やさぐれ天使と俺の、厄災をうちはらう正義の話(旧タイトル:でこぼこバディ)   作:朝食付き

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9.光を示す

 

 ホーリーエンジェモンから離れ、地上で草太がエンジェウーモンとこよりの二人と合流する。ここからが本番だ。これから草太は白い靄を、飢餓を自ら受け入れることになる。1万人以上の人間が共振し合う苦しみがどれほどのものかは想像もつかない。

 意識をどれだけ保つことができるか、それが勝負だ。最悪の場合、こよりが無理矢理にでも草太の口にカルポスヒューレを突っ込むことになる。

 エンジェウーモンは草太とこよりの護衛だ。全てのデジモンを浄化しきれたとは限らない。作戦の要となる草太を守り切る必要がある。

 

 静かに深呼吸を繰り返す。鼓動が落ち着いてくる。できなければ全滅。ならばやるしかないのだ。星も見えない曇天の夜空にはパンドラモンと切り結ぶホーリーエンジェモンがいる。聖剣の光が瞬き、黒い影が跋扈する。今でさえ押されているというのに、これから更なる苦難が天使を待っている。

 白い靄を草太が取り込むためには、ホーリーエンジェモンの力を一度完全に遮断する必要があるからだ。草太やこよりを飢餓から守り続けた聖なる力を、完全に閉ざさなけばならない。 それはホーリーエンジェモンへの力の供給も完全に閉ざされることを意味する。共振励起によってかろうじて渡り合えている状況だというのに、力の増幅がなくなればどうなるかは日を見るより明らかだ。

 それでもホーリーエンジェモンは、何一つ文句をいうことなく、やると言った。普段あれだけ不平不満を撒き散らかしていると言うのに、肝心な時には決して弱さを見せることはない。

 

 一気に息を吸い込む。体に蓄えられて溢れる聖なる力を、意識して遮断する。

 体の守りが消え、白い靄が猛烈な勢いで草太の中へと入り込んでくる。カッと腹が焼けるような感覚を最後に、膝から崩れ落ちる。

 

「長峰さんッ!」

 

 慌てて草太を支えるこより。しかしその声は草太へ届かない。延々と共振を続ける苦しみが、激しい飢餓が草太を深い闇に引きずり込んでいく。 草太の肉体が悲鳴をあげる。何日もまともに食べられていないのだと、白い靄に騙された脳が空腹を訴える。人々の苦悶の声が、草太に絡みつくように響く。ただ、食べるものが欲しい。何者にも変え難い、生物としての本能が暴れだす。飢餓がもたらす苦しみは絶えることなく、肉体を、心を、蝕んでいく。

 これがパンドラモンの悪意。飢餓に苦しむ人々の嘆きが、苦しみが、無理矢理接続された白い靄によって増幅されている。誰もが膝を折り、空腹にあえぐ苦しみが、共振し続ける飢餓が草太の意識を吹き飛ばそうとする。

 

 "バサリ"と翼を打つ音が、かすかに耳に届く。

 自分の体が今どうなっているのかも分からない。空腹で頭が痺れたように働かない。だが、その音は確かに聞こえたのだ。大して長い付き合いではない。性格も行動も何一つ気が合うものがない。こんな状況でなければ言葉を交わすことすらない、正真正銘別世界の住民。

 だが、草太がその羽音を聞き逃すことはない。どれだけ嫌な存在であっても、そいつは草太にとっての唯一なのだ。ただ一つ、草太が憧れた光だ。だから草太には意地がある。だからこそ、他の誰よりも弱みを見せるわけにはいかないのだ。

 

 ──ホーリーエンジェモンはまだ戦っているのだから!

 

 腹が減ったからなんだというのか。膝をやってしまった時の痛みだって、そのあとの絶望感だって、自分は知っているのだ。この程度のことで屈するようでは、あきれるほど高慢な天使の隣に立つことはできない。そんな弱い姿を見せることだけは、絶対に御免だった。

 

 震えそうになる手に、必死に力を込める。崩れそうになる膝に鞭を入れるように足を支える。腹が減りすぎて逆に吐き気さえしてくる。それでも、腹に力を入れて笑う。パンドラモンの飢餓など大したものではないと、虚勢を張る。

 不安の表情で草太を見つめるこよりにも気が付かない。かすかな力を振り絞る。奴が、自分を待っている。必ず戻ると、そう信じているのだ。だから、それ以外のことはいらないことだ。ただ一人のために、残る全ての力を振り絞る。

 

 再び、草太に蓄えられていた聖なる光を解き放たれる。自らの身のうちに深く根を張った白い靄が、光に焼き尽くされる。白い靄に接続されたまま、草太が、再び立ち上がり叫ぶ。

 

「ホーリーエンジェモン、待たせた!!後は、好きにやれ……!!」

 

 草太が飢餓に苦しんだのはわずかな時間だったろう。それでも草太はほとんど瀕死だし、ホーリーエンジェモンは全身がボロボロにやられている。

 そんな仕打ちを、この街の人々は受けつづけていたのだ。今も苦しんでいる。それが許せるだろうか。許せるはずがない!

 

 ブワッと光と風が吹き荒れる。パンドラモンの攻撃を凌ぎ続けて傷ついた身体が、力を取り戻す。

 

「好きにやれ? あの阿呆は何を言っている? 貴様に言われるまでもない! ここからは私の時間だ!!」

 

 全身に満ち満ちる力が、ホーリーエンジェモンを高揚させる。そして高く響く笑い声。不遜なまでに笑う声が、夜空の元にどこまでも広がっていく。

 

 草太からすればこの高笑いはただの阿呆の鳴き声に過ぎない。

 だが、この街の人々にとっては違う。これまでこの街がデジモン、ひいてはパンドラモンによって受けた被害は相当なものである。直接的にデジモンに傷つけられた人、デジモンによって破壊された家屋やビルに住んでいる人々。

 それらすべての災いを、このホーリーエンジェモンが祓ってきたのだ。

 どこであろうと、誰であろうと、弱きものを守り続けてきた。ホーリーエンジェモンが現れたのなら、もうそれ以上傷つく人はいないのだ。だからホーリーエンジェモンの到来を告げる笑い声は、街の人にとって自分たちを救いに来る天使の福音なのだ。

 

 草太はエクスキャリバーを振るうのが楽しくて仕方ないから笑っているだけだと思っているし、大部分はその通りである。

 しかし何も知らない人々からすれば、見るからに神聖な天使が、人を安心させるように笑っているように見える。事実がそれを後押しする。正真正銘ホーリーエンジェモンはこの街を守り続けてきた。守り抜いてきた守護天使である。

 

 この高笑いこそが、作戦の要だった。草太の作戦はパンドラモンの靄をいわばハッキング、正確にはクラッキングすることだ。草太の感じるカルポスヒューレの味を届け、飢餓を焼き尽くすこと。

 だが、おびただしい苦しみと助けを求める声であふれる中、それを届けるのは困難極まる。苦しみに心が捉われている人に、かすかな光など届かないからだ。

 

 ──だが、ホーリーエンジェモンの声は必ず届く。

 

 今までの実績が証明している。草太が口に出すことは絶対にないが、ホーリーエンジェモンはまぎれもなくこの街の希望である。だから、苦しみに喘ぐ人々は誰よりこの天使に救いを求める。

 この街の人々は、あの高笑いに希望を覚えないはずがないのだ。たとえわずかな時間にしかすぎなくても、その声は確かに飢餓を忘れさせる力を持つ。

 

 白い靄を通して、草太が聞いたこの高笑いを街の人々に届ける。それはなんの力もない、ただの声だ。

 パンドラモンがこの声の意味を理解することは、ない。この声がどれほど人に救いをもたらすのかを、決して理解できないのだ。

 

 指ひとつ動かせないほどの飢えに横たわるサラリーマンが、その笑い声を耳にする。成長期すら訪れていない幼い子供に、その声が届く。その手を握る女性は、その声の持ち主を知っている。いつも騒がしく井戸端会議を開く近所の主婦にも、かつて信号無視を詰められたタクシードライバーにも、ただ一度でもかの天使を知った人の全てに、たとえ知らない人であっても、その自信に満ちた笑い声が、その心に響く。

 どれほど耐え難い飢えであっても、全ての感情を止めることはできない。深い絶望にあるからこそ、希望はより強く輝くことだってある。

 

 ホーリーエンジェモンのその声が、わずかな希望を生み出す。その希望が、わずかでも空腹を忘れさせたその一瞬が、最初で最後のチャンスだ。その瞬間をとらえ、これからの声を届ける。

 

「いただきます、だ。」

 

 いつもの青いパーカーのポケットから、カルポスヒューレ──デジタルワールド随一のスイーツだ──を取り出す。高らかな笑い声にいら立つパンドラモンは、草太の行動を気にも留めず、少しずつ雲が薄れていく夜空を背景に、ひたすらに天使を追い回している。

 

 その果実は、デジタルワールドの生み出した至高の一品。かぐわしき香りに理性が飛びそうだ。柔らかで張りのある皮をむくこともなく、一気にかじりつく。

 かぶりついたその先から舌がとろけるような甘い蜜があふれ出る。脳がしびれるほどの甘みが口内を彩る。突き抜ける香りは上品ながらも甘みに負けない強さがある。シャクシャクと食感のいい果肉に、耳までもが心地よさを感じる。

 ただの一口。ただそれだけで、それまでの苦しみが吹き飛ばされる。わずかな時間ではあったが、草太は何もかも忘れて、その味わいに集中する。

 

 パンドラモンによって飢餓の苦しみは靄を介してつなげられている。同じ苦しみが人と人の間で反射して増幅しあう苦しみのるつぼ。そこに一滴の甘露が齎される。

 ホーリーエンジェモンがこじ開けた飢餓の隙間に、するりと入り込んだそれは、絶え間ない空腹にあるからこそ、劇的に人々に染み渡っていく。

 わずかでも光が届けば、草太の味わったカルポスヒューレの感動が伝わる。光がその味、触感、香り、ありとあらゆる食の喜びを伝える。そのどれもが人の心を満たしていく。

 からからに乾いた心が満たされるとき、人は誰も幸福を覚えるものだ。邪な闇をたやすく引き裂き、白い靄で作られたつながりは、幸福の光で塗り替えられていく。

 

 人の苦しみを最大限に味わうために、パンドラモンは人と人との感覚をつなげて見せた。草太とホーリーエンジェモンの共振励起を模して、人の苦しみを増幅させることすらして見せた。たとえセラフィモンであっても、人の心を埋め尽くす飢えの苦しみを取り除くことはできないだろう。ゆえに人が人である限りパンドラモンは飢えることがない。

 ──だが、飢えの苦しみが本能に根差すものであるように、飢えを克服した時の喜びも耐えることはない。人の感情とは、隣りあわせであるがために。

 

 天使の力を真似たくせに、それを利用されることなどかけらも考えていない。そのセキュリティホールを草太は

突いた。一口咀嚼するごとに、舌が受ける感覚が目まぐるしく移り変わる。濃厚な甘みの奥には深いうま味がある。スッと消えていくような爽やか酸味が口内を洗うようだ。カルポスヒューレの皮にはほんの僅かな苦みがあって、絶妙なバランスで甘さを引き立てる。舌の根はいつまでも滋味が残り、パンドラモンの飢餓によるものではない、純粋な食欲がその果肉を求める。

 草太から伝わってくるカルポスヒューレへと、人々の意識は集中する。ただこの果実を味わいつくす。そのためだけに、ただ味わうということだけに人体のすべての感覚が費やされる。そこに飢餓の入り込む余地はない。

 

 共振励起。パスをつないだもの同士は、同じ意識を持つことで、両者をつなぐ力が増幅される。今、この街の人々が持つ感情はただ一つだ。ゆえに、溢れかえるほどの共振が生まれている。パスを通じるわずかな光が、共振によって倍々に膨れ上がる。白い靄の中を光が幾重にも重なっていく。

 草太はもぐもぐと、この恵みの果実を食べ続けている。言葉もなく、ただそのおいしさだけを感じている。その気持ちがこの街全てに広がって、まるで幸せに輝くように街に光が溢れる。

 

 最後の一口を飲み込む。口にはわずかな甘みだけが残る。

 

「……ご馳走様でした。」

 

 草太の心からの一言が、草太へつながるすべての人へ満足という気持ちを届けた。

 

 苦しみを忘れ、ただただ食べることだけに夢中となる至福の時。誰もが幸福を感じる時間がそこにある。

 人々の心に巣食っていた邪悪な災い、飢餓はすでにない。忌々しい靄は、ただの満腹感に塗りつぶされ消えていったのだ。

 白い靄を流れる光が、黒い塔に溶け込み光の塔へ塗り替えていく。”負”だけを取り込み続けたパンドラモンへ、”正”の感情が、莫大な量の希望が注ぎ込まれる。最も効率よく力を吸い上げ味わうために、パンドラモンは白い靄を自身の本質そのものへと接続していた。ゆえに、一瞬でパンドラモンの全てが光にさらされる。

 

 黒い靄の翼が光に溶けて、災いの箱が地へ落ちる。

 

 消えることのない光に本体を焼かれながらも、パンドラモンの視線は草太とホーリーエンジェモンを捉え続ける。

 

 月夜を背に、4対8枚の翼を広げ、黄金の光を纏う。それは邪悪な意思を断つためにこの世界に遣わされた、ただ一人の大天使。弱きものの守護者──ホーリーエンジェモン。

 街中を染め上げるほどの光が、この街の希望が、この尊大で傲慢な、誰より弱さを知る天使へと集まっていく。

 そこに顕れるのは、あまねくすべての人々の弱さを守るための光だ。遥か銀河を流れる星のように、静かに瞬く光が聖剣となり顕現する。

 

 その刃は、絶望を切り裂き未来を開くための希望を宿す、ひとかけらの熱すら持たない光の剣。

 

 ホーリーエンジェモンが光剣を天へとかざす。

 

 パンドラモンは自らを逆流し周囲にあふだした光──自らが傷つけ続けた人々の希望の衝撃にしびれて動くことが出来ない。負を取り込み続けたからこそ、正しき人の意志にあらがうことが出来ない。ただ、二人へ向ける視線だけが動かない。

 悪意をまき散らし苦しみを食らう世界のバグ。進化も退化もなく、負を取り込んで災いを成すだけの存在。バグそのものであるが故に、このパンドラモンを倒したとしても必ず次のパンドラモンがあらわれる。だからセラフィモンや天使連は封印を選んだ。 だが、ここはデジタルワールドではない。リアルワールドに現れたパンドラモンは、すでに世界から切り離されている。

 そしてホーリーエンジェモンと草太による逆転の光は、パンドラモンをパンドラモンたらしめるそのバグを浮き彫りにした。

 

 もし、パンドラモンが、食というものを少しでも理解していたのならば、こうはならなかった。リアルワールドへと解放されたが故に食欲に歯止めがかからなくなった。人の持つ圧倒的な情報量に欲望を揺らされて、飢えを満たすことを止められなくなった。──つまり、何事も腹八分目ということだ。

 

 ホーリーエンジェモンには祈るべき神などいない。姿は天使であってもその本質はデジモンであるからだ。誇りによって立ち、矜持を恃みに進む。そこに祈りの入る余地などない。

 だからホーリーエンジェモンが告げるのは、同じく飢えを知りながらも、異なる道を歩んできた者の最後の情けだ。

 

「パンドラモン、お前の苦しみを、今祓ってやろう。」

 

 振るわれた聖剣が一瞬の輝きが、パンドラモンを両断する。世界に満ち満ちる幸福が、パンドラモンの体を打ち砕く。パンドラモンを災いたらしめていた、バグごとすべてが浄化されて、さらさらと、邪悪そのものであったことが嘘のように、穏やかに消えていく。白い靄を満たす光がゆらゆらと浮かび消えていく。まるで星屑のような、美しい光が街の空に広がっていき、やがて静かになる。

 

 そして、一つのデジタマだけが残った。

 

***

 

 全てを見届けていた草太が、ゆっくりとデジタマへと近づき、手を伸ばす。不思議な力で宙へと浮かんだままだったデジタマが、触れた瞬間に重力を思い出したように落ちて、草太の手の内に収まった。

 

 それが、パンドラモンによる災害の終幕だった。

 

***

 

街1つを丸々飲み込むほどの力。いつでもパンドラモンは最後の災い──支配、疫病、飢餓の次に来るならば、それは死だ──を作ることが出来たはずだ。

 それをしなかった理由がホーリーエンジェモンにはわかった。

 パンドラモンは飢えていたのだ。ただただ飢えていた。だから人間の負の感情を食べ続けることをやめられなくなった。ただ貪欲に食欲に溺れて勝ち筋を見失った。パンドラモンの勝ちは揺るがなかったはずだ。だというのに、パンドラモンは勝つためではなく、長引かせるように戦った。ホーリーエンジェモンと草太の感情すらごちそうに見えていたからだ。

 自身もそうだったからこそ、わかる。スラム街から助け出された当時のホーリーエンジェモンもそうだった。何もかもがごちそうだった。だが、ホーリーエンジェモンにはセラフィモンがいた。食事の作法から作り方、材料の選び方までを丁寧に教わることが出来た。口うるさいクソガキへ教えるくらいまで、食というものを知ったのだ。

 

 草太による白い靄のハッキングにより、パンドラモンを構築するデータの末端に至るまでが白き光で焼き尽くされた。そして、剥き出しとなったその本質を、パンドラモンを取り巻く因果の全てを輝く剣が断ち切った。

ゆえに新たなデジタマには、忌まわしき災いなど何もない。

 

──そこにあるのは、何にでもなれるだろう、希望だけが詰まっているのだ。

 

 

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