やさぐれ天使と俺の、厄災をうちはらう正義の話(旧タイトル:でこぼこバディ) 作:朝食付き
街の状況は相変わらず。人の気配どころか、鳥の鳴き声さえしない。異様な雰囲気に街へと近寄るものさえいない。ただの地方都市であっても、1万人以上が突然活動を停止しているのだ、問題にならないわけがない。テレビをつけるとワイドショーで謎の音信不通だとか、疫病なのではとか好き勝手に言っている。実際白い靄に触れれば飢えで身動きが取れなくなるのだ。初めのうちは取材に来ていたマスコミだとか物好きな野次馬も、目に見えてわかる以上に近づくことも無くなったらしい。
***
作戦会議で各々の役割分担を確認した四人は、いよいよ決戦と草太の家を出る。夕暮れに4つの影が伸びる。正真正銘最後の戦いになる。地上は、特に黒い靄の塔付近はゾンビタトゥーに染まったデジモンたちが巡回し続けていて、とてもではないがまともに進むことはできない。草太はホーリーエンジェモンの金布に掴まり、街を飛び越えて一気にパンドラモンの元へと向かう。
黒い靄で形成された塔の頂上に、パンドラモンがいる。塔のいたるところに白い靄が接続されており、人々の苦しみを吸い上げている。塔からはパンドラモンへ直結する黒い靄が伸びる。まずはパンドラモンをあの黒い塔から引き離さなければならない。少しでも白い靄のハッキングを優位に進めるために。
草太とホーリーエンジェモン、そしてパンドラモンが相見える。それぞれでの戦いはあれど、草太とホーリーエンジェモンが揃っての戦いはこれが初めてである。街一つを沈めて一段と力を増したパンドラモン。両手に収まる程度の大きさでありながら、これまでのどのデジモンより強い圧がある。遅れて到着したエンジェウーモンとこよりが気圧されて身を硬くする。ゾウとアリ、鯨と鰯。比べるのも烏滸がましいほどの存在の差がある。
だが、それでもなお、草太は普段のペースを貫く。ホーリーエンジェモンの金布に掴まったまま、塔とパンドラモンを珍しげに見下ろしている。ホーリーエンジェモンも先日の敗戦の屈辱をおくびにも出ず、悪態をつく。
「でかい塔の割には、安っぽい上にセンスがないな。」
「言ってやるな、ホーリーエンジェモン。パンドラモンにそういうセンスがないのは見て分かるだろ。いや、うーん、こりゃひどいな。黒くすりゃいいってモンじゃないだろうに。」
二人ののんきさにエンジェウーモンも呆れている。
「草太さん? あまり挑発しすぎるのもどうかと……。」
「ん? あれ、お前もしかしてテイルモンか?」
「そうです! テイルモンですから、パンドラモンを!」
草太は今までテイルモンが進化したところを見ていない。今回も先行して飛び出したものだから進化シーンを見逃している。テイルモンが時折いう、元々天使という言葉をかなり疑っていたものだから、先ほどまでの戦意を忘れて驚きが顔に出ている。
そんな気の抜けたやり取りを前にしても、パンドラモンは動くことなく草太を見ている。自身の災いのことごとくを退けた人間。どこかも分からぬ亜空間に飛ばされたはずの人間が戻ってきている。
かつて支配した少女──女天使に抱えられている──とは比べ物にならない意思の強さを感じる。忌々しい天使どもも、格付けは済んだはずだが何故か自信を取り戻している。これもあの人間の仕業だろう。
人を苦しめ続けてきた。デジモンを支配し続けてきた。だからパンドラモンと敵対したものは、皆激しい敵意を向けてきた。天使であっても例外はなく、ホーリーエンジェモンも、セラフィモンであってもそれは同じだった。だが、この人間の目にはそれがない。パンドラモンを見ているようで、何か別のものを見ている。確かに戦意はあれども、戦いに添えられる負の感情がない。
草太としては、当然パンドラモンへの怒りはある。だが、それは置いておくべきものなのだ。サッカーの試合に怒りなど持ち込んだところでパフォーマンスは落ちるだけだ。そして監督の雷も落ちる。いいことなど何もない。勝つために、余計なものは持ち込まない。
パンドラモンとの戦いは、この街やこの世界の存続すら左右するような戦いである。だからこそ、怒りなどという感情は無用だ。草太からすればただそれだけのことだ。
その、ただそれだけのことがパンドラモンにはわからない。自らを正面から見据えるその瞳が、その視線がパンドラモンに突き刺さる。理解できないからこそ、わかりたくなる。パンドラモンの限りない欲望が、初めて食以外へと向かう。
──ただ、その光が欲しいと思ったのだ。
欲望に従い瞬時に生み出された黒い靄の腕が草太へ向かって伸びる。
膨れ上がるその腕は、草太の身の丈ほどの手のひらを開き、捕らえようとする。人に避けられるような速度ではない。だが、握りしめた手のひらには何もない。
金布を草太ごと持ち上げて攻撃を避けさせたホーリーエンジェモン。憮然とする草太。
「犬猫みたいに持ち上げられるのもなんか腹が立つな。バリアとかそういうので防ぐとかにしろよ。」
「犬猫の方がまだ分を弁えているぞ。助かっただけありがたいと思うのだな。」
そして、眼下のパンドラモンへ嘲りの声を投げつける。
「ああ、こいつが欲しいのか? 大した価値のある人間ではないがな、貴様にくれてやるほど安くはない。人の苦悩も喜びも、貴様にはもったいない。そこらの雑草で満足しておけ。」
とことんまでパンドラモンを見下しバカにしていく。
怒りに駆られて爆発的にあふれ出した黒い腕が蛇のように絡み合いながらホーリーエンジェモンと草太へ飛びかかってくる。4対の翼を駆使して腕を避け続ける二人だが、網のように広がった腕──黒い靄から逃れる術はない。
しかしすでに二人は全開である。青から黄金の輝きへと瞬時に切り替わった聖剣が邪な黒い腕のことごとくを断ち切る。ヘブンズナックルを正面から防ぐほどの黒い靄であっても、共振励起で高められた光の聖剣の前には、太陽に散らされるか細い朝霧に等しい。
そして一気に上空高くまで飛び上がる二人を追うように、パンドラモンも靄を広げて上昇してくる。靄がまるで悪意の翼のようでもある。
「こより、私たちは、ゾンビタトゥーに操られたデジモンたちをやりますよ。準備はいいですね?」
「うん。やろう、エンジェウーモン!」
そのままエンジェウーモンは塔を取り囲むデジモンの群れに攻撃を加えていく。
ホーリーアローが黒く染まったデジモンたちを一匹ずつ撃ち抜いていく。射抜かれたデジモンは浄化され、元の体色を取り戻していく。しかし、パンドラモンが呼び出したデジモンの数は並大抵ではない。塔の元へと街中から集まってくるデジモンたちは、黒い津波のようにエンジェウーモンを追い詰めていく。できる限りデジモンたちを一箇所に集めること。それが二人の役割だ。ゾンビタトゥーは自然に治らない以上、この世界に一体でも残しておくことはできない。そのため、エンジェウーモンが囮となってデジモンを惹きつけ、ホーリーエンジェモンの全力で一気に浄化する。それが第一の作戦であった。
上空でドッグファイトを繰り広げながら、草太は状況を把握している。金布へ体重をかけ、ホーリーエンジェモンの飛行軌道を無理矢理変更する。
飛行中だと大声でなければ言葉は届かない。そうするとパンドラモンにこちらの行動を伝えることになる。だが、軌道を変えた理由は見れば伝わる。状況がわかれば意図が伝わる。
激しい機動が一転、直下降で二人の元へと降り立つ。
「エクスキャリバー承認! 全力で振りぬけ!!」
「頭を下げろエンジェウーモン!」
飛び込んだ力の余波でエンジェウーモンに飛びかかっていたデジモンが吹き飛んでいく。無理矢理こじ開けた空間から、聖剣が振るわれる。落下した勢いをそのままに、聖剣の軌跡が円を描く。逞しい肉体が体幹を軸として360度回転する。
周囲のデジモンがエクスキャリバーの剣風に切り裂かれ、その身に刻まれたタトゥーを瞬時に焼き尽くす。
吹き飛ばされたデジモンたちが浄化され横たわる中、パンドラモンだけが上空に浮かんでいる。灰色の雲が空を覆い隠し、黒い靄がまるで宙に空いた穴のようだ。ホーリーエンジェモンとの激しい空中戦にも傷一つなく、聖剣の輝きにも何の感動も示さない。ただ、二人を見ている。
一つの街を丸々絶望に沈め、生まれた負の感情を際限なく取り込み続けている。すでにホーリーエンジェモンなど歯牙にかけぬほどの力を備え、共振した全開のホーリーエンジェモン相手に圧倒的な実力の差を見せた。それでも、この二人を捉えきれない。
***
空に佇み動かなくなったパンドラモンを地上から草太が観察する。
痛み、憎しみ、苦しみ、嘆き、嫉妬、怒り。世に生を受けた生き物が、生きるために避けられないもの。それを啜り力となすパンドラモンならば、無限に力を増していくことになる。
──ならば、嬉しさ、心地よさ、楽しさ、友情、愛。この世を華やかに照らす喜びの感情ならば、どうなるのか。
草太もパンドラの箱の寓話を聞いたことがある。苦しみの詰まった箱を開いたせいで、世界は苦しみにあふれたのだという。だが、最後に残った希望があったと。巻き散らかされるほどに詰め込まれていた苦しみに対して、箱に残る程度の希望じゃどうしようもないなと思ったのを覚えている。
──今、希望はあるか。
ただの地方都市。そのすべての住民が助けを求めている。消えることのない飢えが身体を蝕む。苦しみに心が蝕まれている。
近所に住む穏やかなおじさん。毎日道を掃き清めてくれるおばあさん。少しずつ名前を覚え始めたクラスメイト。まだ名も知らぬ人々。誰もが苦しみにうずくまっている。届くことのない、弱々しくか細い声が、ホーリーエンジェモンのパスを通して草太にも聞こえている。どこを向いてもあるのは絶望だ。悲しみが靄に乗って幾重にも広がっていく。
ならば、それを助けよう。邪悪な願いで歪められた人の本能を、あるべき形へと戻してやる。希望がないのなら、希望を作り出す。草太たち四人が、希望となればいい。それだけの話だ。
「じゃ、俺も準備にかかる。パンドラモンの相手は任せた。」
「ハッ、いつものことだろうが!」
ホーリーエンジェモンが光を纏い、パンドラモンへと切り掛かっていく。
***
パンドラモンには理解できない。
自らを満たすためにパンドラモンはある。そのように生まれ、そうやって生きてきた。喜びも嬉しさも、悲しみも嘆きも何一つとして分かち合うことはない。
喜びはノイズで、悲しみは心満たす供物。それがパンドラモンであり、世界のバグが生み出した化け物だ。
人のため、弱いものを守ろうと剣を振るうホーリーエンジェモンを理解できない。少しこづかれるだけで死んでしまうようなひ弱な人間が、どうしてパンドラモンへと立ち向かってくるのか。全てがパンドラモンの理外にあった。