やさぐれ天使と俺の、厄災をうちはらう正義の話(旧タイトル:でこぼこバディ) 作:朝食付き
草太による承認解除を受けられない、力を抑制されていたとしても、ホーリーエンジェモンの力はパンドラモンの黒い靄に対して特攻をもつ。白い靄への効果は極めて薄いが、わずかでも慰めにはなる。
もう何度目になるか、ホーリーエンジェモンが自らの力を柔らかな光に変えて苦しむ人にかざす。一瞬だけ苦しみが薄れるものの、それでも苦しみが途絶えることがない。
どれだけ力を込めても、白い靄がはれることはない。金の布に隠されたホーリーエンジェモンの表情は凶相というにも生ぬるく、食いしばる表情がまるで笑っているかのように見えるだろう。
近場の人を屋内に避難させた後も、白い靄に埋まった領域を巡って動けない人を避難させていく。羽ばたきは荒く、風打つ音があたりに響く。意識せずとも人々の呻き声が耳に入ってくる。どこにいても聞こえてくる。人間より遥かに広い範囲まで届く耳が、苦しげな息遣いを捉え続ける。
「……苦、しい。誰か、何か食べ物をくれぇ……。」
「お腹すいた……何か、食べ物を……。」
誰もが救いを求める。しかし、その願いに応えられるものが、いない。
ホーリーエンジェモンが見たこの世界は、食べ物の溢れる豊かな世界であった。味にこだわらなければコンビニの軽食が24時間いつでも手に入るし、スーパーに行けば新鮮な食材を選ぶことさえできる。飲食店は乱立し、多様な料理が並べられた看板には、ホーリーエンジェモンからして安価であると認識できるような値が付けられている。
生真面目なテイルモンなどはどこかの主婦にでも被れたのか、飽食がどうこうとケチをつけるくらいである。しかし、それがどうしたというのか。食べられない苦しみに比べれば、飽食などただの言いがかりだ。
食べるものがある。衒いなく腹を満たすことができる。自身が育ったあのスラムにはありえないすべてがある。だからこそそんな上等な世界でどうでもいいことに鬱々と言い訳している草太に怒りが湧いたわけであるが。
だというのに、これはどうしたことだ?
溢れるほどの食べ物を前にして、飢えて苦しむ人がいる。底の抜けた食欲が人の心を歪めている。ホーリーエンジェモンが夢見た世界が、台無しにされていく。
ホーリーエンジェモンが最も恐れる世界がそこにあった。
身の内から震えるほどの怒りが湧き上がっている。一瞬たりとも留まらぬその怒りが、行き場を求めて溢れ出しそうだ。これは、どこに向ければいい?
当然パンドラモンだ。やつにぶつければいい。だが、それだけではこの人々は救われない。パンドラモンを首尾よく封印できたとしても、ゾンビタトゥーが自然に消えることはなかった。であれば、この飢餓も自然に消えることはないだろう。まして、ホーリーエンジェモンの力で消すことができないこの呪いから、誰が解放できるというのか。
ホーリーエンジェモンが培ってきた力が、自分自身を支えてきた力──正義が、まるで役に立たない。
か弱い人間が助けを求めている。それに手を伸ばすことができるようになったはずだ。そのはずだった。だが現実には何もできやしない。この苦しみを止められない。
近くにいるサラリーマンがホーリーエンジェモンに手を伸ばす。心の混乱を押し殺して手をとる。わずかであろうと安らぎがあるようにと、力を注ぐ。こんな役に立たない力であっても、サラリーマンは礼を言ってくる。
ウロウロと避難所として人を集めた屋内を歩く。
子供がいる。いつもホーリーエンジェモンの羽根を欲しがっていて、好きあらば引き抜こうとしてくるやんちゃな子だ。今は青い顔でほとんど意識がない。そばに寄り添う女性は保育士だ。ベテランの保育士で、一度園児を抱いて空を飛んだら危ないだろうと説教をされたことがある。最後に自分もやりたいのにと本音をこぼして子供達に突っ込まれていた。あれほど温かく、凛々しい人だったのに、今は力なくうなだれて、目もうつろだ。しかしそれでも少年の手を握り続けている。
そばにひざまづく。ホーリーエンジェモンに気がつき、少しだけ目に光が戻る。
「お迎え、かしら?……ごめんね、冗談。ちょっと力が出なくって……。でも、もし連れていくなら、私からお願いね……。この子はまだ早いと、あなたも思うでしょう……?」
「貴様など連れていくものか。図々しい。身の程をわきまえろ。このクソガキもだ。うるさくて敵わんからな!」
悪態しかつくことができない。だというのに、何をできたわけでもないのに、保育士の表情が和らぐ。
「あなたが、そう言ってくれるなら……、私たちは、大丈夫ね……。もう、そんな顔して。怖がって、子供たちが逃げちゃうわよ。たま…には笑ってくれたら、いいのに。」
ホーリーエンジェモンの頬に手が伸びる。飢えと疲労で少し震えている。身動きするのでさえ苦痛だろうに、そのか弱い手が、ホーリーエンジェモンに触れる。ひんやりと冷えていて、それでも触れた温もりがホーリーエンジェモンの心に残る。腕を上げるためだけに、どれほどの力を込めていたのだろうか。空腹で動けないというのに、無駄な動きなどする余裕などないだろうに。
だからホーリーエンジェモンは笑った。いつもそうするように、誰もかもを見下すように。弱く哀れで惨めなものに対して笑う。何もできずにただ励まされただけの自分を笑う。急拵えの避難所に高笑いが響く。何もできない惨めな大天使が、なんの力も伝わらないただの笑い声が反響する。
「少しだけ耐えていろ。腹を抑えれば少しは気がまぎれる。……すぐ、とは言わん。だが、必ず貴様らを苦しみから救ってやる。……おい、聞こえているな? よし、ではその時を待て。」
保育士と少年に言うだけ言って反応を待たずに外に出る。まだ、この街全てを見回れたわけではない。少しずつ広がっていく靄のせいで、手が足りない。避難が終わらず、路上に倒れこむ人がまだいる。動けるのはホーリーエンジェモンとテイルモンだけ。だから体だけは動かしていく。
自らの嘲りが生み出した高笑い。屈辱すら感じるホーリーエンジェモンは怒りで気づくことはなかったが、避難所のうめき声は、苦しみは少しだけ小さくなっていた。
***
避難所を立ち去ってからも、ホーリーエンジェモンの頭の中はぐちゃぐちゃになっている。何もできることがない。何一つ役に立つことができない。 天使連に拾われてから、ホーリーエンジェモンは自分の力を疑ったことはない。それだけの修練を積んできたし、十分な実績がある。
だが、そのプライドが、正義が揺らいでいる。
降り立った町外れの弁当屋では、店員が弁当をむさぼり続けている。
「もう食べたくない、嫌だ、苦しい、いやだ……。」
どれほど食べようが、空腹が消えることはない。どれだけ食べようと、満たされない苦しみだけが残る。それでも手を止めることが出来ない。はち切れそうな胃が悲鳴をあげている。それでも飢えに耐えられず口にしていく。食べても、食べなくても苦しみは終わらない。
これは、なんだというのか。
食事とは、こんなものではない。空腹に苦しむことも、泣きながら食べることもない、もっと満たされるべきもののはずだ……!
しかし、こんなものは知らない。この店員は、このままでは飢えに任せて腹が破れるまで食べ続けるだろう。苦しみに泣き続けるだろう。
無理やりに店員を弁当から引きはがす。はちきれんばかりに膨れ上がった腹にはもう食べられる隙間などないはずだ。だというのに、店員は必死で引きはがされまいと抵抗をする。助けてくれ、邪魔をするな、もう食べたくない。矛盾した言葉でホーリーエンジェモンへ救いを訴えかける。
ホーリーエンジェモンにとって、食事とは救いだった。どれだけみじめでひもじい思いをしても、わずかな糧があるだけで明日を信じる気になれた。飢えずに食べることのできる生活が欲しかった。わずかな糧を奪われることのない力が欲しかった。力のない、かつての自分が顔を出す。虐げられるだけの脆弱さ。パン一つ得るだけでも命懸けの日々。仲間は次々と死んでいき、最後まで残ったのが自分だった。弱っていく仲間に食べ物を与えることすらできず、ただ消えるのを見てきた。
弱さは罪だ。何ものからも害されず、害させない。それが正義だ。そのための力だ。そうならないように、そうさせないために力を得たのではなかったのか。セラフィモンに見出されて、辛く長い修練でも、そのためなら耐えられた。そうして今があるのだ。
今、ホーリーエンジェモンは力を得た。正義がある。なのに、できることがない。
頭が沸騰するような怒りが体中を駆け巡る。
一体何をどうすればいいのかもわからない。ただ、これは悪だ。世界中の悪意をより集めた災厄がここにある。
パンドラモンを必ず除かねばならない。
初めはただの義務だった。苦しむデジモンに同情しつつも、正義を身に宿す者の責務として封印をするだけだった。
今は違う。煮えたぎる怒りが、腹の底から全身をめぐる。パンドラモンは生きていてはならないものだ。どうあってもこの世界、リアルワールドとデジタルワールドから奴を滅さねばならない。
喜びを喜びへと戻さなければならない。