幻想回帰節   作:北宮 涼

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26の節:紅い霧の異変、その9

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

◆ side:霧雨魔理沙 ◆

 

 床の魔法陣が閃光を放つ。

 次の瞬間、地面が割れ、鋭い石柱が幾重にも隆起した。

 

「土符《レイジィトリリトン上級》」

 

 声は静かで、冷たい湖面のように揺るぎない。

 石柱が螺旋状にせり上がると、弾幕のように私を包み込んだ。

 魔力の層が厚い……まるで空気そのものが圧縮されてるみたいだ。

 

 私はミニ八卦炉を構え、反動を抑えつつ光弾を放つ。

 爆ぜる閃光が石柱を一部砕くが、すぐに再生する。

 追撃を避けるために飛び上がりながら見下ろすと、床の陣が再び輝いていた。

 彼女の魔法は――制御が異常に緻密だ。

 

「へっ……まるで詰将棋だな」

 

 私は舌打ち混じりに笑う。

 だがその瞬間、視界を貫く閃光が瞬いた。

 

「金符《シルバードラゴン》」

 

 天井から金色の稲光が迸る

 龍のような形をした雷撃が、図書館の柱を焼き、空気を裂く。

 本棚が吹き飛び、紙片が舞う中、私は即座に回避の軌道を取った。

 

「おっとっと! 本棚ごと焼く気かよ!」

「大丈夫よ、ここにある本は全部暗記してあるから」

「どんだけ暇人なんだよ!」

 

 軽口を返すが、その間にも雷は追尾してくる。

 魔力の精度が高い。単にばら撒くだけじゃなく、空間を制しながらちゃんと“狙ってる”。

 

 私は魔法のほうきに飛び乗り、高速で飛翔して旋回しながら距離を取った。

 柄の先端に芽吹いた小さな葉が風に揺れる。

 

「よっこらせ……。さて、私も少しは本気出すか」

 

 ミニ八卦炉を構えると、熱が掌に集まった。

 

「魔符《スターダストレヴァリエ》!」

 

 火花が弾け、八卦炉から星屑のような光弾が拡散する。

 光は流星のように軌跡を描き、複雑な曲線を描きながらパチュリーを包囲した。

 

「多方向からの射撃……面倒ね」

 

 パチュリーは眉一つ動かさず、手元の魔導書を開く。

 ページが一枚めくれるたびに、色の異なる魔法陣が彼女の周囲に展開された。

 

「土金符《エメラルドメガリス》」

 

 複数属性の弾幕が交差し、緑と金の光が重なりながら空間を歪ませる。

 魔法陣が生成する弾は流体のようで、まるで“質量を持った光”だった。

 

 私は舌を打ちながら、八卦炉の出力をさらに上げる。

 光弾の一部が反射され、視界に閃光の嵐が広がった。

 

「なるほどな……複合属性。これは厄介だ」

 

 蝙蝠の翼を持った赤髪の女がそっとパチュリーの背後に浮かぶ。

 翼を広げ、風の魔法を操るように空気の流れを変えた。

 弾幕によって舞い上がった埃や紙片が、パチュリーの周囲から遠ざかってゆく。

 

「ありがとう、小悪魔。助かるわ」

「はい、パチュリー様」

 

 二人の呼吸は噛み合っていた。

 まるで舞踏のように、主と従が一体化している。

 私はその光景を見て、思わず笑った。

 

「へぇ……息ぴったりじゃん。」

「ええ、貴女と違って、私たちは知識を共有してるの」

「おいおい、悪い言い方するなよ。私だって学んでるさ。盗んで、覚えて、積み上げてきたんだ」

 

 パチュリーの目が少しだけ柔らいだ。

 ほんの刹那の間だけ、戦場の空気が静まる。

 

「……あなた、名前は?」

「霧雨魔理沙。普通の魔法使いだ」

「なるほど、そう」

「……で、あんたは?」

「パチュリー・ノーレッジ。この図書館の主よ」

 

 お互いの名を告げた瞬間、再び魔力が炸裂した。

 

「水木符《ウォーターエルフ》」

 

 透明な弾幕が広がる。水と風が織りなす旋律は、見るものを魅了するような美しさがあった。

 しかし見とれている訳には行かない。ほうきに乗って飛翔し、高速で飛び回りながら光弾を放ち返す。

 蒸気が爆ぜ、光が交錯した。

 

 パチュリーの呼吸が早くなる。唇がわずかに血色を失っていく。

 それでも、彼女は止まらない。

 

「……次で、終わらせるわ」

「おう、上等!」

 

 静かな声が響く。

 

「金水符《マーキュリポイズン》」

 

 黄金の光と青白い毒霧が混じり合い、螺旋を描いて押し寄せる。

 美しい。けど、それだけ危険だ。

 

「だったら……こっちも、全開で行くぜ!」

 

 私はミニ八卦炉を胸の前に掲げた。魔力が一点に収束する。

 その魔力が起こす波に空気が震え――そして、光が弾けた。

 

「恋符――《マスタースパーク》ッ!!」

 

 眩い光線が放たれた。

 それはただの光ではない。

 熱と圧力と、努力の結晶そのもの。

 

 図書館を焼くほどの巨大な閃光が、五行の陣を一気に押し潰す。

 衝撃で書架が倒れ、紙片が光に舞う。

 その中で、パチュリーは魔導書を盾のように掲げ、最後までその瞳を逸らさなかった。

 

 光が収まり、静寂が戻る。

 空気は焦げた紙の匂いで満ちていた。

 

 私は肩で息をしながら、ミニ八卦炉を排熱する。

 対面の彼女は、ゆっくりと膝をついた。

 小悪魔が慌てて駆け寄り、手を取る。

 

「大丈夫か?」

「……少し、疲れたわ。あなた本当に人間?」

「人間だよ。どっからどう見てもな」

「……そう。なるほど、道理で光が綺麗なわけね」

 

 パチュリーの声は小さく、少し掠れていた。

 

「次は、もう少し加減して撃ってほしいわ」

「次があるのか?」

「知識の世界に“終わり”はないわ。あなたも、そうでしょう?」

 

 私は笑って帽子を押さえる。

 対するパチュリーは、魔導書を開いて項を指でなぞっていた。

 

「……ん?」

 

 最初は何気なく見ていたが、その所作に違和感を感じたから、意識を向けて見てみた。

 項をなぞる指。その指先が、わずかに震えている。

 もっとよく見てみれば、その魔導書のページには黒い痕がこびりついていて――それは魔力の焼け跡じゃないように見える。

 何か、もっと異質な残滓であるかのような禍々しさが、そこに刻まれていた。

 

「……なぁ、さっきの戦いのときさ」

 

 私は言いながら、空気に残る魔力の揺らぎを感じ取る。

 

「妙な“混ざり”を感じたんだ。魔力の質が、どこか不気味で……普通の魔法じゃなかった」

 

 パチュリーは短く息を吸い、少しだけ視線を逸らした。

 

「気づいたのね」

「まぁ、ね」

 

 帽子を深く被り直す。

 創英が話をしていた内容を思い返しながら、ここまでの戦いを振り返る。

 

 ――確かに、ここまででの戦いでおかしな所は幾つかあった。

 その最たる例は、チルノ。

 目に宿っていたあの異質な赤い輝きは、見る者の心を惑わせる気配を滲ませていた。

 

 その気配が、ここに満ちる魔力に混じりこんでいる。

 そんな異質なモノ、どれだけ呑気にしてたって嫌でも気がつく。

 

「ツレから少し話は聞いてた。どっかで“変な石”が出回ってるってな。それが悪さをしてて、そいつはそれを止めるために探してるようだった」

「……霊石のことね」

 

 その言葉には、疲労と警戒が滲んでいた。

 

「あんたは、その霊石ってのがどういう物なのか知ってるのか?」

「ええ。あれは所有する者の身体的な強さを底上げするけれど、同時に精神汚染を引き起こし、自我を失わせて暴走させる代物よ」

 

 パチュリーは魔導書を閉じ、指で軽く表紙をなぞる。

 

「それが見つかったのは霧の湖の畔。そして、それを持ち帰ったのは……この館の従者。どういう物か知らずに持ち込まれたそれが、最初に影響を及ぼしたのは――妹様だった」

「妹様?」

「この館の主、レミリア・スカーレットの妹よ。名前は、フランドール・スカーレット。強大な力を持っていて、でも精神の均衡が不安定なの。……霊石は、そんな彼女の心を容赦なく蝕んだわ」

 

 空気が一気に重くなった。

 あの紅霧を生み出した館の奥に、そんな爆弾を抱えていたとは。

 

「じゃあ、あんたはその……霊石ってやつをどうにかしてたのか?」

 

「そう。館全体に影響が広がらないよう、私は封印と中和の魔法を組み続けている」

 

 パチュリーの声は静かだった。

 けれどその静けさの奥に、張り詰めた糸のような緊張があった。

 魔力の揺らぎがほんの一瞬、指先から漏れる。

 ここまで消耗してなお、この規模の魔法を維持してるのか――と、私は息を呑んだ。

 

「……とはいえ、それももう限界が近いわ」

 

 その言葉に、私は小さく眉をひそめた。

 外から持ち込まれたその異質な力は、パチュリーのあの緻密な魔法理論にすら干渉してるんだろう。

 だとすれば、霊石の“力”は理屈では測れない何かを含んでいるに違いない。

 

 ゆっくりと立ち上がるパチュリーの背中を小悪魔が支えようと手を伸ばしたが、彼女は首を横に振る。大丈夫だと言わんばかりに。

 

「――段々と抑えが効かなくなってきている。防波堤が崩れかけてるのよ」

 

 声の調子がわずかに沈み、パチュリーの肩が小さく揺れる。

 その言葉を聞いた瞬間、私は八卦炉の中で燻る火の熱を感じた。

 

 霊石の“暴れ方”は想像以上だ。それはこれまでの状況を見ても明らかな事。

 そんな霊石からこの館を守るために、パチュリーはずっとその奔流と張り合ってたってわけか。

……こりゃ、呑気に本を盗んでる場合じゃないな。

 

 全てを語り終え、小さく咳き込むパチュリーを支えながら、小悪魔が言葉を継ぐ。

 

「パチュリー様が止めていなければ、紅魔館の住人は今ごろ全員……」

「……狂ってた、ってわけか」

 

 パチュリーは静かに頷く。

 

「あなたの言う“変な混ざり”は、霊石の呪気。五行の理にも属さない、外の世界の穢れ。理屈だけでは説明できない力――私が最も嫌う類のものよ」

 

 パチュリーの指がわずかに握りしめられる。

 

「だから、私が封じてる間は、誰にも触れさせたくないの。レミィにも、咲夜にも、そして……妹様にも 」

「……なるほどな」

 

 私は帽子を押さえて、軽く息をつく。

 

「それなら、私が知ってるヤツに伝えとく。あいつ、こういうの調べんの得意だからな」

「信用できるの?」

「大丈夫だ。こう言う案件では一番頼りになる奴だよ」

「……そう」

 

 パチュリーは小さく微笑んだ。

 

「じゃあ、次に会うときは、もう少し静かにお願いね」

「そっちはあんたの体調次第だな」

 

 そう言って、私は軽く背を向けた。

 八卦炉の炎が、ゆらりと灯る。

 

「そういや、その霊石だけど。それって何処に――」

 

 私がそう言いかけた、その刹那――床の奥から、轟くような低い振動が伝わってきた。

 地下。この館のさらに深層で、何かが蠢いている。

 

 小悪魔が青ざめた顔で振り返る。

 

 「……パチュリー様、これは……」

 「ええ、分かってる」

 

 彼女は衣服の埃を払い、私を見る。

 その瞳には、さっきまでの疲弊が嘘のように、確かな意思の光が宿っていた。

 

「――地下に行くわ。どうせ、あなたも来るんでしょう?」

「当然」

 

私はほうきを掴み、笑って見せた。

 

「こっからが、本番だろ?」

 

 三人の影が、崩れかけた書架を駆け抜ける。

 紅い霧の揺らめきの向こうで、

 もうひとつの異変が、静かに鼓動し始めていた。

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