やさぐれ天使と俺の、厄災をうちはらう正義の話(旧タイトル:でこぼこバディ) 作:朝食付き
草太が自らの作り出したヘブンズゲートへ飲み込まれてから早くも1日が経過した。
本来ならばケレスモンを除去した以上、すぐにパンドラモン封印を再開すべきであった。それが出来なかったのは高間こよりの存在があったからだ。
高間こよりはパンドラモン逃走における重要参考人である。天使連の結界内からの脱出、ひいてはデジタルワールドからの逃亡を許すことなった原因であり、最も長くパンドラモンと過ごした存在でもある。
封印から逃れてからの動向を知るためにはこの少女の証言が必要となるのだ。封印措置を取るほどの存在だからこそ、ありとあらゆる調査が求められる。
ホーリーエンジェモンからすれば、高間こよりに大した価値はない。利用されていたことは明らかだし、パンドラモンの行ってきたことを後から追うくらいなら直接捕まえて吐かせる方が早い。せいぜい運の悪い人間だというのがホーリーエンジェモンの認識である。だからさっさと然るべき医療機関にでも引き渡してパンドラモン追撃に移りたかったのだが、それをとがめたのがテイルモンである。
パンドラモンの協力者であるという疑いから厳しい目で見ているものの、少女を助けた少年からは直々に身柄の安全を頼まれている。パンドラモンが少女を取り戻しに来る可能性を考えると、病院というわけにもいかない。まして、彼女が受けたのはパンドラモンの黒い靄そのものである。浄化出来る我々がまずは引き受けるべきと譲らない。元々テイルモンの気質としてはひどい目にあった少女を受け入れてやりたいと思っていることもあって、まずは高間こよりの安全を優先すべきと主張したのだ。
実際パンドラモンの居場所がはっきりしているわけではない。まさか同じ場所に意味もなく留まるはずがない。どちらにしても草太という外付けタンクを失ったホーリーエンジェモンは弱体化している。ケレスモン相手に全力以上を出し切って消耗した体には回復する時間も必要だった。無闇に街を探し回ろうが、こよりの保護を優先しようが大差はない。そうテイルモンに主張されると反対意見も大したものが出ない。だからこの時はホーリーエンジェモンも渋々その判断を受け入れることになった。
実際に真っ当な判断ではあったが、同時にパンドラモンを窮地から救う判断でもあった。
ホーリーエンジェモンが知る由もないことだが、パンドラモンはこよりを囮に使う直前までいた場所に留まっていたのだから。ホーリーエンジェモンと草太をリアルワールドから排除するために、全力であったのはパンドラモンとて同じだった。手元に移動用のデジモン一匹すら残さなかったのだから。
もし仮にこよりが直ぐに目を覚まし、その場所を指し示しさえすれば話は大きく変わっていたに違いない。
──だが、そうはならなかった。
その判断を、すぐにでも討伐に向かうべきだったとホーリーエンジェモンは後悔することとなる。
***
高間こよりを長峰家の草太の部屋へと運ぶ。なにせここが一番馴染みのある安全な場所だ。家主不在のベッドに少女を寝かせる。家に運び込む前に、近所の老人たちに捕まってしまったが、逆に高間こよりの病人としての扱いについて聞くことができたのは災い転じてなんとやらだろう。
「草太ちゃんはどうしたの?あの子は全然病気しない子だけど、看病くらいは出来るでしょうに。」
「そうよねぇ~、いっつも半ズボンで走り回ってたのに、風邪ひとつ引いてなかったわよねぇ。」
「あのアホのことはいい。やつは不在だ。とりあえず今は寝かせておけばいいんだな。熱が出るようなら病院行きと。よし分かった。なんだ、さっさと散れ。」
「もう、すぐに邪険にするんだから。ちゃんと世話するのよ、ホーリーエンジェモンちゃん。」
がやがやと話し続けようとする老人たちも、病人の前で続ける気はなかったらしい。すぐに解放される。いつもこの位大人しくいうことを聞くならば苦労はないのだが。
少女は草太のベッドに寝かせて、あとはみていたテイルモンに任せる。
「ええっと、この子は寝かせていればいいんですね?」
「そう言っていたろう。やばそうなら病院に置いてくればいい。」
そしてそのまま窓から飛び立とうとする。が、テイルモンに金布を引っ張られ引き留められる。
「待ちなさい、ホーリーエンジェモン。あなたの行動の速さは褒められるべきものですが、無言で飛び出していくのはよくありませんよ。」
「これ以上やつに時間はやれん。それとも状況の悪さを分かっていないのか?頭まで 家猫に成り下がったのなら大人しくそいつの脇で昼寝でもしてるといい。」
「ホーリーエンジェモン……! 苛立ちをぶつけるのはやめなさい。八つ当たりなどと情けない真似をする天使がありますか?あなたこそ、状況を判断しなさい!」
ホーリーエンジェモンにとっては痛いところをつかれた形だ。草太がいなければケレスモンによる街の破壊を防げなかったこと。そしてデジタルワールド行きとはいえ、自らの必殺技を草太へ向けたこと。どちらもホーリーエンジェモンのプライドを傷つけるには十分な出来事だった。いらだちは言葉に、怒りは仕草に、短慮は行動に出る。いつもよりも口が悪いのはその発露だ。
ゆえに、テイルモンの言葉は痛烈に響いた。普段なら一顧だにしないが、自身が一番このイラつきを理解している。大人しくというには荒々しく、テイルモンに向き直る。
「……ちっ。」
「状況をまとめます。私達の戦力は著しく低下しています。あなたの全力が出せないこと、草太さんの協力が得られないこと。主にこの二つ、実際一つではありますが。草太さんの捜索は天使連に依頼済みですが、どのくらいかかるかの見込みはありません。ここまではいいですね?」
「ああ。対してパンドラモンはせいぜい手駒を失った程度か。高間こより無しでもデジモンを呼び出せる以上、時間は奴の味方だ。早々に叩く必要がある。」
「ええ。でもそのための戦力が足りないんです。私たちだけではジリ貧なんです。それは分かるでしょう?なのにあなたときたら、一人で勝手に外をほっつき歩こうとするんですから。反省文一回じゃ足りませんよ、まったく。」
ねちねちと過ぎたことを繰り返してくる。普段こそ落ち着いた風に見せているが、その実いつまでも怒りを根に持つのがテイルモンだ。草太の前では物分かり良くお上品な姿を取り繕っているが、本来はバタバタと落ち着かない上にしつこいのがこいつの性格なのだ。
ただ、どんなにしつこく言っていようと、優先順位を違えることはない。怒りを逸らすのは簡単だ。
「手札が足りないなら増やせばいいだけだ。大して役に立たんだろうが、天使連から適当に何人か呼べばいい。上もこの期に及んで二の足を踏むような無様は晒さんだろう。」
「あなた……、だから嫌われているんですよ。」
「だからどうした。木っ葉どもが役に立ったことがあるなら言ってみろ。そもそもパンドラモンに出し抜かれたのは上の問題だ。たまには尻で椅子を磨くだけの平和ボケした連中を働かせるべきだ。」
「それは言いすぎですよ、ホーリーエンジェモン。でも、すぐに手配をかけます。」
部屋を飛び出すテイルモンを一顧だにせず、窓から外を眺める。高めの立地だから見通しはいいが、かといって別にいい景色というわけではない。面白味のないただの街が見えるだけだ。なんのこともない、どこでも見られるような光景。だが、ホーリーエンジェモンはその街に暮らす人を知ってしまった。ただの街を飽きることなく眺める。
***
普段、ホーリーエンジェモンは草太の部屋には入らない。いや、一度だけ入ったか。あの時はウジウジとした草太の態度に耐えかねて罵声を浴びせたのだった。面食らった表情が痛快であった。だが、あの時言われた言葉はホーリーエンジェモンとて身に堪えた。
”何もない薄っぺらな正義”
自分の目指す正義とは何であるのか。そんなことは決まっている、力だ。何者にも屈することのない、純粋な力。それこそが正義。そのはずである。
ろくに食べ物も得られず、ただ弱って死んでいく仲間を見るだけの日々。そんな立場を抜け出せたのは、セラフィモンが自分を見出したからだ。か弱い成長期だった自分にはあの薄汚い路地を抜け出す力などなかった。そのための手段を考えることすらできなかった。だからセラフィモンが見せた力に焦がれた。徒党を組んで治安を崩し続けていた連中を、軽々と吹き飛ばしていく姿に希望を見た。
絶対的な力が欲しかった。誰にも舐められることなく、誰からも咎められることがない。何をすることだってできる。そう、力があれば地獄のような世界であっても変えることができる。力がなければ選択肢を見ることすらないのだ。未来を望むための力、それこそが正義だ。
ホーリーエンジェモンは自分の力を、正義を信じている。力がなければ人に手を差し伸べることはできない。まして救うことなどできやしないのだと。そう、信じていた。ひ弱な人間が、ひ弱なままに人を助ける姿を見るまでは。
それはホーリーエンジェモンがリアライズした直後のことだった。先に到着していたテイルモンから緊急との連絡を受け、狭苦しい路地に急行し、興奮するミノタルモンと怯える人間を見た。リアルワールドの人間の脆弱さは聞いていたから、そのままではミノタルモンが人間を殺してしまうだろうと思った。割って入るかと翼を広げた時、路地に立つ者がいた。そして見た。サラリーマンを叩き潰す直前のミノタルモンと、それに空き缶を投げつける草太の姿を。
人とデジモンには生物として隔絶した"差"が存在する。人間がデジモンと正面からやり合う場合、ライフルやマシンガンを持ってようやくスタートラインが揃う。いわんや無手では戦いにすらならないのだ。だが、それでも草太はミノタルモンの気を引いて、殺される直前のサラリーマンを見事に救って見せた。
何一つ特別な力のない、ただのひ弱な人間の子供。本来ならサラリーマンがつぶされる姿を見るか、その前に逃げるか。取れる選択肢はそれだけだったはずだ。岩を砕く腕力も、木々を焼き尽くす炎も、自在に風を操ることもできない人間という生き物。案の定、喧嘩を売っておいて即逃走などとみっともない真似をかます始末。もしホーリーエンジェモンが助けなければ、あの時草太はミノタルモンにつぶされて死んでいたことは間違いない。
──それでも、あのサラリーマンは生きていた。命を助けられていた。よろよろと、感謝と謝罪を繰り返しながら、あの路地を抜け出すのをホーリーエンジェモンは見届けている。確かに命が救われた瞬間を見たのだ。
本当は人間と契約するつもりなどなかった。力のない人間に変えられるものなどないと考えていたからだ。だが、草太はそれを見事に覆してみせた。何を得するでもなく、対処できる力もない。正義のないあの場において、あのサラリーマンは確かに救われた。ホーリーエンジェモンがいなければ草太は殺されていただろうが、間違いなくサラリーマンの命は助かっていたのだ。
だから、命を投げ出すようにして他者を助けようとした、その理由を、ホーリーエンジェモンは知りたかった。
***
視界に映る街はいつもとなんら変わるところがない。道を歩く人々、スピードを出しすぎている自動車、我が物顔で奇声を上げる子供。リアルワールドのありふれた景色。つい半日ほど前に壊滅しかかったとは思えない。
人間にはどうもおかしなところがあるらしく、パンドラモンの脅威から助けた人間は不思議な挙動を示す。命が助かったことに安堵し、感謝を大袈裟に口にし、そして、ホーリーエンジェモンに安心を告げる。天使様がいるのならばと、胸を撫で下ろすのだ。大丈夫だねと笑うのだ。ただ一度助けただけのホーリーエンジェモンに、なぜそこまで無防備な顔を浮かべられるのか。人間の世界はどうも科学が発達しすぎたせいか、警戒心というものが欠如してしまったのだろう。本能すら失いつつある哀れな生き物。そう思っている。
──しかしその表情が妙に頭に残るのだ。
バタバタとテイルモンが駆け込んでくる。同時にホーリーエンジェモンも事態を捉えた。
「大変です! 天使連と連絡が取れません! どうして?さっきまでは繋がったのに!」
「落ち着け馬鹿者。何があったかだと?決まっている。パンドラモンが動いただけのことだ。外を見てみろ。」
がしりとテイルモンの頭を鷲掴みにして窓まで持ち上げる。うぐっと声を上げるテイルモンも、窓から見える景色に声を失う。
「白い…靄?」
高台にある草太の部屋からは、街の景色が割とよく見える。街を分断する川の先、駅や繁華街のある東側の区画がぼやけている。いや、ぼやけているのではない。どこからともなく発生した白い靄が街を包み込もうとしているのだ。