『あの、大丈夫……ですか?』
その日は、不定期にアビドスで発生する砂嵐の翌日だった。
これまでにないくらい大規模な砂嵐で、高等学校の校舎にまで風の影響が届いたほどだった。
生徒や住人に遭難者が出なかったかどうか、念の為周辺を調査していた時――。
その男を見つけた。
もうずっと昔に砂に埋もれてしまったアビドス学園の本校舎跡地で、ホシノは彼を偶然見つけたのだ。
かつて校門の一部だった柱の傍に座り込んでいた。
最初に遠目で見た時には、捨てられた大きなボロ布が巻き付いてでもいるのかと錯覚した。
しかし、実際はボロボロの外套に身を包んだ大人の男で、砂埃で曇ったサングラスの奥にはまだ僅かに生命の輝きが残っていた。
ホシノが目の前の男から感じ取れたのは、ただそれだけだった。
太陽に焼かれて渇き、砂に足を絡め取られて疲れ果て、本当にただ生きているだけ。
思わず声を掛けたホシノを一瞥した瞳は、現実ではなくあの世でも見ているように虚ろな死人のそれだった。
放っておくわけにもいかず、学校へ連れ帰ってユメ先輩に事情を話して、とりあえず介抱することになった。
自分よりもずっと体格のいい男は、されるがままで一言も口をきかなかった。
『こんな……酷い身体。可愛そうに……誰かに傷つけられたの?』
砂で汚れた身体を洗う為、異性であることを意識しながらも服を脱がせた時、その下から出てきた惨状に二人して息を呑んだ。
無惨な傷跡と失われた左腕。
まるで自分がその傷の痛みを感じたかのようにユメは涙を浮かべ、ホシノでさえも痛ましさに口元を抑えた。
『よっぽど大変な目に遭ってきたんだね。大丈夫だよ、ここにいれば安全だからね』
ユメは泣きながら男の身体を濡れたタオルで拭い、迷子の傷ついた子供にそうするように優しく言い聞かせていた。
ホシノはその様子を、ただじっと見ていた。
そうして、その男はアビドス高等学校に住むことになった。
砂漠の向こうからやって来た正体不明の男。
最初に抱いた感情は同情と憐憫。
次は厄介者が日常に加わったという困惑。
それがいつの間にか、アビドスの抱える問題相手に一緒に奔走するようになって――。
毎日ドタバタ。
砂まみれでゴチャゴチャ。
何かというとイザコザばかり起こる日々。
そんな彼と一緒にいることが当たり前になって、少し賑やかになったアビドスの新しい日常。
ある日突然訪れた変化に戸惑い、憂う事柄は幾つかありながらも、三人で過ごす時間を悪くないと思い始めていた。
そして――。
「……よりによって、あんな薄汚いのに声を掛けたなんて。どうにかしてましたよ、あの時の私」
朝。
いつものように学校へ登校をする身支度の途中で、ホシノは洗面台の鑑に映る自分に向けてぼやくように呟いた。
あの日彼を見つけなければ、こんなにも心を掻き乱されることもなかったのに、と。
◆
「今日は風が強いねぇ」
生徒会室の窓がカタカタと揺れるのを眺めながら、ヴァッシュは呟いた。
アビドスに強い風が吹く時、それは砂漠の方で砂嵐が発生しているからだ。
アビドスはまだかろうじて人が住めるエリアを中心にして、半ば砂に埋もれて今も少しずつ浸食されているエリア、更にその先に完全に砂に埋もれて見捨てられた砂漠地帯がある。
その捨てられた砂漠で不定期的に砂嵐が起きるのだ。
場所も規模も、発生する間隔も予測出来ず、しかし確実にそれはアビドス全域に影響を与えていた。
その砂嵐が最近になって発生頻度を上げている気がする――と。ユメやホシノは言っていた。
「また砂埃が溜まっちゃうだろうから、時間のある時に掃除しないとね」
ヴァッシュがまた呟いた。
まるで独り言のように虚しく室内に響く。
その静けさに、ヴァッシュは気まずそうに窓から視線を移した。
テーブルを挟んだ向かいにホシノがいるのだが、彼女はまるでヴァッシュがいないかのように何の反応も示さなかった。
ただ黙々と銃の整備に集中している。
元々、ホシノは愛想のいい方ではない。
加えて、ヴァッシュに対してはユメ以上に対応が冷たい時が多々ある。
それでも、最近のホシノは態度がおかしかった。
ヴァッシュを冷たくあしらう対応にしても、それ自体がちょっとしたじゃれ合いのような雰囲気に最近はなっていたはずだ。
その雰囲気が、ある時からガラリと変わった。
精神的な壁を感じるのだ。
ヴァッシュの存在を警戒し、拒絶している。
まるで初めて出会った時に戻ってしまったかのようだった。
突然現れた得体の知れない存在に向ける様々な負の感情が、ホシノの中に蘇っているように思えてならない。
何故、こんなことになったのか。
ヴァッシュは、そのきっかけに皆目見当がつかなかった。
変化としては以前の体験入学辺りから起こっているような気がする。
しかし、だからこそ尚のこと原因が分からなかった。
あの日はアビドス復興の一歩を踏み出した有意義な一日であり、その中でこれまで以上にユメやホシノと打ち解けたとヴァッシュは感じていたのだ。
自分自身にとっても、人生の岐路を見つめ直す重大な日だった。
だが、それは自分だけの独りよがりな錯覚だったのだろうか――?
「……ねえ、ホシノ。僕は君に何かマズイことしたり、言っちゃったりしたかな?」
意を決して、ヴァッシュは訊ねた。
手元の銃から目を離し、ホシノが一瞬だけ視線を向ける。
「……別に。何もしてませんよ」
「そうかな? でも、君は僕に対してなんだか怒ってるみたいだ」
「怒ってませんよ」
「じゃあ、苛立ってるように見えるよ」
「……別に、何も」
「君は真面目だから。僕に対して何か不快に感じるなら、それはきっと正しいと思う。だから、それを直す為に――」
ガシャンッ、と。ホシノの手の中で荒々しくショットガンの弾丸が装填される。
いつでも撃てるようになった愛銃を、手に血管が浮くほど強く握り締めて、ホシノはヴァッシュを睨みつけていた。
「――そうやって、馴れ馴れしく距離を詰めてくるのが不快なんですよ」
殺気すら籠ったホシノの視線に、ヴァッシュは思わず息を呑んだ。
これほどまでに敵意を剝き出しにしたホシノを見るのは初めてだった。
彼女は以前のような態度に戻ったのではない。
初対面の人間に対する曖昧な警戒心ではなく、明確な確信を持って敵意を向けているのだ。
ヴァッシュは内心で混乱しながらも、それ以上何も言えなくなってしまった。
今にも引き金に指を掛けてしまいそうな緊迫感と張りつめた静寂の中、窓の揺れる音だけが生徒会室にかすかに響いている。
「おっはー! 遅れちゃってごめんねー、二人とも!」
硬直した場を、殊更間の抜けた挨拶がぶち壊した。
生徒会室の扉を勢いよく開けて、ユメが入ってくる。
いつものようにニコニコと何も考えていないような能天気な笑顔を見て、ヴァッシュとホシノは今にも切れそうだった緊張の糸を緩ませた。
「いやぁ、今日は風が強いねぇ。登校中に砂埃何度か思いっきり被っちゃった」
「あー、コラコラ。部屋の中で埃パタパタするんじゃありません! ちゃんと玄関でハタいて落としてきなさいって、お母さんいつも言ってるデショ!」
「ひぃん。ごめんなさい……って、ヴァッシュはお母さんじゃないよ!」
「君がデカイ子供なのが悪いんでしょ」
打てば響くような、ヴァッシュとユメの軽快なやりとり。
少しぎこちないが、明るい雰囲気が部屋の中に満ちる。
ホシノは未だに強張りの抜けない堅い表情で、その様子を眺めていた。
「あ、ところで。今日は、とっても素敵な発表があるんだー」
そんなホシノに対して、いつもと変わらない調子でユメは笑いかけた。
「じゃーん! ホシノちゃん、見て見て! ヴァッシュの学生証が出来上がったんだよー!」
ユメが取り出したのは、アビドスの学生に発行されるはずのカード型の学生証だった。
彼女達も保護スリーブに入れて首に掛けている物である。
アビドスの校章が印刷され、内蔵されたICチップによって学校への在籍が法的に証明される、身分証明書と同じ意味を持つ重要な代物だった。
ヴァッシュが素直に驚き、無表情だったホシノさえ僅かに目を見開いた。
「えっ! それじゃあ、僕がアビドスの学生だって正式に認められちゃったってこと!?」
「ううっ……ごめんね。残念だけど、まだ連邦生徒会から承認はもらえてないんだぁ。学生証自体は学校の方で作れるから、わたしの方で先に外側だけ用意しておいたの」
「それ、偽造にならない?」
「ICチップが入ってないから本当にただのカードだし、大丈夫だよ……多分」
「多分!? 生徒会長が偽造で捕まるとかカンベンしてよ!?」
「ほ、本当に大丈夫だから! それにね、正式に学籍の証明は出来ないけど、代わりに裏に身分証明に必要なこと書いておいたから! ホラ、ヴァッシュの写真付きで!」
「どれどれ……」
「へへん、いい出来でしょー? 夜更かしして頑張ったんだよ」
「この写真、前にスマホで撮ったヤツじゃないか。ピースなんてしてるけど大丈夫?」
「いいのいいの! 一番ヴァッシュらしい一枚なんだから!」
ユメは普段以上に明るく、ノリと勢いで喋っているようだった。
一見すると、深く物事を考えていない言動のように思える。
しかし、ヴァッシュとホシノはずっと前から気付いていた。
二人の戦闘に関わるセンスはキヴォトスでもトップクラスに研ぎ澄まされている。
自分達の空気が張りつめた時、既に生徒会室の外にはユメがいたことを気配でとっくに分かっていたのだ。
彼女は、中で何が起っているのか薄々察していた。
だからその空気を壊す為に、あえて何も知らない風を装って、殊更能天気に笑って中に足を踏み入れた。
今、こうして少しでも明るい話題を持ち出そうと振舞っているのも、そうだ。
ヴァッシュが喜んでくれたり、ホシノに小言を言われたりして、いつもの三人に戻ろうと笑顔の下で必死になっていることも、他の二人にはもう分かっている。
そんな彼女の健気な気遣いは、ヴァッシュとホシノの心を揺さぶった。
しかし、その反応はお互いに全く正反対のものだった。
「……ありがとう、ユメ。本当に嬉しいよ」
いつだって、彼女は異邦人である自分を受け入れ、この世界に居場所を作ろうと頑張ってくれている。
ヴァッシュは心の底から感謝していた。
その言葉を受けて、何処かわざとらしかったユメの笑顔が本心からの明るさを取り戻した。
「えへへ、すっごく素敵でしょー?」
ヴァッシュの学生証を、改めてホシノに見せる。
「もし、連邦生徒会に申請が通ったらヴァッシュが正式にアビドスの学生になって、生徒が一人増えるんだよ。そして、この前来てくれた子達も入学してくれて、いつか昔みたいにアビドスに人が戻ってきて――」
「そんな奇跡、起こるわけないじゃないですか」
明るく未来を語るユメの言葉を、ホシノは遮った。
堅い声だった。
「現実を見てくださいよ!」
苛立ったように机に手を叩きつけて、睨みつける。
ユメだけではなく、ヴァッシュの方も。
「こんな砂漠のド真ん中に、もう大勢の人なんて来るはずがないでしょう!? 夢物語もいい加減にしてください!」
「は、はう……」
「ホシノ、ちょっと……」
普段の小言とは違う予想外の剣幕に畏縮するユメと、さすがに様子がおかしいことに気付いたヴァッシュ。
しかし、ホシノの堰を切ったような叱責は止まらない
「大体『その男』を生徒にするなんて、何を考えてるんですか!? 年齢も出身も分からない、得体の知れない大人をアビドスの学生にするだなんて、おかしいことだって分かるでしょう!」
「うえぇ、だってホシノちゃーん……ご、ごめんね?」
ユメは傷ついたように涙を浮かべたが、それでも謝罪を口にした。
自分の行動が浅はかだったことには自覚がある。
ショックだったのは、これまでの日々でもう心を許したと思っていたヴァッシュをホシノが赤の他人のように扱っていることに対してだった。
それに気付いたホシノは思わず怯んだが、それでも苛立ちを抑えきれず更に激する。
「もっとしっかりしてください! あなたはアビドスの生徒会長なんですよ!? もう少し、その肩に乗った責任を自覚したらどうなんですか!」
「ホシノ、それ以上はダメだ」
傷つけ合う二人を見ていられず、ヴァッシュがホシノを落ち着かせる為に手を伸ばす。
その『右腕』を見たホシノの顔が、一瞬恐怖に歪んだ。
「
殴りつけるように、ホシノはヴァッシュの手を振り払った。
これまで見たこともない、拒絶を超えた敵意すら籠った反応だった。
「ホシノちゃん、なんてことするの!」
予想外の対応に呆然とするヴァッシュの代わりに、今度はユメが声を張り上げた。
これもまた普段は見たこともない、ユメがホシノを叱責する姿だった。
生徒会室の空気が張りつめる。
三人ともがこれまで感じたことのない、異様な雰囲気だった。
――何かが壊れようとしている。
――これまで築き上げてきた三人の関係とその日常を支えていた何かが。
お互いがお互いに対して、何故こんな状況になってしまったのか分からずに混乱していた。
この場の誰も望んでいないのに。
少なくともこの状況の発端であることを自覚しているホシノは、誰にぶつければいいのか分からない苛立ちを、ユメの持つ学生証に向けた。
「こんなもの――!」
ユメからヴァッシュの学生証を奪い取り、床に叩きつける。
その衝撃で、カードが欠けた。
悲し気な視線を向けるユメ。
悲しみ以外にも、ホシノを苛立たせる原因が自分にあるのだろうことを察して複雑な感情を向けるヴァッシュ。
二人の視線から逃げるように、ホシノは自分の銃を掴んで生徒会室から飛び出していた。
残された二人は、しばらくの間呆然と佇むことしか出来なかった。
「……ごめんね、ヴァッシュ」
酷く消沈した様子で、ユメは床の学生証を拾い上げた。
「どうしてユメが謝るんだい?」
「ホシノちゃんを怒らせちゃった。また、わたしが考えなしに変なことしたせいだ」
「違うよ。君は何も悪いことをしていない」
ヴァッシュが欠けた部分を拾い上げ、ユメに手渡す。
「僕は本当に嬉しかったんだから」
優しく言い聞かせるヴァッシュの言葉に、ユメは涙を浮かべながらも小さく微笑んだ。
「少し、ホシノと話をしてくるよ」
「ホシノちゃん、話してくれるかな?」
「分からない。だけど、多分彼女が苛立っている理由は僕にある。少し心当たりもあるしね」
内心の懸念を苦笑に留めて、ヴァッシュは腰にガンホルダーを巻いた。
――何故、自分は銃を持ち出しているのだろう?
ただホシノと話をしに行くだけなのに。
その自問の答えを、ヴァッシュはあえて無視しようとした。
本当は分かっている。
彼女は銃を持っていったのだ。
「じゃあ、ちょっと行ってくるよ。ユメはここで待っていて」
「うん……ヴァッシュ」
彼の行く先にある不穏な気配を、ユメも察していた。
「あの、気を付けてね」
――大切な人達が話し合うだけなのに。
――どうしてこんなに不安にならなければいけないんだろう?
ユメはまた泣きたくなった。
◆
ホシノを追うこと自体は簡単だった。
その姿をすぐに見つけることが出来た。
衝動的に生徒会室を飛び出したとはいえ、彼女はそのまま何処かへ走り去るような無計画なことはせず、明確な目的地を決めて歩いていた。
それが何処かまでは分からない。
ヴァッシュは少し距離を取って、その跡をついて行った。
ホシノは自分が跡をつけていることを、おそらく察している。
それを撒こうと駆け出したりはせず、かといって足を止めたりもしない。
付かず離れずの距離を維持したまま、二人は歩いていた。
――場所を選んでるのか?
ヴァッシュは移動を続けるホシノの意図を、そう推測した。
少なくとも話し合う余地があることは間違いない。
ヴァッシュは黙ってホシノの後ろに続いて歩き続けた。
市街地を抜け、電車に乗って更にアビドスの外へと進んでいく。
自動運転によって運行される車両の中には利用客など数えるほどしかおらず、駅を通過する度に人が減り、やがてホシノとヴァッシュだけになった。
車窓から見える外の風景も、かろうじて映っていた建物が消え、砂とその砂に埋もれたかつての建築物らしき物だけになっていく。
ホシノが何を考えているのか分からず、ヴァッシュの中に言いようのない不安が募っていった。
やがて、終点の駅でホシノはようやく電車を降りた。
終点と言っても、それ以上は運行不可能な地点で止まり、引き返すことしか出来なくなっただけだ。
物理的に線路が途絶えていた。
砂に埋もれ、降りた駅も半ば廃墟と化している。
アビドスの市街地と呼べるギリギリの領域だった。
ここから先は、ただ見捨てられた砂漠が広がるだけだ。
その砂漠へ、ホシノは更に歩みを進めようとしていた。
「ホシノ! それ以上は行っちゃ駄目だ!」
ここに至るまでホシノの考えに従って、黙ってついて来ていたヴァッシュも思わず声を掛けていた。
「そこから先は、もう完全な砂漠地帯だ。昔、まだ市街地だった頃に活動していた警備ロボやドローンが、半壊した状態で徘徊してるって聞いてる。侵入者を無差別に襲うこともあるらしい」
「……知ってます」
ホシノは足を止めたが、振り返りはせずに背を向けたまま端的に答えた。
「もし、僕と話をしてくれるなら、ここで話さないか? 今日は砂嵐も起こってるんだ。砂漠の方に出るのは危険だ」
「……ここからもう少しだけ進んだ所に、アビドスの本校舎の跡地があります。そこで話しましょう」
そう言って、ホシノは再び歩き出した。
僅かに躊躇って、ヴァッシュもその後に続く。
強引にでも止めるべきなのかどうか悩んでいたが、結局ホシノの言い分に従うことしか出来なかった。
砂漠のど真ん中に迷い込むのならばともかく、近くに駅などの目印となる物があれば少なくとも遭難することだけはないだろう。
何よりも、ホシノとは必ず話をしなければならなかった。
彼女にその場所を選ぶ必要性があるというのなら、付き合うしかない。
周囲の遮蔽物が減り、より強さを増した風の中、二人は砂漠を進んでいった。
そして、すぐに。ホシノの言う通り、半分以上の施設が砂に埋まったアビドス学園の本校舎に辿り着いた。
そこはヴァッシュにとって見覚えのある場所だった。
「覚えてますか?」
一瞬、かつての記憶に囚われそうになったヴァッシュは、ホシノの言葉に我に返った。
ホシノはいつの間にか立ち止まり、ヴァッシュの方を振り返っていた。
「ここでアナタを見つけたんですよ」
生徒会室を飛び出した時とは一転して、落ち着いた声色だった。
しかし、同時に何かの覚悟を秘めた声だとヴァッシュは悟った。
その視線は鋭く研ぎ澄まされ、両手は油断なくショットガンを保持している。
安全装置が外されているのが確認できた。
それは明らかにホシノが戦闘態勢に入っていることを示していた。
「後悔してます」
「……え?」
「アナタなんか見つけなければよかったって。あのまま誰にも気づかれず、ここで乾いて朽ちていけばよかったんですよ。アナタなんて」
そういった言葉を、予想していなかったわけではない。
しかし、この時ヴァッシュの胸の内に走った痛みは予想していた以上に深かった。
その痛みを誤魔化す為に何とか笑みを浮かべようとして、ぎこちなく口元が歪む。
「……ホシノ、君が僕を嫌う理由は何となく分かるよ。君が以前言った、僕の持つ『銃』に関することなんだろう?」
自分の持つ能力が、それを感じ取ることの出来るホシノを不安にさせていることは知っていた。
共に過ごす日々の中で心を許されたと思っていたが、それはただ単に有耶無耶に誤魔化されていただけだったのだろう。
過去は消えない。
既にこの力によって過ちを犯している。
それはもう変えようのない事実。
拒絶されるのも、責められるのも無理はない。
しかし、それでも――。
信じてもらいたい。
大切な二人の日常を壊すような過ちは決して繰り返さない、と。
その決意と意思が少しでも伝わるように、ヴァッシュは意を決して言葉を紡ごうとした。
「――『
喉元まで出かかった言葉が、凍り付いた。
このキヴォトスで決して聞くはずのない街の名前を耳にした瞬間、ヴァッシュの脳裏で洪水のように様々な映像が溢れかえった。
ピースの足りないパズルを無理矢理組み立てるように、記憶の断片が痛みと共に噛み合おうとする。
次々と浮かび上がる街の住人の顔。
男も、女も、子供も、老人も――皆覚えている。
交わした言葉を思い出せる。
賑やかで平穏だった日々を。
そして、それが全て消え失せた瞬間を――!
「どうして、君がその名前を……ッ!?」
ヴァッシュは青褪めた顔で口元を抑えた。
「悪夢を見るんです。アナタと出会ってから」
ホシノがポケットの中に手を入れ、その中身を取り出す。
それは一枚の白い羽根だった。
サイズからして大型の鳥類の物と思われる羽根。
しかし、よく観察してみれば不自然さに気付く。
生物の羽根ではない。
羽毛ではなく一枚の金属やプラスチックで構成されているような、無機質で人工的な印象を受ける、羽根を模した未知の物質だった。
「この羽根はアナタが最初に着ていた衣服に数枚付着していた物です。ユメ先輩が拾ったんですよ、呑気に『綺麗だ』なんて言いながらね」
その羽根を見た瞬間、ヴァッシュを更なる記憶の混乱と頭痛が襲った。
頭を押さえて呻くことしか出来なくなる。
「これが原因なのかは分かりません。だけど、私は――この羽根と同じ物を悪夢の中で見ました」
淡々と話しているように見えて、ホシノの表情にも変化が起こっていた。
目を背けていた悪夢の詳細を思い出そうとすると、額に汗が滲み出る。
――圧倒的な光。
――歪んだ空間。
――帯電した空気。
――そして、根こそぎの絶望。
「私は、見たんです」
ホシノは恐怖に耐えるように歯を食いしばり、もはや完全な脅威としてヴァッシュを睨みつけていた。
「アナタがその『右腕』をおぞましい銃身に変えて、一つの街を消してしまう光景を……!!」
その街の名が――ジュライ。
キヴォトスではない、遠い砂漠の惑星に存在した街。
そして、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの伝説と罪を刻む第一歩となった
自らが犯した罪を突き付けられ、ヴァッシュは膝から崩れ落ちた。
上手く呼吸が出来なかった。
ホシノに隠していた過去を知られたことで動揺している――というわけではない。
その罪の記憶が自分自身の中で薄れていたことを自覚して、ショックを受けたのだ。
アビドスでの穏やかな日々の中で、忘れるべきではない罪をほんの少しでも風化させようとしていたことに気付いた。
しかし、平穏な日常に紛れ込んだ罪人を神は許さなかった。
その罪をひた隠しにしていた浅ましい罪人を、騙していた隣人に糾弾させに来たのだ。
「……そうだ」
そう。
ずっと怯えてきた。
考えない様にすらしてきたかもしれない。
消え去った数十万の人々を。
自らの罪を。
「僕は、
苦悶の表情の中に涙を流しながら、ヴァッシュは吐き出すようにその事実を口にした。
誤魔化しようのない罪の告白を聞いたホシノが、僅かに顔をしかめる。
しかし、それは彼女自身も何かの痛みを感じたかのような反応だった。
ヴァッシュはその変化に気付かなかった。
「……アナタは、ジュライで自分が何をしたのか覚えているんですか?」
「いや……今でもあの頃の記憶はない。全てが終わって、目の前に広がる瓦礫の山が最初の記憶だ」
「覚えていないからって、アナタが『引き金を引いた』ことに間違いはないんでしょう?」
「ああ、そうだ。そうだよ。ジュライを消し飛ばしたのは、絶対に僕の持つ力のせいだ」
「……誰かが」
――誰かが、何かをしたのではないか?
そんな曖昧な問い掛けを口にしようとした自分に気付いて、ホシノは硬く歯を噛み締めた。
ホシノ自身も夢としてヴァッシュの記憶らしきものを追体験しただけであり、実際にどんなことが起ったのか詳細な部分は分からない。
――目の前の男は、本当に自分の意思一つで街を消すような悪魔なのか?
――何か、限られた事実の中ですれ違いは起こっていないか?
ホシノの中で無意識に過る思考を、しかしヴァッシュ自身の独白がかき消した。
「二度目の引き金を引いた時のことは覚えている」
その断言に、ホシノの揺らいでいた心が凍り付いた。
ヴァッシュはいつの間にか立ち上がっていた。
まるで初めて会った時のような、空虚な表情を浮かべてホシノを見ていた。
「僕は君に『引き金を引くつもりはない』と言ったけれど、もう既に二度も『それ』をやっているんだ。信用なんて出来るわけがない」
自らの皮肉を笑うように、口元が歪む。
空っぽの笑い方だ、と。ホシノは感じた。
「だから、君は僕を殺すことを決めたんだろう?」
死刑宣告を受け入れる罪人のようにヴァッシュは言った。
ホシノはそれを黙って聞いていた。
「当然だ。もしも同じことが起これば、アビドスは消滅してしまうだろう。ジュライと同じように、街の住人や……ユメも一緒に」
「……ええ、そうです。アナタにそんなことをさせるワケにはいかない」
「僕も絶対にそんなことはしたくない。だけど、正直に言うと僕自身もこの力をコントロール出来ないんだ。ホシノの懸念を、現実にしてしまうかもしれない」
「だったら、どうするんですか?」
「ああ、だから――」
ホシノを見つめ返すヴァッシュの瞳には、苦悩と悲壮な覚悟が宿っていた。
「君は僕を殺していいよ」
ホシノの顔が無惨にも歪んだ。
怒りとも嫌悪とも、あるいは悲しみとも取れる表情だった。
しかし、自分の罪を思い出したヴァッシュには純粋な敵意の表れとしか感じられない。
「でも、その前に……僕にはやらなくちゃいけないことがあるんだ。犯した罪の清算をしなきゃいけない」
ヴァッシュが言葉を紡ぐ度に、ホシノの身体が強張っていった。
「死ぬのはそれからにしたいんだ」
銃を握る手に、血管が浮くほどの力が籠る。
「だから今は、君達の目の前から消えるだけで許してもらえないか?」
噛み締めた歯が軋みを上げる。
「……ふざけないでください」
ホシノは今度こそ明確な怒りだけを込めて、ヴァッシュを睨みつけた。
「ふざけないでくださいよ!」
銃口がヴァッシュに突き付けられる。
それと同時に、凄まじい殺気が襲い掛かった。
熱砂の風とは違う、凍るほど冷たい突風が全身を叩くような感覚だった。
「そんなことが許されるなら、最初からこんな手段は選んでないんです! ここでアナタを殺すしかないんですよ!」
引き金に指が掛かる。
始まってしまう。
戦いが。
殺し合いが。
取り返しのつかないことを始めてしまう。
「ここを選んだのは、アナタの死体が砂に埋もれて二度と見つからないからです! アナタ自身の言う通り、私達の前から消えてもらいます! アビドスから人が去るなんて珍しくもないんだ、ユメ先輩だって納得しますよ!」
「ホシノ、やめてくれ……! 君に人を殺させたくないんだ! 俺なんかの血で、その手を汚してほしくないんだ!」
「うるさい、黙れ!!」
ヴァッシュの必死の訴えは、ホシノの激情を煽ることしか出来なかった。
「もっとマシな命乞いをしろ! この偽善者!!」
そして、遂に。
引き金は引かれた。
放たれた銃火を以って、二人は戦闘を始めてしまった。
◆
最初の銃撃を、ヴァッシュは避けることに成功していた。
ホシノと対峙した時点で、こういう状況になることは薄々と感じていたのだ。
明確な殺意を向け、銃口を突き付けられて、激情に駆られた相手ならば引き金を引くタイミングさえも分かった。
ヴァッシュの身体に沁みついた戦闘経験が、咄嗟の回避を成功させたのだ。
アビドス校舎の残骸を遮蔽物にして射線から身を隠しながら、ヴァッシュは腰の拳銃を抜いていた。
もはや話し合いで場を治めることは不可能だ。
何よりも、銃を抜いたのは半ば無意識だった。
ホシノの殺気と圧力を受けて、肉体の反応が銃を抜いたのだ。
かつて、殺し合いが日常だった砂漠の惑星で何度も襲われた
「躊躇ってて抑え込める相手じゃねぇか……ッ!」
自分がホシノに銃を向けるなど、ヴァッシュにとっては吐き気を催すような状況だったが、何とか飲み込むしかなかった。
足元の砂を蹴り上げ、遮蔽物の反対側へ移動したと見せかけて、砂埃に紛れながら狙いを定める。
ホシノはそのフェイントに一瞬引っ掛かりかけたが、純粋な反射神経で銃撃に対応した。
瞬発力を含めた身体能力はヴァッシュを凌駕している。
銃を持つ腕を狙う正確無比な射撃を、ホシノもまた近くの遮蔽物に飛び込むことで回避した。
ヴァッシュとは違って追撃を恐れず、すぐさま身を乗り出して反撃する。
銃に対して耐性のある肉体を持つからこそ可能な、強引な射撃だ。
それを銃に対する圧倒的な経験によって読み切り、再び遮蔽物に隠れることで危うげなくやり過ごす。
「その程度の壁なら……!」
ホシノは自身の愛銃に強い念を込めながら引き金を引いた。
キヴォトスの人間――正確には『ヘイロー』と呼ばれる不可思議な光輪を頭上に持つ少女達が共通して持つ力。
銃への耐性を得るだけではなく、自らの銃にその力を込めることで物理的に不可能な威力の上昇を可能とする――それは『神秘』と呼ばれる謎の多い力だった。
その力を込められたショットガンが、貫通力の倍増した銃弾を吐き出す。
ヴァッシュが壁越しにその銃撃を回避出来たのは、気の遠くなるほど積み重ねた『銃と向き合った経験』の果てに生まれた直感によるものだった。
何の理由もなく咄嗟に頭を下げ、その直後にコンクリ―ト製の壁が爆発して吹き飛んだ。
「威力が理不尽なのは分かるけどさ、頭の位置が分かったのはどういう理屈なんだよ!?」
直前の勘による回避を棚に上げて、思わず悪態を吐く。
役に立たなくなった遮蔽物から飛び出して、銃を撃ちながら、ホシノから距離を取った。
お互いの得物はショットガンとリボルバー。
距離を取って撃ち合うような武器ではない。
牽制目的とはいえ、それでも正確に自分の銃を狙って隙あらば無力化しようとする射撃を警戒し、ホシノも咄嗟の応射で反撃することしか出来なかった。
二人の間合いが開く。
銃撃が止み、空白の時間が生まれた。
互いに遮蔽物に背を預けたまま、その僅かな猶予の中で次の接触に備えた。
撃ち尽くした銃に弾を込める。
これもまた二人の銃に共通することだが、ショットガンもリボルバーもマガジンを交換して瞬時にリロードが終わる銃種ではない。
一発一発弾を込める。
しかし、二人の手つきは時計の秒針が時間を刻むように正確で速かった。
「畜生、何やってんだ……! 何やってんだよ、俺は!?」
弾を一発込めるごとに、ヴァッシュの中で後悔が積み上がっていく。
この世界で自分が銃を抜く理由はホシノとユメの為であったはずなのに、その銃を大切な二人の内片方に向けている。
自分自身への耐えがたい嫌悪感に悪態が漏れた。
しかし、その愚痴に何の意味もないことを、戦闘に関して何処までもクレバーな思考が告げてくる。
戦いが始まってしまった以上、必要なのは勝敗による終わらせ方だ。
敗北は自らの死。
この状況での『勝利』とは何か?
――狙うなら『銃』だ。
ヴァッシュは撃つべき一点を決めて、ホシノに銃を向けるという忌避感を無理矢理抑え込んだ。
元より、こんな小型の拳銃では彼女の持つ銃への耐性を貫くことは出来ない。
四肢を撃ち抜いて無力化する方法は、現実的にも心理的にも不可能だ。
彼女の銃を破壊することで、この戦闘の決着とする――それがヴァッシュの定めた勝利条件だった。
「でも、遮蔽物が無意味なら銃撃の脅威はモネヴ並みか……!」
ヴァッシュはかつて相対した敵との戦闘を思い出していた。
どちらも中途半端な壁越しで撃ち合えるような相手ではない。
しかし、一つ有利な点があった。
それは『待ち』の戦法が取れるということだ。
事前のやりとりから、ホシノは自分がこの場から逃亡する危険性を考慮しているはずだった。
二人の前から消える発言をしているのだから、そう捉えてもおかしくない。
彼女は自分をこの場で仕留める為に、積極的に動くはずだ。
必ず勝負を急ぐ。
それを迎え撃つ形で銃を狙う。
あとは、あの時のように一時的にでも銃撃を防げる盾があれば――。
「……これは」
その時偶然にも、ヴァッシュは自分の足元で金属質な何かの一角が砂から顔を出しているのを見つけた。
◆
「……私が、始めたんだ」
弾を込め終えたホシノは自分に言い聞かせるように呟いた。
散弾のショットシェルを限界まで詰め込んだ。
二回目のリロードは挟まない。
この場から逃げる猶予は与えない。
次の接触で勝負を決めるつもりだった。
――狙うなら『頭』だ。
広範囲に広がる散弾の一発でも頭部に当たれば、ヘイローの加護もない生身の彼は確実に即死する。
胴体や四肢を狙うという選択肢はなかった。
自分を圧倒するヴァッシュの戦闘経験や、銃撃に対する巧みな身のこなしを顧みれば、狙いやすい箇所を負傷させて機動力を奪うことは有効に思える。
しかし、手傷を負った彼がどんな反応を起こすのか予想出来なかった。
生命の危機に瀕して、悪夢で見た『あの力』を発現させてしまうかもしれない。
だから、即死させる。
無駄な血を流さず、一撃で確実に命を奪う。
「私が、引き金を引いたんだ」
脳裏に様々なイメージが過った。
彼の頭が粉々に吹き飛ぶ光景や、腹や足を撃ち抜かれた彼が痛みにのた打ち回る姿が――自分が銃を撃つことで起こり得るあらゆる情景が去来した。
ホシノは歯を食いしばって、人殺しへの忌避感が生み出すその妄想を振り払った。
いや。
妄想などではない。
自分はもう、彼が撃たれた時にどんな風に血を流して倒れるのかを知っている。
「私が、終わらせなきゃいけないんだ……!」
――一発で決めないと、二度目の引き金を引ける自信がない。
その事実に必死で目を逸らして、ホシノは物陰から飛び出した。
下手な作戦など考えない。
銃撃戦での駆け引きでヴァッシュに勝てるとは思っていなかった。
自分の持つ身体能力と銃への耐性で強引に押し込み、駆け引きを挟む間もなく速攻で決着をつける。
ヴァッシュが逃げ込んだ可能性のある遮蔽物は幾つかあった。
リロードを挟んだ間に移動している可能性もある。
しかし、関係なかった。
全ての逃げ場を潰すつもりで、ショットガンを撃ちまくりながら突っ込んだ。
放たれた散弾の一粒一粒が爆弾と化したかのように、接触した壁の広範囲を粉砕した。
進行方向にある全てを薙ぎ払いながら、ホシノは走る。
そして、遂に。
破壊した一枚の壁の先にヴァッシュの姿を見つけた。
予想通り、彼は待ち構えていた。
そして――予想外なことに、銃を構えていなかった。
彼が狙うとしたら自分の銃だと思っていた。
これを破壊すれば戦闘を止められる、と。
身体では庇い様がない、銃を向ける一瞬の隙に銃口へ弾丸を撃ち込んでくるだろうと予想していた。
彼の技術ならば、その程度の芸当やってのけるはずだ。
あるいは、彼が自分を直接狙う可能性すら考慮していた。
銃撃に耐性があるとはいえ、眼や口などの急所を撃たれた時に何が起こるのかは自分でも分からない。
それでもいい、と。
そう思っていた。
むしろ、それを望んですらいた。
そうすれば、自分も迷いを振り切ることが出来る。
しかし、ヴァッシュは銃を構えていなかった。
――考えるな。
――これから殺す相手の心を理解するな。
――撃て。
――頭を狙え!
歯車が嚙み違ったように動かない指に無理矢理力を込めて、ホシノは引き金を引いた。
引いてしまった。
自分が取り返しのつかないことをしてしまったという絶望感が過る。
しかし、ホシノが引き金を引くのとほとんど同時に、ヴァッシュは渾身の力を込めて足下の砂を蹴り上げていた。
砂埃を巻き上げて、その下に埋まっていた物が勢いよく起き上がった。
それは巨大な金属製のプレートだった。
表面に色褪せたアビドスの校章が装飾されていた。
かつて、アビドス学園の本校舎を彩るエンブレムとして建物の中心に飾り付けられていた物が、風化によって地面に落下し、長い年月砂に埋もれていた残骸だった。
そのプレートが射線上に挟まる形となって銃弾を受け止めていた。
ホシノの神秘が込められた散弾の威力は凄まじく、金属の表面に弾かれることなくメリ込んでいたが、貫くまでには至らなかった。
この一手で終わらせるつもりだった。
その一手を潰された。
そして、その隙を逃すヴァッシュではない。
彼はアビドスのエンブレムの陰から半身を乗り出して、既に狙いを定め終えていた。
――終わった。
ショットガンにはまだ弾が残っている。
狙いを修正して、第二射を放つべくヴァッシュに銃口を向けようとする。
それが間に合うはずがないということも分かっていた。
――私が始めたことなのに、彼の手で終わらせてしまった。
ホシノとヴァッシュの、視線と銃口が、互いを捉えた。
彼の眼は迷いなく自分を射貫いていた。
――離れてしまった。
――こんなにも。
――ほんの数日前まで彼とユメ先輩が笑い合う光景を見守っていたはずなのに。
極まった集中力の中、全てがスローモーションで流れていく。
引き金に掛かった彼の指が動く瞬間すら見えていた。
――いや。
――離れたのは……私の方か。
自分も指に力を込める。
到底間に合わない。
それを悟ったからなのかもしれない。
二度目の引き金は躊躇いなく引くことが出来た。
これで、終わりだ。
そして――ヴァッシュの銃口が逸れた。
◆
異なる二発の銃声が、乾いた空気の中に鳴り響いた。
ホシノの放った銃弾は、ヴァッシュの左腕に当たっていた。
散弾の強烈な衝撃を受けたヴァッシュの身体は後方へ吹き飛び、バランスを取る余裕もなく地面を転がった。
肘の辺りから吹き飛ばされた義手が、部品をまき散らしながら宙を舞う。
一方で、ヴァッシュの放った銃弾はホシノの顔のすぐ横を通り抜けていた。
背後で金属質な何かが破損する音が響き、すぐに落下音が聞こえる。
倒れたヴァッシュを呆然と見つめていたホシノは、ゆっくりと後ろを振り返った。
そこに転がっていたのは、完全に機能停止した飛行型ドローンだった。
ヴァッシュが撃ち抜いたと思われる新しい弾痕とは別に、破損と経年劣化によって元から半ば故障していただろうことが伺える状態だった。
このエリア周辺をかつての半壊した警備ドローンなどが徘徊して、無差別に襲い掛かって来る可能性があると事前に交わした会話の通りだ。
あの一瞬で、ホシノの背後に迫るドローンに気付いたヴァッシュは咄嗟に狙いを変えたのだ。
ホシノを救うことを優先した。
その事実をようやく受け入れたホシノの顔が、今にも泣きそうな表情に変わった。
胸の内から湧き上がる得体の知れない衝動を抑え込み、起き上がろうとしているヴァッシュを睨みつけた。
「弾はまだ一発残ってますよ。最悪なのがね」
片腕で何とか上半身を起こしたヴァッシュを見下ろして、ホシノはその頭に銃口を突き付けた。
「……頼む。やめてくれ、ホシノ。僕にはまだやり残したことがあるんだ」
自分に向けられた銃口を恐れるどころか意識すらせずに、ヴァッシュはホシノの瞳だけを真っすぐに見上げていた。
「だったら、あのまま撃っていればよかったんですよ。土壇場で仏心を出した、アナタのミスです」
「咄嗟だったんだよ。君の後ろにドローンが見えたから」
「あんな壊れかけのドローンに積まれてる武装なんて、タカが知れてます。襲われても私は大した傷を負いませんよ」
「冷静に考えれば……そうだね」
でも、冷静じゃなかった。
そう言って、ヴァッシュはぎこちなく笑った。
その顔を見て、ホシノは苛ついたように舌打ちした。
「バカ」
「何も言い返せないな」
「マヌケ。トンマ。アンポンタン」
「……そこまで言う?」
「本気で殺しに掛かって来る相手を助けようとする人を他にどう表現すればいいんですか? 本当にどうしようもない偽善者ですよ、アナタは」
「そうかもしれないね。でも」
――君も銃口を逸らしてくれた。
そう言われたホシノは、思わず言葉に詰まった。
その通りだった。
あの一瞬。
自分に向けられた銃口がズレたことを察した瞬間に、自らも狙いを逸らしていた。
咄嗟に、当たっても問題のない機械の左腕を撃っていたのだ。
「君はやっぱり、人を殺せるような人間じゃない」
「……私に、人殺しの覚悟がないとでも言うんですか?」
「そんなくだらない覚悟があるなら、むしろ捨てるべきだ」
ヴァッシュの諭すような言葉に、ホシノは目つきを険しくさせた。
「君が人殺しをする必要なんてない。言っただろう、僕はすぐに君達の前から消えるよ」
「……」
「なるべくアビドスから離れるようにする。もう二度と近づかない。このキヴォトスの何処かで僕みたいな化け物が生きていると思うと、不安を感じるかもしれないけれど」
「……黙ってください」
「僕自身も、本当にどうやってこの世界にやって来れたのか分からないんだ。だけど、いずれ帰る方法を見つけて、この世界からも消えるよ。だから――」
「黙れって言ってるんですよッ!!」
ホシノは銃を投げ捨てると、両手でヴァッシュの胸倉を掴み上げた。
強引に引き寄せられ、顔を突き合わせる形になったヴァッシュは思わず言葉を詰まらせた。
よく見れば、ホシノの瞳には涙が溜まっていた。
「今も! さっきも! アナタはそうやって自分の都合ばかり! 勝手に私達の前に現れて、勝手に消える算段を立てて……私達を翻弄して楽しいんですか!?」
「えっ、いや……でも。僕が近くに居たら、君も怖いだろう……?」
「ええ、怖いですよ! アナタの右腕には得体の知れない兵器が仕込まれてるんです! その銃口が何時、何処に向くかも分からない生活なんて、怖いに決まってるじゃないですか!」
「……ああ、そうだよ。それが正常な反応だ。だから、僕は」
「でも、その『銃』の怖さとアナタの意思は関係ないじゃないですか!」
ホシノは慟哭するように叫んでいた。
「ヴァッシュが望んでその『銃』の引き金を引くような人じゃないことくらい、もう嫌というほど分かりましたよ! 三度目の過ちを繰り返さないって信じたい! だけど……ッ!」
捲し立てようとした言葉が途中で詰まる。
自分が何を言おうとしたのかさえ分からなくなったように、声が出なくなった。
おそらく、ホシノ自身も自分が何を言いたいのか、心の整理がついていないのだろう。
しかし、彼女の口から矢継ぎ早に吐き出される言葉は全て彼女の本心だ。
それを察したヴァッシュは、ぶつけられる様々な感情の渦を黙って受け止めることにした。
「……私が見た悪夢の中で一番最悪だと思うのは、アナタの力がアビドスを滅ぼす所じゃないんです」
もはや流れる涙を隠そうともせず、ホシノは弱弱しく言葉を紡いだ。
「アナタの撃った銃弾がアビドスを消し飛ばして、それにユメ先輩達が巻き込まれて、皆消えてしまって――」
その悪夢が現実になる可能性がある。
絶対に在り得てはいけない現実が。
だからこそ、自分は彼女達の前から去らなければならない、と。
改めて思い知るヴァッシュに対して、
「そして、
ホシノの悲痛な訴えは、頭を殴りつけられたような衝撃だった。
「瓦礫の山を前にして、私だけが残されてるんですよ」
「ホシノ、それは……」
「ユメ先輩がいなくなって、帰る場所もなくなって、ヴァッシュまでいなくなったら――私は、アナタを憎むことも許すことも出来なくなるじゃないですか」
ヴァッシュは、ようやく自身の過ちを悟った。
「アナタが近くにいると不安になるし、怖くもなります。でも、一緒に過ごした時間が楽しくて、心強かったことも本当なんです。もし、アナタが少しでも同じように感じてくれたのなら」
ホシノと対峙した時から今まで、どれだけ浅はかな言葉を口にしたのかを。
「最後まで一緒にいてくださいよ。アナタを傷つけることになるかもしれないけど、お願いだから逃げないで……」
それがどれ程ホシノの信頼を裏切り、傷つけたのかを。
「いつか、目の前からいなくなってしまう可能性を考えている人を、どうやって信じればいいんですか?」
自分の決断が、どれだけ独りよがりだったのかを――。
「……ごめんなさい。銃を向けておきながら、ワケの分からないことを言っていますね」
「いや……」
涙を拭って謝罪するホシノに対して、今度はヴァッシュの顔が泣き出しそうに歪んでいた。
「僕の方こそ、ごめん……本当に」
自分自身のバカさ加減に呆れ果てる。
どうしようもないほどに、人を悲しませてばかりいる、失敗だらけの生き方だ。
一度膝を折った自分にもう一度立ち上がる力と意味をくれた。
笑い方を思い出させてくれた。
そんな二人を怯えさせるくらいなら、離れた方がいいと考えた。
このかけがえのない日常を惜しんで、いずれ起こるかもしれない災厄に巻き込む可能性を残すくらいなら、と。
だが、違った。
怯えていたのは、何よりも自分の方だった。
信じていなかったのは、誰よりも自分だった。
それが大切な相手に銃を向け合う状況を生み出してしまったのだ。
「……ホシノ。一緒にアビドスに帰ろう」
後悔に折れそうになる膝を叱咤して、ヴァッシュは立ち上がった。
ずっと抱えていた苦悩を吐き出し、力なく座り込んでしまったホシノに手を差し出す。
「帰って、ユメに全てを話そう」
「……全てって、何をですか?」
「君が見た悪夢、今日ここで起こったこと、そして僕が知っていることや考えていること……とにかく全部話すんだ。三人で最後まで話し合おう」
「そんなことをして、一体何の意味があるっていうんですか?」
「分からない。僕自身も、どうすることが一番良い選択なのか分からないんだ。だけど、多分僕達二人だけで決めちゃいけないことだと思う」
「……」
「三人で、一緒に考えるんだ。まずはそこから始めよう」
ホシノはその言葉に黙って聞き入っていた。
じっと差し出された手を見つめる。
その『右腕』を。
「……はい」
やがて躊躇いがちに、ホシノはその手を握り返した。
◆
「ただいま、ユメ。ホシノを連れて帰って来たよ」
「只今戻りました、ユメ先輩。すみません、お騒がせして――」
二人が帰って来た時、生徒会室には誰もいなかった。
ホシノがここを飛び出して、それをすぐにヴァッシュが追い、戻って来るまでの間に数時間が経過している。
それでもまだ日中であり、日が暮れてユメが帰宅するような時間ではなかった。
実際に、室内の様子は出て行った時とほとんど変わっていない。
ユメの荷物さえ、そのまま置かれている。
ただ、ユメ自身だけがいない。
――何かの用件で何処かへ出かけたのか?
――明らかにトラブルで飛び出していった二人の安否も気にせずに?
ヴァッシュとホシノの脳裏に、嫌な予感が過った。
言いようのない不安が。
生徒会室でユメが普段座っている机の上には、欠けた部分をテープで補強したヴァッシュの学生証だけが残っていた。
「……ユメ先輩?」
――三日後。アビドスの街中を探し回ったが、ユメの行方は分からないままだった。
トライガン単語解説『モネヴ』
GUNG-HO-GUNSの1『モネヴ・ザ・ゲイル』のこと。
筋肉モリモリマッチョマンで、作中で明確にヴァッシュだけを襲った刺客の最初の一人。
戦闘スタイルはシンプルで、その筋肉で常人には制御不可能なほどの重火器をぶっ放す。
その火力は遮蔽物越しどころか、射線が街中を一直線に貫くほど強烈。まさに『突風(ゲイル)』
こいつが登場してからもともとハードな作風が更にシリアスになっていくのだが、後のマキシマムに出てくる刺客どもに比べると変態度は大分低め。
いわゆる『四天王の面汚し』ポジに近いが、この直後に出てくる二人目が手負いのモネヴにとどめを刺してイキってる更なる雑魚なのであまり格落ち感は感じない。
旧アニメ版では原作で物足りなかった描写の追加と声優さんの熱演で更に盛り上がる。
殺意で引き金を引きそうになるヴァッシュと命乞いするモネヴの迫真のやりとりは必見。