やさぐれ天使と俺の、厄災をうちはらう正義の話(旧タイトル:でこぼこバディ) 作:朝食付き
ホーリーエンジェモンが住み着いてからというもの、草太の生活に大きな変化が現れた…というわけでもない。
もともと草太は平日は学校に通い、家に帰ってからはリハビリがてらのウォーキングをするという生活だった。
両親は県外へ赴任中なので自炊や掃除洗濯を行い、時々買い物に出かける。そういった繰り返しにホーリーエンジェモンが加わったところで生活パターンに大きな違いがなかったというわけである。
ウォーキングがパトロールという名称に変わったのがせいぜいである。
が、細かい部分で言うなら料理への要求や部屋の片付けという一人が二人になったことへの変更は当然あった。
お互いがお互いを気遣い無用とみなしているため、喧嘩しない日がないレベルでいさかいを起こしていたが、それはお互いの妥協点の譲り合い(主に諦め)で決着がついていった。
例えば料理は草太に時間のある夕ご飯だけはしっかり作る。朝や平日昼は適当な作り置きでホーリーエンジェモンが我慢する。掃除はできる限り自分のものは自分で片付けること。また、ホーリーエンジェモン用の拾ってきたものを置いていいスペースを設けることで解決した。要は子供部屋である。
どうもデジタルワールドにないものに興味がわいたらしく、草太からするとガラクタにしか見えないものを集めるという奇行(本人は趣味と言う)を始めたのだ。ぼろぼろの釣り竿、祭りのボンボン、松ぼっくりや紙飛行機に紙でできたメダル。どこから集めてきたかも定かではないが、たまに配置が変わっているので本人なりのこだわりがあるようだ。
ともあれ、お互いが特に生活でストレスを感じる部分にめどがついたことで、比較的穏やかな共同生活になりつつあった。
実際のところ、パンドラモン捜索自体は難航していたが、暴れるデジモン(タトゥー持ち)への対処と連携は思いのほか上手くいっていたことが大きい。さすがに現れるのはせいぜい成長期や成熟期でも比較的小さいデジモンが多かったということもあり、さっさとヘブンズゲートで送還できてしまっていた。むろん危険が少ないに越したことはないし、タトゥーから染み出る靄の凶悪さに変わりはない。が、あれほど煽られて共同生活までする羽目になった割には、上手くいっているというのが草太の感想だった。
***
日常生活としてパターンが定まり、関係性が落ち着いた。だからこそ、踏み込んでしまうこともある。
基本的にパンドラモンやゾンビタトゥー付きのデジモンの調査そのものについてはテイルモンが受け持ち、草太が積極的にかかわることはない。よって、草太の活動としては、ホーリーエンジェモンとのパトロールが主になる。
タトゥー持ちの出現についてはテイルモンの能力である程度地域の絞り込みができるということで、早期対処ができている。
それ故に、次の方針についてもめることになった。
ホーリーエンジェモンとしては捜索範囲をより広げたいと考えていたが、広げたところで戦闘に入れなければ意味がない。いかに完全体であるとはいえ力が制限されている以上は強めの成熟期程度の力しか発揮できない。そのため捜索時には草太の同行が必要になる。
しかしながら草太としては、身近なエリアの安全性を確保したいと考える。この街は草太の地元である。今でこそ疎遠になってはいるが、多くの友人が住むエリアだ。そのため、草太の方針としては地元重視となる。
どちらが正しいわけでも間違っているわけでもない、平行線をたどる意見の違いである。話に決着が着くわけもなく、ここ数日は二人の間の空気も関係性もぴりつくことになった。
ホーリーエンジェモンは共同生活を重ねた今になっても草太をつかみ損ねている。
普段の草太には能動的な意欲が感じられない。淡々と日々をこなし、情熱を向けるようなものがない。料理をしているときも、掃除をしているときも、そこにかける意志は希薄だ。
タトゥー持ちとの戦闘では暴走するデジモンの行動を的確に予想することがある。そういう時にホーリーエンジェモンへかける支持は明確で適切であった(そこが癪に障る部分でもある)。
意志の弱い人間だとは思わない。だが、自身の才覚をまともに振るう気がないように見えている。時々物憂げにしている草太には何かしらの事情がある。ただ、それが何なのかはホーリーエンジェモンにはわからなかった。
力がないから虐げられる。力あるものは弱者を顧みない。だから力が必要だった。
セラフィモンが自分を見出したのは、生きるためにあがき続けた生命力──これも力だ──に期待を込めたからだと知っている。だからホーリーエンジェモンは自らのために正義という力を求め続けた。だから振るうべき力を放り出すような草太の無気力さはいらだちしか生まなかった。
初めてリアライズしたあの時、草太がサラリーマンを助けた時の輝きに間違いはなかった。
ホーリーエンジェモンから見れば死を待つだけの弱者を、同じ弱者でありながら見事に救って見せた。
もしホーリーエンジェモンが行かなければ、草太自身が殺されて終わりだったはずだ。だが、それでもあのサラリーマンにかけられた死は払われた。間違いなく救われたものがいた。
その事実は、本人にも気が付かない心の奥で、ホーリーエンジェモンの心を揺らした。
だからホーリーエンジェモンは草太を契約者【パートナー】として選んだ。
──ホーリーエンジェモンはその理由が知りたかったのだ。
だというのにこの体たらく。パンドラモン捜索のために行動範囲を広げたい。地元の安全を固めたい草太との方針の違い。むろん意見の違いによる衝突を起因とするフラストレーションはあった。だが、真にホーリーエンジェモンをいら立たせていたのは、草太のその無気力さだった。
普段は立ち入ることのない草太の部屋を開ける。当然部屋の主がいぶかし気にホーリーエンジェモンに目線をやる。
6畳ほどの洋室だ。南向きの日当たりのいい窓際にはベッドと箪笥が並ぶ。壁際には木製でがっしりとしたつくりの机が置かれている。草太はといえば、その机に向かって作業をしていたようだ。
足を踏み入れる。
「なんだ珍しい。なにか用か?」
問いかけの答えを待つまでもなく視線を机に戻し、書き物を再開している。ホーリーエンジェモンの様子を気に掛けるそぶりもない。
だからホーリーエンジェモンも全く気にせずに箪笥に近づいた。そこには埃をかぶったトロフィーが並んでいる。
写真立てには同じ服装の少年が並んで、泥だらけの顔に笑顔を浮かべている。当然草太の姿もそこにある。
今より幼く、だが力強い笑顔だ。トロフィーは大小いくつか。金色がくすんで輝きもない。それでも栄光の証として存在している。これらの栄誉を掴み取ったのが草太であると、今の淀んだ姿からは想像できない。サッカーという競技を草太はしていたらしい。サッカーとやらが何かをホーリーエンジェモンは知らないが、トロフィーはその時のもので、それが並べられる程度には実力があったのだろう。
ふと部屋を見渡す。写真にも、トロフィーにもボールがある。だが、この部屋には見当たらない。と、隙間に目が留まる。箪笥とベッドの間には、黒と白のボールが転がっている。
空気が抜けてへこみが目立つ。サッカーボール、ホーリーエンジェモンにもその程度の知識はある。つまり、草太はサッカーを辞めたと、そういうことなのだろう。
できることをやらない。それは”力を持つ者の傲慢”であるとホーリーエンジェモンは考える。
ホーリーエンジェモンの価値観に従えば、力は正義であり、身を守るための生存権に等しい。だからホーリーエンジェモンは理由を問うことはしない。
やめざるを得ない理由など死以外にないはずだからだ。力を放棄する理由に正当なものなどない。そうでなければ生きていけないのがデジタルワールドの理である。
気にしないといえ、背後でごそごそと物色されていい気分のわけもない。
草太が振り返ると、ちょうどへこんだサッカーボールが持ち上げられたところであった。
手入れのされていない、埃にまみれてへこんだサッカーボール。普通のボールより一回り小さい、5歳の草太が初めて買ってもらったサッカーボールだ。
ホーリーエンジェモンに片手でつかまれて、まるで食べられた後のスイカの皮みたいに平たく見える。かつての自分の宝物。それが埃にまみれて潰れている。
***
──サッカーを諦めた日のことを、今でも夢に見る。
ボールをいくら蹴っても狙った所にいかない夢だ。ボールを蹴るたびに膝が捻れて、ついにはボールにかすりもしなくなる夢だ。焦る思いとは裏腹に、膝から下がどんどん伸びていって、しまいには紐みたいに伸び切って力すら入らなくなる。
夢の中の草太は、もう蹴る意味がないなと動かなくなる。すると幼い草太が現れて言うのだ。
”サッカー選手になるだろう?”と。
草太はその目を直視することができない。ただ黙って立ち尽くす。そうして目を覚ます。
***
だから、棚から落ちて目の届かないところに転がったボールを、草太はそのままにしていた。
捨てることもできず、再び手に取ることもできない。諦めた未練がボールを通して自らを苛む。かつて草太の胸を熱く焦がしていた夢の象徴。
誰しもが触れられたくない痛み、それを無造作に放り投げてホーリーエンジェモンがあげつらう。
「ずいぶん汚れた球だな。私物の管理もできないのか。普段私に偉そうに言っておきながらこれではな。」
言い終わる前にボールを奪い取られる。
「人の、人のものに勝手に触れるなって、教わらなかったのか…?」
「…それがそんなに大事か。言っておくが、それはもうゴミだ。手入れをされずに放っておかれたものはな、ゴミというのだ。」
「お前に何が分かるッ!」
「知らんなぁ。貴様がゴミにしたもののことなど。」
わざとらしく、ゆっくりと部屋を見まわす。壁に飾られたメダルやトロフィー、写真が埃を被っている。
「できることを放り出してずいぶんいい身分だな。そのくせ言い訳がましく見えないところに隠して一安心か。それではただ生きているのと変わらんな。貴様は、どうせ少しの挫折を大げさに傷ついたと喚いて投げ出したのだろう?で、まともに向き合うのが怖くなったと? ああそうだな、どんな言い訳で辞めることにしたのか、私が聞いてやろうじゃないか。」
「ッ……! 」
怒りに我を忘れるなどというが、それは嘘だな。あまりの怒りにそんなことすら考える余裕があった。
激情は静かに溢れ、怒りのままに言うべきではない言葉を選ぶ。
「………お前、本当に人じゃないんだな。」
怒りを目に残したまま、一呼吸の後に草太がつぶやく。
「何を言っている?私こそが正義の象徴、聖なるものの導、大天使だ。今更だろうが。」
「笑わせるなよ。何が天使だ。何が正義だ。お前の正義の薄っぺらさには本当に嫌気がさす。気づいてるんだろ? お前の言葉で喜んだ奴がいるか? お前の言う正義を正しいって言うやつがいたか? いないよな。どうせ、今までもいなかったろ? そりゃそうだよな。人の気持ちもわからない、押し付けがましい独りよがりでしかないもんな。…お前なんかが、自己満足の正義とやらで口出ししてるんじゃねぇよ!!」
「薄っぺらいだと…?私の正義を、貴様が否定するなっ!!」
お互いの傷をえぐり合う言葉を投げつける。一度タガが外れたなら、あとは燃え尽きるまで止まることなどない。
本当に契約者が誰でもいいのであれば、その正義に従わない相手を選ぶことはなかった。
その志がただの自己満足であったなら、その戦いに手を貸すこともなかった。
つまるところ、どんなにいさかいが絶えなかったとしても、心根が映すものがある。互いの心を支えるものを信じていた。だからこそ、本当に言われたくない言葉が傷を作る。
「出ていけ!もう顔を見せるな!」
「ああ、そうさせて貰う!せいぜい安物の悲劇に酔ってるがいい!」
感情の赴くままに叩きつけあった言葉の終わりは決別である。
窓から飛び立つホーリーエンジェモンは、普段の警戒心もかなぐり捨てて一直線に離れていく。
いらだちに強く机をたたく草太。弱音を押し殺すように歯を食いしばる。
上辺だけでか細くもつながっていた信頼関係は、強い衝動にたやすく吹き散らされる程度のものでしかなかった。奥底に隠れたままの互いへの期待こそが、二人を致命的に分かつ引き金となるのであった。