原作コミック未読の方の為に多少の描写は入れましたが、当時の場面や詳しい状況を把握するなら原作を読むことをお勧めします。
巻数でいうと4~6巻の話が舞台となります。
そうだね。ヴァッシュがクッソしんどい目に遭う話が続く巻だね(しんどくない巻があるとは言っていない)
Side:ノーマンズ 『HOME COMING』
俺達は水のしずく
宇宙から降ってきた雨露
この砂の星で日に焼かれて
いつの日か干上がっていく
好きでこんな薄汚れた暗い場所を彷徨っているワケじゃない。
いつの間にか迷い込んでしまった。
気が付いたら『こう』なってしまっていたんだ。
渇き、焼かれ、砂に足を縺れさせて、それでも歩みを止められない。
俺達は、ただ家に帰りたいだけなんだ。
扉を開いた先に、笑顔で出迎えてくれる人が待つ場所。
この砂漠の惑星で、砂に埋もれた帰り道をずっと探している――。
◆
――ウルフウッドにとって、ヴァッシュ・ザ・スタンピードという男は理解の及ばない存在だった。
その男の強さ、行動理念、そして頑なさ――全てが常識的な理解の範囲外にあった。
それも当然のことなのだろう。
自分とは別の次元にいる生物を理解しようなど、土台無理な話なのだ。
人間という種族とは根本から隔絶した圧倒的存在。
あの男と旅を続けるほど、本能的に思い知らされる。
かつて対峙したナイブズと同種の存在なのだ。
ミリオンズ・ナイブズ。
無数の医療用チューブに繋がれた手負いの相手に対して、絶対に外さない距離にまで接近を許し、頭に銃口を突き付け、引き金に指を掛ける猶予まで与えられて――それでもその一発がどうしても撃てなかった。
圧倒的な生物としての格の違いに吞み込まれた。
何度も死線を潜り抜けてきた自分が、極限の土壇場で『生き残りたい』と考えてしまったのだ。
――人類の運命を左右するほどの化け物。
ナイブズもヴァッシュも同じだ。
この砂漠の惑星に住む人類にとって、致命的な死神だ。
それなのに。
どうして――。
「ウルフウッド!」
何故こうも――。
「今、帰りかい?」
目の前の男は、ナイブズと違うのか――。
「
深夜。
酒場からの帰り道で、結局一滴も口にする気の起きなかった酒瓶を片手に彷徨っていたウルフウッドは、頭上から不意に声を掛けられた。
十年来の友人にでも掛けるような、気安い声だった。
夜中に建物の屋上に座り込んで何をしているのかと思えば、この街を訪れた時に起こったちょっとしたトラブルの後始末に用心して街中を見張っていたのだという。
相も変らぬ抜け目のなさと、理解の出来ないお人よしさだった。
酒場から持ち出した酒瓶を片手に、何気ない風を装いながら、自分もヴァッシュのいる屋上へと登る。
街を見下ろす彼の背中は無防備で、簡単に背後を取れた。
音もなく、酒瓶を持っていない方の手で拳銃を取り出す。
気配も殺気も消して、案の定ヴァッシュは何かに気付いた素振りを見せない。
ウルフウッドの身体に染み付いた完璧な暗殺術。
銃口を、その後頭部に向けた。
引き金に指が掛かる。
――簡単に引けそうやな。
ナイブズと対峙した時の緊張感を思い出し、そのギャップに呆気なさすら抱く。
――それだけで脅威の半分は消えるんか。
未だに振り返ることすらしない目の前の人智を超えた存在は、本当に自分の動向を察していないのだろうか。
何か超常的な感覚で自分の行動や思惑を察知して、それでも尚脅威に足らぬとして放置しているだけなのではないだろうか。
ウルフウッドは、そんな不安や不信感を拭えなかった。
あるいは――『引き金が引かれるかはまだ分からない』と、ギリギリの瞬間まで相手を信じようとしているのか。
目の前の存在が恐ろしかった。
目の前の男が理解出来なかった。
全てを諦めようとしない考え方が受け入れ難かった。
そして、そんな負の感情が募るごとに心は冷えていった。
殺し屋としての冷徹な思考が告げてくる。
目の前の人類の脅威を。
理解の及ばない存在を。
これまでの自分の生き方を否定する男を。
殺せる内に殺しておけ――と。
「……それ、また見とるんか」
「ん?」
ヴァッシュが肩越しに振り返った時、ウルフウッドは既に銃を仕舞っていた。
「学生証、言うとったな」
ヴァッシュが常日頃、首から下げている小さなカード。
この砂漠の惑星とは違う別の星で在籍していたという、アビドス高等学校一年生『ヴァッシュ・ザ・スタンピード』を証明する学生証――その与太話を、ウルフウッドは未だ半信半疑ながらも受け入れ始めていた。
この学生証に関して話題を振れば、ヴァッシュが嬉々として当時の出来事を具体的に話そうとするものだから、単なる妄想の類だとは思えなくなったのだ。
「ああ。最近、キツいことが続いたからね。そういう時、これを見てると力が湧いてくるんだ」
そう答えて、ヴァッシュは笑った。
いつも浮かべる痩せ我慢ではない、本物の笑顔だった。
キツい、なんて軽い言葉で表現出来る程度の体験ではなかっただろうに。
「そんなに楽しかったんか? 学生生活っちゅーんは」
「楽しかったねぇ。学校っていう環境も新鮮だったし、クラスメイトの二人は優しかったし、学校の外でも色んな出会いと体験があったよ」
「ユメとホシノ……やったか?」
「ああ。僕の恩人で、友達さ」
いつものように、二人を語るヴァッシュの口調は何処か自慢げだった。
「あの二人とは本当に唐突に別れることになってしまったから、ナイブズとの件が片付いたら、いつかもう一度会いに行きたいと思ってるんだ」
ヴァッシュの口から出てきた何気ないその言葉に、ウルフウッドは内心で驚いていた。
――この男にも、帰りたいと思える場所があるのか。
ヴァッシュがナイブズとの決着の後の人生を考えていることが意外だった。
得体の知れない怪物同士が殺し合って、その最中に世界が終わるか終わらないかのギリギリの結末があるのだ――ウルフウッドはこの旅路の終わりを漠然とそう捉えていた。
ナイブズとの決着に向けて命懸けの過酷な旅路を進む、ヴァッシュ自身の覚悟も並々ならぬものを感じる。
しかし、この男はナイブズとの戦いを自分の人生という道にある問題の一つとして捉えていた。
それが解決した後の身の振り方まで考えているのだ。
ヴァッシュの見ている世界や人生観が、何処か自分達とは違うのだと勝手に思い込んでいたウルフウッドは、その意外な人間的一面に思わぬ親近感を抱いてしまった。
「……その、二人のことやけど」
ヴァッシュ・ザ・スタンピードという男に心を許すつもりはない。
これ以上相手の事情を知るような深入りは危険だ。
しかし、無意識のうちにウルフウッドは口を開いていた。
「アレや……知っとるんか? お前自身のこと、とか」
口にしている自分自身でも驚くほどに言葉を濁した。
自分の話をしているワケではないのに、何故か率直な表現を避けたくなるような後ろめたさや気まずさを感じていた。
それは多分、自分も親しい人には明かせない暗い事情を背負っているからだ。
ヴァッシュが持つ隔絶した特異な能力と出生、そして歩んできた人生――それら常識的な人間には受け入れ難い要素を、二人の少女は知っているのか?
「ああ、うん。知っているよ。二人とも」
ヴァッシュは何の気負いもなく答えた。
穏やかな笑顔だった。
虚偽も虚飾もない。
自分よりも遥かに重い荷物を背負いながら、それを肩から降ろすことが出来た男の浮かべる、清々しさすら感じる笑みだった。
ウルフウッドは、そんなヴァッシュの返答にショックを受けた。
「僕の持つ力のことも、普通の人間とは違う生まれのことも知ってる。特に、ホシノの方にはジュライの出来事まで知られちゃってるんだ」
「それは……大丈夫やったんか?」
「いやもう、揉めた揉めた。当たり前なんだけど、ホシノには怖がられちゃうし疑われちゃうし、挙句に銃まで向けられてさ。しかも、そのイザコザでユメまで危ない目に遭っちゃって……もう本当に大事件だったよ」
でも、それを三人で乗り越えた――ヴァッシュの力強い笑みが、言外にその事実を表していた。
「色んな問題が解決して、さあこれから三人で頑張るぞって時に別れることになっちゃったんだ。別れ際にも散々泣かれちゃったし、中途半端なまま置いてきちゃったことも幾つかあるんだよね」
「……」
「だからいつか、僕はあの学校に帰る。帰って、あの二人との青春の日々の続きを歩む――そう決めているんだ」
「……」
「この学生証を見る度に、その決意を思い出すよ」
「……そうか」
ウルフウッドは、そう相槌を返すことしか出来なかった。
ここではない何処か遠い場所を想い、それでも満たされた表情で語るヴァッシュの横顔を眺めている時、隠した胸の内に湧き上がった感情は複雑だった。
――羨ましかった。
――妬ましかった。
この男は、自分とは違う。
生まれ育ったかけがえのない場所である孤児院を守る為に、この手を血に染め、汚し、こんな酷い有様でかつての家族の元へなど帰れるわけがない。
受け入れてもらえるはずがない――と。
自分は、そう諦めていたのに。
――目の前の男は、自分の諦めた物を既に持っている。
必要な時、必要な状況で、必要な物を切り捨ててきた自分の人生。
どんな時、どんな場所でも、何一つ見限らずにしがみ付いてきたみっともない偽善者の人生。
その違いが、この答えだというのか。
同じ人間ですらない男には、その全てを受け入れて待ってくれている人と帰るべき場所があるのだ。
これまで歩んできた血まみれの人生のせいで、大切な人達と顔向けすら出来ない自分とは違って――。
「……だったら、帰らなあかんぞ」
羨望と嫉妬を、初めて抱いた。
だが、同時に。
このヴァッシュ・ザ・スタンピードという男を、初めて理解することが出来た。
「その待っている二人の為に、お前は生きて帰らなあかん」
初めて共感することが出来た。
「無様に地を這ってでも、赤の他人を犠牲にしても――お前は生きて帰らなあかんねん」
「……ああ、言いたいことは分かるよ」
会いたい人達がいる。
帰りたい場所がある。
だから、どんなに苦しくても生き足掻く。
乾き果てた、血と暴力の世界で――。
この決意に関してだけは、自分もこの男も同じなのだと受け入れることが出来た。
「だけど、二人にもう一度会いたいからこそ。あの場所に帰りたい気持ちを、誰かを殺める理由にしたくはないんだ」
「……そうか」
それは綺麗事だと思った。
自分は同じ気持ちで、それでも人を殺める道へと踏み出したのに。
苛立ちは相変わらず、ある。
だけど、これまでと違って理解は出来た。
この男は、自分と同じ想いで、自分とは違う厳しい道へ踏み出す決意をしたのだ。
「まあ、それがオドレの決断なら、何も言うことはないわ」
「あれ、なんか優しいね? いつもみたいに『綺麗事言うな』ってド突かれるかと思ったんだけど」
「アホ。オドレの生き方にイチイチ口出すほど親身になれんだけや。……気持ちは分かるしな」
「そうかい?」
「ワイにも帰りたい場所があるっちゅー話や」
ウルフウッドはヴァッシュの隣に腰を下ろすと、片手に持ったままだった酒瓶を掲げた。
「飲むか?」
「おっ、流れ的に君の方も何か身の上話してくれるカンジ?」
「ワイも『学校』っちゅーモンには興味あるしな。もう少し、詳しく聞かせえや」
「いいとも」
単なる気まぐれだ。
だが、今夜はそんな気まぐれに任せて、隣の男と杯を交えるのも悪くない。
そう思いながら、封をしたままの酒瓶に手を掛ける。
しかし、穏やかな夜の静寂はそこで途切れた。
こことは離れた、街の一角で爆発が起こるのが見えた。
トラブルの前兆。
ヴァッシュと共に旅をすれば、毎回のように起こるマッチポンプのような出来事。
酒を飲み交わすのは、また別の機会になりそうだ。
やれやれ――と。
巻き起こった騒動に対処する為に
◆
太陽に学生証を透かしてみる。
裏面にはアビドス高等学校に在籍するヴァッシュのプロフィールが刻印されている。
一緒に載っている顔写真には子供みたいな笑顔が映っているが、その顔付きはどう見ても成人男性のものだ。
キヴォトスの出身でもない大人の男が学生として自分達の母校にかつては在籍していて、現在は先輩として学校に戻ってきた理解し難い過去と経緯を、アビドスの少女達はその一枚のカードから何とか想像しようとしていた。
「――よく見ると、状態が酷いですね。この学生証」
細部を観察していたアヤネが呟いた。
ヴァッシュの学生証は首から下げるタイプのスリーブによって保護されていたが、その表面は全体的に擦り切れて汚れ、元々あった透明性は薄れてしまっている。
「それに、凄く日に焼けてるわ。更新する前の古い学生証だって、ここまでにはならないわよ」
セリカは純粋な驚きを口にした。
学生証は、基本的に学年が上がる一年ごとに新しい物へと更新される。
ヴァッシュの学生証も、ユメとホシノが用意した三年生用の新しい物が既に手渡されていた。
今、シロコ達が手にしているのはこれまでヴァッシュが身に着けていた古い学生証だ。
砂漠地帯が多く、日に晒される機会の多いアビドスでは、常日頃から身に着けている学生証が更新時には日に焼けて色褪せている状態になっていることも珍しくない。
しかし、それと比較してもヴァッシュの学生証の劣化は激しかった。
くすんで曇ったスリーブと合わせて、プロフィールの文字がハッキリと読み取れないほどだ。
「それだけ過酷な環境に晒されていたということだと思う」
その学生証の状態が物語る過去に何を見たのか、感慨深げに呟きながらシロコは頭上に掲げていた学生証を胸元まで降ろした。
「話を聞く限り、ヴァッシュさんのいた世界はアビドス以上に厳しい砂漠が広がっていたみたいですね」
「私達みたいに学校や家があって、一か所に定住していたワケでもないんでしょ? 砂漠をずっと旅し続けるなんて、想像もつかないわね……」
アヤネとセリカは学生証から視線を移した。
三人の座っているベンチからは、学校のグラウンドが一望出来る。
そこではヴァッシュを中心に初等部の子供達が遊んでいた。
いや、遊ばれていたと言った方が正しいのかもしれない。
普段以上に元気いっぱいの子供達は、その溢れるパワーでヴァッシュに群がっていた。
四肢はもちろん、頭や胴体にまで子供が組み付いて、笑いながら関節技を掛けている。
プロレスごっこというよりも拷問に近い光景だし、実際にヴァッシュも悲鳴を上げているが、何処か楽し気で賑やかな雰囲気が感じられた。
あぶれた子供達はユメの方に群がり、こちらも追い回されて悲鳴を上げている。
それを笑いながら見守るホシノとノノミ。
ふれあいというには過激すぎて、ドタバタゴチャゴチャとやかましい。
だが、平和な光景だった。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードという異邦の男が、このアビドスで違和感なく受け入れられている姿だった。
「……一体、どういう人なのかしら? あのヴァッシュっていう大人」
その光景を、少し不満げに眺めながらセリカが呟いた。
「ホシノ先輩やユメ先生も信用しているし、話してみる限り穏やかで優しそうな感じがしたから。きっといい人だと思うよ、セリカちゃん」
「アヤネちゃんは簡単に絆されすぎよ。大人のクセに学生やってるなんてちょっとおかしいし、異世界からやって来たなんて経緯も怪しすぎるわよ」
既にヴァッシュのことを受け入れているアヤネとは違い、セリカの方はヴァッシュに対して不信感を残している様子だった。
そんな二人のやりとりを尻目に、シロコは何かを思案するように遠くに映るヴァッシュと学生証を見比べていた。
「ん。味もみておく」
「って、うぉーい! 何やってんのよ、シロコ先輩!?」
おもむろに学生証を一舐めしたシロコの奇行に、セリカとアヤネは慌てた。
「バッチイからぺってしなさい! ぺって!」
「セリカちゃん、お母さんみたい」
「笑ってないで! アヤネちゃん、水取って! ほら、シロコ先輩もうがいして!」
「ん。砂の味がした」
「砂で汚れてるんだから当たり前でしょ! いきなり子供みたいなことしないでよ!」
まるで初等部の子達に対してそうするように叱るセリカの言葉を聞いているのかいないのか、シロコは口の中に広がる感触を吟味していた。
「……砂だけじゃない」
シロコの目付きが、僅かに険しくなった。
「血と火薬の味もする」
その一言に、セリカとアヤネは黙り込んだ。
二人して、その言葉の意味を察したのだ。
具体的な想像は出来ない。
しかし、ヴァッシュが歩んできたであろう過酷な旅路の一端が伝わってくるような、重い言葉だった。
「汚れを拭って、また汚れが重なって、それが何度も繰り返されて、染み付いてる」
「……分かるの?」
「そんな気がする」
セリカの問いに答えると、シロコはヴァッシュの学生証をポケットに仕舞って、おもむろに立ち上がった。
「ん! ヴァッシュと一緒に遊んでくる!」
「えっ、急にどうしたんですか?」
「ヴァッシュのことを、もっと知りたくなった!」
「あ、ちょっと待ってよ! 私達も行く!」
駆け出したシロコに釣られるように、セリカとアヤネもグラウンドの方へと走っていった。
◆
――『罰』は必ず『罪』に追いつく。
――そんなことは
息を荒げて入り組んだ路地裏を彷徨う。
無数の建物が密集したこのスラム街は、意図せず組み上げられた迷路だ。
目的地はもちろん、自分が何処にいるのかさえも分からなくなる。
まるで、自分の人生だった。
ヴァッシュは今、心身共に追い詰められていた。
『虫唾が走るぜ、そのクソ偽善! このド悪魔が!』
襲撃者の名前はホッパード・ザ・ガントレット。
ナイブズの差し向けた刺客であるGUNG-HO-GUNSの一員であり、これまでのビジネスライクな殺し屋や快楽殺人者の域にある異常者たちとは違って、明確にヴァッシュと因縁のある男だった。
『貴様がジュライでやったことを――』
共に旅をしてきたメリルを攫い、今もこうして周囲の住人を巻き込みかねない攻撃を意図して行っている。
全てはヴァッシュを追い詰める為だ。
追い詰めて、絶望させて、惨たらしく殺す為の決意に極まっているのだ。
『思い出しやがれェェェーーーッ!!』
憎悪に染まった叫びが、ヴァッシュの心を激しく揺さぶる。
耳を塞ぎ、眼を覆いたくなる。
この男の凶行は、全て自分が原因。
自らの犯した罪が、ついに具体的な形となって目の前に現れたのだ。
『あの光――忘れるものか!』
――ああ。
『歪んだ空間!』
――知っている。
『帯電した空気!』
――覚えている。
『そして……根こそぎの絶望を!!』
――もう、自分はあの日の出来事を思い出している。
『貴様が奪ったのは……俺の半身そのものだッ!!』
関係のないメリルを攫って、罪のない住人を巻き添えにして、自らの復讐の為に周囲の命を奪うことを何とも思っていないその男の胸の内を支配しているのは――どうしようもない悲しみと絶望だった。
もはや、ホッパードには復讐しかないのだ。
自分が世界で生きる意味を失った彼は、怨嗟の炎を燃やすことでしか動き続けることが出来ない。
ヴァッシュには、その心を痛いほど感じ取れた。
巨大な弾丸を模した鉄塊にロケットの機構を内蔵した武装を身に纏い、自分自身を銃弾にして突っ込んでくるホッパードの攻撃の威力は凄まじく、その余波だけでもダメージを受けてしまう。
しかし、何よりも戦慄すべきは、その殺意と憎悪だ。
ホッパード・ザ・ガントレットはその名が示す通り、もはや自分自身を人間だとは思っていない。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードを殺す為の弾丸だと思い込もうとしている。
全てはヴァッシュへの復讐の為。
――彼に人生を捨てさせたのは、自分だ。
ホッパードが泣き叫ぶように叩きつけてくる憎しみと悲痛な思いは、その攻撃と共にヴァッシュを追い詰めていく。
反撃など出来ない。
彼に銃を向ける資格などない。
周囲を巻き込まないように立ち回り、必死で逃げるのが精一杯だった。
しかし、それすらも徐々に無駄に思えてくる。
ホッパードが言葉と攻撃を一つ重ねるごとに、ヴァッシュから抵抗する意思を奪っていく。
――あの日、僕が撃ったんだ。
――僕が、撃ったんだよ。
引き金を引いたのは自分だった。
罪を犯したのは自分だった。
彼から大切な人を奪ったのは自分だった。
それは何のごまかしも利かない事実。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードへの復讐という一点において、ホッパードは何も間違ったことをしていない。
――殺したいか。
――そうだよな。
ヴァッシュの脳裏に、奪われた大切な人の顔が浮かぶ。
ナイブズの行動によって死んでしまったレムの顔が。
――僕もそうだった。
だから、きっとあの男は自分を殺していいのだ。
そう思った。
思った瞬間、足が止まってしまった。
暗く汚れた路地裏の片隅で、ヴァッシュはついに膝をついた。
ホッパードはすぐにでも追いついてくるだろう。
しかし、もはやヴァッシュには抵抗する意思も逃げる気力もなくなっていた。
ただ、人質にされたメリルのことが気がかりだった。
そして、自分が死ぬことで残されるナイブズの脅威も。
ただ、それだけが気がかりだった。
その懸念さえ無くなれば、あとはどうでもよかった。
ヴァッシュ自身には、生き残る理由がなくなっていた。
殺されてもよかった。
あの男には、その資格がある――。
――アナタを傷つけることになるかもしれないけど、お願いだから逃げないで。
不意に、その言葉が記憶の中から聞こえた。
あの日聞いた、ホシノの言葉が、声が、聞こえたような気がした。
――最後まで一緒にいてくださいよ。
胸元で一枚のカードが揺れる。
肌身離さず持ち歩いているアビドスの学生証。
ヴァッシュは知らず、そのカードを握り締めていた。
そこに刻まれたかけがえのない記憶が、空っぽになった身体の中に流れ込んでくる。
置き去りにしてきたホシノとユメの顔が、考えることをやめていた脳裏に蘇る。
「……ダメだ」
ああ。
そうだ。
「ここでは、死ねない」
今、ここで。
あの二人に再会することもなく。
あの学校に帰ることもなく。
歩みを止めるワケには。
膝を折るワケには、ゆかない――!
「俺は、まだ
ヴァッシュは立ち上がった。
両足には力が戻っていた。
学生証を握り締めたまま、大きく息を吸い、吐く。
折れかけていた心に生きる意思が蘇り、生にしがみつく人間的な渇望が流れ込んでくる。
自分は死んで当然だ。
それだけのことをした。
彼の復讐は何処までも正しい。
だけど。
死にたくない。
まだ死ぬワケにはいかない。
帰りたい場所がある。
会いたい人がいる。
だから、まだ生きていたい。
それがどんなに浅ましい欲求であろうとも。
「――よお。死の秒読みが聞こえてるかい?
背後から声が聞こえる。
嘲りと、それを塗り潰すほどの憎悪に染まった声だ。
覚悟を決めたヴァッシュは、ゆっくりと振り返った。
「……ほお?」
ホッパードは、ヴァッシュの変化を感じ取った。
これまで反撃の一つもなく逃げ続け、ただ傷ついて弱り続けるだけだった獲物の眼に、確かな意思の光が宿っていることに気付いたのだ。
「何だ、そのツラは? 一変したな」
「……」
「生きたいってツラだ。『クズが生きててゴメンなさい』ってさっきまでの有様から逆ギレしましたって感じだ。違うか?」
「……ああ、そうだね。これは多分、開き直りだ」
嫌悪感と共になじるホッパードに対して、ヴァッシュは苦し気に顔を歪めながら、それでも言葉を返す。
「あんたの憎しみは正当なものだ。あんたは僕を殺していい。その資格がある」
ヴァッシュの返答はホッパードの復讐を肯定するものだったが、その言葉が重ねられるほど彼の憎しみと苛立ちは増していった。
復讐する対象からの肯定など、何の慰めにもならない。
ただ、自身の行為を虚しくするだけだ。
「だけど――」
積み重なる苛立ちにホッパードの理性が切れそうになる瞬間、凄まじい威圧感がヴァッシュから発せられた。
「俺は……ここで殺されるワケにはいかない!」
その一瞬、ホッパードの復讐心は目の前の存在が発する気配に圧倒された。
ナイブズと比肩し得る、人間を超越した存在に呑み込まれかけたのだ。
ヴァッシュが発した生きる意思と死への抵抗は、強烈なまでのプレッシャーとなってホッパードを心身共に震撼させるほどだった。
しかし、その震えはすぐに歓喜から来るものへと変わっていった。
「……ハッ、ハハハ」
ホッパードは喜びを感じていた。
狂喜したと言ってよかった。
「ハハハハハッ! ようやくか! ようやく見せたな、ヴァッシュ・ザ・スタンピード!!」
笑いが止まらなかった。
今日、この日まで、復讐の為に積み上げてきた全ての研鑽が報われた瞬間だった。
「ようやく、その薄汚い、卑しい性根を見せやがったなァ! それがテメェの本性だ、偽善者め! 悪魔め! この、化け物めェ!!」
自らの武器であるロケット型の鉄塊『グーデリア』のグリップを握る手に、血が滲むほどの力が籠る。
憎しみが際限なく溢れ出し、それと同じくらいの喜びが湧き上がって、ホッパードは狂いそうになっていた。
いや、この時彼は確かに狂った。
ジュライで己の半身を失って以来、意味を無くしていた人生に最後の火が灯されたのを感じた。
「そうだ! 抵抗しろ! 生き足掻け! その無様な姿を惨めな肉塊に変えてこそ復讐の意味がある!」
「帰るんだ……俺は! あの二人が待っている場所に、生きて帰るんだ!」
叩きつけられるホッパードの憎悪と、内側から自身を蝕む自罰の念。
それらの苦悩をねじ伏せるほどに強烈な生への執着が、ヴァッシュに銃を抜かせていた。
「『帰る』だと!? 『あの二人』だと!? テメェがそれを口にしやがるのか!? 俺から全てを奪ったお前が、生きる希望を持っているってのか!? ふざけるな!!」
どす黒い憎しみの中に、ドロドロとした嫉妬が混ざり込む。
当然のような罵倒。
何一つ反論の出来ない叱責。
理不尽を強いているのが自分だと、ヴァッシュは理解していた。
しかし――。
「それでも……俺は、生きるんだッ!」
苦渋に歪んだ表情を浮かべながらも、ヴァッシュは自身の罪に向かって銃を向けた。
「いいさ! それでいい! せいぜい叶うことのない希望を抱け! クソのような人生にしがみ付け! その命も、帰るべき場所も、大切な存在も、何もかも失って俺と同じ絶望の中で詫び続けろ! ヴァッシュ・ザ・スタンピードォォォーーーッ!!!」
底なしの憎悪と狂喜を束ね、ホッパードは弾丸となって飛び出した。
◆
「……私は、やっぱりあのヴァッシュっていう大人を好きにはなれないわ」
ヴァッシュ達としばらく戯れた後、結局元のベンチに戻ってきてしまったセリカは思わず呟いていた。
皆、楽しそうだった。
初等部の子供達やホシノはもちろん、シロコもアヤネもヴァッシュに対しては気安く、いい意味で遠慮がなくなっていた。
そんなある意味雑な扱いを、彼自身も喜んで受け入れているように見える。
決して悪い大人ではない。
穏やかで優しくて、何処か間が抜けていて、何よりも歳若い相手を受け入れる大人特有の懐の深さがあるのだと感じた。
しかし、セリカはそんなヴァッシュから逃げるように輪の中から抜け出していた。
彼と言葉を交わすと、あの場の空気を壊すようなことを口走りそうになるのが怖かった。
「皆みたいに、すぐに仲良くは出来ないわよ」
「人と仲良くなるのに焦る必要なんてありませんよ~。セリカちゃんにはセリカちゃんのペースがあるんですから」
「そうだよ。これからゆっくりヴァッシュのことを知っていけばいいよ、セリカちゃん!」
――っていうか、何だこの空間は?
左右から聞こえるのんびりした声と感じる圧迫感に、セリカは青筋を浮かべた。
セリカを挟むようにノノミとユメが座っていた。
いや、これはもう『挟まれている』と形容していいだろう。
二人の持つ巨大な部位が、適切に距離の空けられた三人の空間を意図せず窮屈にしてしまっているのだ。
二つのデカいクッションに挟まれているような息苦しさをセリカは感じていた。
こうして並ばれると、二人に比べて貧相な自分の体格へのコンプレックスと嫉妬もモリモリ湧いてくる。
「でも、よかったら聞かせてくれないかな? セリカちゃんは、ヴァッシュのどんな所が苦手なの?」
ユメが微笑みながら訊ねた。
セリカがヴァッシュに抱く印象を『嫌い』ではなく『苦手』と表現したのが彼女の優しさであり、セリカ本人でも上手く言い表せない複雑な感情を正確に見抜いている証でもある。
「……だって、ホシノ先輩が一番大変な時にいなくなったから」
尊敬する先輩であるノノミと、そんなノノミと似ているユメ。
ユメ自身が母校の大先輩であるという関係もあり、無意識に心を許しているセリカは思わず答えていた。
「ホシノ先輩は、私達が来る前からたった一人でアビドスを復興する為に頑張っていたのよ。強いし、優しいし、頼りになる……本当に尊敬する先輩だわ」
「そうですね~、先輩は本当に凄い人です」
「でも、そんな先輩がたまに凄く寂しそうな顔をするのよ。私達後輩には隠そうとしてるみたいだけど……」
以前、セリカは放課後の教室でホシノが一人で泣いている姿を偶然見た時があった。
普段ならば気配や足音で近づく人間を察知出来るホシノが、その時はセリカに気付かなかった。
声もなく泣いていた。
その小さな姿を見て、酷く胸が締め付けられた。
「ホシノ先輩は、本当に……本当の本当に頑張ってたのよ。なのに……何で、一番大事な時に一人にしちゃうのよ……っ」
理不尽な物言いであることは、セリカ自身も分かっている。
ヴァッシュの側にも事情があったとを察することが出来ないほど、愚かで自分勝手な少女ではない。
しかし、それでも理屈ではなく感情で納得出来ないのだ。
全てが終わって、平和になった後でノコノコと姿を現して――そして、何よりもそんなヴァッシュの帰還をホシノ自身が一番喜んでいる。
若く未熟なセリカには、その事実がどうしても受け入れ難かったのだ。
「……それに関しては、わたしも同罪かなぁ。ホシノちゃんが一人で残されちゃうことを分かっていて、卒業しちゃったし」
「いや、先生は仕方ないでしょ。留年するわけにもいかないんだから」
「でも、セリカちゃんの気持ちも分かりますよ~。私もヴァッシュさんはもちろん、ユメ先生にちょっと思うところがありますからね~」
「あ、あれ? ノノミちゃんはわたしの方が苦手な感じ?」
「セリカちゃんと同じで複雑な感情ってヤツですね~。体格や雰囲気が似ているからか、昔のホシノ先輩は私を通してユメ先生の姿を見ている時がたまにあったんですよ~。そのことを私が少し寂しく思っていることに気付いて、辛そうに謝ることが何度かあって……そんな時のホシノ先輩の表情を見るのが堪らなくて、いたたまれなくて、凄く苦しかったですね~」
「ちょっと待って。ノノミ先輩、急に重い。サラッと言ってるけどすんごい重いから。先生が青褪めて固まってるから」
「うふふ~」
「その笑顔の意味は!? どんな感情が込められてるの!?」
そのままユメは五分ほど固まっていた。
「え、えっと……何だったっけ? わたしがホシノちゃんを縛り付ける過去の亡霊だって話だっけ?」
「違う違う違う! 正気に戻って、先生! 私がヴァッシュを素直に受け入れられない捻くれ者だって話なの!」
「もうっ、セリカちゃんったら。そんな風に自分を卑下しちゃダメですよ。めっ☆」
「半分くらいノノミ先輩が追い詰めた先生をフォローする為に口走っちゃったんだけど!?」
最初は自分の悩みを相談するような流れだったのに、どうしてこんな話になってしまったんだろう?
藪を突いて蛇を出してしまった気分だった。
セリカは疲れたようにため息を吐いて、肩を落とした。
その姿を見て、ようやくユメが先生としての責務を思い出す。
「そ、そうだったね。セリカちゃんがヴァッシュを苦手だって悩みだったね!」
慌てて笑顔を繕いながら、ユメは自分なりの考えを口にした。
「まずはありがとうね、セリカちゃん。ヴァッシュを嫌わないでくれて。ヴァッシュの方にも事情があることを、ちゃんと理解しようとしてくれてるんだね」
「……嫌いっていう気持ちは、正直あると思うわ。嫉妬もあると思う」
ユメの真っすぐな感謝に耐えきれず、セリカは言葉にしなかった胸の内を明かした。
「そっか。でも、それを隠す必要はないよ。ヴァッシュ自身に、しっかりと伝えていいと思う」
意外な返答に、セリカは思わず顔を上げた。
「セリカちゃんの抱えるわだかまりも、それを克服しようとする気持ちも、全部ヴァッシュに伝えてあげて欲しい」
「……そんなこと言われても、あの人も困るだけでしょ。お互いに気まずくなるだけよ」
「大事なのは、良いとか悪いとかじゃないよ」
ユメはゆっくりと、目の前の後輩に言い聞かせた。
「伝えること――」
人生という道の先を行く大人として、子供に語った。
「伝わること――」
先生として生徒を教え、導くように言葉を紡いだ。
「相手が隣で息をして存在していると、知ることだよ」
「私の……隣で?」
「うん」
思い出すのは、かつて三人だった頃の記憶。
大切な人達の気持ちがすれ違い、銃を向け合う事態にまで陥った時のこと。
優しさに対して優しさが、好意に対して好意が、必ずしも返されるとは限らない。
気持ちだけでは人は理解し合えない。
無知が誤解を呼び、疑いや恐れが他人を排斥してしまう。
だから。
知って欲しい。
知ろうとして欲しい。
きっと、彼はその為に帰って来たのだから――。
「知ることを恐れないで欲しい。ヴァッシュと言葉や想いを交わして欲しい。それからどうなるかは分からないけど……でも、その先で手にした答えが全てだと思うから」
そう言って、ユメはセリカの頭をそっと撫でた。
子供扱いをするようなその行為に対して、セリカは不思議と反発心を抱かなかった。
初対面では何処か頼りなかったユメが、今は紛れもなく大人なのだと理解出来た。
「さすがですね~、ユメ先生。感じ入るお話でした」
「ふふっ、少しは先輩らしい振る舞いが出来たかな?」
「まるで先生みたいでしたよ~」
「先生だよ!?」
ひょっとしてユメに絡むことを楽しんでいるのではないかと思えるようなやりとりを聞き流しながら、セリカは意を決して立ち上がった。
グラウンドでは、ヴァッシュを中心に群がった子供達が騒がしく遊ぶ様子が続いている。
どんな形であれ、彼はアビドスに帰ってきた。
ここに至るまでの道の最中で何を思い、何を決意して帰って来たのか。
セリカは知りたくなった。
「……私、もう少し皆と遊んでくるわ」
「は~い。いってらっしゃい」
「わたしはもう少しここにいるね。……体力回復させないと、あの子達にボロボロにされちゃうから」
「あの子達ってば、テンションが上がると力加減が利かないのよね。……コラー! アンタ達、いい加減ヴァッシュを解放しなさい! もうボロ雑巾みたいになってるじゃないのっ!」
セリカは賑やかな輪の中へと元気よく駆け出した。
◆
憎悪と。
苦悩と。
後悔と。
絶望と。
そして、幾つもの銃弾が飛び交った。
ヴァッシュとホッパードだけでなく、二人の戦いを利用して殺し合いの螺旋から抜け出そうするミッドバレイ。
ヴァッシュの味方として、それと対峙するウルフウッド。
人質となったメリルに、そんな彼女を救おうと死地に踏み込むミリィ。
様々な思惑と行動が絡み合った戦いは、やがて佳境を迎えた。
今回の襲撃は、ナイブズの指示ではないホッパードの個人的な復讐から行われたものだ。
ホッパードの襲撃に協力したミッドバレイは、その騒動の最中でGUNG-HO-GUNSから足抜けしようとしていた。
しかし、それらの計画は全てナイブズに筒抜けだった。
戦いの終盤――二人を粛清する為に介入したレガートによって、全てが終わろうとしている。
死闘の末に精魂尽き果てたホッパードは、自身に向けられる銃口を何処か他人事のように見上げていた。
結局、ヴァッシュを殺すことは出来なかった。
人智を超えた計り知れない力を前に、ちっぽけな人間の復讐心など歯牙にも掛けられなかったのだ。
それが現実。
ただ、それだけのくだらない結末だ。
――悪党にはお似合いの末路か。
悔いがなかったかと言えば、当然噓になる。
だが、ここに至ってホッパードは全てを投げ出していた。
自らを突き動かしていた怨嗟の炎も、もはや灰しか残っていない。
復讐は果たせず。
生きる意味など最初からない。
このクソのような人生に、ようやく幕が下りる。
そんな安堵すら感じていた。
そして――銃声が鳴り響く。
「……あ?」
放たれた銃弾は全て防がれていた。
ヴァッシュの生み出した白い羽根によって。
「レガート、いつか言ったはずだ」
右腕に宿った力を発動させながら、それを完全に使いこなした状態で、ヴァッシュはレガートに銃を向けていた。
「ケガ人を捕まえてトドメをさしている余裕など与えない――と!」
ナイブズに狂信するレガートすら一瞬寒気を覚えるほど強烈な眼光がヴァッシュからは発せられていた。
それは覚悟の光だった。
生きる意思を固めたヴァッシュの精神力が、この瞬間レガートの狂気を圧倒したのだ。
レガートは、その事実に理性を失った。
裏切者であるホッパードの粛清に失敗したことと、ヴァッシュに一瞬でも気圧された自身の不甲斐なさに怒り狂った。
人とは思えない絶叫を上げながら、自分の任務すら忘れてヴァッシュに襲い掛かろうとするレガートの凶行を、更なる横やりが止める。
「――その力、もうそこまで使いこなせているなんて驚いたわ。これは彼さえ予想していなかった結末よ」
現れたのは、ナイブズのもう一人の腹心であるエレンディラ・ザ・クリムゾンネイルだった。
「思った以上に似ているのね、アナタ達二人は」
無数の巨大な杭によって串刺しにすることで強制的にレガートの凶行を止めたエレンディラは、その強大な戦闘力と残虐性を見せつけながらヴァッシュと対峙する。
「でも、ダメね。人を超越しているのは力だけ。アナタには恐ろしさがないわ、ヴァッシュ・ザ・スタンピード」
発動したヴァッシュの力を前にしても、エレンディラは涼し気な笑みを浮かべていた。
「帰るべき場所があり、待っている人がいる――そんな平凡な男が浮かべる顔をしているわよ。そのありふれた正気では、ナイブズの狂気には勝てないわ」
あるいはそれは嘲笑だったのかもしれない。
串刺しのレガートを拘束して、エレンディラは去っていった。
残されたのは、破壊の跡と戦いを終えた者達だけだった。
生き残った者。
死んでしまった者。
そして、これから死んでいく者。
一連の出来事を、ホッパードは呆けたように眺めていることしか出来なかった。
もう身体が動かなかった。
ヴァッシュはレガートの刺そうとしたトドメの銃弾から彼を守っていたが、既にその身には致命傷が刻まれていたのだ。
血と共に生命が流れ出していく。
倒れ伏したホッパードの近くに突き刺さったグーデリアの破片にこびりついた大量の出血を一瞥して、ヴァッシュはもはや目の前の男が助からないことを悟った。
「……馬鹿な真似しやがって」
結局、自分の取った行動は無駄だったのだろうか?
感じ慣れた無力感と後悔に苛まれるヴァッシュを見て、ホッパードは呆れたように言った。
「お前は、悪党の死に際の扱いも知らねぇ」
ヴァッシュは静かにホッパードの傍で跪いた。
その右腕から生えた白い羽根が、ゆっくりと消えていく。
ホッパードの命を救い、また同時に彼の決死の攻撃を幾度も防ぎ、そして――かつて彼の住むジュライを消滅させた恐るべき力。
それを今のヴァッシュは完全に制御している。
その事実を目の当たりにして、何故かホッパードは心残りが一つ無くなったような気がした。
「……悪いが、俺はここまでだ」
大きく息を吐く。
その一息で、生きる力と共にこれまで自分を蝕んできた苦痛や苦悩といったものが抜け落ちていくような気がした。
安らかな気分さえ感じていた。
「これでやっと楽になれる。これで……」
自分は、あと数言発した後で死ぬだろう。
そう確信出来た。
終わりが近づくのを感じる。
この苦しみに満ちた旅路の終わりが。
「お前は……」
ホッパードは自身の今際の言葉を聞き届けようとするヴァッシュを見上げた。
抱え続けた憎悪をぶつけ、全身全霊を掛けても力及ばず、それでも尚呪わずにはいられない相手だ。
この男にせめて傷を残してやりたい。
その人生に少しでも苦しみがあることを願う。
しかし、その時。
ヴァッシュが首から下げる一枚のカードが目に入った。
この男が銃以外で、戦いの最中でも決して手放すことのなかった物だ。
「お前は……生きて苦しめ」
死に際のホッパードには、そのカードが何故かヴァッシュとは切り離された存在に見えた。
憎むべき存在の一部だと感じられなかった。
「死んで、逃げることなど許さん」
ああ。
そうか、これが。
これが、あの時口にした『帰る場所』であり『あの二人』なのか――。
「このクソ溜めのような世界で、血を吐きながら生き続けろ」
目の前にいるのは永遠に苦しむべき怨敵だ。
死して尚呪い続ける相手だ。
しかし、そんな男にも。
「そして」
帰りたい場所があり。
「十分に苦しみ抜いたら」
また会いたい人間がいる。
自分と同じように。
ならば――。
「必ず、帰ってやれ」
その場所だけは。
その二人だけは。
自分が――憎むべき対象じゃない。
「お前を待つという二人のいる場所へ……」
ホッパードが紡ぐ末期の言葉を胸に刻んでいたヴァッシュは、最後のその言葉を受けて目を見開いた。
この上ない呪詛でありながら、最後に込められた捻くれたエールのようなものを、その言葉の中から感じ取っていた。
ホッパードの意識が薄れていく。
これまで自分の身体を縛っていたあらゆる戒めから解き放たれていくような気分だった。
ここではない何処かを見上げる視線の先で、喪ったはずの彼女が笑って迎えてくれる姿を見たような気がした。
――ああ、そこにいたのか。
――今、帰るよ。
ホッパードは口元に小さな笑みを浮かべて、そのまま事切れた。
復讐に傾倒した男が迎えた、静かな最期だった。
「……ああ、必ず帰るさ。僕も」
ヴァッシュは力尽きた男の手を握り締めて、その最期を見送った。
◆
――うへ~、みんな何作ってるの?
――あのねー、ユメはアビドスを卒業しちゃったんでしょ。
――でも、ヴァッシュはまだ卒業してないんだから、いつか帰ってくるよね?
――そしたらね、またみんなでお祝いしようと思って。
――だって。
――きっと、あの人は。
――なんでもかんでも突然なのに、決まってるから。
「ホシノ、いきなりどうしたの?」
「いいから、こっちこっち」
ホシノに手を引かれるまま、ヴァッシュは学校の廊下を歩いていた。
初等部の子供達総勢約二十名。
全員にもれなく遊び尽くされたヴァッシュは心身共に疲れ切っていた。
正直、その場に座り込みたいくらい疲れているのだが、ホシノの手引きに抗う気力もまた底を尽いていた。
「なんか用事があるなら後にしてくんない? 僕、もうヘトヘト……」
「もう少しだけ付き合ってよ。これが終わったら、ゆっくり休ませてあげるからさ」
ホシノには珍しい強引さだった。
こちらの世界では二年の月日が経ち、自分が知る一年生だった頃のホシノと比べるとずっと大人びたように見える。
後輩達への接し方には優しさだけでなく様々な配慮が垣間見えて、その成長には大いに驚いたものだ。
そんな彼女が自分にだけは年相応なわがままを言っているのが嬉しく、ヴァッシュは苦笑しながらも疲れた両足に力を入れた。
手を引かれるままに歩く。
階段を降りて、そのまま学校の外まで出てしまう。
校門近くの玄関前。
そこでホシノはようやく立ち止まった。
「誰もいないみたいだけど、ここで何かあるの?」
ヴァッシュの質問には答えず、手を離したホシノは微笑みながら少し距離を空けて向かい合った。
「皆、ずっと待ってたんだ」
その時、ふと。
ヴァッシュの視界に映る物があった。
「もちろん、私もね」
それは一枚の小さな紙だった。
何の変哲もない、小さな紙片。
それが更に二枚、三枚――と数を増やしていく。
「ヴァッシュが帰ってくるのを、ずっと待ってたんだ」
白。
青。
赤。
黄。
他にも色とりどりの小さな紙片が、幾つも空から降ってくる。
ヴァッシュは呆けたように頭上を見上げた。
空中には、旧式のドローンが数台飛んでいた。
その上に乗った初等部の中でも特に小柄な子供達が、笑いながら手製の紙吹雪を振り撒いている。
彼女達だけではない。
学校の屋上からも。
開いた窓からも。
初等部の子達だけでなく、シロコやノノミ、セリカ、アヤネ、そしてユメまで。
皆が、ヴァッシュに向かって鮮やかな紙のシャワーを浴びせている。
誰もが笑っていた。
ヴァッシュに向かって祝福の雨を降らせるように。
「――あ」
ヴァッシュは、その光景に目を奪われていた。
言葉が出なかった。
胸の奥から湧き上がる様々な感情を、一つも形にすることが出来なかった。
ただ、大きなうねりのようなものが目元までこみ上げて、溢れそうになっていた。
「ヴァッシュ」
そんなヴァッシュの様子を優しく見守りながら、ホシノは笑った。
――おかえりなさい。
ホシノの言葉に、幾つもの声が重なって聞こえたような気がした。
眼を見開き、喉を震わせ、それでも言葉が出てこない。
この湧き上がる想いを表す言葉を知らない。
だけど、もう耐えられなかった。
涙を堪えることは出来なかった。
ヴァッシュは人目も憚らずに声を上げ、ただ――泣いた。
記憶が巡る。
百年を超える、長い長い旅路の記憶。
宇宙を渡り、地に堕ち、砂の道を彷徨い歩いた。
その旅が終わった。
だけど、日々は終わらない。
彼が愛した、この透き通るような空の下で過ごす日々は。
かつて途切れた『
【ヴァッシュ合流時のアビドス生徒達に対する一口解説】
小鳥遊ホシノ
・愛しさと切なさと心強さを兼ね備えた頼りになる先輩だが、それ故にヴァッシュの帰還に対する喜びようが自分を慕う多くの者達の心を拗らせていることに気付かない罪深きおじさん。
砂狼シロコ
・ヴァッシュの隠された実力を本能で感じ取っており、それでいて遊ぶと楽しいオモチャでもあり、大好きな木を作ったおもしれー男となったら懐かない理由がない。
十六夜ノノミ
・ヴァッシュ以上にユメに対して感情を拗らせている。ユメ先輩の面影を求めるホシノに謝りながら抱かれるノノミ概念好き。
黒見セリカ
・普通に接したら嫌われる要素ないだろってヴァッシュに対して反発することで人間関係にテコ入れして物語まで回してくれるセリカェ! お前は本作にとって新たな光だ!
奥空アヤネ
・普通に接したら嫌う要素などないのでヴァッシュのことは『優しいお兄さん』というイメージで素直に好いている。一番少女っぽい反応をする。