幻想回帰節   作:北宮 涼

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27の節:紅い霧の異変、その10

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

◆ side:博麗霊夢 ◆

 

 ……空気が、重い。

 霧のせいだけじゃない。紅魔館の中は、まるで誰かの呼吸を吸い込んで動いてるみたいに、空間そのものが生きている気配をしていた。

 

 外観から見ればただの古びた洋館。

 だけど中に入って数歩進んだだけで、廊下の長さも天井の高さも、さっき見た外観と一致しない。

 扉の位置もおかしい。さっき右にあったはずの通路が、いつの間にか左に移っている。

 

(空間が歪んでる? いや、これは……)

 

 博麗神社の結界でも似たような感覚を味わうことはある。

 けれどこの館の歪み方は、もっと精密で、意図的だ。

 まるで、誰かが“秩序そのもの”を作り替えてるみたいに。

 

(誰かが空間を操っている。つまり、この中には“管理者”がいるってわけね)

 

 私の靴の音が床に吸い込まれるように響く。

 霧のせいで空気が湿っていて、肌に冷たさが張り付く。

 紅い絨毯に、銀色の燭台。

 廊下の先には、規則正しく並ぶ扉たち――けれどどれも同じ模様で、罠のようにも見える。

 

 壁に掛けられた肖像画はどれも紅い瞳の人物ばかり。

 その視線が、通り過ぎるたびにわずかにこちらを追う。

 燭台の炎は形だけで熱を感じない。生者の温度を拒むような冷たい明かりに、豪奢なのにどこまでも死の匂いがする。

 

 ――整いすぎている。

 無駄のない配置も、計算された陰影も、まるで“人間の居場所”を最初から否定しているみたいだった。

 

(こんな館に長くいたら、気が滅入りそうね)

 

 魔理沙とは別れて行動している。あっちは多分、好き勝手に騒ぎながら探索してる頃だろう。

 ……まぁ、あの子がいれば、何かあっても派手に騒いでくれる。音がした方に行けばいいだけの話だ。

 

(それにしても……静かね)

 

 音がない。

 風も、足音も、何も。

 まるで館全体が息を潜めて、私を観察しているような……そんな気配。

 

 壁際の鏡に自分の姿が映る。

 その隣には立てかけられた古い時計があり――その針は止まったままで、今は一ミリも動かない。

 そんな様子に、誰かが「時の流れ」さえ飾りにしているように思えて、背筋が薄ら寒くなった。

 

「……悪趣味ね」

 

 そう呟いたのは、飾り立てられた“静止した美”に、どうしようもない違和感を覚えたからだった。

 この館は生きていない。けれど、死んでもいない。

 時間と空間の狭間で、ただ“飾られている”――そんな感覚が胸に引っかかった。

 

 そうして、思わず独り言が漏れたその瞬間だった。

 

 背後で空気が動いた。

 風も音もなかった。

 ただ、いつの間にか“いた”。

 それが、次の瞬間には私の目の前に現れる。

 結われた銀の髪が微かに揺れていた。

 

 青と白のメイド服。整った仕草。無表情な瞳。

 そして手には――銀色に光るナイフ。

 

「お客様、でしょうか?」

 

 声は静かで、氷のように冷たかった。

 気配を殺していたはずなのに、どうやって背後を取られたのかすら分からない。

 いやそれ以前に、どうしてここまで接近されるまで気付けなかったのか。

 

 得体の知れないモノを感じた私は、一歩下がりながら視線で相手を探る。

 この女、動きが人間の範疇じゃない。

 魔力の揺らぎも、妖気もない。

 まるで“存在そのもの”が削ぎ落とされたみたいに、輪郭が曖昧だ。

 

「博麗の巫女……ですね」

「そういうあんたは?」

「紅魔館のメイド長――十六夜咲夜と申します」

 

 その言い方には、礼儀も、敵意も、同じ分量で混ざっていた。

 彼女は軽く一礼すると、微笑のようなものを浮かべて言った。

 

「この館の時間は、お嬢様のためだけに流れます。外から来た者は、ここで立ち止まってもらいますわ」

「時間……ね」

 

 妙に引っかかる単語だ。

 さっきから感じていた違和感――それは空間の歪みじゃなく、“時間”そのものの流れ方が違っているせいかもしれない。

 だから外観と内部が一致しなかったのか。

 

 私は溜息をつき、袖からお札を一枚抜き取った。

 それを見た咲夜が一歩前に踏み出す。

 その一歩が落ちた瞬間――空気が歪んだ。

 床が軋んだのではない。

 “世界”が、軋んだ。

 

 ――チリ、と小さな金属音。

 気づけば、目の前に十数本のナイフが浮かんでいた。

 

 動いた気配がなかった。

 まるで、時間そのものが抜け落ちたみたいに、何もない空間からナイフが現れた。

 

「では――お嬢様の代わりに、この私が手ずから歓迎して差し上げますわ、博麗の巫女」

 

 笑みとともに、ナイフが一斉に放たれた。

 私は反射的に符を投げ、結界を展開する。

 金属と霊力がぶつかり合い、火花が散る。

 

「……歓迎って言うなら、もう少し穏やかにしてほしいものね!」

 

 声を張りながら、私は確信する。

 この女――十六夜咲夜。

 空間を操っているだけではない。

 “時間”をも支配している。

 

 そして、今この館全体の歪みを生み出しているのも――間違いなく、彼女だ。

 

 

 

「スペルカードルールに則り――五枚で勝負いたします」

 

 その声音はまるで儀式の口上のようで、澄み切っていた。

 私もため息をひとつ吐いて、袖から二枚の符を取り出す。

 

「……二枚で十分よ」

 

 咲夜が目を細める。

 瞬間、霧の中にきらめく刃が浮かんだ。

 

「奇術《幻惑ミスディレクション》!」

 

 宣言と同時に、視界が歪む。

 光が割れ、私の周囲に“咲夜”が十人、二十人と現れた。

 全員が同じ呼吸、同じ角度でナイフを構えている。

 

(幻覚? いや、違う……時間差で作られた残像ね)

 

 私は即座に札を展開して陣を形成し、足元に滑らせる。

 札による陣が輝くと周囲の霊力の流れが止まり、幻影の一部が霧散する。

 残った三人の咲夜が同時に手を振ると、銀の雨が降った。

 

 床を跳ね、壁を掠め、反射したナイフが八方から迫る。

 

(……くっ、立ち位置を完全に把握されてる)

 

 跳躍、滑空、回転。

 札を投げ、弾幕を描き、衝突の一瞬を潜り抜ける。

 紙一重のすれ違いの中、ナイフの軌跡が頬を裂いた。

 

「流石ね。……でも、ここからは本気よ」

 

 咲夜が懐中時計を軽く掲げた。

 空気が再び凍る。

 

「メイド秘技《殺人ドール》!」

 

 世界が閃光に包まれた。

 床、壁、天井――あらゆる方向からナイフが飛び交う。

 美しい軌跡。だが、その美しさの裏には確かな殺意がある。

 

 私は咄嗟に両手を合わせ、結界の中心を絞り上げた。

 

「夢符《封魔陣》!」

 

 光が弾け、封魔陣が展開する。

 

 ――ガンッ! ガガガガガッ!!

 

 弾幕とナイフが正面衝突。

 霊力の壁が波打ち、衝撃が腕を痺れさせた。

 

「しつこい女ね!」

「お褒めの言葉として受け取ります」

 

 咲夜は微笑む。

 しかしその笑みの奥、どこか揺らぎがあった。

 

「お嬢様のご意志に、私は添うだけ。……けれど、あの方が壊れていくのは見たくない。違う、そうじゃなくて……止めなければ……」

 

 言葉が乱れる。

 咲夜の瞳が紅く濁り、光が妖しく脈動している。

 

(この様子……まさか、創英が言っていた霊石の影響?)

 

 彼女の動きが速くなる。

 さっきまでの計算された動作ではない。

 “焦り”と“恐怖”が混じった、荒い刃の連続。

 

「幻幽《ジャック・ザ・ルドビレ》!」

 

 紅い光が廊下を切り裂く。

 無数のナイフが曲線を描き、空間そのものが回転しているようだった。

 私は床を蹴り、宙を飛び、身体を翻して避けに徹する。

 

 荒れ狂う霊力と風圧が霧を払い、紅の廊下が一瞬だけ露わになる。

 そこに、咲夜が立っていた。

 その瞳はもう、完全に別の何かを映している。

 

「……時の流れはお嬢様のもの。誰にも、触れさせない」

「あんた……っ!」

 

 懐中時計が再び光を放つ。

 その輝きに、紅い霧が吸い込まれる。

 

「幻世《ザ・ワールド》!」

 

 咲夜がそう宣言した瞬間――音が消えた。

 

 何も感じない。ただ、視界の端に“結果”だけが刻まれていく。

 そして――気が付けば、おびただしい量のナイフが、私の周りを取り囲むようにして浮かんでいた。

 

「そして――時は、動き出す」

 

 カチリ、と懐中時計を閉じる音が響く。

 それが合図となり――ナイフが、殺到した。

 

 壁が裂け、床が抉れ、ナイフが突き立つ。

 

(……やばい、これ以上は)

 

 私は反射的に符を掴み取る。

 集中し、心を一点に絞る。

 

「霊符《夢想封印》!」

 

 白光。

 無数の霊弾が渦を巻き、紅い霧を切り裂く。

 爆ぜた光が時間の壁を破り……咲夜の懐中時計に直撃した。

 

 ――パリンッ!

 

 金属の破片が飛び散り、弾幕が途切れた。

 咲夜が息を呑み、片膝をつく。

 

 懐中時計の表面に、ひびが入っていた。

 

「……私……は……お嬢様の時間を……」

 

 手を伸ばす咲夜の腕が震える。

 瞳の紅い光が弱まり、代わりに涙が零れた。

 

「違うの……止めたかっただけなの……あの方が壊れていくのを……」

 

 私はそっと札を下ろした。

 

(大した忠義ね。この子、本気で“守りたかった”だけなんだ)

 

 床に膝をついた咲夜の姿は、もはや戦う者ではなかった。

 霊石の輝きがふっと消え、静寂が戻る。

 

 霧の合間より差し込む紅の月が、ゆっくりと廊下を染めていた。

 崩れた時計が床に散らばり、針が止まったままの時を刻んでいる。

 咲夜はその破片を見下ろし、ひとつ、息を吐いた。

 

「……私、間違えたのかもしれませんね」

 

 その声はかすれていて、どこか遠くを見ているようだった。

 ――もう大丈夫か。そう思い構えを解こうとした次の瞬間、咲夜の瞳に再び紅の光が宿る。

 

「でも……お嬢様のためなら――まだ、戦えます」

 

 霊石の輝きが、再び怪しく脈動を始めた。

 懐中時計の壊れた針を握り締め、彼女はふらつく足で立ち上がる。

 瞳の輝きがいっそう強く拍動した次の瞬間――彼女は、咆哮にも似た声色で最後の『宣言』をした。

 

「奇術――《エターナルミーク》!!」

 

 廊下が白光に包まれる。

 空気が震え、霧が弾ける。

 

 彼女の宣言により、次の瞬間、世界が“弾丸の雨”に塗り変わった。

 数えることすら不可能。方向も軌道も、すべてが無秩序。

 そんな白みを帯びた青い閃光が、壁を削り、床を穿ち、天井を砕く。

 

 その弾幕には一片の美しさもなかった。

 それはさしずめ狂気の暴風――崩壊の奔流。

 後が無いものの最後の抵抗、とでも言おうか。

 

 咲夜の姿はもう見えない。

 ただ、霧の紅と光の青、そして弾丸による破砕音だけが、世界を埋め尽くしていた。

 

 私は封魔陣の名を叫びかけて、拳を握りしめた。

 もう使えない。ルール上、スペルは撃ち尽くしている。

 

 なら、避け切るしかない。

 

 青い閃光を裂くように、身を翻す。

 足元をかすめる弾丸。袖を裂く風圧。

 一歩間違えば即被弾。壁や床を砕くこの威力を見る限り、まともに受ければタダでは済まないだろう。

 

 私は歯を食いしばり、身体を低く構える。

 流れを読む。空気の乱れ、霧の濃淡、反射光。

 視界の端に映る“空白”を縫って跳ぶ。ただひたすらに跳び続ける。

 

 チラと、視線を彼女へ向ける。

 我を忘れたかのように繰り出される咲夜の弾幕は、依然として止まる気配を見せない。

 それ故か、彼女の口から漏れる言葉も、もう意味を成していなかった。

 

「お嬢様……お嬢様……止めなきゃ……でも……お守りしなきゃ……!」

 

 青い光がすべてを掻き消していく。咲夜自身の言葉も、想いも。

 その忠義心は霊石に歪められ、ねじ曲がった使命だけが今、彼女の身体を突き動かしている。

 その様子に舌打ちをしながら、私はただただ跳び続けた。

 

 耐える。

 避ける。

 ただひたすらに、時間の流れを信じて。

 

 そして――閃光が、ふっと消えた。

 

 あれだけ鳴り響いていた破砕音が消え、砕け崩れた内壁から吹き込んだ外の風が通り抜け、宙に舞った埃や粉塵を押し流す。

 咲夜の姿が、その向こうに見えた。

 

 肩で息をしながら、彼女は崩れるように膝をついた。

 懐中時計の針が完全に砕け、床に散った。

 

 スペルカードルール。

 弾幕を打ち切った――タイムアップによるスペルブレイク。

 

 私は弾幕の余韻の中で、静かに息を整えた。

 

「……終わりよ。あんたの負け」

 

 咲夜は俯いたまま、微かに笑った。

 

「そう……ですか。なら、潔く負けを認めます」

 

 拍動していた瞳の光が、今度こそ完全に消えた。

 瞳の色が淡く戻り、透き通った青い色が顕になると、頬に一筋の涙が伝う。

 

「博麗の巫女。どうか……どうか、お嬢様を、救ってください……」

 

 その言葉とともに、彼女は静かに倒れ込んだ。

 

 私はしばらく立ち尽くしたまま、何も言えなかった。

 

「……はぁ。面倒な事この上ないわね」

 

 ようやく開いた口から、そんな悪態が漏れ出てくる。

 そして、廊下の奥――紅霧の源へと視線を向けた。

 

(……次は、あんたの番よ。レミリア・スカーレット)

 

 足音を響かせ、館の奥へと進む。

 紅い月光が、まるで私を招き入れるかのように、暗い廊下を照らしていた。

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