幻想回帰節   作:北宮 涼

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予約漏れ…ッ!!
少々予定時刻から遅れましたが、更新致します!


25の節:紅い霧の異変、その8

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

◆ side:時崎創英 ◆

 

 戦いの後の静けさというのは、妙なものだ。

 あれだけ喧しく鳴いていた風が嘘みたいに止み、紅霧が薄れていく。

 血の味と鉄の匂いが残る空気の中で、俺はただ、呼吸を整えていた。

 

 床に崩れたラッシュは、膝を抱くようにして座り込んでいる。

 泣き疲れた子どものようなその背中が、あまりに小さく見えた。

 あれほどの力を持つ者が、今は抜け殻みたいに静かだ。

 

「……悪かったな。無理をさせた」

 

 言葉が自然に出た。

 返事はない。ただ、ラッシュの肩が微かに揺れた。

 それでもいい。今は、沈黙がいちばん優しいのだから。

 

 

 やや暫くして、ラッシュはようやく顔を上げた。

 泣き腫らした瞳に、ほんの少しだけ光が戻っている。

 

「……あなたは、一体何なのですか……?」

「ん?」

「この霧を止めに来たのでしょう? ならば、私達は敵同士。拳と刃を突き合わせるのが常の筈。なのに、あなたは刀を納めた。あなたは一体、ここへ何をしに来たのですか?」

 

 俺は少し考えて、笑った。

 レミリアが起こした紅い霧の異変に関しては、霊夢と魔理沙に任せることとしよう。

 そう思い、口を開く。

 

「さっきも言ったと思うけど、この紅い霧の異変の対処に来た。けど実はな、ここに来たのは俺だけじゃないんだ。霧の件については……まぁそいつらが解決するだろう」

 

 そこで一度、話を区切る。

 そして、息を吸い直して再び口を開いた。

 

「俺は、俺の役割があってここへ来たんだ」

「役割……?」

「ああ。そしてその役割は――霊石の回収、もしくは破壊。そして今は、アンタと、アンタの慕うフランドールって子を助ける事だ」

 

 沈黙。

 風が一筋、割れた窓から吹き込む。

 その風がラッシュの髪を撫で、血の匂いを運び去っていった。

 

「……聞き捨てならないことを聞いた気がしますが、今だけは聞かなかった事にしてあげます」

 

 呆れたような表情をするラッシュ。

 そこにはもう、危うい影は何処にも潜んでいなかった。

 それがなんだか嬉しくて、俺は小さく笑った。

 

「……フランドール様は、この紅魔館の地下にいます」

 

 咳払いを挟んだラッシュは、端的にそう切り出し始めた。

 

「本来、あのお方は見境なく荒ぶる様な方ではないのです。姉であるレミリア様を、慕うまとではいかずとも……家族に手をあげる程、嫌ってなどいないのです」

 

 俺にとって聞き捨てならない情報が耳に飛び込む。

 いもうと……妹か。

 この幻想郷に来てからというものの、どうにも俺は、「妹」に縁があるようだ。

 

「当紅魔館のメイド長、十六夜咲夜様と、大図書館のパチュリー・ノーレッジ様。お二方の協力の元で構築された結界に囚われて、今は落ち着いていますが……それも長くは続かないでしょう。妹様は、”ありとあらゆるものを破壊する程度の能力”を持っていますので……」

 

 唐突に出てきた物騒すぎる能力に一瞬思考が固まったが、それでも黙って聞き続ける。

 

「引きこもりがちではありますが、聡明で、でも時折、見た目相応に幼く、見知らぬ物事には無邪気に接する方なのです。……本来であればあってはならない事ではございますが、お願いします。あなたの……創英様の力をお貸しください。妹様を、フランドールお嬢様を助けたいのです」

 

 その声は震えていたが、もう逃げてはいなかった。

 俺は、迷いなく頷いた。

 

「ああ。助けに行こう」

 

 そんな俺を見て、ラッシュは小さく息を呑んだ。

 

「……あなたは不思議な方ですね。ただの人間だというのに、どうしてそこまで不敵で居られるのでしょうか」

 

 心底分からないといった様子で俺を見つめるラッシュ。

 そんな彼女に、少し皮肉混じりにこう答える。

 

「はっ。悪かったな、ただの人間で」

 

 そして……冗談めかして、軽口を叩く。

 

「けれど、そんなただの人間だからこそ、出来ることだってあるかもよ」

 

 それに……と、俺は続ける。

 

「その子、フランドールって言ったか。この館の主の……妹だって、聞いちまったからな。――もう俺には、助けに行かない理由は無いのさ」

 

 ふっと、二人の間に風が通り抜けた。

 先ほどまで暴れていた嵐の残滓が、まるで名残惜しそうに漂う。

 彼女に巻き付く罪の鎖が、少しだけ解けたように思えた。

 

 

 紅魔館の地下は、まるで空気そのものが眠っているみたいに静かだった。

 階段を降りるたび、靴音が石壁に反響しては消えていく。

 空気が重い。冷たい。肺に入るたび、心臓が一拍遅れて反応するような感覚がする。

 

 ――ここが、“妹”のいる場所か。

 

 そう思った瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。

 ラッシュは先を歩きながら、手にしたランタンで薄暗い通路を照らしている。

 揺らめく光が、壁に貼りついた幾何学模様をチラつかせていた。

 

「……随分、静かだな」

「ええ。いつもは、もう少しだけ……音がします」

 

 ラッシュの声が微かに震えている。

 緊張、か。それとも――別の感情か。

 

 それ以上、言葉を交わすことはなかった。

 ただ、遠くで水が滴る音と、俺たちの足音と呼吸だけが響く。

 そうして長い廊下を抜け、ようやく突き当たりに辿り着いた。

 そこには、紅色の文様を刻んだ鉄の扉が一枚。

 近づくほどに、空気の密度が変わるのが分かった。

 霊力が、重なり合って淀んでいる。

 

「……ここ、か」

 

 俺が呟くと、ラッシュは静かに頷いた。

 視線が扉に吸い寄せられている。

 その目は、懐かしさと恐怖をない交ぜにしたような、複雑な色をしていた。

 

 俺は風花の柄に手を添える。

 この刀であれば、結界を切るのは造作もない。だが、下手に刺激すれば何が起きるか分からない。

 そう考えてラッシュの様子を伺おうとした――その時だった。

 

 金属を裂くような音が、唐突に響く。

 次の瞬間――扉の中心が、内側から爆ぜた。

 

 風でも霊力でも、ましてや妖力や衝撃波でもない。

 “何か”が、空間そのものを押し潰して吹き飛ばしたような感覚に、怖気が走った。

 

 瓦礫と光が入り混じり、衝撃が肌を刺す。

 思わず腕で顔を庇った。

 

「ッ……!」

 

 土煙が晴れると、そこにいたのは――少女。

 金糸の髪に、七色の光を散らす不思議な翼。

 薄暗い空間の中で、彼女だけが浮き上がるように輝いている。

 

「……ひと、だ」

 

 少女――フランドール・スカーレットは、ゆっくりとこちらに視線を向けた。

 

(……似ている。いや、似すぎている)

 

 他人の空似にしては、まるで絢香の生き写しの様な少女のその瞳は、紅でも黒でもない、どこか無垢な色をしていた。

 

 ラッシュが息を呑む。

 俺は風花にかけた手を、そっと離した。

 

 今の彼女の目に映っているのは、敵ではない。

 ――ただ、“初めて見る人間”という未知そのものだった。

 

 

─────

───

 

 

◆ side:霧雨魔理沙 ◆

 

 紅い霧の中、重たい扉を押し開けると、そこは想像以上に静かな空間だった。

 ロビーの床は黒曜石のように磨かれ、天井には巨大なシャンデリア。

 まるで血の色を濃く溶かしたような光が、ゆらりと漂っている。

 

「ふぅん……派手だねぇ」

 

 私は帽子を軽く押さえながら呟く。

 霊夢はとっくに奥へと目を向けていて、興味があるのかないのか分からない顔をしている。

 

「さて、どうする?」

 

 私が聞くと、霊夢は顎を上げて答えた。

 

「私は右。あんたは左。どうせどっち行っても厄介な奴がいるでしょ」

 

 ……あの巫女らしいな。根拠なんてほとんど勘。

 けど、だいたいそういうときの霊夢は当たる。

 私は軽く肩をすくめて笑うと、反対方向に足を向けた。

 

 紅魔館の中は、外の静けさとは別種の圧を孕んでいる。

 空気が微かに震えてるんだ。

 

 ……これは、魔力の流れ。

 肌にまとわりつくような感覚。

 理屈じゃない、魔法使いとしての直感が告げていた。

 

「へぇ、こりゃまた妙な気配だねぇ」

 

 思わず独り言が漏れる。

 霊夢は勘で動くタイプだが、私は流れで動くタイプだ。

 魔力の渦を辿れば、だいたい面倒事の根っこに行き当たる。

 

 廊下の奥へ進むと、赤い霧が天井から薄く流れ込み、壁の燭台がふと明滅した。

 あの門番の気配はもう遠い。門番はあいつに、創英に任せた。

 ま、あいつなら何とかなるだろ。

 

「……さて、と」

 

 紅魔館の主、そして異変の核。

 それを探し当てるのが、今の私の仕事だ。

 腰のミニ八卦炉を軽く叩くと、火薬と魔力の香りが混じた。うし、いつでも撃てるな。

 

 ――そのとき、歩いている廊下の空気が震えた。

 周囲を見ると、魔力の波が廊下の先でひどく濃くなっているのが分かる。

 まるで“知識”がうごめいてるような、そんな感覚だった。

 

「……どうやら、当たりを引いたみたいだな」

 

 私はニヤリと笑い、片手で帽子のつばを押さえながら、魔力の匂いを追って歩き出した。

 この先に――何かがいる。

 それも、相当な知恵と力を持った何かが。

 

 

 廊下をしばらく歩いていると、空気が一変した。

 湿度と魔力が混じり合って、肌にまとわりつくような重さを感じる。

 音が吸い込まれていく――それはまるで、外界から切り離された別空間みたいだった。

 

「……なんだ、ここ」

 

 私は思わず息を呑んだ。

 

 扉を開けた先に広がっていたのは、まさしく“異界”と呼ぶべき光景だった。

 果てしなく続く本棚、本棚、本棚。

 見上げても天井が霞むほどの高さで、ダークブラウンの書架が幾重にも並び、まるで森のように静まり返っている。

 

 ロウソクの火がゆらめき、魔法陣のような光が壁面を流れている。

 風は一切吹かず、代わりに漂っているのは知識の匂いだ。

 インクと紙と、少しの魔力の焦げた香りが、私の鼻腔をくすぐった。

 

「……すげぇな」

 

 無意識だった。

 自然と、そう口からこぼれた。

 

 手近な棚から一冊を引き抜いてみる。

 表紙は厚い羊皮紙。見たことのない文字が刻まれていた。

中をめくれば、そこには呪文陣の記述、五行式の理論、属性反応式……どれも一級品だ。

 読んだ瞬間、魔力の層が指先を這うのを感じた。

 

「魔導書……だよな、やっぱり」

 

 周囲を見渡せば、この棚のすべてが同種の魔導書。

 その量たるや、幻想郷の誰もが舌を巻くほどではなかろうかと感じる程だった。

 

 ……これは宝の山だ。

 私の魔法使いとしての本能が、声にならない歓喜を上げていた。

 

「こりゃあ楽園だね。いや、マヨヒガか?」

 

 どっちにしても、迷い込んだら出られなくなりそうな場所だ。

 なんせ――ほんの一瞬、目的を忘れかけたから。

 

 紅霧の異変? レミリア? そんなものは後回しでも良い。

 この本棚一つひとつに、未知の知識が眠ってる。

 これらを手に入れられたら――どれだけの魔法を覚え、磨けるだろう。

 

 ……だが、そう思うと同時に、心の奥で何かが警告していた。

 

 この空間の魔力は、ただの知識の輝きじゃない。

 もっと重く、もっと濁っている。

 渦のように巻き上がり、どこか一点へ集中している感覚をかんじる。

 

「……ふむ。誰かが、いるな」

 

 「管理者かね?」だなんて軽口を叩きながら本を戻し、私は足を進めた。

 

 長い通路の奥。灯りの少ない、最奥の書架の向こうから――規則的な、ページをめくる音が聞こえる。

 

 一定の間隔。静かで、冷たい。

 まるでこの図書館そのものが呼吸をしているみたいだ。

 

「……どうやら、当たりの本棚を引いたみたいだな」

 

 連続で当たりを引くとは運がいい。今度お御籤でも引いてみるか。

 

 私はミニ八卦炉に軽く触れる。それに合わせて魔力が脈打った。

 どんな相手が出てきても撃ち負ける気はしない。

 知識でも、弾幕でも、こっちは盗んで覚えるのが流儀だ。

 私は一歩、音のする方へ進んだ。

 

 本棚の影の向こう。

 そこで初めて、静かな声が私を迎えた。

 

「――本を持っていくのは構わないけど、埃くらいは払ってからにしてほしいわね」

 

 細く、静かな声色。だが、ここではその声がよく響く。

 低くも澄んだその声は、音の余韻が空気の振動に変わって、背筋に微かな圧を与えてきた。

 

 声の主は、薄闇の中で読書をしていた。

 分厚い本を片手に、もう片方の手で羽根ペンを持ったそいつは、静かにページを閉じる。

 

 紫の長髪に月光のような淡い光。

 寝巻きのような衣をまとっているのに、どこか威厳がある。

 目を上げると、紫色の瞳がこちらを射抜いた。

 

「よう、お邪魔してるぜー」

 

 私は片手を挙げて軽く笑う。

 

「いやあ、すげーところだなここは。魔力の匂いがそこら中からしてるなんて、初めて見たよ」

「そう。匂いを嗅ぎ分けて入ってくる泥棒って、あなたくらいじゃないかしら」

 

 女は本を閉じ、膝に置いた。

 その指先がほんの少し震えていたけれど、声には揺らぎがない。

 

「泥棒とは人聞きが悪いな。私はな、借りていくだけさ」

「……死ぬまで?」

「そう、死ぬまで」

 

 女の唇が、小さく笑みに歪んだ。

 

「合理的ね。返す必要がないなら、期限に追われることもない」

 

 冷ややかで、でもどこか愉快そうでもある。

 

「だろ? 魔法使いはそうでなくっちゃ」

 

 私は肩をすくめて帽子を直す。

 対して女は、書見台に本と羽根ペンを戻し、指先を軽く振った。

 それに合わせて光が走り、床に幾何学模様が浮かび上がる。

 

「……で、侵入者。あなたの目的は?」

「単純だよ。紅霧の異変を調べてる。それと、ちょっと面白そうな本を見つけたから」

「後半が本音ね」

「ま、バレるか」

 

 彼女は小さく息を吐いた。

 その瞬間、わずかに咳き込む。

 乾いた音。喉の奥を押さえる手が白い。

 だが、咳が収まるとすぐに表情を戻していた。

 

「……体調が悪そうだな。こんな魔力の濃い場所に籠もってたら、そりゃ肺もやられるぜ?」

「大丈夫よ。少し、気圧が合わないだけ」

 

 そう言いながらも、彼女の周囲に漂う魔力がわずかに乱れていた。

 

「気圧ってレベルじゃねえだろ、それ」

「口が減らない子ね」

 

 彼女は立ち上がると、ふわりと宙に浮かんだ。

 

「悪魔の館に踏み込んでおいて、無事に帰れるとは思わないことね」

「いいねぇ、そっちがその気なら、遠慮なくやらせてもらうよ」

 

 私もミニ八卦炉を構える。

 指先に魔力が集まり、空気が熱を帯びる。

 彼女の指先が光るのと、私の魔力が爆ぜるのは、ほぼ同時だった。

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