全体通してハードな展開や曇らせが多いトライガンですが、初期は数話でオチがつくパターンが多くて、比較的明るい終わり方で読みやすくてオススメです。アニメもこの辺がメイン。
しかし、原作を読んだ人は既に察していると思いますが、このお話は無印とマキシマムの間に当たる時系列です。
だからね、そろそろマキシマムに繫がる話を始めようか(ニコッ
ずっと一人だった。
多分、これからもずっと一人だろうと思っていた。
そして、いつかこの学校からは誰もいなくなるだろう。
そう、思っていた。
だから、その出会いはわたしにとって奇跡みたいなものだった。
わたしはあまり頭が良くない。
物覚えも悪いし、要領も良くない。
ハッキリ言ってバカだと自分でも分かっている。
でも、そんなバカなわたしにも『現実』という名の先生は厳しく教えてくる。
アビドスの砂漠化は年々進行して、それを止める方法なんて想像もつかない。
街は砂に飲み込まれていって、住んでいた人たちはどんどん去っていった。
学校を維持する為に昔の生徒会が背負った借金は、返しきれない利子でどんどん大きくなっていく。
在籍するだけで登校することもほとんどなくなった同級生たちは、多分家で転入届を書いているだろう。
生徒会に一人残ったわたしに、『現実』という名の先生は事の深刻さをじっくり丁寧に教え続けた。
バカなわたしが理解するまで、ずっと先生は授業をやめない。
『いい加減学びなさい』
『諦めて新しい生活を始めなさい』
砂まみれの校舎の中で一人、走り回って、転んで、失敗して……何の成果も得られないことを毎日繰り返すわたしに言い聞かせてくる。
わたしは、それを必死に聞かないようにする。
バカのふりをしてやり過ごす。
だけど、誰もいない学校の中で現実の声は嫌でもわたしの耳に届いて――。
だから、二人との出会いはわたしにとって夢みたいな出来事だった。
◆
「何ソワソワしてるんですか? ヴァッシュ」
「いやぁ、これが学校っていうものなんだなぁって」
興奮気味に笑いながら、ヴァッシュは落ち着かない様子で周囲の空間を見まわしていた。
ホシノにしてみれば、見慣れた教室の一つである。
机と椅子が規則正しく並べられ、目の前には本来教師が立つ教壇と黒板が備え付けられている。
更にその上には授業時刻が一目で分かる大きな時計だ。
割とオーソドックスな教室のデザインであり、特に珍しいものではない。
ホシノとヴァッシュが隣り合って座っている以外に生徒がいないことと、窓の外を見れば一面に砂漠が広がっていることだけが異様な光景だった。
「本当ならこの椅子いっぱいに生徒が座って、あの教壇で先生が授業を教えるんでしょ? そんな中に座ってると、何だか僕も授業を受けてるみたいな気分になってドキドキするなぁ」
「随分と歳喰った同級生が隣にいて、私も別の意味でドキドキしますね」
「相変わらず辛辣だね!? 別にいいでしょ! 学校に通ったことないんだから、憧れ持ったって! 心は一年生なんだよ!」
「……まあ、私も同級生と一緒に授業を受ける経験はないですから、この状況はちょっと落ち着かないですけどね」
まだかろうじて幾人かの生徒がアビドス高等学校に通っていた時期を知っているのは、三年生であるユメだけである。
一年生であるホシノや異邦人であるヴァッシュは、かつてこの学校で行われていた日常の授業風景について、話だけはユメからよく聞いていた。
教師も生徒も去り、代わりに砂が校舎を飲み込みつつあるアビドスにおいて、たった二人とはいえ日中の教室に人がいるという状況は、形ばかりとはいえ本来の学校生活が送られているようだった。
この学校に来て以来、初めて体験する状況にホシノも内心では少し浮かれていた。
「それにしても、ユメ先輩の重大発表って何なんでしょうね?」
ホシノは頬杖を突きながら、久しく使われていなかった黒板に大きく描かれた『重大発表』の文字を眺めた。
それ以外に詳細は何も載っていない。
普段集まる生徒会室ではなく、この教室を指定して集まるよう連絡を受けた以外に何も伝えられていないのだ。
「やっぱり、アビドス復興の為の対策案を発表するんじゃない?」
「いつもは生徒会室で話し合ってるじゃないですか。何で、わざわざこの教室に呼び出したんです?」
「それだけ今回は重要な案が浮かんだとか? ホシノは聞いていないの?」
「聞いてないですね。ユメ先輩が一人で思いついたってことなんでしょうけど……これは期待出来なさそうですね」
「いやいや、そこは生徒会長を信じてあげようよ」
「これまで建設的な案が出てきたためしがないですよ」
ユメの発案に対してヴァッシュが楽観的に肯定し、それを自分が現実的な視点で諫める――いつものやりとりだな、とホシノは思った。
結局、ヴァッシュという第三者が学校の復興運動に加わっても大した変化はなかった。
日々、アビドスは膨れ上がる借金と迫り来る砂漠化に少しずつ追い詰めれている。
しかし、それでもユメと二人だけだった頃より少しだけマシになったかもしれないと感じていた。
三人の間で意見が循環する。
問題への解決策が浮かび、ただそれを一つの視点だけで否定するのではなく、また別の側面を見て肯定的な部分も発見する。
少なくともこれまでよりは建設的な意見の交換が出来ていた。
このアビドスという地に見切りをつけて去った生徒や、無気力に日々を過ごす住人達と比べればずっと意義のある貴重な人員だ。
ユメ先輩と同じくらい能天気な隣の男に、感謝の言葉なんて絶対に言いたくないが。
――キーンコーンカーンコーン。
久しく聞いていなかった授業開始のチャイムの音が、不意に響いた。
この教室の近くには放送室がある。
きっと、ユメが手動でチャイムを鳴らしたのだ。
ホシノは何故この教室に呼び出されたのか理由を察した。
かつての学校生活を再現する為に、授業を始めるような演出をして登場したかったのだろう。
呆れたようにため息を吐く隣では、ヴァッシュが『今の鐘の音何!?』と興奮気味に目を輝かせていて、ホシノはますます脱力した。
やがて、外の廊下からドタバタと聞き慣れた足音が聞こえて――これまた聞き慣れた盛大に転ぶ音が聞こえて、鼻を抑えながら涙目のユメが教室に入ってきた。
「ひぃん、鼻痛いよぉ……えーっと、今からプリントを配るから、それを見ながら話を聞いてね」
ユメはホシノとヴァッシュに数枚のプリントを渡した。
その書面には、おそらくこれから話すのだろう対策案を補足する情報がびっしりと書き込まれている。
これはなかなか本格的に準備したな、と。ホシノとヴァッシュは素直に感心していた。
「『アビドス体験入学』……ですか?」
プリントにひと際大きく書かれたタイトルを、ホシノは思わず口にしていた。
先生のごとく教壇に立ったユメが、待ってましたとばかりに胸を張って説明を始める。
「そう! 今回はね、アビドス復興の為に一石二鳥のお仕事をもらってきたの!」
「仕事の依頼主は……これってあのガンショップの店主さん?」
「ああ、あの人ですか」
プリントに載っている名前を見て、ヴァッシュとホシノは顔見知りの少女を思い出した。
ブラックマーケットでヴァッシュが撃たれた騒動の場所となったガンショップの店主である。
当事者であったヴァッシュとユメはもちろん、日常的な交流という点ではホシノが一番付き合いが深い相手だった。
現状、アビドスで最も銃を使用するのはホシノである。
住人が減ったことで悪化した治安を少しでも維持する為にパトロールを日課として行い、発砲する機会も多い。
消費した弾薬の補給や銃の整備の為に世話になることも多かった。
「実はね、あの店主さんって孤児院を経営してるの。他のお店と共同出資して、初等部以下の子を二十人くらい養ってるんだって」
「ブラックマーケットに孤児院があるなんて、初めて知りました」
「財政難で潰れちゃった学園の生徒の中で、他の学園に転入できない子を引き取ってるんだよ」
「へえ、凄いなぁ」
思わぬ慈善事業を知り、ヴァッシュは感心したように呟いた。
キヴォトスにおいて学籍がないことは人権がないこととほぼ同義だ。
未成年は何処かの学校に所属していなければ、真っ当な生活を送れない。
そうして真っ当に生きられない者が最後に集まる場所がブラックマーケットなのだ。
そんな場所で、道を踏み外しそうな子供をまともな人生へ戻す為に尽力する者達がいることは、三人に大きな衝撃と感動を与えていた。
「定員オーバーで受け入れ先の学園がないとか色々理由はあるんだけど、それでも子供たちの世話をしながら色んな所に交渉してるって言ってた」
「なるほど、分かりました。それでこのアビドスを紹介したんですね?」
「その通り! さすがホシノちゃん!」
「まあ、そんなウチも潰れる寸前の学校なんですが」
「だ、だからこそだよ! 他の学校と比べて今のウチは誰でも大歓迎のアットホームな学校だから! 難しい試験とか入学条件とかないから!」
苦しい言い分であったが、ホシノ自身内心では今回の対策案について素直な賞賛の念を抱いていた。
アビドスが抱える問題は数多く存在するが、これまで借金と砂漠化の影響が大きすぎて他の問題について全く手が付けられていなかったのだ。
借金を返すにも砂漠化を止める方法を探るにも、まず何よりも人手が必要なのだが、金もなく環境も悪い場所に人など集まるはずがない。
この悪循環に、何処かで歯止めを掛けなればならなかった。
ただ単に人が集まっても意味はないかもしれない。
しかし、現状では解決の為のスタート段階にすら入れていない。
そんな手つかずの問題に対して、とりあえず一歩踏み出す今回の案は画期的なものに思えた。
しかも、少量とはいえ金銭が貰える正式な仕事なのだ。
「孤児院の方もね、資金はとにかく人手不足で、一日だけでも子供達の世話をしてブラックマーケットの外の世界を体験出来る機会があるならって……」
「ええ、理由もしっかりプリントに記載されてます。依頼主も信用できる方ですし、利害も一致してます」
かつてキヴォトス最大の規模を誇っていたアビドスも、砂漠化によって物理的に各学年用の校舎を失い、いまや残すのは高等学校のみである。
その高等学校に通う学年の生徒すらいないのが現状だ。
初等部とはいえ、もしも今回の件で入学者が増えるか、そうでなくとも入学先の学校として存在をアピール出来るのならば影響は大きい。
「いいじゃないですか」
「……えっ!? 今、ホシノちゃん褒めてくれた!?」
「褒めちゃ悪いんですか? 今回は珍しく建設的ないい案だと思いますよ。やりましょう、この体験入学」
「やった! うん、頑張ろうね! ホシノちゃん、ヴァッシュ!」
「……ああ、そうだね。一丁やったりますか!」
明るく笑い合う二人を穏やかに眺めていたヴァッシュも、一転気合を入れて頷いた。
「とりあえず、事前準備として当日までに校舎の清掃をやっておきたいですね。アビドスについて少しでも好印象を持ってもらいたいですから」
「砂まみれだもんねぇ……。小さい子からしたら、砂しかない学校ってつまらないって思われちゃうかな?」
「プリントには学校の案内しか書かれていませんが、当日にレクリエーションなどを行ってみるのはどうですか? 初等部以下の子供なら、とりあえず遊ばせておけばいいでしょう」
「折角広い敷地があるんだから、グラウンドでドッジボールでもやらない? 僕、倉庫でボールがたくさん残ってるの見つけたよ」
「人数が多いですから、サッカーとかでもいいかもしれませんね。しかし、約二十人ですか……」
「一応、引率で店主さんも来てくれるらしいけど、四人だと大変そうだよねぇ」
「私、子供の遊び相手なんてやったことないんですけど。言うことを聞いてくれるイメージないですね」
「大丈夫! そこは僕に任せておきなさーい!」
ヴァッシュは胸を叩いて、自信満々に言った。
「これでも子供の遊び相手は慣れてるからね! 引っ込み思案な子も腕白なクソガキも、僕に掛かれば楽勝だよ!」
◆
「いてて! いてててでででっ!? ギブ! ギブ!!」
数人の子供に関節技を掛けられながら、ヴァッシュは必死で降参の意を示していた。
しかし、無邪気な笑い声が返ってくるだけだった。
「ひぃん、なんでわたしばっかり狙うのー!?」
一方で、ユメもドッジボールの標的にされて涙目になっていた。
年上だからハンデをつけて勝負をしようと見栄を張ったが故の自業自得だったが、楽し気な子供達には容赦の欠片もなかった。
総勢約二十名。
皆幼い少女達とはいえ、若さゆえのパワーと数は圧倒的である。
彼女達の遊び相手を自信満々に買って出たヴァッシュとユメは、さながら子犬の群れに放り込まれたオモチャのボールの如くボロボロに弄ばれていた。
「……子供って、凄いパワフルですね」
「アイツらが特別狂暴なんだよ。手の付けられねー猛獣どもだ」
ホシノと店主の少女は、そんな大混戦の様を少し離れた場所から他人事のように眺めていた。
グラウンドから校舎の外に広がる砂漠へと子供の誰かが迷い出てしまわないように見張る意味もあったが、理由の大半はあの惨状に巻き込まれるのを避ける為である。
あまり身体を動かすのが好きではない子供達を数人近くに座らせ、あやとりなどの遊びに片手間で付き合っていた。
「お上品な学校にゃ転入できねぇ問題児どもさ。教育係もよくねぇな。よく顔出す共同出資者の中に二人ほどヤベーのがいるんだ、信じられねぇほど口汚ねぇのが」
「でも、少なくとも皆元気そうです」
「それがお世辞じゃないなら、お前も遊んできな」
「いえ、それは遠慮しておきます。……多分、私は怖がられてますし」
「愛想のない顔してるからだ」
そう言いながらも、ホシノを見る店主の顔は穏やかだった。
確かに年下の子供に対して笑顔の一つも向けないが、それでも黙って一人の女の子に付き合ってあやとりを続けている。
「ヴァッシュとユメを見習ったらどうだ? 少なくともアイツらは子供に好かれてるぜ」
「同時に舐められてますけどね」
そうして呑気に話していると、話題になった二人が這う這うの体で逃げてきた。
ユメはボール片手に数人に追い回され、ヴァッシュの方は背中と右腕と左足に一人ずつ子供をぶら下げている。
「よーし、お前ら! 俺は疲れたからちょっと休憩タイムに入ることにする! あとは、こっちの二人が代わりに遊んでくれるから! 一旦解散だ! な!?」
「なんだ、そのエラそうな口のききかたはー!」
「ヴァッシュはアタシたちの子分なんだから言うこときけー!」
「子分のクセに! 子分のクセに!」
「体力ないおじさんか、オマエはー!?」
「いててて! すみませんごめんなさい! そうです僕はヨワヨワなおじさんなんです! 休ませてください!!」
「逃げるな―! ひとりでアタシらに勝てるんじゃなかったのかー!?」
「ひぃん、ごめんなさい! わたしが思い上がってましたから、許してー!」
「大の大人が泣いちゃって、なさけないわね! 同じ女としてはずかしいわ!」
「しっかりしなよ、このウヘウヘおねーさん!」
「わたし『うへうへ』なんて言ってないよー!」
「でも、ヘニョヘニョでウヘウヘなしゃべり方するじゃん!」
「意味わかんないよー! ひぃん」
目の前で子供達に捕まり、もみくちゃにされる二人を見下ろしながらホシノはため息を吐いた。
「これを見習うんですか?」
「ああ、もしこいつらがアビドスに入学して後輩になったら参考にしてみな」
冗談めかして笑いながらも店主の少女は腰を上げ、ホシノもそれに続いた。
あやとりをしていた子の手を取って、ヴァッシュ達と交代する形で子供達の遊び相手に回る。
付き合いの慣れた店主の少女と、無意識に威圧感のあるホシノが相手をすることで、ようやく統制らしきものが取れ始めた。
解放されたヴァッシュとユメは、ヨロヨロと腰を下ろして、ようやく一息つくことが許された。
「すごいねぇ、皆元気いっぱいだぁ」
「子供のパワーって何処でも一緒だね。住んでる環境とか関係ないわ、たくましく育ってるよ」
しみじみと呟くヴァッシュは、かつての砂漠の星を思い返していた。
あの過酷な環境でも、力強く生きる子供達がいた。
人間が生きることを拒む乾いた世界で、瑞々しい生命の力に溢れていた。
そんな子供達と遊ぶのが好きで、大きな街に立ち寄った時には積極的に触れ合ったものだ――何故かいつもプロレス技を掛けられていたが。
自分はひょっとして関節技を掛けられやすい体質なのか? と、思わず真剣に悩みそうになる。
そんな突拍子もない発想を、ヴァッシュは慌てて振り払った。
「あんな元気な子達が、アビドスに入学してくれたら嬉しいなぁ」
そんなユメの楽し気な言葉に、遠くなった喧騒を眺める。
今度はホシノ達も加えて全員でサッカーを始めたらしい。
少し砂の量は多いが、広いグラウンドをいっぱいに使って子供達は元気に走り回っていた。
声が聞こえる。
幼い笑い声が、幾つも。
さっきまでは台風の真っただ中にいるみたいに騒々しかったのに、こうして眺めていると酷く牧歌的な気分になる。
子供達が屈託なく遊ぶ背景には、学校の校舎と間抜けなくらい青い空が広がっていた。
――そうか、これが学校っていうものなんだな。
ここには未来があった。
幼い子供達が遊び、学び、成長する――希望ある未来を指し示す入り口があった。
あの砂漠の星にもたくましく生きる子供達は確かにいたが、彼ら全てに未来を保証出来るほど優しい世界ではなかった。
大人でさえ生きることに精一杯だった。
親の庇護を失った子供が飢え、物を乞い、あるいは犯罪に手を染め、そして死んでいく。
誰もが明日に繋がる希望を信じることが出来なかった。
しかし、ここには多くの未来があるのだ。
砂漠に囲まれたアビドスはかつての星と似ていて、だけど決定的に違う。
子供達を育み、守り、学ばせて、希望と共に未来へ送り出す場所がある。
学校とは、その為の場所なのだ。
「……ヴァッシュも、そんな笑い方が出来るんだね」
「え?」
クスクスと笑う声に隣を向けば、ユメが優しく微笑みながらヴァッシュを見ていた。
思わず口元に手をやれば、確かに笑っている。
自分自身で全く気付いていなかった。
「初めて会った時から、ずっと心配してたんだ。ヴァッシュはいつもニコニコ笑ってるけど、笑い方がカラッポで、見ていると胸が痛くなっちゃうから」
「……」
「辛くて仕方ないのに、やせ我慢して笑ってる感じがしたから」
「……前にも、同じようなことを言われたことがあったよ」
初対面なのに随分と心の機微に敏かった牧師を思い出して、ヴァッシュは気まずそうに頬を掻いた。
自分では上手く隠せているつもりなのに、分かる人間には分かってしまうのだろう。
普段は能天気そうに見えても、ユメの感性は鋭い。
そして、おそらくホシノにも、自分の取り繕った部分は見抜かれている。
だから、彼女はいつも怒っているのだろう。
「でもね、今の笑顔はよかった! 見てて安心する笑顔だったよ!」
自分自身の浅はかさに気分が沈みそうになった所を、ユメの明るい声が掬い上げた。
「僕は、ちゃんと笑えてたかい?」
「うんっ。ホシノちゃん達が遊んでるのを見て、凄く嬉しそうな顔で笑ってたよ」
「『優しそう』とかじゃなくて『嬉しそう』なんだね」
「うん、『見守っている』っていうよりも『感謝してる』って感じがしたから」
「そうか……」
本当にユメの感性には驚かされる。
自分でも言い表せなかった心の内を、優しく導き出してくれた気がした。
「そうだね、確かに僕は感謝している。今、ここにいることを」
過ちを二度犯した。
そして絶望した。
果てのない砂漠を永遠に彷徨うのだと思っていた。
しかし、今。自分は目の前に広がる未来と希望を見て、笑えているのだ。
「それはきっと、君達のおかげだよ。ユメ」
精一杯の感謝を伝えると、ユメは微笑みながら小さく首を横に振った。
「感謝をするなら、わたしの方だよ。わたしも、ヴァッシュやホシノちゃんに救われてるから」
「僕が?」
ヴァッシュは心底不思議そうに聞き返した。
ホシノはともかく、砂漠で拾われて以来自分は世話になった記憶しかない。
「わたしは、二人が来てくれるまでずっと一人だったから」
ヴァッシュと同じように、ホシノと子供達がいる光景を眺めながらユメは語る。
「この学校を守りたかったけど、日に日に人はいなくなって、わたしは一人でずっと走り回っていた」
辛くなかったわけではない。
都合のいい夢ばかり見て日々を過ごしていたわけでもない。
どんなに楽観的に物事を考えようとしても、厳しい現実は無慈悲なまでにそこに在り続ける。
「たった一人で何もかも解決出来るなんて、そんな奇跡が起こせるなんて、いくらわたしでも考えないよ」
だから、最初は助けを募った。
アビドスを救う為の署名活動から始めて、まだ残ってくれていた住人や生徒達に根気強く声をかけていた。
「でも、皆はもうアビドスのことに無関心だった。声を掛けると、大抵は嫌そうな顔をされたよ」
それでも、自分で自分の心を挫いてしまわないように、必死でニコニコと笑っていた。
多分、それは見ていて辛いと思ったヴァッシュの笑顔と同じものだったのだろう。
ずっと一人だった、
そして、これからも一人だろうと思っていた
諦めたわけじゃない。
だけど、いつかは諦めてしまうだろうと薄暗い不安が脳裏をよぎり始めた時――。
「わたしは、ホシノちゃんと出会って、それからヴァッシュに出会ったんだ」
再びヴァッシュに向けたユメの顔には、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
「わたしね、今回の体験入学の為にいっぱいいっぱい考えたし、色んな準備したんだよ」
「ああ、凄くいい案だと思ったよ。ホシノも感心してた」
「ありがとう。でもね、こんなに必死になれたのは、きっとヴァッシュやホシノちゃんがいたからなんだ。二人がいたから、前よりもずっと信じられるようになったの」
何を? と。今更問うまでもなかった。
「アビドスをきっと復興できる。奇跡みたいなことを起こしてみせる。そして、ホシノちゃんやヴァッシュや他の後輩に見送られながら、ここを卒業してみせるって」
「……」
「だから、ありがとう。わたしと出会ってくれて」
彼女が独り奔走した日々が、そこに抱えていた孤独と苦悩が、自分と重なるように感じた。
独り砂漠の星を渡り歩いた、失敗だらけの自分の生き方と。
「こうしてヴァッシュやホシノちゃんと一緒にいられることが、わたしにとってはもう奇跡みたいなものだよ」
「――それは、僕もさ」
彼女の孤独に共感出来るなら、その先に得た感謝も同じだ。
ヴァッシュは胸の詰まる思いだった。
何をどう言えばいいのか、分からなくなってしまう。
自分は過去を語らず、いつか訪れる別れの時の為に必死で一線を越えさせないよう拒んでいたのに。
目の前の少女の真っすぐな想いに心の傷と孤独を癒され、浅ましくもこんな日々が続いて欲しいと願っている。
「ねえ、ヴァッシュ。これからのことなんだけどね」
「うん、何だい?」
「ヴァッシュもアビドスに入学してみない?」
「えっ、僕が!?」
「ホシノちゃんの同級生になってよ! そしたらさ、わたしが先輩になって、新しい子達が後輩になって、わたしが卒業する日に泣いて見送るの!」
「随分と具体的な未来を想像してるね、泣くの前提!? いやいや、僕もう学生なんて年齢じゃないよ!」
「大丈夫! 外の世界では、学校に通ったことのない人が大人になってから学生になることもあるんだって聞いたよ!」
「そ、そうなの? 学校の仕組みについては僕もよく知らないけど……いや、やっぱり無理でしょ!? 少なくともキヴォトスでそういう申請通るとは思えないんだけど!」
「うん、だから許可が出るかは返答待ちなんだー。もう申請自体は出してあるから」
「行動力高すぎ! ええ……予想外の展開になってきたな」
「えへへ、今回の体験入学について考えてたら思いついたんだー」
「凄いこと思いつくよ、ホント。……僕が学生かぁ」
酷く戸惑いながらも、決して嫌な気分ではなかった。
この世界に来たこと自体、既に想像もしていなかった体験なのだ。
ここには、未来があった。
かつて生きていた世界では想像もしなかった人生。
本来、選べるはずもなかった自分の未来が、突然道を作り出し始めた。
これは、逃避なんだろうか。
あの砂漠の星に因縁も何もかも置き去りにして、別の世界で新しい未来を見ている。
自分の犯した罪を清算せずに安穏と生きていくなんて、許されないことだと分かっているけど。
――だけど、僕はあのまま生きていたら決して選べなかった別の未来を示されている。
もしも、このまま。
全てを忘れることが出来たのなら。
自分の手の中にある切符は本当に真っ白で、思いもよらなかった行き先が書き込まれている。
「……レム、どうしようか?」
すぐ傍のユメにも届かないほど小さな呟きは、答える者もなく乾いた空気の中へと消えていった。
答えを探すように空を仰げば、そこには相変わらず透き通るような青い空。
かつての世界には繋がっていない空。
自分で選んで始めた贖罪の旅路だが、あの砂漠を渡り歩く日々を地獄のようだと感じた時もあった。
そこから突然抜け出せた、夢のような日常。
視線を降ろせば、やはり変わらず遊ぶ子供達の光景に重なって様々なものが視界に映った。
希望の未来。
清算すべき過去。
人生の岐路。
二つの世界に生きる大切な人達。
そして――眼前に迫るボール。
「ほげっ!!?」
「ヴァッシューーー!!?」
飛来したボールを顔面に受けたヴァッシュは、そのまま盛大に倒れ込んだ。
ユメの悲痛な声が響き渡る。
「やっべ、ヴァッシュに当たった!」
「バカ! どこに向かって蹴ってんのよ!?」
「アンタのパスが悪いんでしょ!?」
「ヴァッシュ! しっかりして、ヴァッシュ!!」
慌てて子供達が駆け寄って来る。
ユメが必死になって呼びかけるが、顔にボールを乗っけたまま仰向けに倒れたヴァッシュはピクリとも動かない。
ヤンチャな子供達も、目の前の惨状にはさすがに心配になってきたらしい。
全員が恐る恐る様子を伺う為に近づいてきた。
「……ヴァッシュ?」
その瞬間、ヴァッシュが勢いよく身体を起こした。
「うわぁあああああ!!?」
「ひぇええええええ!!?」
突然の出来事に、ユメも含めたその場の全員から悲鳴が上がった。
背筋を使った人間離れした動きで一気に起き上がったヴァッシュの顔面には、未だにボールが落ちることなく吸い付いていたのだ。
正面から見ると頭がボールの怪人である。
ヴァッシュはそのまま無言で子供達を追い回し始めた。
声を発さず、顔も見えない。
しかし、奇怪な姿と動きから発する謎の威圧感が凄まじい。
「た、食べられるー!?」
「ごめんよー! ごめんよー!」
「助けてぇ―!!」
子供達は必死に謝りながら、涙目になって怪人ボール男からしばらくの間逃げ回る羽目になるのだった。
――必殺『ドッジボール・ヘッド』!
――強力な吸引力でボールを支えるシンプル・テク!
――君も、やってみよう!!
◆
「何やってるんだか……」
散々に子供達を追い回すヴァッシュの奇行を眺めながら、ホシノは呆れたように呟いた。
傍らでは店主の少女が腹を抱えて笑い転げている。
一通り走り回って気が済んだのか、口からボールを離したヴァッシュが額の汗を満足げに拭いながら言った。
「よーし! お前ら、今度はアイス付き合え!」
「アイス!?」
「アイスあるの!?」
「あるよー。ちゃんと皆の分、おやつ用意してあるからね。少し休もうか?」
「やりぃ!」
ユメがクーラーボックスを持ち出すのを見て、泣き喚いていた子供達が一転して笑顔になった。
これが飴と鞭って奴なのかな、と。
ホシノは先ほどとは違う明るい喧騒を眺めていた。
ボールをぶつけられたヴァッシュも本気で怒っていたわけではなく、背中や腕に数人の子供をしがみ付かせながら笑っている。
ユメや子供達と一緒になって、色んな種類のアイスを選んでいた。
特別高価な物でもない箱売りのアイスで、よくああも楽し気に笑えるものだなと思う。
二人を休ませる為に遊び相手を買って出たが、いつの間にか子供達の中心は再びユメとヴァッシュになっていた。
「アイツら、先生に向いてるかもな。あの手の付けられないクソガキどもが、マジでよく懐いてるよ」
笑いすぎて涙目になった店主の少女が、目元を拭いながら感心するように呟いた。
「精神年齢が子供に近いだけじゃないですか?」
「確かに、それもあるかもな」
我ながら可愛げのない返答だなと思ったが、店主の少女はそれをやんわりと受け流した。
多分、こういう言動が子供に好かれない理由なんだろうな、と。わずかな自己嫌悪を感じる。
視線の先にある穏やかな光景を好ましく思う心は確かにあるのに、現実を直視する理性が冷たい水を差すのだ。
人の去ったアビドスに、こうして活気が戻って来たことへ確かな希望を感じている。
しかし、その一方でこれが束の間の希望でしかないと考える自分がいた。
あの子供達が、このアビドスへ入学することはおそらくない。
ここはもう、そんな未来を夢見れる場所ではない、と。
自分の中の冷静で悲観的な部分が、現実を突き付けてくるのだ。
「お前も、アイスでも食ってきたらどうだ?」
ネガティブな思考の渦に沈みそうになるホシノを、店主の少女の言葉が引き戻した。
「難しいことばっかり考えてると食いっぱぐれるぞ。アイツらに残った最後の一個を譲り合うなんて遠慮はないからな」
おそらく意識してそうしているのだろう、気楽さを装った軽い口調だった。
深刻そうに考え込んでいる自分の様子を気遣ってくれているのだ。
それに気付いて、ホシノはほんの少しだけ心が軽くなったような気がした。
「色々と、気がかりが多すぎて……」
「この学校のことか」
「ユメ先輩から話は聞いていますか?」
「少しだけな。詳しく聞いても、アタシが力になれるとは思えねぇ」
「いえ、十分力になってくれてますよ」
「言っとくけど、今回の件は同情とか親切心とかじゃねぇぞ。マジであのクソガキどもの面倒見てくれるなら助かるんだよ。それでお前らにも利益があるなら、お互いに両得ってだけだ」
「ええ、でも……今のアビドスに入学するのはオススメしませんよ」
今回の『体験入学』の趣旨を否定する様な言葉にも、店主の少女は苦笑を浮かべるだけだった。
「そういうお前はどうなんだ?」
「私、ですか?」
「この学校に入学した理由もそうだけどよ、何でこんな終わった場所に居続ける? 愛着なんて湧く場所でもねぇし、そんな経験もしてないだろ」
その問い掛けに答えず、ホシノは黙って前を見続けていた。
「お前ならどんな学園にも転入出来るぜ。力があるってことは、それだけでこのキヴォトスでは認められるんだ」
「……そうかもしれませんね」
「お前は、アタシ達とは違うよ。住める世界も、選べる道も、あのガキどもには多くない。だけど、お前は何処へだって飛んでいけるだろ?」
その言葉には、大空を自由に飛ぶ鳥に向けるような羨望と憧れ、そしてほんの僅かな嫉妬が含まれていた。
自分で明日の行き先を決めることが出来るハヤブサを見上げるネズミが抱くような、小さな妬み。
空を飛ぶ者が見る世界を、地を這う生き方しか出来ない者は決して見れない。
そんな様々な感情が混じり合った言葉が、この学校に留まり続けるホシノを責め立てているように響いた。
「……私が鳥に見えるって言うなら、空を飛び続けるのだって結構しんどいんですよ」
力があった。
力があるから多くの問題が解決して、普通の人間が諦めるしかない壁を越えて道を進めた。
だけど、同じくらい独りだった。
他人の足を引っ張るのが好きな奴らを暴力で蹴散らして、その暴力に引き付けられて別の敵が増える。
弱者を蔑むことも、強者を恐れることも、結局は同じだ。
仲間として受け入れたりはしない。
何処にも居場所はなかった。
だから、独りで生きてきた。
独りで生きていけた。
「何処までも透き通って、果てなんて見えない。この空を自由に飛んで、それで……何処へ行けばいいんですか?」
誰にも傷つけることの出来ない翼を広げて、気の遠くなるような空を渡って――そして、このアビドスに辿り着いた。
ここで出会った。
能天気で、楽観的で、自分が貧乏クジを引いていることに気付きながらも、その役割を全うしようとする。
復興出来る見込みなんてほとんどない学校の為に働いて、無気力な住人達に煙たがられながら走り続ける。
バカだと思った。
冷めた目で見続けていた。
無駄なことを繰り返す姿に苛立った。
いい加減諦めろと思った。
――だけど、目を離すことだけは出来なかった。
ささやかな気まぐれで手助けをして、それをきっかけに知り合って、そしてバカな彼女は案の定自分をあっさりと受け入れた。
初対面の自分を、馴れ馴れしく仲間として扱った。
そのままなし崩しに彼女の手伝いをするようになって、生徒会に入って、こうしてアビドスの抱える問題に翻弄されている。
この学校はお先真っ暗で、苦労ばかり背負い込むロクでもない場所だ。
だけど。
「ユメ先輩が、ここに初めて居場所を作ってくれたんです」
この場所で二人になって、いつの間にか三人目まで増えた。
見ていてイライラする二人だけど、共に過ごす日々は充実していた。
これからも、そうありたいと思った。
ホシノの独白を、店主の少女は黙って聞いていた。
お互いに目は合わせない。
ユメとヴァッシュが子供達と笑い合う光景を、じっと見ていた。
「……悪かったな」
店主の少女がポツリと呟いた。
その謝罪を、ホシノは黙って受け取った。
――人間は、地上から鳥を見上げて憧れを口にする。
――しかし、鳥の方は逆に毒づいているかもしれない。
――身を隠す岩陰があり、羽ばたき続ける苦しみもない地上に生きる者達へ。
――鳥は心底望んでいるだろう。
――心と身体を休める止まり木を。
「つまらねぇ妬みを口にしちまった」
「いえ、言いたいことは分かりますよ。でも、私は単なる冷やかしでこの学校に残ってるわけじゃないんです。ただ……」
「ただ、何だ?」
「今回みたいに、この学校を救う為の一歩を踏み出すと、目の前にあった問題以外にも色んなものが見えてしまって……希望が希望でなくなるような気がして」
「まあ、気が滅入るわな」
「他にも、色々とありますしね」
「あまり神経質になるなよ。お前一人で解決出来る問題じゃねぇし、一人でやる必要も無ぇ。アタシも少しは気に掛けてやる」
「ありがとうございます」
「何よりな、ユメとヴァッシュを頼れよ。アイツらは能天気が過ぎるが、だからこそ何とかしちまいそうな明るさがあるよ」
「そうですね」
小さく笑いながら同意を示し、でも、と。
「信頼出来るから、困るんです」
そう言葉を濁すホシノの視線は、じっとヴァッシュに向けられていた。
子供達が笑っている。
その中心で、ユメとヴァッシュが笑っている。
あんな光景が、ずっと続けばいい。
このアビドスで、一年後も、二年後も。
あの子供達が成長して、ここへ入学して、借金も砂漠化も何もかもが上手く――。
◆
子供達が笑っている。
その中心で、ユメが笑っている。
アビドスの校舎で、成長した子供達が生徒となり、あの日のようにグラウンドで遊んでいる。
ホシノは、その光景を離れた場所で見ていた。
空が眩しい。
見上げれば、透き通るような青い空はなく、ただただ白い光が満ちていた。
やがて、その光の中から何かが降ってくる。
視界を満たすほどに大量に降り注ぐそれは、白い羽根だった。
この砂漠に、こんなにも多くの鳥が飛ぶことなどあるのだろうか?
ホシノは、真っ白な空に向って両手を伸ばした。
そして、次の瞬間。
――空に『穴』が開いた。
ホシノの眼には、その瞬間が見えた。
地上から放たれた一発の『銃弾』が、空に穴を開ける瞬間を。
光が『穴』に飲み込まれていく。
太陽を失ったかのように辺りが暗闇に包まれ、その闇さえも飲み込むように、地上に存在するあらゆる物質が凄まじい勢いで一点に収束していった。
そして、今度は消滅が始まった。
周囲の全てを飲み込みながら肥大化した『穴』は巨大な球体となって触れるものを全て消していく。
何もかもが、光とも闇ともつかない力によって消滅していく。
アビドスの校舎が粉々に分解され、地面がめくれ上がって隆起する。
世界が崩壊していった。
そこに生きる者全てを飲み込んで。
消えていく。
知らない顔も、知っている顔も、あらゆる人間が消滅していく。
世話になった店主の少女も。
自分の後輩になるはずだった子供達も。
ずっと傍にいたユメ先輩も。
何もかもが目の前で消えていく。
ホシノは絶叫した。
血を吐くような叫びだった。
しかし、声は響かない。
音さえも『穴』の中に飲み込まれていく。
無音の中で全てが消滅していく。
ユメ達の元へ駆けつけようとした足が。
助け出そうと伸ばした手が。
自分の身体もバラバラに分解されて消えていく様を見ながら、その視界の先に一人の男の姿を捉えた。
大切なものが次々と消えていく地獄の光景の中で、唯一残ったもの。
しかし、それは安堵ではなく絶望にしかならない事実。
――『彼』が消滅しなかったのは、『彼』自身が撃ったからだ。
全てが崩れ去った瓦礫の山に佇む、一人の男の姿。
その『右腕』に異形の天使を宿したかのように、無数の白い翼を生やしたその男は。
アビドスを滅ぼす引き金を引いた男の名は。
――ヴァッシュ・ザ・スタンピード!
◆
目覚めはいつものように最悪だった。
それがここ最近になって見る頻度を増した悪夢のせいであることは疑いようもない。
ホシノは汗だくの顔を手で拭うと、カーテンを開いて窓の外を眺めた。
日の出の兆しすら見えない、夜の闇が広がっている。
普段はうんざりするような半ば砂に埋もれた住宅地の光景に、今は酷く安堵を覚えた。
少なくとも、この世界は滅んではいないのだから。
時刻は深夜。
あの体験入学を無事終えた日の夜だった。
全てが滞りなく終わった。
別れを惜しみつつも子供達を見送り、報酬としての賃金も受け取った。
小さいがアビドスを復興する為の一歩を踏み出せた、有意義な一日だったはずだ。
それなのに、こんな日にも悪夢を見るなんて全く縁起が悪い。
――あれは夢などではない。
ホシノは再び眠る気にもなれず、ノロノロとベッドから起き上がった。
顔を洗う為に洗面所へ向かう。
鏡を見れば、酷い顔が映った。
世界の終わりを見たような顔だ。
――あれは、断じて夢などではない。
冷たい水で顔を洗っても、どれだけ拭っても、あの地獄のような光景が脳裏に焼き付いて離れない。
あんな出来事がいずれ未来で起こるなど、バカげた妄想だ。
しかし、だからといって、あれがただの夢だとは到底思えなかった。
あれは未来の予知ではない。
あれは過去の記憶だ。
かつて実際に起こった出来事なのだ。
何の根拠もなく、しかし確信してしまう。
たった一発の『銃弾』が全てを吹き飛ばす光景。
また『あれ』と同じことが繰り返されない保証はない。
――既に、あの男は
「……ぁ、う……うぁ、ああ……あああ……っ!」
ホシノは知らず、嗚咽を漏らしていた。
頭の中は混乱し、心は掻き乱され、涙が溢れて止まらなかった。
信じたくはなかった。
しかし、目を逸らすことも出来なかった。
どうすればいいのか分からない。
何を信じればいいのかも――。
ホシノの嗚咽が響く部屋の中。
彼女が抜け出したベッドの傍には、部屋を彩るささやかな装飾品と共に――白い羽根が一枚飾られていた。
原作の過去ホシノはユメ先輩の言動に一喜一憂するし、ツッコミも勢いがある結構賑やかなキャラです。
それと比べると本作のホシノは冷たい印象を受けるかもしれません。
これはヴァッシュが加わることで、ユメと合わせて能天気なのが二人に増えた分リアリストな面が強くなったのと、ヴァッシュの力を見抜いて警戒している影響です。
ただ、メタ的な視点だと『過去ホシノってユメ先輩生きてるから曇らせ要素ないな……せや! ヴァッシュの力を見抜いてしまったが故に恐怖と警戒を抱きながらもその生き方や人柄に徐々に絆されてしまって苦悩するウルフウッド枠にして曇らせたろ!』になります。