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夜を越えて――幻想郷の里は、静けさを取り戻しつつあった。
あの不気味な咆哮が響いた夜、人々は家に籠もり、息を潜めて嵐が過ぎるのを待った。
翌朝、異様な気配は跡形もなく消えており、村人たちは安堵と困惑の入り混じった表情で外に出てきた。
彼らはすぐに知ることになる。
“変な家”と呼ばれていた場所が崩れ去り、そこから戻ってきた子供たちが無事に村へ帰ったことを。
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「お母さんっ……!」
「うわああ、よく無事で……!」
再会の瞬間、泣きながら子供に駆け寄る親たち。
その場に居合わせた村人もまた、胸を撫で下ろしながら嗚咽を漏らした。
子供たちは怯えた顔のまま母や父にしがみつき、それでも必死に声を絞り出した。
「……お兄ちゃんが、助けてくれたんだ……!」
「こわかったけど、ぜったい守るって……!」
村人たちの視線が、阿求と、その傍らで深手を負った青年・創英に集まる。
彼はまだ意識を朦朧とさせており、稗田家の人間に担がれて運ばれる途中だった。
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます!」
子供たちの両親は涙ながらに阿求へ頭を下げた。
阿求は首を振り、静かに答える。
「救い出してくださったのは、時崎創英さんです。私はただ……見届けただけにすぎません」
それでも、心の奥底では熱い誇らしさが渦を巻いていた。
異郷から来た一人の青年が、命を賭して里の子供たちを救った。
――その事実こそが、何よりの宝になると。
◆
数日後、俺の傷もある程度癒え、布団から起き上がれるようになった頃だった。
稗田邸の一室に呼ばれ、待っていたのは――八雲紫。
「さて、創英くん。今回の件、お疲れさま」
「……いえ」
相変わらずの掴みどころのなさに緊張しつつも頭を下げる。
が、その直後に紫の扇がぱたりと閉じられ、目が細められた。
「ところで。報酬としてあげるはずだった“おうち”なんだけれど」
「……っ」
「どうやら、あなたの派手な技で木っ端微塵、どころか痕跡すら残っていないそうじゃない」
心臓が止まるかと思った。
汗が背中を伝う。紫の言葉は柔らかいが、内容は容赦なく鋭い。
「ま、待ってください紫さん! あれは不可抗力で……!」
「ふふふ。責めてはいないわ。ただ、なくなってしまったものはどうしようもないわよねぇ」
扇の影から覗く紫の笑みが、底の見えない湖のように思えてならなかった。
唖然とする俺の横で、静かに口を開いたのは阿求だった。
「……創英さん。もしお住まいが無くてお困りでしたら、新しい家が見つかるまで、稗田邸に滞在してくださって構いませんよ」
唐突な申し出に、俺は目を丸くする。
稗田家といえば里の要。そう簡単に余所者を泊めていい場所ではないはずだ。
「ま、待ってくれ! 流石にそんなわけには……! 」
「いえ。今回、子供たちを守ってくださった恩は計り知れません。せめて、安らげる場所を提供するくらいはさせてください」
真っ直ぐな瞳に押され、返す言葉を失う。
それでも、ただ甘えるのは性分的に耐えられなかった。
「……なら、こうしよう。しばらくの間、俺を住み込みの下働きにしてほしい。稗田家の雑務でも何でもやるからさ」
「えっ、そんな……!」
「いいんだ。俺が勝手に決めた条件だから。逆に、こうでもしなきゃ俺が落ち着かないよ」
数瞬の沈黙の後、阿求はふっと笑った。
「……分かりました。では、そういうことにしましょう」
胸の奥がじんわりと温かくなる。
当面の宿の心配はなくなった。その事実に、思わず安堵の息が漏れた。
――と、その瞬間。
「あらあらぁ」
傍らの紫が、悪戯っぽく目を細めて俺たちを見ていた。
「いつの間にこんなに仲良しになったのかしら? 若いって素敵ねぇ」
「なっ……!」
「そ、そういうことでは……! 揶揄うのはやめて下さい、紫さんっ!」
俺と阿求の声が重なり、慌てて顔を背ける。
互いの頬が赤く染まっているのが分かってしまい、余計に居心地が悪かった。
紫の笑みは、ますます深まっていった。
◆
ひとしきり俺達をイジり倒し、満足した紫が去った後。
稗田邸の客間には筆と硯が用意され、阿求が対面に座していた。
「さて、創英さん。『変な家』の件を記録に残させていただきたいのです」
「……あの夜のことをか」
「はい。幻想郷縁起に刻むべき、新たな怪異譚として」
阿求の眼差しは真剣で、迷いがなかった。
創英はわずかに逡巡したが、やがて深く頷いた。
「分かった。けれどまぁ、アレがまた誰かを呑み込むようなことは……もう無いと思うけどな」
「ええ。ですが、記録は残さねばなりません。忘れてしまえば、また再び同じ悲劇が繰り返されるでしょうから」
筆が走る。
阿求は淡々と、しかし丁寧に、あの夜の恐怖と救済を書き記していった。
◆
書き終えると、阿求はふと筆を置き、創英を見つめた。
「創英さん。あなたはこれからも……こうして戦い続けるおつもりですか?」
「……ああ」
窓の外では、救われた子供たちが大通りで遊んでいた。
泥だらけになりながら笑い声をあげる姿に、創英は自然と目を細める。
「俺はまだ未熟だし、あの夜だって死にかけた。でも、それでも守りたいと思ったんだ。縁を結んだ以上は、見捨てられない。退魔師としてじゃなくて……一人の人間としてな」
阿求は静かに微笑み、深く頷いた。
「きっと……それがあなたの強さなのだと思います」
こうして“変な家”の一件は幕を閉じた。
だが、幻想郷に潜む闇は尽きない。
俺の歩む道は、まだ始まったばかりだった。
そして阿求の筆もまた、次なる頁を求めて止まることはなかった――。
◆ side:??? ◆
あの「変な家」が崩壊してから数日後。
表向きには怨霊騒ぎも収まり、里は平穏を取り戻したかに見えた。
だが――その裏では、静かに別の蠢きが始まっていた。
ある廃寺の地下。
広大な石造りの空間に、松明ひとつ無いはずなのに、奇妙な灯が薄闇を照らしていた。
そこには法衣を纏った十数人の人影が円陣を組み、中央に置かれた黒い石柱へ祈りを捧げていた。
「報告します――『ダフマ』は崩壊しました」
「……成程」
低い声が返る。
その場の中心に座すのは、仮面を被った長身の女。
組織の指導者であり、誰も本名を呼ばぬ人物。
「供物の破壊は計画の遅延に過ぎぬ。しかし重要なのは……それを破壊した者の存在だ」
円陣を組む信徒たちが、無言で頷いた。
彼らは郷に潜伏し、人々の間に不信と憎悪を蒔き散らす事を生業とする。
怨念を束ね、悪神への供物とし、やがて幻想郷そのものを覆す力へと転じるために。
「奴の名は……創英」
「外から来た退魔師……」
「異端の力を持ち、郷の調律を乱す可能性があります」
声が重なる。
それは恐れではなく、冷徹な評価の声。
既に彼らの視線は、創英を「障害」として認識していた。
「ならば観察せよ。排除はまだ早い」
「……?」
「こちらから手を下す必要はない。むしろ、奴の力がどこまで通用するのか、試してみる価値がある」
仮面の女の言葉に、再びざわめきが広がる。
彼らの行動は偶発ではなく、体系立てられた計画の一部である。
幾つもの段階を経て、最終的に「悪神」へと供物を捧げる。
そのためには、創英の存在を無視するわけにはいかない。
「各地の支部に伝えよ。奴を監視対象とする」
「了解」
「動向を記録し、縁を持つ者たちを洗い出せ」
「いずれ……利用できる」
円陣を囲む者たちの声が重なり、祈祷のような囁きが地下に満ちていく。
やがて仮面の女が片手を掲げると、黒い石柱の表面にうっすらとひびが走った。
そこから漏れ出すのは、かすかな呻き声――。
「アヴェスターの計画は揺るがぬ。だが創英……お前の存在は、計画に一石を投じるかもしれぬな」
仮面の奥の双眸が、冷たく笑んだ。
こうして、退魔師・創英は、知らぬ間に組織的な陰謀の標的として記録されたのである。
それは後に、彼自身と周囲の者たちをも巻き込む大嵐の序章となるのだった。