https://huyucolorworkshop.com/wn_pm_trac/
実にありがたいことです。
紹介してもらったこともそうですが、原作知ってる人が話題として挙げてくれてるっていうのが本当に嬉しいです。
「令和にトライガンってやっぱり古すぎるのか?」と不安に思うこともありますからね。
若き少年少女の諸君! トライガンはいいぞ。程よい長さで完結してるし、ハッピーエンドなのも保証するぞ。
でも、気分が落ち込んでる時にマキシマム六巻を読むのはやめとこうな!
梔子ユメが行方不明となって三日が経っていた。
依然、彼女は見つからない。
状況からして、ユメが衝動的に生徒会室を出て行ったのは明らかだった。
彼女の荷物は入室した時と同じ位置に置かれたままであり、その中身も手つかずだった。
携帯端末さえ置きっぱなしである。
GPSで位置を探ることや、連絡さえ取ることが出来ない。
ヴァッシュとホシノは二人掛かりでユメを探し回った。
しかし、見つからない。
心当たりのある場所。
行くはずがない場所。
全く関係のない場所。
アビドスの街中を二人で走り回った。
それでも、見つからない。
一日、二日、と。時間が過ぎるごとに焦りと不安が積み重なっていく。
アビドスの数少ない住人達に苦心して話を聞き出したが、ユメを見たという情報は一つもなかった。
人のいる場所に行っていないのなら、人のいない場所に行ったとしか考えられない。
砂漠だ。
ユメはおそらく砂漠に行った。
そして、それは二人にとって絶望的な結論だった。
「……ホシノ、ちゃんと眠ってるかい?」
四日後の朝。
生徒会室を訪れたヴァッシュは、憔悴しきった様子のホシノを見つけた。
一体、いつからここにいたのか。
あるいは家には帰らず、ここで夜を明かしたのかもしれない。
この三日間で疲れ果て、汚れ切ったボロボロの姿でホシノは椅子に座っていた。
まともに眠れているはずがなかった。
ヴァッシュの言葉に顔を上げたホシノの眼には酷い隈が浮かんでいた。
「……眠れませんよ。そんなことに、時間を無駄には出来ませんから」
「そうか……」
眠る間も惜しんでユメを探し回っていることは明らかだった。
だが、それは逆効果だ。
眠った方がいいに決まっている。
ヴァッシュ自身も同じ理由で睡眠時間を削ってはいるが、それでも短時間でも眠るようにしていた。
そうしなければ自分自身がまともに動けなくなるし、思考も鈍ることを知っているからだ。
生きることにシビアな世界で積み続けてきた人生経験が、ヴァッシュに冷静さを保たせていた。
若いホシノにはそれがない。
このままいたずらに体力を消耗し、最悪倒れてしまえばユメを探すことも出来なくなる。
そんなことはホシノ自身も理屈では分かっているはずだった。
しかし、未熟な心ではその理屈を受け入れられないのだ。
「……私のせいですよね?」
疲れ切った声で、ホシノがポツリと呟いた。
「ユメ先輩がいなくなったのは、私のせいですよね?」
それはこの場にいるヴァッシュに向けたようにも、あるいはいなくなったユメに向けたようにも聞こえる独白だった。
「私がユメ先輩を傷つけて、不安にさせたから、ここから出て行ってしまったんですよね?」
「違う」
ヴァッシュは強く否定したが、その言葉はホシノの心には響かなかった。
「違いませんよ。だって、それ以外考えられないじゃないですか。私がヴァッシュを連れ出して、殺そうとしたのが原因に決まってます」
何の根拠もない結論に対してヴァッシュは再び口を開こうとしたが、否定の言葉は出てこなかった。
状況的に考えてみれば、確かにユメの行動の発端はそれとしか思えないからだ。
彼女が衝動的に生徒会室を飛び出したと思われた時、自分達は砂漠で銃を突きつけ合っていた。
大切な人達が銃を向け合って殺し合いを始めようとしている。
心優しい彼女がそれを知って、駆けつけようとしないワケがない。
もちろん、この理屈は最初から破綻している。
ユメが知るはずがないのだ。
あの時自分達がいたのは遠い見捨てられた砂漠の一角だった。
ホシノ自身が人知れずヴァッシュを始末しようと選んだ場所なのだ。
あの場所での出来事を、ユメが知る方法などないはずなのだが――。
――あの羽根か?
ヴァッシュはホシノが持っていた白い羽根のような物質に思い至っていた。
自分の持つ力は理解出来ていない部分が多いが、あの羽根がその力の一端を具現化したものだということは間違いない。
少なくともあの羽根は、かつて砂漠の星で
あの羽根を持つホシノは、ヴァッシュの過去の記憶を夢という形で追体験していた。
――あの羽根には、他人の記憶や思考、あるいは精神を繋げる力があるのではないか?
そんな突拍子もない考えに至ってしまう。
しかし、この状況に至るまでの理屈は通ってしまう。
通っているが故に、そのまま最悪の結論に行き着きそうになって、ヴァッシュはこれまで必死に否定しようとしていた。
――もし、何らかの方法でユメが二人の殺し合いを知ったのなら。
――それを知って、戦いを止める為に衝動的に飛び出したのなら。
――彼女は自分達を探す為に砂漠へ向かったことになる。
――何の準備もせずに。
これが三日前の話なのだ。
最悪の推測だった。
あの広大な砂漠から一人の人間を探し出すこと自体無謀だが、もう既に三日も経っている。
しかも、あの日は砂漠で砂嵐も起こっていたのだ。
もしも、その砂嵐に巻き込まれて行方不明になったというなら――。
ホシノが眠ることすら出来ないほど焦燥に駆られている理由も理解出来た。
ヴァッシュと同じ推測に至り、その原因が自分の行動によるものだと理解して、後悔と罪悪感で押し潰される寸前なのだ。
「全部私のせいだ……私が、ヴァッシュのことを信じられなくて、ユメ先輩にまで当たり散らして……」
「僕のことを信じられなかったのは仕方がないよ。何も不自然なことじゃないさ。でも、ユメにキツく当たったのは確かによろしくないね」
ホシノは自分と同じように疲れ切っているはずのヴァッシュを見上げた。
「だから、ユメを見つけたら真っ先にそのことを謝らなきゃダメだよ」
そう言って、努めて明るく笑おうとするヴァッシュの顔にも、確かに疲労の色が浮かんでいる。
彼もまた、自分と同じように疲弊した身体に鞭を打って街中を駆け回っていたのだ。
それに今のヴァッシュは隻腕の状態だった。
破損した義手のスペアはなく、左腕の袖は力なく垂れ下がっている。
汚れて疲れ果てた様子も相まって、その姿は酷く痛々しい。
だが、忘れてはいけない。
彼は自分が撃ったから左腕を失ったのだ。
それでも自分を気遣ってくれている。
ホシノの眼に、これまで堪えてきた涙が滲んだ。
「ごめんなさい……ヴァッシュ、ユメ先輩。ごめんなさい……!」
「ホ、ホシノ……?」
「私がバカでした……色んなことを知ってるつもりになって、本当は何も分かってない……何も出来ない、ただのバカな子供で……ッ!」
この三日間で、ホシノは自分自身の無力さと無能さ加減に打ちのめされていた。
街中でユメを探している時のことだった。
彼女の目撃情報を得る為に、数少ない住人に話を聞いていた。
大抵の住人は非協力的だった。
ほとんどの住人が、この滅びゆく街を離れたくても離れられない事情を抱えていて、大抵それは経済的な理由などの本人にとっては不本意なものだ。
出ていけるものならば、すぐにでも出ていきたい。
そんな住人が無気力になり、他者に対して無関心になるのも仕方がない話だろう。
生活を苦しくしていくこのアビドスという環境そのものに憎悪を抱く者も少なくない。
ホシノが声を掛けたのは、そんな一人だった。
『ああ? 知らねぇよ。大方、この街が嫌になって逃げ出したんだろ。アビドス復興の署名だの何だの道端で喚いてたくせに勝手なもんだ。煩わしいのがいなくなってせいせいするぜ』
そんな愚痴交じりの心無い返答が返ってきた。
ユメの安否が分からず、精神的に追い詰められ始めていたホシノにとって、その言葉はこれ以上なく神経を逆撫でするものだった。
胸倉を掴み上げ、殺気を滲ませて睨みつける。
ヴァッシュが止めなければ、そのまま銃すら抜いていたかもしれなかった。
多少効率が悪くとも余裕のないホシノを一人にはしておけないという配慮が、致命的な事態を回避した。
しかし、問題はその後だった。
他の住人達がホシノ達を避けるようになった。
悪意や嫌がらせというわけではなく、単純にホシノが垣間見せた暴力を恐れたからだった。
ホシノとヴァッシュを見ると、怯えた様子でその場から逃げ出してしまうようになった。
一時の衝動に身を任せた結果、聞き込みすらまともに出来なくなってしまった。
「ユメ先輩が前に言ってました……『争いに慣れるべきじゃない』って。今更になって、その意味が分かって……本当に私は、どうしようもない……」
自分自身を呪い続けるホシノを見下ろしながら、ヴァッシュは立ち尽くすしかなかった。
言葉を掛けることを諦めるべきではないと分かっているが、何を言えばいいのか分からない。
確かに、ホシノはどうしようもないくらい子供だった。
普段の冷静な言動や現実的な視点から出る意見、一度銃火を交えた際に実感した高い戦闘力は、まるで大人よりも大人らしい印象を与えるが――。
やはり、彼女は精神的に未成熟で、これまでも自分の感情に振り回されている。
力が強いだけの、まだまだ人生というものを知らない子供だった。
それが罪であるはずがない。
当たり前のことだ。
しかし、今この状況ではホシノ自身がその罪を許さないのだ。
――ユメを見つけないと、このままじゃホシノまで。
もし、ユメに万が一のことがあれば、ホシノが抱える後悔と自責の念は彼女の人生を永遠に狂わせるだろう。
ユメを絶対に見つけ出さなければならない。
情報収集は不完全だったが、ユメがまだ街の何処かにいるという考えは楽観的に過ぎると断言していいだろう。
いよいよ、砂漠の方面を探す必要が出てきた。
もちろん、探す宛てなどない。
そして、時間もない。
水も食料もなく砂漠に迷い込んだ人間が、一体どれだけ生きていられるというのか――。
「……神さま」
弱音など、決してホシノに聞かれてはならない。
自分が折れれば、彼女は今度こそ錯乱してしまうだろう。
しかし、もはやヴァッシュ自身も手詰まりだった。
祈らずにはいられない。
ああ。
神さま、お願いします。
ほんの少しだけでいい。
道を教えてください。
ユメの下へ続く道を。
助けを求めているはずの、彼女の声を届けてください――。
◆
――遠くで不吉な鐘の音が鳴っている。
銃声にも似た恐ろしい音だ。
その音が耳を打つ度に、意味もなく不安を掻き立てる。
ここではない遠い場所の出来事だと自分に言い聞かせて、必死で耳を塞いでも聞こえてしまう。
聞きたくないのに、きっとこの部屋が静かすぎるから。
いつもなら、二人がいて、こんな些細な音など気にも留めないのに。
その二人が、今はいない。
「ホシノちゃん」
大切な人の叫びが聞こえる。
普段は厳しくて、だけど優しくて、冷たく小言を口にするのに、いつも手助けしてくれる。
大切で可愛い後輩。
その彼女が血を吐くように叫んでいる。
大切な人が大切な人に向かって『殺してやる』と叫んで、銃を向けている。
身体の芯が凍り付くような光景が見える。
そして、何よりも銃を向けている彼女自身が、こんなことを望んでいないと分かってしまう。
相手を罵倒しながら、その胸の内側では悲鳴を堪えているのが伝わってしまう。
「そんなことしちゃダメだよ」
したくないことをしちゃダメだよ。
それがどんなに必要なことでも、大切な人に銃を向けちゃダメだよ。
その引き金を引いたら、相手だけじゃなくてアナタ自身も取り返しのつかない傷を負ってしまうよ。
ましてや、それが。
わたしや学校を守る為なんて、自分の気持ちを捨てた理由で引き金を引くなんて――。
「ヴァッシュ」
大切な人の嘆きが聞こえる。
普段は優しくて、だけど何処か寂しげで、いつもニコニコ笑っているけれど、心の奥で何かの後悔を抱えている。
大切で温かい彼。
その彼が懺悔をするように蹲っている。
自らを責め立てる言葉に耐え、裁きの銃弾を受け入れようとしている。
また、あの空っぽの笑い方に戻ってしまった。
彼はきっと、自分がこの世界に生きていることに何の価値も感じていないのだ。
「そんなことないよ」
この世界は広くて、色んな場所があって。
そして、アナタは何処へでも行けるんだから。
土砂降りの雨を抜けたら、陽のあたる海を見にゆこうよ。
そこから先は、その時決めればいいよ。
何処にでも行けるんだよ、ヴァッシュ。
だから。
その手の中にある切符を、決して手放さないで。
死ぬなんて言わないでよ。
わたし達と一緒に色々見ようよ。
歩こうよ。
いつか、このアビドスやキヴォトスの外まで――。
「ホシノちゃん」
走る。
「ヴァッシュ」
走る。
「二人とも」
走る。
「銃を向け合うのをやめて」
遠くで大切な二人が殺し合っている。
見えるはずのないものが見えて、聞こえるはずのない音が聞こえた。
現実とは思えないほど曖昧なのに、幻覚だと振り払うにはあまりに強すぎるほど心に響いた。
衝動的に学校から飛び出していた。
ロクな物を持たずに駆け出して、道路を走り、朽ちかけたレールを伝って、砂漠にまで足を踏み出した。
傍から見れば、狂人の所業にも見えていただろう。
実際に、まともではなかったのかもしれない。
ホシノがヴァッシュに殺すつもりで銃を向け、実際にその引き金を引いてしまった瞬間が、突然頭の中に流れ込んできたのだから。
砂漠をがむしゃらに進み続け、周囲が強い風と砂埃で囲まれ始めた時になって、ようやく正気を取り戻した。
砂嵐に巻き込まれて、生命の危機に陥っていると実感する。
しかし、その危機感と同じくらいに、早く二人の所へ行かなければならないという焦燥感があった。
このままだと、自分は死んでしまうかもしれない。
このままだと、二人の内誰かが誰かを殺してしまうかもしれない。
それはどちらも同じくらい恐ろしかった。
だから、また走った。
砂漠で遭難した時の冷静な対処なんて、出来なかった。
走って。
彷徨って。
自分が何処にいるかも分からなくなり。
太陽に焼かれて。
砂に足を引かれ。
乾く。
「……ホシノちゃん……ヴァッシュ」
どれだけの時間そうしていただろう。
頭の中で響いていた不吉の鐘の音は、今はもう聞こえない。
いつの間にか足は止まっていた。
そうするだけの力も枯れていた。
砂に埋もれるように倒れこんだ。
――二人に会いたい。
意識を失う前にユメが願ったことは、ただそれだけだった。
◆
その時、何の前触れもなくユメの声が聞こえた。
「――ホシノ!」
にじり寄る絶望感に打ちひしがれていたヴァッシュは、勢いよく顔を上げた。
見れば、ホシノも目を見開いてこちらに視線を向けている。
「今、ユメの声が聞こえたか!?」
「……私の幻聴じゃないですよね?」
二人して、信じられないといった表情を向け合う。
自分一人ならばともかく、二人が同時に聞こえたのならば、それは都合のいい幻覚で片付けていい現象ではない。
確かに聞こえたのだ。
ユメが『会いたい』と、消え入りそうな声で呟くのが。
そして、言葉以外のホシノとヴァッシュに向ける想いが各々に伝わっていた。
もはや理屈ではない。
確信だ。
ホシノがヴァッシュの過去を夢で知り、二人の戦いがユメに伝わったように、遠く離れた場所で倒れた彼女の精神が最後に二人と繋がったのだ。
「ホシノ、砂漠に行くぞ! 準備をしてくれ!」
胸を巣食っていた諦念が嘘のように消し飛び、ヴァッシュは立ち上がった。
やるべきことが見つかったのだ。
そして同時に、一刻の猶予もないことを知った。
すぐにでもユメを助けに行かなければならない。
ホシノも同じ気持ちだったが、こちらは困惑も大きかった。
「で、でも場所が分かりませんよ!」
大急ぎで水やコンパスをバッグに詰め込みながらも、ホシノは戸惑うように言った。
ユメの声を聞いたのは間違いない。
彼女は生きている。
しかし、一体何処にいるのか、出所の分からない声一つでは推測すら出来ないのだ。
「大丈夫だ、場所は分かる!」
ヴァッシュは力強く断言した。
「わ、分かるんですか!?」
「分かる! ホシノ、あの白い羽根はユメが見つけて、持ち帰ったって言ってたよな?」
「羽根? は、はい……私が持っていた羽根と同じ物なら、ユメ先輩も持ってます」
「だったら、間違いない! 僕には場所が分かる! すぐに向かうぞ!」
ヴァッシュ自身も、何故自分がこんなにも断言出来るのか明確な根拠は分からなかった。
しかし、間違いなく分かるのだ。
おそらくホシノには漠然としか聞き取れなかった声の出所が、ヴァッシュにはハッキリと感じ取れた。
それは『共鳴』という表現が一番近いのかもしれない。
自分の力の一部であるあの白い羽根が発する何かが、同じ存在である自分の感覚にだけ響いて感じ取れているようだった。
いずれにせよ、ホシノに理屈を交えて説明出来る知識も時間もない。
今はこの感覚を信じて行動する他なかった。
「大丈夫だ! ユメは必ず助ける!」
「……はい!」
ホシノの眼に力が戻る。
準備を終えた二人は、すぐさま学校を飛び出した。
街中を走り抜け、電車を経由して、見捨てられた砂漠へと辿り着く。
幸いなことに、三日前に発生していた砂嵐は治まっている様子だった。
完全に無風の状態で、砂の大地が地平線までハッキリと見通せる。
そして、だからこそ絶望的な光景にも感じられた。
背後に残る廃墟同然の駅さえ見えないほど進んでしまえば、あとはもう視界に映るのものは砂しか残らないだろう。
コンパスがなければ、自分達も方向を見失って遭難し、死の危険すらあり得る。
ましてや、この環境の中でユメという一人の人間を宛てもなく探すなど不可能に等しい。
改めて現実を認識して、不安と絶望が湧き上がりそうになるホシノの前を、ヴァッシュが躊躇なく先導した。
「こっちだ。ユメの声はこっちから聞こえた」
ヴァッシュの言葉を、半ば呆然とするホシノは聞き流していた。
今更ながら、あの時聞こえた声はやはり幻聴だったのではないかと不安になる。
例えこの場にユメがいたとして、彼女が直接声を上げて自分達を呼んだとしても、この広大な砂漠の中で正確に聞き取れる自信はない。
そして、生徒会室で聞いたユメの『声』は、あれ以来一度も聞こえてこなかった。
これは何を意味するのだろう?
あれが例え幻聴でなかったとしても、もう聞こえないということはユメ先輩の身に何かが起こって――。
「ホシノ」
悲観的な考えに押し潰されそうになるホシノを、ヴァッシュの声が現実に引き戻した。
いつの間にか俯いていた顔を上げれば、こちらを見るヴァッシュの瞳もまた揺れ動いているように感じられた。
彼も不安なのだ。
自分の聞いたもの、自分の感じているものを疑いそうになっている。
絶望的な現実が、全ての決意を挫こうとしてくる。
彼もまた、それに対して必死で抗っているのだ。
「……ユメ先輩を、見つけましょう」
ホシノは歯を食いしばって、足を一歩踏み出した。
二人は黙々と歩みを進めた。
遮る物のない太陽の光が容赦なく肌を刺し、焼けた空気が肺を燃え上がらせる。
改めて、ここが生物の生存を拒絶する過酷な環境なのだと実感する。
人間はもちろん、ほとんどの生物が生きていける場所ではない。
三日だ。
もしもユメがここにいるのだとしたら、三日間もこんな環境に置かれたことになる。
一滴の水すらなく、自分達を探して彷徨い続けた。
その姿を思うと、ホシノは涙が溢れて止まらなかった。
しかし、そんな感傷に意識と水分を割いている余裕はない。
涙を拭うと、ヴァッシュの背中だけを見て歩き続けた。
◆
やがて、ヴァッシュはひと際小高い砂の丘の上で立ち止まった。
周囲を一望できる場所だ。
とはいえ、すでにかなりの距離を歩いた為に、もはや建物らしい建物は視界に映らない。
周囲一帯、砂とそれが積み上がった丘ばかりが見える。
何処を見ても同じような光景で、人を見つけるどころか方向感覚を失ってしまいそうだった。
ヴァッシュはそれでも辺りを見回していた。
「どうしたんですか?」
ホシノは思わず問い掛けていた。
何かを探しているのなら教えて欲しかった。
二人で探せば、きっと見つかる。
その為について来たのだ。
「……ここなんだ」
「え?」
しかし、振り返ったヴァッシュの顔は絶望と焦燥に満ちていた。
「ユメの声が聞こえたのは、ここなんだ」
「そ、それって……」
「ここなのは間違いないんだ!」
そう叫ぶヴァッシュの声は悲鳴のようだった。
何度見ても、辺り一面砂ばかりだ。
ユメの姿はもちろん見えない。
しかし、ここに至って二人は改めて現実を直視した。
仮に、ユメが自分達に最後の声を届けたのがここで間違いなかったとして、この範囲の中からどうやって彼女自身を探し出せばいいのだろう?
倒れ伏した彼女の身体は砂に埋もれてしまっているのかもしれない。
大小幾つもある丘の向こうに隠れて横たわっているのかもしれない。
何の宛てもなく砂漠を探し回るよりは、ずっと現実的な範囲だろう。
しかし、それでも――。
「そんな……広すぎますよ」
ホシノは呆然と呟くしかなかった。
目の前にある小さな砂の丘の陰にユメが倒れているような気がする。
あるいは、遠くに見える砂の盛り上がりの下に埋もれてしまっているのかもしれない。
探す方向を一つ間違えれば、そのすぐ後ろで砂に隠れているユメの姿を永遠に見失ってしまいそうだった。
しらみつぶしに探せというのなら、するだろう。
例え自分が日に焼かれ続けようと、ユメを見つけるまでここから離れはしない。
ただ――時間がない。
今、この瞬間にも息絶えているかもしれないユメを探し出すのに、これほど絶望的な広さはなかった。
「……ユメ先輩! いたら返事をしてください!!」
ホシノは声の限り叫んだ。
焼けた喉が引き攣るまで叫び続けた。
しかし、何の反応も返ってこなかった。
――もう一度、ユメの声が聞こえれば場所が分かるはずだ。
――もう一度だけ、あの時のような声が聞こえたら!
――絶対に分かるんだッ!
ヴァッシュもまた必死で考えを巡らせていた。
遠く離れた学校にまで声は届いたのだ。
あと一度だけでもユメがあの時のような『声』を発してくれれば、必ず正確な位置を割り出せる自信があった。
しかし、その為にはユメの方から反応を示してもらわなければならない。
こちらの呼びかけに応えられない状態では、どうしようもない。
意識が朦朧としているのか。
あるいは、既に意識を失ったか。
まさか、死――。
「……ホシノ、あの羽根は持ってるか!?」
最悪の結末が脳裏を過ると同時に、起死回生の案が閃いた。
「あの羽根……も、持ってます!」
「この羽根が鍵なんだ! こいつを伝って、ユメの声が聞こえたんだ! きっと!」
「ど、どういうことなんですか!?」
「僕にも理屈はよく分からないけど、この羽根は多分『プラント』の力の結晶のようなもので、通信機みたいに思考を直接脳に伝達出来るんだよ! 多分! おそらく!」
「何言ってるんですか!? 『プラント』って、何の話をしてるんですか!?」
「だ、だから僕にもよく分かんないんだって! とにかく、こいつを使えばユメの頭の中に直接呼び掛けられるかもしれないんだ! 意識を失っていても、何か反応を返してくれるかもしれない!」
ヴァッシュの説明は、まともな説明になっていなかった。
それは焦燥感が生んだ、直感的な思いつきだった。
しかし、その必死な勢いから、自分には分からない確信を持っていることだけはホシノにも理解出来た。
「使うって言ったって……どうやって使えばいいんですか!?」
至極当然なその問い掛けに対して、ヴァッシュは言葉に詰まった。
頭の中で順序立てて出来上がった案ではないのだ。
ただ思いつくまま、感じるままに口にしてしまった。
どうすればいいかなんて、自分にも分からない。
そんなヴァッシュの様子と、懐から取り出した白い羽根を、ホシノは何度も見比べた。
――この羽根が鍵だ。
ヴァッシュはそう言った。
もう、彼の言葉を疑うような段階ではない。
彼を信じる。
信じて、ユメ先輩を必ず助け出す。
ホシノの中で、全ての理屈を通り越して、ただその決意だけが固まっていた。
「……ユメ先輩」
手の中にある白い羽根をじっと見つめる。
悪夢の中で見た羽根。
ヴァッシュの力の一端を表すモノ。
湧き上がる恐怖を堪えて、ゆっくりとその羽根を自分の額に近づける。
何故そうしようと思ったのかは分からない。
しかし、自分の持つ感覚がそうしろと告げている。
「……お願いします、応えてください」
祈るように両手で握り締めた羽根が、ホシノの額に触れた。
「――ユメ先輩!!」
――ユメ先輩!!
次の瞬間、白い羽根が光の粒子となって弾け飛んだ。
ホシノの行動を、固唾を飲んで見守っていたヴァッシュも目を見開く。
今、確かに聞こえたのだ。
直接発した声とは別に、ホシノのユメを想う強い思念が、直接脳内を奔ったように感じた。
それは生徒会室の中で砂漠にいるユメの声を聞いた時と同じ感覚。
いや、あの時以上に強烈で鮮明にホシノの心の声が届いていた。
そして、少しの間を置いて。
――ホシノちゃん。
――ヴァッシュ。
声が聞こえた。
酷く小さく、力を失いかけている。
しかし、聞き間違えようもない。
それは確かにユメの声だった。
「――聞こえた!」
「私にも聞こえました!」
「こっちだ!」
「はい!」
二人は駆け出した。
ここに至るまでのヴァッシュの感覚に間違いはなかった。
たった一つ、丘を越えるだけでよかった。
ただ漠然と見渡していては視界の端にも引っ掛からない、何の変哲もない小高い砂の丘一つ。
周囲を見渡せば同じような丘は無数に存在する中で、二人が越えた一つの丘の陰に、探し求めていた姿を見つけた。
「ユメ!」
「ユメ先輩!」
半身を砂に埋もれさせた状態で、ユメが倒れていた。
すぐさま駆け付けて安否を確認する。
「い、生きてる……」
今にも途切れそうだが呼吸を繰り返し、弱り切ってはいるが脈打っている心臓を確認して、ホシノはそれこそ自分が倒れ込みそうな安堵を感じた。
ユメの状態は酷い有様だった。
あの時聞こえた声が最後の力だったのか、今は完全に意識を失って、何の反応も示さない。
肌は水分を失ってひび割れ、重度の脱水症状を起こしている
直射日光を浴び続けた上に熱い砂に倒れていた為か、身体の一部は低度の火傷を負っていた。
しかし、生きている。
一刻の猶予もない危険な状態だが、ユメはかろうじて生きていた。
自分達は間に合ったのだ。
「でも、急いで治療をしないと危ない。そういえば、アビドスって病院まだ残ってるよね?」
砂に半分埋まったユメの身体を、負担を掛けないよう慎重に引きずり出しながらヴァッシュは訊ねた。
「学校の近くに一軒、まだ営業しています。小さい診療所ですけど、点滴くらいの設備はあるはずですよ。ユメ先輩が何度もお世話になってる顔なじみですから、多少の無理も効きます」
「よし、すぐにそこへ運び込もう。僕がユメを背負うから、ホシノはコンパスを見て帰り道の先導だ」
「分かりました。でも、とにかく今はユメ先輩に水を――」
そう言いながら、ホシノがバッグからコンパスと水筒を取り出した時だった。
何の前触れもなく、地面が揺れた。
ヴァッシュとホシノは不定期に発生する砂嵐を警戒して、周囲の変化には常に気を配っていたが、足元の変化には全く意識を割けていなかった。
突然の揺れに、元々不安定な砂の足場であることも加わり、バランスを崩して倒れ込んでしまう。
「な、何だ!? こんな時に地震!?」
それは地震というには奇怪な現象だった。
地面が振動しているのは間違いない。
しかし、その振動源が移動している。
足元から衝撃を受けたように激しい揺れに襲われたかと思えば、それは一瞬で別の場所へ遠ざかっていく。
それはまるで『何か巨大な物が砂の下を動いているかのような現象』だった。
「気を付けろ! 下に何かいるぞ!?」
ヴァッシュが警告を発するまでもなく、ホシノも何らかの存在を感じ取っていた。
何処から何が来るのか全く分からないが、それでもユメを庇う為に銃を地面に向ける。
その瞬間、それは姿を現した。
ひと際大きな揺れと共に、まるで水面からクジラが顔を出す瞬間のように砂を盛り上げて、真っ白な金属の巨体が現れたのだ。
その威容を目にして、ヴァッシュとホシノは一瞬呆気にとられた。
あまりに巨大だったからだ。
その存在が、二人から遠く離れた位置に現れたのは幸運だった。
もしも、足元からあの巨体が飛び出していたら、自分達は空高く打ち上げられて、地面に叩きつけられていただろう。
遠く離れても尚見上げるほどに大きい。
それは明らかに生物ではなかった。
強いて似通った生物を上げるならば、姿形は『蛇』に近い。
長い胴体の先にはクジラにも似た顔があり、頭頂部にはキヴォトスの少女達が持つヘイローのような巨大な光輪を浮かべている。
真っ白な装甲と思わしき金属の鱗で覆われた全容は、蛇腹関節の隙間から見える発光も相まって、生物というよりも機械に近い存在であることが伺えた。
しかし、単なる機械仕掛けとも思えない神々しさのようなものを感じる。
その『蛇』は天を突くような胴体を直立させたまま、じっと二人を見下ろしていた。
複数の『眼』とも『センサー』とも表現出来る視線が、ヴァッシュとホシノを射貫いたまま動かない。
「何ですか、この怪物は!?」
「分からない……何なんだ? こいつは、昔からこの砂漠にずっといたのか?」
ホシノはもちろん、ヴァッシュから見ても、それは『自分達とは異なる種類の存在』という曖昧だが隔絶した印象を抱くしかなかった。
――何故、こんな化け物がいきなり現れたのか?
――一体、何が目的で姿を現したのか?
湧き上がる疑問を推測する間もなく、その白い『蛇』は再び動き出した。
山のような巨体が、頭から地面に向けてダイヴする。
水面に顔を出したクジラが、再び海に潜る動作に酷似した挙動だ。
しかし、それが周囲に及ぼす影響は凄まじかった。
とてつもない大質量が、速度を乗せて地面に潜り込んだのだ。
何かが爆発したかのような衝撃波が生まれ、それは大量の砂を巻き上げて、周囲を荒れ狂った。
まるで砂嵐――いや、間違いなく人工的に発生させられた砂嵐そのものだった。
アビドスの砂漠で不定期的に起こる砂嵐の正体。
それは、得体の知れない巨大な化け物が移動する際に生まれていたのだ。
「こ、こいつが砂嵐の元凶……!?」
「ホシノ、近くに来るんだ! お互いを見失うぞ!」
発生源の近くにいたヴァッシュ達を襲う砂嵐の影響は、かつて体験したことのないほど激しいものだった。
熱風が砂粒と共に全身を叩き、痛みさえ感じる。
巻き上がる砂埃は、ほんの一メートル先さえ見えなくなるほど濃厚だった。
姿勢を低くして、必死でやり過ごす。
下手に身体を起こせば、そのまま吹き飛ばされてしまいそうなほど風の勢いも強い。
二人は身体を寄せ合って、瀕死のユメを砂嵐から庇った。
「……あっ!? クソッ!!」
視覚はもちろん聴覚も狂わせるような風切り音が鳴り響く豪風の中、ホシノらしからぬ悪態が聞こえた。
「どうした!?」
「バッグが風に持ってかれました! 取りに行かないと!」
「よせ! こんな状況で少しでも離れたら、確実に遭難するぞ!」
「あの中に水もコンパスも入ってるんですよ!!」
焦燥感に満ちたその言葉には、さすがのヴァッシュも息を呑んだ。
砂漠で水とコンパスを失うことは、命の危機に直結する。
しかし、現状では自分達の命よりも重大で間近に迫った危機があった。
今この瞬間にも、ユメは死にかけているのだ。
まだ一滴の水も与えられていない。
この砂嵐が一体いつまで続くのか分からないが、少なくともこの状況で移動など出来ない。
一分一秒でも早く街に戻りたいのに、この砂嵐は何時治まるのか。
あの化け物は、まだ近くにいるのか。
先が見通せない。
――ユメの命は、あとどれくらい保つ?
間に合ったと思った。
助かったと思った。
そう感じた安堵が消え失せ、再び絶望的な焦りが湧き上がってきた。
「探しに行ってきます!」
「だから、ダメだって! 君まで死んじまうぞ!」
「『まで』って何ですか!? ユメ先輩だって死にませんよ! その為には、せめて水が要るんです!!」
鬼気迫るホシノの表情に、ヴァッシュは押し切られそうになった。
確かに、水は絶対に必要だった。
動けないのならば、この場で耐えるにしても、ユメの命を繋ぐ為に水が要る。
しかし、冷静に考えてこんな砂嵐の中で飛ばされたバッグを見つけられるはずがない。
がむしゃらに探しに行っても遭難者が一人増えて、そしていずれ死体が一つ増えるだけだ。
冷徹な思考が、残酷な現実を導き出す。
ホシノ自身も、無謀な行為であることは十分承知しているはずだった。
冷静に考えれば分かる。
そして、冷静になれるワケがなかった。
ヴァッシュは苦悩に歪んだ顔で、ユメを見下ろした。
守るように抱えた腕の中で、相変わらずユメはぐったりと力なく眠っている。
その手は、ずっと頑なに何かを握り締めていた。
それは、白い羽根だった。
ホシノと同じように肌身離さず持っていた、ヴァッシュの力の一端を形作った白い羽根。
この羽根が、全てを繋いだ。
ユメが砂漠に足を踏み入れてしまう元凶となり、彼女を見つけ出す目印となってくれた。
その羽根をしばらく見つめたヴァッシュは、決意を固めて顔を上げた。
「――ホシノ、とにかくこっちに来るんだ! 水はある!」
既に一歩踏み出していたホシノは、ヴァッシュの突然の言葉に混乱しながらも従った。
「み、水……あるんですか!?」
ここに至るまでユメを探して先導する役割に専念出来るよう、荷物は全てホシノが担当していたはずだった。
隻腕の状態で不便のあるヴァッシュには、負担となる荷物は持たせていない。
ヴァッシュはそれには答えず、険しい目つきでホシノに訊ねた。
「銃は手放してないよな?」
「銃? て、手放してはいませんけど……」
「今から起こることに命の危険を感じたら、迷わずに僕の頭を撃て」
「何を言って――!?」
ホシノは思わず言葉を失った。
吹き荒れる砂埃のせいで、顔を突き合わせなければ相手の姿もよく見えない。
しかし、その最悪の視界の中にぼんやりとした光が映った。
白い光だった。
ヴァッシュの半身が発光していた。
その『右腕』から、あの悪夢で見た白い羽根が無数に生えていたのだ。
「ひっ……!」
ホシノは反射的に銃を向けそうになった。
曖昧な悪夢の光景とは違う、現実として目の前に現れたそれは遥かにおぞましく、恐ろしい『異形』だった。
ヴァッシュの右腕から生えた無数の羽根は、その一枚一枚が全て独立して蠢いていた。
大小様々にサイズの均等性が一切ないそれらは、羽根というよりも触手だ。
複数集まることで翼のようなものを形成してはいるが、その形はあまりにも歪だった。
羽根だけではない。
ヴァッシュの右腕には『顔』も浮かび上がっていた。
正確には、複数の眼と口だ。
それが寄り集まって『顔』のように見えているのだ。
『翼』と『顔』――白く発光するそれは、あるいは『天使』と呼べるモノなのかもしれない。
人の形をしていない、肉塊のような天使だ。
――異形の天使を宿した右腕。
既に本来の形からかけ離れた右腕は、なおも変化を続けているようだった。
別の生き物のように蠢くそれを、ヴァッシュは必死の形相で抑え込もうとしていた。
その様子に気付いて、ホシノは我に返った。
「ヴァッシュ! 何をするつもりなんですか!?」
変形を続ける右腕。
おそらくその変化の行き着く形は、あの異形の銃身を持った恐るべき威力の兵器だ。
しかし、ヴァッシュが何故今この状況であの力を使おうとするのか、理由が分からなかった。
「出来るはずなんだ……! この力も、本質的には『プラント』と同じ物なんだ!」
「な、何を言って……!?」
「この力なら、ユメを助けられるはずなんだ!!」
ホシノにはヴァッシュが何を言っているのか、理解出来なかった。
ただ、彼が暴走する自分の力を制御し、あの『銃』以外の別の形を生み出そうとしていることだけは分かった。
「大それたエネルギーなんて要らないんだよ! 少しの水を作ってくれればいいんだ!!」
ヴァッシュは異形と化した右腕から水を作り出そうとしていた。
何故、そんなことをしようと思ったのか。
何故、そんなことが可能だと思ったのか。
ヴァッシュの力の正体を全く知らないホシノには理解の及ばない発想だった。
ただ一つ、分かることは――。
それはあまりに危険な行為であるということ。
機械などで計測したわけではないが、ヴァッシュの右腕が発するエネルギーは明らかに常軌を逸している。
発光はますます強くなり、放電現象すら起こり始めていた。
街一つを滅ぼすのも納得出来るほどの力の収束だ。
この膨大な力を源にして無から水を生み出そうとする――それはコップ一杯の水を入れる為にダムを開放するような行為に思えた。
――出来るわけがない。
――最悪、このエネルギーで辺り一帯を吹き飛ばす。
――自分とユメ先輩ごと。
ホシノの脳裏に、つい先ほどヴァッシュに言われたことが過った。
命の危機を感じたら撃て、と。
――今が、そうなのか。
思わず、銃口をヴァッシュの頭に向ける。
ヴァッシュ自身は、力を制御することに集中しすぎてこちらの動きには気付いていない。
――今、彼を撃つべきか!?
恐怖に震える指先が、引き金に掛かった。
しかし、それ以上は全く動かせなかった。
撃てるわけがない。
自分はもう既に一度彼を撃っていて、その瞬間にどんな絶望と後悔を味わうのかを知ってしまった。
目の前の存在が恐ろしくて仕方がないのに、ヴァッシュを失うことがそれ以上に怖くて指が動かない。
例え全てが滅びるとしても、彼を撃つことなど出来なかった。
「何十万人も命を奪ったんだ、一人の命くらい救ってくれよ――!!」
ヴァッシュの悲痛な叫びが響き渡る。
それに呼応するように、右腕に浮かんでいた幾つもの『顔』が同時に涙を流して慟哭を発した。
耳を覆いたくなるような絶叫が、砂嵐の唸るような風音を引き裂く。
そして、ひと際激しい発光と共に、数枚の羽根がホシノに向かって伸びた。
目の前で起こっている現象に対して、もはや佇むことしか出来なくなっていたホシノは、それを避けられなかった。
白い羽根が、ホシノの額を貫いた。
◆
――何処だ、ここは?
ホシノは最初、自分が何処にいるのか分からなかった。
暗い。
辺りは闇に包まれている。
つい先ほどまで眩いばかりの発光を前にしていたはずなのに、ここは一片の光さえ差さない。
不自然な暗闇だった。
周囲の様子が朧気にすら見えないのに、視界が遮られているような感覚がない。
暗闇というよりも、全てが黒い空間と言った方が正しい気がした。
――これは、夢か?
感じ慣れた非現実感。
ここは毎夜見た悪夢の中にも似ている。
あの瞬間、ヴァッシュの腕から伸びた羽根が自分の額を貫いたのは錯覚ではなかったということだろうか。
あの羽根が持つ特性は、既に体験している。
あれには本来隔絶した他人の精神を繋げる『門』のような力がある。
ならば、ここはやはりヴァッシュの記憶の中――。
「よぉ、ヴァッシュ」
声が聞こえた。
聞き慣れない男の声だった。
声のする方を向けば、一人の男が立っていた。
コーヒーカップを片手に、酷くリラックスした様子で微笑んでいる。
その顔はヴァッシュによく似ていて、しかし何処か致命的な違いを感じる笑顔だった。
「ナイブズ……」
今度は聞き慣れた声だった。
振り返れば、そこにいたのはヴァッシュだった。
やはり、これは夢だ。
二人は互いに視線を交わせ、その間に自分は存在しない。
これは過去に起こったヴァッシュと、ナイブズと呼ばれた男の邂逅の記憶なのだ。
「ナイブズ! これは……なんだ!?」
やはり何度も見た悪夢と同じ光景。
ヴァッシュの右腕は、白く発光する羽根を蠢かせて、異形に変わりつつあった。
しかし、これまでと違って彼は自分自身の変化を初めて見たかのように酷く戸惑った様子だった。
――これは、まさかヴァッシュが初めて自分の力を自覚した場面?
だとすれば、この場所は――。
その可能性に思い至った途端、黒一色だった空間にヴァッシュとナイブズが立っている場所の背景が鮮明に浮かび上がった。
そこは街だった。
キヴォトスでは見たことのない街並。
おそらく――いや、間違いなくここは『ジュライ』だ。
自分は今、ヴァッシュ自身さえ忘れていたあの時のジュライの記憶を見ている。
「
ホシノは固唾を飲んで、二人のやりとりを見守った。
「大丈夫だ。俺に共鳴しろ」
ナイブズの左腕が、ヴァッシュと同じように変化する。
こちらは羽根というよりも刃に近い形のものが無数に生え始めていた。
しかも、その口元に浮かぶ涼し気な笑みから、明らかに力を制御出来ていることが分かる。
「この力は、いわば『門』だ。ひとたび開けば、何もかも飲み込む」
文字通り共鳴するように、ヴァッシュの右腕が激しい変形を繰り返して肥大化を始めた。
ナイブズとは逆に、彼はそれを全く制御出来ていない。
「凄まじい解放感だぞ。理性も常識も皆吹っ飛ぶ」
これが。
これが、ジュライの真実か。
「そろそろタガが外れかけてきてるんだろう?」
この男が――ナイブズが、ヴァッシュに引き金を引かせた!
「どうだ、ヴァッシュ! これがお前の力……俺達の持つ本来の力だ!!」
二人の背景が変わる。
別の街。
別の時間。
別の出来事。
「人間どもが『プラント』と呼ぶ俺達が! 下等な人間どもを種として超越した、上位の存在たる証だ!!」
それは『二度目の引き金を引いた』時の光景だった。
「決別させてやる! 力を溜めろ!」
ヴァッシュの右腕が発する圧倒的なエネルギーによって、周囲の空間が歪み始めていた。
ホシノ自身の認識さえもメチャクチャに掻き乱されていく。
これは夢?
それとも現実?
「この銃で地上を薙ぎ払い、くだらん感傷ごと人類を消し尽くせ!!」
過去の記憶か?
今、砂嵐の中でヴァッシュの力が暴走する様を自分は見ているのか?
あるいは近い未来、彼がアビドスを消滅させる悪夢の実現を?
「ヴァァァァーーーッシュ!!!」
ナイブズの狂ったような叫びが響き渡った。
ホシノにはもう、自分が何を見ているのか分からなかった。
分かりたくなかった。
耳を塞ぎ、眼を背けたかった。
全てが悪い夢であると思いたかった。
ヴァッシュが背負わされた罪も。
死に瀕しているユメ先輩も。
何もかもが。
それが無理なら、いっそ全てを消して――。
――ポタリ、と。水の落ちる音が聞こえた。
いつの間にか、周囲は再び黒い空間に戻り、静寂を取り戻していた。
ナイブズとヴァッシュが、再び向き合っている。
しかし、それはこれまで見た過去の記憶とは違っていた。
ヴァッシュの傍には、ユメが横たわっていたのだ。
ポタリ、と。
また水の音が聞こえた。
未だ意識を失ったままの彼女の口に、一滴の雫が落ちていた。
最初は小さな水滴だったものが、やがて量を増やし、乾いた唇を潤わせる水となって注がれていく。
その水は、ヴァッシュの右腕から生える羽根を伝うように流れていた。
相変わらずおぞましく蠢き、表面の『顔』からは人ならざる苦悶の声を上げる異形の右腕は、それでも溢れんばかりの力を使ってささやかな水を生み出しているのだった。
「……なんだ、それは?」
莫大なエネルギーを無理矢理抑え込んでいる影響か、右腕の皮膚と肉は裂け、蠢く度に血を噴き出している。
その出血で顔を濡らしながら力を制御するヴァッシュを、ナイブズは呆然と見下ろしていた。
「そういう使い方をする為に目覚めさせたものじゃないぞ」
「こういう使い方ぐらいしか意味のないものだ」
忌々し気に吐き捨てるナイブズに対して、ヴァッシュは小さく笑って答えた。
――これは夢?
――それとも現実?
あのナイブズという男がヴァッシュの過去の記憶にしか存在していないのなら、今聞いた彼の言葉は一体何を意味するのだろう?
ヴァッシュの記憶から生まれた幻聴なのだろうか?
それとも――。
「……学ばない奴だな、お前は」
視界が滲み始める。
周囲の認識が曖昧になっていく。
「まあいいさ。いずれ思い知る」
意識が現実へ浮上していく感覚。
夢が、覚める。
「そこはお前が生きるべき世界ではないのだから――」
最後にナイブズの告げた言葉は、過去の記憶が発した根拠のない幻聴だと思いたかった。
◆
――ここは、どこだろう?
ユメは最初、自分が何処にいるのか分からなかった。
清潔感のある白い天井が見える。
自分がベッドの上で横になっているのが分かった。
日に焼かれて砂漠を彷徨い、最後は砂の上に倒れ込んだと思ったのに。
「……わたし、助かった?」
思わず呟いた声は、酷く掠れていた。
喉に走る痛みが乾いて死にかけた事実を思い出させ、逆に生き延びたという実感を噛み締める。
あの砂漠から生還出来たという喜びよりも、朦朧とした意識の中で見た様々な光景が現実だったのか、それとも幻だったのかを考えていた。
ヴァッシュとホシノが銃を向け合う光景を見た。
ホシノが自分を呼ぶ声を聞いた。
ヴァッシュが恐ろしい力を振るって街を破壊しようとする光景を見た。
見知らぬ男がヴァッシュを苦しめる光景を見た。
全てが曖昧で、同時に全てが現実で起こったことのように感じる。
目覚めたばかりのユメの思考は、未だ鈍い。
半ば朦朧としたままの意識の中で、やはり一番気になったのはヴァッシュとホシノのことだった。
力の入らない身体を動かし、周囲の様子を伺う。
腕から伸びるチューブはすぐ傍の点滴に繫がっていて、ここが馴染みの診療所であることはすぐに理解出来た。
そして、自分が横になったベッドの左右に、ずっと探し求めていた二人の姿を見つけた。
右側にはホシノがいた。
椅子に座った状態で上半身をベッドの方に預け、静かに寝息を立てている。
左側にはヴァッシュがいた。
こちらは椅子の背もたれに寄りかかり、いびきをかいて眠っている。
二人とも酷くボロボロで汚れていた。
それでも、ちゃんと生きている。
お互いに傷つけ合うことも、殺し合うこともなく、傍に戻ってきてくれた。
「じゃあ、他のことはとりあえずいいかぁ」
ユメは心の底から安堵のため息を吐いた。
色々と気になること、話したいことはあるけれど、とりあえずは後回しでいい。
一番大切なことが知れたのだから。
安心すると同時に、再び眠気が襲ってくる。
完全に眠ってしまう前に、ユメは両手を二人の方へ伸ばした。
ホシノの左手を、ヴァッシュの右手を、それぞれ掴む。
それを胸の上で、抱き締めるように合わせる。
それで、ようやく安心できた。
「ホシノちゃん」
今は眠ろう。
「ヴァッシュ」
そして、起きたら二人と話そう。
「おやすみ」
その先のことは、その時に考えればいい。
「良い夢を」
未来への切符は、いつだって白紙なのだから――。
トライガン単語解説『プラント』
プログラミングによりあらゆる物を物理法則を無視して『生産』を行う生体ユニット。
形は巨大な電球に酷似しており、球体の内部には肉塊のような生体パーツが納められている。
基本的に原住生物以外の生命を拒絶する砂漠の惑星において、人類が生き延びられているのはこの生産施設のおかげ。
水や食料を始めとしたあらゆる物質を生み出すことが出来る為、この『プラント』を中心にして人類の生息圏は維持され、この『プラント』が失われることは生息圏の全滅を意味する非常に重要な施設。
電球の中の生体パーツは稼働状態が暴走を起こすことで活性化し、人の形に変化する。
翼を持ったその姿は天使に似ている。