◆◇◆◇◆◇◆◇◆
市の朝は活気に溢れていた。
威勢のいい掛け声、野菜や魚の並ぶ匂い、行き交う人々のざわめき。
阿求に頼まれた買い出しのために、俺は野菜の並ぶ屋台へと足を運んでいた。
「大根……大根っと……おっ、いいのがあるじゃん!」
形が良く、葉も青々としている一本に目をつけた。
それを手に取ろうとした、その瞬間――。
「お、この大根がいいわね」
俺の手と別の手が同時に伸び――同じ大根を掴んだ。
「……」
「……」
数秒の沈黙。
視線を上げると、そこには赤い巫女装束の少女がいた。
「……誰よアンタ」
「誰だアンタ」
ピリっと空気が張り詰める。
赤と白の衣、堂々とした立ち姿――博麗の巫女。名は……博麗霊夢と言ったか。
以前読ませてもらった幻想郷縁起で知ってはいたが、こうして出会うのは初めてだ。
「おい、その大根放せよ」
「はぁ? 私が先に目をつけたのだけど?」
「いや、俺が先に触った」
「私が先よ」
「……むぅ」
「むむむ」
妙に負けられない空気が漂った、その時――。
「なんだなんだ!? 人間の里で喧嘩かぁ!?」
別の方向で怒号が上がる。人混みがざわめいた。
見ると、妖怪二人が大声で言い合いを始め、そのまま取っ組み合いに発展していた。
本来、里では妖怪の暴力は禁止のはずだ。だが、朝から酔っぱらっているのか、理性が飛んでいるのか……二人の妖怪の喧嘩は、周囲を巻き込む大騒動と化していた。
「……はぁ」
「……ったく」
俺と霊夢は短くボヤきを漏らすと、同時に駆け出していた。
右から俺。左から霊夢。
二人同時に懐から符を抜き、それを正確に眉間に投擲し――同時に妖怪たちを地面に沈めた。
「……」
「……」
再び目が合う。
呼吸は乱れていない。その上で、寸分違わぬ投擲と対処能力を見て互いの力量を一目で理解した。
「……やるじゃない」
「そっちもな」
不思議と、口元が緩んでいた。
─────
「おーおー。なんだよ、初対面で息ぴったりじゃねぇか」
頭上から快活そうな声が降ってくる。
見上げれば、そこには箒に跨りながらくすくすと笑っている黒白の魔女姿の少女が居た。
――この少女は初見だな。一体誰なんだ?
そう思って視線を横へ戻せば、霊夢はぷいっと顔を背けていた。
まぁいい。小さなトラブルを速攻で片付けた今、大事なのは――この大根をどうするかだ。
まぁ、相手は譲る気は無さそうだし……こんな事で時間を浪費する訳にも行かない。
仕方ない、ここは譲るとするか。探せば他に良いものがあるだろうしな。
「……その大根、アンタに譲るわ」
そうやって思考を回していたら、不意に霊夢からそんな事を言われた。
「別にいいよ。アンタが持ってきな」
そうやって俺が言葉を返すと、霊夢はムッとした表情で大根を突き返してきた。
「いらないっての。私は別のを選ぶから」
「俺も別のを選ぶつもりだ。小さいやつでも、手を掛ければ十分美味くできるからな」
「ちょっと待ちなさい。それじゃあまるで、私が大きい大根にがっついてるみたいじゃない!」
「事実だろ?」
「なにおう!?」
「あぁん!?」
……今ようやく分かった。この女、可愛げが無い。
つっけんどんで意地っ張り、それでいて……案外負けず嫌いなのか?
「……お前ら、妖怪退治より大根で揉めてる時間の方が長ぇな」
そんな黒白少女の呆れ声が、活気ある市場の喧騒に溶けていった。
◆
「なるほど、市場で乱闘騒ぎが……そういう経緯で、霊夢さんと魔理沙さんに助力をいただいたのですね」
人間の里の市場で起きた小さな騒動を収め、帰ってきた俺は道すがら自己紹介を交わしていた。
博麗霊夢は縁起で読んだから知っていた。問題はこの魔女っ子だ。
この黒白少女の名前は霧雨魔理沙という。なんでも、霊夢とは友人関係にある様で、今回は人間の里に食料を買いに来ていたのだとか。
そんなこんなで話をしていく中で、魔理沙も料理には理解があるらしく……話の流れで、俺が手料理を振る舞うこととなったのだった。
「まあ、助けたっていうより同時に叩き伏せただけ、なんだけど」
霊夢が肩を竦めて言えば、魔理沙も「ま、そうだな」と頷く。
「悪いな阿求。話の流れで手料理を振る舞うことになっちまってさ。二人を招いても大丈夫か?」
「問題ありませんよ。それに……うちの居候の腕前をぜひ味わっていただきたいと思いますし」
阿求がそう言うと、霊夢の眉がぴくりと動いた。
魔理沙に至ってはすでに期待で目を輝かせている。
「ありがとうな。……よし! そうとなれば腕によりをかけて振る舞おうか!」
◆
所変わって、稗田邸の厨房。
三角巾を頭に巻き、割烹着に身を包んだ俺は、袖をまくって包丁を握った。
――しゃっ、しゃっ、しゃっ。
刃がまな板を叩くたび、俺の中に染み付いたリズムが心地よく響く。
人参も大根も蓮根も、同じ厚みに揃えてやる。ばらつきなんか許さない。
切り揃えたやつを鍋に放り込めば、昆布で引いた一番出汁にすぐ旨味が滲み出す。
鶏肉を加えて灰汁を掬うと、立ちのぼる香りが一気に濃くなる。
……あぁ、これだ。この匂いだけで腹が鳴りそうになる。
別の竈じゃ米が炊けてきた。火加減をちょい足して蒸らしに入る。
蓋を開けた瞬間――ぶわっと甘い香りが顔を撫でた。
粒立ちも艶も上々。これなら誰に出しても恥ずかしくない。
鮎には下拵えで塩を振っておいた。余計な水分を飛ばして臭みも抜く。
あとは炭火で網焼き。パチパチと脂が弾けて、香ばしい匂いが鼻腔を直撃する。
……よし、皮が黄金色。中はふっくら。箸を入れりゃほろっと崩れる出来だ。
次は卵焼き。出汁を利かせた卵液を流し込み、手首を返して巻く。
――じゅっ、くるり。じゅっ、くるり。
層を重ねるごとに膨らんでいく香りと柔らかさ。これも文句なし。
漬物は朝のうちに仕込んでおいたやつ。胡瓜はパリパリ、大根は糠の深み、茄子は紫蘇の色鮮やかさが残ってる。
胡麻和え用のほうれん草はさっと茹でて氷水に落とし、すぐ擦った胡麻と醤油と砂糖で和える。
口に入れりゃ香りが弾けるやつだ。
最後にデザート。冷やしておいた杏仁豆腐に柑橘と苺をちょっと飾る。
見た目の鮮やかさは、食卓の締めにぴったりだ。
……ふう。全品出揃い、厨房は嘘みたいに静かだ。
残ってるのは香りと熱気、それから食卓に並べるばかりの料理たち。
俺は包丁を置き、深く息を吐いた。
――さて。こっからは食う側の番だな。
◆
膳を並べ終えて、ふっと肩の力を抜く。
俺が座る前に、阿求と霊夢と魔理沙の三人が料理を見渡して目を丸くしていた。
「……すごい。こんなに彩り豊かに並ぶと、まるで料亭みたいですね」
阿求が目を細める。
普段から筆を走らせるばかりで細身の体だ、口に合うか少し気になっていたが、その顔を見る限りは心配なさそうだ。
霊夢はというと、腕を組んで鼻をひくつかせていた。
「へぇ……。あんた、見た目だけは良いもの作るのね」
口ぶりは棘があるが、喉が小さく鳴ったのを俺は聞き逃さなかった。
魔理沙はもう隠そうともせず、涎が垂れそうな顔をしていた。
「お、おい阿求……これほんとに食っていいんだよな?」
「もちろんです。……創英さん、どうぞ一緒に」
阿求に促され、俺もようやく腰を下ろす。
まずは炊き立ての白米。
三人が茶碗を手に取り、一口頬張る――瞬間、魔理沙が先に声を上げた。
「っっはぁあ……っ、甘ぇっ!! えっ!? 米って、こんなに甘いもんだったか!?」
阿求は小さく目を瞠り、ただ頷くばかり。
霊夢は「ふん」と鼻を鳴らしつつも、二口目をすぐ口に運んでいる。
鮎の塩焼きを箸で割ると、じゅわっと脂が滲み出る。
霊夢がそれを口に入れ、無言で咀嚼した後――ちらりと俺を見た。
「……外はぱりぱり、中はふっくら。……悔しいけど、文句なしね」
素直に褒められたわけじゃないが、十分だ。
そして魔理沙は卵焼きを頬張り、目を輝かせていた。
「なにこれ! 甘いのに出汁が効いてて……なんか、じゅわって溶ける! 私、これだけで茶碗三杯いけるぜ!」
「ほどほどにしておきなさいな、魔理沙さん」
阿求が苦笑してたが、彼女自身も箸が止まっていなかった。
漬物を口にした時、阿求が小さく感嘆の息を漏らした。
「……ああ、これは……。ただしょっぱいだけじゃなくて、香りと歯ごたえが心地よい……。記録しておきたい味ですね」
……やっぱりこの人、どこまでも記録魔だな。
胡麻和えに手を伸ばした霊夢は、一瞬動きを止めた。
「ん……これ、茹ですぎてないのね。青菜のしゃきしゃき感がちゃんと残ってる。胡麻の香りが強いけど、嫌な重さじゃない。……ふうん、やるじゃない」
その口調とは裏腹に、もう二度目を摘まんでいる。
最後に杏仁豆腐。
白い器に浮かんだ柑橘の香りに、三人の顔が柔らかく緩むのが見えた。
「さっぱりして……これならいくらでも入りますね」
「んー! 甘酸っぱくてうめぇ!」
「……口直しに丁度いいわね」
言葉は違えど、満足げなのは共通していた。
俺は腕を組んで、そんな三人の様子を静かに眺めていた。
自分の作ったものを食べて誰かが笑う――それがこんなにも心に染みるのかと、改めて思う。
……妹に作り続けてきた甲斐が、今になって実感できるとはな。
◆
毎度恒例となりつつある阿求からの取材は、飯を食わせた直後から唐突に始まった。
紙と筆を構えて、目を輝かせて――俺を実験体みたいに観察してやがる。
「創英さん、この料理の技術……一体どこで身につけたのですか?」
来たな。
真面目な顔だが、目は完全に“新しい項目を書き加える時の顔”だ。
「修行の一環……でもあるけどな。元は妹のためだよ」
阿求の筆が走る音。
それと同時に、霊夢がずずっと茶を啜りながら口を開いた。
「へぇ、つまりシスコンってわけね」
「ぶふっ!? はぁっ!?」
不意打ちにむせる俺。
だが横で魔理沙まで加勢してくる。
「いやいや、違うぜ霊夢。コイツ、絶対モテるために練習してたクチだ。女を落とすなら胃袋から! ってな」
「おまっ……誰がそんな下心で! 妹のためだって言ってんだろ!」
二人は顔を見合わせ、「ふーん?」と揃って疑わしげに頷く。
まるで俺が悪いことをしたかのような空気にされるのは納得いかねぇ!
「え、えっと……つまり実際はどちらなんですか?」
阿求が真顔で俺に突っ込んでくる。
ちょっと待て、俺のフォロー役はどこ行った!?
「どっちも違ぇよ! 記録すんな! 今のナシ!」
「はい、では“妹想いのシスコンであり、胃袋を掴んで女性を落とす策士”と――」
「まとめ方がひでぇ!!」
阿求は冷静に筆を走らせ、霊夢と魔理沙はクスクス笑う。
俺の必死の抗議など一顧だにされず、紙の上にはとんでもないレッテルが刻まれていく。
「やめろぉぉぉおおおーーーっ!!!」
叫び声が稗田邸に響き渡った。
◆
日が傾き、稗田邸の座敷に涼やかな風が入り込んでくる。
霊夢と魔理沙は茶を飲み干し、腰を上げた。
「ふぅ……ごちそうさま。あんたの料理、ほんっとおいしかったわ」
「だな! 私の家にもぜひ一回来てくれよ、な? メシ目当てでも歓迎だぜ!」
魔理沙が豪快に笑いながら肩を叩いてくる。
霊夢も満足したのか、今朝までの態度はもう見られなかった。
やれやれ……料理だけでここまで持ち上げられるのは妙な気分だ。
「……まあ、気が向いたらな」
「絶対来いよ!」
ぐいっと指を突きつけられて、苦笑するしかない。
霊夢はというと、縁側に出て空を見上げていた。
西日に照らされる横顔は、不思議と柔らかく見える。
「人間の里に、また妙なのが増えたわね」
ぽつりと呟いたその口調の奥に――ほんのわずかだが、警戒から別の色に変わりつつあるものを感じた。
「……なにぶん、新参者なもんでね」
「聞こえてたの? でもまあ、悪くはないわ。里に害をなすどころか、こうやって食卓を賑やかにしてくれるんだもの」
霊夢は振り返り、俺と視線を合わせる。
淡々としているはずなのに、不思議と心に残る目だった。
「次に会ったとき、また腕前を見せてもらうわ」
「……ああ。期待してろ」
自然とそう返していた。
その瞬間、霊夢の口元にかすかな笑みが浮かんだ気がしたが――それは夕暮れの光に紛れて見えなくなった。
「んじゃ、行くか霊夢!」
「はいはい」
魔理沙の声に押され、二人は連れ立って門を出ていく。
背中を見送りながら、俺は胸の奥に残った熱をそっと押さえていた。
――ただの食卓を囲んだだけの一日。
けれど、あの二人との縁は、きっとここから始まっていくのだろう。