幻想回帰節   作:北宮 涼

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15の節:あこがれと背中

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

◆ side:時崎創英 ◆

 

 稗田家に居候を始めてから、数日が経った。

 最初こそ好奇の目で見られていた俺だが、意外なほど早く人間の里に馴染み始めている。

 寺子屋の子供たちに囲まれて歩く姿を見られた時などは、近所の婆さん連中に「随分と面倒見のいい若い衆だねぇ」と笑われたほどだ。

 ……まあ、そういう柄じゃないんだが。

 

 今日も阿求から頼まれた用事を済ませ、ふと通りを歩いていると、声を掛けられた。

 

「そこの君、少しいいか?」

 

 振り向けば、銀色の髪を後ろに流した女が立っていた。

 長身で凛とした姿勢。人間離れした雰囲気を纏っているが、瞳は優しい。

 彼女の名は――上白沢慧音。寺子屋を運営し、子供たちを教え導いている教師だ。

 

「君が最近、阿求殿の所に居候している退魔師だな?」

「はい。創英と申します」

「なるほど……噂は聞いているよ。強いのに気さくで、子供にも好かれているとね」

 

 俺は頭を掻きながら苦笑する。噂ってのは本当に勝手に育つもんだ。

 慧音は腕を組み、少し考えるように目を細めた。

 

「もしよければ、今日一日だけでいい。寺子屋の子供たちを見ていてくれないか?」

「……俺が、ですか?」

「授業の後に親御さんが迎えに来るまで、子供たちを見守っていて欲しいのだ。どうも最近、少しやんちゃが過ぎる子らがいてね」

 

 その言葉に、妙な胸騒ぎを覚えた。けれど、ここで断る理由もない。

 ……俺自身、子供と接することに抵抗はないし、むしろ妹の面倒を見てきた経験がある分、慣れている方だ。

 

「分かりました。引き受けますよ」

「ありがとう、助かる」

 

 こうして俺は、寺子屋の子供たちを任されることになった。

 

 

「お兄ちゃん、これ見てー!」

「なぁなぁ、これ出来る? 出来る?!」

「ちょっと! 勝手に筆墨持ち出さない!」

 

 ……思った以上に、ガキどもの元気は有り余っていた。

 慧音の授業が終わった途端、狭い教室の中で三十人近くの子供がわぁっと動き回り、俺の周りに群がってくる。

 腕を引っ張られ、服を掴まれ、質問を浴びせられ……完全に翻弄されていた。

 

「おいおい、順番だ順番! 人の話は一人ずつ聞け!」

「えー!」「やだー!」

 

 まるで渦の中心に放り込まれた気分だ。退魔師の修行より体力を使うんじゃないか、これは。

 

 それでも笑顔で相手をする。

 子供たちが屈託なく笑う姿は、疲労を不思議と和らげてくれるからだ。

 

 ……ただ、その時。ふと腰が軽いことに気づいた。

 

 視線を下ろせば、本来なら帯に差しているはずの愛刀――風花がない。

 ぞわりと嫌な予感が背を走る。

 

「……待て」

 

 刀を抜いた覚えはない。置いたのは……確か、子供がぶつかって怪我でもしたら大変だと思い、壁際に立て掛けておいたはず。

 そこを見やれば、やはり、空っぽになっている。

 

 さらに追い打ちをかけるように――教室を見回した俺の目に、ぽっかりと空いた三人分の隙間が映った。

 

「……琥太朗、真也、真美……?」

 

 あの三人の姿が、どこにもない。

 先日、“変な家”から救い出したばかりの子供たちだ。

 よりによって、あいつらが――。

 

 胸の奥が冷たくなる。

 刀と子供、二つの“失せ物”。これがただの偶然とは、とても思えなかった。

 

 俺は顔を引き締め、立ち上がった。

 

「慧音先生――! すみません、子供が三人、抜け出しました!」

 

 その声に慧音が振り向き、目を見開く。

 彼女の口が何かを告げる前に、俺はもう駆け出していた。

 

 ――胸中に渦巻くのは、焦燥と苛立ち。

 俺が少しでも気を抜いたせいで、また子供たちが危険に晒されているかも知れない。

 

「無事で居てくれよ……!!」

 

 吐き捨てるようにそう呟くと、俺は全速力で里を駆けた。

 

 

─────

───

 

 

◆ side:真也(里の子供) ◆

 

 ――あの時のことが、忘れられなかった。

 “変な家”で泣き叫んでいた俺たちを、颯爽と助け出してくれた男。

 退魔師・時崎創英。

 

 あの人は強くて、優しくて。

 あんなふうに妹を守れる兄になれたら……と、何度想像したか。

 

 だから、寺子屋の壁際に無造作に立て掛けられた刀を見た瞬間――胸が高鳴った。

 

「なぁ、琥太朗。あれ……創英さんの刀じゃないか?」

「おぉ……ホントだ! すげぇ、かっけぇ!」

「しっ! 声が大きい!」

 

 隣で妹の真美が、不安そうに俺の袖を引っ張る。

 

「にぃに……やめようよ。怒られるよ……」

 

 わかってる。わかってるんだ。

 でも俺は、どうしても触れてみたかった。

 

「大丈夫だって。ただのちょっとだ。遊んだらすぐ戻すから」

 

 そう言いながら刀を抱え、三人で寺子屋を抜け出した。

 

 

 人けの少ない裏路地。

 俺たちは刀を前に置き、“退魔師ごっこ”を始めていた。

 

「我は創英! 悪しき妖を斬る者なり!」

「ぎゃーっ! やられたぁー!」

「やめてよ、ふたりとも……本当に人に見られたらどうするの」

 

 真美は顔を赤らめて心配そうにしていたが、俺と琥太朗はもう夢中だった。

 刀を抜く真似をして構えたり、妖怪を斬る動作をしてみたり。

 ただの遊び。……そのはずだった。

 

 ――ぞわり、と空気が変わった。

 

「おい……今、なんか寒くなかったか?」

「うん……」

 

 振り返る。

 そこに立っていたのは、一匹の妖怪だった。

 見たこともない顔つき。

 瞳はぎらつくように妖しく光り、口元は歪んだ笑みに釣り上がっている。

 

 そいつは――迷いもためらいもなく、俺たちに爪を振り下ろした。

 

「うわぁっ!」

「きゃあああっ!」

 

 必死に逃げる。

 刀なんて重すぎて抜けやしない。ただ抱えて走るしかなかった。

 

 

 細い路地を駆け抜ける。

 背後から迫る妖怪の笑い声が耳に焼き付く。

 

 その時――「きゃっ!」という悲鳴が響いた。

 

「真美!」

 

 振り返れば、妹が石につまずき倒れている。

 妖怪の爪が煌めき、振り下ろされようとしていた。

 

 考えるより先に、身体が動いた。

 

「やめろおおおおっ!」

 

 俺は真美を庇って飛び出し、そのまま弾き飛ばされた。

 背中に鈍い衝撃が走り、視界がぐらりと揺れる。

 

「にぃにっ!」

「だ、大丈夫……まだ……!」

 

 立ち上がる。足が震えても、妹を背に庇った。

 

 怖い。死ぬほど怖い。

 でも、ここで逃げたら俺は一生、自分を許せない。

 

 刀を抱きしめ、唇を噛んだ。

 そして、胸の奥に浮かんだのは――あの背中。

 

「……力を……妹を守れるだけの力を……貸してください……創英さんっ!」

 

 目をぎゅっと閉じ、迫る気配に身を固くする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――待たせたな」

 

 その声は、稲妻よりも鮮烈に響いた。

 

 

─────

───

 

 

◆ side:時崎創英 ◆

 

「――待たせたな」

 

 声をかけた瞬間、子供たち三人の肩がビクリと震えた。

 怯えきった目でこちらを振り向く。だが、次の瞬間には安堵が溢れ出していた。

 

「創英さん!」

「全く、この悪ガキ共め。怪我は――特には無さそうだな」

 

 軽口を叩きながら一歩、また一歩と前に出る。

 妖怪がぎらりと目を光らせ、俺を睨みつけた。

 

 ……あの目。

 狂気と渇望に塗り潰された色。普通の妖怪じゃないな。

 

「まぁ、今は問い詰める暇はないな」

「創英さん、コレを!」

 

 鞘に収められたままの風花を差し出されるが、俺はそれを押し留める。

 

「預けておく。大事に持っててくれ」

 

 武器など要らない。

 こいつを倒すには――俺の両手で十分だ。

 

 妖怪が咆哮と共に飛びかかってくる。

 振り下ろされる爪を、掌で受け止めた。

 骨が軋み、空気が震える。

 

「う、うそだろ……」

 

 後ろで琥太朗の声が漏れた。

 

 俺は小さく息を吸い、力を込める。

 掌に宿した霊力を爆ぜさせると、妖怪の腕が逆方向に弾け飛び、勢いごと地面に叩きつけられた。

 

「ぐ、ぎぃぃぃっ!」

 

 呻き声を上げてのたうつ妖怪。

 その首元に指先を突きつけ、ほんの少しだけ霊力を叩き込む。

 

 ドンッ、と鈍い音がして、妖怪は白目を剥き、泡を吹いて動かなくなった。

 

「……はい、おしまいっと」

 

 土埃を払いつつ振り返れば、三人はぽかんと口を開けていた。

 助かった安堵と、信じられないものを見た驚愕とがない交ぜになった表情。

 

 その頭に――容赦なく拳骨を落とした。

 

「いってぇっ!」

「ひゃあっ!」

「痛っ!」

 

 三人揃って頭を抱え、涙目になってこちらを見上げてくる。

 

「よく聞け」

 

 目線を合わせるために屈みこみ、声を低くする。

 子供相手だからこそ、真剣に伝えなければならない。

 

「元々は監督不行届で俺の責任な訳だが……それでも俺はお前たちを叱らないといけない」

 

 子供たちが息を呑む。

 

「お前たちは今、死にかけた。俺がもう少し遅ければ、誰かが――あるいは全員が、死んでたんだぞ」

 

 真美の瞳が潤み、真也が唇を噛む。

 琥太朗も俯いて拳を握りしめていた。

 

「遊ぶなとは言わない。だが、保護者の目の届かない所に子供だけで行くのは、絶対にするな。痛い思いをするのはお前たち自身だが……それ以上に、家族の心を痛くするんだ」

 

 言葉を切り、三人の顔を順に見やる。

 やがて三人は、揃って小さく「……はい」と頷いた。

 

 俺はそれを見て表情を弛め、それぞれの頭を撫でてやった。

 

 

 寺子屋に戻ると、慧音が鬼の形相で待ち構えていた。

 

「創英……! 一体これはどういうことだ!」

「す、すみませんっ!」

 

 頭を地に擦り付ける勢いで下げる。

 

「子供たちから目を離した俺の不注意です! 本当に申し訳ございませんでたっ!」

 

 必死に謝る俺の背中に、三人がしがみついてきた。

 

「せ、先生! 創英さんのせいじゃありません!」

「僕たちが勝手にやったんです!」

「怒るなら私たちを……!」

 

 慧音の眉がぴくりと動く。

 そして次の瞬間――三人まとめて拳骨を食らっていた。

 

「きゃんっ!」

「いってぇ!」

「ごめんなさいっ!」

 

 慧音は深々と息を吐くと、腕を組んだ。

 

「……よく分かった。だが今回は、三人も、そして創英も、等しく叱られるべきだ」

 

 その目は厳しく、それでいてどこか優しさを含んでいた。

 子供たちは、しゅんとしながらも「はい」と頭を下げる。

 

 慧音は俺に視線を移す。

 

「創英。次は、絶対に目を離すな」

「……はい」

 

 俺は深々と頭を下げ、その言葉を胸に刻み込んだ。

 

 

 寺子屋の鐘が鳴り、夕暮れの橙が差し込む。

 子供たちが家々に帰っていく中、俺と慧音はその後ろ姿を見送っていた。

 

「……結局、俺のせいで子供たちを危険に晒してしまった。本当に申し訳ない」

「そう思うなら、次は同じ過ちを繰り返さなければいい」

 

 慧音は柔らかく微笑み、夕日を背に立っていた。

 

「私だって預けた責任がある。お前ひとりを責める気はないさ」

「……ありがとうございます」

 

 それでも、俺は頭を下げずにはいられなかった。

 慧音は呆れたように肩を竦める。

 

「まったく……律儀すぎる男だな、お前は」

 

 そして、少しだけ真顔になり――

 

「次は、本当に頼むぞ。目を離すなよ」

 

 真剣なその声に、俺はようやく顔を上げた。

 胸の奥に残る痛みを押し殺し、ただ一言返す。

 

「はい」

 

 夕陽の下、俺と慧音の影が長く伸びていた。

 

 

 寺子屋の門の前。

 迎えに来た親たちと子供たちが次々と帰っていく中、琥太朗、真也、真美の三人だけは最後まで残っていた。

 

 慧音が「ほら、行きなさい」と声を掛けると、三人は名残惜しそうにこちらへ駆け寄ってきた。

 

「……創英さん!」

 

 真也が先頭で、真美と琥太朗が続く。

 息を切らせながら、三人は一斉に頭を下げた。

 

「さっきは……助けてくれて、本当にありがとうございました!」

「ごめんなさい! もう二度と勝手にしません!」

「ほんとに、ごめん……」

 

 その姿を見て、思わず頬が緩む。

 まだ子供だ。反省もすぐ忘れるかもしれない。

 それでも――今のこの誠実さを、俺は信じてやりたいと思った。

 

「……わかった。もういい」

 

 三人が顔を上げる。

 俺は小さく笑い、屈みこんでから軽く拳を作って突き出した。

 

「ただし、一つ約束だ。次に会ったときは――俺に胸を張れるようになっていろ」

 

 真也の目が大きく開かれ、ぐっと拳を握る。

 琥太朗は嬉しそうに笑い、真美はこくこくと真剣に頷いた。

 

「はいっ!」

「約束だぜ!」

「また会いましょう、創英さん!」

 

 コツンと、それぞれの拳を突き合わせる。

 三人は駆けていき、それぞれ親のもとへと戻っていった。

 その背を見送りながら、俺は胸の奥で小さな熱を抱いていた。

 

 ――守るための力。

 俺にとっては当たり前だったそれが、あの子たちにはきっと憧れに映ったのだろう。

 ならば……胸を張って語れるような、そんな背中であらねばならないだろう。

 もっともっと、精進しないとな。

 

「……律儀だな、お前は」

 

 隣で慧音が呆れ気味に呟いた。

 俺は少し照れ臭くなり、肩を竦める。

 

「性分なんでね」

 

 夕暮れの寺子屋に、ひぐらしの声が響く。

 次の約束を胸に刻み、俺たちは並んで歩き出した。

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