遠目にも草太が笑っているのが見えた。今まで見たどの瞬間よりも、生き生きとした表情を見せている。これが本来の草太そのものなのだろう。その瞳の輝きは、亜空間の中にあってもひときわに目立つ。
言葉にすることのない、その時感じた全てをエクスキャリバーに込めていく。すでに余力など残ってはいないが、それでもこの湧き上がる感情が力となって応える。
そして、しぶとくゲートをつかむ黒い腕に向けて、エクスキャリバーを振るう。
スッとすくい上げるような切り上げから、半身を返して振り下ろしの一撃を放つ。
その剣の軌跡は真円を描き、黒い腕を両断する。
右足が描く軌跡、剣のきらめく光。二人の一撃には刹那のずれさえなく、パンドラモンの力を削ぎ、蹴り飛ばす。
力の根幹にシュートを叩き込まれ、まともに靄を作ることすらできずに、パンドラモンの力の残滓とケレスモンの抜け殻が亜空間へと落ちていく。
そして、草太も浮き上がったまま寄る辺もなく、亜空間へと吸い込まれていく。
上も下もなく、いつかテレビで見た宇宙飛行士のように、無重力じみた動きでくるくると回転している。一瞬ゲートの向こう側にホーリーエンジェモンを見た。草太に向けて手をかざしている。
ホーリーエンジェモンがどんな顔をしていたのか。遠すぎて草太にはよく見えなかった。飛び込んだことに後悔はない。ただ、それを見られなかったのは惜しいな。そんなことを考えた。
最後に何かに引っ張られる感覚を覚えて、草太の意識は暗転した。