少々予定時刻から遅れましたが、更新致します!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◆ side:時崎創英 ◆
戦いの後の静けさというのは、妙なものだ。
あれだけ喧しく鳴いていた風が嘘みたいに止み、紅霧が薄れていく。
血の味と鉄の匂いが残る空気の中で、俺はただ、呼吸を整えていた。
床に崩れたラッシュは、膝を抱くようにして座り込んでいる。
泣き疲れた子どものようなその背中が、あまりに小さく見えた。
あれほどの力を持つ者が、今は抜け殻みたいに静かだ。
「……悪かったな。無理をさせた」
言葉が自然に出た。
返事はない。ただ、ラッシュの肩が微かに揺れた。
それでもいい。今は、沈黙がいちばん優しいのだから。
◆
やや暫くして、ラッシュはようやく顔を上げた。
泣き腫らした瞳に、ほんの少しだけ光が戻っている。
「……あなたは、一体何なのですか……?」
「ん?」
「この霧を止めに来たのでしょう? ならば、私達は敵同士。拳と刃を突き合わせるのが常の筈。なのに、あなたは刀を納めた。あなたは一体、ここへ何をしに来たのですか?」
俺は少し考えて、笑った。
レミリアが起こした紅い霧の異変に関しては、霊夢と魔理沙に任せることとしよう。
そう思い、口を開く。
「さっきも言ったと思うけど、この紅い霧の異変の対処に来た。けど実はな、ここに来たのは俺だけじゃないんだ。霧の件については……まぁそいつらが解決するだろう」
そこで一度、話を区切る。
そして、息を吸い直して再び口を開いた。
「俺は、俺の役割があってここへ来たんだ」
「役割……?」
「ああ。そしてその役割は――霊石の回収、もしくは破壊。そして今は、アンタと、アンタの慕うフランドールって子を助ける事だ」
沈黙。
風が一筋、割れた窓から吹き込む。
その風がラッシュの髪を撫で、血の匂いを運び去っていった。
「……聞き捨てならないことを聞いた気がしますが、今だけは聞かなかった事にしてあげます」
呆れたような表情をするラッシュ。
そこにはもう、危うい影は何処にも潜んでいなかった。
それがなんだか嬉しくて、俺は小さく笑った。
「……フランドール様は、この紅魔館の地下にいます」
咳払いを挟んだラッシュは、端的にそう切り出し始めた。
「本来、あのお方は見境なく荒ぶる様な方ではないのです。姉であるレミリア様を、慕うまとではいかずとも……家族に手をあげる程、嫌ってなどいないのです」
俺にとって聞き捨てならない情報が耳に飛び込む。
いもうと……妹か。
この幻想郷に来てからというものの、どうにも俺は、「妹」に縁があるようだ。
「当紅魔館のメイド長、十六夜咲夜様と、大図書館のパチュリー・ノーレッジ様。お二方の協力の元で構築された結界に囚われて、今は落ち着いていますが……それも長くは続かないでしょう。妹様は、”ありとあらゆるものを破壊する程度の能力”を持っていますので……」
唐突に出てきた物騒すぎる能力に一瞬思考が固まったが、それでも黙って聞き続ける。
「引きこもりがちではありますが、聡明で、でも時折、見た目相応に幼く、見知らぬ物事には無邪気に接する方なのです。……本来であればあってはならない事ではございますが、お願いします。あなたの……創英様の力をお貸しください。妹様を、フランドールお嬢様を助けたいのです」
その声は震えていたが、もう逃げてはいなかった。
俺は、迷いなく頷いた。
「ああ。助けに行こう」
そんな俺を見て、ラッシュは小さく息を呑んだ。
「……あなたは不思議な方ですね。ただの人間だというのに、どうしてそこまで不敵で居られるのでしょうか」
心底分からないといった様子で俺を見つめるラッシュ。
そんな彼女に、少し皮肉混じりにこう答える。
「はっ。悪かったな、ただの人間で」
そして……冗談めかして、軽口を叩く。
「けれど、そんなただの人間だからこそ、出来ることだってあるかもよ」
それに……と、俺は続ける。
「その子、フランドールって言ったか。この館の主の……妹だって、聞いちまったからな。――もう俺には、助けに行かない理由は無いのさ」
ふっと、二人の間に風が通り抜けた。
先ほどまで暴れていた嵐の残滓が、まるで名残惜しそうに漂う。
彼女に巻き付く罪の鎖が、少しだけ解けたように思えた。
◆
紅魔館の地下は、まるで空気そのものが眠っているみたいに静かだった。
階段を降りるたび、靴音が石壁に反響しては消えていく。
空気が重い。冷たい。肺に入るたび、心臓が一拍遅れて反応するような感覚がする。
――ここが、“妹”のいる場所か。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。
ラッシュは先を歩きながら、手にしたランタンで薄暗い通路を照らしている。
揺らめく光が、壁に貼りついた幾何学模様をチラつかせていた。
「……随分、静かだな」
「ええ。いつもは、もう少しだけ……音がします」
ラッシュの声が微かに震えている。
緊張、か。それとも――別の感情か。
それ以上、言葉を交わすことはなかった。
ただ、遠くで水が滴る音と、俺たちの足音と呼吸だけが響く。
そうして長い廊下を抜け、ようやく突き当たりに辿り着いた。
そこには、紅色の文様を刻んだ鉄の扉が一枚。
近づくほどに、空気の密度が変わるのが分かった。
霊力が、重なり合って淀んでいる。
「……ここ、か」
俺が呟くと、ラッシュは静かに頷いた。
視線が扉に吸い寄せられている。
その目は、懐かしさと恐怖をない交ぜにしたような、複雑な色をしていた。
俺は風花の柄に手を添える。
この刀であれば、結界を切るのは造作もない。だが、下手に刺激すれば何が起きるか分からない。
そう考えてラッシュの様子を伺おうとした――その時だった。
金属を裂くような音が、唐突に響く。
次の瞬間――扉の中心が、内側から爆ぜた。
風でも霊力でも、ましてや妖力や衝撃波でもない。
“何か”が、空間そのものを押し潰して吹き飛ばしたような感覚に、怖気が走った。
瓦礫と光が入り混じり、衝撃が肌を刺す。
思わず腕で顔を庇った。
「ッ……!」
土煙が晴れると、そこにいたのは――少女。
金糸の髪に、七色の光を散らす不思議な翼。
薄暗い空間の中で、彼女だけが浮き上がるように輝いている。
「……ひと、だ」
少女――フランドール・スカーレットは、ゆっくりとこちらに視線を向けた。
(……似ている。いや、似すぎている)
他人の空似にしては、まるで絢香の生き写しの様な少女のその瞳は、紅でも黒でもない、どこか無垢な色をしていた。
ラッシュが息を呑む。
俺は風花にかけた手を、そっと離した。
今の彼女の目に映っているのは、敵ではない。
――ただ、“初めて見る人間”という未知そのものだった。
─────
───
─
◆ side:霧雨魔理沙 ◆
紅い霧の中、重たい扉を押し開けると、そこは想像以上に静かな空間だった。
ロビーの床は黒曜石のように磨かれ、天井には巨大なシャンデリア。
まるで血の色を濃く溶かしたような光が、ゆらりと漂っている。
「ふぅん……派手だねぇ」
私は帽子を軽く押さえながら呟く。
霊夢はとっくに奥へと目を向けていて、興味があるのかないのか分からない顔をしている。
「さて、どうする?」
私が聞くと、霊夢は顎を上げて答えた。
「私は右。あんたは左。どうせどっち行っても厄介な奴がいるでしょ」
……あの巫女らしいな。根拠なんてほとんど勘。
けど、だいたいそういうときの霊夢は当たる。
私は軽く肩をすくめて笑うと、反対方向に足を向けた。
紅魔館の中は、外の静けさとは別種の圧を孕んでいる。
空気が微かに震えてるんだ。
……これは、魔力の流れ。
肌にまとわりつくような感覚。
理屈じゃない、魔法使いとしての直感が告げていた。
「へぇ、こりゃまた妙な気配だねぇ」
思わず独り言が漏れる。
霊夢は勘で動くタイプだが、私は流れで動くタイプだ。
魔力の渦を辿れば、だいたい面倒事の根っこに行き当たる。
廊下の奥へ進むと、赤い霧が天井から薄く流れ込み、壁の燭台がふと明滅した。
あの門番の気配はもう遠い。門番はあいつに、創英に任せた。
ま、あいつなら何とかなるだろ。
「……さて、と」
紅魔館の主、そして異変の核。
それを探し当てるのが、今の私の仕事だ。
腰のミニ八卦炉を軽く叩くと、火薬と魔力の香りが混じた。うし、いつでも撃てるな。
――そのとき、歩いている廊下の空気が震えた。
周囲を見ると、魔力の波が廊下の先でひどく濃くなっているのが分かる。
まるで“知識”がうごめいてるような、そんな感覚だった。
「……どうやら、当たりを引いたみたいだな」
私はニヤリと笑い、片手で帽子のつばを押さえながら、魔力の匂いを追って歩き出した。
この先に――何かがいる。
それも、相当な知恵と力を持った何かが。
◆
廊下をしばらく歩いていると、空気が一変した。
湿度と魔力が混じり合って、肌にまとわりつくような重さを感じる。
音が吸い込まれていく――それはまるで、外界から切り離された別空間みたいだった。
「……なんだ、ここ」
私は思わず息を呑んだ。
扉を開けた先に広がっていたのは、まさしく“異界”と呼ぶべき光景だった。
果てしなく続く本棚、本棚、本棚。
見上げても天井が霞むほどの高さで、ダークブラウンの書架が幾重にも並び、まるで森のように静まり返っている。
ロウソクの火がゆらめき、魔法陣のような光が壁面を流れている。
風は一切吹かず、代わりに漂っているのは知識の匂いだ。
インクと紙と、少しの魔力の焦げた香りが、私の鼻腔をくすぐった。
「……すげぇな」
無意識だった。
自然と、そう口からこぼれた。
手近な棚から一冊を引き抜いてみる。
表紙は厚い羊皮紙。見たことのない文字が刻まれていた。
中をめくれば、そこには呪文陣の記述、五行式の理論、属性反応式……どれも一級品だ。
読んだ瞬間、魔力の層が指先を這うのを感じた。
「魔導書……だよな、やっぱり」
周囲を見渡せば、この棚のすべてが同種の魔導書。
その量たるや、幻想郷の誰もが舌を巻くほどではなかろうかと感じる程だった。
……これは宝の山だ。
私の魔法使いとしての本能が、声にならない歓喜を上げていた。
「こりゃあ楽園だね。いや、マヨヒガか?」
どっちにしても、迷い込んだら出られなくなりそうな場所だ。
なんせ――ほんの一瞬、目的を忘れかけたから。
紅霧の異変? レミリア? そんなものは後回しでも良い。
この本棚一つひとつに、未知の知識が眠ってる。
これらを手に入れられたら――どれだけの魔法を覚え、磨けるだろう。
……だが、そう思うと同時に、心の奥で何かが警告していた。
この空間の魔力は、ただの知識の輝きじゃない。
もっと重く、もっと濁っている。
渦のように巻き上がり、どこか一点へ集中している感覚をかんじる。
「……ふむ。誰かが、いるな」
「管理者かね?」だなんて軽口を叩きながら本を戻し、私は足を進めた。
長い通路の奥。灯りの少ない、最奥の書架の向こうから――規則的な、ページをめくる音が聞こえる。
一定の間隔。静かで、冷たい。
まるでこの図書館そのものが呼吸をしているみたいだ。
「……どうやら、当たりの本棚を引いたみたいだな」
連続で当たりを引くとは運がいい。今度お御籤でも引いてみるか。
私はミニ八卦炉に軽く触れる。それに合わせて魔力が脈打った。
どんな相手が出てきても撃ち負ける気はしない。
知識でも、弾幕でも、こっちは盗んで覚えるのが流儀だ。
私は一歩、音のする方へ進んだ。
本棚の影の向こう。
そこで初めて、静かな声が私を迎えた。
「――本を持っていくのは構わないけど、埃くらいは払ってからにしてほしいわね」
細く、静かな声色。だが、ここではその声がよく響く。
低くも澄んだその声は、音の余韻が空気の振動に変わって、背筋に微かな圧を与えてきた。
声の主は、薄闇の中で読書をしていた。
分厚い本を片手に、もう片方の手で羽根ペンを持ったそいつは、静かにページを閉じる。
紫の長髪に月光のような淡い光。
寝巻きのような衣をまとっているのに、どこか威厳がある。
目を上げると、紫色の瞳がこちらを射抜いた。
「よう、お邪魔してるぜー」
私は片手を挙げて軽く笑う。
「いやあ、すげーところだなここは。魔力の匂いがそこら中からしてるなんて、初めて見たよ」
「そう。匂いを嗅ぎ分けて入ってくる泥棒って、あなたくらいじゃないかしら」
女は本を閉じ、膝に置いた。
その指先がほんの少し震えていたけれど、声には揺らぎがない。
「泥棒とは人聞きが悪いな。私はな、借りていくだけさ」
「……死ぬまで?」
「そう、死ぬまで」
女の唇が、小さく笑みに歪んだ。
「合理的ね。返す必要がないなら、期限に追われることもない」
冷ややかで、でもどこか愉快そうでもある。
「だろ? 魔法使いはそうでなくっちゃ」
私は肩をすくめて帽子を直す。
対して女は、書見台に本と羽根ペンを戻し、指先を軽く振った。
それに合わせて光が走り、床に幾何学模様が浮かび上がる。
「……で、侵入者。あなたの目的は?」
「単純だよ。紅霧の異変を調べてる。それと、ちょっと面白そうな本を見つけたから」
「後半が本音ね」
「ま、バレるか」
彼女は小さく息を吐いた。
その瞬間、わずかに咳き込む。
乾いた音。喉の奥を押さえる手が白い。
だが、咳が収まるとすぐに表情を戻していた。
「……体調が悪そうだな。こんな魔力の濃い場所に籠もってたら、そりゃ肺もやられるぜ?」
「大丈夫よ。少し、気圧が合わないだけ」
そう言いながらも、彼女の周囲に漂う魔力がわずかに乱れていた。
「気圧ってレベルじゃねえだろ、それ」
「口が減らない子ね」
彼女は立ち上がると、ふわりと宙に浮かんだ。
「悪魔の館に踏み込んでおいて、無事に帰れるとは思わないことね」
「いいねぇ、そっちがその気なら、遠慮なくやらせてもらうよ」
私もミニ八卦炉を構える。
指先に魔力が集まり、空気が熱を帯びる。
彼女の指先が光るのと、私の魔力が爆ぜるのは、ほぼ同時だった。