幻想回帰節   作:北宮 涼

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このお話の最後に、新たなオリジナルキャラクターが出てきます。
紅魔館の妖精メイドの中でも、とびきり強い娘です。


22の節:紅い霧の異変、その5

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 美鈴の拳が紅を裂く。

 空気が爆ぜ、視界の端が歪むほどの衝撃波を生じさせる。

 放たれる弾幕は花びらのように優雅で、だが同時に鋼鉄の雨のように重く鋭かった。

 そうして美鈴の拳が風を割るたびに、紅い気弾が生まれ、それが蛇のように軌道を描いて迫ってくる。

 

(くっ……! 速ぇ……!)

 

 身体を傾け、背を反らし、足先で踏み切る。

 ほんの数寸の差で拳を避けるたび、衣が裂け、頬をかすめる風が皮膚を切った。

 避けているつもりでも、避けきれていない。薄皮一枚を掠めるたび、神経が悲鳴を上げた。

 

 美鈴の動きには一切の淀みがない。

 あれは、もはや武術の域を超えた“舞”だった。

 拳と弾幕が連動して、流れるように攻守を切り替える。目に見えているのに、追いつけない。

 

(まずい……このままじゃ、押し切られる……!)

 

 自然と息が荒くなる。動き続けていて酸素が足りないせいか、肩が重く感じられる。

 霊力の流れが乱れていくのを自覚するたびに、焦燥が喉を焼くように広がっていく。

 回避のたびに視界がぶれ、もう一発でもまともに食らえば終わりだと、俺は直感した。

 

「どうした? さっきの勢いはどこへ行ったのかしら?」

 

 美鈴が微笑む。その声には嘲りも挑発もない。ただ、純粋な武人としての興奮が滲んでいた。

 俺は奥歯を噛み締め、己の鼓動を聞いた。

 

(焦るな……焦るな時崎創英……まだ負けと決まった訳じゃないんだ)

 

 幾度目かの回避のあと、足場を蹴って一度距離を取る。

 息を整え、相手を見据える。

 紅い気を纏うその姿は、まるで炎を宿した守護神のようだった。

 

(こいつ……ほんとに門番なのか? まるで怪物じゃないか)

 

 余りの強さと圧力に怖気付きそうになる。だがそれでも、退く気はなかった。

 この一戦で何かを掴まなければならない。

 紫にも、霊夢にも、魔理沙にも……阿求や慧音先生や村の子供たちにも、胸を張れる自分でなければならない。

 

 拳が再び風を切る。

 その瞬間、俺は全神経を戦場に注ぎ込んだ。

 

 

 息を吐くたび、喉が焼ける。

 肺の奥が熱く、腕は重い。足の筋肉が悲鳴を上げる。それでも――まだ倒れるわけにはいかない。

 

(くそっ……何も見えてこねぇ。でも、何かがきっとあるはずだ)

 

 乱れた息を整えて、再び美鈴に向き合う。目を細め、視界のすべてを研ぎ澄ませた。

 風の流れ、霊力のうねり、足の踏み込み――その全てを意識の奥で反芻する。

 

 美鈴が踏み込む。

 その瞬間、空気が裂ける音と共に、紅の拳が閃く。

 弾幕がその拳を守るように、花弁のように散り、広がり、そして――一瞬だけ、弾幕が薄くなった。

 

(今のは……!?)

 

 一拍ほどのごく僅かな時間。

 それは刹那と呼ぶに相応しいが、わずかに、だが確かに、攻撃の瞬間だけ――弾幕の密度が落ちている。

 拳を繰り出すために、美鈴は一瞬だけ気弾の制御を手放す。その瞬間に“風の穴”が生まれていた。

 

 自然と吊り上がる唇を抑え、己の掌を見つめる。

 紅い弾幕の中、淡い風の流れがわずかに生まれていたのだ。

 それは空気の乱れ。攻撃と同時に起こる“無風の間隙”だ。

 

 ただし、気づいたからといって容易く狙えるものではない。

 攻撃の瞬間を読み、距離を詰め、霊力を爆発させなければ届かないのだ。

 それでも――俺の目は、確かな希望を捉えていた。

 

 美鈴の拳が再び煌めく。

 俺は避けながら、頭の中でそのリズムを刻み続けた。

 一歩、二歩、三歩――打撃の呼吸、霊力の波動、弾幕の拡散と収束。

 

(……やっぱりだ。攻撃の“瞬間”だけ、流れが乱れてる。そこに、隙が生じている……!)

 

 唇が僅かに震え、笑みに変わった。

 額の汗が滴り、足元の石畳に落ちて弾ける。

 

(いいじゃないか……見えてきたぞ、勝ち筋ってやつが!)

 

 目の前の美鈴は、ただ静かに拳を構えていた。

 その姿は、まるで泰山の如く。揺るがぬ気迫が空気を圧する。

 

 だが俺の心には、もはや恐怖ではなく――確かな“希望”が宿っていた。

 

 しかし……それでも、その希望は儚く揺れる灯火の様な小さなものだった。

 

 息が苦しい。肺の奥で空気が焼けるようだった。

 動き続けなければ、即座に潰される。だが――動けば動くほど、限界へと近づいてゆく。

 

 俺はひたすらに、拳と弾幕の嵐を避け続けた。

 右からの掌底、左からの蹴撃。紅い弾幕がそれに合わせて軌道を描き、まるで華のように咲き誇る。

 その一枚一枚が、花弁ではなく“殺意”の象徴の様にすら思えた。

 

(近ぇ……! くそっ、やっぱり防戦一方じゃ埒が明かねぇ!)

 

 すれすれでかわすたび、頬や腕をかすめる弾幕の熱が肌を焼く。

 薄皮一枚。あと数ミリ踏み込みを誤れば、致命傷だ。

 

 それでも退かない。

 退けば終わる。

 退けば、“何も掴めない”。

 

(あのタイミング……奴が踏み込む瞬間の、弾幕が薄くなるタイミング……そこしか突破口はない!)

 

 自分に言い聞かせながら、何度もパターンを確認する。

 リズムは掴んだ。問題は、いつ仕掛けるか――それだけだ。

 

 気を抜けば、即座に叩き伏せられる。

 それでも、頭の奥では冷静な思考が渦巻いていた。

 脈拍の音、呼吸の間隔、霊力の波。全てが自分の内側に同調していく。

 

(焦るな……今じゃねぇ。もう少し、もう少しだけ引きつけるんだ……)

 

 美鈴の姿が揺らぐ。

 高速で間合いを詰めてくるたびに、赤と青の弾幕が入り乱れる。

 だが、俺の視線は一点に集中していた。

 ――拳を繰り出す直前、あの“静止の瞬間”を待つために。

 

 その刹那を逃さないために、俺は被弾覚悟で動きを止めなかった。

 肩口に弾が掠める。熱と痛みが走る。だが、気にも留めない。

 

「はぁっ……はぁっ……! まだ……だ……!」

 

 霊力を溜める。胸の内で渦を巻くように、風が蠢いた。

 流れるような空気の流れ――その中に、俺は確信を見出す。

 

(来る……今度こそ、“あの瞬間”だ!)

 

 美鈴の霊力が一段と膨れ上がる。

 紅の光が濃くなり、次の一撃にすべてを懸ける気配が走る。

 

 俺は拳を握りしめた。

 呼吸を整え、視界を狭め、ただ一点に集中する。

 鼓動が一瞬、静止する。

 

(ここだ――!)

 

 美鈴が踏み込んだ瞬間、風が止まった。

 その一撃は、まるで世界ごと沈黙させるかのような速度と重さを帯びていた。

 鮮紅の拳が閃光のように伸び、空気が悲鳴を上げる。

 

「っ――!」

 

 紙一重……否、避けきれなかった……ッ!!

 肩口をかすめた衝撃が肉を裂き、熱い痛みが走る。

 

 だが、俺は決して目だけは逸らさなかった。

 視界の隅――攻撃の直後、美鈴の弾幕が一瞬だけ薄らぐ。

 

(……今だッ!!)

 

 脊椎が軋み、霊力が弾けた。

 胸の奥に溜めていた気配が一気に解き放たれる。

 手の中の白紙のスペルカードが震え、眩い光を帯びて色づいていく。

 

 ――これは俺自身の“理”だ。

 戦いの中で見出した、美しさと気迫の調和。

 その理を今、この場で刻み込むッ!!

 

「スペルカード――鎌鼬《斬滅風刃》ッ!」

 

 風が唸りを上げる。俺の周囲に、無数の花弁の形をした弾幕が舞い上がった。

 それらは次の瞬間、鋭利な刃へと変わり、空気そのものを切り裂いてゆく。

 

 “第一波”――斬撃の奔流。

 真空を生むほどの強烈な風圧が前方へ弾け、紅い弾幕を一掃する。

 だが、美鈴はその嵐の中で笑った。

 

「良いスペルだけど、読みやすいッ!!」

 

 その言葉通り、彼女は身を低くして風と花の刃をかわす。

 足元を滑るように動き、拳を振り上げようとする――だが。

 

「まだ……終わっちゃいねぇ!」

 

 叫ぶと同時に、周囲の空気が“戻る”。

 弾き出された空気が一気に圧縮され、引き戻しの奔流を生む。

 真空状態から元に戻ろうとする力――それが、“第二波”だ。

 

「――ッ!?」

 

 バランスを崩し、動きが鈍る。

 凄まじい風圧を不安定な姿勢のまま背後から受けた美鈴は、その瞬間――逆圧によって、一瞬だけ身動きが取れなくなったのだ。

 その隙を逃さず、風と花の刃が収束し、光の集中線となって一点に奔る。

 

 ――キィィィィィィィンッ!!!

 

 鼓膜を劈く程に、鋭く風が咆哮する。

 紅と蒼の残滓を巻き込みながら、閃光が美鈴を包み込んだ。

 

 轟音――そして、静寂。

 舞い散る花弁の中で、美鈴は膝をついていた。

 その表情に敗北の悔しさはなく、むしろ晴れやかな微笑みが浮かんでいた。

 

「……やるじゃない。見事な“気”の扱いね」

 

 霊力の残滓が風となって周囲を流れ、先ほどまでの殺気を洗い流していく。

 俺は息を切らせながらも、ゆっくりと風花を下ろした。

 

「……ありがとう。アンタの拳から、沢山のことを学ばせて貰った。戦いってのは――こうして“噛み合う”もんなんだな」

 

 美鈴は軽く笑い、頭の後ろで手を組む。

 

「ふふっ。まさか、ここまでやるとはね……。どうやら門番失格かな」

 

「いや……アンタは強かった。勝てたのは、運もあったと思う」

 

 そう言うと、美鈴は首を振り、少し寂しげに呟いた。

 

「通っていいよ。アナタは、この先へ進む資格がある」

 

 地に膝をついたままの美鈴は、微笑を浮かべ、肩で小さく息を整えている。

 激しい戦いの痕跡が彼女の頬に刻まれていて痛々しいが、それ以上にその眼差しは凛としていて、どこか清々しい。

 戦いの余熱が消えていく中で、俺は無意識に深く息を吐いていた。

 

「悪いな。門番としては、俺なんか通すわけにいかないんだろうけど……」

「いいのよ。門は破られてないし、負けは私の責任だもの」

 

 美鈴は、まるで晴れ渡る空でも見上げるように笑って言った。

 

「それに――あの二人を通した時点で、もう私の役目は終わってたのかもしれないね」

 

 あの二人。

 霊夢と魔理沙のことだ。

 やはり、美鈴はすべてを分かった上で俺たちを迎え撃っていたらしい。

 

 俺は無言で頷いたあと、ゆっくりと風花を鞘に納めた。

 風が吹き抜け、紅い霧の中で、門の装飾が静かに鳴る。

 

「……一つ聞かせてくれ」

「ん?」

「アンタ、あの二人をあえて通したんじゃないのか?」

 

 問いに、美鈴はほんの一瞬だけ目を伏せた。

 だが、すぐにいつもの柔らかな笑顔を取り戻す。

 

「門番ってのはね、ただ守るだけの役じゃないんだよ」

 

 彼女はそう言いながら、立ち上がる。

 その姿は、戦いの傷を感じさせないほど凛としていた。

 

「通すべき人間と、止めるべき人間を見極めるのも、門番の仕事さ」

 

 その言葉に、俺は苦笑するしかなかった。

 

「さぁ、もう行きな。紅魔館の中は――そう簡単には進ませてくれないと思うけどね」

 

 そう言って軽く手を挙げた彼女は、霧の向こうに佇む紅い館を見つめた。

 その瞳の奥に、どこか誇らしげな光が宿っていた。

 

「……忠告ありがとう。気を引き締めていくよ」

 

 短く言葉を残し、俺は館の門をくぐった。

 

 

 中は薄暗く、外とは比べものにならないほど冷たい。

 石造りの廊下は長く、どこまでも続いているように見えた。

 

(紅魔館……まるで霧の巣窟だな)

 

 空気が重い。

 歩くたび、靴底の音がやけに大きく響く。

 

 ――黒幕は、もっと奥にいる。

 霊夢がそう言っていたのを思い出す。

 俺は風花に手を添えながら、階段を降りようと足を向けた。

 

 だが、その途中で――風が逆流した。

 

 まるで見えない“気流”が通路の奥から吹き抜ける。

 空気が震え、蝋燭の炎が揺らぐ。

 

(……風、だと? 館の中なのに?)

 

 肌が粟立つ。

 ただの自然現象ではない。

 霊力を帯びた、確かな“風の気配”。

 

 次の瞬間、不気味な程に静まり返っていた階下から、一筋の翠光が閃く。

 そして――”それ”は現れた。

 

 金髪に映える薄緑の瞳を持った整った顔立ちに、背に透明な翅を揺らめかせた一人の少女。

 可愛らしいメイド服とはまるで対象的なその気配は、他の妖精とは明らかに異なっている。

 冷ややかで、研ぎ澄まされていて――まるで、風そのもののように思えた。

 

「……俺の名は時崎創英。この霧を止めに来た者の一人だ。アンタは?」

 

 俺が問うと、少女は一歩前に出て、深く一礼した。

 その動作には、品と規律が宿っている。

 

「――ラッシュ・ホルン。紅魔館の妖精メイドが一人です」

 

 名乗りながらも、彼女の目は鋭い。

 俺を測るように、静かに、しかし確実に“敵を見る目”で見据えていた。

 

「館への侵入者ですね。ここから先は、通すわけにはいきません」

 

 声は冷たい。

 けれど、その背後に揺れる風は、何かを訴えかけるように震えていた。

 

(……なるほど。前回は氷の妖精だったが、今回は風の妖精か)

 

 俺は風花の柄に手を添え、静かに身構える。

 再び、紅魔館に新たな戦いの風が吹き荒れようとしていた。

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