トライガン・アーカイブ   作:パイマン

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本編完結から約一年が経ちました。
なんで、皆ブルアカ×トライガンの小説書かないんですか?(デジャヴ)
トライガン題材の小説自体全然増えてねえ…!(血涙)
仕方ないので続きを書くことにしました。
がっつりメインストーリーを書くことは難しいですが、ヴァッシュとの絡みを書きたいブルアカキャラが何人かいるので、そういうのちょくちょく書いていこうと思います。
第一弾はホシノです。


絆ストーリー
小鳥遊ホシノ『ぼくらのうたのつづき』


 

 

 

 ――ヴァッシュ・ザ・スタンピードの朝は早い。

 

 

 

『ニワトリ起こし』

『日曜日の子供』

『朝日に左右される男』

 

 異名は数々。

 ホシノから譲られた古い目覚まし時計のベルが鳴った瞬間にスイッチを止めて、彼の一日は始まるのだ。

 目を覚ました直後にまず行うのは、僅かに寝惚けた意識を完全に覚醒させる為の精神統一である。

 ベッドの上で胡坐をかき、静かに瞑想を行う。

 テーマは『人生と愛』

 

 ……三秒でやめる。

 

 不毛な時間の浪費を自覚したところで、ゆっくりと室内を見回す。

 ヴァッシュが現在寝泊まりしている場所は、アビドス高等学校の一角である。

 宿直室と呼ばれる、本来は学校の教員や用務員が業務の都合で一時的に泊まり込む必要がある場合に用意された部屋らしい。

 一時的な宿泊を目的とした施設である為に、内装はシンプルでトイレが個室で区切られている以外は全て一つに纏まった空間だ。

 とはいえ、洗面台とは別に簡易的なキッチンもあり、部屋を出てすぐ隣の別室には浴槽を備えたシャワールームもある。

 復興の進んだアビドスでは校舎内の水道も整備され、周囲が砂漠の中にあって水に困ることはない。

 ノーマンズランドの過酷な日々を経験したヴァッシュからすれば、十分に快適な生活を送れる環境だった。

 小型の冷蔵庫を開ければ、ホシノを始めとしたアビドスの生徒達が毎日のように持ち寄る食料がいっぱいに詰め込まれており、彼女達の善意に思わず笑みを浮かべながら卵を一個手に取った。

 朝食の準備――その前に日課のトレーニングだ。

 腰にガンベルトを巻き、おもむろに卵を空中へ放り投げる。

 落下する卵に向けて、素早く銃を抜いた。

 小さな乾いた音と共に、銃身の上に卵が乗っかっていた。

 そのままピタリと停止している。

 卵の殻にはヒビ一つ入っていない。

 落下する卵を受け止める正確さ、その勢いを殺して衝撃を与えない精密動作、球状の物体を細い銃身の上から落とさないバランス感覚。

 素人目には面白い曲芸のように映る一連の動作は、実践の困難さを理解する者が見れば驚愕するしかない高等技術の塊だった。

 ヴァッシュは、更にその状態から素早く銃をホルダーに収めた。

 支えを失った卵が落下し始める前に、再び銃を抜いて銃身で受け止める。

 銃を収めて、再び抜く――ただそれだけの一連の動作が、目に留まらぬほどに素早く、正確なのだ。

 それを不定期な間隔で、幾度となく繰り返す。

 恐るべき速さ。

 驚嘆すべき集中力。

 卵は空中に静止しているかのように微動だにせず、手元の狂いは一度として起こらない。

 まさに神業的なクイックドロウの技術だ。

 しかし、こんなものは、彼からすれば文字通り朝飯前のトレーニングである。

 銃を抜けば最速、撃てば百発百中。

 これは伝説のガンマン『ヴァッシュ・ザ・スタンピード』が持つ超絶射撃技術の、ほんの一端に過ぎない――!

 

「あ」

 

 グチャ、っと。

 生々しい音を立てて、銃身から滑り落ちた卵が床に中身をぶちまけた。

 

 ……こういう日もある。

 

 朝食はスクランブルエッグに決定した。

 

 

 

 

 

 

「髪、伸びたっぽ~い」

 

 食後の歯磨きを終えたヴァッシュは、そのまま鏡に映った自分の顔を見ながら独り言を呟いた。

 頬や顎を撫でれば、ザリザリとした髭の感触も伝わる。

 前髪はいつの間にか視界に掛かるほどまで伸び、これではトレードマークのトンガリ頭も垂れ下がったパイナップルの葉のような有様になってしまうだろう。

 これは少々みっともない、と無精気味な自分でも感じる。

 

「髭剃りってキヴォトスに売ってるのかな?」

 

 生身の人間は年若い少女ばかり、大人の男といえば獣人やロボットばかりの特殊な世界であることを思い返して、素朴な疑問が口から洩れてしまう。

 最悪、ナイフで剃ろうかなどと考えていると、不意に部屋のドアがノックされた。

 

「グッモーニン、ジャパニーズジェントルメン! おじさんが来たよ~」

「や、おはよう。ホシノ」

 

 ホシノとヴァッシュは、お互いに気の抜けた笑顔で朝の挨拶を交わした。

 学校までの移動距離を考えれば、ホシノもヴァッシュに負けないくらい朝が早い。

 特にヴァッシュがキヴォトスに帰還して以来、毎日欠かさず朝一番に彼に会いに来ていた。

 まるで離れ離れになっていた二年の空白を一日でも多く埋めるように。

 

「今日も朝早いね。無理してない?」

「無理なんてしてないよ~。早起きが身に着いちゃってるだけ」

「でも、確か昨日はゲヘナで賞金稼ぎの仕事してたんでしょ? 予想外の大立ち回りがあってヘトヘトになったって言ってたよね」

「あんなの大げさに言っただけだよ。一晩寝たのに疲れが取れない……なーんて、おじさんじゃないんだからさ~」

「おじさん自称してるのに……」

 

 冗談交じりの軽快なやりとり。

 しかし、そんな気安い会話を交わしながらも、ヴァッシュはホシノの顔の一点から視線を離すことが出来なかった。

 左の頬にガーゼが貼られている。

 昨日、アビドスに帰還したホシノが左の頬を赤く腫らしていたのを見たのだ。

 何処で、何が原因でそんな怪我をしたのか?

 ヴァッシュはもちろん、他の後輩達からの心配にもホシノは笑って誤魔化すだけで明確には答えなかった。

 賞金稼ぎの仕事は、もちろん荒事だ。

 その最中でついた傷なのだろうか?

 ホシノほどの腕前と頑丈さであっても怪我を負ってしまう状況とは何なのだろう?

 ヴァッシュはその傷について改めて問い詰めたい衝動に駆られたが、結局それを口にはしなかった。

 自分が同じ立場だったら、きっと余計な心配を掛けまいと茶化して煙に巻いてしまうだろうから。

 二年ぶりに再会したホシノは、昔よりも成長して、そういう気遣いとやせ我慢が出来るようになってしまっていた。

 ヴァッシュの複雑な内心を知ってか知らずか、ホシノは話題を変えるように持参した買い物袋を掲げた。

 

「今日はね、そろそろに入り用になると思ってこんな物を買ってきたよ~」

 

 そう言ってホシノが袋から取り出したのは、散髪用の道具だった。

 ハサミに櫛、剃刀にシェービングクリームもある。

 

「おっ、助かる~。丁度、髪を切ろうと思ってたんだ」

「でしょ? ヴァッシュの為の生活用品は色々買い揃えたけど、こういう道具はなかったと思ってね」

「キヴォトスに髭を剃る為の道具があるって意外だなぁ。だって、女の子は使わない道具でしょ?」

「女の子だって剃刀を使う時があるんだよ~」

「そうなの?」

「そだよ~。あと、その質問はセクハラになるから他の娘に言っちゃダメだからね~」

「セクハラになっちゃうの!?」

 

 動揺するヴァッシュを見て、ホシノはからかうように笑った。

 

「髪を切るつもりだったんなら丁度いいや。私が切ってあげようか?」

「ホシノが?」

「うん。床屋さん並の腕前はさすがにないけど、鏡を睨みながら自分で切るよりはいいでしょ。昔、シロコちゃんの髪を何回か切った経験もあるしね~」

 

 ホシノからの申し出を断る理由はなかった。

 切った髪の後始末も考えて、グラウンドにある足洗い場で作業を行うことにする。

 外に出れば、今日も空は快晴。

 しかし、早朝という時間帯のおかげで気温はまだそう高くない。

 心地よい風が、時折小さく吹いている。

 アビドスを象徴する巨木が枝を揺らすのを見上げて、二人は穏やかな笑みを浮かべた。

 ほんの一時吹き抜けた風のように、二人の胸の内を様々な思い出が通り過ぎる。

 髪を切る為の準備は本格的だった。

 唐突に決まったことなのに、ホシノは俄然やる気を出していた。

 買ってきた散髪用の道具以外に、お湯を沸かして洗面器に溜め、清潔なタオルを数枚用意する。

 ずっと使っていない学校の応接室から、リクライニング機能の付いた椅子まで引っ張り出してきた。

 

「ひょっとして、髭まで剃ってくれるの?」

「もちろんですよ~、お客さ~ん。安全剃刀だから、素人でも安心!」

「至れり尽くせりだね。眉毛を剃り落さないようにだけ気を付けてよ」

「もし手元が狂ったら、後で自分で書いておいてね」

 

 気心の知れた軽口を交わしながら、ホシノはヴァッシュの首に切った髪を受け止める為のシーツを優しく巻いた。

 ハサミを入れる前に、ヴァッシュの髪をそっと手で梳く。

 二年前の見慣れた金髪とは違う黒髪。

 黒く染まったというよりは、本来の色が抜け落ちた結果このような様相になったのだという印象を受けた。

 そして、おそらくその捉え方は正しい。

 ホシノは理由もなく確信していた。

 この髪について、未だにヴァッシュから具体的な説明は聞いていない。

 そして、今まで自分も聞こうとはしていなかった。

 何故だろう?

 知りたくないわけじゃない。

 きっと、こういう姿に変わってしまうくらい壮絶な経験を、彼がしてきたのだということは分かる。

 自分の知らない辛い思いを重ねて、自分の知らない傷を増やして、彼は旅を続けたに違いない。

 そして、それは自分も同じだ。

 自分もまた、この二年間で変わってしまった自覚がある。

 記憶と違う現在の姿を見て、彼はどんなことを考えているのだろうか。

 知りたいこと、知った方がいいことが、たくさんある。

 話したいこと、伝えた方がいいことが、幾つもある。

 離れていた二年間、お互いに知らない多くの出来事があった。

 言葉だけでは理解しきれないくらい大きくて、複雑な出来事が、お互いに幾つも――。

 

「……じゃあ、始めるね」

 

 しかし、ホシノはそれらの全てを言葉にはしなかった。

 

「ああ、頼むよ」

 

 ヴァッシュもまた、静かに短く答えるだけだった。

 黒い髪にそっとハサミを入れた。

 最初は慎重に、壊れものを扱うようにゆっくりと。

 しかし、段々と手際よく、リズムを刻むように髪を切る音が静かな朝の空気の中に溶けていく。

 誰もが感じる、髪を切られることへの心地よい感覚。

 髪に触れるホシノの手の温もりと、信頼出来る者が傍にいる安心感に誘われて、ヴァッシュはいつの間にか二度目の微睡みの中へと意識を沈めていった。

 

 

 

 

 

 

 銃撃戦なんてゲヘナでは日常茶飯事である。

 しかし、その日の戦闘は普段とは些か勝手が違っていた。

 強盗、抗争、テロ――ゲヘナで日々発生する戦闘の理由は様々だが、どいつもこいつもやることは大体同じだ。

 大した統制もなく、好き勝手に銃を撃ちまくる。

 目的を達成する為の計画的行動などというものは大概存在せず、何事も暴力という力押しで遂行しようとするのがゲヘナ学区における犯罪の特徴だった。

 

「クソッ! この人食い反社どもめ――!」

 

 その日もゲヘナ風紀委員会の切り込み隊長である銀鏡イオリは、暴れ回る不良生徒達へ真っ先に立ち向かっていった。

 敵の数は多い。

 しかし、圧倒的というほどの規模ではない。

 イオリの方も部下達を引き連れていたし、彼女自身の実力も風紀委員会において空崎ヒナに次ぐナンバー2であることを自他共に認められていた。

 ゲヘナの日常の一部として、今回の騒動も無事解決されるはずだった。

 そこに加わったイレギュラーさえ存在しなければ――。

 

「おまけにそれを脱獄囚が率いてるなんてね!」

 

 悪態を吐きながら放ったイオリの銃弾は、狙い違わず標的に命中した。

 しかし、ダメージを与えた手応えは全くない。

 衝撃でほんの少しだけ後退り、当たった箇所を軽く手で払うだけのリアクションに留める。

 身体能力、射撃技術、保有する武装――キヴォトスにおいて戦闘力を測る基準は複数あれど、最も大きな影響を占めるのはヘイローを備えた少女達だけが持つ固有の力である。

『神秘』と呼ばれるその不可思議な力が、現実的な理屈と法則を無視して、理不尽なまでの実力差を生み出す。

 このキヴォトスにほんの一握りだけ存在する、ある種の一線を越えた上位者達。

 その強大な神秘を持つ敵が、イオリを相手取っていた。

 

 ――狐坂ワカモ。

 

 矯正局の脱獄と投獄を繰り返し、無差別かつ大規模な破壊行為を行うことから『災厄の狐』と呼ばれている極めて凶悪な生徒である。

 つい先日発生した大規模な集団脱獄事件でも大々的に報道された『七囚人』の一人で、予測のつかない台風の如き人物が次にどのような災害を何処へもたらすのか、民衆が戦々恐々としていた最中――標的となったのはゲヘナだったのだ。

 

「脱獄して日も浅いのに、シャーレの本部で暴れたかと思ったら次はゲヘナか? 随分と節操のない奴だな」

「シャーレでの件は思わぬ肩透かしで、不完全燃焼でしたからね。今度はこちらにお邪魔しましたの」

「いい迷惑だ!」

 

 かつてない強敵を前に威圧されないよう軽口を叩くイオリに対して、ワカモは挑発するように答える。

 その異名の如く狐のお面で隠された表情は伺えないが、仮面の下で笑っていることは確かだった。

 シャーレの本部が存在するD.U.外郭地区で、今回と同じように不良生徒を扇動したワカモが破壊活動を行った事件は記憶に新しい。

 表立って、この騒動は急遽赴任した『先生』と各学園都市を代表する生徒達による即席チームが無事解決したとされているが――詳細は微妙に異なっていた。

 首謀者であるワカモは不良生徒達を囮にして、単騎で施設内部に潜入し、あわや連邦生徒会長の残した重要パーツである『シッテムの箱』にまで手を掛けていたのだ。

 そして、重要人物である『先生』との邂逅まで果たしていた。

 しかし――それは彼女にとって運命の出会いではなかった(・・・・・・・・・・・・)

 ワカモの前に現れたヘイローを持たない大人(梔子ユメ)は、何もない所で勝手に転んで涙目になるような人畜無害のドン臭い人物だった。

 力はなく、銃も持たず、生身の大人であること以外は珍しくもない同性だ。

 ワカモの目を引く物など何一つ持たない相手だった。

 手の中には、重要なのは分かるが用途など欠片も分からない意味不明な板切れが一枚。

 そこで、ワカモは萎えた。

 自分が楽しめるものはここにはないと悟り、全てに興味を失った。

 今回起こした行動は徒労に終わったのだと見切りをつけて、さっさとその場を退散したのだった。

 気まぐれな破壊衝動を、その胸の内に燻ぶらせたまま――。

 

「力の無い者を踏みにじり、価値の分からない物を壊しても仕方ありませんからね」

 

 そして、その邪悪な欲求不満の矛先が、

 

「噂に名高き空崎ヒナが来ることも期待しましたけど――」

 

 今、ゲヘナの街へと向けられたのだ。

 

「アナタ程度の相手なら、ちょっとした火遊びの範疇ですね」

 

 イオリの顔が怒りで真っ赤に染まった。

 仮面で見えなくとも、その下でワカモがどんな表情を浮かべているのかは分かった。

 嘲笑だ。

 強き者が弱き者の決死の反抗に向ける、嘲りの響きがその声からは感じ取れた。

 

「なめんな!」

 

 直情的なイオリでは、その挑発を受け流すことが出来なかった。

 この状況では、幸とも不幸とも言い難い。

 思慮深さは足りないが、格上の相手に畏縮して尻込みしてしまうような愚は犯さなかったのだ。

 銃撃が効果的ではないことを悟ったイオリは、ワカモに対して接近戦を仕掛けた。

 ワカモの武器は旧式の短小銃だ。

 火力は未知数だが少なくとも連射は効かず、懐に入れば取り回しも難しい。

 肉薄して組み伏せるつもりだった。

 いかに強大な神秘を持つ敵であっても、その力に胡坐をかいた粗野な犯罪者相手に、日々の訓練で磨き上げた戦闘技術で負けるつもりはない。

 

「スピードはなかなか――」

 

 一瞬で眼前にまで迫ったイオリに対して、ワカモは愛銃を構えることもなく肩に担いだまま優雅に佇んでいた。

 

「しかし、些か動きが素直すぎますね」

 

 鈍器代わりに振り上げた銃身は、ワカモが無造作に持ち上げた片脚の靴底で軌道を逸らされて空振りした。

 すぐさま振り下ろしに切り替える。

 それも肩に担いだままの小銃で容易く受け止められる。

 身体ごとぶつかろうと更に踏み込めば、僅かに半身を傾けるだけの動きでかわされてしまう。

 イオリの息もつかせない怒涛の攻勢は、全てが紙一重で回避されていた。

 二人の周囲では、ワカモに扇動された不良生徒達とイオリの引き連れた風紀委員会が銃撃戦を繰り広げている。

 銃弾が飛び交う最中で行われる、一般のレベルとは隔絶した格闘戦。

 しかし、その戦闘の中でも更に明確なレベルの差が生まれていた。

 

「ク……クソッ! 技術でも勝てないのかよ!?」

 

 イオリはワカモとの絶望的な力の差を見せつけられていた。

 攻撃が全て先読みされているかのように、相手に触れることさえ出来ない。

 素の能力だけではなく、技術や経験でも圧倒されていた。

 

「技術というより駆け引きが下手ですね、アナタ」

 

 至近距離で突き付けられた銃口を、ワカモは引き金が引かれる前に素早く踏みつけた。

 一呼吸遅れて放たれた弾丸が虚しく地面を抉る。

 動揺で一瞬動きの止まってしまったイオリに、蹴りが放たれた。

 無造作に放たれた一撃にも関わらずその威力は凄まじく、腹の下で爆弾が爆発したかのような衝撃が発生した。

 イオリは吐しゃ物をまき散らしながら後方へと吹き飛ばされた。

 

「イオリ先輩!」

 

 腹を抑えて倒れ込むイオリに、風紀委員の一人が駆け寄った。

 風紀委員会に所属して日の浅い、今回の戦闘でも後方で支援することが任務の新人だ。

 ワカモを相手に太刀打ち出来るようなレベルの生徒ではない。

 しかし、そのワカモが追撃の為に銃口を向けるのを見て、彼女は咄嗟に自身の装備であるライオットシールドを構えて射線上へ割り込んでいた。

 

「よせ、無茶だ!」

 

 イオリは自分を守ろうとする後輩に向かって思わず叫んでいた。

 その叫びも空しく、無慈悲に引き金は引かれた。

 銃弾というよりは重く巨大な杭のような物体が超高速で飛来したかのような、貫通力を持った圧倒的な運動エネルギーがシールドにぶち当たった。

 一瞬も抵抗出来ずに吹き飛ばされた後輩の身体をイオリが咄嗟に支えて、そのまま更に数メートル後退った所でようやく制止する。

 

「お、おい! 大丈夫か!? しっかりしろ!」

 

 イオリの腕の中で、後輩はぐったりと気絶していた。

 見れば、防弾加工を施されているはずのシールドには弾頭がほとんど貫通する寸前にまでめり込んでいる。

 その半透明な盾越しに、ワカモが第二射をコッキングする姿が見えた。

 容赦のない追撃。

 防ぐことは出来ない。

 イオリだけならば避けることは出来たかもしれない。

 しかし、イオリは腕の中の後輩を庇うように背中を向けた。

 

「あらまあ、感動的」

 

 言葉とは裏腹に、ワカモは一切の躊躇いもなく引き金に指を掛けた。

 息をするように引き金は引かれる。

 その直前――。

 

「ハ――!」

 

 彼方から声が響いた。

 

「ワッ! ハッ! ハッ! ハッ!」

 

 それは笑い声だった。

 ひと際軽快に、芝居掛かったリズムで。

 遠くから聞こえた笑い声が、あっという間に近づいて来る。

 

「ハァ――!!」

 

 思わず振り返ったワカモが見たのは、周囲で展開される戦闘を文字通り蹴散らしながら迫り来る一人の少女だった。

 巨大な盾を携えた少女は、不良生徒達をその盾で薙ぎ払い、跳ね飛ばし、向けられた銃口を飛び越えて、混乱する相手の頭を踏み台にしながらワカモに飛び掛かった。

 

「な、何者ですか!?」

 

 突拍子もない乱入に、予測不能な奇行。

 さすがのワカモも意表を突かれ、動揺する他なかった。

 咄嗟に放った銃弾が、頭上を飛び越えようとした標的の肩を捉える。

 

「アウチッ!」

 

 銃撃を受けながらも空中で体勢を立て直し、ワカモとイオリの間に割り込むような位置へ着地する。

 その動きは、ワカモにとって警戒に値するものだった。

 少なくとも自分の銃弾を受けて尚、倒れることなく身構えられるだけの実力を持った相手なのだ。

 

「……本当に、何者ですか? アナタは」

「戦うと損な女さ! 手下をまとめてこの街から出ていけば、手痛い敗北を喫せずに済むだろう!」

 

 神妙なワカモの問い掛けに、芝居がかった言葉遣いで答えが返ってくる。

 しかし、撃たれた肩を抑えて、脂汗を流しながら引き攣った笑みを浮かべるその表情は、明らかにやせ我慢のそれだ。

 どれだけ頑強な肉体を持っていても、防弾シールドを貫通するような銃撃を受けてダメージがないはずがない。

 その様子と相手の顔を見て、未知の脅威に身構えていたワカモの緊張感が少しだけ緩んだ。

 

「その顔、見覚えがありますね。――賞金稼ぎの小鳥遊ホシノさん」

「小鳥遊ホシノ! アビドスの賞金稼ぎが、ゲヘナに何しに来てるんだよ!?」

 

 ワカモとイオリだけに留まらず、周囲の者達も思わず戦闘の手を止めてしまう。

 狩る者と狩られる者、どちらにとってもホシノの存在は大きかった。

 しかし、また同時に、どちらにとっても素直に歓迎できる相手ではなかった。

 狩られる側である犯罪者達はもちろん、風紀委員会にとっても単純に味方と思える相手ではなく、ゲヘナの秩序を守る自分達の職務に横やりを入れてくる厄介な余所者のイメージが強い。

 そんな複雑な視線を幾つも受けながら、ホシノは痛みのひいた肩から手を放してヘラヘラと笑っていた。

 

「うへ~、あの『厄災の狐』さんにまで知られてるなんて、おじさんも有名人になっちゃったなぁ。後ろのイオリちゃんも、お久しぶりだね。歓迎してくれて嬉しいよ」

「歓迎なんてしてないんだよ! 毎回、私達の仕事の邪魔しに来るんじゃない! さっさと帰れ!」

「そーだ! そーだ!」

「帰れー! 余所者は帰れー!」

「ピンチに駆け付けた助っ人に対して酷くない!? ……ホント、ゲヘナって血気盛んなんだから」

 

 イオリだけでなく周囲の風紀委員からもブーイングを受けて、ホシノはガックリと肩を落とした。

 

「『助っ人』ということは、あなたは私の敵ということでよろしいですね?」

 

 緩みかけた空気を、ワカモの一言が再び引き締める。

 仮面の下から放たれる殺気が周囲を圧迫した。

 しかし、貫くような視線を受けるホシノ自身は、まるで意に介していないかのように無防備な体勢を崩さない。

 ワカモはそれを自身に迫る実力者故の余裕だと判断した。

 

「この私の首を狩りに来た割には、随分と緊張感がありませんね。先ほどの奇行も一体何のつもりですか?」

「奇行っていうか、奇襲のつもりだったんだけどぉ……」

「本当に奇襲をするつもりなら、私が撃った瞬間を狙えばよかったのです。そこが一番隙を突けるはず。アナタの意図が読めませんね」

「おじさんが考えてるのは専ら愛と平和のことだけだよ。ラブ&ピースってね~」

「……」

「君の首を狩りに来たっていうのも誤解なんだ。別件の賞金首を探しててさ、ゲヘナじゃ肩身が狭いからコソコソ動いてたらこの騒動を見かけてね」

「だったら、そのまま通り過ぎればよかったのでは?」

「あらまあ、なんて淡白な一言。言われないかい? そんなんじゃ愛が足りないぜ、って」

 

 ホシノの口から出てくる能天気な言葉の数々に、ワカモは内心で戸惑っていた。

 適当に喋っているのか?

 水面下で進行させている何らかの作戦の為の伏線なのか?

 あるいは――本気で言っているのか?

 

「だからさ、おじさんとしてはこれ以上戦う意味はないと思うんだよね。そっちの方がリタイアした人達多いみたいだし、ここは退いた方が仲間の為だと思うな~?」

 

 そう言って、ホシノはワカモの背後を指さした。

 先ほどホシノが吹き飛ばした者達は全員が例外なく気絶させられている。

 ここに至るまでの戦況も風紀委員会側の戦力が圧しており、不良生徒達の半数が既に倒れていた。

 

「……仲間?」

 

 しかし、ホシノの指摘に対してワカモは心底不思議そうに肩を竦めるだけだった。

 倒れた者達を一瞥すらしなかった。

 

「私は最初から一人で戦場(ここ)にいます」

 

 そう答えたワカモが、仮面の下で獣のような笑みを刻むのをホシノは幻視した。

 その直感に応えるように、何の前触れもなくワカモが銃弾を放った。

 それが戦闘を再開する合図だった。

 飛来する弾丸を、ホシノは自前の盾で受け止める。

 当たり前のように為しているが、ワカモの放つ銃撃の威力を体感したイオリにはそれが驚嘆すべき所業であることを理解出来た。

 金属製の巨大な盾は、確かに薄く軽量なライオットシールドよりも重厚な防御力を持っているのだろうが、それだけではない。

 ホシノの神秘を纏った盾が、ワカモの神秘を纏った銃弾を相殺している。

 物理法則を超えた理不尽と理不尽のぶつかり合い。

 上位者同士の激突――!

 

「素晴らしい! 噂に聞こえし、凄腕の賞金稼ぎ! これは火遊びでは済みませんね!」

 

 歓喜しながらもワカモは攻撃の手を緩めない。

 一瞬にして立ち位置を変え、盾の死角から銃撃を浴びせかける。

 

「喜んでもらえて嬉しいよ……ホント、帰ってもらえないかなぁ!?」

 

 戦車の砲弾を受けたような衝撃で震える盾を抑え込みながら、ホシノは顔を引き攣らせた。

 

「つれないことを仰らないで!」

 

 ワカモが更にスピードを上げる。

 かろうじて眼で追える動きを傍で見ていたイオリは、自分がいかに手加減をされていたのかを痛感した。

 微動だにせずあしらっていた時とは違う、この機動力こそがワカモの本来の戦闘スタイルなのだ。

 

「速いなぁ! おじさん、腰やっちゃいそうだよ!?」

「あなたこそ! その重い盾を抱えて、よくも動く!」

 

 縦横無尽に動き、あらゆる角度から放たれる必殺の弾丸を、しかしホシノは完璧に防いでいた。

 傍から見れば、ホシノが防戦一方の状況だ。

 その変化に気付いたのは、戦っているワカモ自身だった。

 

 ――銃弾を逸らしている!

 

 それに気付いた瞬間、同レベルの敵との戦闘に享楽を見出していた笑みが消えた。

 二射目から、既に恐るべき変化は始まっていた。

 ホシノは正面から攻撃を受け止めるのではなく、その威力と衝撃を盾の表面に滑らせて、受け流し始めたのだ。

 その防御は一発受けるごとに滑らかに、巧みに、何より速くなっている。

 もはや、こちらが引き金を引く前から、発射のタイミングや弾丸の軌道まで読み切っているかのようだ。

 単なる反射神経や身体能力では説明がつかない。

 神秘によって構成された強固な防御力とはワケが違う。

 

 ――どれだけの研鑽を積めば、これほどの技術が身に着く?

 ――どれだけの経験を重ねれば、これほどの速さで適応出来る?

 ――これまで一体どれだけの銃弾に身を晒し、ここまでの境地に辿り着いたのか!?

 

 ワカモは戦慄した。

 目の前で相対しているモノは、これまで出会ったことのない類の敵だ。

 自身の常識や価値観では理解の及ばない存在だ。

 

「物の怪め……っ!」

 

 思わず漏れた悪態と同時に、恐れていた事態が起きた。

 弾切れだ。

 薬室が空になったことを告げる、乾いた音が響いた。

 それがこの戦闘における一つの転機であると、ワカモとホシノの両方が備えていた瞬間だった。

 それまで防御に徹していたホシノが、一気に距離を詰めた。

 放たれた最後の銃弾は当たり前のように軌道を逸らされ、完璧に受け流された衝撃はホシノを足止めするどころか体勢を崩すことすら出来ない。

 ワカモが新しい弾を込め終えるほんの僅かな隙で、眼前にまで肉薄していた。

 奇しくもイオリと戦った時と似た状況。

 しかし、ワカモにあの時のような余裕は欠片もなかった。

 自身のリロードさえ、ギリギリで間に合ったような状況だった。

 もはや、狙って撃つなどという悠長な暇はない。

 ワカモは中途半端に構えた銃をそのまま横に薙ぎ払った。

 ワカモの愛銃である『真紅の厄災』には、銃剣が備え付けられ、接近戦にも対応出来るようになっている。

 この銃剣もまた神秘を纏うことによって、銃撃に勝るとも劣らない攻撃力を発揮するのだ。

 しかし、その斬撃さえも盾によって防がれていた。

 

「……噂通り、巧みな盾使いですね」

 

 盾と銃剣による変則的な鍔迫り合い。

 仮面の下に流れる冷や汗をホシノに悟られていないか気にするのは、ワカモのプライド故だった。

 薄々と感じてしまっている。

 目の前の存在は、おそらく自分よりも――。

 

「銃を使わないのも噂通り。私を舐めていらっしゃる? それとも凄く舐めていらっしゃる?」

「嫌だなぁ、そんな余裕がおじさんにあると思う? 結構いっぱいいっぱいだよ」

「戯言を。腰の後ろに隠した拳銃は、この距離なら非常に有効ですよ」

「うへ~、やっぱり君は理詰めで戦闘するタイプなんだね。だったらさ、このまま戦いを続けるメリットがないとも考えられない? お互いに銃弾と体力の無駄でしょ?」

「無駄かどうかは、あなたが銃を抜いた時に分かりますわ!」

 

 受け止めていた盾の表面を刃が走り、耳障りな金属音と共に火花が散る。

 始まったのは、盾と銃剣をぶつけ合う剣戟だった。

 銃剣を取り付けた槍に近い得物を突き、払い、掬い上げて振り下ろす――嵐のような斬撃をワカモが繰り出す。

 本物の日本刀を使っているかのように堂に入った、巧みな剣術だった。

 その怒涛の連続攻撃に、ホシノもまた応じていく。

 ただ盾の陰に隠れて守り、凌ぐのではない。

 巨大な鉄塊とも言える盾をまるで羽根のように軽々と振り回して、盾の表面で刺突を逸らし、払われる刃を滑らせ、あらゆる角度から放たれる斬撃をあらゆる角度から弾き返していく。

 金属のぶつかり合う音はさながら銃撃戦の如く響き渡り、無数の火花が二人の間で炸裂していった。

 周囲の者達には、二つの竜巻が鋼鉄の風をぶつけ合っているかのように映った。

 激しい剣戟の最中、マズルフラッシュの閃光と銃声が混じる。

 ワカモが斬撃を繰り出す中で動き続ける銃口の位置を巧みに調整し、ゼロ距離で銃撃を放ったのだ。

 しかし、それすらもホシノは直前で銃口を逸らして回避する。

 息もつかせぬ高速の攻防の中でも冷静に、更なる動きを先読みしてのけた。

 

 ――何?

 

 否。

 

 ――何ですって!?

 

 それだけではない。

 

 ――まだ。

 

 火花が散る度に一手、遅れていく。

 

 ――速くなる!!

 

 一際、強烈な激突音が響いた。

 銃剣を大きく弾き飛ばされたワカモが体勢を崩す。

 ホシノの速度がワカモを上回った結果、攻撃を繰り出す途中の不安定な状態を突かれたのだ。

 ワカモは眼を見開いた。

 しかし、体勢を崩した身体は一瞬の硬直に陥っている。

 相手の動きを睨む以外の、どういうことも出来ない。

 ホシノが迫る。

 その顔を見た。

 戦う前の能天気な表情など微塵も残っていない。

 俯き気味の陰影の中で光る眼光。

 それは悪 魔(ディアブロ)の眼。

 己に敗北という死を与える魔 人(フリークス)の貌だった。

 

「が……っ!?」

 

 右足に走った激痛に思わず呻く。

 見れば、振り下ろされた盾の先端が右足の甲を押し潰していた。

 これでもう逃げられない。

 そう悟った瞬間には既に、ハンドガンの銃口が眼前へ突き付けられていた。

 

「……銃、抜いちゃったね」

 

 そう言って、ホシノは苦笑いを浮かべた。

 

「でも、これでおじさんの勝ちだよ」

 

 先ほどの魔人の如き表貌が錯覚だったのかと思ってしまう変わりように、ワカモは不気味さを感じた。

 

「決まり手はハタキ落トシ」

「違います!」

 

 

 

 

 

 

「勝負あり、だね」

 

 そう言って、ホシノはワカモの右足を抑え込んでいた盾をそっと持ち上げた。

 しかし、銃口の方は動かさない。

 

「これで大人しく帰ってくれないかな?」

「……」

「もちろん、このまま素直に捕まってくれるならもっといいんだけどね~」

 

 ワカモはしばらくの間無言で、目の前にある銃口を睨みつけていた。

 その仮面の下で、どんな表情を浮かべているのかは分からない。

 しかし、苦渋の想いが滲んでいることはホシノにも察することが出来た。

 己の気まぐれのままに破壊を振り撒く『厄災の狐』――自他共に認める暴力の権化が敗北を味わい、敗走か投降を選ばされているのだ。

 そう容易く受け入れられる現実ではない。

 

「……私が、敗北したという事実は認めます」

 

 ワカモは砂を噛むように言った。

 

「だから、あなたは撃ちなさい」

「……何で?」

 

 ホシノは困ったように眉を潜めた。

 相手の言い分が理解出来ない。

 

「私は負けました。だから、あなたは私を撃って勝つ必要があるのです」

「だから、何で? 君はもう敗北を認めたんでしょ? だったら、潔く引き下がってよ。捕まれとまでは言わないからさ~」

「ならば、何故あなたは銃を降ろさないのですか?」

 

 ワカモが僅かに身を乗り出した。

 突き付けた銃口に仮面が当たり、小さな音を響かせる。

 ホシノは思わず息を呑んだ。

 

「あなたも分かっているはずです。撃たなければ、戦いは終わらない」

「……終わるさ。君が戦うのをやめてくれればいい」

「それをどう判断するのですか? 私はまだ銃を握り、引き金には指が掛かっています」

 

 ワカモが更に前へと踏み込む。

 銃口が仮面を擦り、ゴリゴリと異音を立てる。

 自身の敗北を決定付ける弾丸を、一秒でも早く受け入れてしまおうとするかのような仕草だった。

 

「私が撃って始めた戦いです」

 

 仮面の穴から除くワカモの瞳には、敗北を認める潔さなどない。

 屈辱に身を捩る混沌とした感情が渦巻いていた。

 それを飲み込んで耐え凌ぐしかない現状に対する怒りが秘められていた。

 

「だから、あなたが撃たなければ戦いを終わらせられない」

 

 仮面という偽りの平静を被って、ワカモはそう断言した。

 

「それが君の守るべき道理ってワケ?」

「違います。この世界の道理ですよ」

 

 その言葉に、ホシノは悲し気に目を細めた。

 

「撃ちなさい」

 

 ワカモの催促を受けても、ホシノは引き金に指を掛けたまま動かなかった。

 

「撃て!」

 

 ワカモが苛立ったように叫んだ。

 

「あなたほどの強者が、このキヴォトスで誰でも出来ることを出来ないのですか!? 引き金を引くなんて、子供でも出来ることでしょう!」

 

 挑発染みたその言葉を受けて、ホシノはようやく動いた。

 

「――違うよ」

 

 ゆっくりと、突き付けていた銃口を降ろす。

 

「子供なのは、君の方だ」

 

 呆気に取られるワカモに向けるのは、憐憫の眼差しと寂しげな笑みだった。

 

「やっぱりさ、君には愛が足りないよ。ワカモちゃん」

「……は?」

 

 突拍子もない言葉に、ワカモの方は混乱するしかなかった。

 既に完全に戦闘態勢を解いたホシノは、まるで自分の後輩にするように気安く話しかけた。

 

「ワカモちゃんはさ、誰かを好きになったことないの?」

「い、いきなり何を言っているのですか……?」

「人を好きになるとさ、見えてる世界が変わるんだ。想像も出来ないくらい人生が変わる。愛が世界を変えるんだ」

「頭がおかしいのですか、あなたは!?」

「それでさ、好きな人が出来たら想像してみて欲しいんだよ――」

 

 

 

「その人に、銃を向ける光景を」

 

 

 

 そう言ったホシノの表情を見て、ワカモは言葉を失った。

 それはこれまで生きてきて一度も見たことのない表情だった。

 これまで大して記憶に残っていない他人の顔にも、鏡に映る自分の顔にも見たことのない、知らない表情だ。

 傷ついているようにも見える。

 苦しそうにも見える。

 後悔しているようにも見える。

 それらの積み重なった酷く重いものを心の底に沈めているような顔だった。

 

「凄く胸が冷えるんだ」

 

 ホシノが自分の知らない、何か大切なことを話しているような気がして、無視することが出来なかった。

 

「息も上手く吸えない。照準の先が霞んでよく見えなくて、自分が取り返しのつかないことをしようとしていることだけがハッキリと分かるんだよ」

「……」

私達(・・)は、普段から当たり前のように引いている引き金の重さを知らないんだ」

 

 そう告げるホシノの口元には、悲しみと諦めを同居させた笑みが小さく浮かんでいた。

 これまで周囲の者達を有象無象として気にも掛けなかったワカモが、生まれて初めて他人の言葉に聞き入った。

 しかし、それを受け入れることは到底出来なかった。

 目の前の自分を負かした人間が、自分の知らないことを知っていて、それを優しく教えようとしている。

 まるで大人が子供に言い聞かせるように。

 悔しかった。

 惨めだった。

 

 ――羨ましかった。

 

 ホシノが言う『引き金を重くするもの』を彼女自身は持っていて、自分は持っていない。

 それが自分達の間にある、人としての格差である気がした。

 これまで思うがままに銃を撃ち、破壊を振り撒いてきた自分の生き方が、心貧しい者の振る舞いであるかのように思えてしまった。

 その劣等感が――。

 

「……戯言を」

 

 ワカモの心を、狂わせた。

 

「私に勝っておきながら、意味の分からない世迷言を垂れ流して、情けを掛け、憐れむなんて……っ」

 

 屈辱。

 迷い。

 納得。

 羨望。

 嫉妬。

 全て否定しろ。

 

巫山戯(ふざけ)るなッ!!」

 

 怒りのままにワカモは蹴りを繰り出した。

 負傷した右足での攻撃だ。

 不意を突かれながらもホシノは咄嗟に盾で受け止めたが、そのまま後方へ吹き飛ばされるほどの衝撃だった。

 傷ついた脚で、限界を超えた力を込めた。

 激痛が走る。

 しかし、こんな痛みなど何でもない。

 奴から受けたダメージなど、何も効いていない。

 そう自分に言い聞かせながら、追撃の為に銃を向けた。

 引き金に指を掛ける際の一瞬の躊躇いと、指に掛かる感じ慣れない重さは、錯覚なのだと思い込んだ。

 体勢を崩したホシノを狙って一射――更に、その後方を確認して素早く二射目を撃ち込んだ。

 一発目は狙い違わず、ホシノの腹部に命中した。

 

「うげぇ……っ! 本当にイッタイなぁ!」

「バカ! 何やってんだよ!?」

 

 脂汗を流しながら腹を抑えるホシノに対して、後方で状況を見守っていたイオリが我慢出来ずに叱責した。

 

「さっさと撃たないからそんなことになるんだよ、マヌケ! 犯罪者相手にダラダラお喋りして反撃喰らってんな、タコ! 茶化しに来ただけなら帰れ、アンポンタン!」

「やめてよ、もー! おじさんだって、精一杯やってるんだからさぁ! マジ泣きしそうだよ!」

 

 本当に涙目になりながら罵倒に打ちのめされるホシノを、ワカモは一切の油断なく睨み据えていた。

 

「……つくづく、侮れませんね」

 

 二発目は、イオリを狙ったはずだった。

 あの時、ホシノがワカモに蹴り飛ばされた瞬間、拮抗状態が崩れたのだと判断したイオリが咄嗟に銃を構えるのを見たのだ。

 しかし、その二発目は不発に終わっていた。

 

「あの状態で、咄嗟に庇う事までしてみせるとは……!」

 

 イオリが狙われていることを察したホシノが、射線を盾で遮ったのだ。

 それ故に、自身は無防備に銃撃を受ける羽目になった。

 瀬戸際における反応を超えて反射の域にまで達した体裁きは凄まじい。

 だが、その行動原理は到底理解し難い。

 狂っている。

 そう決めつけて、理解を放棄することが正しい人物であるはずだ。

 しかし、ホシノの行動を見たワカモは更なる苛立ちに苛まれていた。

 

「いいですとも、あなたがそれを続けるのなら幾らでも続ければいい!」

 

 ワカモは憎しみを込めて次弾を装填した。

 

「あなたのせいですよ、小鳥遊ホシノ! あなたが終わらせようとしなかった! だから、この戦いは終わらないのです!!」

 

 そう叫ぶワカモの声に、普段の破壊に享楽を見出す様子は欠片もない。

 ただ、目の前の存在を否定しなければならないというヒステリックな響きがあった。

 戦いは振り出しに戻る。

 ワカモは完全な敵意を持って銃を構え、ホシノが苦し気に盾を構える。

 自分が介入出来るレベルではないと理解しながらも、ホシノだけには任せておけないと今度はイオリも銃を構えた。

 戦いは、終わらない――。

 

「――だったら、私が終わらせてあげるわ」

 

 それは完全な奇襲だった。

 頭上から、恐るべき威力を秘めた銃弾の雨が降り注いだ。

 ホシノに意識を囚われていたワカモには、その銃撃を回避することが出来なかった。

 全身の骨が砕かれるような衝撃を味わい、圧力に潰されて倒れ伏す。

 標的はワカモだけに留まらなかった。

 残っていた不良生徒達を、一人残らず正確無比に撃ち抜いていく。

 周囲は文字通り一掃された。

 呆気に取られるホシノ達の前に、漆黒の翼を広げて一人の少女が降り立った。

 

「ヒナ委員長!」

 

 ゲヘナにおいて最強の名を欲しいままにする風紀委員長――空崎ヒナ。

 その登場に、風紀委員達は歓声をあげた。

 しかし、当の本人はそれらの様子に目を向けることなく、冷たい視線で倒れたワカモを見下ろしていた。

 ワカモもまた、未だ意識は失わず、満身創痍の状態でヒナを見上げている。

 やがて、ヒナは無言で手にした銃の照準を向けた。

 その銃口を見上げるワカモは、むしろ安心したように小さく笑った。

 

「ヒナちゃん、ちょっと待っ――!」

 

 ホシノの制止の声を無視して、引き金が引かれた。

 ヒナの身の丈ほどもある長大な機関銃が唸りをあげて弾丸を吐き出し、倒れたワカモを滅多打ちにした。

 容赦のない追撃にイオリを含めた風紀委員達さえ息を呑み、未だ意識のあった不良生徒達は完全に戦意を喪失してしまった。

 

「全員、確保しなさい」

 

 そんな周囲を見回して、ヒナは淡々と指示を出した。

 

「狐坂ワカモは特に厳重に拘束して。完全に気絶してると思うけど、最低でも五人は見張りに付けなさい。バカ騒ぎは終わりよ、すぐに撤収するわ」

「は、はい!」

 

 恐縮しながら動き出す風紀委員達を尻目に、ヒナは歩みを進めていた。

 向かう先は、ホシノの元である。

 

「……やりすぎだよ、ヒナちゃん」

 

 助けられた手前、ワカモへの過剰な仕打ちをあまり非難も出来ず、ホシノは困ったように笑うしかなかった。

 その見慣れた笑顔を見て、ヒナは表情を歪めた。

 苛立ったように、ホシノの胸倉を掴み上げる。

 

「また、あんな戦い方をして……!」

 

 つい先ほどまでの冷淡な様子は一変していた。

 感情的にホシノを睨みつけ、湧き上がる激情を堪えるように歯を食いしばる。

 

「何発撃たれたの?」

「え? な……何が?」

「私が来るまでに、お腹以外に何発撃たれたの!?」

「うへ~、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。もう痛みも引いたし……」

「何処!?」

「か、肩だけデス!」

「隠してないでしょうね!? 服の下はどうなってるの!? 誤魔化さないで!」

「イヤァーッ! やめて、服ひん剥かないで! 人前なのよ、ヒナちゃーん!」

 

 怪我人の後輩を救護班に任せようとしていたイオリは、風紀委員長の乱心に目を丸くした。

 普段の冷静で気だるげな様子からは想像もつかない姿だった。

 イオリに限らず、近くにいた風紀委員達は思わず作業の手を止めて、二人のやりとりを見守っていた。

 

「……どうして、まだこんなことを続けているの?」

 

 震える声を絞り出して睨みつけるヒナを見て、ホシノは思わず黙り込んだ。

 

「ヴァッシュ・ザ・スタンピードは帰って来たんでしょう」

 

 その男の名を口にする。

 出来れば口にしたくはない、その名を。

 未だに当人とは会ったことはない。

 会いたくもない。

 どうしても好きになれない異邦の男。

 この世界の外から余計な価値観を持ち込んで、ホシノを変えてしまった元凶だ。

 それでも、この男が帰ってきたのだと聞いた時は思わず安堵した。

 友達の、二年間引き摺ってきた心の傷が癒えたのだ、と。

 これからホシノは元に戻っていく。

 もう必要以上に傷つくことはない。

 そう思っていたのに――。

 

「もう、アナタが後悔する過去はなくなったハズよ。あの男と別れるきっかけになったアナタの選択は間違っていなかった。引き金を引いた、アナタの行動は間違っていなかったのよ!」

 

 かつてホシノが体験した過去の詳細は知らない。

 それでも、ヒナは必死で言い聞かせた。

 ホシノの生き方を捻じ曲げてしまった、過去の後悔を忘れさせる為に。

 

「……それは違うよ、ヒナちゃん」

 

 ホシノは困ったように笑っていた。

 こんな表情ばかり、自分は見ている。

 ヒナは泣きたくなる気持ちをグッと堪えた。

 

「私は、後悔だけで銃を撃たないワケじゃないんだ」

「……引き金の重さについて言っていたわね。だったら、トラウマで銃を撃つことを躊躇っているんじゃないの?」

「うへ~、あの辺からもう話聞いてたの? 恥ずかしい自分語りを聞かせちゃったな~」

「大した考えもなく銃を撃つ者の愚かさに、私も思う所はあるわ。そういった軽率さが許されているこの世界が、何処かおかしいのかもしれない」

「……」

「だけど、現実として私達の手の中には常に銃がある。撃つべき時には撃たなければならない。そうしなければ、誰かが撃たれてしまうから」

「……そうだね。その通りだよ」

「だから私は、撃つべきだと判断したなら迷わず撃つわ。アナタと違って、状況も顧みずにギリギリまで考え事をしている余裕なんてないのよ」

 

 我ながら厳しい言い方だと自覚しながらも、ヒナはそれを表情には出さなかった。

 ホシノに、昔の姿に戻って欲しかった。

 自分よりもずっと素早く決断し、躊躇わなかった、強いホシノの姿に。

 今の優しい彼女が嫌いなワケではない。

 ただ、必要のない傷を重ねていく彼女を見るのが歯痒くて、辛かった。

 

「……余裕なんかじゃないよ」

 

 途方に暮れているような顔で、ホシノは答えた。

 

「そんなんじゃないんだ。ただ……ずっと考えてるのに、答えが分からないだけなんだ……」

 

 違う。

 こんな顔をさせたかったワケじゃない。

 ただ、気付いて欲しかっただけ――。

 

「そうやって答えの出ない迷いを抱えて、自ら銃弾に晒される生き方を一体いつまで続けるつもりなの?」

 

 ホシノを睨みつけて、震える声でそう言った。

 その言葉を、愛想を尽かされたのだとホシノは判断したらしい。

 

「いや~、本当バカみたいだよね~? でも、大丈夫! おじさん結構頑丈だから! 別に撃たれても死ぬワケじゃないし~?」

「何がおじさんよ! 茶化さないで、バカ!!」

「ぶへぇ!?」

 

 全力のビンタを頬に受けて、ホシノはきりもみしながら宙を舞った。

 衝撃の余り身体をねじれさせながら、顔を地面に擦り付けて落下する。

 ワカモから受けた銃撃よりも強烈な威力だった。

 

「イッターイ! ヒナちゃん、いきなり酷……!」

 

 腫れあがった頬を押さえて抗議しようとしたホシノは、ヒナの顔を見て絶句した。

 自分の愚かな行為に対する怒りと失望なのだと思っていた彼女の険しい顔つきには、いつの間にか涙が流れていた。

 

「撃たないと誰かが撃たれるって言ったでしょ! そこから自分を除外しないでよ!」

「え……あの……」

「アナタが撃たれる姿を見て、傷つく人が誰もいないとでも思っているの!? 人の気も知らないで、いつもヘラヘラと笑って済まさないで!!」

 

 呆気に取られて何も出来ないホシノを尻目に、ヒナはその場から駆け出した。

 

「嫌いよ、アナタなんか……っ!」

 

 全力疾走で走り去るヒナを追いかけることなど不可能だった。

 呼び止めることすら出来ず、中途半端に伸ばした手だけが虚しく空中を彷徨っていた。

 呆然とするホシノの周囲で、やはり同じく呆然としていたイオリ達がいち早く我に返る。

 

「い……委員長を追え! 追えー!」

 

 イオリの号令に、丁度撤収準備を終えた風紀委員達が慌ただしく動き出した。

 

「あ、あとお前はバカ! このバカ! バーカ!」

 

 怒りのあまり乏しくなってしまった語彙力でホシノを罵倒しながら、イオリが走り去っていく。

 それに他の風紀委員達も続く。

 

「私達の委員長を泣かさないでよ!」

「サイテー!」

「呆れ果てるほど鈍感ね!」

「どの口で愛が足りないなんて言ってんだよ!」

「愛が何たるかも理解せずに自己満足の偽善優先して自分の身を案じてくれる女性(ひと)の想いを踏みにじってんじゃねーぞ、クソボケ!」

「死ね!」

「いや、君ら言葉強くない!? そこまで言われることある!?」

 

 怒涛のように罵声を浴びせかけて、走り去っていく風紀委員達。

 あっという間に、涙目のホシノ一人だけがその場に残されることとなった。

 つい先ほどまで激しい戦いがあったことすら疑わしくなる静寂の中、思わず吐き出したため息の音だけが妙に響く。

 

「……ホント、痛いなぁ」

 

 ヒナに叩かれた頬がやけに熱く、痛かった。

 

 

 

 

 

 

 

「――ヴァッシュ? ヴァッシュってばぁ」

 

 ホシノの声に呼ばれて、ヴァッシュは束の間の微睡みの中から戻ってきた。

 いつの間にかリクライニングシートが倒され、身体が仰向けになっている。

 

「散髪、終わったよ」

 

 上から覗き込むホシノが、ニッコリと笑っていた。

 その穏やかな顔を、ヴァッシュはしばらくの間ぼんやりと見上げていた。

 

「髭も剃り終わったからね。身体、起こしてくれない?」

「……ああ。ありがとう」

 

 言われるままに身体を起こしたヴァッシュの前に回り込み、ホシノが鏡を掲げる。

 

「どう? いつもの髪型に整えてみたけど、おかしな所はない? お肌はヒリヒリしませんか、お客さ~ん?」

「大丈夫だよ。いい腕前だ」

 

 そう答えてヴァッシュは笑顔を浮かべようとしたが、自分の今の表情がどんなものになっているか何処か曖昧だった。

 完全に目覚めているはずなのに、意識はつい先ほどまで見ていた夢に向いていた。

 いや。

 あれは、ただの夢などではない――。

 

「……どうしたの? ヴァッシュ」

「ホシノ……」

 

 ヴァッシュの様子がおかしいことに、ホシノの方も気付いたらしい。

 訝し気に顔を覗き込んでくる。

 その頬に貼られたガーゼから眼が離せなかった。

 その下に隠された傷がどうやって付いたのか、知ってしまった。

 そして、服の下に隠された傷の数々も。

 

「さっき、夢を見たんだ」

 

 かつて、自分の記憶をホシノが夢という形で追体験した現象を思い出す。

 

「凄いビンタだったね」

 

 少し冗談めかして告げると、ホシノが驚いたように目を見開いた。

 しかし、すぐに何のことか思い至ったらしい。

 服のポケットに思わず手をやる。

 そこにはヴァッシュがどんな時も手放さない学生証と同じように、いつも肌身離さず持ち歩いている白い羽根がある。

 誤魔化そうとしても無駄だろう。

 ホシノは諦めたように笑った。

 

「まあね。ビンタも驚きだったけど、ヒナちゃんを泣かせちゃったのが一番のショックだったよ。うへ~、次に顔合わせ辛いな~」

「まだ痛むかい?」

「そうだねぇ、結構引き摺りそうだねぇ~」

 

 ガーゼ越しに頬をさすりながら、何でもないことのように答える。

 

「昨日は、色々なことがあったみたいだね」

 

 ヴァッシュはどんな風に話を持っていくべきか、言葉を探しながら続けた。

 

「昨日だけじゃなくて、もっと前から……色々、あったんだね……」

 

 ホシノに何をどう伝えるべきか、自分自身でもよく分からないまま。

 

「……僕は、あのヒナって子と同じ気持ちだ」

 

 やがて、酷く苦し気にそれだけ告げた。

 

「今の私を見て、ヴァッシュが悲しむことはなんとなく分かってたよ」

 

 それに対して、ホシノは苦笑しながら答えた。

 

「突然勝手にいなくなってしまった僕が、君の生き抜いた二年間に口出しなんて出来るわけないけど……それでも僕は、君にこれ以上傷ついて欲しくないんだ」

「そうだね。私もヴァッシュに同じことを思ってるよ」

「……」

「ままならないよね~」

「やっぱり、僕の言い分って自分勝手かな? 自分のこと棚に上げすぎかな?」

「でも、それは全部私にも返ってくることだよ。私も色々言いたいことがあるんだけど……でも、この話を私達だけで進めるのは凄く難しいね」

 

 ここにユメ先輩がいればな~、と。ホシノは困ったように笑っていた。

 だけど、それでも。

 ヴァッシュはこのまま現状を誤魔化して、話を切り上げる気にはなれなかった。

 ホシノが自分と同じように傷ついていく姿を見たくない気持ちは、当然ある。

 そして、同じくらいの罪悪感と後悔があった。

 ホシノが変わってしまったのは、自分のせいだ。

 自分との別れが彼女の心に傷を残し、自分の考え方が彼女の人生に影響を与えてしまった。

 この世界には、この世界に適した生き方がある。

 だから、昔のホシノに戻って欲しかった。

 少なくとも、それで彼女が必要のない傷を負うことはなくなる――。

 

「私はさ、結構好きなんだよ。今の自分が」

 

 悩み続けるヴァッシュをじっと見つめていたホシノが、フッと小さく微笑んだ。

 

「確かに、しんどいことも多かったけどさ。色々悩みながら、ヴァッシュやユメ先輩を手本にして走ってきたこの二年間が、結構まんざらでもないって思えてるんだ」

「ホシノ……」

「ヴァッシュやヒナちゃんには悪いけどさ、私が選んだ道を今更引き返す気にはなれないよ」

 

 そう言って、これまでの記憶を振り返るように一度目を瞑って、次に目を開けた時、その瞳には迷いなど浮かんではいなかった。

 

「私の手の中にある白紙の切符は、まだ最初の行き先を書き込んだばかりなんだ」

 

 そう言ってのけるホシノの姿を見て、ヴァッシュは驚きを隠せなかった。

 再会したホシノは、昔とは変わっていた。

 その変化にばかり気を取られていた。

 だが、そうではない。

 変化したのではなく、成長したのだ。

 自分の知らない二年間で、かつて子供だった彼女は驚くほど成長した。

 まだ物事を割り切れるような大人にはなれていない。

 だが、もはや子供でもない。

 彼女は既に、自分の選んだ道を自分の意思で進んでいる。

 そう、理解した。

 

「……そうか」

 

 ヴァッシュは納得したように一つ頷き、椅子から立ち上がった。

 その顔からは苦悩が消え、穏やかな微笑みが浮かんでいた。

 

「だったら、僕も今度こそ約束を果たさないとね」

「約束~? 何かあったっけ?」

「あっ、わざと呆けてるでしょ? ホシノが卒業するのを見送るって約束だよ!」

「あはは、冗談冗談。もちろん、覚えてるって」

「それにさ、考えてみれば僕だってアビドスの三年生って立場じゃない? つまり、ホシノが卒業する時には僕も一緒にこの学校を卒業することになるんだよ。僕もシロコ達に見送られる側になるってワケ」

「うへ~、そうなると前途多難だね。ヴァッシュは二年間丸ごと学校をサボってたことになるワケだし、アビドスから指名手配犯の卒業生が出るっていうのも結構ヤバイんじゃない?」

「いきなり残酷な現実突き付けないでよ!」

「特に連邦生徒会からの指名手配がネックだよね~。今のヴァッシュって、アビドスの学生っていうよりアビドスを隠れ蓑にしてる凶悪犯ってのが世間の認識だもの。例の銀行強盗が目立ち過ぎたね」

「……ッ!」

「何とも言い訳出来ないっていう顔してるね。大体ヴァッシュは勢いで物事決めすぎなんだよ~、ひゃくなん年も生きてるクセに。そういう所は真似しないようにするよ~」

「……ッッ!!」

「ごめんて。おじさん、ちょっと言い過ぎた」

 

 そんなやりとりを繰り広げていると、にわかに校門のある方向が騒がしくなってきた。

 いつの間にか早朝は過ぎ、生徒達が登校する時間になっている。

 シロコやノノミ、アヤネにセリカ、そして元気溢れる初等部の子供達が、次々と学校にやって来る。

 ここにユメもいれば言うことはないのだが、彼女はシャーレに所属する先生として特定の学校に留まることは出来なかった。

 きっと、今頃はシャーレ本部にて今日の仕事を始めているだろう。

 朝一から苦手な事務仕事にテンションを落としているかもしれない。

 学生とは違う、世知辛い社会人としての一日の始まりだ。

 だが、それもまた二年の月日で大人になったユメの新しい生活である。

 

「私達も、皆の所へ行こうか」

「ああ、そうだね」

 

 ホシノとヴァッシュは、二人で肩を並べて歩き出した。

 

 ――朝日に祝福されて

 

 ――昼に吹く風に優しく撫でられる

 

 ――雨に降られて凍えたら

 

 ――明日を想って夜に眠ろう

 

「うへ~、皆おはよ~。今日もいい一日になりそうだね~」

「やあやあ、おはようチルドレン! 今日も元気に朝の挨拶! 愛と平和を願って、さあ一緒に唱えよう!」

 

 

 

 ――そして、今日も新しい一日が始まる。

 

 

 

 

 

 

「「「ラーーーーブ・アーンド・ピィーーーース!!」」」

 

 

 

 

 

 




【現在のウヘウヘツヨツヨラブ&ピースおじさんの犠牲者】

・狐坂ワカモ
原作のように一目惚れを経験して愛を知ることが出来なかった悲しき狐。代わりにその未成熟な情緒を愛というカゲロウを追い続ける平和の狩人おじさんに引っ掻き回されて色々拗らせる。彼女が再び脱獄した後どんな行動を取るのかは本人すらも分からない。

・空崎ヒナ
本編エピローグで「ヒナちゃんっておじさんへの感情拗らせてるよね」なんて感想が来たのでこんなことになった。アナタ達のせいだよー! ヴァッシュとどんな絡み方をするのかご意見ご要望お待ちしております(ゲマトリアスマイル)

・未だ見ぬ犠牲者たち
今回の話で、改めて『ヴァッシュの影響を受けたホシノ』という本作独自の人物像を固めることが出来たので、今後の話でヴァッシュと一緒にブルアカキャラと絡む展開も予定。
原作における『先生に向けられる好意』は、ヴァッシュ、ホシノ、ユメで三分割するつもりなので、誰と絡ませるのが面白いか思案中。
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