トライガン・アーカイブ   作:パイマン

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ヴァッシュの義手について補足します。
トライガン無印最終話の時点でヴァッシュの義手はモネヴに破壊されたまま欠損しており、従ってアビドスに来た時点で片腕はありませんでした。
なので、本編で使っていた義手はアビドスに来てから購入したキヴォトス製の義手になります。
些細なことですが、整合性の確認の為に説明させていただきました。
だから、無印最終話ではヴァッシュが赤いコートの方も着ていなかったという事実は忘れろ。そうすればお前は強くなれる(マキシマムでヴァッシュの着てた外套をずっとボロボロになったコートだと思い込んでた奴)


Side:ホシノ 『終わらない唄』

 ――遠い日。

 

 三人で過ごしたあの日々の記憶が、今尚色褪せず、胸に残っている。

 明日に繋がる希望を信じきれないまま、それでもこの手を引かれ、がむしゃらに駆けていた青春の日々。

 そして、あの日この指が引いた引き金のもたらした結末に対する後悔も――。

 

 未だ消えることなく、この胸に刻まれたまま。

 

 

 

 

 

 

 ホシノはゲヘナ学区にある、ありふれたバーガーショップを訪れていた。

 復興が進んでいるとはいえアビドスの市街地には営業中の店は未だ少なく、それと比較すれば飲食店に限っても相当な数が乱立するゲヘナの街中では、昼食をどの店で済ませるか選ぶだけでも一苦労だ。

 土地勘もなく、おすすめの人気店なんて調べてこなかったホシノは、結局目についた適当な店に入っていった。

 ジャンクフードならば、一定の味は保証されているだろう。

 特別美味い物ではないだろうが、極端に不味い物を出される心配もない。

 何やらセットメニューのキャンペーンをやっているらしい派手なのぼりに目を引かれ、店内が比較的空いていることを確認して、ホシノは足を踏み入れた。

 なるべく周囲に他の客がいない、店の隅の席を選ぶ。

 あえて、入り口に背を向けて座った。

 適当なバーガーセットを注文すれば、さすが手軽なジャンクフードらしいスピードで品物が届く。

 飲み物とポテト、そしておまけで子供向けのオモチャが付いたセットだった。

 ハンバーガーを齧りながら、興味本位でそのオモチャを開封する。

 引き金を引けば、バネで偽物の弾が飛び出す小さな銃のオモチャだ。

 まさに子供騙しだな、と思わず苦笑する。

 本物の銃が簡単に手に入るキヴォトスにおいて、偽物の銃をおまけとして商品に付けるのは、安上がりなのか逆に斬新なのか判断に困るところだ。

 ジュースを啜りながら、このオモチャをお土産としてアビドスに持ち帰るか悩む。

 初等部の子供達は、この安物に興味など抱かないだろうか?

 あるいは、逆に珍しくて一個しかないこれを取り合いになってしまうかもしれない。

 どっちにしろお土産にするのはナシかな、と。

 そのオモチャをテーブルに置いて、ハンバーガーの最後の一かけらを口に収めた時。

 

 ――店のドアが蹴り開けられた。

 

 駆け込んできたのは、銃を構えた四人組の少女達だった。

 ヘルメットとマスクで顔を隠した姿は不良生徒の代名詞とも言えるヘルメット団のスタイルだ。

 四人は呆気に取られる店員や客には目もくれず、最初からそれが目的であったようにホシノへと一斉に銃口を向けた。

 背を向けたホシノにとって入り口は死角だった。

 襲撃者達は、自らの『幸運』に笑みを浮かべた。

 何の警告もなく、引き金が引かれる。

 文字通り、銃弾の雨がホシノの背中に浴びせられた。

 周囲のテーブルや椅子を粉砕し、壁に無数の弾痕が刻まれる。

 ホシノの姿は、舞い上がる埃と硝煙に包まれて見えなくなった。

 それでも尚、四人は銃撃を止めない。

 撃ち尽くした銃のマガジンを交換して、噴煙の中に更なる銃弾を叩き込み、それさえ撃ち尽くすと腰に差した予備の拳銃まで抜いて徹底的に弾丸を叩き込む。念には念を入れるように。

 一人の人間に対して明らかにオーバーキルであるその所業を、周囲の者達は戦々恐々とした様子で見ていることしか出来なかった。

 延々と続くかと思われた狼藉は、実際にはわずか数分で終了した。

 生身の人間ならばミンチになった肉片しか残っていないだろう惨劇の跡を、四人組は緊張した面持ちで睨みつける。

 

「や、やった……! やったぞ!!」

 

 やがて、煙が晴れた後に砕けたテーブルや壁の破片を被って倒れ伏したホシノの姿を捉えると、歓声を上げた。

 

「あははは! やったぜ、これで賞金ゲットだ!」

「賞金だけじゃねぇ、アタイ達バリバリヘルメット団の名前もキヴォトス中に轟くぜ!」

「あの悪名高き賞金稼ぎの小鳥遊ホシノが、逆に賞金首に狩られる! 皮肉なモンだなぁ! 今週のネットニュースの一面を飾るぜ!」

 

 大騒ぎをする三人を尻目に、残った一人は銃を降ろさないまま、倒れたホシノを慎重に見定めていた。

 

「なんでぇ、リーダー。えらく慎重じゃねぇか」

「……」

「あれだけの銃弾の雨をまともに喰らえば、あの空崎ヒナだろうが悶絶して気絶するぜ。逃げ場だってなかったんだしな!」

 

 仲間の言葉に、ヘルメット団のリーダーは同意するしかなかった。

 自分が同じ立場ならば、ひとたまりもない状況だったのだ。

 実際に、標的は目の前で倒れ伏したままピクリとも動かない。

 しかし。

 なんだ、この違和感は?

 視界に映る光景に対する怖気は?

 ……気絶?

 そう、小鳥遊ホシノが本当に気絶しているなら、何故ヘイローが――。

 

「おいおい、そんな顔すんなって! 店員さんよ!」

 

 目の前の現実を理解して青褪め始めるリーダーを尻目に、上機嫌な様子で仲間の一人が怯える店員に笑いかけていた。

 

「弁償どころか建て替えてやってもいいぜ、こんな店!」

「ホント?」

「あたぼうよ! こちとらでっけぇスポンサーが付いてんだ、これからソイツの掛けた賞金がたんまりと手に入っ……て……?」

 

 陽気に浮かれていた声色は、徐々に訝し気なものへと変わっていった。

 合いの手を入れたのは仲間の誰とも違う、知らない人間の声だった。

 視線をゆっくりと動かす。

 驚愕して固まった店員と、青褪めた表情で震える仲間達。

 それらの視線は、自分ではなくその背後に向けられていた。

 

「うへ~、そりゃよかった。気になってたんだわ」

 

 そう言ってヘラヘラと能天気に笑いながら、ホシノが無傷で立っていた。

 

「ついでにさ、私の服のクリーニング代も請求していい? ジュースまだ残ってたから、少し掛かっちゃってさ」

 

 まるで友人相手にそうするように、気安く肩を組んだヘルメット団のリーダーにも笑いかける。

 しかし、話を向けられたリーダーの方に返答する余裕などなかった。

 圧倒的な実力の違いを、肌で感じている。

 自分よりも小柄なホシノに肩を組まれているのに、その細腕から生み出される力が圧倒的過ぎて全く身体が動かない。

 片腕で完全に抑え込まれていた。

 

「……へ、へへ……クリーニング代だって?」

 

 実力差を理解して完全に心の折れたリーダーと他の二人とは違い、最後の一人は未だに戦意を失ってはいなかった。

 

「てめえの首に掛けられた賞金で払いな!」

 

 未だに握っていた銃を振り上げる。

 至近距離で顔面に叩き込むつもりだった。

 しかし、銃口がホシノの額を捉えるよりも遥かに速く――。

 

「せっかちだなぁ」

 

 銃声が響いた。

 酷く軽い銃声だった。

 

「まずは話し合いから始めようよ。おじさん、平和主義者だからさ。ラブ&ピースってね?」

 

 相手の銃撃よりも速く、ホシノが抜き放った拳銃の引き金を引いていた。

 ただし、それはオモチャの銃だった。

 鉛玉の代わりに吸盤のついたダーツが飛び出すバネ仕掛けのオモチャが三発、顔面に命中していたのだ。

 当然、相手にはダメージどころか怪我一つない。

 

「ふ……ふざけやがってぇぇ!!」

「馬鹿、よせ! 命がいらねぇのか、お前は!?」

 

 おちょくられたのだと激昂する仲間を、リーダーが慌てて諫めた。

 目の前で行われた一瞬の抜き撃ちが意味するホシノの実力の一端を完全に理解している。

 

「さっきのでお前は死んでるんだ! 今度はモノホンが来るぞ!」

「あいわかった! 撃つなら撃ちなサイ!」

「うわあああ!? テメーも挑発してんじゃねーよオジサン! ラブ&ピースじゃなかったのかぁ!?」

「望み通りぶっ放してやらぁ!!」

 

 頭に血が昇ったヘルメット団は、怒りに任せて引き金を引き絞った。

 しかし、その銃口から弾丸が発射されることはなかった。

 

「……へ?」

 

 何度引き絞っても、引き金の空引かれる虚しい音が響くだけだった。

 その虚しい音が重なるにつれて、怒りと戦意に満ちていた顔が青褪めていく。

 弾切れである。

 

「ムリムリ。だって、この娘以外全員、さっき全弾撃っちゃってんだもの」

 

 ホシノは肩を抱いたままのリーダーの方を指さして言った。

 

「……何で、分かるんだよ?」

「数えてた」

 

 

 

 

 

 

「――相変わらず、精が出るわね」

 

 護送車に連行されていくヘルメット団の四人組を見送っていたホシノに、ヒナは声を掛けた。

 

「や、お久しぶり。ヒナちゃん」

「『ヒナちゃん』はやめて。一応、部下の手前なんだから」

「では、ゲヘナ風紀委員会委員長空崎ヒナ殿! 木っ端の賞金首の引き渡し現場にまでご足労いただき、ありがとうございます!」

「……私をからかって楽しい?」

「友達と話すのが楽しいんだよ。ヒナちゃんは真面目だから、軽口にもいいリアクション返してくれるしね~」

「……もう」

 

 ヒナはホシノと肩を並べるように佇んだ。

 この小柄な少女二人が、ゲヘナとアビドスにおいてそれぞれ最強格の生徒であるという事実は、キヴォトスにおいて広く知られている。

 風紀委員会というゲヘナの秩序を一身に担う組織の長であるヒナはもちろん、賞金稼ぎとして精力的に活動するホシノの強さは、ここ二年間で多くの不良生徒達を中心に周知されていた。

 所属する学園や立場は違えど、犯罪者を捕縛する目的で動く実力者同士。

 捕まえられる側から見れば同レベルの脅威として一緒くたに扱われ、その縁で当人達もいつからか親交を得るようになっていた。

 

「でも、本当にわざわざ来てくれてありがとうね。おかげで賞金首の引き渡しがスムーズに行きそうだ。最初、来てくれた風紀委員会の人達とちょっと揉めちゃってさ」

「近くで別件に関わってたから、たまたまよ。捕まえたヘルメット団は、責任を持ってヴァルキューレに引き渡すわ」

「助かるよ。他校の生徒が好き勝手に犯罪者捕まえてたら、地元の治安組織が軽く見られちゃうもんね」

「分かってるなら、もう少し目立たないように捕まえて欲しいわ。アナタ、わざとこの店に相手を呼び込んだでしょ?」

「あ、バレちゃった?」

 

 ヒナの指摘に、ホシノは気まずそうに頭を掻いた。

 

「あの四人組はさ、他の場所で捕まえたバリバリヘルメット団の残党なんだよ。リーダー格も含めてうっかり逃がしちゃって、どう追いかけたもんかな~って悩んでる所へ、逆にあいつらがおじさんの賞金目当てに襲い掛かって来たってワケ。手間は省けたけど、店の人には悪いことしちゃったねぇ」

「よく言うわ。バリバリヘルメット団の隠れ家がゲヘナの何処かにあることくらいは、私達風紀委員会も把握してる。アナタ、自分自身を餌にする為にわざとゲヘナにやって来て挑発したんでしょ?」

「……うへ~、さすがヒナちゃん。おじさんのことは全部お見通しかぁ」

「別に後ろめたく思う必要はないわ。飲食店が破壊されるなんて、ゲヘナじゃ日常茶飯事よ。それよりも、アナタの首に賞金が掛けられたという噂は本当だったのね」

「もちろん、ヴァルキューレが出してる指名手配犯の懸賞金とは別物だけどね。お天道様に顔向けできない真似なんて、おじさんは誓ってやってません!」

「誰が賞金を掛けたのか、見当はついているの?」

「さあねぇ? こういう非合法な賞金は、出資者も分からない闇サイトで情報が出回るものだからね。結構な金額だったから、おじさんに恨みを持つ不良グループ程度じゃなくて、もっと大きな企業がお金出してるのかもね」

「……そんなに大きな企業に恨まれる覚えがあるの?」

「うへ~、逆恨みだよぅ! おじさんはラブ&ピースがモットーの平和主義者なのに! 何もしていないのに皆がおじさんをいじめるよぅ、ママン!」

「ママンって誰?」

 

 大げさに嘆くホシノを一瞥して、ヒナはため息を吐いた。

 深くは訊くなという言外のアピールなのだろう。

 そのくらいの意図を察せる程度には、付き合いも長い。

 ヒナは視線を戻した。

 捕縛した四人組を載せた護送車が、現場から去っていく。

 ヒナもホシノも、この場でやるべきことは終わった。

 しかし、二人は無言のままその場で佇み続けた。

 

「……話は聞いたわ。アナタ、一発も撃たずにあいつらを無力化したそうね」

 

 ヒナは何処か咎めるような口調で言った。

 

「銃を撃たずに済むんなら、それに越したことはないよ。誰だって痛いのはゴメンでしょ?」

「そんなことだから、あんな奴らにまで舐められるのよ」

 

 ヘラヘラと笑って返すホシノに対して、ヒナは吐き捨てるように言った。

 普段の真面目な彼女らしからぬ、苛立ちを隠しきれない荒れた声色だった。

 

「追われていた側のはずが、大金に目が眩んで逆襲する――そういう容易い相手だと思われてるのよ、アナタは。仮に捕まっても自分達が痛い目に遭うとは考えていない。だから恐れる気持ちは無く、恨みだけが募っていく」

「……」

「アナタが撃たないからよ」

 

 小鳥遊ホシノが賞金稼ぎとして名を馳せ、ヒナの耳にも頻繁に情報が入るようになったのはいつからだったか。

 そう昔の話ではない。少なくとも、二年よりも前では。

 高い実力に裏付けされた捕縛率はもちろん、ホシノは『銃を使わない賞金稼ぎ』として有名だった。

 得物は主に、ケースとしての機能も備えた折り畳み式の盾だ。

 拳銃も携帯しているようだが、これが使用される状況を見た者はほとんどいない。

 今回もそうだ。

 ヒナは現場の状況から、相手の弾切れを狙って戦意を喪失させたのだと理解していた。

 わざと隙を作って相手の過剰な銃撃を誘い、それを盾で防ぎきって継戦能力を奪い、最後に実力差を思い知らせた。

 なるほど、大した腕だ。

 一発も撃たず、誰も傷つけず、問題を解決した。

 自分は小鳥遊ホシノのようにはなれないだろう。

 一連の流れを知って、ヒナは感じた。

 こんなバカな真似をしようとは思えないだろう、とも――。

 

「引き金を引けば、四発の銃弾でカタがついた話よ」

「弾丸一発だって結構お高いんだよ。うちの学校は貧乏なんだから、節約しなくちゃ。おじさんが何の為に賞金稼ぎなんてしてるか知ってるでしょ?」

「……アナタは変わったわ、小鳥遊ホシノ」

 

 のらりくらりと軽薄な態度で追及をかわそうとするホシノを、ヒナは睨むように見据えた。

 

「二年前の姿とは、似ても似つかない」

 

 ヒナはホシノと直接面識を持つ以前――自らが風紀委員会の委員長ではなく、情報部に所属していた頃から彼女を知っていた。

 当時のホシノは、その攻撃性と能力の高さから潜在的脅威としてマークされていたほどの要注意人物だったのだ。

 誰にも傷つけることの出来ない翼で比類なき高さまで飛ぶ自由な鳥――それがヒナの抱いていたホシノへの印象だった。

 同じように他人とは隔絶した能力を持つが故の孤独を抱くヒナは、出会ったこともないホシノに奇妙な同族意識を持ち、また同時に密かな憧れを抱いていた。

 彼女には力があり、そしてその力を振るうことを躊躇わなかった。

 孤独ではなく、孤高なのだと感じた。

 力を持つ者として、あれが正しい生き方であり、あれを目指すべきなのだ、と。

 しかし、実際に出会ったホシノはこれまでの印象や事前の情報とは全く違っていた。

 ヒナが認識していたよりもずっと強く、ずっと優しく、ずっと親しみやすく――そして、理解出来ないほどに愚かだった。

 

「今のアナタは昔よりも強くなったかもしれない。だけど、昔のアナタならばもっと上手く賞金稼ぎをこなせていたはずよ。容赦なく暴力を振るい、敵を威圧し、戦意を挫く――効率的な戦い方が出来たはず」

「ちょっとやめてよ~、昔のギザギザハートで触るもの皆傷つけてた頃の話を持ち出すなんてさぁ……」

「はぐらかさないで!」

 

 真面目に答えるどころかロクに視線さえ合わせようとしないホシノに、思わず声を荒げる。

 

「いつも手加減が出来るほど実力差のある相手ばかりとは限らないのよ! 自分に銃を向ける相手にまで何故そこまで気を遣うの!? 余裕!? 偽善!? 今のアナタを見ているとイライラしてくるわ!」

 

 肩を掴み、強引に自分の方へ顔を向けさせた。

 

「自分の優れた能力を過信して、いつか痛い目に――!」

 

 そこまで言いかけて、ヒナは続く言葉を飲み込んだ。

 顔を突き合わせたホシノの額に、小さな痣が浮かんでいることに気付いたのだ。

 軽傷ではあるが、治りかけの古傷ではない。

 つい先ほど付いたものだ。

 間違いなく、ヘルメット団に撃たれた時に付いた傷だった。

 弾切れを狙う為とはいえ、銃撃の雨を一方的に受け続けたのだ。

 どんなに上手く盾を使っても、防ぎ切れない偶然の流れ弾や予期せぬ跳弾が当たる可能性だってある。

 あるいは、ただ見えないだけでその服の下の身体には――。

 

「……やっぱりさ」

 

 絶句するヒナに向けて、困ったようにホシノは笑っていた。

 

「バカみたいかな? 私……」

 

 見ているこっちが胸を締め付けられるような笑顔だった。

 こんな戦い方を、繰り返してきた。

 こんな生き方を、続けてきた。

 二年前から、ずっと――。

 

「そうだよねぇ……多分、ヴァッシュも今の私を見て、悲しい顔をすると思うんだよねぇ」

 

 ヴァッシュ・ザ・スタンピード――その名前がホシノの口から出たのを聞いて、ヒナの顔が強張った。

 連邦生徒会が指名手配している危険人物。

 二年前のアビドスで起こった事件の中心にいた男。

 そして、今も尚ホシノの心に居座り続ける人間だ。

 公式の指名手配写真に、凶悪な犯罪者とは思えない能天気な笑顔で映るこの男の存在を、ヒナはどうしても好きになれなかった。

 

「彼だって好きであんなしんどい生き方をしていたワケじゃないし、真似なんてして欲しくないっていうのは分かってるんだけど……」

 

 何処か途方に暮れているような表情でホシノは独白した。

 

「でも、私は思い知ったんだ。何故、彼が引き金を引くことを最後の最後まで躊躇うのか。何故、決定的な瞬間を死に物狂いで避けようとするのか」

 

 ヒナの見つめるホシノの横顔には、苦悩と葛藤――そして強い後悔が色濃く滲んでいた。

 おそらく、これが彼女の本当の顔なのだと察した。

 普段のヘラヘラとした能天気な笑顔の下で、銃を前にした時、あるいは銃を握らねばならない状況に陥った時、常にこの顔が隠れているのだと。

 

「あの時、本当はもっと別の選択肢があったんじゃないかって……ずっと後悔してる」

 

 あの時――ヴァッシュがこの世界から去るきっかけとなってしまった瞬間。

 あの決断が、あの時の自分の精一杯だった。

 だけど。

 時が経つほどに、後悔が積み上がっていく。

 もう二度と会えない彼を想う度に、あれ以上は望むべくもなかったはずの『IF』を思い描いてしまう。

 それがどんなに愚かな悩みだと分かっていても。

 

「あの時、私の引いた引き金が彼との別れを決定付けてしまった。私は、もっと別のモノを撃つべきだったんじゃないか? ただ私が知らなかっただけで、もっといい方法が……撃たなくてもいい結末があったんじゃないか……って。ずっと考えてるんだ」

「……何をそんなに後悔しているのか知らないけど、そういうのはキリがないわよ。神様の視点が手に入ると思ってるほど、自惚れてはいないでしょ?」

「そんなんじゃないさ。でもね、引き金を引くのは制限時間一杯まで言葉や行動を尽くした後でも遅くはないと思うんだ」

 

 絶え間なく続く問題集。

 選択肢は酷薄。

 制限時間は短い。

 決断が早いほど、余裕のある生き方が出来る。

 この身が無駄に傷つくこともない。

 勝手に躊躇って、勝手に苦労して、勝手に傷つく。

 道化のような一人芝居。

 誰もが指をさして『みっともない』と笑うだろう。

 それでも――。

 

「あの日の後悔はどうすることも出来ないけれど……今日、いま、私の手はまだ動く」

 

 自分の手を見つめながら、ホシノは呟く。

 

「私が他人よりも優れた力を持っているというのなら、引き金を引くのは最後の最後まで躊躇っても十分間に合うはずだ」

「それを、自惚れた生き方だというのよ」

「……それでも、私はどうしても避けられない『その瞬間』が来るまでは、考えるのをやめたくないんだ」

 

 ホシノはヒナに背を向けて、歩き出した。

 

「無知のまま引き金を引く傲慢さを、私は絶対に許さない」

 

 去り際に残したその言葉は、容易く他人に銃を向ける者への憂い以上に、自分自身へ向ける戒めのように聞こえた。

 ホシノの小さな背中が遠ざかっていくのを見送りながら、ヒナは拳を握り締めていた。

 

「恨むわよ――ヴァッシュ・ザ・スタンピード」

 

 直接の面識もない男が、どうしても好きになれない理由。

 あの日、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの放った『銃弾』の力を感じ取り、その恐ろしさを本能で理解した。

 危険な人物であったことは間違いない。

 それでいて、ホシノにとって大切な人間であったことも理解している。

 だが、そのどちらもヒナにとっては重要なことではなかった。

 この男を好きになれないのは、ホシノに――自分の友達に消えない心の傷を残したこと。

 

「彼女をこんな風にしてしまったのは――アナタよ」

 

 この場にいない男に対して不毛だと感じながらも、ヒナはそう責めずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 朝、心穏やかに目が覚める。

 今日という一日の始まりに平穏を噛み締め、これから向かう学校への希望と期待を胸に抱く。

 二年前までは、薄ら寒い現実と向き合わなければならない覚醒に忌避感すら抱いていた。

 小鳥遊ホシノの過ごす日常は変わった。

 一時期は全てが敵に思えていた世界は、今では愛と平和に満ちていた。

 ベッドから素早く身体を起こす。

 実際のところ、ホシノはダラダラと眠るのが好きだ。

 二度寝なんて最高の贅沢だと思っている。

 しかし、朝の目覚めに甘えは挟まない。

 起きて一時間はトレーニングに費やす。

 単純な筋トレに加えて、自分が扱う銃や盾の取り回しを反復練習し、動きに鈍りがあればそれを矯正する。

 銃を用いた戦闘は判断がシビアだ。

 判断よりも反応、反応よりも反射が求められる極限の状態においては、こういった身体に染み付いた動きが重要になってくる。

 特に、ホシノは自らを望んでそのような状況に追い込むことが多いのだから。

 日課のトレーニングを終えたらシャワーで汗を流して、簡単な朝食を済ませ、学校へ登校する。

 

「やあ、おはようホシノちゃん」

「今日も早起きだね」

「今日も一日、いい天気だそうだよ」

 

 最近開通したアビドス高等学校近くまで通るバスに乗って、顔見知りの乗客達と笑顔で挨拶を交わす。

 市街地の復興に合わせて公共の交通機関も増え、それを利用する住人も多くなった。

 学校までの通学路で誰ともすれ違わないゴーストタウンさながらだった昔の寂れ具合など、現在では想像も出来ない。

 窓際の席に座って、外を眺めた。

 景色が流れていく。

 人々が行き交うアビドスの街中の風景が。

 今日も空は快晴。

 気温は高く、湿度は低い。

 間抜けなくらい青い空が広がっている。

 

 ――ああ、まただよ。

 ――ヴァッシュ。

 

 多くの人々が生きる活気の中で、時折不意に襲ってくる寂しさを隠しながらホシノは想う。

 

 ――笑っちゃうなぁ。

 ――もう叶いやしない事なのに、アナタにも見せたいなんてまだ考えてるんだ。

 ――私達が変えたこの街の風景を、ユメ先輩も一緒に三人で、肩を並べて。

 ――また、一緒に。

 

 最近、物思いに耽ることが増えた。

 二年間がむしゃらに頑張って、苦労も背負ったけれど、それ以上に取り巻く世界はどんどん良くなって――。

 少し、落ち着いてきたからかもしれない。

 前に進むことだけを考えていた昔と違って、自分の歩んだ道を引き継いでくれる後輩達が現れ、一つの終点が見えてきたからかもしれない。

 そうしてぼんやりと外を眺めていると、アビドス高等学校近くのバス停が見えて、ホシノは慌てて降車ブザーを押した。

 バスを降りる。

 学校までは、ここから少し歩く距離だ。

 市街地からは離れた位置にある為、この辺りを歩くアビドスの住人は生徒以外にいないだろう。

 独り、道を歩いていると、不意に携帯に着信が入った。

 

「……げっ」

 

 日常の平穏と哀愁に浸っていたホシノは、画面に映る着信相手の名前を見て一気に現実へと引き戻された。

 毎度のことながら、この画面を見る度に疑問に思う。

 何故、自分は世界で最も嫌う男の連絡先を携帯に記録しているのだろう?

 

「何か用? ――『黒服』」

 

 心底嫌そうに電話に出るホシノの耳に、聞き慣れた笑い声が届いた。

 

『クックックッ……相も変らぬご活躍、私の耳にも届いておりますよ。賞金首の小鳥遊ホシノさん』

「朝っぱらからお前と軽口交わすほど元気じゃないんだよねぇ、私は。っていうか、賞金の話はともかく、バスを降りたタイミングで電話してきたのは狙ってたの? どっかで監視してる?」

『ゲマトリアは、アナタのことをずっと見ていますよ』

「堂々とストーカー宣言しないでよ。ホント、気持ち悪いなお前」

 

 ホシノは心底嫌悪するように吐き捨てた。

 今すぐにでも通話を切りたい気分になるが、こちらとしても話を続ける必要性があるのでそうもいかない。

 黒服との会話は、いつもこんな状況だ。

 

「それで? とりあえず、そっちの用件をさっさと言ってよ」

『こちらの用件ですか? そうですね……ホシノさん、ゲマトリアに入りませんか?』

「嫌だよ」

『クックックッ、それは残念』

「……なんか、回数重ねるごとに誘い方が雑になってない? 勧誘を諦めてるんだったら、もう電話してこないでよね」

『社交辞令というヤツですよ。もちろん、アナタの身柄を手に入れることは全く諦めていませんがね。ホシノさんにとっても、こちらから話を切り出した方が都合がいいと思っての行動なのですが?』

 

 苛立ちを抑え、冷静さを保つ為にホシノは大きく息を吐いた。

 相変わらず、何もかも見透かすような言葉には不信感と不快感しか感じない。

 しかし、これも必要なことなのだと私情を押し殺して会話を続ける。

 

「――私の首に賞金を掛けたのは、カイザーでしょ?」

 

 質問というよりもほとんど確信に近い言葉に対して、返って来たのは愉快そうな笑い声だった。

 

『申し訳ありませんが、カイザー・コーポレーションと協力関係にある私には答えられない質問ですね。明確な答えが必要ならば、アナタの身柄を懸けて取引いたしましょうか?』

「それ、もう答えを言ってるようなもんじゃん。毎度思うけど、お前それでいいの?」

『さて? 私はアナタともカイザーともビジネス上の関係を築いているだけです。どちらの味方でもありませんし、敵でもありませんよ』

「カイザーに与する利益が無くなってきたのかな? お前、性格悪いから嫌われてそうだし、冷遇されてるんでしょ?」

『クックックッ、酷い言われようですね。とはいえ、カイザー理事から嫌われているのは間違いないでしょう。特に、最近彼は何かに苛立つことが多くなっていますからね』

「それであれだけの額の賞金を掛けたってことは、私のこれまでの行動は相当に痛い所を探っていたってわけだ?」

『そうかもしれませんね。私には答えられませんが』

「……別にいいけどね。こっちの打つ手が順調に相手を追い詰めてるって保証してくれるなら」

『全ては最初の邂逅で初手を誤った、彼自身のミスが原因ですよ。アビドスの借金とアナタの身柄を交換条件にしようなどと、直接的過ぎる取引を持ち掛けた彼の浅はかさのね』

「おかげで、こっちは最初からカイザー・コーポレーションを疑って掛かれたから、色々助かったよ」

『小鳥遊ホシノという人間を甘く見たのですよ。己の器と状況を正確に見極められず、借金に追い詰められた子供一人容易く丸め込めると驕ったのです』

「……毎回思うんだけどさ、お前ってやたらとこっちを持ち上げて相手をけなすよね。それって私をおだてて警戒を解こうとしてるの?」

『クックックッ……私は事実を口にしているに過ぎませんよ』

 

 交わされる腹の探り合い。

 明確な取引ではない、何気ない雑談の中から自分の利益になりそうな情報を拾っていく。

 お互いにそういった意図の会話であるはずだが――黒服はそれを分かった上で自分に有利な情報をあえて渡している、とホシノは察していた。

 敵でも味方でもないと言いながら、黒服は明らかにカイザーよりもこちらの肩を持っている気がした。

 そんなことをする理由は何なのか、未だに黒服の真意は分からない。

 しかし、少なくともアビドスの利益となる以上ありがたいことではあった。

 正直、最近言動が気持ち悪くなってきたなと思う相手だが、付き合うことでメリットがある。

 だからこそ、死ぬほど嫌う相手であってもこんな関係をズルズルと続けてしまっている。

 

「……あのさ。二年間もこんな関係を続けて、誤解が生まれてるかもしれないからハッキリ言うけど」

 

 ホシノは努めて冷静さを装いながらも、強張りを隠しきれない声で告げた。

 

「私は、お前のことを殺したいくらい嫌いだから」

 

 それは、嘘偽りのないホシノの本心だった。

 どんなに軽口を交わそうとも、その存在が利益になろうとも、心の底から憎み続ける存在だった。

 全ては、この男が元凶なのだ。

 

「お前が起こした行動が原因でユメ先輩は左腕を失って、お前の仕組んだ計画がきっかけでヴァッシュはこの世界を去らなくちゃいけなくなったんだ」

 

 知らず、ホシノの声には殺気が籠っていた。

 もしも電話越しではなく、黒服と直接向き合う状況になったら、銃口を突き付けずにいられる自信がない。

 無知のまま衝動に駆られて引き金を引く愚かさを知りながら、それでも尚過ちを犯してしまう現実があることを実感する。

 ホシノが黒服とビジネスライクとはいえ関係を維持出来ているのは、自制心以外にも大きな要因があるからだった。

 

「どんなに味方面しようとしても、私はそんなお前を一生許さない」

『……クックックッ、それにしては随分と遠回しな言い方ですね』

「何だって?」

『もっと直接的に恨んでいただいて構いませんよ――ヴァッシュ・ザ・スタンピードがいなくなったのはお前のせいだ、と』

 

 黒服のその言葉を聞いて、話している内に激してきた心の熱が急速に冷えていくのをホシノは感じた。

 その時湧き上がって来たのは怒りではなかった。

 虚しさと後悔だった。

 

「……それとこれとは、話が別だよ」

『クックックッ、同じことだと思いますがね。私の行動がアナタ方を追い込み、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの力を発現させる状況を作り、この世界を去る原因となった――』

「でも、私が撃ったんだ」

 

 ホシノは噛み締めるように呟いた。

 

「私が、撃ったんだよ」

『……』

「あの時の選択とその責任を、お前なんかに渡すもんか」

『……クックックッ、そうですか』

 

 ホシノは気付かなかったが、その時黒服の口から漏れ出た笑い声はこれまでのものとは少し違った響きを含んでいた。

 

 ――大人とは責任を負う者。

 ――大人としての、責任と選択。

 ――その延長線上にあった、小鳥遊ホシノの選択。

 ――それが意味する心延え。

 

『そうです……それこそが今のアナタ。もはや、子供ではない』

 

 通話越しに感じ取れる黒服の様子の変化に、ホシノは眉を潜めた。

 

「……何言ってるの?」

『何でもありませんよ。ただ、改めてアナタを我々ゲマトリアのメンバーに迎えたいと感じたのです』

「ここまでの話、ちゃんと聞いてたのかなぁ……」

 

 ホシノは脱力するように、ため息を吐いた。

 自分の感情が一人で空回っているような虚しさを感じる。

 黒服との会話は、いつもこうだ。

 

「何度誘われても、絶対に答えは変わらないよ。いい加減、諦めて欲しいね」

『クックックッ……『変わらない』ですか。果たして、そうでしょうか?』

「その言い方、また何か悪企みしてる?」

『そう探るような真似をしなくても、企みなどありませんよ。しかし、例えアナタが変わらずとも周囲は変わるものです。時間は常に流れているのですから』

「相変わらず、回りくどい言い方だなぁ」

『アナタは今年、アビドスを卒業するでしょう?』

 

 不意の指摘に、ホシノは思わず言葉を失った。

 

『高校を卒業すれば、アナタは心身共に晴れて大人の仲間入りですよ。おめでとうございます。そして、ようこそ――大人の世界へ』

 

 嬉々として告げられる黒服の祝福は、呪いのように胸の内へ響いた。

 

『ヴァッシュ・ザ・スタンピードが去り、梔子ユメが去ったように、アナタもアビドスを去る日が来る。その後の身の振り方を、どうぞよく考えてみてください』

 

 ――ゲマトリアは、いつでもアナタを歓迎しますよ。

 

 そう言って、通話は一方的に切られた。

 光の消えた携帯の画面を、ホシノはしばらくの間忌々し気に睨みつけていた。

 やがて、学校への道を再び歩き始める。

 黒服との会話をきっかけに、頭の中を様々な思考が飛び交っていた。

 しかし、そのどれもが上手く纏まらない。

 最後に告げられた内容だけが重く残っていた。

 そうだ。

 いつの間にか、それだけの時間が過ぎていた。

 もうすぐ、私は――。

 

「あ、ホシノ先輩。おはようございます」

 

 聞き慣れた後輩の声で、ホシノは思考の渦から引き戻された。

 いつの間にか、学校の校門前にまで辿り着いていたらしい。

 

「や、おはよう。アヤネちゃん」

 

 ホシノはここに至るまでの気分を切り替え、笑顔で挨拶を交わした。

 黒服との関係を後輩達には知られたくなかったし、実際にこれまで知られてはいない。

 余計な心配はかけたくないのだ。

 しかし、アヤネに向けた笑顔は取り繕うばかりのものではなかった。

 このアビドスの未来を担う、頼もしくも可愛い後輩の顔を見れば、いつだってポジティブな気分になれるのだから。

 

「いやぁ、朝っぱらから精が出るね~。今日も初等部の子達の出席確認かい?」

「はい。今日も誰も欠席することなく、皆元気に登校してますよ。ホシノ先輩で最後です」

「うへ~、おじさんも歳かねぇ。つい、寝過ごしちゃったよ」

 

 実際には黒服との会話を経て、思った以上に考え込んだせいで無意識に足が遅くなったことが原因なのだが、ホシノはそれを誤魔化した。

 アヤネと肩を並べて校門を潜る。

 学校の正面からでも、グラウンドから生えた大きな木が視界に入った。

 ヴァッシュが残してくれた、最初の木だ。

 思わず一瞬、過去の憧憬に見入ってしまう。

 

「……ホシノ先輩?」

「ん~? いや、今日もいい天気だと思ってね。なんだか、いいことが起こりそうだなぁって」

「そうですね。実は、朝からいいことが起こっているんですよ」

「えっ、そうなの?」

「はい! なんと、連邦生徒会から支援の為に『先生』が来てくださったんです!」

 

 つい最近発足した超法規的機関『シャーレ』――そこから派遣された大人の人員が『先生』とのことだった。

 シャーレという機関が具体的にどのような存在なのか、ホシノはもちろん、まだ本人と顔合わせをした程度のアヤネにも分かっていなかったが、公的な組織からの支援というだけでも大きな意義のある出来事だった。

 特に、現在このアビドスが抱える借金問題についての真相に辿り着きつつあったホシノにとっては、まさに渡りに船といった助っ人だ。

 どのような人物が来てくれたのか、すぐにでも会ってみたくなった。

 

「それは興味深いね。会って、話がしてみたいよ」

「生徒会室で休まれてますから、すぐにでも会えますよ。なんでも、シロコ先輩が通学路の途中で行き倒れていたのを見つけたらしいんです」

「行き倒れぇ? 一昔前のアビドスならともかく、今のアビドスで行き倒れなんて随分と間抜けな人だね」

「あはは……確かに、大人にしては少し頼りない感じはしましたね。生徒会室に来た時も、疲れて歩けないからってシロコ先輩に背負われていましたから」

「あらら、なんか一気に不安になってきちゃったぞ」

「でも、決して悪い人ではありませんよ。だって、初等部の子達に凄く好かれてるみたいでしたから」

「へえ? あの子達が初対面で懐くなんて、そりゃ珍しいね」

「それが、実は初対面ではないらしいんです。その『先生』は、元はアビドスの卒業生だったらしいんですよ」

「……え?」

「ご本人がそう言っていましたし、ノノミ先輩もホシノ先輩の話に聞いたことがある人だったので、間違いありません」

 

 アヤネが何気なく告げた内容を聞いて、ホシノは呆気に取られた。

 元アビドスの卒業生で初等部の子供達と自分に面識がある――そんな人間は一人しかいない。

 突然頭の中に入って来た衝撃的な情報を整理する前に、生徒会室の前にまで辿り着いていたアヤネが扉を開けた。

 

「皆、ホシノ先輩が来てくれたよ。これから『先生』とお話があるから……って、何してるの!?」

 

 扉を開けた途端、混沌の極みといった光景が目に入った。

 

「あっ!? アヤネちゃんにホシノ先輩! ちょうどよかったわ、ちょっと手伝って! このワルガキどもを『先生』から引き剝がして!」

「おはようございます~、ホシノ先輩。アヤネちゃんから聞いているかもしれませんが、この方がシャーレから出向してくれた『先生』らしいですよ。驚きですね☆」

「ん。ホシノ先輩の先輩だって言ってた。でも、ちょっと信じられない。弱すぎる。これでは現在のアビドスでも最底辺のヒエラルキーに位置する」

「ホシノ会長、おはようございまーす!」

「かいちょー、おはよー!」

「みてみて! かいちょーの先輩が、またアビドスに帰ってきてくれたよ!」

「今までどこ行ってたんだよ!? アタシ達に無断でいなくなるなんて生意気だぞ!」

「子分のクセに! 子分のクセに!」

「そうだぞ! ホラ、次はワタシを肩車しろ!」

「あーっ! ずるいよ、次はわたしがおんぶしてもらう番だよ!」

「くらえ! わき腹十六連打! アチョアチョー!」

「ねー、アタシお菓子持ってるんだ。一緒に食べよ!」

 

 さして広くもない生徒会室にひしめき合う喧騒。

 普段、この部屋でアビドスの問題について対策を話し合う高等部のメンバーに加えて、初等部の生徒全員が集まっていた。

 初等部の中でも年少の子達のほとんどが、一人の人間に群がっている。

 さながら獣の群れに放り込まれた生肉の如くもみくちゃにされていたその人物は、呆然と佇むホシノを見つけた途端涙目で叫んだ。

 

「た、助けて―! ホシノちゃーん! ひぃん!」

「ユメ先輩!?」

 

 思わぬ再会に対して、ホシノは普段の年長者としての顔を取り繕う余裕もなく驚きの声を上げる他なかった。

 

 

 

 

 

 

「……まだ現実感が湧きませんよ」

 

 ホシノは未だに半分くらい呆けた気持ちで呟いた。

 そのすぐ隣では、記憶よりも少し大人びた顔つきのユメがニコニコと笑っている。

 

「ユメ先輩が外の世界で教師になって、またキヴォトスに戻ってくるなんて」

「正確には教育実習生なんだけどね。まだ正式な先生にはなれてないんだー」

 

 二人はアビドスを象徴する巨木――ヴァッシュの残した木の根元に備え付けられたベンチに並んで腰かけていた。

 強い日差しを遮る木陰の下で、穏やかな風に吹かれながら懐かしさに浸る。

 ユメがアビドスを卒業して以来、約二年ぶりの再会だった。

 

「そういう教師になる為の過程ってよく知らないんですけど、教育実習生一人だけで送り出されるものなんですか? 特に、キヴォトスは外の世界から見ればかなり特殊でしょう?」

「そこなんだけどねー、わたしもキヴォトスに戻ってくるまでの経緯とかが曖昧っていうか……よく覚えてないんだ。ここに来るまでの電車の中で誰かとすごく大切なことを話してたような……?」

「大切なことなのに忘れちゃったんですか?」

「ひぃん……ごめんね」

「私に謝っても仕方ないですよ。とにかく、ユメ先輩は現在『先生』として大きな権限と立場を持った役職に就いているんですね」

「そうだよ! 『シャーレ』っていってね、キヴォトス中を自由に行き来して困っている生徒をお助けしちゃう素敵な活動をしてるんだー」

「そうですか、凄く不安になりますね」

「相変わらずキツいよ、ホシノちゃん!」

 

 ユメが根拠のない自信で胸を張り、ホシノが冷たく突き放す――昔のような口調と言葉の応酬。

 二人はしばらくの間見つめ合うと、どちらが先ともなく吹き出した。

 

「なんだか、懐かしいね」

「そうですね」

「ねえ、ホシノちゃん」

「はい」

「また会えて嬉しい! 元気そうでよかったよ!」

「私もですよ、ユメ先輩。本当に、嬉しいです」

 

 ホシノは心の底から笑顔を浮かべた。

 別に普段後輩達に向ける笑顔が無理をしていたわけではないが、それでも昔の自分を知るユメにだけ向けることが出来る、年長者としての責任から解放された笑顔だった。

 

「それにしても、二年かぁ。ホシノちゃん、変わったね」

「そうですか? 結局二年経っても大して背は伸びなかったし、あまり見た目は変わってないと思いますけど」

「そんなことないよ。だって、髪がすっごい伸びてる。髪が短いホシノちゃんしか知らないから、凄い新鮮!」

「うへ~、なんかちょっと恥ずかしいですね」

「あと、それ! 喋り方も変わったね! うへうへおじさん!」

「うへうへおじさんって……」

「だって、真面目だったホシノちゃんが、そんなひょうきんおじさんになるなんて驚いちゃうよ」

「ひょうきんおじさんって……」

「二年間でイメチェンするきっかけとかあったの? おじさん(・・・・)気になっちゃうな~」

 

 ここぞとばかりにユメは意地悪そうな笑みを浮かべながら、ホシノに詰め寄った。

 昔のホシノならば、このようにからかえば無視されるか怒って立ち去ってしまっていただろうが、今のホシノならばきっと通じると感じたのだ。

 そして、実際にホシノは恥ずかしそうに笑うだけだった。

 

「まあ、イメチェンというか……初等部の子達の為ですね」

「初等部の?」

 

 ホシノの言葉に、ユメは視線を前に向けた。

 二人が座っているベンチからは、グラウンドが一望出来る。

 現在、その広いグラウンドでは初等部の大半の子供達と共にシロコ達高等部の生徒も交えて、サッカーで遊んでいた。

 かつての体験入学を思い起こさせる光景だ。

 昔のアビドス高等学校は、借金返済など様々な問題に対応するのが精一杯で、授業などというものは全く行われていなかった。

 それが現在、形ばかりとはいえ幾つかの授業が復活している。

 さすがに専任の教師がいない為高等部の勉学は自習によって対応する他ないが、初等部の生徒に対しては特に意欲的なセリカを代表として高等部が当番制で教師を代行し、基本的な科目の授業を行っていた。

 ホシノとユメが座っているベンチも、図工の授業で廃材から作った生徒達の工作物である。

 そして、今行われているは体育の授業。

 授業とは名ばかりの遊びに近い内容だが、高等部も交えて全員で楽しめる体育は一番の人気科目だった。

 

「覚えてますよね、初等部の子達」

「うん。昔、体験入学で来てくれた子達だよね。アビドスに入学してくれたんだぁ」

「ユメ先輩は先に卒業しちゃいましたからね。その年の入学式で正式に生徒として来てくれたんですが、ユメ先輩達がいないって知って皆すごく寂しがってたんです」

「えっ、そうなの?」

「会うのを楽しみにしてたみたいですよ。ユメ先輩と……それにヴァッシュも」

 

 その名前を口にした時、二人の間に僅かな哀愁が流れた。

 しかし、ホシノはすぐに気を取り直して続けた。

 

「二人がいないものだから、しばらくは落ち込んでる子も多くて。それで苦肉の策というか、私が二人の代わりになれればなぁって思って……」

「それで髪を伸ばしたの? じゃあ、その恰好はわたしのリスペクト!?」

「そういうことですね……うへ~、やっぱり恥ずかしいな」

「恥ずかしがらなくていいよ、わたしはすっごく嬉しい! それに、わたしってあの子達に結構好かれてたんだぁ……子分とかオモチャ扱いだと思ってた!」

 

 それも間違ってないですね。

 ホシノは、思わず出そうになった言葉を飲み込んだ。

 次に初等部の子達と対峙すれば、嫌でも現実を認識するだろう。

 その瞬間が訪れるまでは、今のユメの嬉しそうな笑顔を守ろうと思う情がホシノにも存在した。

 

「『おじさん』の方は……何だろう? きっかけはシロコちゃんと初めて会った時かな。ヴァッシュが『おじさん』ってイメージはないんですけど、彼みたいな砕けた喋り方だったら小さい子も変に緊張しないかなぁと思って、使い始めたんですよね。昔の私のままだと、傍にいて息苦しいって思われちゃうだろうから」

「えー、そんなことないと思うけどなぁ」

「今思い返せば、昔の私って不愛想で、小さい子から見れば好かれる要素のない人間でしたよ。ユメ先輩とヴァッシュの力を借りて、ようやく人並みってところです」

「もうっ、本当にそんなことないんだよ! 昔からホシノちゃんのことが好きな子だって、ちゃんといるの!」

 

 叱るようにそう言うと、ユメはホシノの顔を両手で挟んで強引に横へ向けた。

 二人が座るベンチから少し離れた位置に、また別のベンチが設置されている。

 そこには初等部の子供が一人、座っていた。

 基本的にヤンチャで身体を動かすのが好きな初等部の子供達の中には、読書などが好きな大人しい性格の子もいる。

 無口で普段はあまり自己主張せず、仲間外れにされているわけではないが一人でいるのを好む子だ。

 

「わたしは覚えてるよ。昔、体験入学の時にホシノちゃんがあやとりして遊んであげてた子だよね?」

 

 ユメの問い掛けに、その子供はホシノをしばらく見つめた後小さく頷いた。

 

「ホシノちゃんが好きだから、ずっと傍にいるんだよね?」

 

 また小さく頷いた。

 そして、ホシノから視線を逸らすと、黙って一人であやとりを始めた。

 その頬が、ほんのりと赤く染まっていた。

 

「ほらね?」

「ああ、いや……その……うへへ~」

 

 ホシノは照れ隠しのように曖昧に笑った。

 

「ホシノちゃんは後輩の皆に好かれる、立派な先輩をやっているよ」

「……そうですかね~。そうだったら、嬉しいですね」

 

 それはホシノの本心だった。

 二年間、自分にやれるだけのことをやってきたが、それが上手くいっているかなんて自信はなかった。

 後輩を導く年長者としての言動は、自分の知る唯一の先輩であるユメに倣い、間違いだらけの自分を助けてくれたヴァッシュから学び――不格好な物真似で何とかこなしてきたのだ。

 そんな自分のしてきたことが『これで正しかったのか?』なんて、後輩達に聞けるわけがない。

 ずっと、密かに不安を抱えていた。

 その不安が、今はもう綺麗に消え去っている。

 ユメが褒めてくれたから。

 先輩が認めてくれたから。

 これまで頑張ってきた自分を、少しだけ誇ってもいいような気がしていた。

 

「本当によく頑張ったね、ホシノちゃん。そして、わたしが来たからにはもう大丈夫だからね! アビドスの問題に、これから大人として一緒に立ち向かうんだから!」

 

 成長したホシノの姿を見て感極まったユメは、奮起するようにガッツポーズをしてみせた。

 

「そういえば、アビドスの支援の為に来てくれたんですよね」

 

 大人になってもアビドスの為に力を貸してくれるユメの想いは正直に嬉しい。

 しかし、嬉しさと頼もしさはまた別だ。

 ホシノは不安になって訊ねた。

 

「それって、ちゃんとシャーレの仕事としてですよね? 私情とか職権乱用して飛び出してきたとかないですよね?」

「ひぃん。相変わらず、信用ないよー」

「シャーレの活動内容って、話を聞く限り『生徒達から届けられた悩みを解決する』って受け身の対応じゃないですか。アビドスからシャーレに救援の要請は送ってなかったと思うんですけど、どういう名目で来たんですか?」

「で、でも、連邦生徒会宛てには何度か出してたでしょ? アビドスの借金について怪しい部分があって、それにカイザー・コーポレーションが関わった犯罪の形跡があるみたいだから調査して欲しいって……」

「確かに、そういうメールは以前送りましたね。でも、あくまで連邦生徒会宛てですよ。シャーレは独立した機関なんじゃないですか?」

「……ううっ、実はシャーレは出来たばかりのせいか、あんまり生徒からの相談が届いてなくってぇ……やってることは苦手な事務仕事ばっかりでぇ……アビドスがすごく復興してるって聞いたのにわたしは部屋にカンヅメで何やってるんだろうって気持ちになっちゃってぇ……そんな時にメールの内容を偶然知ってぇ……」

「……そうですか」

「ああっ、ホシノちゃんの視線が冷たい!」

「……じゃあ、アビドスの支援はシャーレの実績を示すちょうどいい機会ですね。手始めにアビドスが直面する問題を解決してみせ、シャーレがお飾りの組織ではなく、実際に問題解決能力を持っていることを証明するんです。そうすれば、他の学校からの相談も増えます。その為に『ユメ先生』は今回、自主的に動いたんです」

「そ、そうだね! そういうことだね!」

「まあ、そういうことにしておけば周りから見ても筋が通ってるし、少しは恰好もつくでしょう。次からはちゃんと考えて行動してくださいね。大人らしく」

「ううっ……ホシノちゃんのフォローが懐かしくも痛い……!」

 

 本当に何だか懐かしいやりとりだな、と。ホシノは感じた。

 ユメが考えなしに行動して、それをホシノが冷たくフォローする――昔に戻ったような関係だった。

 大人になったユメは、確かに昔より落ち着いていて包容力もあって、だけどやっぱり能天気で何処か抜けている。

 それでも、変わって欲しくない善良さはそのままで、あの頃と同じ優しさを噛み締める。

 ああ、ここに。

 もう一人。

 彼が揃って三人いれば、きっと最高なのに――。

 

「大人になるって、どういう線引きなんだろうね? なんだか、わたしって昔のポンコツなまま変わった気がしないよ」

 

 涙目になりながら、ユメが呟いた。

 

「髪なんか切っちゃったりしてさ、形だけでも変わろうとしたんだけど……」

「そういえば、ユメ先輩の長い髪切っちゃたんですね。これ、最近のことだったんですか?」

「うん。キヴォトスに戻る前に色々と吹っ切ろうと思ってね――ヴァッシュのことを」

 

 その言葉を聞いて、ホシノは思わず口を噤んだ。

 やはりユメにとって、彼との別れは忘れえぬ記憶なのだ。

 自分と同じように。

 

「あの頃は想像もしてなかったよ。三人で過ごしていた日常が、こんなに簡単に終わってしまうなんて」

 

 ショートカットになった髪をいじりながら、何処か寂しげに笑って呟く。

 

「砂まみれでゴチャゴチャしてて、何かとイザコザが絶えなくて、問題だらけでお先は真っ暗……ホシノちゃんはあの頃のこと覚えてる?」

「はい、もちろん」

「今思い返すとさ、あの頃のわたし結構笑ってたよ。辛い日々の痩せ我慢とかじゃなくて、お腹の底から笑ってた」

「……」

「あれって青春だったよ。間違いなく」

 

 ユメが懐から、一枚の白い羽根を取り出した。

 それを見て、小さく微笑みながらホシノもポケットから同じ羽根を取り出す。

 二人が、二年前から肌身離さず持っている物。

 彼が残した力の結晶。

 ヴァッシュが、この世界にいたことの確かな証。

 かけがえのない思い出の象徴だ。

 

「もう、あんなドタバタした毎日は、二度と――」

 

 二人して、グラウンドを眺める。

 子供達が笑っている。

 後輩達が笑っている。

 アビドスの明るい未来が、確かにそこに在る。

 かつては夢や奇跡の類でしかなかったものが、今や実現して目の前にあるのだ。

 その希望は素晴らしいものだ。

 だけど。

 それでも。

 どうしても。

 ふとした時に、過去を振り返ってしまう。

 彼と過ごした日々が、あまりにも賑やかで、輝かしかったから。

 途切れてしまった青春の日々の続きを想う。

 

「戻りはしないんだろうね」

 

 そう呟いて、ユメは手に持っていた白い羽根を再び仕舞った。

 二年経っても消えない未練をどうすればいいのか。

 答えを探すように空を仰げば、そこには相変わらず透き通るような青い空。

 ヴァッシュのいる世界には繋がっていない空。

 視線を降ろせば、やはり変わらず遊ぶ子供達の光景に重なって様々なものが視界に映った。

 変わりゆくアビドスの未来。

 褪せることのない過去。

 そして――眼前に迫るボール。

 

「ふぎゃっ!!?」

「ユメせんぱーーーい!!?」

 

 飛来したボールを顔面に受けたユメは、そのまま盛大に倒れ込んだ。

 ホシノの悲痛な声が響き渡る。

 

「やっべ、ユメに当たった!」

「バカ! どこに向かって蹴ってんのよ!?」

「アンタのパスが悪いんでしょ!?」

「これ、なんか前にもなかった!?」

「ユ、ユメ先輩! 大丈夫ですか!?」

 

 慌てて子供達が駆け寄り、ホシノが必死になって呼びかける。

 しかし、顔にボールを乗っけたまま仰向けに倒れたユメはピクリとも動かない。

 不安げな子供達を落ち着かせながら、シロコが恐る恐る歩み寄った。

 

「ん。先生……大丈夫?」

 

 その瞬間、ユメが勢いよく身体を起こした。

 

「んんんんーーーッ!!?」

「うわぁあああああ!!?」

「ひぇええええええ!!?」

 

 突然の出来事に、シロコも含めたその場の全員から悲鳴が上がった。

 唐突に起き上がったユメの顔面には、未だにボールが落ちることなく吸い付いていたのだ。

 ユメはそのまま無言で後輩達を追い回し始めた。

 声を発さず、顔も見えない。

 しかし、顔にくっついたボールに加えて同じくらい大きな胸が二つ揃った姿は、正面から見れば巨大な壁の如き圧迫感だ。

 

「ボールが三つに増えたぁー!?」

「ん! 逃げて! あの三つの球体の隙間に入ったら、きっと吸い込まれる!」

「マジかよ、やべぇー!」

「助けてぇー!」

 

 シロコを先頭にして子供達は必死な形相でグラウンドを逃げ回る羽目になるのだった。

 

 ――神秘『トリプルボール・ヘッド』!

 ――足りない吸引力を豊満な胸で支えて補うウルトラ・テク!

 ――君も、やってみよう!!

 

 大騒ぎしながら走り回るシロコ達を、少し離れた場所で巻き込まれなかったノノミ達が笑って眺めている。

 遠ざかっていく喧騒を見送って、残されたホシノは呆れたように笑った。

 つい先ほどまでの、しんみりとした空気が吹き飛んでしまった。

 

「うへ~、本当に……相変わらずだなぁ、ユメ先輩は」

 

 ユメはヴァッシュとの別離で味わった悲しみと辛さを共有出来る、唯一の人間だ。

 同時に、その寂しさを埋めることの出来る相手でもある。

 騒がしい光景を眺めながら、ホシノは再びベンチに腰を下ろした。

 

「……ねえ、ホシノお姉ちゃん」

 

 不意に袖を引っ張られて、ホシノは視線を横に向けた。

 いつの間にか、あの離れたベンチに座っていた子が傍まで歩み寄っていた。

 

「どうしたの? おじさんと遊びたい?」

 

 いつものように力の抜けた笑みを浮かべて、その子を傍に座らせる。

 しかし、少女は小さく首を振った。

 

「ヴァッシュは帰ってこないの?」

 

 その質問に、ホシノは一瞬笑顔を忘れた。

 きっと純粋な疑問なのだろう。

 かつてアビドスを去ったユメは帰ってきた。

 だから、同じようにヴァッシュも帰ってくるのではないか、と。

 目の前の少女だけではない。

 他の子供達も言葉に出さないだけで、そう思っているのかもしれない。

 それこそ――自分も、心の何処かで。

 

「……うん。ごめんね、ヴァッシュは帰ってこないんだ」

 

 ホシノは慌てて笑顔を繕いながら謝った。

 

「……ごめんなさい」

 

 しかし、少女の方も申し訳なさそうに顔を俯かせて、小さな声で謝っていた。

 

「どうして謝るの? 君は何も悪いことなんか言ってないよ~」

「ホシノお姉ちゃんが、ヴァッシュに会いたいだろうと思って……」

「……」

「だから、ヴァッシュが帰ってこないかなって思ったの。悲しませるつもりはなかったの……だから、ごめんなさい」

 

 その謝罪に、ホシノは胸が締め付けられる思いだった。

 今になって、かつてのヴァッシュが自分の過去や本心を隠そうとした理由が理解出来る。

 大人として子供に必要のない気遣いをさせたくなかったのだ。

 隠し通すことなど出来ないと分かっていても。

 

「……うん、そうだね」

 

 ホシノは少女をそっと抱き締めた。

 

「私も、ヴァッシュにまた会いたいよ」

 

 その声には隠しきれない寂しさが滲んでいた。

 

 

 

 そうだよ、ヴァッシュ。

 二年前、言ってくれたじゃない。

 

 ――ホシノが卒業する時に、せめて僕以外にも見送る後輩がいないと恰好つかないからね!

 

 後輩が出来て、ユメ先輩まで帰ってきて、私を見送ってくれる人は周りにたくさんいるけれど。

 アナタがいないよ。

 あの頃は遠い未来のことだと思ってたのに、いつの間にか三年生だよ。

 私、もうすぐこの学校を卒業しちゃうよ――。

 

 

 

 

 

 

 アビドスが昔から抱える多額の借金は、カイザーローン――ひいてはキヴォトスの大企業カイザー・コーポレーションから借りたものだった。

 莫大な借金自体に加えて利子が定期的にかさみ、数少ないアビドスの生徒が必死に働いても現状維持が精一杯だった。

 そんな状況が変わったのは、二年前である。

 ヴァッシュ・ザ・スタンピードが起こした事件と突然始まった砂漠の緑化現象が注目され、アビドスに人と金が集まり始めた。

 都市は復興を始め、学校に新たに生徒が入学するようになった。

 その結果が何を意味するか――。

 小鳥遊ホシノが自由になったのだ。

 それまで借金返済や治安維持の為にアビドスという地に縛り付けられていた『キヴォトス最高の神秘』と揶揄される存在が、その比類なき翼で空に飛び立った。

 アビドスの逆襲が始まった。

 枷から解き放たれたホシノは、表向きは賞金稼ぎとして精力的に活動することで借金の返済に尽力し、更に裏ではカイザー・コーポレーションの動向を探るようになった。

 昔のアビドスで行われた土地の買収、非合法スレスレの利子を課した金貸し――犯罪ではないが決して真っ当でもないカイザーのやり口を暴いていく。

 世論は徐々にアビドスの味方となり、カイザーを悪徳と見なすようになった。

 そのタイミングで始まった、アビドス高等学校への定期的な襲撃。

 しかし、そんな武力による問題すら今のアビドスは跳ね返した。

 シロコを始めとした後輩達が学校を守り、ホシノが逆転の糸口を探る。

 異例の権限と立場を持つ『シャーレ』が介入することで、事態は更に急変する。

 そして、敵は――カイザーはついに焦りからミスを犯した。

 アビドスが返済し続ける借金と利子を、そのまま襲撃犯の軍資金として提供していた証拠を掴んだのだ。

 耐え忍ぶ時間は終わった。

 さあ、ここから一発逆転だ!

 アビドス大勝利!

 希望の未来に向けて、レディ・ゴー!!

 

「――っていう予定だったのになぁ」

「ひぃん。ごめんねぇ……」

 

 現在、ホシノ達六人はカイザーローンの闇銀行の中で身動きの取れない状況にあった。

 カイザーの不正が記された集金記録の書類を手に入れるところまでは順調だったのだ。

 何故ブラックマーケットにいたのか分からないほど善良なトリニティ生徒が現地協力者として加わるという望外の幸運にも恵まれ、その少女の力も(半ばなし崩しに)借りて闇銀行の襲撃を速やかに成功させた。

 しかし、そこでトラブルが起こり、計画は完遂寸前で立ち往生する羽目になってしまった。

 

「二年間も使っていた義手なんですから、内蔵されていた機能くらい把握しておいてくださいよ」

「だってぇ、護身用に銃が仕込まれてる話なんてすっかり忘れてたんだもん。普段はBluetooth機能で音楽聴くくらいしかしなかったし」

「義手にBluetoothって何ですか、それ……」

 

 ユメの左腕を担っている義手はミレニアムサイエンススクール製の代物だ。

 正確には、かつてヴァッシュの為に中古で購入した医療用の義手を、ホシノが破損させ、その後ミレニアムが修理のついでに改良した物だった。

 動きの精度の高さからユメの日常生活への復帰を大いに助けてくれた為、多少余計な機能が追加されていても目を瞑っていたが、それがここに至って思わぬトラブルのきっかけになってしまった。

 

「これからどうしよう……?」

「なんとか、正体を隠したまま逃げ切る方法を考えるしかありませんね」

 

 現状、ホシノ達は追い詰められていた。

 銀行を包囲するマーケットガードやカイザーPMCは、武力面だけを見ればそこまで大きな問題ではない。

 今いるメンバーの力を合わせれば、強行突破出来る可能性は高いだろう。

 しかし、その後の追跡を振り切ること、その過程で自分達の正体を隠し通すことは難しかった。

 カイザーの不正の証拠を掴む為とはいえ、自分達も銀行強盗という非合法な手段を取ってしまったのだ。

 もしも、自分達の正体が知られれば、カイザーはここぞとばかりにアビドスを吊し上げるだろう。

 正当性を失ったアビドスに対して、自分達は被害者面を大いにアピールしてくることは眼に見えている。

 そういった世間への印象操作は、やはり大企業であるカイザー・コーポレーションの影響力を持つ相手の方が圧倒的に有利だ。

 アビドスは再び追い詰められる。

 それだけではない。

 ユメの立場も危うかった。

 あらゆる規約や法律による規制や罰則を免れる超法規的機関に所属する人間が犯罪行為に手を貸したと判明すれば、シャーレの存在意義は地に堕ちる。

 影響がキヴォトス全土に及びかねない、アビドス以上に重要な問題だった。

 アビドスにシャーレ、そしてもちろん善意の協力者であるトリニティの少女――多くのものを巻き込んだ騒動になっている。

 状況は実にカオスだ。

 ここからまるっと全てを解決して抜け出す方法なんて、そう簡単に思いつきそうにない。

 

「けど、まあ昔も似たようなことがあったかな」

 

 二年前の事件を思い出しながら、ホシノは知らず強張っていた肩の力を抜いた。

 あの時の経験を思えば、大抵の状況は落ち着いて対処出来る。

 

「――そういえば、入り口の方どうなったかな? 誰かが銀行に近づいているって言ってたよね?」

 

 ユメの言葉に、つい先ほど外で包囲網を築いているマーケットガードから呼び掛けがあったことを思い出した。

 シロコが様子を見に行った後、威嚇と思われる銃声が響いたので、もうそれで問題は解決したと思ったのだ。

 さすがに強盗団が立てこもり真っ最中の銀行に何も知らずに近づき、威嚇までされて尚状況を理解出来ないバカは存在しない。

 

『ウ、ウワアーーーオッ!!? 強盗だぁぁぁーっ、誰か助けてぇぇぇーーーっ!!』

 

 存在しないはずだった。

 常識的に考えて。

 

「……あれ?」

 

 銀行内に響き渡る男の悲鳴を聞いて、ホシノは呆気に取られた。

 何やら予想外のトンデモナイ出来事が、銀行の入り口付近で起こっているらしい。

 ロビー内の人質を分担して見張っていたシロコ以外のメンバーが、騒ぎを聞きつけて駆け寄っていくのが見える。

 

『騒ぐくらいなら入ってくるんじゃないわよ! ブルー先輩の威嚇射撃に気付かなかったの!?』

『ん。とりあえず暴れないように拘束する』

『いててでで!? ちょっと待って! 普通拘束するならロープとか手錠じゃない!? 何でこの娘、僕に関節技掛けてるの!?』

『なんか掛けやすそうだったから』

 

 突然台風でもやって来たような騒々しさに、ホシノとユメは思わず顔を見合わせた。

 何だか、こういう状況を自分達はよく知っているような気がする。

 心なしか、聞こえてくる男の声も――。

 

『何もしないよ! ホラ、拳銃! ホラホラ!』

『一応、武器は取り上げましたけど……弱腰のわりに凄い拳銃ぶら下げてますね~。驚きだお♧』

『えっ、何その語尾? 君、キャラ作ってない?』

 

 ――ドタバタで。

 

『こんなバカでかい銃持ってるなんて、怪しいわね。アンタ、本当は外にいる連中の差し金で潜入してきたんじゃないの?』

『ひぃぃ~、そんな滅相もございません。あっしは通りすがりの愛というカゲロウを追い続ける狩人でして……』

『こいつ、私達のことバカにしてるわ。オラッ、立ってジャンプしなさい! 他にも武器を隠し持ってるんでしょ!? ジャンプすんのよ!』

『イヤァー!? やめて、僕お金なんて持ってないの!』

 

 ――ゴチャゴチャで。

 

『あのぉ、ちょっと待ってもらっていいですか? この人、何処かで会った覚えがあるような……』

『え? 僕、紙袋を頭に被った知り合いなんていないけど』

『待って、こいつ首から何か下げて……アビドスの学生証じゃない!?』

『あ、あらら~? しかも、ここに書かれてる名前って……』

『ん。アビドス高等学校一年生と記してあるけど、発行は二年前になってる』

『それじゃあ……こいつ、私達の先輩ってこと!?』

『……え? 何? 僕が先輩? それ、どゆこと?』

 

 ――イザコザ!?

 

 呆然とするホシノとユメの前に、シロコ達四人に連れられてその男はやって来た。

 目の前の信じ難い光景に、二人はもはや言葉もない。

 見慣れたトンガリ頭に真っ赤なコート。

 見上げるような長身を縮こまらせて、周囲の銃を突きつける少女達に冷や汗を流しながらの愛想笑い。

 見た目は情けないけれど、その実誰よりも頼もしい男であることを知っている。

 そう、知っている。

 二年前の別れから、ずっと心に居座り続けているこの男の存在を。

 

「先輩、大変よ! こいつ、アビドスの学生証を持ってて、しかもそこに書かれてる名前が――」

 

 

 

 ――ヴァッシュ・ザ・スタンピード!

 

 

 

 

 

 

「え、えへへ……どーも、アナタがこの強盗団のリーダーさん?」

 

 鼻メガネにカイゼル髭で変装するという、周囲の覆面と比べれば一線を画した姿に当たりを付けたヴァッシュが恐る恐る訊ねた。

 

「へ、平和にいきましょうよ平和に。僕のモットーはこれでもラブ&ピースでして……」

「ヴァッシュ!」

 

 感極まったユメが、泣きながらヴァッシュに抱き着いた。

 

「えっ、何!? 紙袋の人もそうだけど、僕ってば貴族の方にも知り合いなんていないよ!」

「違うよ! わたしだよ、ユメだよ!」

 

 周囲が止める間もなく、ユメは変装を解いていた。

 あらわになった顔を見て、今度はヴァッシュが呆然とする番だった。

 

「えっ、えっ、ええっ!?」

「ヴァッシュ……っ!」

 

 ユメに続いて、ホシノも覆面を外す。

 その下に隠れていた顔には、知らず涙が流れていた。

 

「……お、おお! そっちはホシノかぁ」

 

 自分達の置かれている周囲の状況も忘れて、三人はしばらくの間見つめ合った。

 あまりに突然の再会だった。

 お互いに、これが都合のいい夢なのではないかと疑った。

 しかし、確かに。

 目の前にいる。

 彼が。

 彼女達が。

 

「なっ、なん……で!? ど、どうし……っ!」

 

 何故?

 どうして?

 いつ?

 どうやって?

 ホシノの頭には幾つもの疑問が渦巻いていたが、溢れる感情が喉に詰まって上手く言葉にはならなかった。

 混乱した頭で、気持ちの整理すらつかない。

 そんな風に取り乱したホシノをしばらく見つめていたヴァッシュは、困ったように笑いながら言った。

 

「いやぁ、色々あってね……でも、とりあえず帰ってきたよ」

 

 その言葉を聞いて、ホシノはもう何も言えなくなってしまった。

 

「ヴァッシュ……その髪、どうしたの?」

 

 嗚咽を堪えて口を閉ざしたホシノに代わって、こちらも涙目になりながらユメが訊ねる。

 二年前と変わらない部分と変わった部分。

 その中でも一際目を引く――ヴァッシュの黒く変質した頭髪に、言い知れぬ不安を覚えた。

 彼の元々の色である金髪が、その黒髪の中にほんの一房だけメッシュのように残っている。

 本来の頭髪が黒く塗り潰された様が、何故か酷く嫌なものに見えるのだ。

 

「これは……その……色々あったことの一つだね」

「色々って何? 何があったの?」

「それは話すと長くなるよ。だけど今、一つだけ言える」

 

 ヴァッシュはしがみ付いたままのユメからそっと身体を離して、改めて顔を合わせた。

 

「前の世界で、僕はやるべきことをやってきた」

 

 真っすぐに瞳を見つめて、力強く告げる。

 

「ちゃんと全部終わらせてきたよ。だから、ここへ帰ってきたんだ」

 

 ホシノの方にも視線を向けて、ニッコリと笑った。

 

「――ただいま。ユメ。ホシノ」

 

 万感の思いを込めたその言葉を聞いて、ユメとホシノはようやく受け止めることが出来た。

 目の前で起こっていることが、紛れもない現実であることを。

 素晴らしい奇跡が起こった現実を。

 三人は無言で再会の感動を噛み締めていた。

 

「……ん。三人とも、ちょっといい?」

 

 もしも、これが劇場ならば三人の再会を終えて物語はエンディングへと向かうだろう。

 観客の拍手。

 締めはドラムロール。

 そして、カーテン――。

 しかし、実際の現実に幕が下りることはない。

 物語は続いていく。

 おずおずといった感じに横合いから声を掛けられて、感動に浸っていた三人は我に返った。

 

「私達の知らない事情が三人にあることは、なんとなく分かった」

 

 困ったように自分達を見るシロコの後ろには、同じような表情をした他のメンバーがいた。

 

「でも、かなりマズイ状況だと思う」

 

 そして、今更のように周囲を見回して気付いた。

 人質として床に伏せさせていた多くの人々の注目を、三人が一身に集めてしまっている現状に。

 

 ――これって、つまりどういうこと?

 ――あの覆面の強盗、賞金稼ぎで有名な小鳥遊ホシノじゃないか?

 ――あっちの女性って、最近発足したシャーレっていう組織に写真が載ってなかった?

 ――ちょっと待て、ヴァッシュ・ザ・スタンピードって言ったら二年前から指名手配されてる男だぞ!?

 

 そんな囁くような会話が、周囲から嫌でも耳に入ってくる。

 改めて現状を理解したホシノとユメはもちろん、内容の不穏さを感じ取ったヴァッシュも顔を青褪めさせた。

 

「う……うへ~、しまったぁ。完全に周りのこと忘れちゃってたよ」

「ど、ど、どうしよう!? ホシノちゃん!」

「ユメ先輩、名前……って今更かなぁ」

「待って待って待って! なんかスンゲー不穏なキーワード聞こえたんだけど!? 僕が指名手配ってどういうこと!?」

「話すと長くなるんだよ~、ヴァッシュ。でも今、一つだけ言える」

「な、何?」

「ヤ・バ・イ」

「一つだけすぎる!」

 

 ホシノ達とは違い、この状況に至る経緯すら把握出来ていないヴァッシュは頭を抱えて絶叫した。

 

「そもそも、どうしてユメ達が銀行強盗なんてやってるの!? まさか、アビドスの借金を返す為!? どんなに貧しくったって、お天道様に背を向けるような真似はしちゃいけないってお母さん言ってたでしょ!」

「ひぃん。ご、誤解だよー! それに、ヴァッシュはお母さんじゃないよー!」

「アビドスの借金に関わってる点は間違いないよ。お金じゃなくて、相手の不正の証拠を掴む為にこっちも非合法の手段を取っちゃったってだけ。だから、正体がバレるとまずいの」

「いや、正体バレてるじゃん!」

「そだよ~。うへ~、まずいねぇ~」

「ホシノ性格変わった!?」

 

 周囲を置いてけぼりにして、騒がしく交わされる三人の言葉。

 昔を思い出すようなやりとりに各々が懐かしさを覚えながらも、現状の問題に頭を抱えそうになっていた。

 半ばパニックになって嘆くしかないユメと、ちょっと現実逃避しかかっているホシノ。

 二人を見比べて、ヴァッシュもまた苦悩に悶えていた。

 

「う……」

 

 現在陥っている状況と問題について、大体は理解出来た。

 その問題の打開策も思いついた。

 思いついてしまった。

 ヴァッシュは死にそうな顔で葛藤に身を捩らせた。

 こんな方法を思いついてしまう自分の脳みそを呪いたくなる。

 

「うぐぐ……っ」

 

 しかし、躊躇っている時間はなかった。

 周囲のざわめきはどんどん大きくなっていく。

 行動を起こすしかない。

 冷静になるな。

 まともでこんなバカな真似が出来るか――!?

 

「グ――グァハハハハ! そのとぉぉぉーり!!」

 

 突如、高らかに叫びながらヴァッシュは空中に向かって銃をぶっ放した。

 没収されたはずの銃をいつの間に取り戻したのか、文字通り目にも止まらぬ早業だった。

 銃を奪われたノノミを始めとした周囲の者達が呆気に取れる中、ヴァッシュはひと際凄んだ声色と顔つきで叫ぶ。

 

「俺の名はァ、ヴァァーーーッシュ・ザ・スタンピィィーーードォ!! 突然だが、金はいただいたのでここからは勝手に俺的皆殺しタイムに入るッ!!」

 

 滅茶苦茶なことを口走りながら、ロビー内の照明やパソコンを手あたり次第に撃ちまくって恐怖を煽る。

 突然の乱心に、一部を除いた周囲の人々はあっという間に恐慌状態へと陥った。

 

「ジャパニーズジェントルマンスタンダッププリーズッ! さあ、立て! そして走れ! 俺はのろまな奴の背中を撃つのが大好きなんだ! さっさと出口に向かって外へ出ろ! 遅れた奴から的にしてやるぜぇぇーーー!」

 

 そして、最後の一発が出入口のガラスを撃ち砕いた。

 その銃声を皮切りに、恐怖に駆られた人々は一斉に走り出していた。

 

「うわぁあああっ! 逃げろ逃げろ!」

「殺されるぞ!」

「本物のサイコパスだぁぁーー!」

「グハハハハッ! そうだ、走れ走れ! 転ばないように気を付けて走れ! ドアで詰まらないように順序良く外に出てくだサイ!」

 

 そうしてロビー内から人質になっていた人々を、どんどん外へと追い出していく。

 銀行の玄関口には人々が殺到し、外からはマーケットガードの混乱した様子が伝わってきた。

 この人々が完全にいなくなるまでは、彼らも迂闊に中へ踏み込めないだろう。

 どんな形であれ人質が解放されたのだから、世間の目もある中、人命優先で行動しなければいけないはずだ。

 しかし、逆に言えば、人質がいなくなって強盗団だけになった瞬間、武力行使を躊躇う理由はなくなる。

 稼げる時間は長くない。

 すぐにでもロビーに踏み込んでくるはずだった。

 

「ヴァッシュ、これからどうするの?」

 

 ヴァッシュの突飛な行動に慣れていない者達が状況に流されるしかない中、いち早く我に返ったホシノが訊ねる。

 

「いいか、ホシノ! 僕はこれからユメを誘拐する!」

「えっ、わたし誘拐されちゃうの!?」

「アビドスの皆を利用して銀行強盗を成功させた僕は、ユメを人質にして逃走するんだ! 指名手配犯の僕が黒幕で、君らは利用された被害者! この構図で行こう!」

「う、うへ~、無茶苦茶すぎない?」

「他にいい案が思い浮かばないんだから仕方ないデショ! とにかく、ここで一旦別れるから! あとで何処かで合流しよう! 他の皆との自己紹介もその時に! それでいい!?」

「ん。分かった」

「よし! あと、誰か爆弾とか持ってない!? 出来れば、派手に爆発して人目を引けるヤツ!」

「あるよ~。はい、これ使って♪」

「ありがとう、助かるよ……君だれ!?」

「くふふっ。私はムツキちゃんだよ。会いたかったよ、ヴァッシュ♪」

「えっ、何!? また僕の知らない案件!? 本当に、この二年間で何があったの!?」

「フッフッフッ……お久しぶりね、ヴァッシュ。覚えているかしら、この陸八魔アルを!」

「ど、ど、どうも……ヴァッシュさん。ハルカです」

「ウワァーーーオッ!? ちょっと待って、この状況で畳みかけてこないで! いや、もちろん覚えてるけどさ! 久しぶり! アル! ハルカ! そして知らない人!」

「……どうも。私は初対面だよ。名前は鬼方カヨコ」

「なるほど、分かった! いや分からない! ごめん! とにかく、今は時間がないから全部後にして! さあ、行くよ! ユメ!」

「きゃー、助けてホシノちゃーん! わたし、誘拐されちゃうよぅ!」

「なんか楽しんでない!? 嗚呼! 何故僕がこんな目に遭うのママン!? 何も悪いことしてないのに、みんなが僕を狙うよママン!!」

 

 ムツキから渡された爆弾を右手に持ち、左腕にユメを抱えると、ヴァッシュは銀行の外へと飛び出していった。

 人質が何の前触れもなく解放されるという事態に混乱し、状況を把握出来ていなかったマーケットガードとカイザーPMCは、突然現れた男に驚く。

 

 ――おい、あの男は!?

 ――さっき、銀行に入っていったサイコ野郎だ!

 ――人質になっていた人達から少し事情が聞けました! あいつが強盗団のボスらしいです!

 ――ヴァッシュ・ザ・スタンピードと名乗ったらしいですよ!

 ――連邦生徒会から指名手配されてる危険人物だ!

 ――人質になってるのは、シャーレの先生じゃないか!?

 ――銃を向けて刺激するな! あの人に傷がついたら責任が何処に行くか分からんぞ!

 

 現場は情報が錯綜して混乱の極みにあった。

 強盗団が立て籠もる銀行に警告を無視して踏み込んだ頭のおかしい男が、今度は人質と爆弾を小脇に抱えて凶悪な笑みを浮かべながら現れたのだ。

 正確な状況など把握出来るはずがない。

 

「改めて宣言しよう! 俺の名は、ヴァッシュ・ザ・スタンピード! 人呼んで『人 間 台 風(ヒューマノイド・タイフーン)』!」

 

 公衆の面前で高らかに叫ぶ。

 

「この銀行強盗は挨拶代わりだ! 俺の帰還に恐れ慄くがいいッ! キヴォトスよ――!!」

 

 そして、右手に持った爆弾を、周囲を囲う群衆の頭上目掛けて放り投げた。

 空いた右手で素早く銃を抜き放つ。

 

「ヒア! ウィー……ゴォッ!!」

 

 引き金が引かれた。

 放たれた銃弾は、狙い違わず空中の爆弾を撃ち抜く。

 凄まじい爆音と共に、炎と黒煙の華が空を覆うように咲いた。

 

「……いや、爆発デカすぎでしょ。なんてモン渡してんのよ、ムツキチャン」

 

 予想を超えた爆弾の威力に戦慄しながらも、ヴァッシュはすぐさま走り出していた。

 大混乱に陥る周囲を尻目に、この場からの逃走を図る。

 ヴァッシュ・ザ・スタンピードが逃げていく。

 そして、当然それを追う者達がいる。

 

「おい、見ろ! ヴァッシュ・ザ・スタンピードが逃げるぞ!」

「クソッ、舐めた真似をしやがって! イカれた犯罪者が!」

「捕まえろ!」

「カイザーの銀行を襲うことがどういうことか、思い知らせてやる!」

 

 翻弄されて殺気立ったマーケットガードとカイザーPMCが、足並みを揃えてヴァッシュを追いかける。

 

「……ん。どうする? ホシノ先輩」

「うへ~、そうだねぇ。ここは、私達も追いかけるしかないよねぇ~」

「あらら、いいんですか~? あの人は、ここで別れて後で合流しようって言ってましたけど」

「いやいや、アビドスの支援に来てくれたシャーレの先生を誘拐されちゃったんだからさ。このまま黙って逃がすワケにはいかないでしょ?」

「あーもうっ! 全然状況が分からないわ! あとでちゃんと説明してよね、ホシノ先輩!」

「もちろん。話したいことがいっぱいあるよ~。アヤネちゃん、話聞いてた?」

『回線はオープンにしていましたから会話は聞こえましたけど……正直、何が起こっているのかさっぱり把握出来ません』

「話はあと。ヴァッシュをとっ捕まえて一緒に逃げるから、逃走経路の割り出ししといてね~」

『無茶言いますね……セリカちゃんの言う通り、あとでしっかり説明してください!』

「……あの、ところで私はどうすればいいでしょうか?」

「ん。ファウストは私達『覆面水着団』のリーダーなのだから、一緒に行動するべき」

「そ、その設定続けるんですかぁ!?」

 

 普段とは違う、何処かウキウキと楽し気なホシノに率いられて、アビドスの生徒達がヴァッシュを追う。

 憐れ、このような荒事には全く向いていそうにない普通の少女を巻き込んで。

 

「さすがね、ヴァッシュ。まさかキヴォトス全土に向けて宣戦布告するなんて、二年前から更に磨きのかかった『無法者(アウトロー)』っぷりだわ」

「感動するのはいいんだけどさー、私達はどうするの? アルちゃん」

「お、お、追いましょう! アル様!」

「くふふ♪ 珍しくハルカちゃんはやる気満々だねぇ。面白くなってきた」

「そうね……追うわよ、皆! この再会は運命だわ! ヴァッシュを便利屋68の新たなメンバーとして迎えるチャンスよ!」

「りょーかい♪」

「は、はい! 邪魔するものは、全て消しますッ!!」

「……はあ。やっぱり、関わるだけで厄介事だね。ヴァッシュ・ザ・スタンピードって」

 

 ついに憧れに追いついた。

 そう確信するアルに率いられたアウトロー集団『便利屋68』がヴァッシュを追う。

 例えヴァッシュの勧誘に成功したとしても、迎え入れる事務所がないことを綺麗に忘れて。

 

 

 

「――ねえ、ヴァッシュ」

「何、ユメ!? 今、結構必死に逃げてるから出来れば話は後にして! っていうか、予想以上に追ってくる人数多くない!? 背後から凄い圧を感じて、振り返るのが怖いんだけど!」

「これから、何処まで行っちゃう?」

「何処までって……逃げ切れるまで、何処までもだよ!」

「一人で?」

「いや、この状況で君を放り出せるワケないでしょ!? 一緒にだよ!」

「……えへへ、そっかぁ。じゃあ、何処までも行こう!」

 

 ――はるか時の彼方。

 

「コラ~、待ちなさ~い! ユメ先生をはぁ~なぁ~せ~!」

「うわっ!? 何で追っかけてきてんの、ホシノ!? 別れて逃げなきゃ意味ないでしょ!」

「うへ~、今更別れるなんて出来るわけないでしょ! 今度は絶対に逃がさないよ!」

「顔は笑ってるのにすっごい執念を感じる!?」

 

 ――まだ見ぬ、遠き場所で。

 

「ヴァッシュ! アナタにアウトローな提案を持って来たわ!」

「アルまで来たーっ!?」

「ヴァ、ヴァッシュさん! 私達と一緒に働きませんか!? お願いします! 頷いてくれなきゃ死にます!」

「ハルカ!? 何言ってんのハルカ!? この二年間で君に一体何があったの、ハルカ!?」

「うへ~……君ら、いきなり出てきて何言ってんの?」

「ん。ホシノ先輩から、かつて聞いたことのないほど低い声が出てる」

「あのさぁ! 君ら事前に僕が言ったこと聞いてた!? 何で、皆して肩を並べて逃げてるんだよ!?」

「あはは! いいじゃない、ヴァッシュ! このまま皆で、何処までも行ってみようよ!」

「笑ってる場合じゃないよ、ユメ! あーもーっ!」

 

「カンベンしてくださぁぁぁぁぁいぃぃぃぃ~~~っ!!」

 

 

 

 ――唄い続けられる。

 

 

 

 ――同じ人類のうた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『トライガン・アーカイブ』 完

 

 

 

 




これにて本当の完結でございます。
ずっと書きたかったホシノ視点だからって、アホみたいに書き込んでしまったので、あとがきなどはまた別に書こうと思います。
ホシノを主観に置いてるからユメ先生周りの設定とかかなり省いたんで、その辺の裏設定とかも書きたいし、何よりトライガンについても色々語りたいのでね。
とりあえずは、これにて一区切り。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
楽しんでいただけたのならば幸いです。
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