ただし、後悔と自責の念によって形成されたアビドスユメモドキのよわよわおじさんではなく、精神的に成長して社会経験豊富な中年おじさんのようになったつよつよおじさんです。
何言ってんだ俺。
アビドスの日常が戻ってきた。
少なくとも、ホシノにとってはこれまでと同じ三人で過ごすいつもの日常が。
しかし、全てが同じままではない。
同じ生活を繰り返すには、ホシノの体験した様々な物事は衝撃的すぎた。
ユメを追い詰めた失言に始まり、ヴァッシュに銃を向けたことやその結果から起こったユメの失踪まで、多くの始まりに自分の愚かな行動があったことをホシノは自覚していた。
自責していたと言ってもいい。
もしもユメが助からなければ、この自責の念と後悔はホシノの人生に一生の傷を残しただろう。
しかし、その最悪の未来は避けられた。
ヴァッシュと共に砂漠からユメを救出したこと――その過程で知った彼の力や過去の衝撃が、ホシノの心に大きな変化を与えていた。
「ユメ先輩は、明日退院するんですよね?」
「うん、そうだね。やっと学校でホシノちゃんとヴァッシュに会えるよ~」
ホシノの質問に、ユメは嬉しそうに笑った。
一時は生死の境を彷徨ったとは思えないほどユメは調子が良く、また気分も明るかった。
キヴォトスの医療技術は高度に発達しており、何よりも住人は誰もがタフで回復力も高い。
毎朝、こうしてホシノが足げなく見舞いに来てくれることも精神的に良く影響しているだろう。
しかし、当時のユメの状態を知っているホシノからすれば、まだまだ安心は出来ない。
「気楽に言わないでください。ユメ先輩は死にかけたんですよ? 私としては、もう少し病院で安静にした方がいいと思うんですけど」
「大丈夫、わたしはもう全然元気だから!」
そう言うユメの様子は確かにいつも見ていた彼女のようで、ホシノは少しだけ安心した。
ユメが病院へ運び込まれてから数日が経過しているが、ホシノは毎朝登校前に必ずお見舞いに寄っている。
砂漠で見つけた時の酷い状態を見ているだけに、最初は不安と心配で気が気ではなかった。
順調に回復していくユメを一日ごとに確認して、少しずつ安心を積み重ねていく日々だ。
「一日中ベッドで寝てるのって逆に疲れちゃうよ。それに、いつまでもベッドを占領してるのも申し訳ないから」
ユメが入院している病院は、アビドスで唯一機能している医療機関だった。
『病院』と表現していいのかも分からない本当に小さな診療所で、本来は何日も患者を預かれるような規模の施設ではない。
診察用も含めたベッドは三つしかなく、衰弱していたユメがある程度回復するまで無理を言って入院させてもらっているのだ。
長期入院する患者の為の備えもなく、食事や代えの衣服はホシノが毎日見舞いがてらに持ち込んでいた。
さすがに医療に携わる人物だけあって診療所を営む医者は迷惑がる様子など見せなかったが、実際に他の重症者が運び込まれた時に支障が出てしまうのは間違いない。
皮肉にも利用するアビドスの住人が少ないからこそ通常の営業には余裕があり、無理が通る状況なのだ。
「無理はしないでくださいね。明日、ヴァッシュと一緒に迎えに来ますから。私達を驚かせようなんて考えて、一人で出歩かないでくださいよ」
剝き終えたリンゴを差し出しながら、ホシノは言った。
「うん、分かった!」
ユメはニコニコと満面の笑顔でそれを受け取った。
「……何ニヤニヤしてるんですか?」
「なんかね、ホシノちゃんが優しいなーって思って」
「へえ? 普段の私は優しくなくて可愛げのない後輩だったと?」
「ち、違うよー! そうじゃなくて、雰囲気が柔らかくなったっていうか……ヴァッシュと似てるなーって」
「ヴァッシュと?」
予想外の言葉に、ホシノは思わず呆けた表情を浮かべた。
「わたしのことすごく気遣ってくれる感じがね。話し方とか言い方が優しいなーって感じるんだよね」
「私はあのお人よしほど優しくありませんよ」
「そんなことないよ。それにね、変わり方がヴァッシュと似てるんだよね」
「変わり方、ですか?」
「素直になったっていうのかなー? これまで辛いことを隠してたけどそれが無くなって肩の力が抜けた、みたいな? 前と比べてリラックスしてるように感じる」
ユメの指摘にホシノは思わず言葉に詰まった。
内心を見透かされてしまったような気分になり、恥ずかしさから目を逸らしてしまう。
理屈を抜きにして相手の機微を察するユメの感性の鋭さには頭が下がる思いだった。
これまで、ただドン臭くて頼りない先輩だとしか思っていなかった相手が、こんな一面を持っているなんて知らなかった。
あるいは、薄々感じていても認めたくなかったのかもしれない。
自分が助けないとダメな人なんだ、と。子供染みた意地だったのかもしれない。
どちらにせよ、自分はこれまで本当に色んなものを知っているつもりで何も見えていなかったのだと痛感していた。
「……そうですね。色々、ありましたから」
ホシノは自嘲気味な笑みを浮かべながら呟いた。
何処か自虐的な言動を察して、ユメが慌てる。
「ご、ごめん! あの日のことを責めてるわけじゃないの! わたしは気にしてないし、ホシノちゃんには何度も謝ってもらったから!」
「いえ、私がユメ先輩に酷いことを言ったのは間違いありませんから。あの時の反省が影響してるのもあると思います」
「ごめんね、いじわるで言ったわけじゃないんだ。本当にホシノちゃんが優しくなって、心に余裕が出来たみたいで嬉しかったから。前のホシノちゃんは、相談出来ない悩みでも抱えてるような気がしてたからね」
「そうですね……色々と、一人で抱えても仕方のないことを悩んでました。もっと早くに、ユメ先輩やヴァッシュに相談してればよかったです」
「……本当に変わったね、ホシノちゃん。そう言ってくれるだけで、すごく嬉しいよ」
心を開いてくれたホシノの様子を見て、ユメは本当に嬉しそうに笑った。
真面目で抱え込みがちな後輩の成長に誇らしさすら感じていた。
きっと、頼りない先輩である自分一人ではこんなに全てが上手くはいかなかっただろう。
彼女が変わるきっかけとなった――ホシノの為に言葉と行動を尽くすことを諦めなかったヴァッシュのおかげだと思っていた。
「――ホシノちゃん。わたし、砂漠で倒れた時に夢を見たんだ」
ベッドの傍に備えられた小さな収納棚に視線を移して、ユメは呟いた。
「ヴァッシュの夢を見たんだ」
その棚の上にはホシノが持ってきた見舞いの花が飾られ、そのすぐ隣に一枚の小さな羽根が置かれていた。
「……私も見ました。ずっと前から、見ていたんです」
「色々なことが分かったような気がするんだけど、同じくらい分からないことも多かったよ」
「私もです」
「ヴァッシュは、昔のこと聞いて欲しくないかな?」
「分かりません」
「わたしも、分かんない」
「……」
「わたしは、忘れてもいいと思うな。昔のこと」
「……」
「辛いことの方が多そうだったし、前にいた世界のことは忘れて、ずっとアビドスにいればいいと思う。安全、とは言えないかもしれないけど、少なくとも前の世界から誰かが追いかけてくることはないよ」
「……そうですね。私も、そう思います」
しばらくの間、二人は黙り込んだ。
少し開けた窓から、朝の陽ざしと微かな風が部屋の中に入り込んでくる。
砂漠では自分の命を焼いた残酷な日差しが、今この場ではこんなにも優しくて暖かい。
時間と場所が変われば、見えるものや感じるものも変わっていく。
「ヴァッシュにとって、何が一番いいのかな?」
ユメのこぼした疑問に、ホシノは少し間を置いて『分かりません』と曖昧に答えた。
しかし、決意を込めた瞳でユメを見つめた。
「私達二人で決めることじゃないと思います」
そう告げるホシノの顔つきは何処か大人びていて、ユメは驚きを感じた。
「退院したら、三人で話し合いましょう。どんな答えが出るかは分かりませんけど、最後まで話しましょう。それが一番いい方法だと思います」
ユメは呆気にとられたように目を丸くして話を聞いていたが、やがてニッコリと満面の笑顔を浮かべた。
「ホシノちゃん、本当に成長したねぇ。わたし、先輩として嬉しい!」
「からかわないでくださいよ」
「からかってなんかないよ! 今のホシノちゃんね、年長者としての風格がすごい! 新入生がアビドスに来たら、きっといい先輩になるよー!」
「やめてください、さっきのはヴァッシュの受け売りなんです。勝手に悩むよりも三人で話した方がいいって」
「うん、そうだね! とにかく皆で話して、皆が納得のいく道を選ぼうね!」
決意を新たにしたユメは、漲るやる気と力を持て余しているように肩を震わせた。
「うぅ~、なんだか今すぐにでも退院してヴァッシュに会いたくなっちゃった! 今日、退院しちゃダメかな!?」
「ダメです。しっかり身体を回復させてから学校に来てください。無理をするとヴァッシュも心配しますよ」
「はぁーい。えへへ、何だか明日が楽しみだなぁ。学校に登校するのが待ち遠しいなんて、なんだか久しぶりな感覚だよー」
「……そうですね」
純粋に笑うユメに対して、ホシノは自らの胸の内を隠すように控えめな笑みを浮かべていた。
明日、ユメが退院すれば日常が戻って来る。
三人で過ごした、ドタバタでゴチャゴチャでイザコザだけど、とりあえずは平穏だった日常。
だけど、全てが同じ日常には戻らない。
自分は多くのことを知ってしまった。
おそらくユメが見たものよりもずっと詳細な、ヴァッシュの過去に関係する記憶。
その記憶の中に出てきたナイブズという名の男の言葉と行動。
その末に起こった悲劇。
ヴァッシュの過去だけではない、アビドスに関わる秘密にも触れてしまった。
あの砂漠で遭遇した得体の知れない怪物の正体は一体何なのだろう?
あれがアビドスに砂嵐をもたらし、砂漠化を進めている元凶なのだとしたら、一体どう対処すればいいのだろう?
仮にあの途方もない存在を放置したとして、将来アビドスに及ぼす影響は?
考え出せばキリがない。
悩み始めると気が遠くなる。
これから過ごす日常の先に、どんな未来が待っているというのか――。
――不安だけど。でも。
――一人で悩んでも、仕方ないか。
すぐ目の前で笑っているユメを見つめて、ホシノは知らず強張っていた身体から力を抜くように小さく息を吐いた。
何とかしなければならない問題は多い。
しかし、それは今すぐにでも、一人で解決しなければいけないものではない。
今はもう、三人いる。
ユメ先輩が学校に戻ったら、三人で改めて話し合おう。
だから、今はただ。
「私も、あの学校に三人で集まるのが楽しみです」
ホシノは素直な気持ちを口にして、穏やかに微笑んだ。
◆
「おはようございます」
「や、おはよう。ホシノ」
生徒会室に顔を出したホシノを、ヴァッシュはいつものような笑顔で出迎えた。
学校で寝泊まりしている彼にとって、生徒会室は自室のようなものだ。
用事などで外出していなければ大抵はここにいる。
丁度、今は自分の銃の分解整備を終えたところだった。
「朝ごはん、買ってきました」
「おっ、助かる~。お腹ペコペコだったんだ。ちょっと待ってね、今机の上片付けるから」
そう言いながら、汚れを取り終えた銃の部品を素早く組み立てていく。
ヴァッシュは相変わらず左腕を損失したままだったが、片腕でもその作業は淀みなかった。
ホシノもそれを手伝うように机の上を片付けて、向かい合うように座る。
こうして一緒に食事をするようになったのも、ほんの数日前からだった。
それまでのホシノは誰かと食事の場を共にするような馴れ合いをずっと避けていた。
変化のきっかけは、やはりユメの遭難と救助までの一連の出来事だ。
あの日を境に、ホシノは変わった。
自分自身はもちろん、周囲との関わり方や物事への折り合いの付け方など、様々な面が少しずつ成長し始めていた。
「サーモンサンドだ! 僕、これ好きなんだよね」
「ちょっと待ってください。袋開けますから」
片腕のヴァッシュに代わって、ホシノがサンドイッチの包装を丁寧に解いた。
それをヴァッシュの前に差し出し、続いて持参した保温ビンの水筒から備品のコップにコーヒーを注ぐ。
朝、自宅で入れてきた物だった。
それら朝食の準備を、ホシノは誰に言われるまでもなくテキパキとこなしていった。
ヴァッシュは、そんなホシノの行動に口を挟むこともなく、ニコニコと笑顔で見つめていた。
「……何ですか?」
向けられる暖かい視線に居心地悪そうにしながら、ホシノは訊ねた。
既視感のある眼差しだった。
「いや、ホシノが優しいなーと思って」
「ユメ先輩と同じこと言わないでくださいよ。……私って、そんなにキツい態度でした?」
「あれ、自覚なかった?」
「……ごめんなさい」
「いや、そんな落ち込まないで! ダイジョーブ! 僕達全然気にしてないから! あれくらいはね、思春期には当たり前なの! ギザギザハートで触る物皆傷つける年頃なの!」
「何ですか、その表現? 意味わかんないです……」
「うおぉ……ジェネレーションギャップゥ……!」
何故かお互いに種類の違う精神的ダメージを負う二人。
「と、とにかくご飯食べよっか?」
微妙な空気になりながらも、二人は食事を始めた。
アビドスの朝は静かだ。
単純に住人が少ない為である。
閑散とした学校の中ならば、尚のことだ。
ただこの場に一人いるだけならば、この静けさから物悲しいほどに寂れた印象を抱くものだが――。
「このコーヒー、美味いね。ホシノが入れたの?」
「はい。でも、別に隠し味とかないですよ。目を覚ます為に、ミルクと砂糖を少なめにしたくらいです」
「いいね。朝は苦いくらいが丁度いいよ」
「甘いのは苦手ですか?」
「甘いのも好きだよ。色々な味を楽しむタイプなんだ。あれ、ひょっとして僕の好み聞いてる?」
「次、入れる時の参考にします」
「へえ、楽しみだなぁ」
二人はこの空間を、穏やかなものに感じていた。
お互いの言葉だけが聞こえ、お互いの存在だけが感じ取れる。
何でもない会話を交わせるこの時間は、かけがえのないものだ。
つい先日までの切羽詰まった状況を乗り越えたからこそ実感出来る時間だった。
二人ともが、時折脳裏に『もし、あの時ユメが助からなかったら』という考えを過らせることがある。
しかし、そんな悪い想像はすぐに目の前の暖かな現実にかき消された。
自分達は三人で生きる未来を勝ち取ったのだと、胸の内で静かに噛み締めていた。
「……ホシノ」
「はい」
短い食事を終えた二人は、まだ湯気の立つコーヒーのカップに視線を落としていた。
「僕が、前にいた世界の話なんだけどね」
ヴァッシュは何気ないことのように切り出した。
これまで、三人の間では暗黙の内に避けられていた話題だ。
精神的に打ちのめされていたヴァッシュにとっても、アビドスに来たばかりの頃は苦痛と絶望でしかない過去だった。
あの過酷な世界について話せば、あらゆる残酷な物事を教えることになるのではないかと忌避していた。
目の前の少女達が知る必要のないものだ、と。
しかし、実際に口にしてみれば、これまでホシノ達に話さなかったことに大した意味はないような気がした。
そう思えるだけの時間を二人と過ごしてきたからかもしれない。
「僕がいた世界では、地球から別の惑星に移住する計画があったんだ」
予想外の話が飛び出してきたことに、ホシノが目を丸くした。
「……いきなりすごいスケールの話が出てきましたね」
「実感湧かないよねぇ? 僕もその移住船団の宇宙船の一つで生まれたから計画の発端や意図とか、その時の地球の状況とかは詳しく知らないんだ。とにかく、新しい惑星を見つけて、そこを人の住める場所にしましょうって計画」
そこまで話して、ヴァッシュは僅かに声を堅くした。
「でも、ある日その宇宙船が事故を起こして、計画とは違う惑星に不時着した」
その宇宙船や船団がどれ程の規模だったのかは分からないが、悲惨な事故だったであろうことはホシノにも想像出来た。
ヴァッシュの声に滲む悲壮感が、その事故の当事者であったことを証明している。
しかし、他にも何かある。
端的に語られた出来事の陰に、簡単には説明出来ない複雑な背景がある気がしてならなかった。
それを無遠慮に訊ねる気にもなれなかったが。
「……たくさんの人が死んだよ。事故自体の被害も大きかったけど、不時着した惑星は人が生きていける環境じゃなかったんだ」
「夢で少し見ました。砂漠の惑星だったんですよね」
「アビドスみたいに元からあった文明が砂に埋もれてるわけじゃない、本当に砂漠だけの世界に放り出されたんだ」
ヴァッシュは乾いた喉を潤すように、コーヒーを一口飲んだ。
この一杯のコーヒーすら、彼のいた世界では貴重だったに違いない。
「でも、私が見た夢では大きな街もありました」
ホシノが純粋な疑問を口にした。
「宇宙船に積まれていた設備のおかげだね。『プラント』と呼ばれる生産施設によって、人は何もない砂漠でも生きていけたんだ」
「『プラント』……あの時、ヴァッシュが言っていたことですね」
ユメを救う時にヴァッシュが口走っていた単語を、ホシノは覚えていた。
あの時は、どういう意味の言葉なのかまるで分からず、前後の文脈が繋がっていなくて何を言っているのか理解出来なかったが――今、聞いた内容によって薄々と察しが付き始めていた。
「ヴァッシュが言っていた『プラントと同じ力』って、どういう意味ですか?」
唐突に話を切り出したヴァッシュが本当に話したかった核心なのだろう。
ホシノの疑問を受けて、ヴァッシュは小さく微笑んだ。
「プラントっていうのは、要するに『何でも作り出せる施設』なんだ。水、紫外線、酸素、そして微量の電気を与えることで物理法則を無視してあらゆる物を生産出来るのさ」
「それって、機械というよりも植物みたいですね」
「冴えてるね。実際、その通り。プラントは機械というよりも生体ユニットだ。生きた人間が物を食べて熱を生み出すように、
「ちょっと待ってください。じゃあ、ヴァッシュの力がそれと同じって……」
「うん」
声が強張るホシノを気遣うように、ヴァッシュは殊更気楽な様子で肯定した。
「僕もプラントの一種だ」
それを聞いて、ホシノはしばらくの間黙り込んだ。
ヴァッシュの正体を知り、その事実が自分にとってどんな意味を持つのか考える。
やがて、意を決して顔を上げた。
「私は、別にヴァッシュが人間じゃなくても気にしませんよ」
「……」
「そんなことでアナタへの信頼を損ねたりしません。お人よしすぎて能天気だけど、誰よりも頼りになる『人間』です」
「……」
「ユメ先輩だって同じように考えるはずですよ」
「……ホシノ」
真っすぐに見据えたヴァッシュの眼にジワリと涙が滲んだ。
「なんていい子なの……っ! こんないい子に成長しちゃって、お母さん嬉しい!」
「ここ、茶化すところですか!? 私、結構真面目に話したつもりなんですけど!?」
いつもの調子で梯子を外され、ホシノは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「いや、ごめんごめん。僕自身正体を明かすのは少し緊張したけど、そこまで深刻に捉えて欲しかったわけじゃないんだ」
「そ、そうですか?」
「そりゃ自分が『人間じゃない』って告白するのは勇気が要るけどさ、正直前の世界に比べるとキヴォトスもかなり常識外れだよ。人が銃で撃たれても死なないし、ロボットや獣人がフツーにいるんだから。自分が人間じゃない疎外感って正直薄いよね」
「そういうものですか……。ヴァッシュのいた世界って、そんなにキヴォトスと違いますか?」
「ロボットはいなかったけど、過酷な環境だったからサイボーグ化した人は多かったね。割と無法地帯だから、暴力目当てに原型留めないくらい自分の身体を改造する荒くれ者とか多かったし。獣人の代わりに、砂漠に適応した蟲みたいな原住生物がいたよ」
「私達の価値観からすれば、そちらも大分常識外れてますよ」
「ま、だからこそ僕もすぐにこの世界に慣れることが出来たんだと思うよ」
このキヴォトスにおける常識はヴァッシュにとって驚きの連続だったが、少し冷静に自分のいた世界と照らし合わせるとこちらも大概キヴォトスの人々を驚かせるだろうと思った。
科学技術に関しては特にそうだ。
しっかりとした社会基盤の下で発展したキヴォトスの科学と違って、あの惑星の科学は酷く歪な形で社会に浸透していた。
身の丈数十メートルの巨人と化したサイボーグ一家の話をしたら、きっとホシノは呆気に取られるだろう。
そんなサイボーグ達に莫大な金額の賞金首として追い回され、とんでもない規模のトラブルを起こして損害を出し続ける自分が、最終的に損害を補償しきれない保険屋に付きまとわれる羽目になった話なんて信じてもらえるだろうか。
その時の表情を想像して、ヴァッシュは苦笑した。
思い返せば、あの世界での日々は無慈悲で、残酷で、だけど誰もがたくましく生き抜こうとしていた。
苦痛と絶望だけの地獄のような日々を送っていたと思ったが――そうではなかった。
あの世界で過ごしたタフで優しい日々は、思い出す価値のあるかけがえのない記憶だったのだ。
そして、その日々はまだ終わってはいない。
「生体ユニットとは言っても、本来プラントは意思を持って独立したりしない。宇宙船に積まれた大量のプラントの中から偶然生まれた例外的な存在が、僕なんだ」
何故、自分の正体を含めたこの話を切り出したのか。
その真意を伝える為、ヴァッシュは言葉を続けた。
「そして、もう一人。同じ時期に例外が生まれた。僕にとって兄弟みたいな存在だ」
ホシノはヴァッシュの過去の記憶に現れた男の姿を思い出した。
ヴァッシュとよく似た顔で、致命的に違う存在感を示していた男だ。
彼と同じ恐るべき力を持ち、それを暴力として完全にコントロールしていた男。
「――それが『ナイブズ』という男なんですね」
ナイブズという名前がホシノの口から出たのを聞いて、ヴァッシュは一瞬表情を強張らせた。
「……そうか、ホシノはそこまで見ちゃったのか」
「多分、あれはジュライが消滅する日の記憶だったと思います。ヴァッシュが忘れてしまった記憶です」
「そいつは……かなりショッキングな映像だったろ?」
「客観的な意見を言わせてもらいます。あの日の出来事はアナタのせいじゃありません。真相は、あのナイブズという男が――」
「ホシノ」
ヴァッシュを苦しめる自責の念を少しでも軽くする為に詳細を語ろうとしたホシノを、彼自身が強く遮った。
「僕が、撃ったんだ」
「……」
「僕の力が、あの街とそこに住む人々を消してしまった。ナイブズがきっかけだったとしても、その事実は変わらない」
だからこそ、と。
ヴァッシュは続けた。
「僕は過去を清算しなきゃいけない」
――ああ、やっぱり。
彼は言葉にしてしまう。
何処から来て、何処へ行くつもりなのか。
初めて出会った時からずっと抱いていた疑問の答えが、今出ようとしている。
彼が話を始めた時、こうなることをホシノは薄々と予感していた。
しかし、それを彼の口からは聞きたくなかった。
いつからか、その答えをずっと保留し続けていて欲しいと考えていた。
「ナイブズと決着をつけなくちゃいけないんだ」
ヴァッシュが口にした結論。
それが、どんな未来を意味するのか、もう分かっている。
「だから、僕はいつか自分の世界へ帰ろうと思う」
ヴァッシュは静かに、しかし迷いなく告げた。
「……そうですか」
ホシノは、頷くしかなかった。
ヴァッシュの眼を見ていられず、視線を手元のコーヒーカップに落とす。
中身はとっくに飲み干していた。
だから、それ以上何もやれることがなくなってしまった。
何も言えなくなってしまった。
ユメを救い、取り戻した平穏な日常の中で時折冷たく心に触れる不安を抱えていた。
――そこはお前が生きるべき世界ではない。
あの時、記憶の中でナイブズの幻が口にした言葉は、あるいはヴァッシュ自身の心の奥底にある認識を代弁したものだったのかもしれない。
過去の罪に囚われて欲しくなかった。
昔を忘れて欲しかった。
でも、きっと彼には無理だ。
ずっと前から分かっていた。
彼が、そういう道を選ぶことはなんとなく予想していたのに――。
「……私は」
覚悟をしていたはずのホシノが受けたショックは、到底耐えられるものではなかった。
ヴァッシュはアビドスから――自分の人生から永遠に去ってしまうのだ。
突き付けられた現実が、ホシノを打ちのめした。
「わ、私は……っ」
努めて冷静に返答しようと思ったが、出てきた声は自分でもどうしようもないくらい動揺に震えていた。
「ヴァッシュが決めたことなら、は、反対なんて……っ」
「でもさ」
不意にヴァッシュの声色が変わった。
思わず見上げれば、普段よく見るヘラヘラとした気の抜けた笑顔が浮かんでいた。
「帰るって言っても、どうやって帰ればいいんだろうね?」
「……へ?」
唇の震えが止まり、滲んでいた涙が引っ込んだ。
ホシノは間の抜けた声を漏らしていた。
「いや、冷静に考えてさ。この世界に来た理由も方法も分かってないのに、帰る方法なんて見当もつかないよ。ホシノは何かいい方法知ってる?」
「そ……そんなの、分かるわけないじゃないですか」
「だよねぇ? こういうのって科学的な専門家が必要なのかな? それとも神秘的なナニカ? 神秘って言えば、このキヴォトスにある不思議な力が何となく関わってそうな気がするんだよね」
「『神秘』が、ですか……?」
「僕の世界には完全になかった要素だからね。僕の力が暴走したのがきっかけなのは間違いないだろうけど、それだけなら一回目の時にも同じ現象が起こったはずだ。僕の力とは別に、こちらの世界の何らかの要素が噛み合って世界を渡った……っていうのが予想かな」
「……確かに、その可能性が高いと思います」
ホシノは相槌を打つしかなかった。
「つまりね、何が言いたいかというと――」
ヴァッシュは、ホシノの瞳を優しく見つめながら言った。
「僕は、いつか自分の世界に帰る。だけど、それは今すぐじゃない」
「……」
「帰る方法を探しながら、これまで通りアビドスの復興活動を支えるよ」
「あ……あの、帰る方法が分かったら、その……」
「具体的には、ホシノがアビドスを卒業した後に帰ろうと思う」
「私の、卒業……?」
「うん。君が一人前の大人になったのを見届けてから、僕は僕自身がやり残したことを片付ける為に帰るんだ。だから――」
――これは、ただの別れじゃない。
――君の旅立ちを見送るんだ。
――大人として君が一人で人生という道を歩み始めた時、僕は僕の人生の歩みを再開する。
――そして、僕はこれを永遠の別れだとは思わない。
「偶然とはいえ、こっちの世界に来れたんだ。もしも、元の世界に戻れたら、それはもう二つの世界が交わる道が出来ているってことだろ?」
「そう、かもしれませんね」
「人生の先輩から言わせてもらうとさ、別れも出会いも結構突拍子もなく起こるものなんだよ。いつか、また会えるかもしれない」
「……そういうものですかね?」
「そういうものなの! あとね、さっきも言ったけど、とにかく帰る方法が見つからないとどうしようもないから。今のところ見当もつかないし、結構先は長いかもしれない」
そう言って、ヴァッシュは大げさに肩を落とした。
そんな彼の様子を、ホシノはまだ何処か現実感がないような、浮ついた気持ちで見つめていた。
明日もまた、彼に会える。
ユメ先輩が学校に戻ってきて、いつもの日常に戻れる。
いや、これまでよりもずっと素直な気持ちで、二人と接することが出来る。
「ユメが学校に戻ってきたら改めて話そうと思うけど、僕の今後の身の振り方はこんな感じを予定してるって話。それとね、もう一つ重大発表!」
「な……何ですか?」
半ば呆けていたホシノは、ヴァッシュの畳みかけるような言葉に我に返った。
「僕の力で、アビドスの砂漠化を何とか出来るかもしれない」
「えっ、本当ですか!?」
「さっきプラントについて話したのは、これも関係してるんだ。移民船団の中には、移住先の環境を整える為に調整された特別なプラントも搭載されていた。土地を肥沃化させる機能を持ったプラントによって、あの砂漠の星でも緑化に成功した場所が一部だけど存在しているんだ。これは『ジオ・プラント』って呼ばれてる」
「砂漠を緑化!? じゃ、じゃあ……!」
「多分、僕の力でも同じことが出来る。砂漠化を止めるだけじゃない、本格的にアビドスを復興出来るかもしれないんだ」
そう言って、ヴァッシュは力強い笑みを浮かべた。
「ユメを助けた時の経験で、力をコントロールするコツみたいなものが少し掴めたと思う。暴走するリスクはもちろんあるけど、力の出がかりの段階で抑え込めば出力はかなり絞れそうだ。試してみる価値はあると思うね」
「……」
「だから、少しずつやってみよう。アビドスに人を呼び戻すんだ。ホシノが卒業する時に、せめて僕以外にも見送る後輩がいないと恰好つかないからね!」
ヴァッシュの話は、ホシノにとって現実味のないものばかりだった。
とても一度には受け止めきれない。
もちろん、それは悪い意味では決してない。
むしろ、自分に都合がよすぎて夢か何かではないかと疑いたくなるほどだ。
ヴァッシュの選択を聞いた時には、それが今生の別れになるのだと悲壮な覚悟すら抱いたのに。
彼は少なくとも自分がアビドスを卒業するまでは一緒にいることを約束してくれて、かけがえのない日常が戻ってきた。
それだけではなく、少しずつ閉ざされていくだけだと思っていたアビドス復興への道が突然大きく切り開かれたのだ。
先行きの暗い未来が、あっという間にひっくり返ってしまった。
「あ……あの、それは……本当に、すごくいいこと、で……」
喜びは大きい。
しかし、大きすぎてホシノの心には溢れてしまう。
「私、また……ヴァッシュやユメ先輩と、一緒に過ごせて……。それだけじゃなくて、いつか……私が、この学校で、先輩に……っ」
声が震えて上手く話せなくなったホシノを見て、ヴァッシュは椅子から立ち上がった。
傍に歩み寄り、膝をついて目線の高さを同じに合わせる。
俯いたホシノの頭に、そっと右手を乗せた。
「泣くなよぉ、ホシノ。君はこの数日で、ホントに泣き虫になっちゃったなぁ」
自らの湧き上がる感情を堪えきれなくなったホシノは、感極まってヴァッシュに抱き着いた。
それを大きな懐が優しく受け止める。
「だって……こんな、夢みたいに都合のいい未来が来るなんて……!」
「ホシノ達はこれまで、たった二人で色んな苦労を背負い込んできたんだぜ? 都合のいい未来が来て何が悪いんだよ。大丈夫! これからのアビドスに待ってるのはラブ&ピースさ!」
ホシノは涙で滲んだ視界を上げて、ヴァッシュを見つめた。
「だから、改めて――これからもよろしく、ホシノ」
「……はいっ!」
ホシノは満面の笑みを浮かべて答えた。
◆
その日の夜、ホシノは一本の電話を受けた。
初めて受ける電話の相手ではなかった。
実のところ、アビドスに入学して以来何度か受けた打診だ。
内容はいつも同じ。
端的に用件を聞き、端的に返答をして、いつも終わっていた。
しかし、その日。
ホシノは、電話の主の下へと向かった。
「クックックッ……これはこれは。わざわざお越しいただきありがとうございます」
そこは寂れたビルの一角だった。
かつて幾つものテナントが存在したそのビルは、いまや営業する店はもちろん住人の一人もいない完全な廃墟だった。
看板も何もない部屋の一つに、その『男』はいた。
大人の男――
ビジネススーツの下にある肉体は男性の体格をしていたが、その皮膚は黒ずんでひび割れている。
顔があるべき場所には、その亀裂が目や口に見えるものを形成しているだけで、とても生物の肉体とは思えない。
ホシノはその正体不明の大人を『黒服』と呼んでいた。
「しかし、今回に限って一体どういう風の吹き回しでしょう?」
おそらく拠点ですらない、ただの一時的な話し合いの場として用意したのだろう。
黒服とホシノが対峙する部屋には、机と椅子以外まともな調度は存在していなかった。
ホシノ自身も、ここに長居するつもりはない。
椅子に腰かけた黒服に対して、ホシノは立ったまま静かに相手を見据えている。
「普段は電話越しに話を済ませていたでしょうに、わざわざ私と面と向かって話したいなどと。もしや、我々の提案を受け入れてくれる気になりましたか?」
「そんなわけないじゃないですか。『身柄を預ける代わりにアビドスの借金を肩代わりする』なんて胡散臭い提案、受けるはずがありません」
「それは残念」
ホシノは黒服から度々勧誘を受けていた。
アビドスが抱える借金を餌にした提案な上に、いかにも怪しげな人物が何の信用も出来ない契約を持ちかけてくるのだから、まともに取り合うつもりはなかった。
ユメに知られても面倒なので、深く話を聞くまでもなく一蹴し続けていた。
しかし、完全に繋がりを絶たなかったのは、相手がしつこかったのもあるが、ホシノ自身大人相手のビジネス的なコネが何かに使えるかもしれないと考えたからだった。
アビドスが抱える様々な問題の内、莫大な借金は少なくとも金さえあれば解決する。
その糸口になるかもしれない、と。
「それでは今回はどのようなお話でしょう?」
そんなホシノの期待を、黒服の方も見透かしているかのようだった。
「わざわざ対談を申し込まれたのです。私達は有意義な取引が出来ると考えております。何もアナタの身柄に関することだけではありません。そう、例えば――」
黒服が懐から細長いカプセルを取り出す。
何らかの液体で満たされた保存用らしき半透明のそのカプセルの中には、見慣れた白い羽根が一枚収まっていた。
「以前ご提供いただいた、この興味深いサンプルに関連する取引でしょうか?」
ホシノの表情が僅かに歪んだ。
かつての自分の行動を後悔している為だった。
黒服が持つ白い羽根は、紛れもなくヴァッシュの力が結晶化した例の羽根と同じ物だ。
以前、ホシノが黒服に売ったのだ。
正確には、ある日黒服が持ちかけた取引に応じて、羽根を一枚売ってしまった。
「……その羽根を研究するとか言ってましたけど、何か分かりましたか?」
「さて、それは我々の研究成果を取引として要求していると捉えてよろしいでしょうか?」
「どこまでも取引の延長線上、ということですね」
「クックックッ、元々私達の関係はそういうものであるはずです」
当時は、何故黒服がこの羽根を欲しがるのか分からなかった。
ただ、提示された金額に釣られるままに取引をしてしまった。
ヴァッシュのことを得体の知れない厄介者としか思っておらず、ずっと頭を悩ませていた借金を返済する一助になると短絡的に考えてしまった末の浅はかな行動だ。
ホシノは昔の自分を殴りたくなった。
大人と対等な駆け引きをしていると勘違いをして、実際はただ目の前の餌に食いついただけのバカな子供だったのだ。
ヴァッシュの力を知った今、あの羽根がどれ程重要で危険なものなのかを理解した。
黒服は最初から理解していた。
だから、あの日取引を持ち掛けてきたのだ。
「アナタ達はどうやってヴァッシュのことを知って――」
言いかけ、ホシノは口を噤んだ。
またバカな質問をしようとしていることに気付いたのだ。
答えるはずがない。
迂闊なことを口にすれば、相手はそれを利用して何らかの取引へと持ち込もうとするだろう。
それが大人の力であり強かさなのだと、今更になってようやく理解出来た。
ホシノは自分自身に呆れたように小さくため息を吐くと、知らず強張っていた肩の力を抜いて、黒服を見つめ返した。
「ほう?」
ホシノの目つきが変わったことを悟った黒服が、思わず感嘆の声を上げる。
「……仮に、の話なんですけど。その羽根を買い戻すと言った場合、どれくらいの金額を提示しますか?」
「クックックッ……何故そのような発想に至ったのかは聞きませんので、端的に答えだけお伝えしましょう。この羽根を手放すつもりはありません」
「……」
「これは今や我々の貴重な研究材料です。金銭ではとても価値の定められない代物だと判断しております」
「……そうですか」
目の前の黒服が何者なのか、『我々』と呼称する彼を含めた集団が何を目的としているのか――ホシノは何も知らない。
しかし、どうやら彼らは自分やヴァッシュの力に興味を持っていて、それを研究したがっていることだけはハッキリしていた。
あの羽根を研究したとして、果たして今日に至るまで自分が聞いたヴァッシュの秘密にまで到達するだろうか?
それだけが心配で、今回このような話し合いにまでやって来たのだ。
――今、目の前には白い羽根の現物がある。
――渡したのは、あの一枚だけだ。
――もし、この場で力づくでもあれを奪えれば。
――それでもう全て。
――話は、全て終わって。
そこまで考えて、ホシノは無意識に銃へ伸ばそうとしていた手を止めた。
争いを介して暴力で物事を解決する――少し前の自分ならば、その方法を取ることを躊躇わなかっただろう。
だけど、自分はもうその軽率な選択の愚かさを身に染みて知っている。
無知のまま引き金を引くことの傲慢さを理解している。
「そうですね。私が、そういう取引をアナタとしたんですからね」
ホシノは苦笑しながら呟いた。
「だったら、これで話は終わりです。その羽根について確認したかっただけですから」
失礼しました、と。ホシノは背を向けた。
それを見送る黒服の顔は変わらない。
しかし、仮に表情というものが存在するならば、それは僅かに驚きの色を見せていたことだろう。
思わず、去ろうとするホシノの背に声を掛けていた。
「変わりましたね、ホシノさん。何がアナタをそこまで変えたのでしょう?」
「……それって取引として要求してます?」
思わず黙り込んだ黒服を見て、ホシノはおかしそうに笑った。
「別に、以前の私が何も分かっていない子供だったってだけです。短絡的で、感情的で、すぐに暴力に頼る、バカな子供だったんです」
ホシノは静かに語った。
「でもね、子供だからいつか大人になるんです。私よりも後から生まれた子の為に、先輩にならなきゃいけないんですよ」
「……なるほど」
その時、一見すると何の変化もない黒服の様子が、少し変わったような気がした。
自分に対して初めて対等な言葉と態度を用いたような感覚を、ホシノは抱いていた。
「ホシノさん、改めてアナタに提案します」
「勧誘なら断ります。多分、これからはもう電話に出ることもないでしょう」
「最初はアナタを単なる研究材料のように見ていたことを認めます。御しやすい子供なのだと侮っていました。しかし、今は違う」
「……」
「アナタは実に興味深い変化を遂げました。対等な相手として契約を交わしたい。いかがでしょうか?」
「……お断りします」
「何故? 理解できません、何故断るのですか? 私と契約していただければ、アナタの抱える問題の大半を解決出来ると保証しましょう。いえ、解決する必要すらない。アナタはこのキヴォトスでも類稀なる力と素質を持ち、そして今大きく成長しました。アナタを一人の大人として、仲間に迎え入れたいのです」
黒服は矢継ぎ早に捲し立てた。
口調は落ち着いていて、感情的なものは何も込められていない声色だったが、何処か熱を帯びているようにも感じられた。
「アナタはアビドスを捨てるべきです。あの小さな学校にこだわる理由は一つもない」
「そんなこと、勝手に決めつけないでくださいよ」
「いいえ、アナタの判断は全く合理的ではありません。大人の判断ではないのですよ。アナタは『ホルス』なのです。力のない者達に足を引かれてはいけません。あの滅びゆく不毛の地から飛び立つべきなのです」
「ワケの分からないことを言って、何か騙そうとしてませんか?」
「理解していただきたいのです。あの学校に未来はない。――砂嵐の正体を見ましたか?」
長々と続く黒服の話に若干うんざりしていたホシノは、突然出てきたその話題に顔色を変えた。
「……あれが何か知っているんですか?」
「あれは『ビナー』と呼ばれるものです。『デカグラマトンの預言者』の一体ですよ」
「知っていて当たり前みたいな専門用語で煙に巻くのやめてください」
「これは失礼。あいにくと詳しくは話せません。しかし、あれの起こす現象がアビドスにどんな影響をもたらしているのかは理解したはずです」
「……」
「アビドスは滅びます。近い将来、あるいは少し遠い未来に。知っての通り、あれは自然現象などではなく、意思をもって動く強大な存在なのです。もし、明日にでも砂嵐が直接街を襲ったらどうしますか?」
黒服は冷たい問い掛けをぶつけた。
「アナタは砂と渇きに追い立てられ、残っている住人は絶望の内に今度こそ全てを諦めるでしょう。誰もアナタに協力はしないし、逆に疎ましく思うはずです。これまでのようにね。それでも、アビドスに残って独り復興に奔走する意味はあると思っているのですか?」
残酷な未来を突き付ける黒服の言葉を受けて、ホシノは一度瞼を閉じた。
自分を追い詰める為の、適当なでっち上げだなんて思わない。
黒服は自分が知らない情報を持っていて、それに基づいた現実的な未来を予測している。
目の前の大人が『現実を見ろ』と子供に言い聞かせている。
そうして大人になれ、と。
ホシノは眼を開いた。
そして、再び真っすぐに黒服を見据えた。
「――もしもそうなったら、
瞼を閉じた時、真っ暗な未来が目の前に見えた。
だけど、隣を見れば。
二人がいた。
「そしてまたほとぼりが冷めたら、静かに寄り添うよ」
そう言って、ホシノは部屋を出て行った。
◆
「なぜ?」
「なぜ?」
「なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?」
「理解できません。あの何の変哲もない小さな学校に寄り添い続ける意味は? 意義は? あの地に一体何があるというのですか?」
「『暁のホルス』――キヴォトス最高の神秘が執着する要素など、あの地には何もないはずです。あるとすれば、それは彼女自身。彼女の持つ力こそが、全ての因果を惹きつける。あの『ビナー』さえ」
「そして、あの日観測された謎の空間歪曲――」
「あれほど莫大なエネルギーが、何の前触れもなく発生した」
「そのエネルギーの発生源と思わしき男もまたアビドスに身を寄せている」
「ただの滅びゆく地だと思っていた舞台で、著しい変化が生じている」
「あの『暁のホルス』の未成熟な精神を揺さぶることで変化する『神秘』を観測し、研究するつもりでしたが、予想を超えて彼女の精神は安定しました」
「しかし、これは停滞ではない。成長だ。強大な神秘はそのままに、精神性を大人へと成長させつつある」
「彼女が完成された人格を得た時、どのような権能を発揮するのか、実に興味深い」
「我々の有力なパートナーとなっていただけたらよかったのですが……惜しいことをしました。子供は成長するが故に大人から独立する。もはや、彼女に契約を持ちかけることは不可能でしょう」
「カイザーなどというくだらない企業に肩入れをする意味も薄れてきましたね」
「やはり、あの学校には我々には理解の及ばない何らかの秘密が隠されているのでしょうか?」
「興味深い。しかし、理解すべき情報の一片すら掴めない」
「やはり、あの地には気に留めるべきものは何もないはず。そのはずです」
「その前提が覆るというのなら」
「実験するしかありませんね」
「観測が必要です」
「特にあの全く未知のエネルギー。あれの正体を見極めなければ」
「実に信じ難いことです。あのようなエネルギーが一個人の内部に収まるなどあり得ない」
「無から水を生み出した現象も不可解ですが、たったコップ一杯の水を生み出す為だけに使用されたエネルギーでさえ、あのビナーが警戒して撤退を判断するほどの値を計測した」
「あの膨大な処理能力を持つAIに『恐怖』という狂いを生じさせたようにも見えます」
「このキヴォトスを滅ぼしかねない、あの力――『色彩』に匹敵する脅威」
「しかし、あの力の方向性によっては、あるいは新たな可能性を」
「見極めなければいけませんね」
「実験し――」
「観測し――」
「そして、理解を――」
◆
次の日の朝。
診療所のベッドで朝早くから目を覚ましたユメは、浮ついた気分を隠そうともせず、鼻歌など歌いながら身の回りの整理をしていた。
着替えは見舞いに来るホシノが定期的に持ち帰ってくれるので、病室にある私物はそう多くない。
自分を救ってくれたという白い羽根を大切に仕舞って、退院の準備は完了する。
身体の調子も悪くない。
いや、むしろ絶好調と言ってよかった。
体調は万全の状態にまで回復している。
点滴生活から解放され、食欲も完全に回復していた。
寝起きにも関わらず、お腹はペコペコだった。
もうすぐ、可愛い後輩が付き添いを伴って迎えにやって来る。
二人が来たら、学校へ行く前に朝ごはんを食べに行こう。
少し遠出して、アビドスで未だに営業を続けてくれているオススメのラーメン屋さんに行ってみたい。
朝からガッツリと力のつく物を食べちゃうのだ。
ホシノはきっと小言を言いながら付き合ってくれる。
そういえば、ヴァッシュはラーメンを知っているだろうか? もし、彼の元いた世界にない食べ物なら、それを紹介する意味も出来る。
三人で食べるご飯は、きっとおいしい。
満たされたお腹を抱えて、久しぶりの学校に登校しよう。
そんな風に今日一日の予定を考えながら、ユメは二人を待つ時間すら楽しんでいた。
やがて、程なく時間が経過して。
部屋のドアがノックされた。
「はーい! 待ってたよー!」
ユメは嬉々としてドアに駆け寄った。
「ホシ――」
ドアを開けると、金属の壁が聳え立っていた。
「ノォ~~?」
理解不可能な状況を把握する為、視界をゆっくりと上に移動させる。
「……ちゃん?」
それは壁ではなかった。
金属で出来た装甲だった。
戦闘用の装甲に身を包んだロボットの巨体が、ドアを塞ぐように佇んでいたのだ。
見上げた先にある顔は、ユメにとって見覚えのあるものだった。
「――よう、久しぶりだな。ようやく以前コケにしてくれた礼をしに来れたぜ、ガキ」
かつてブラックマーケットで騒動を起こしたスコルピオン・コーポレーションのリーダー格だった男が、無機質な仮面の奥で凶悪な笑みを浮かべていた。
「……ひぃん」
ユメは青褪めながら、小さく嘆くことしか出来なかった。
黒服の出番は多分これでお終いです(ネタバレ)
終盤の展開に関わってはいるんですが、直接的な登場は多分ないかなって。ちょっと顔出すくらいはあるかもしれませんが。
黒服エミュが難しいというのもあるんですが、原作ストーリー見てる内に『こいつ……ひょっとして私のことが好きなのか?』って思っちゃって。
もっと本格的に暗躍したり、ヴァッシュとの会話も考えてたんですが、打倒すべき黒幕にするには好感を持ちすぎてしまいました。
俺は俺のことが好きな奴が好きだ。
トライガン式の敵キャラは、もっとゲス外道か悲壮な過去持ってないとね……。