ウルフウッド、君はいつか僕に言っていたね。
厳しい現実が訪れることを忠告していた。
避けられない選択を迫られることを警告していた。
僕は、それに対して覚悟していたつもりだった。
『いつかオドレにも、選ぶ日は必ずやってくる――』
……無理だよ、そんな。
君が命をかけて護った人が。
それが無駄になるなんて、耐えられるわけないじゃないか。
『弱虫はお前の方だ、ウルフウッド。なんでもかんでも、あっさり見限ってる』
君も、こんな気持ちだったのか?
何も知らなかったのか――僕は。
『いーのかよッ、お前!? もう時間ないぞ! 船は行っちまう!』
僕はあの時、君の迷いを何も理解出来ていなかったのか。
『……な? トンガリ、こいつがワイの正体や』
孤児院を――自分の帰る場所を守る為に、君はその手を血に染めた。
そうしなければ、かけがえのない場所を守れなかったのは分かる。
そして、だからこそ自分がその場所に帰れないと悟っていたことも――。
『おこがましいの……分かるやろ?』
今なら、痛いほど分かる。
『それでも行くべきだーッ! 棚上げしろ、そんな考え!!』
『なんやと、オンドレ!? 自分に出来もせんことをぬけぬけと……ッ!!』
そうだね。
まったく、呆れるほどにその通りだ。
僕は自分にも出来ないことを、まるで子供みたいに喚き散らしていた。
無責任に言ったつもりはないけれど、それでもそうした方がいいいと……今はそうしなければならないと思った、正直な気持ちだった。
だけど、自分が同じ立場になると……。
君は僕の言葉に怒っていたけど、当然の反応だったね。
僕だって、きっと同じように苛立って言い返したさ。
勝手な言い分だ。
それが出来れば苦労はしないって話だ。
自分の両手を見る度に、君は嫌というほど理解したんだろう。
――その手が既に血に塗れていることを。
『――ヴァッシュ!』
声が聞こえる。
僕の帰りをずっと待ってくれていた人の声が。
『おかえりなさい、ヴァッシュ!』
ホシノが見える。
そして、ユメの姿も。
『やっと帰ってきたんだね、ヴァッシュ!』
『おそいぞー、何やってたんだよー』
『おかえり、ヴァッシュ!』
『おかえりなさい!』
アビドスで待つ多くの子供達。
砂漠の惑星で、ずっとこの胸から消え去ることのなかった憧憬。
ずっと旅をしてきた僕が、帰りたかった一つの場所。
ホシノが笑っている。
ユメが笑っている。
見知った子供達が、僕のいない間に加わった新しい子供達が、皆笑っている。
笑って、僕を迎えに来てくれる。
こんな光景が、ずっと続けばいい。
一年後も、二年後も、ずっと。
その光景の中に、僕も――。
「……ダメか」
ホシノ達の前で笑顔を繕いながら、僕は悟る。
「もう、ダメみたいだね」
すまない。
折角、待っていてくれたのに。
折角、帰ってこれたのに。
「僕にはもう、皆の傍に寄り添う資格はないみたいだ」
――僕の手も、もう既に血に染まっている。
ウルフウッド。
きっと、君もこの悪夢を何度も見たことだろう。
大切な人達の傍に、汚れた自分がいてはいけないと何度も思ったことだろう。
君は結局、自分から孤児院の子達に自ら名乗り出ることはなかった。
だけど、それでも……。
最期は救われたはずだ。
足の竦む君に代わって、孤児院の子達の方から歩み寄ってくれた。
僕もなんだ。
僕も同じだった。
彼女達の方から、僕を迎えに来てくれた
おかえり、と言ってくれた。
ずっと、あの場所に帰ることだけを目的にして歩いてきた。
……でも。
皆が笑って迎えてくれるから、一時だけでも忘れようとしたんだ。
この暖かい人々に囲まれていると、本当に忘れそうになるんだ。
だけど、ふとした時に浮かび上がる。
この場所に辿り着いた今だからこそ、心の奥底に封じていた思いが蘇る。
僕は選んだ。
力の暴走だとか無意識だとかの言い訳など無く、自分の意思で引き金を引いた。
選んで、人を殺した。
君の残した生命を守ることを選んだ。
それ以外の選択肢はあり得なかった。
だけど、消えないんだ。
後悔が消えない。
あの時引き金を引かなければ何かが違ったかもしれない、なんて醜い後悔が消えない。
もう取り返しはつかない。
僕は、もうただの人間ではなくなってしまった。
いや、この右腕で多くの人々を消してしまったあの日からずっと、僕は――。
「僕は人殺しだ」
◆
カヨコとヴァッシュの間には、重い沈黙が続いていた。
ヴァッシュの罪の告白を聞いて以来、カヨコからは一言もない。
建物の周囲に人気はなく、室内にお互いの息遣いが僅かに聞こえるだけだった。
そうして、どれだけの時間が経っただろう。
実際には数分程度の短い時間だ。
だが、このまま放っておけば何時間でも言葉を交わすきっかけは起こらないと思える静寂だった。
何かを話さなければいけない。
そして、行動を起こさなければいけない。
捕まったアル達の身の潔白を証明する為の行動が、まだ何も決まっていないのだ。
ヴァッシュは重い溜息を吐いて、気持ちを切り替えようとした。
カヨコの切実な問い掛けを、自分の都合で拒絶したのだ。
その責任を取らなければならないと考えていた。
「カヨコ、これからの行動だけど――」
「アナタの友達や仲間は大変だね」
ヴァッシュの言葉を遮って、カヨコが突然口を開いていた。
思わず顔を上げる。
見れば、カヨコの顔には苦笑が浮かんでいた。
ヴァッシュに向ける、初めての笑顔だった。
「……え?」
「この場合、ハルカ達やアビドスの人達のことだけど……他にもいるんでしょ? アナタを想いやってくれる人達」
カヨコの指摘を受けて、ヴァッシュの脳裏には様々な人達の顔が浮かんでいた。
百年以上の旅を続けた砂漠の惑星ではもちろん、その世界を越えてやってきたこのキヴォトスでも、多くの人々の優しさと思いやりに触れてきた。
一時の出会いと別れで終わった者もいれば、友人や仲間と呼べる者もいる。
無意識の内に回想するヴァッシュの表情を見て、カヨコもまた自分の知らないそういった人々の顔を想像しようとした。
「その人達は、きっと心労を募らせたと思うよ。何せ、アナタは普通の人なら無視出来ることを無視出来ない。おまけにそれを勝手に背負い込んで、誰にも明かそうとしないんだから」
カヨコの指摘は具体性のない曖昧な表現だったが、あえてそうしているのだと分かった。
ヴァッシュの背負っているものがどんなものなのか、具体的に話そうとしないのはヴァッシュ自身なのだ。
――私は知らないけど、自覚はあるんでしょう?
そう皮肉を込めて言われているようだった。
ヴァッシュは気まずげに頬を掻いた。
「そうだね、心当たりがあるよ」
「アナタの身を想って心配しているのに素気無く拒絶されて、涙を流した人もいただろうね。男の友達だったら、苛立ち紛れに殴られてるかも?」
「……そっスね。身に覚えありマス」
記憶でも読まれているのではないかと疑うほど的確に刺してくるカヨコに対して、ヴァッシュは冷や汗を流しながら身体を縮こまらせるしかない。
普段は気丈なメリルを泣かせてしまった過去。
何度も拳骨を落とされたウルフウッドの記憶。
以前の世界で自分のやらかした友人達への仕打ちが、後悔と共に脳裏に蘇る。
「私が子供だとか言っていたけど、アナタが自分一人で問題を抱え込むのは誰が相手でも変わらない、筋金入りの生き方なんだね」
カヨコが呆れたように呟く。
「アナタは自分からは語らない。だから、周りの人間はアナタの心中を察して気を揉むか、アナタの心中を酌んで踏み込まないように堪えるしかない。辛いよ、そういうの」
淡々とした語り口は、却ってヴァッシュの気まずさを加速させていた。
心当たりは以前の世界だけには留まらない。
キヴォトスに帰還してからも同じだ。
ただ純粋に再会を喜び、涙を流してくれたユメ。
自分が様々な出来事を越えて帰ってきたことを察しながら、あえて何も聞こうとしないホシノ。
彼女達には頭の下がる思いだった。
このキヴォトスでも同じことを繰り返してしまう自分の愚かさと不器用さが嫌になってくる。
だけど、今更変えられない。
もう百年以上続けてきた。
こういう生き方しか知らなかった。
「……だから、ここからは私が勝手に話す。しばらく黙って聞いて」
カヨコに言われるまでもなく、突然の意外な切り返しに驚いてヴァッシュは何も言えなかった。
カヨコの視線が真っすぐに見据えてくる。
しかし、そこには以前のような冷たさはない。
「例えばの話、自分の命の代わりに便利屋の誰かを撃て、なんて言われたら……私は撃たない。撃つなら自分の頭だよ」
カヨコはそれが当たり前のことのように語った。
「だけど、もしも便利屋の誰かの代わりに他人を撃てと言われたら――」
ヴァッシュは僅かに目を見開いて、その例え話に聞き入った。
「私は、きっと撃つと思う」
「……」
「アナタが人を撃って殺したということは、そういうことなんだと思ってる」
ヴァッシュには、カヨコが自分を見る瞳に映る感情が一体どういう類のものなのか分からなかった。
優しさや思いやり、とは少し違う気がした。
この話も含めて、許しや慈悲の意図を込めているような気もするが、しっくりこない。
あえて言うならば『理解』だった。
ヴァッシュが人の命を奪った時の状況や理由は何一つ知らないが、これまでの行動や人柄からして推測や理解は出来る。
きっと自分もそうする――ヴァッシュの取った行動に、そう言って静かに寄り添おうとしているようだった。
「それは……違うんだ。あの時、僕は……っ」
「話さないんじゃなかったの?」
「え?」
「自分のこと。話さないって言ったのはアナタでしょ? 否定したいことだけ都合よく話すの?」
「う゛……っ」
「こっちは勝手に推測してるだけだよ。訂正したいなら最初から全部話して」
「……ゴメン」
「何で謝るのか意味が分からない」
「か、勘弁してください……!」
淡々と静かな口調で詰められ、ヴァッシュはついにギブアップした。
「自罰的で隠し事が多いのは、もういいよ。そういう性分なんでしょ」
その様子に、カヨコは満足したように微笑した。
「でも、嘘はヘタクソ」
からかうように、そう告げる。
ヴァッシュはもう何も言えなかった。
完全に手玉に取られていた。
「アナタは私が子供だから、残酷な世界を知る必要はないと言っていた。だけど、それはアナタが一人で抱えて苦しんでいい理由にはならないと思う」
カヨコの言葉は何処までも真摯だった。
「話したくないなら……まあいいよ、私は。でも、離れようとするのは無駄だよ。それを黙って見送るほど物分かりのいい人は、今のアナタの周りにはいないから」
「……便利屋のこと?」
「他にも心当たりはあるんじゃない?」
「……あるねぇ」
「アナタはこれからそんな人達にずっと付き纏われるんだよ。社長はアナタに憧れてアウトローを目指すし、ハルカはアナタの為に命を懸けたがるし、ムツキはアナタと遊びたがる。便利屋68からは離れられない」
「……いいね」
ヴァッシュの口元は笑っていた。
やせ我慢して形を歪めた、不自然な笑顔ではない。
自分でも気づいていない内に浮かんでいた、自然な笑みだった。
「最高の人生だ」
椅子に降ろしていた腰を、ゆっくりと持ち上げる。
示し合わせたようにカヨコも立ち上がっていた。
お互いに、もう話すことはない。
心に区切りをつけ、ここからは行動の時間だ。
言葉を交わす必要も無く、二人は歩き出していた。
ふと、ヴァッシュは気付いた。
重苦しかった胸の内が、いつ間にか幾分軽くなっていることに。
「……そういえば」
何かを思いついたように、カヨコが呟いた。
「男の友達だったら殴ってるかもしれない、って言ったでしょ」
何故再びその話題を持ち出すのか分からず、ヴァッシュは不思議そうに隣のカヨコを見た。
「でも、もし女だったら――」
カヨコは悪戯っぽく笑っていた。
「抱き締めてあげたくなるかもしれないね」
からかうようにそう言って細めた瞳には、言い知れぬ艶があった。
ヴァッシュは無言で顔を両手で覆った。
「どうしたの?」
「……さっきの発言、訂正していい?」
「何の話?」
「君は子供じゃないよ。学生が出していい色気じゃないもん」
「何言ってるの?」
年甲斐もなく赤面したヴァッシュは、それを隠し続けることしか出来なかった。
◆
その頃、アル達は空を飛んでいた。
比喩ではないし、夢の中の話でもない。
大型ヘリに乗ってキヴォトス上空を移動中だったのである。
「アナタ、ヘリなんか持ってたのね」
乗員席に向かい合って座るヒフミに対して、アルは内心戦慄していた。
「しかも、『ティーパーティー』御用達の専用機なんて……」
ティーパーティーとは、トリニティ総合学園を実質支配する
その権威の一部を自由に利用出来る目の前の少女は、どう見ても一般的な学生にしか見えない。
「あはは、別に私の物っていうワケじゃないんですけどね」
当の本人は苦笑いを浮かべながら、不相応な誤解を解こうとした。
「ティーパーティーには懇意にしていただいている方がいまして、その方に今回の件を相談したら貸してもらえたんです」
ヒフミは謙遜したつもりだったが、学園の最高権力者と親しいという事実は全く謙虚な話ではなかった。
一生徒に専用ヘリをポンッと貸し与えるのは、そのティーパーティーの友人の価値観がおかしいのか、ヒフミ自身の存在価値がおかしいのか、アルには分からなかった。
しかし、分からないなりに『平凡そうな一般学生が権力者に顔が利く』という二面性はアルの好感度を大きく稼いでいた。
理由は言うまでもなく、アウトローっぽいからだ。
「フフフ、どうやらアナタは只者ではないようね」
「え!? い、いやぁ、私は只者というかただの一学生ですけど……」
「くふふっ。普通の学生はいくら友達が助けを呼んだからって、ヘリに乗り込んで急行はしないと思うけどな?」
同席するムツキが楽し気に指摘する。
「ヘリに関しては私も予想外だったと言いますか……先ほどのティーパーティーの方にお願いしたら、あれよあれよという間に用意されていたんですよ」
「お願いって、一体どんなお願いの仕方をしたらヘリなんて用意してもらえるのよ?」
「あはは……とにかく急いで駆け付けないと、って焦っていて。今思い返してみると、あの時の私まともに説明出来ていませんでしたね。口も上手く回る方じゃありませんし、とにかく必死に頭を下げてお願いして、土下座までしちゃったのがマズかったですかね? それで必要以上に深刻な事態だと誤解させてしまったのかも?」
「ど、土下座したの!?」
「えー、私達の為にそんなことまでしてくれたのー?」
アル達に説明しながら自分のやったことを思い返して、ヒフミは冷や汗を流した。
記憶を辿れば、頼みに行った相手――ティーパーティーのホストの一人である桐藤ナギサ――を終始驚かせてしまっていた。
突然、事前の連絡もなく彼女の元を訪問し、拝み倒して強引に協力を取り付けたのだ。
優雅なトリニティ生徒にあるまじき醜態であり、立場の違いを顧みない無礼な行為でもある。
今回の件が片付いた後のことを考えると気が重かったが、それを表には出さなかった。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! わ、わ、私が軽率に助けなんて呼んでしまったせいで、ヒフミさんにそんなことまでさせて……ッ!」
ヒフミの話を聞いて、ハルカは顔を青褪めさせていた。
「わ、私、死にます! 死にま――!」
いつもの自罰的な発作が起こり、銃口を自分の頭に向けようとする。
しかし、それをアルやムツキが止めるより早く、ヒフミが手を伸ばしていた。
「いいんです」
ハルカの奇行に動揺一つ見せず、銃身を優しく押さえていた。
「ハルカちゃんの為なら、このくらい何でもありません」
そう言って、ヒフミは微笑んだ。
錯乱していたハルカが正気に戻るほど慈しみに溢れた笑顔だった。
「そ、それは凄く嬉しいです、けど……どうして、私なんかの為にここまでしてくれるんですか?」
それが本心から浮かべる笑みであると分かるからこそ、ハルカには不思議でならなかった。
自信は無いが、ヒフミとは友達だという自覚はある。
だが、ここまでしてもらえるような仲だとは思っていなかった。
助けを呼んだのは咄嗟の行動だったし、普段から『相談があれば乗ります』と言われ続けていたからだ。
ヒフミが自分のような社会不適合者とは違う、善良な一般生徒であるということを十分に理解している。
親しい友達は、他にいくらでもいるだろう。
陽の光の下で誰にも憚られることのない正当な友人。
多くの真っ当な友好関係の中で、自分はきっと異物だ。
日陰で生きる自分なんかの為に、どうしてここまで――。
「ハルカちゃんが助けてくれた時、私はもっと嬉しかったですよ」
ハルカは一瞬何のことか思い至らなかった。
「わ、私がヒフミさんのお役に立てたことはありましたか……?」
「私を襲おうとしたゲヘナの生徒から守ってくれたじゃないですか」
「……え?」
「初めて会った時のことですよ」
「……ええっ!?」
予想外の話を持ち出されてハルカは驚愕した。
「あっ、あっ、あっ……!?」
「ごめんなさい。その後のモモトークとかでも話題に出さなかったから、私に隠そうとしているのは分かっていたんです。でも、このことはいつかお礼を言いたくて……」
「なっ、なっ、何でっ、知って……!?」
「ハルカちゃん、結構派手に戦ってましたからね。凄い音と騒ぎだったから引き返して、三人相手に一方的にボコボコにしてるの見ちゃいました」
「……」
「最初は喧嘩かと思って心配したんですけど、やりとりを聞いている内に何となく状況を察しちゃいまして」
「……」
「ハルカちゃんから話さないなら、こちらからも触れない方がいいかなって思ったんです」
話を聞き終えたハルカはすっかり放心状態になっていた。
呆然とする表情の内側では恥ずかしさで身悶えている。
そんな内心を知ってか知らずか、ヒフミは未だに銃を押さえていた手を滑らせて、ハルカの手のひらに重ねた。
「改めて、守ってくれてありがとう」
「あぅ……いえ、その、そんな……友達として当たり前で……」
「うん。だから、私もそんな友達の為に無茶をするくらい何でもありませんよ」
そう言って笑うヒフミの純朴な笑顔に、ハルカは胸の詰まる思いだった。
普段の引っ込み思案な気質のせいではなく、湧き上がる感情のせいで上手く言葉が出てこない。
一方的に握られていたヒフミの手におずおずと指を絡めて、自分からも握り返す。
二人はそうして、しばらくの間見つめ合っていた。
やがて、傍らから鼻をすする音が聞こえた。
トリニティとゲヘナの壁を越えた二人の友情に咽び泣く女、陸八魔。
「そんなことがあったなんて……本当に成長したわね、ハルカ!」
「アルちゃん、台無しー」
呆れたように言いながら、ムツキの方も嬉し気に笑っていた。
「――阿慈谷ヒフミさん」
和やかに談笑する四人の輪の外から、不意に声が掛かる。
ヘリの操縦席からだった。
当然だが、ヘリの操縦を行っているのはヒフミではない。
ティーパーティーの専用機として、パイロットも専任の者が派遣されている。
ゲヘナの生徒であるアル達はもちろん、ヒフミとも知己ではない、ティーパーティーに所属する由緒正しいトリニティ生徒だった。
「もうじき、御所望された目的地に着きますわよ」
淡々とした事務的な口調で告げる。
言葉遣いはお嬢様然としていて上品だが、何処か感情を殺しているような冷たい印象を受ける声色だった。
それも当然のことだ。
ヒフミはともかく、言葉を向ける相手にはゲヘナの生徒がいるのだから。
粗暴で破天荒なゲヘナを毛嫌いする、典型的なトリニティ生徒だった。
彼女がプロフェショナルだからこそ、その感情を表には出さず、また言外に拒絶の気配を纏っていた。
「本当によかったんですか? 陸八魔さん」
「アルでいいわよ」
「では、アルさん。……本気であの会社に乗り込むんですか?」
ヘリが向かっている先は、アル達を陥れた雇い主――裏で不正取引を行いながら、その罪をアル達に被せた上でヴァッシュ達に懸賞金まで掛けた悪徳社長がいる本社だった。
ヒフミの不安そうな問い掛けに、銃器を構えたアルが不敵な笑みを返す。
「当然よ。今回の事件の黒幕に、こっちから逆襲を仕掛けてやるわ」
「このまま何もしなくても、アルさん達の冤罪は晴れますし、相手はヴァルキューレに摘発されると思います」
ヒフミが留置所に辿り着いた時点で、アル達の冤罪は晴らされたも同然だった。
元々確かな証拠が手元に届いている上に、容疑者の身元と潔白を証明する第三者が現れたのだ。
しかも、それがティーパーティー御用達の専用機に乗って現れたトリニティの生徒なのである。
社会的信用度は絶大な相手であり、例え敵がヴァルキューレにもみ消しなどの工作を行おうともヒフミの証言を抑えることは出来ない。
おざなりだった証拠の精査は急ピッチで、徹底的に行われることになった。
しかし、それが完了する前に、保釈されたアル達は行動を開始したのである。
「それに関しては感謝しているわ、ヒフミ。……保釈金は近い内にちゃんと全部返すから。少しだけ待って頂戴。ねっ!?」
「あ、はい。それは別に急がなくても大丈夫ですよ。それよりも襲撃のお話です」
「もちろん、アナタに襲撃まで協力してくれなんて言わないわ。この件は、私達の手でケリをつける」
「ハルカちゃんも、ヒフミちゃんを争い事に巻き込むのは反対だもんねー?」
「は、はい! ヒフミさんは普通の善良な生徒なんです、荒事なんかに関わってはいけません! 私が、全部ぶっ潰します!」
「あはは……」
ハルカの『普通の善良な生徒』のくだりで、密かにヒフミは冷や汗を流していた。
ヒフミの持つ隠された裏の顔――真の意味での二面性を、この場の誰も知らないのだ。
「理不尽な扱いを受けたことへの報復、というのなら気は進みません。罰は正当に与えるべきです。皆さんが危ない真似をする必要はないと思います」
真っ当な正義感から発せられる言葉を、アルは微笑んで受け入れた。
「アナタの言うことは正しいわ。だけど、あの悪徳社長は今もヴァッシュとカヨコを金と悪意で周囲を騙して追い詰めてる。私達は一蓮托生なのよ。私達だけ安全な場所でただ待っているだけなんて出来ないわ」
アルの言葉に、ハルカとムツキも同意している様子だった。
「そこに加えて、報復の意図も否定出来ないわね。便利屋68の面子を潰された借りは倍にして返す! 私達自身の手で一泡吹かせないと、今晩は眠れないわ!」
そうハッキリと宣言するアルの言葉には、暗い復讐心よりも清々しさがあった。
ゲヘナらしい粗暴さではある。
しかし、人として共感出来る怒りを真っすぐに表現していた。
「まさにゲヘナらしい短絡さと野蛮さですわね」
操縦席で前を向いたまま、背後の会話を聞いていたパイロットが口を挟んだ。
トリニティの生徒らしい皮肉交じりの口調だが、その声色は何処か愉快そうにも聞こえる。
「……ですが『仲間を守る』『舐められたからぶっ殺す』というのはトリニティでも共有出来る価値観です。そこは同意してあげますわ、ゲヘナの生徒さん」
肩越しに僅かに振り向き、そう付け加えた。
アル達の位置から、その表情は見えない。
しかし、口元は少し笑っているように見えた。
今、この場にいるのは、本来は隔絶した溝を持つ二つの学園に所属する者達である。
お互いに嫌い合い、偏見を持ち、それが長年続いてきた。
長い年月の間で何故嫌い合うのか理由も曖昧になり、お互いを知らぬまま理解の及ばない相手なのだと決めつけてきた。
そんな相手が、今は隣で息をして存在していると感じることが出来る。
仲間意識というには弱く、心を通わせたというには大袈裟すぎる、不思議な感覚だった。
「さあ、目的地はもうすぐですわよ」
パイロットが気を取り直すように告げる。
「――もう既に、何かおっ始まっているようですわね?」
眼下に映る標的の本社では、既に何らかの騒動が起こっていることが伺える爆音と銃声が響いていた。
◆
『何をやっている! たった二人の侵入者を、まだ捕まえられんのか!?』
『だ、ダメです社長! アイツら半端じゃありません!』
『社内をそこら中移動しまくって、追いかけるのもやっとですよ!』
『こっちは何人いると思ってるんだ! アホみたいな鬼ごっこなんぞするな! 監視カメラを利用して、先回りして取り囲め!』
『それが、まるでこっちの監視が分かってるみたいなタイミングで煙幕を使って姿を眩ますんです!』
『むしろ、味方の誤射で被害が広まってます! あっ、またやった!? ち、違う! オレは撃ってねえ!』
『うわーっ、オレのパソコンが破壊されたぁ! データが! 納期がぁあああ!』
『あのトンガリ頭、生身だろ!? 何で弾が当たらねぇんだ!?』
『こんだけ撃って掠りもしねぇ!』
『一発も撃ち返してこないのに、何で逃げ切れるんだ!?』
『に、人間技じゃねぇ!』
今回の出来事の元凶がいる本社社屋は、混乱の真っ只中にあった。
たった二人の侵入者に、数十人はいる社員が完全に翻弄されている。
銃声が絶え間なく鳴り響き、時折そこに爆発音が混じるが、戦闘が終結する気配はない。
混乱した無線越しからは随時状況が悪化し続けていることだけが伝わり、それを聞く社長は焦りを募らせていった。
「――こ、こちら四階! 出ました、黒髪のトンガリ頭と綺麗な女の子です!」
無線機からようやく明確な情報が入り、社長は眼を輝かせた。
『よし、足止めしておけ! すぐに他の社員を向かわせる!』
「駄目です! あの野郎、物凄いイキオイで隠れちまいました! 社長、早く来てください! ぐわぁあああああああっ!!」
『ちぃ! 全員、急行しろォ!』
「……オチョーシもの」
「ほげぇえええ! もうダメだぁぁぁ……っ!!」
最後に迫真の断末魔を残して、ヴァッシュは無線機の通話スイッチを切った。
しかし、受信は出来る状態にしておく。
敵の動きを把握する為だ。
相手は数が多く、全員が銃を持っているが、本来が会社で働くビジネスマンな為か戦闘の動きは素人も同然だった。
不用意に連絡を取り合って、却ってヴァッシュ達に行動を盗み取られる状況に陥っている。
敵の本社を真正面から襲撃したヴァッシュとカヨコは、多勢に無勢の状態でありながら完全に相手を手玉に取っていた。
「これで相手は四階に集まるはず。三階のセキュリティ室へ急ごう」
「さっきの悲鳴の演技、ちょっと嘘臭すぎじゃない?」
「あれくらいオーバーな方が相手も焦るんだよ」
口では呆れながらも、カヨコは内心でヴァッシュの行動に感嘆していた。
本社への襲撃からここに至るまで、全てヴァッシュ主導によるものなのだ。
当初は十分な準備もしない襲撃に若干の不安を感じていた。
短期間の急襲は相手の油断を突くことが出来るかもしれないが、それ以上のメリットはない。
お互いに持っている武器は拳銃とその予備弾薬、あとはヴァッシュがムツキから分けてもらっていた爆弾が数個のみ。
数十人はいるであろう敵の本拠地に乗り込むには余りに心もとない。
しかし、ヴァッシュは自信あり気に笑っていた。
「僕、こういう大人数相手に攪乱する戦い方は得意なんだよ」
その言葉に偽りは一切なかった。
自分達の勤める会社という相手が過剰な火力を使えない場所であることを逆手に取り、爆弾で効果的に施設を壊して動揺を誘い、音で動きを誘導し、煙幕で文字通り追手を煙に巻く。
数撃てば当たると思わせるような銃撃の雨を、まるで軒先でちょっと雨宿りでもするように簡単にかわしていく。
それはヴァッシュ自身が特別優れた身体能力を持って避けているわけではなく、同伴するカヨコさえ一発も弾を喰らうことはなかった。
逃げる際の位置取りが上手すぎるのだ。
曲がり角や扉で射線と視線を的確に遮る、向けられる銃の動きを全てを知り尽くしているかのような動きだった。
おそらく、これは経験によるものなのだろう。
彼はあまりに銃に撃たれ慣れ過ぎている――その事実を察して、カヨコは内心でヴァッシュへの実力評価を更に高めた。
分かっていたことだが、彼はやはり只者ではないのだ。
「セキュリティ室までの監視カメラは壊してある。気付かれることはないはずだ」
「そこまで計算済みってワケね」
セキュリティ室の位置は、初期の段階で適当な社員を脅して把握していた。
その後、三階で逃げ回ったのはドサクサに紛れて監視の眼を潰す為だったのだ。
一見オーバーリアクションで無茶苦茶に逃げ回っているように見せながら、その実全ては事前に予定されていた行動だった。
本人は決して計算高さそうには見えないのに、一体何処までがアドリブで何処までが計画通りなのか全く分からない。
頼もしいことだけは間違いない。
しかし、ヴァッシュの後を追いながら、カヨコは一抹の不安を抱いていた。
ここまでの戦闘で、ヴァッシュは一度も敵に向けて銃を撃っていない。
彼自身の性格はもう知っているし、ただ単に撃つ必要がないほど相手が雑魚だったという理由もあるだろう。
――だけど、本当は撃つことを躊躇っているのではないか?
彼自身が人を撃つことにトラウマを持っている事実は認めていた。
そのトラウマの具体的な原因は、やはり推測するしかない。
しかし、自分には明かさなかった『残酷な世界』の一端は、彼の強さを通して知ることが出来る。
無数の銃弾に晒され、挫折と流血の痛みに溢れた世界だったことだろう。
そして、逃走中に経験してしまった無関係な女の子への誤射――。
果たして、現在の彼は銃を撃てるのか?
――これらの経験を経て尚、彼は人に向けて引き金を引けるのか?
そんな不安と心配を密かに抱くカヨコを尻目に、ヴァッシュはセキュリティ室と思われる部屋の扉へと辿り着いていた。
内部には監視カメラを見張るセキュリティ担当の社員が一人いたが、何の問題もなく無力化した。
むしろ、ここの人員が配置されていることを期待していた。
セキュリティを管理する機器のロックも、脅せば簡単に解除出来るからだ。
「うへぇ、見たことない機械ばっかり。ここはカヨコに任せるしかないね」
「もちろん、私がやるよ。でも、アナタって機械に疎いの?」
「説明が難しいな。僕が前にいた場所では技術の発展がキヴォトスとかなり違うんだ。スマホとかも二年前に初めて触ったよ」
「どんな所に住んでたの?」
「ずっと旅をしていたから定住は……って、さりげなく僕の昔の話を聞き出そうとしてない?」
「ばれたか」
そんな雑談を交えながらも、カヨコは淀みなく作業を続けていく。
出入りの記録、通信の記録、監視カメラのログ――必要なデータをファイルにまとめて、ヴァルキューレまで転送する。
幸いにも、その間に邪魔が入ることはなかった。
事前の陽動が効いたのだろう。
全ての作業を完了した後、カヨコはようやく安堵のため息を吐いた。
「……終わった」
「お疲れ様」
「無実の証明って、本当に面倒だね。アナタも苦労するよ」
二年前の事件が冤罪であると信じていることを暗に仄めかすカヨコに対して、ヴァッシュは苦笑を返すしかなかった。
一つの問題を解決した――その区切りから、二人の緊張感が僅かに緩む。
しかし、事態はすぐに急変した。
セキュリティ室の外から複数の足音が慌ただしく近づいて来たのだ。
ヴァッシュはすぐさま周囲を確認した。
扉以外に逃げられるルートはない。
敵との対峙は避けられなかった。
「貴様ら、随分好き勝手暴れてくれたなぁ……!」
現れたのは、武装した部下を複数人引き連れた社長本人だった。
怒り心頭といった様子で、二人を睨みつけている。
「そっちが罪をなすりつけなかったら、こんなことしなくてよかったんだけどね」
カヨコが冷めた表情で応じる。
しかし、内心では僅かに緊張していた。
目的は達成したのだから、ここで戦闘になろうが結果は変わらない。
アル達の身の潔白は証明され、自分も戦って負けるつもりはない。
ただ、傍にいるヴァッシュのことが気がかりだった。
この状況で戦闘になれば、彼も銃を抜かざるを得ない。
それは避けたかった。
彼に、銃を撃たせたくなかった。
「データは抜かせてもらったから、あとはどうなっても結果は同じだよ。大人しく諦めたら?」
「えっ、えっ、どうします!?」
「怯えるな、情けない!」
動揺する部下を叱責する社長本人も冷や汗を流していた。
しかし、悪あがきをやめるつもりはないらしい。
「ふ、ふん! 貴様らのような社会的信用もない連中の証言などいくらでもまくってやる! 不正さえ暴かれなければ、我々は善良企業よ!」
社長はカヨコを指さして喚いた。
「貴様のような怖い顔をしたチンピラ生徒と、一体どっちが信用されるかなぁ!!」
それは苦し紛れの罵声だった。
言われたカヨコ自身も、相手が虚勢を張って、不安を罵倒で誤魔化しているのだと分かっている。
しかし、放たれた言葉はカヨコの心を間違いなく傷つけていた。
恐ろし気な顔付きが、ずっとコンプレックスだった。
この顔のせいで怖がられたり、誤解を受けたことが何度もある。
よく知りもしない、敵対までしている相手に何を言われたところで気にしない――そう思おうとしても、胸に走る僅かな痛みを無視することは難しかった。
「――こんな
そう言って、カヨコを守るようにヴァッシュが立ちはだかった。
「まっ、価値観が違うのも無理ねぇか。もっと毛深い相手の方が好みそうだもんね、アンタ」
相手が犬の獣人であることを揶揄するように、笑いながら挑発染みた台詞を口にする。
「き、貴様ぁ……! 貴様こそ、社会的立場なら底辺のクズだろうが! この凶悪犯め! 貴様の前なら、ワシはどう見ても被害者側だ!」
「僕だけなら、そうかもしれないね。だけど残念。こっちには心強い仲間がいるんだぜ?」
ヴァッシュは不敵に笑いながら、銃ではなく無線機を突き付けた。
「アンタら、随分焦ってここに来たみたいだけど、ちゃんと無線聞いてる? 戦場はリアルタイムで状況が変化していくもんだよ」
「な、何を言っている?」
訝し気な社長に対して、無言で無線機のボリュームを上げる。
『――社長! 聞こえてますか、社長! 新手です! 新手の襲撃者が来ましたぁ!』
『便利屋68の奴らです! 襲撃者は二人!』
『最初の二人よりも無茶苦茶ですよ! 仲間が片っ端からやられてます!』
『こちら四階! そこから窓の外が見えますか!? ヘリです! アイツら、ヘリまで持ち出してきてます!』
『ヘリにはスナイパーがいるぞ! 窓から離れろ! 撃たれ……ギャアアア!?』
『機体にトリニティのエンブレムが描かれてるぞ! どういうことだ!? 何で、トリニティが敵にいるんだよ!?』
『ひっ、助け……!』
『あ、これ無線機? もしもーし、聞こえますかー? こちらムツキちゃん。もうすぐヴァルキューレも来るから、楽しみにしててね元雇い主さん! それはそれとして、私達の手でアナタ達は全員ぶっ殺すから♪ じゃ、行こっかハルカちゃん!』
『は、はいっ! 全員、ぶち殺しますっ!!』
そして、通信機越しのものと合わせて建物の何処かから爆音が聞こえた。
爆発の振動が、ヴァッシュ達のいる場所にまで伝わる。
通信を聞いた社長は、もはや絶望に青褪めるしかなかった。
「ト、トリニティ……トリニティ総合学園からの協力者だと!? き、貴様らのような底辺企業が何故エリート学園と繋がっているんだ!? そもそも、貴様らの所属はゲヘナだろう!?」
「いやぁ、それは僕にも分からないなぁ。でも、僕達の誰かと繋がっていた縁が呼び寄せた助っ人なのは間違いないね。人と人の繋がりって凄いよ、ホント」
ヴァッシュ自身にもトリニティの生徒が関わってきたことは予想外の事態であり、その経緯も全く想像出来なかった。
しかし、今思うことは全て正直に言葉にしたままである。
自分の知らない誰かの結んだ縁が、更に他の誰かを呼び、窮地を脱するきっかけとなった。
人と人の繋がりが持つ力――その強さは、どの世界でも変わらない。
その確信を得て、ヴァッシュは誇らしい気持ちを抱いていた。
「アンタが裏切らなければ、僕達もこういう関係になれてたかもしれないね。だけど、それを自ら断ったのはアンタだ」
屈辱に震える社長を、鋭く睨み据える。
「自分で自分を追い込んだんだ。自業自得ってコトで、さっさと諦めて捕まってくれ」
「や……やかましいィィィーーー! このチンピラどもがァ!!」
逆上した社長が懐から拳銃を取り出そうとする。
訪れてしまった事態に、カヨコは息を呑んだ。
今更悠長に銃を抜こうとする社長本人はともかく、周囲の部下達は最初から二人に向けて銃を構えている。
一呼吸も置かない内に引き金は引かれるだろう。
自分一人だけならば問題なかった。
例え撃たれても死にはしない。
だけど。
――一瞬の躊躇が致命傷を生む。
彼は。
――果たして、撃てるのか!?
「ヴァッシュ!」
カヨコは自身も銃を抜きながら、その名前を叫んだ。
しかし、それを言い終えるより速く、ヴァッシュが銃を抜いていた。
既に照準を向けられた銃の引き金を引くよりも更に速い。
常人の知覚では捉えきれない神速の抜き撃ちだ。
マシンガンのような速射によって、銃を持った複数の標的を一瞬で無力化していた。
そして、最後の銃弾が社長本人を襲った。
未だに懐から抜き切っていなかった銃身に命中させて、その衝撃で致命傷を与えずに昏倒させる。
寸分の狂いもない、正確無比な射撃技術だった。
「――残念。俺はチンピラじゃなくてガンマンだ」
全てが一瞬で終わっていた。
気付けば、そこにはかつて陸八魔アルが憧れた光景と同じものが転がっていた。
かつては砂漠の惑星で連綿と紡がれ、世界を越えて尚続く一人のガンマンの伝説――その最も新しい一ページ。
その光景を前にして、カヨコは理解した。
後悔が強いほど、より堅牢さを増す意志の存在。
それを胸に宿し続ける、このヴァッシュ・ザ・スタンピードという男の生き様を――。
◆
――その後の展開は、特筆すべきものはない。
濡れ衣を晴らし、不正は暴かれ、悪は成敗された。
めでたしめでたし、で終わるお話である。
実際には、今回の件とは関係なくヴァルキューレに追われる立場であるヴァッシュの逃走劇があったり、ヒフミとの別れや再会の約束を交わす一幕があったりしたのだが――それは些末な出来事として詳細は控えよう。
ヒフミ達と別れ、先に逃げたヴァッシュと途中で合流した便利屋68のメンバーは、一路アビドスへと向かっていた。
ヴァッシュを送り届けるついでに、事の顛末を説明する為である。
言うまでもなく、今回の依頼も失敗に終わってしまったのだ。
「はあ、気が重いわ……」
社長の身でありながら、上司に失敗を報告する平社員のような気分でアルはため息を吐いた。
セリカにぐうの音も出ない叱責を受けたのは、つい先日のことである。
それと全く同じことを今回も繰り返そうとしているのだ。
気も滅入るというものだった。
「今回は依頼料も全然払って貰えなかったもんねー。まあ、依頼人が檻の中に入っちゃったから仕方ないけど」
「た、確か、前金で少しだけ振り込まれてたと思います……」
「大した金額じゃないけどね」
「まさに骨折り損のくたびれ儲けってヤツか」
ムツキ、ハルカ、カヨコ、そしてヴァッシュの順に今回の事件に関して言葉を交わしていく。
しかし、この結末を不満に思っている者は一人もいなかった。
最後に大暴れして借りを返したムツキは満足そうに笑い、ヒフミとの友情を思わぬ形で再確認したハルカも普段より和やかな雰囲気を纏っている。
何よりも、事件前から変わったのはヴァッシュとカヨコの距離感だった。
無意識の内に二人の間に作られていた精神的な壁が、今は存在しない。
「過ぎたことは仕方ないさ。お金は入らなかったけど、せめてご飯くらいはお腹いっぱい食べていってよ。奢っちゃうからさ!」
「ご飯を用意するのはヴァッシュじゃなくてアビドスの人達だけどね。アナタも養われる側でしょ?」
「僕を何だと思ってるの!?」
「女子高生に養われてるヒモ」
「ヒドイ! 現状、お金が全然稼げてないから否定出来ないのがもっとヒドイ!」
ヴァッシュとカヨコが交わす軽口の応酬を横目で眺めながら、ムツキはニッコリと笑った。
カヨコがいつの間にか、ヴァッシュの名前を気安く呼ぶようになっていることに気付いている。
しかし、それを指摘するような無粋な真似はしなかった。
そんなことをして、カヨコが変に意固地になってしまっては面白くないからだ。
「じゃあ、今回もアビドスの皆にごちそうしてもらっちゃおーっと。いいよね、アルちゃん?」
「いや、いいワケないでしょ! ただでさえ同じ失敗を繰り返してるのに、また同じようにご飯を恵んでもらうなんて、情けなくて涙が出るわ!」
「でも、断ろうとしてもセリカが押し付けてくると思うよ。あの娘、世話好きだし」
「ヴァッシュまで……うぐっ、でも……!」
「あ、あの、私が今から内臓を売ってきますので、そのお金を食事代としてお支払いすれば対等に……」
「「それはしなくていいから!」」
そんな賑やかなやりとりを交わしながら歩いていると、アビドス高等学校の校門が見えてくる。
そこには、アビドスの生徒達が総出でヴァッシュ達がやって来るのを待っていた。
今回はヴァルキューレに逮捕されるという緊急事態もあった為、簡単な事の経緯を事前に連絡しておいたのだ。
出迎えの中に厳しい表情で仁王立ちするセリカの姿を見て、アルは怯えたように顔を青褪めさせた。
しかし、ヴァッシュの方は意外な人物に視線を奪われていた。
「ユメ! アビドスに来てたのかい!?」
「やっほ~、ヴァッシュ! なんだか久しぶりな感じするね!」
ホシノの隣には、シャーレの先生となったはずのユメが笑顔で立っていた。
思わず駆け寄るヴァッシュを、気心の知れた二人が迎える。
「シャーレの仕事が一区切りついたから、こっちに顔を出してみたんだ~。いいタイミングだったね」
「うへ~。お疲れ様、ヴァッシュ。懸賞金を掛けられたって聞いた時は驚いたよ。指名手配犯は辛いね~」
「前の世界では賞金首だったこともあったから、ちょっと懐かしい気分になったよ。いや、全然嬉しかないケド……」
三人の親し気な会話を、カヨコは一歩引いた位置で眺めていた。
ヴァッシュと交わした会話が自然と思い出される。
彼を想いやる人々は多くいるが、その中で最も親しい位置にいるのがユメとホシノの二人なのだろう。
自分が推測するしかないヴァッシュの過去を、少なからず知っている二人。
しかし、その為に彼女達が経験した苦労は多かったはずだ。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードという男の本質を、多少なりとも理解出来た今だからこそ分かる。
「うーん……ところでさ、ヴァッシュ」
しばしの雑談を交わした後、ホシノがじっとヴァッシュを見つめた。
「何?」
「……あのさ」
「うん」
「気のせいかもしれないけど……」
「うん」
「……いや、やっぱりいいや」
「ええ、何なの?」
「何でもないよ」
一人で納得するように小さく頷いて、ホシノは微笑んだ。
「何も言わなくていいから」
そう言って、ホシノはそっとヴァッシュの身体を抱き締めた。
ヴァッシュの方がずっと身長が高い為、小さなホシノが抱き着いているような形になる。
しかし、不思議と外から見た印象は違っていた。
ホシノの方がヴァッシュを包み込んでいるかのような、大きな抱擁だった。
カヨコはそんな二人の姿を、ぼんやりと眺めていた。
――女だったら、抱き締めてあげたくなるかもしれないね。
それは冗談混じりに口にしたはずの言葉だった。
ヴァッシュはホシノの突然の行動に一瞬戸惑い、そしてすぐに穏やかに笑った。
「……ありがとう、ホシノ」
二人の間に、それ以上の言葉はなかった。
必要ないのだと分かった。
そんな二人の関係を、カヨコは少しだけ羨ましいと感じた。
「あーっ! ホシノちゃんだけズルイ! 私だって久しぶりにヴァッシュと会ったんだよ!」
すぐ傍で二人のやりとりを見守っていたユメが、当たり前のように騒ぎ出す。
ヴァッシュとホシノの間にある独特の空気の中に割って入れる者がいるとすれば、彼女以外在り得なかった。
「私だってヴァッシュに抱き着いちゃうもんね!」
「ハハハ、ユメはもう大人なんだから節度ってものを……」
「アタシが先に抱き着いちゃうもんねー!」
「ぐへぇ!?」
「あー! わたしもー!」
「ほげぇ!?」
「うりゃー、食らえー!」
「どわぁ!?」
初等部の子供の一人が、ユメよりも先んじてヴァッシュに抱き着いていた。
いや、それは抱き着くというよりも突撃だった。
それを皮切りに、他の子供達が抱き着くという体のフライングボディーアタックをヴァッシュに炸裂させていく。
「ちょっと待って! ヤバイ! これいつもの関節技掛けられるパターンに入ってる! 誰か助けて!」
「ひぃん。ずるいよ~、次は私の番なのに~!」
「駄目だ、ユメは頼りになんねー! ホシノ、いつの間に距離とったの!? 笑ってないで助けて! だ、誰か……みんなーっ!!」
子供達に群がられながら、ヴァッシュは悲鳴をあげた。
しかし、その顔は何処か楽し気だった。
少なくとも、そこには重い過去を一人で背負う孤独な姿はない。
多くの親しい人達に囲まれ、この世界で自分の居場所を得た男の姿があるだけだった。
「……ねえ、社長」
その光景を眺めていたカヨコは、隣にいるアルの顔を見上げた。
「あら、どうしたのカヨコ?」
カヨコの顔を見つめ返したアルは優しく微笑んで、その目元を軽く指でなぞった。
「そんなに
カヨコは眼を細めて、そっとアルに身体を預けた。
二人の様子を見たムツキが面白そうに、ハルカがおずおずと、傍に歩み寄る。
自分らしくないのは分かっている。
だけど、今は感じたかった。
自分にも寄り添ってくれる人々がいることを――。
「……私も、ヴァッシュのことは強く言えないな」
カヨコの自嘲混じりの呟きに、アルは不思議そうに首を傾げた。
原作終了後のヴァッシュってあらかたの苦難を乗り越えた後だから、似たような展開をキヴォトスでやっても仕方ないな。もうヴァッシュに新しい曇らせはないのかな……せや! 帰りたい場所が出来たんやからウルフウッドと同じ苦悩背負わせたろ!(今回の話を書くに至った経緯)
私の小説の書き方は結構行き当たりばったりでして、ストーリーやシチュエーションを事前に考えた上でそこにキャラを放り込み、そのキャラに不自然ではない会話をその場で考えながら書いてます。
なので、今回の話は予想外でした……思ったよりもカヨコがヴァッシュに湿度出さねぇ!
「ヴァッシュならこう言う」と意識して書いてたらカヨコに全然弱みを見せない展開になってました。
カヨコの湿度が低いワケじゃないんだけど、ノーマンズランドの乾燥が予想以上だったな……。
納得のいくオチを考えてたら、ホシノがヴァッシュを、アルちゃんがカヨコを攫っていっちゃいましたね。