幻想回帰節   作:北宮 涼

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24の節:紅い霧の異変、その7

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 風が吠えていた。

 紅魔館の中庭を吹き抜ける風とはまるで違う。重く、熱く、刃のような風。

 そのひとつひとつが、俺の肌を裂いていく。

 

 ラッシュ・ホルン――紅魔館に仕える妖精メイド。

 その戦いぶりは、まるで風の化身そのものだった。

 弾幕の嵐に混じって繰り出される拳脚は、空気の流れさえ支配しているかのようで、避けようにも視界が追いつかない。

 彼女が動くたびに、館内を霞ませる紅い霧が渦を巻き、壁面の燭台が狂ったように明滅した。

 

 風花を構える俺の腕が、じんと痺れている。

 一閃放つたびに空間が軋み、硝子のような裂け目が瞬いては消える。

 風の弾幕がそれをすり抜け、俺の頬を掠めていった。

 浅い傷口から一筋の血が流れ、視界が滲む。

 

 対処自体は辛うじて出来ている。少なくとも、あの門番よりは真面に対面できていると思う。

 それはきっと、この戦い方に慣れてきたからだろう。

 だが――ことこの戦いにおいては、少し違うと感じていた。

 彼女の動きに“理”がない……いや、“乱れている”と感じるのだ。

 

 最初の数合、彼女の攻撃は洗練されていた。武の型、呼吸、間合い――どれも完璧に見えた。

 だが今は違う。動作ひとつ取っても、そこに焦りが滲んでいる。

 まるで自分自身を追い立てているような……そんな気がして、俺は避けながら少しずつ後退し、様子を見る事にした。

 

 所作、表情、攻撃のリズム……そして、霊力。

 全体を俯瞰するところから始めていき、そして――見つけた。

 湖で戦ったチルノが纏っていた気配と同じものを、彼女から感じ取る。

 それを受けて、俺の中でひとつの仮説が急速に形となってゆく。

 

 ――霊石。

 

 人間の里を襲った妖怪が所持していた、あの紫の石。

 まさか……彼女も、その影響を受けているのか?

 

(一体、なんだと言うんだ……あの石は)

 

 風花の鍔を握りしめる。

 あの霊石の影響を受けているだろう目の前の彼女は、拳を振るうたびに苦しそうに眉を歪めている。

 風に乗る霊気がどこか“歪んで”いるのは……霊石の影響ゆえの事だったのだろう。

 

 しかし霊石は、今に到るまで見かけてすら居ない。

 強く影響を受けていたチルノが居た湖周辺にすら、それらしいモノは見つけられなかったのだ。

 人間の里を襲った妖怪はあの石を手にしていたから、てっきり影響を受けた奴ら全員持っているものと思っていたが……あの闇を操る妖怪少女やチルノは持っていなかった。

 

 彼女たちは、一体何処で影響を受けた?

 霊石は今……一体、何処にある?

 

「……何かがおかしい」

 

 呟いた言葉が唇を離れるよりも早く、ラッシュが飛び込んできた。

 拳が風を裂き、視界を白く塗り潰す。

 咄嗟に風花を振り上げて受け止める。

 金属がぶつかる音が鳴り、風が唸りを上げる。

 

 幾度目かの交錯の末に、至近距離で彼女の瞳が見えた。

 赤と翠が入り混じったような、儚げな瞳。

 焦燥、恐怖、怒り……そのどれもが、彼女の眼窩で渦を巻き、異様な輝きを宿していた。

 

 俺の中で何かが引っかかる。

 この目、どこかで――。

 

「……お前、まさか……」

 

 そう言いかけた瞬間、彼女の強烈な蹴りが鳩尾を貫いた。

 息が詰まり、体が宙に浮く。背中が壁に叩きつけられて視界が揺らぐ。

 

 むせ込みながら息を吸う最中に思う。痛みの奥に、確かな違和感が残ったのだ。

 蹴りと共に伝わってきたそれが、何かまでは分からなかったが……とても、とても強い衝動だった。

 繋がらなかった点と点が結ばれ、線となる感覚を覚える。

 

 ――これは、ただの異変ではない。

 

 俺はゆっくりと立ち上がる。

 風花で身体を支えながら、唇を噛み締めた。

 

「砕けろ――」

 

 低く呟き、ラッシュが一歩踏み込む。あれ程吹き荒れていた風が唐突に止み……次の瞬間、周囲の風が彼女の体に吸い寄せられるように渦を巻いた。

 風花の鍔が共鳴して、微かな音を立てる。まるで、何かを警告しているように――。

 

「――烈風《ゲイルブレイク》ッ!」

 

 ――次の瞬間、視界が白に染まった。

 風が爆ぜ、紅い霧が一気に弾け飛ぶ。その中心にラッシュがいた。

 

「ぐっ……!」

 

 ラッシュが放つ拳から風圧が巻き起こり、大気を軋ませる。

 俺は反射的に風花を構え、彼女の攻撃を受け流そうとして……掌が、俺の頬を掠めた。

 しかし、その瞬間だった。

 

 ――不意に、何かが心に流れ込んだ。

 

 呼吸が止まる。

 胸の奥が焼けるように熱くなり、視界の端が歪んだ。

 まるで時間が止まったかのように、音が遠のいてゆく。

 風が静まり、紅霧が凍る。

 

 世界の色が反転した。

 

 そして――それは、見えてしまった。

 

⸻⸻⸻

⸻⸻

 

 ……暗がりに浮かぶ紅い光。

 しかし目を焼くほどの鮮烈さは無く、淡い輝きとなって周りの景色を染めている。

 ここは……何処だろうか。見える限りには窓は無く、ただ壁掛けのランタンがぼんやりと辺りを照らすのみの空間が広がっている。

 そんな場所に俺は“居た”。だが同時に“俺ではなかった”。

 

 視界は少し低く、翠の毛先が視界にちらつく。

 意思に反して動くこの身体は――彼女、ラッシュ・ホルンのものであった。

 

 不意に、口が動く。

 

『フランドール様、これを見てください』

 

 ラッシュと同じ位の背丈に、透き通るような金髪。背には七色の光を放つ翼を有した少女は、品を感じさせる所作を以て此方へ振り返った。

 

 ――彼女が、フランドールか。

 その姿は幼いようでいて、神々しくて、そして……その容姿は、俺の妹、絢香と瓜二つだった。

 

 フランドールと呼ばれた少女は、ラッシュが差し出したモノを見て微笑んでいた。

 

『きれい……それ、なあに?』

『湖で拾ったんです。フランドール様の翼のようにとても綺麗だったので……是非フランドール様に、と思って』

 

 ラッシュが差し出したのは、小さな紫色の石だった。

 フランドールの翼が発する光を反射し、七色に妖しく輝く、それは。

 

 “霊石”――。

 

 フランドールはそれを両手で包み、嬉しそうに笑った。

 

『ありがとう、ラッシュ。大事にするね』

 

 その笑顔は、眩しいほどに純粋だった。

 だが、その日を境に――全てが変わり始めた。

 

 最初は些細なことだった。

 元々引きこもりがちだったが、彼女は部屋から一切出なくなり、笑わなくなった。

 そして同時期に、紅魔館の廊下に響く足音が減り、使用人たちが怯えた顔をし始めるようになった。

 

 ある日。ラッシュとは別のメイドと思われる人物が、腕を押さえて倒れ込んできた。

 

『レミリアお嬢様! 妹様が、また……!』

 

 その声は、苦痛で震えていた。

 

 ネグリジェ姿の少女が結界を張り、コウモリを彷彿とさせる翼を持つ少女――レミリアと呼ばれた少女が叫ぶ。

 

『やめなさい、フラン!』

 

 だが、フランドールは聞く耳を持たなかった。

 素肌は煤のように黒ずみ、七色の翼が狂気の光を放ち……手に持つ霊石がそれを増幅する。

 床が砕け、壁が裂ける。

 紅魔館が悲鳴を上げた。

 

 俺は――否。ラッシュは、悲鳴にも似た声色で叫んだ。

 

『フランドール様! 私です! このような事はもうお止め下さい!』

 

 しかし返ってきたのは、無邪気な笑い声だった。

 

『ねぇラッシュ、遊ぼうよ――』

 

 その手が振るわれた瞬間、頬に冷たい痛みが走った。

 血が飛び散り、視界が白く弾けた。

 

 容赦なく、躊躇もなく。無邪気に振るわれた一撃を前にして、それでもラッシュは逃げなかった。

 フランドールを止められるのは自分しかいないと分かっていたのだろう。

 彼女の仲間たちは皆、傷つき倒れ、彼女の力を恐れて手が出せない様だった。

 それは……恐らくフランドールの姉であるのだろう、レミリアでさえも同じだった。

 

 ……だから、ラッシュは立ち上がった。

 ボロボロになった身体で、それでも、震える手を差し出し――

 

『ごめんなさい。……もう、あなたを閉じ込めるしかないのです』

 

 その言葉と共に、鉄の扉が閉じた。

 フランドールの笑い声が響く。

 光が完全に消えると、次第に静寂が訪れた。

 

 ……ラッシュは膝をついた。

 拳を握りしめ、床に血を滴らせながら、ただたた――「ごめんなさい」と、言葉を繰り返し続けた。

 

 ――自分が、あの石を渡さなければ。

 ――あの笑顔を、日常を、壊さずに済んだのに。

 

 それ以来、彼女はその罪を背負い続けていた。

 ラッシュの纏う“風”は、彼女自身の贖罪の象徴になった。

 

⸻⸻

⸻⸻⸻

 

 風の音が耳に響く。

 同時に血に褪せた視界が元に戻り、紅い霧が再び世界を満たした。

 ラッシュの拳が目の前を通り過ぎ、空を割く。

 俺は息を詰めた。

 

 ――見てしまった。

 

 以前にも似た事はあった。

 阿求や使用人の方達と不意に触れ合った時にも、紫さんと始めて出会った時にも、そして……宗家の人達の世話になっていた時にも。

 これはただの夢だ。寝惚けていただけだと、ずっと言い聞かせてきていた。

 

 だが……事ここに到り、もう認める他はなかった。

 俺にも、妹と……絢香と同じ力が眠っていたのだと。

 “悟り”の力が――。

 

「……そういうこと、か」

 

 ラッシュの拳を受け止めながら、俺は低く呟いた。

 胸の奥が、張り裂けてしまいそうな程に痛い。

 この痛みはただの霊力の干渉じゃない。

 ラッシュの“想い”が流れ込んだ痛みだ。

 

 ――あいつは。絢香は。この痛みをいつも……抱えていたっていうのか?

 

 風が渦巻く中で、俺は自分の喉元を鷲掴みにしながらラッシュを見据えた。

 彼女が滲ませる焦燥の正体が、意図していなかったとはいえ、ようやく見えた。

 

 霊石はこの館にある。そして、それをもたらしてしまったのが、目の前にいるラッシュ本人だ。

 だがそれは、決して意図して行われたものではなかった。

 彼女の主への……フランドール・スカーレットへの善意による行動が、望まぬ悲劇を呼び込んでしまっただけなのだ。

 それ故に、彼女は戦っていた。この館の者達と、絢香と瓜二つな少女……フランドール。その双方を、守るために。

 

 だがその“守り”は、贖罪という名の鎖に変わってしまった。

 それは彼女自身を惨たらしく縛りつけ、壊していく茨の鎖。

 

 ――まるで、かつての俺みたいに縛られていた。

 

 “守れなかった過去”に縋りついて、“次こそは”と願いながら、誰よりも自分を罰していた。

 目の前のラッシュは、まさにそんな状況下に置かれていた。

 誰かが手を差し伸べねば、遠からず自責の念に潰されるだろう。

 

 ――助けなければ。

 

 俺の中で、そんな想いが静かに灯る。

 

「……ったく。なんて顔してんだ、俺」

 

 風花の切っ先が震えた。

 不意に見えた刀身に映る自分の顔は、どこか泣きそうに歪んでいた。

 

 

 風が鳴っていた。

 その音は怒りでも、挑発でもなく――悲鳴に近かった。

 俺は風花を下ろしたまま、対峙していた。

 ラッシュの息が荒い。拳を握る指先が、震えていた。

 

 ……垣間見た光景を思い返す。

 先程、ラッシュに触れた瞬間に流れ込んだもの。

 あの紫の石。あの笑顔。そして、それらを無惨に塗りつぶす血の色。

 全てが、一瞬で俺の中に焼き付いた記憶だった。

 

 ――あれは彼女の罪だ。いや、罪だと“思い込んでいる”ものだ。

 

「お前……何か隠してるだろ」

 

 全て分かった上で、俺は静かに言った。

 風が止まる。

 ラッシュの瞳が、ぎらりと揺れた。

 

「……黙れ」

 

 低い声だった。だが、その奥に確かな怯えがある。

 俺は一歩、前へ出た。

 

「お前の拳が、さっきから守りに入っている」

 

 ――言わせる必要がある。

 彼女の口から、言葉を紡がせる必要があると……俺は思った。

 

「黙れと言っている!」

 

 ラッシュが声を荒げる。

 それに呼応する様に、漂う紅い霧をも巻き込んで風が渦を巻く。

 

「お前は――一体なにを守っている?」

 

 その一言で、彼女の肩が大きく揺れた。

 視線が泳ぐ。歯を食いしばり、唇が震えている。

 

 追い詰めるつもりで言ってるんじゃない。

 彼女の真意を、想いを、彼女自身の口から知りたい。

 

 俺は――救いたいんだ。

 

「俺は見たんだ。お前の記憶を」

「なにを言って……」

「湖で拾った紫の石を、あの少女に……フランドールに渡した。それが、全てを壊してしまった」

 

 ラッシュの拳がピタリと止まる。

 紅霧の中で、風が一瞬だけ止んだ。

 静寂。

 けれど次の瞬間――。

 

「――黙れッ!!!!!」

 

 彼女の叫びがそれを破った。

 風が爆ぜ、紅い霧諸共周囲を吹き飛ばす。

 嵐のような弾幕が、怒涛の勢いで押し寄せた。

 

「記憶を見ただとッ!? 巫山戯るのもいい加減にしろッ!! お前にッ、お前に一体ッ、何が分かるというんだッ!! 私が、どんな思いで……ッ!!」

 

 床の紋様が砕け、壁が裂ける。

 風圧で床が軋み、破片が飛ぶ。

 俺はその中を、傷付くことを承知で避けずに進んだ。

 

 ――彼女の声が、まるで泣いているように震えていたから。

 

「分かんねえよッ!!」

 

 俺は叫ぶように返す。

 

「けどなッ!! 見て見ぬふりをすることは、もうしないと決めたんだッ!!」

 

 ラッシュの拳が俺の頬を打つ。

 痛みが走る。視界がぐらりと揺れる。

 それでも――歯を食いしばり、その場に留まってみせた。

 

「俺は……誰かが苦しんでるのを放ってはおかないッ!!」

「戯言をほざくなッ!! 誰が、苦しんでなど――」

「――なら、なんでお前は泣いてんだよッ!!」

 

 言葉が飛んだ瞬間、彼女の拳が止まった。

 息を切らし、涙を滲ませながら、ラッシュは俯いた。

 拳が震えている。

 その姿を見て、胸が締め付けられた。

 

 ――きっと、彼女だってこれが間違いなんだって分かってる。

 分かっていて、それでも戦っている。

 自分を罰するために。

 誰かを傷付けさせないために。

 

「ラッシュ……お前は、あの子を守りたいんだろう」

 

 彼女の瞳が見開かれる。

 

「わ……私は……ッ!!」

「フランドールを、元に戻したいんだ。そうだろ?」

 

 名を呼んだ瞬間、彼女の顔色が変わった。

 

「……言うな……その名を……」

 

 怒りと恐怖と絶望が混ざり合った表情。

 そして、崩れ落ちるように膝をついた。

 

「ダメなんだ……私は、あの方を……この紅魔館の日常を、壊してしまったんだ……」

「――それは違ぇッ!!」

 

 思わず、言葉が出た。

 

「お前が意図して壊したんじゃないッ! 結果的にあの石がフランドールを歪ませただけで、お前に悪意があった訳ではねぇだろッ! お前はただ、綺麗な物を……あの子の翼のような綺麗な石をプレゼントしたかっただけだッ!」

 

 とめどなく言葉が溢れてくる。

 離れていても、ラッシュの想いが心に流れ込んでくる。

 確かに、妖しげな物を扱う以上は、もう少しだけ慎重になるべきではあったのかも知れない。

 けれど、たったそれだけの事で、全て自分が悪いのだと……己の全てを否定するような想いを抱くラッシュに、俺は酷く悲しくなった。

 

「叱られるべきではあるのかも知れない。罰せられるべきではあるのかも知れない。だが、今そんな事をしたって何にもならないッ! 責任だったら後で幾らでも取ればいい。だから、お前の心からの行動を、悪し様に言うなッ!」

「っ……だとしてもっ!! あれを贈ったせいで、妹様はっ!」

「それでも、守ろうとしたんだろッ! 例え自分が嫌われようとも、この館の奴らが傷付かないように。これ以上、フランドールが皆を傷付けないようにッ!」

 

 ラッシュは何も言わなかった。

 ただ、拳を床に押し付け、肩を震わせていた。

 風が静まる。紅霧が揺れる。

 その沈黙の中に、確かな答えがあった。

 そんなラッシュに、俺は……決意と共に叫んだ。

 

「純粋な想いに蓋をして、それで心を殺してしまうなら――俺が何度でも、その蓋をこじ開けてやるッ!」

 

 ――不意に、風が鳴いた。

 

「……五月蝿い」

 

 痛みと悲しみを混ぜたような音だった。

 

「五月蝿い、五月蝿いっ、五月蝿いッ」

 

 止まったように見えたラッシュの拳が、再び俺に向けられる。

 

「――五月蝿いッ!!!!!!!」

 

 その風圧だけで足が浮く。

 紅い霧が押し流され、床石が軋む。

 受ければ間違いなく大きな傷を負うだろう、その拳を――俺は、その場から動かずに受けた。

 

 無抵抗のまま吹き飛ぶ。

 頭がクラクラして、必死に食いしばらねば意識すらも吹き飛んでしまいそうな痛みに、それでも笑みを持って立ち向かう。

 

「何故だッ!! 何故だ何故だ何故だッ!! 何故お前は戦わないッ!? 何故武器を向けて来ないッ!!」

 

 彼女の声は震えていた。

 風に掻き消されるようにしても、確かに届く程に、心が掻き乱されているのが伝わってくる。

 

「もう、戦う理由がないからだッ!!」

 

 俺は答えた。

 風花を下ろし、構えを解く。

 深呼吸一つ。ギリギリの戦いが続き、肺が焼けるように熱い。

 だがそれでも、俺は退かない。絶対に、退いてやらない。

 

「巫山戯るなッ!!」

 

 叫びと共に、風が爆ぜる。

 弾幕が奔り、壁が裂け、翠の光が迸った。

 衝撃が体を打つ。肩が焼けるように痛い。

 だがそれでも、俺は立ち続けた。

 

「お前は一体、なんなんだッ!?」

 

 血が頬を伝う。膝が軋む。

 視界が霞んでも、ただ前だけを、ラッシュ・ホルンだけを見つめ続けた。

 そんな俺の様子に、彼女は次第に怯え始める。

 

「どうして……どうしてそこまで出来るんだッ!?」

「助けたいと、思ったからだッ!!」

 

 声が掠れる。

 だが、それでも俺は叫んだ。

 

「誰かを救えずに、指を銜えて見ているのは……もう沢山なんだッ!!」

 

 風の中で、ラッシュの表情が崩れた。

 驚き、怒り、悲しみ――そして混乱。

 固く握りこまれていた彼女の拳が解け、風が大きく乱れ始める。

 

「これで分かっただろ。俺は、何をされたって折れない。――だから言えッ!! 誰を救いたいのかをッ!!」

「やめろ、もうやめろ……! やめてくれ……!」

「なら言うんだッ!! 誰を……護りたいのかをッ!!」

「黙れぇええええええええええええッ!!」

 

 風の壁が押し寄せる。

 俺の身体は宙を舞い、床に強く叩きつけられた。

 肋骨の奥で何かがきしむ音がする。

 けれど、それでも、俺は……

 

「……まだだ」

「や、やめろ……」

「やめないッ!!」

「う、うあああああああっ!!」

 

 拳が飛ぶ。

 風が斬る。

 痛みが走る。

 それでも立ち上がる。

 何度だって立ち上がる。

 

 ……俺は退魔師だ。

 妖魔を……妖怪を“退ける”ことだけを教えられてきた。

 だが、今の俺には、目の前の少女を退ける理由がない。

 目の前で、泣いている誰かがいる。

 それだけで、理を曲げるには十分だった。

 

「お前は……誰のために拳を振るってる……」

「っ……やめろ、もう……!」

「その風は、一体誰を”護る”ためのものだッ!!」

 

 弾幕が途切れ、風が止まった。

 ――静寂。互いの息遣いしか響かないこの紅霧の中で、彼女の声がかすかに震えた。

 

「……フランドール様……」

 

 その言葉が、風よりも重く、確かに届いた。

 

 俺はゆっくりと風花を鞘に納める。

 鍔鳴りの音が、やけに大きく響いた。

 

「……お前は、フランドールを守りたかったんだ。だから、こんなにも痛いのに戦ってる」

「違う、違う違う……私は……わたしは……」

「違わねぇよ。お前がどんなに口で否定を重ねても、お前の心は嘘をつかない」

「でも、だって……わたしは、フラン様を狂わせてしまった……だから、もう――」

「――だったらさ、一緒に助けに行こうぜ。その妹様をさ」

 

 その一言に、彼女の瞳が大きく見開かれた。

 

 長い沈黙が落ちる。

 紅い霧が緩やかに流れ、床に反射する光が揺れる。

 ラッシュは拳を下ろし、その場に崩れ落ちた。

 肩が震え、涙がぽつりと床に落ちる。

 

「……どうして……どうして、そんなにも傷付けられて……どうしてそんなことが言えるのですか……?」

 

 俺は深く息をつきながら、微笑んだ。

 

「助けたいから。それだけさ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、彼女は声を上げて泣き崩れた。

 嗚咽と共に、風が優しく吹き抜ける。

 もはや先程までの惑った風ではない。

 誰かを包むような、穏やかな風だった。

 

 紅霧の向こうで、赤く、紅く染まった月の光が差し込む。

 薄紅色の光が、静かに俺達を照らす。

 俺は、窓越しに空を見上げた。

 

 ――きっと助ける。だから、どうか。待っていてくれ。

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