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◆ side:時崎創英 ◆
稗田家に居候を始めてから、数日が経った。
最初こそ好奇の目で見られていた俺だが、意外なほど早く人間の里に馴染み始めている。
寺子屋の子供たちに囲まれて歩く姿を見られた時などは、近所の婆さん連中に「随分と面倒見のいい若い衆だねぇ」と笑われたほどだ。
……まあ、そういう柄じゃないんだが。
今日も阿求から頼まれた用事を済ませ、ふと通りを歩いていると、声を掛けられた。
「そこの君、少しいいか?」
振り向けば、銀色の髪を後ろに流した女が立っていた。
長身で凛とした姿勢。人間離れした雰囲気を纏っているが、瞳は優しい。
彼女の名は――上白沢慧音。寺子屋を運営し、子供たちを教え導いている教師だ。
「君が最近、阿求殿の所に居候している退魔師だな?」
「はい。創英と申します」
「なるほど……噂は聞いているよ。強いのに気さくで、子供にも好かれているとね」
俺は頭を掻きながら苦笑する。噂ってのは本当に勝手に育つもんだ。
慧音は腕を組み、少し考えるように目を細めた。
「もしよければ、今日一日だけでいい。寺子屋の子供たちを見ていてくれないか?」
「……俺が、ですか?」
「授業の後に親御さんが迎えに来るまで、子供たちを見守っていて欲しいのだ。どうも最近、少しやんちゃが過ぎる子らがいてね」
その言葉に、妙な胸騒ぎを覚えた。けれど、ここで断る理由もない。
……俺自身、子供と接することに抵抗はないし、むしろ妹の面倒を見てきた経験がある分、慣れている方だ。
「分かりました。引き受けますよ」
「ありがとう、助かる」
こうして俺は、寺子屋の子供たちを任されることになった。
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「お兄ちゃん、これ見てー!」
「なぁなぁ、これ出来る? 出来る?!」
「ちょっと! 勝手に筆墨持ち出さない!」
……思った以上に、ガキどもの元気は有り余っていた。
慧音の授業が終わった途端、狭い教室の中で三十人近くの子供がわぁっと動き回り、俺の周りに群がってくる。
腕を引っ張られ、服を掴まれ、質問を浴びせられ……完全に翻弄されていた。
「おいおい、順番だ順番! 人の話は一人ずつ聞け!」
「えー!」「やだー!」
まるで渦の中心に放り込まれた気分だ。退魔師の修行より体力を使うんじゃないか、これは。
それでも笑顔で相手をする。
子供たちが屈託なく笑う姿は、疲労を不思議と和らげてくれるからだ。
……ただ、その時。ふと腰が軽いことに気づいた。
視線を下ろせば、本来なら帯に差しているはずの愛刀――風花がない。
ぞわりと嫌な予感が背を走る。
「……待て」
刀を抜いた覚えはない。置いたのは……確か、子供がぶつかって怪我でもしたら大変だと思い、壁際に立て掛けておいたはず。
そこを見やれば、やはり、空っぽになっている。
さらに追い打ちをかけるように――教室を見回した俺の目に、ぽっかりと空いた三人分の隙間が映った。
「……琥太朗、真也、真美……?」
あの三人の姿が、どこにもない。
先日、“変な家”から救い出したばかりの子供たちだ。
よりによって、あいつらが――。
胸の奥が冷たくなる。
刀と子供、二つの“失せ物”。これがただの偶然とは、とても思えなかった。
俺は顔を引き締め、立ち上がった。
「慧音先生――! すみません、子供が三人、抜け出しました!」
その声に慧音が振り向き、目を見開く。
彼女の口が何かを告げる前に、俺はもう駆け出していた。
――胸中に渦巻くのは、焦燥と苛立ち。
俺が少しでも気を抜いたせいで、また子供たちが危険に晒されているかも知れない。
「無事で居てくれよ……!!」
吐き捨てるようにそう呟くと、俺は全速力で里を駆けた。
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◆ side:真也(里の子供) ◆
――あの時のことが、忘れられなかった。
“変な家”で泣き叫んでいた俺たちを、颯爽と助け出してくれた男。
退魔師・時崎創英。
あの人は強くて、優しくて。
あんなふうに妹を守れる兄になれたら……と、何度想像したか。
だから、寺子屋の壁際に無造作に立て掛けられた刀を見た瞬間――胸が高鳴った。
「なぁ、琥太朗。あれ……創英さんの刀じゃないか?」
「おぉ……ホントだ! すげぇ、かっけぇ!」
「しっ! 声が大きい!」
隣で妹の真美が、不安そうに俺の袖を引っ張る。
「にぃに……やめようよ。怒られるよ……」
わかってる。わかってるんだ。
でも俺は、どうしても触れてみたかった。
「大丈夫だって。ただのちょっとだ。遊んだらすぐ戻すから」
そう言いながら刀を抱え、三人で寺子屋を抜け出した。
◆
人けの少ない裏路地。
俺たちは刀を前に置き、“退魔師ごっこ”を始めていた。
「我は創英! 悪しき妖を斬る者なり!」
「ぎゃーっ! やられたぁー!」
「やめてよ、ふたりとも……本当に人に見られたらどうするの」
真美は顔を赤らめて心配そうにしていたが、俺と琥太朗はもう夢中だった。
刀を抜く真似をして構えたり、妖怪を斬る動作をしてみたり。
ただの遊び。……そのはずだった。
――ぞわり、と空気が変わった。
「おい……今、なんか寒くなかったか?」
「うん……」
振り返る。
そこに立っていたのは、一匹の妖怪だった。
見たこともない顔つき。
瞳はぎらつくように妖しく光り、口元は歪んだ笑みに釣り上がっている。
そいつは――迷いもためらいもなく、俺たちに爪を振り下ろした。
「うわぁっ!」
「きゃあああっ!」
必死に逃げる。
刀なんて重すぎて抜けやしない。ただ抱えて走るしかなかった。
◆
細い路地を駆け抜ける。
背後から迫る妖怪の笑い声が耳に焼き付く。
その時――「きゃっ!」という悲鳴が響いた。
「真美!」
振り返れば、妹が石につまずき倒れている。
妖怪の爪が煌めき、振り下ろされようとしていた。
考えるより先に、身体が動いた。
「やめろおおおおっ!」
俺は真美を庇って飛び出し、そのまま弾き飛ばされた。
背中に鈍い衝撃が走り、視界がぐらりと揺れる。
「にぃにっ!」
「だ、大丈夫……まだ……!」
立ち上がる。足が震えても、妹を背に庇った。
怖い。死ぬほど怖い。
でも、ここで逃げたら俺は一生、自分を許せない。
刀を抱きしめ、唇を噛んだ。
そして、胸の奥に浮かんだのは――あの背中。
「……力を……妹を守れるだけの力を……貸してください……創英さんっ!」
目をぎゅっと閉じ、迫る気配に身を固くする。
「――待たせたな」
その声は、稲妻よりも鮮烈に響いた。
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◆ side:時崎創英 ◆
「――待たせたな」
声をかけた瞬間、子供たち三人の肩がビクリと震えた。
怯えきった目でこちらを振り向く。だが、次の瞬間には安堵が溢れ出していた。
「創英さん!」
「全く、この悪ガキ共め。怪我は――特には無さそうだな」
軽口を叩きながら一歩、また一歩と前に出る。
妖怪がぎらりと目を光らせ、俺を睨みつけた。
……あの目。
狂気と渇望に塗り潰された色。普通の妖怪じゃないな。
「まぁ、今は問い詰める暇はないな」
「創英さん、コレを!」
鞘に収められたままの風花を差し出されるが、俺はそれを押し留める。
「預けておく。大事に持っててくれ」
武器など要らない。
こいつを倒すには――俺の両手で十分だ。
妖怪が咆哮と共に飛びかかってくる。
振り下ろされる爪を、掌で受け止めた。
骨が軋み、空気が震える。
「う、うそだろ……」
後ろで琥太朗の声が漏れた。
俺は小さく息を吸い、力を込める。
掌に宿した霊力を爆ぜさせると、妖怪の腕が逆方向に弾け飛び、勢いごと地面に叩きつけられた。
「ぐ、ぎぃぃぃっ!」
呻き声を上げてのたうつ妖怪。
その首元に指先を突きつけ、ほんの少しだけ霊力を叩き込む。
ドンッ、と鈍い音がして、妖怪は白目を剥き、泡を吹いて動かなくなった。
「……はい、おしまいっと」
土埃を払いつつ振り返れば、三人はぽかんと口を開けていた。
助かった安堵と、信じられないものを見た驚愕とがない交ぜになった表情。
その頭に――容赦なく拳骨を落とした。
「いってぇっ!」
「ひゃあっ!」
「痛っ!」
三人揃って頭を抱え、涙目になってこちらを見上げてくる。
「よく聞け」
目線を合わせるために屈みこみ、声を低くする。
子供相手だからこそ、真剣に伝えなければならない。
「元々は監督不行届で俺の責任な訳だが……それでも俺はお前たちを叱らないといけない」
子供たちが息を呑む。
「お前たちは今、死にかけた。俺がもう少し遅ければ、誰かが――あるいは全員が、死んでたんだぞ」
真美の瞳が潤み、真也が唇を噛む。
琥太朗も俯いて拳を握りしめていた。
「遊ぶなとは言わない。だが、保護者の目の届かない所に子供だけで行くのは、絶対にするな。痛い思いをするのはお前たち自身だが……それ以上に、家族の心を痛くするんだ」
言葉を切り、三人の顔を順に見やる。
やがて三人は、揃って小さく「……はい」と頷いた。
俺はそれを見て表情を弛め、それぞれの頭を撫でてやった。
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寺子屋に戻ると、慧音が鬼の形相で待ち構えていた。
「創英……! 一体これはどういうことだ!」
「す、すみませんっ!」
頭を地に擦り付ける勢いで下げる。
「子供たちから目を離した俺の不注意です! 本当に申し訳ございませんでたっ!」
必死に謝る俺の背中に、三人がしがみついてきた。
「せ、先生! 創英さんのせいじゃありません!」
「僕たちが勝手にやったんです!」
「怒るなら私たちを……!」
慧音の眉がぴくりと動く。
そして次の瞬間――三人まとめて拳骨を食らっていた。
「きゃんっ!」
「いってぇ!」
「ごめんなさいっ!」
慧音は深々と息を吐くと、腕を組んだ。
「……よく分かった。だが今回は、三人も、そして創英も、等しく叱られるべきだ」
その目は厳しく、それでいてどこか優しさを含んでいた。
子供たちは、しゅんとしながらも「はい」と頭を下げる。
慧音は俺に視線を移す。
「創英。次は、絶対に目を離すな」
「……はい」
俺は深々と頭を下げ、その言葉を胸に刻み込んだ。
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寺子屋の鐘が鳴り、夕暮れの橙が差し込む。
子供たちが家々に帰っていく中、俺と慧音はその後ろ姿を見送っていた。
「……結局、俺のせいで子供たちを危険に晒してしまった。本当に申し訳ない」
「そう思うなら、次は同じ過ちを繰り返さなければいい」
慧音は柔らかく微笑み、夕日を背に立っていた。
「私だって預けた責任がある。お前ひとりを責める気はないさ」
「……ありがとうございます」
それでも、俺は頭を下げずにはいられなかった。
慧音は呆れたように肩を竦める。
「まったく……律儀すぎる男だな、お前は」
そして、少しだけ真顔になり――
「次は、本当に頼むぞ。目を離すなよ」
真剣なその声に、俺はようやく顔を上げた。
胸の奥に残る痛みを押し殺し、ただ一言返す。
「はい」
夕陽の下、俺と慧音の影が長く伸びていた。
◆
寺子屋の門の前。
迎えに来た親たちと子供たちが次々と帰っていく中、琥太朗、真也、真美の三人だけは最後まで残っていた。
慧音が「ほら、行きなさい」と声を掛けると、三人は名残惜しそうにこちらへ駆け寄ってきた。
「……創英さん!」
真也が先頭で、真美と琥太朗が続く。
息を切らせながら、三人は一斉に頭を下げた。
「さっきは……助けてくれて、本当にありがとうございました!」
「ごめんなさい! もう二度と勝手にしません!」
「ほんとに、ごめん……」
その姿を見て、思わず頬が緩む。
まだ子供だ。反省もすぐ忘れるかもしれない。
それでも――今のこの誠実さを、俺は信じてやりたいと思った。
「……わかった。もういい」
三人が顔を上げる。
俺は小さく笑い、屈みこんでから軽く拳を作って突き出した。
「ただし、一つ約束だ。次に会ったときは――俺に胸を張れるようになっていろ」
真也の目が大きく開かれ、ぐっと拳を握る。
琥太朗は嬉しそうに笑い、真美はこくこくと真剣に頷いた。
「はいっ!」
「約束だぜ!」
「また会いましょう、創英さん!」
コツンと、それぞれの拳を突き合わせる。
三人は駆けていき、それぞれ親のもとへと戻っていった。
その背を見送りながら、俺は胸の奥で小さな熱を抱いていた。
――守るための力。
俺にとっては当たり前だったそれが、あの子たちにはきっと憧れに映ったのだろう。
ならば……胸を張って語れるような、そんな背中であらねばならないだろう。
もっともっと、精進しないとな。
「……律儀だな、お前は」
隣で慧音が呆れ気味に呟いた。
俺は少し照れ臭くなり、肩を竦める。
「性分なんでね」
夕暮れの寺子屋に、ひぐらしの声が響く。
次の約束を胸に刻み、俺たちは並んで歩き出した。