あの後しばらく砂漠を彷徨ったヴァッシュは偶然街を見つけることが出来た(原作第一話のリィナが住んでいた街)
原作通りギャングに荒らされていた街は立ち寄った時点で騒動の真っただ中であり、半ば巻き込まれる形でその解決に奔走。
しかし、ホシノ達との別れを経て心身共に疲弊し切っていたヴァッシュの動きは精彩を欠いており、雑魚相手にもグダグダと乱戦が続いている間に騒ぎを聞きつけたウルフウッドが介入。ギャングの撃退に成功する。
原作と違って、アジトに乗り込んで無傷で瞬殺とかヤバイことはやってないので住人からは普通に感謝されるが、ヴァッシュの心には響かず、愛想笑いを浮かべることしか出来ない。
砂漠を彷徨っている間に抱いていた「この砂漠がアビドスに繋がっているかもしれない」という淡い期待が消え去り、自分が改めて元の世界に戻って来たのだという現実を突きつけられて半ば心あらずの状態で立ち尽くしている所へウルフウッドが歩み寄る。
「やっとみつけたで、アホウが。二年間も何しとったんや」
――第一話冒頭に続く。
「――私のミスでした」
深夜。
アビドスの一角に、男が二人並び立っていた。
男――そう表現して良ければ『男性の体格と服装をした人型の存在』だった。
一人は、顔のない黒服の男である。
「ヴァッシュ・ザ・スタンピード――まさか、彼があそこまで計り知れない存在だったとは」
黒服の目の前には、頭部を消失して完全に機能停止したビナーの『亡骸』が横たわっていた。
周囲にはこの巨大な屍を囲うように、立ち入りを禁止する黄色いテープが張り巡らされ、様々な重機、作業員が駐留する為のテントまで複数設置されている。
深夜である今でこそ無人ではあるが、日中には多くの作業員が周囲を動き回っていた。
全ては、目の前にある得体の知れない怪物を調査する為に。
「完全に見誤っていました。私の行為はあまりに浅はかだったとしか言えない」
「う……美しい! こんな『加工』が人為的に可能なのか?」
「危ないですよ、マエストロ。その『断面』は剃刀の刃よりも切れる。指が落ちたら困るでしょう」
「うおっ!?」
黒服の忠告に、『マエストロ』と呼ばれたもう一人の男は慌てて不用意に伸ばそうとしていた手を引っ込めた。
顔のない黒服とは、また違った人外の様相を持つ男である。
頭が二つあった。
しかも、全身が黒ずくめの黒服に対して、こちらはマネキンのような木製の身体を持っている。
この二人が深夜の廃墟で佇む情景は、客観的に見ればホラー映画のような不気味さがあった。
「……信じられますか? これが『銃で撃たれた痕跡』であるなどと」
ビナーを機能停止に追い込んだ傷跡――破壊や破砕ではなく、この世の物質や力によって行われたとは思えない『何か』でくり抜かれたような胴体の断面を見つめながら、黒服は言った。
「仮に切ることを目的とした道具が使われたとしても、このような断面を生み出すことは不可能でしょう」
その断面には、覗き込む二人の顔が映っていた。
あまりに鋭利すぎる為に、加工された鏡のように光を精巧に反射しているのだ。
「切断ではなく消滅。神か悪魔の領域ですよ」
「……お前がそのような表現を用いるとは意外だな」
「正直、恐怖すら感じました。この力は、私達が研究し、今も尚到達出来ない『崇高』とはまた別次元の領域からやって来たものです」
「この世界とは、また別の世界から到来した概念か……」
「遥か高みにある力であることは間違いない。迂闊に手を出すべきではなかった」
亀裂のような眼と口では何も読み取れない顔の下で、黒服は憂いの表情を浮かべていた。
「あの男が膨大なエネルギーの発生源であることは把握していましたが、まさかあそこまで具体的な方向性を持った力だとは予想していませんでした」
「無から水を生み出したという話だったが、力の発現としてはあの『右腕の銃』が本来の形なのだろうな。あの造形もまた美しかった……破滅的な美しさだ」
「相変わらずですね、マエストロ。滅びにすら美を見出しますか。文字通り、このキヴォトスが破滅する直前だったのですが」
「お前とて、この世界が滅ぶことを憂いていたわけではあるまい」
「酷く困る事態ではあるのですがね。何よりも、このアビドスと共にホシノさんが消滅してしまう状況を呼び込んでしまったのは、私自身の浅慮が原因です」
「ふむ……やはり意外だな」
「最優先の研究対象を失う事態を自ら招いたことに対する反省ですよ。別にホシノさんへの情で身を案じているわけではありません」
「いや、『暁のホルス』を名前で呼ぶようになったことが意外だと感じたのだ」
「……」
黒服は無言で空を仰いだ。
夜空に浮かぶ月を意味もなく見つめる。
マエストロは、そんな黒服の無言の反応に特に何か興味を示すこともなく、ビナーの断面から身体を離した。
「しかし、その力の根源である男は、もうこの世界にはいないのだろう?」
「……おそらく」
黒服は断言を避けた。
本当に確証がなかったからだった。
「あの時――ホシノさんの『神秘』とヴァッシュ・ザ・スタンピードの力が接触した後の数分の出来事は完全に空白です。我々の技術をもってしても一切捕捉出来なかった。あの僅かな時間だけ、三人が別の次元にでもいたかのようです」
「ならば、その間にあの男が空間を渡ってこの世界から移動したというのは辻褄が合う話だ」
「理屈は全く不明ですがね。結局、全てが謎の力は全てが謎のまま、この世界を去ってしまった可能性が高い」
「あくまで断言は控えるか……では、極めて低いが、この世界に残っている可能性もあると?」
「可能性というよりも疑いですね。不安と言い換えてもいい」
黒服は周囲を見回しながら呟いた。
ビナーとの戦闘によって破壊された無人の市街地。
そこに得体の知れない化け物が息を潜めて隠れている錯覚に囚われそうだった。
「次元の異なる存在が、まだこの世界の何処かに残っているのかもしれないという子供が抱くような根拠のない不安です」
結論から言えば、黒服の懸念は外れている。
ヴァッシュがキヴォトスを去ったのは紛れもない事実だ。
しかし、その事実を実際に目にした者はたった二人しかいない。
その出来事はあまりに唐突に、局所的に起こった為に情報が少なく、そうでありながらキヴォトス全土に大きな爪痕を残した。
「我々ですら、そのような懸念を抱くのです。断片的な情報しか得られない者達は、より大きな不安に駆られるでしょう」
かつてキヴォトスで随一の規模を誇っていた学園都市アビドス。
その栄光は廃れ、忘れ去られ、僅かに残った生徒の懸命な復興活動にも周囲は関心を示さなかった。
そんな滅びゆく辺境の一角で、何の前触れもなく世界を滅ぼすほどのエネルギーが計測され、そして消えたのだ。
連邦生徒会を始めとして、調査の為に慌ててその場に駆け付けた様々な学園の生徒達は、全てが終わった後の残骸だけを目にすることになる。
ビナーという本来の名前さえ知り得ない、正体不明の巨大な機械生物。
それすら理解の及ばない存在だというのに、それを消滅させた存在がいる――。
「この処置も、まあ一般的な反応なのでしょうね」
ヴァッシュ・ザ・スタンピード。
推定年齢二十四歳。
出身地不明。
住所不明。
スコルピオン・コーポレーションの壊滅による大量殺害およびG級器物破損容疑で連邦生徒会より指名手配中。
備考――極めて凶悪な兵器を所持している可能性のある危険人物。
◆
――一週間が経った。
ヴァッシュがキヴォトスを去って一週間。
ホシノにとって短いようにも長いようにも感じる、曖昧な時間の感覚だった。
いずれにせよ、ヴァッシュとの別れを悲しんだり惜しんだりする余裕もない日々だった。
まず、ヴァッシュがいなくなった直後にユメが意識を失った。
元々左腕を丸ごと黒焦げにされる重傷を負っていたのだ。
想像を絶する苦痛の中、今この瞬間まで意識を保っていたことの方が信じられない状態だったのだ。
ユメが倒れ込む音で我に返ったホシノは、半狂乱になりながら名前を呼び掛けた。
後になって思い返すと――いっそ、あの時自分も何もかも途切れてしまえばよかったのに、と思う。
ヴァッシュを失った現実から、ホシノは目を背けることを許されなかった。
現実から逃げるワケにはいかなかった。
そんなことをすれば、ユメまで失ってしまう。
その恐怖に駆られて、途方もない喪失感に脱力する身体を無理矢理動かし、重傷のユメを背負ってアビドスの廃墟を必死で歩いた。
一度だけ、背後を振り返った。
崩落した建造物の残骸と、そこに埋もれているだろう幾つもの死骸、そして横たわるビナーの巨大な亡骸。
死屍累々たる瓦礫の山。
動く者は自分達以外に誰もいない。
彼も。
ヴァッシュも。
もう、いない――。
ホシノは眼と鼻の奥が熱くなるのを感じた。
また涙が溢れそうになる。
しかし、それを堪えた。
現実に圧し潰されている暇はなかった。
――前に……進まなくちゃ。
ホシノは全てが終わった場所に背を向けて、ユメと共に歩き出した。
幸いなことに、すぐに助けが来た。
アビドスの一角で起こった異常事態は連邦生徒会も察知し、すぐに偵察の為の部隊が派遣されたのだ。
あの時ヴァッシュが発現した力の影響は、アビドス周辺を越えてキヴォトス全土でも観測出来るほど強大なものだった。
その部隊によって二人は保護され、ユメは一命を取り留めたのだ。
ただ、事前に予想していた通り、救われたのは命だけだった。
ユメの左腕は失われた。
白いベッドに寝かされ、幾つものチューブに繫がれたユメが、それでも確かに生きていることにようやく安堵を覚えた。
そして、シーツ越しに左腕があるはずの部分がへこんでいるのを見て、一瞬息が止まった。
――ユメ先輩が目を覚ました時、何て言葉を掛ければいいのだろう?
そんなことを、ずっと悩んで過ごした。
いなくなったヴァッシュのこと。
失った左腕のこと。
これからのアビドスのこと。
何を考えても気が遠くなる。
ホシノ自身も心身共に疲れ切っていたが、まともに眠れない日々が続いた。
置かれた状況も、落ち着いて休めるものではなかった。
何しろ、アビドスで起こった出来事について周囲は何も把握出来ていないのだ。
ギャング崩れの会社が起こした犯罪と戦闘、その末路に関してはそう珍しいものではない。
しかし、大量の死傷者が発生したことで、キヴォトスにおいても重大な一線を越えた事件として捉えられることになった。
そこに加えて、ビナーという未知の存在の発見。
それを破壊した更なる未知の存在が消息を絶ったという事実。
見えない脅威への警戒。
不鮮明な事態への調査。
様々な物事が、乱雑に周囲を交差していく。
慌ただしい周囲の中で一人、当事者であるはずのホシノはぼんやりと佇んでいるような状態だった。
身体と心が動かなかった。
何かを積極的に行おうという気力が湧いてこなかった。
連邦生徒会に保護された後で流されるままに治療を受け、調査を受け、その間に彼女の心が動いたのはユメの安否を確認した時以外に一度だけだった。
『今回の事件の重要参考人として、ヴァッシュ・ザ・スタンピードという男を探しています。アナタ達の関係者ですね?』
連邦生徒会の役員は、そう切り出して今回の事件に関する情報をホシノから聞き出そうとした。
異世界からの来訪者であるヴァッシュには、キヴォトスにおける戸籍などの情報が存在しない。
しかし、彼の存在そのものが認知されていなかったわけではない。
ヴァッシュをアビドスの生徒として登録しようとユメが申請を出していたことは、連邦生徒会の方にもしっかりと記録として残っていたのだ。
何より、彼の存在はブラックマーケットを中心にしてちょっとした有名人と言っていいほどに知れ渡っていた。
いつの間にかアビドス高等学校に住み着いて、ユメとホシノに協力して復興活動に奔走していた事実はアビドスの住人ならば誰もが知っている。
ブラックマーケットで騒動に巻き込まれたことも一度や二度ではない。
小さなイザコザにも、大きなゴタゴタにも遠慮なしに首を突っ込んで、ドタバタと解決に走り回る姿を、多くの人々が見ていた。
ホシノ達にとって馴染みのガンショップの店主はもちろん、他にもブラックマーケットで店を営む一部の者達、ゲヘナとトリニティの生徒達まで――分け隔てなく多くの人々と関わった証言が出ている。
ヴァッシュはこの数か月間で、確かにキヴォトスで生きた証を残していた。
その事実を目の当たりにしたホシノはほんの少しだけ笑みを浮かべて、淡々と質問に答えていった。
あの場で起こった一連の出来事を、始まりから終わりまで偽ることもなく一つずつ話していく。
ただ、ヴァッシュの力に関連する内容は隠すしかなかった。
彼の力の秘密を他人に明かす気にはなれないし、話したところで憶測が多分に含まれる情報など混乱するだけだろう。
しかし、今回の出来事を締めくくる上で最も重要な部分であることもまた事実だ。
ビナーがどういった存在なのかはホシノ自身にも分からず、そのビナーを打ち倒した力が何なのか全く情報がないとなれば、あまりに不可解で意味の分からない出来事だとしか第三者の眼には映らない。
長々と話を聞き続けていた連邦生徒会の役員も、一向に形の整わない事件の全貌に対して眉をひそめていった。
ホシノが一部の情報を隠していることくらいは、相手も察している。
しかし、ホシノが本当に知らないこととあえて知らないふりをしていることの区別がつかない。
黒服を始めとしてキヴォトスの陰で蠢く未知の存在と、そのキヴォトスとは違う世界からやって来た男の存在が複雑に介入した今回の出来事を、何の関係もない他人が理解し切れるはずがないのだ。
数日に渡ってホシノから聞き取りを続け、それでも状況の把握が遅々として進まずに苛立った役員は言った。
『これまでの情報から、ヴァッシュ・ザ・スタンピードという男は非常に危険な人物であると我々は判断しています。もしも、それが不当な扱いであるというのならば、事件の真相を明らかにしなければいけません。その為にも、彼を探し出す必要があるのです』
探す。
ヴァッシュを。
その単語にホシノは顔を上げた。
『だから、もしも彼の所在に関する情報を持っているのならば、隠さないでください。得体の知れない兵器を所持した男が、このキヴォトスの何処かに潜伏している危険性を放置しておくわけにはいかないのです』
その言葉に、ホシノの顔が強張った。
『ヴァッシュ・ザ・スタンピードは何処へ行ったのですか?』
役員は訊いた。
ホシノ自身が一番答えを聞きたい質問を。
『……じゃあ、探してくださいよ』
目の前で、ヴァッシュが消えた。
この世界から去ってしまった。
その現実を目にして尚、あれが錯覚だったのだと今の今まで疑おうとしていた。
この世界の何処か、ただ自分の目が届かない場所に行ってしまっただけなのだ、と。
こことは地続きの場所で、いつか何かの偶然で会えるかもしれないという可能性を信じようとしていた。
――そんな可能性などない。
そう、何よりも自分自身が思い知っているはずなのに。
『このキヴォトスの何処かにヴァッシュがいるっていうのなら、探してくださいよ』
そう言って見つめるホシノの視線に射貫かれて、連邦生徒会の役員は言葉を凍り付かせた。
殺気や敵意とは違う、鬼気迫る迫力がホシノの身体から静かに漲っていた。
『探して、もう一度私達に会わせてくださいよ!』
その悲痛な叫びは、僅かな可能性に縋るようだった。
そんなホシノの様子から、相手の言動に嘘偽りがないことを役員は察する他なかった。
結局、それを境にして事件に関する取り調べは終了した。
継ぎ接ぎの情報から、やはりヴァッシュが事件の真相を握る重要参考人であり、ビナーを破壊するほどの兵器を所持した危険人物であるという結論に至る。
彼は連邦生徒会から正式に指名手配されることになった。
それを覆す意欲は、もはやホシノには残っていなかった。
どうせ、意味のないことだ。
彼が捕まるはずはない。
そもそもがこの世界に、もう存在しないのだから――。
そうして一週間が過ぎた頃、ホシノとユメはようやくアビドスへと帰ることが出来たのだった。
◆
「いやー、何だか……久しぶりな感じするね」
生徒会室の扉を開けて、ユメは呟いた。
「一年くらい登校してなかった気がするよ」
「ユメ先輩は、診療所を出てからも結局学校に来れてませんでしたからね」
「それもそっかぁ」
ホシノの返答に、力の抜けた笑顔で相槌を返す。
ホシノはその顔を見上げて、改めて思った。
――ユメ先輩、痩せたな。
実際には目に付くほど瘦せ細っているわけではないが、頬が僅かにこけているように見える。
砂漠で行き倒れた時から続けて、病み上がりの身体に左腕を失う重傷を負ったのだ。
そこから一週間寝たきりだった上に、目を覚ましたのもつい先日だった。
本来ならば、まだ病室のベッドで安静にし続けていなければならない状態なのだ。
事実、今日アビドスに帰って来たのは快復して退院したからではない。
「あまりのんびり懐かしんではいられませんよ。無理言って外出させてもらったんですから、早く荷物の整理をしましょう」
「うん……そうだね」
意識を取り戻したユメは当初、半ば錯乱状態に陥っていた。
目が覚めて、最初に視界に入れた自分の左腕が無くなっている事実に強いショックを受けたのはもちろん、ヴァッシュが目の前から消えた記憶が同時にフラッシュバックしたのだ。
ヴァッシュを探しに行こうと衝動的に暴れ出すユメに医者が鎮静剤を打って眠らせる――これを二度、繰り返した。
ホシノが面会出来る程度に容体が安定しても、精神的なショックでしばらくはまともな会話が出来ないほどユメは打ちのめされていた。
ヴァッシュがこの世界から去ってしまった事実から、眼を背けることは出来ない。
だが、簡単に受け止めきれるほど軽い現実ではない。
未だに心の整理がつかないのは、ホシノ自身も同じだ。
ユメが抱える喪失感は痛いほど理解出来た。
だから、担当医や連邦生徒会の役員達に、一日だけ外出させて欲しいと頼み込んだのだ。
砂漠を彷徨ったあの日から、ユメはまだ一度もアビドスの学校へ帰れていない。
――きっと。
――まだ、あの校舎にヴァッシュがいると思っている。
――自分と同じように。
ユメには、まだしばらくの間入院が義務付けられている。
失われた左腕は義手で対応するとして、日常生活に戻る為のリハビリも必要だ。
長い期間、アビドスから離れることになるだろう。
入院中に必要な私物を回収して、身辺整理を行う意味もあった。
そうした作業を続けていく内に、ユメも心の整理をつけていくだろう。
少しずつ受け入れていくしかないのだ。
ヴァッシュのいない日常を。
「……ただいま」
誰もいない生徒会室に向かって、ユメが呟くように言った。
『や、おかえり。ユメ。ホシノ』
いつも座っている椅子から、そう言って笑顔で迎えるヴァッシュの姿が見えたような気がした。
一度瞬きをすれば、その幻は当たり前のように視界から消えている。
寂しげなユメの横顔を見上げることに耐えられず、ホシノは残った右手を握って正面から向き合った。
「おかえりなさい、ユメ先輩」
「……うん。ありがとう、ホシノちゃん」
泣きそうな顔で、ユメが笑う。
二人はしばらくの間、そうして見つめ合っていた。
「私は、少し学校の中を見回ってきます」
やがて、ホシノはそう言って、手を離した。
「私自身もアビドスに帰れてませんでしたし、一週間無人だった校舎に異常がないか調べたいですから」
「うん、そうだね」
「盗まれる物なんてないと思いますけど、いたずらとか荒らされてる可能性もあります。何かあったら呼んでください。そう遠くには行きません」
「分かった。お願いね」
「はい」
ホシノが気を遣ってくれていることは、ユメにも分かった。
悲しい現実は、少しずつ受け止めるしかない。
誰かに強要されることも、急かされることもない、一人の時間が必要だ――と。ホシノは考えたのだ。
「……ホシノちゃん」
「何ですか?」
生徒会室から出ようとするホシノを、ユメは思わず呼び止めていた。
小さな後輩の背中が、今は自分よりも大きく見えた。
「ありがとうね」
「……」
「本当に、ありがとう。ホシノちゃんが傍にいてくれてよかった」
「……私もです。またユメ先輩と一緒に学校に戻れて、よかったですよ」
そう言って小さく微笑むと、ホシノは生徒会室を出ていった。
一人、残ったユメはゆっくりと室内を見回した。
見慣れた生徒会室だ。
一週間以上帰って来れなかったとはいえ、以前と極端に何かが変わっているわけではない。
内装に変化はなく、僅かに積もった埃が時間の経過を表しているだけだった。
アビドスの生徒会長になって以来、ずっと通い続けた部屋だ。
だけど、そんな通い慣れたこの場所に、今は違和感を感じる。
ほとんど何も変わっていないのに。
――彼が。
――ヴァッシュだけがいない。
「……本当に、いなくなっちゃったんだね。ヴァッシュ」
ユメはヴァッシュが普段座っていた椅子に腰かけた。
自分自身の身辺整理はそっちのけで、目の前の机の引き出しなどを細かく調べる。
何かを探していた。
その『何か』が何なのかは、ユメ自身にも分かっていなかった。
ただ、彼がここにいたという痕跡を何でもいいから見つけたかった。
思い返してみれば、彼の私物と思える物は驚くほど少ない。
この世界にやって来た時に着ていたコートもブーツも、一緒に元の世界へ持って帰ってしまった。
他に彼の私物として考えられそうな物は、全てキヴォトスにやって来てから手にした物だ。
それすらも具体的な物がほとんど思い至らない事実に、ユメは今更ながら気付いた。
「もっと、色んな思い出を残したかったのに……」
最後の引き出しにありふれた銃の整備道具しか入っていないことを確認すると、ユメは知らず目元に浮かんでいた涙を拭った。
ヴァッシュと別れる瞬間まで、そして目を覚ましてからも、散々泣いたと思ったのに、まだ涙が涸れずに溢れてくる。
別れの悲しみと寂しさが、未だ心の中に残っている。
いつか、この涙が尽きる時は来るのだろうか?
この途方もない喪失感は、涙を流し続ければ少しは癒えるのだろうか?
「……ホシノちゃんは、泣くことが出来てるのかな?」
悲しみに浸る中で想うのは、同じような悲しみを抱えているであろう後輩への心配だった。
思えば、ホシノは自分以上に傷ついているはずだった。
ヴァッシュと別れるきっかけとなった出来事では、彼女に残酷な決断を迫ることになってしまった。
それを助けるべき先輩である自分は何も出来ず、むしろ無責任に縋ることしか出来なかった。
ヴァッシュとの別れが『死』という本当に最悪の形で訪れなかったのは、ホシノの決死の覚悟が全員で生き残る道を切り開いたからだ。
それなのに、ホシノ自身はヴァッシュとの別離を選んでしまったのだという後悔を抱えている。
自分は何も出来なかった。
すぐに意識を失ってしまった自分とは違い、ホシノは一週間ずっとヴァッシュのいない現実を受け止め続けてきたのだ。
目を覚まして以来、彼女の悲しげな顔や寂しげな顔は見ても、泣いている姿は一度も見たことがない。
「先輩のわたしがいつまでも泣いてたら、ホシノちゃんも泣けないよね」
ユメは湿った顔と心に気合いを入れるように、両手で頬を叩いた。
しかし、左手を失ったことを忘れていたので、右の頬だけに痛みを残す妙な感じになってしまった。
微妙に締まらない感覚に肩を落としながら、ユメはふと『あること』を思い出した。
「あっ……そういえば『アレ』って今何処にあったっけ?」
改めてヴァッシュの机を調べ、記憶の中にある物を探す。
しかし、見つからない。
自分の机や、生徒会室に備えられた他の収納場所を探してみても、目的の物は見つからなかった。
「あれぇ? おかしいな。テープで応急処置した後、確かにここに置いたはずなんだけど――」
何もない自分の机の上を見つめながら、ユメは不思議そうに呟いた。
◆
廊下を歩いていると、隅に溜まった砂が目についた。
校舎の窓は基本的に閉ざしてあるが、換気や建て付けの確認の為に幾つかの窓を定期的に開閉している。
開いたままの窓から一週間の間に少量の砂が風に乗って入り込んできたのだ。
アビドスを襲う不定期な砂嵐の元凶であるビナーは、ヴァッシュによって倒された。
しかし、砂漠という環境が存在する以上自然現象としての砂嵐も発生する。
環境の悪化に大きな歯止めを掛けたとはいえ、長い年月によってアビドスの大半を埋め尽くした砂をどうやって処理していけばいいのか。
ここからの改善は可能なのか。
アビドスが抱える問題は、依然多く残っていた。
「でも……良くはなっているはず。多分」
中途半端に開いていた窓を開け放って、ホシノは外を眺めた。
変わらないアビドスの街並みが見える。
その更に先へ視線を向ければ、さすがに見えはしないがスコルピオン・コーポレーションやビナーと戦った廃墟があるはずだ。
今回の一件によって、アビドスは連邦生徒会を始めとした周辺の学園から大きな注目を集めていた。
大量の死傷者と大規模な破壊を生み出した事件は大々的に報道され、キヴォトスの住人の多くに知られることとなった。
何よりも、ヴァッシュの放った『銃弾』が残した影響は大きかった。
キヴォトスに存在する様々な観測機が異常なエネルギー値を一斉に感知し、優れた『神秘』の力を保有する強者達が各々の感性でもってヴァッシュの持つ力の発現を感じ取った。
そして、誰もが確信するのだ。
次元の異なる存在が、人知れずこの世界にいたことを。
その『銃弾』が危うく世界を貫く寸前であった事実を。
ある者は恐れ、ある者は興味を抱き、そして皆が共通して知ろうと思う。
――アビドスで一体何が起こったのか?
そうして、皮肉なことに忘れ去られつつあったアビドスという学園都市に人が集まり始めた。
最も分かりやすいのは、ビナーの残骸周辺だ。
あそこでは現在、科学技術に秀でたミレニアムサイエンススクールを中心にして多くの技術者が集まり、調査を続けている。
具体的に何が行われているのかは、ホシノも知らない。
しかし、現場がアビドスの土地である以上、他校の生徒が介入する為の必要な手続きとして、唯一判断を下せるアビドス生徒会の所属であるホシノに幾つもの申請が届いていた。
ホシノはそれを限定的に許可した。
調査活動は日中のみ。
設置を許可するのは仮設テント程度の規模までで、本格的な駐留は許可しない。
今は『まだ』――。
本来、その権限は生徒会長であるユメが持つものだ。
だから『これは仮の権限による許可である』と念を押して、一時的に他校の生徒を招き入れたのだ。
そうして段階を踏んでおけば、後から改めて内容を検討し、正式な生徒会長の権限の下こちらにとって都合のいい条件などを決めることが出来る。
現在、ビナーの調査は遅々として進展しておらず、ブラックボックスの多い内部構造や頑丈な装甲のせいで解体処理さえロクに進んでいない。
調査の為の部隊は、長く滞在することになるだろう。
その辺りの状況を上手く利用すれば、アビドスに利益の出る契約も結べるはずだ。
滞在を許可する条件として金銭を要求してもいいし、どんな形であれ人が集まるのならば死んでいた経済も少しは活発化するかもしれない。
あの巨大なガラクタに価値を見ているというのなら譲ってもいい。
正直、ゴミ捨て場にも入りきらないアレを引き取ってくれるだけでも大歓迎だ。
そして――。
それから――。
何とか、この騒ぎが落ち着く前に、色々と上手くやって、これからのアビドスを――。
「ヴァッシュ……」
ホシノは大きなため息を吐いた。
「私、何だか疲れちゃったよ」
アビドスの未来について延々と考えを巡らせ、悩み続けることが酷く億劫に感じていた。
以前と比べて、アビドスの置かれた状況は間違いなく良くなっている。
ただ毎日砂まみれの街中を駆けずり回り、莫大な借金を返す為の小銭を稼いで、吹き荒れる砂嵐に耐え忍ぶしかなかった時期に比べれば、選べる選択肢は増えて、その結果が大きく未来を左右するようになった。
だが、その選択肢はまだ高校一年生のホシノにとってあまりに大きすぎた。
力のままに銃を振るっていた時のようにはいかない。
未来を想い、考えなければならない。
それを自覚出来る故に、悩む。
自分が何も知らない子供であることを痛感する。
――だけど。
――それでも。
ホシノは座り込みそうになる両足を叱咤した。
――進まなきゃ。
――今ここで、膝を折るわけにはゆかない。
アビドスの砂漠化を止め、緑化によって環境を改善し、人を呼び戻す。
その道筋を、一度はヴァッシュが示してくれた。
そのヴァッシュがいなくなった以上、自分が新たに一から道を切り開かなければいけない。
彼が残そうとした希望を、無かったことにはしたくない。
バカで無力な子供のまま、大人に甘えていられる時間はもうなくなったのだ。
ホシノは気を引き締めると再び廊下を歩き出した。
隣に今、ユメはいない。
傍を歩くヴァッシュはこの世界を去った。
いずれ卒業すればユメもアビドスを去るだろう。
独り、歩く。
それが自分の未来を暗示しているかのように。
そして、ふと――。
「……え?」
ホシノは視界の端に信じられないモノを捉えた。
廊下の窓の先。
グラウンドを一望出来るその窓から、あり得ない色が見えた。
緑だ。
砂漠と同じ黄色い砂一色であるはずのグラウンドの一角に、緑色がポツンと一点、場違いに沁みた絵の具のように存在していたのだ。
ホシノは思わず窓を開いて、身を乗り出した。
自分の見ている物が錯覚ではないかと眼を擦り、その一点を凝視する。
見間違えようもなかった。
それは木だった。
砂だらけのグラウンドの片隅に、一本の小さな木が生えていた。
「――ユメ先輩!」
ホシノは思わず走り出していた。
「ユメ先輩、グラウンドに来てください! 早く!!」
ユメを呼びながら、階段を駆け下りる。
玄関から出ていく時間も惜しかった。
一階に降りると、手近な窓をもどかし気に開いて、そこから直接外へ飛び出した。
広いグラウンドを走る。
近づくごとに、その姿がハッキリと見えてくる。
息を荒げながら、ホシノは立ち止まった。
目の前には、やはり間違いなく一本の木が立っていた。
小柄なホシノの腰ほどしかない、まだ苗木とも言えるような成長途中の小さな木だ。
しかし、それは力強く地面に根を張り、瑞々しい緑の葉を生い茂らせている。
そして、何よりも驚くべきことに――その木には実が成っていた。
リンゴに酷似した、赤く熟し始めた実が三個ほど、細い枝にぶら下がっていた。
現実とは思えない光景だった。
木としての成長すら終えていない段階で実を付けるなど、自然の植物ではあり得ない。
何よりも、グラウンドに植物の種を植えたことなどホシノの知る限りなかった。
砂漠化の進んだアビドスからは、人工的に管理された街中以外の植物がほぼ全滅して久しく、唯一残っていたオアシスも数年前に枯れたと聞く。
緑の自然はもちろん、水さえ枯れた不毛の土地。
何故、今更になって、この地に新たな植物が――?
「……ヴァッシュ?」
ホシノはいなくなった彼の名を、物言わぬ小さな木に呼び掛けた。
膝をつき、震える手を枝に伸ばす。
その細い枝、瑞々しい葉、光沢のある実の表面に指を触れれば、内側を流れる生命の動きが感じ取れた。
作り物ではない。
この木は、確かに生きている。
「ヴァッシュなんですか?」
何枚も生い茂る鮮やかな緑色の葉の中に、白色が一枚紛れていた。
そっと取り出す。
それは白い羽根だった。
『僕の力で、アビドスの砂漠化を何とか出来るかもしれない』
それを手にした瞬間、ホシノはヴァッシュの声を聞いたような気がした。
『だから、少しずつやってみよう。アビドスに人を呼び戻すんだ』
いつか彼が言ってくれた――信じさせてくれた。
力強い、未来への希望を感じさせる言葉が蘇っていた。
『大丈夫! これからのアビドスに待ってるのはラブ&ピースさ!』
そう言って笑いながらピースサインを掲げるヴァッシュの姿が、小さな木の後ろに見えたような気がした。
ホシノは呆然と、手の中の羽根に視線を落とした。
彼がこの世界に残したもの。
三人で過ごした日々の、確かな証。
視界が歪み始める。
眼と鼻の奥から、この一週間ずっと忘れようとしていた感情が熱となって再び湧き上がってきていた。
「ホシノちゃん! 急に大きな声を出して、どうしたの!? 何かあったの!?」
背後から、慌てた様子でユメが駆け寄って来る。
座り込んだホシノの後ろ姿を見て心配そうに声を掛け、グラウンドに生えた木を見て驚きの声を上げた。
「えっ!? こ、これって……木!? 何コレ、どうなってるの!? ホ、ホシノちゃん木だよ! 木が生えてるよ! どうなってるのぉ!?」
混乱したユメが盛大に騒ぎ立てた。
普段の調子が戻って来たような騒がしさだった。
それに対して普段のホシノならば『見れば分かります』や『私だって知りたいです』といった言葉を、呆れながら返したはずだ。
しかし、背後で騒がしいユメの様子にも気づいていないかのように、ホシノは小さく肩を震わせるだけだった。
「……ホシノちゃん、大丈夫?」
やがて、一通り驚き終えたユメは、ずっと黙ったままのホシノの様子を案ずるようにそっと肩に手を置いた。
ホシノが振り返った。
「ヴァッシュが……残してくれてたんです……」
「え?」
ホシノは今にも零れそうな涙を両目に溜めて、それでも嬉しそうに笑っていた。
「この木は……っ」
白い羽根を握り締め、縋りつくようにユメの胸の中に顔を埋める。
「ヴァッシュが私達の為に残してくれた……約束を守ってくれた証なんです……!!」
震える声を絞り出して、必死にそれだけは伝える。
後はもう言葉にならなかった。
くぐもった嗚咽だけが、ユメの胸に埋めた顔から聞こえ続けた。
ユメにはホシノが伝えようとしたことの半分も理解出来ない。
ホシノが生徒会室で交わしたヴァッシュとの会話も、彼が持つ力の秘密も知らない。
ただ、ヴァッシュが世界を去る前にこの木を残してくれたことだけは、疑いようもなく信じることが出来た。
その事実に感動し、何よりも――。
「やっと、泣くことが出来たんだね。ホシノちゃん」
ユメは深い安堵と共に、泣きじゃくるホシノの小さな体を片腕で包み込んだ。
流しきったと思っていた涙が、再びユメの眼にも浮かんでくる。
誰もいないアビドスの校舎と、そのグラウンド。
頭上には間抜けなくらい透き通った青い空。
風が優しく吹き、木の枝を揺らして普段聞き慣れない葉の擦れる音を響かせる。
生まれたばかりの小さな木だけが見守る中、ホシノとユメの二人はただ静かに――泣いた。
◆
――記憶が巡る。
――それは遠い星の出来事。
――夢のような日々。
見渡す限り線一本。
地平線以外何も見えない広大な砂漠を、一台のバイクが走っていく。
安物で中古品という救いようのないエンジンが時折咳き込みながら、健気にタイヤを回していた。
乗り心地は決していいとは言えない。
変わり映えのしない景色を延々と眺めながら運転をし続けるのは全く気が滅入る。
「……腹っ立つわぁ~、ホンマ」
ハンドルを握るウルフウッドは、傍らの男を横目で睨みつけた。
「えっ、なにが?」
「オマエやオマエ! 人に延々と運転させといてノンキしとんなや!」
備え付けられたサイドカーでリラックスしているヴァッシュを苛立ち紛れに怒鳴りつける。
「おまけに終始ニヤニヤしよって、気色悪いんじゃ! オンドレも運転せえよ、ボケ!」
「だーって、僕運転ヘタなんだもーん」
「この役立たずのアホ!」
「ひぃん」
「何が『ひぃん』や! ホンマ気色悪ッ! サブイボ出るわ!!」
ウルフウッドは割と本気で気色悪く思っていた。
自分がどんなに迫真の表情で叫び散らしても、目の前の男は何が可笑しいのかヘラヘラと上機嫌に笑ったまま反応を返してくるのだ。
この砂漠の惑星において、ヴァッシュ・ザ・スタンピードは誰もが恐れる男だ。
それはウルフウッド自身も例外ではない。
頭上に浮かぶ月に穴を開けた伝説のガンマン。
人智を超えた力を持った得体の知れない存在であることを、ウルフウッドはその眼で見て知っている。
そう、得体の知れない――人間に裁きを下す神の使いか何かだとでも思っていた。
しかし、二年ぶりに出会ったこの男を目にすると――。
「……分からんやっちゃやで、ホンマ」
一通り喚き終えたウルフウッドは、再び運転に集中することにした。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードをある男の前にまで連れていくことが自分の役割だ。
仕事なのだと割り切ることにした。
「なあ、トンガリ」
「何?」
それでも、気になって思わず訊いてしまう。
「ホンマになんかあったんか? 昨日とはエライ様子が違うやんけ」
その指摘に、ヴァッシュは不思議そうに首を傾げた。
「そんなに違う?」
「昨日、会った時は死人みたいな顔しとったで」
「いやぁ、砂漠を渡って疲れてたからじゃないかな」
「それだけちゃうやろ。とりあえず一晩休ませたけど、宿で首吊るんちゃうかと不安やったわ」
「ええっ、そんなに酷い顔してた?」
「自覚ないんかい」
二年間、行方知れずだったヴァッシュを探していた。
ようやく見つけた男は、今にも膝から崩れ落ちそうなほどに疲れ果て、弱り果てていた。
大切なものを何処かに置いて来てしまったような、空っぽの印象を受けた。
「前にも言うたやろ。オマエの笑顔は空っぽで、やせ我慢して笑ってるみたいやってな」
「……」
「けど、今の笑い方はワルないわ。そこそこ見れる面しとる」
「え、ホントぉ?」
「そのニヤけ面は腹立つけどな」
「ひどーい」
「一晩ぐっすり寝て元気イッパイ、って感じでもないやろ。何かいいことでもあったんか?」
「……まあね」
穏やかに微笑みながら、ヴァッシュは手の中にある『一枚のカード』を見つめた。
朝から、こうしてずっと眺めている。
色々なことが起こりすぎて、ずっと忘れていた。
肌身離さず持ち歩いていた『これ』がコートのポケットの中に入っていたことを、今朝になってようやく思い出したのだ。
「さっきからニヤニヤしとるのは、飽きもせず眺めとるそのカードが原因なんか?」
朝、宿から出てきたヴァッシュが紐づけされた一枚のカードを首から下げていることには気付いていた。
しかし、そのカードが一体何なのか、ウルフウッドには分からなかった。
カードの表面には見たこともない模様が描かれているだけで、何を目的とした物なのか見当もつかない。
「あ、知りたい? このカードが何なのか、ウルフウッド君は知りたいのかな?」
僅かに湧いた好奇心は、ヴァッシュのニヤけた口元と勿体ぶった言い回しによって霧散した。
「いや、ええわ。黙ってニヤニヤしとってくれ」
「聞いてよ! 君だって『二年間何してた』って言ってたじゃん!」
「ああ? その二年間と関係あるっちゅーんか?」
ヴァッシュ・ザ・スタンピードの空白の二年間。
この広大な砂漠の惑星で一人の人間を探すことは容易なことではないが、それでも一片の情報すら手に入らず、この世界から完全に消息を絶っていた男の軌跡。
それが詰まっているらしいカードを、ウルフウッドは思わずもう一度見つめていた。
「これはね、僕の『学生証』なんだよ」
「学生証ォ?」
全く予想外の言葉が飛び出してきたことに、ウルフウッドは一瞬呆気に取られた。
「そう、アビドス高等学校在籍の一年生『ヴァッシュ・ザ・スタンピード』を証明する学生証なのさ」
「あ、あびどす? オマエ……ホンマ何言っとんねん?」
「僕が『これまで何をしていたか』って質問の答えだよ」
ヴァッシュは笑いながら、手に持った学生証を太陽に透かした。
アビドスの校章が、そこには描かれている。
裏面には顔写真付きのプロフィール。
少し欠けてしまった端っこの部分は、手作業ながらテープで丁寧に補強してある。
それは、かけがえのない記憶の結晶。
あの世界で過ごした日々が、夢や幻ではなかったことの証だった。
「僕はね、生まれて初めて『学校』に通っていたんだ」
自慢げにそう告げるヴァッシュの横顔を、ウルフウッドはどう解釈すればいいのか分からない複雑な表情で見つめていた。
「……トンガリ。オンドレ、夢でも見てたんとちゃうか?」
「夢じゃないさ」
ヴァッシュは迷いなく首を振る。
「ここじゃない、ずっと遠い星で過ごしていたんだ」
思い返せば、何処までも儚く。
見上げれば、何処までも遠い。
だけど、確かに過ごした二人との時間。
あのタフで優しい日々の記憶を、もう疑いはしない。
何処までも透き通るような青い空の下で紡いだ物語を。
「――『
トライガン・アーカイブ、完。
じゃあ、俺エピローグ書くから(もうちっとだけ続くんじゃ感)
具体的には、二年後の原作時間軸に合流したキヴォトスの後日談を書く予定です。
別れのエンディングが美しい物語は理解できるし、蛇足と評価される場合もあるけど、私は本編後のキャラの後日談はガッツリ見たい派なので、本作でもガッツリ書くつもりです。
ただ、せっかく登場したハルカやアルちゃんの話も書きたいと思うので、エピローグを長めにして一本にまとめるか、外伝として別に分けて話を書くかになると思います。
いずれにせよ、今しばらくこのクロスオーバーの世界にお付き合いください。